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英国ウィンザー朝の君主エリザベス2世女王は2022年9月8日、スコットランドのバルモラル城にて96歳の長寿で崩御された。<br /><br />準備期間を得て、2023年5月6日、チャールズ3世の戴冠式がロンドンのウェストミンスター寺院で挙行された。<br /><br />この戴冠式について、伝説好きな私が、特に気にして見ていたのは「Stone of Destiny運命の石」つまり「Stone of Sconeスクーンの石」のことだ。<br /><br />将来の英国王室の戴冠式の際には、「スクーンの石」は一時的にスコットランドからロンドンのウェストミンスター寺院に戻されることになっているそうだと聞いていたので、それが実際にそうなるのか見ていたのだ。<br /><br />写真は1978年8月17日エジンバラ城のMilitary Tattoo

チャールズ英国王の戴冠式に、やはり登場した「Stone of Destiny運命の石」のこと

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1978/08/15 - 1978/08/15

60位(同エリア788件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

英国ウィンザー朝の君主エリザベス2世女王は2022年9月8日、スコットランドのバルモラル城にて96歳の長寿で崩御された。

準備期間を得て、2023年5月6日、チャールズ3世の戴冠式がロンドンのウェストミンスター寺院で挙行された。

この戴冠式について、伝説好きな私が、特に気にして見ていたのは「Stone of Destiny運命の石」つまり「Stone of Sconeスクーンの石」のことだ。

将来の英国王室の戴冠式の際には、「スクーンの石」は一時的にスコットランドからロンドンのウェストミンスター寺院に戻されることになっているそうだと聞いていたので、それが実際にそうなるのか見ていたのだ。

写真は1978年8月17日エジンバラ城のMilitary Tattoo

旅行の満足度
4.5
同行者
家族旅行
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 英国の歴史上も何かと因縁のある「Stone of Sconeスクーンの石」は、1855年の絵に描かれた「スクーンの石がはめこまれたエドワード王の椅子(写真参照)」そのままに、今回のチャールズ3世の戴冠式でも重要な役割を担った。<br /><br />(注:エドワード王とは、かつてのイングランド王Edward I.エドワード1世(在位1272~1307年)のことである)<br /><br />写真は1978年8月17日エジンバラ城のMilitary Tattooのプログラム

    イチオシ

    英国の歴史上も何かと因縁のある「Stone of Sconeスクーンの石」は、1855年の絵に描かれた「スクーンの石がはめこまれたエドワード王の椅子(写真参照)」そのままに、今回のチャールズ3世の戴冠式でも重要な役割を担った。

    (注:エドワード王とは、かつてのイングランド王Edward I.エドワード1世(在位1272~1307年)のことである)

    写真は1978年8月17日エジンバラ城のMilitary Tattooのプログラム

  • 日本の報道には「戴冠式における運命の石=スクーンの石」とエドワード王の椅子の事」に言及する事は無かったから、多分知らなかったのだろう。<br /><br />また、繁栄を極めた大英帝国を象徴するハノーヴァー朝第6代女王Queen Victoriaヴィクトリア女王(1819~1901年)は、ウィンザー朝の君主エリザベス2世女王(1926~2022年)の高祖母にあたり、その治世は特にヴィクトリア朝とも呼ばれた。在位は63年7か月にも及び、歴代イギリス国王の中ではエリザベス2世に次いで2番目の長さである。<br /><br />ドイツの血が濃いハノーヴァー朝から、ウィンザー朝に第一次世界大戦中に名前が変わったが、ハノーヴァー朝の継続と見なされることがある。<br />この歴史的なことも、言及する報道も無かったようだ。<br />(専ら秋篠宮の戴冠式での席次、衣装ばかりが話題になっていたが)<br /><br />【ハノーヴァー朝(英語:Hanoverian Dynasty)は、1714年から1901年まで続いたイギリスの王朝。ステュアート朝の断絶を受けて、ドイツ北部の領邦君主の家系であったハノーヴァー家からGeorge Iジョージ1世(独語はGeorg Ludwigゲオルク・ルートヴィヒ)を国王に迎え入れて同君連合体制が成立した。<br />ハノーヴァー朝は第一次世界大戦中に、敵国ドイツ帝国の領邦の名が冠されている家名を避け、1917年に王宮の所在地ウィンザーに因みウィンザー家(House of Windsor)と家名を改称した。<br /> 但し、ヴィクトリア女王の血統が断絶したわけでないため、ハノーヴァー朝の継続と見なされることがある】<br /><br />英国の新しい国王(ウィンザー朝第5代)として、チャールズ3世は「スクーンの石がはめこまれたエドワード王の椅子」に座して、王冠を戴冠したのである。<br /><br />写真は1978年8月17日エジンバラ城のMilitary Tattooのプログラム

    日本の報道には「戴冠式における運命の石=スクーンの石」とエドワード王の椅子の事」に言及する事は無かったから、多分知らなかったのだろう。

    また、繁栄を極めた大英帝国を象徴するハノーヴァー朝第6代女王Queen Victoriaヴィクトリア女王(1819~1901年)は、ウィンザー朝の君主エリザベス2世女王(1926~2022年)の高祖母にあたり、その治世は特にヴィクトリア朝とも呼ばれた。在位は63年7か月にも及び、歴代イギリス国王の中ではエリザベス2世に次いで2番目の長さである。

    ドイツの血が濃いハノーヴァー朝から、ウィンザー朝に第一次世界大戦中に名前が変わったが、ハノーヴァー朝の継続と見なされることがある。
    この歴史的なことも、言及する報道も無かったようだ。
    (専ら秋篠宮の戴冠式での席次、衣装ばかりが話題になっていたが)

    【ハノーヴァー朝(英語:Hanoverian Dynasty)は、1714年から1901年まで続いたイギリスの王朝。ステュアート朝の断絶を受けて、ドイツ北部の領邦君主の家系であったハノーヴァー家からGeorge Iジョージ1世(独語はGeorg Ludwigゲオルク・ルートヴィヒ)を国王に迎え入れて同君連合体制が成立した。
    ハノーヴァー朝は第一次世界大戦中に、敵国ドイツ帝国の領邦の名が冠されている家名を避け、1917年に王宮の所在地ウィンザーに因みウィンザー家(House of Windsor)と家名を改称した。
    但し、ヴィクトリア女王の血統が断絶したわけでないため、ハノーヴァー朝の継続と見なされることがある】

    英国の新しい国王(ウィンザー朝第5代)として、チャールズ3世は「スクーンの石がはめこまれたエドワード王の椅子」に座して、王冠を戴冠したのである。

    写真は1978年8月17日エジンバラ城のMilitary Tattooのプログラム

  • チャールズ3世英国王の戴冠式に登場した「Stone of Destiny運命の石」 =「Stone of Sconeスクーンの石」は、1978年の夏の休暇で「生涯一度のイギリス旅行」をした時に初めて知ったものである。<br /><br />エディンバラ城の「Stone of Sconeスクーンの石」の伝承と、英国におけるイングランドとスコットランドの歴史的経緯と、それによって生じた確執等は次のようなものだ。 <br /><br />伝承されてきた「スクーンの石」について以下に書いた。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />写真は1978年8月5日英国の旅:ドーバー海峡を渡る

    チャールズ3世英国王の戴冠式に登場した「Stone of Destiny運命の石」 =「Stone of Sconeスクーンの石」は、1978年の夏の休暇で「生涯一度のイギリス旅行」をした時に初めて知ったものである。

    エディンバラ城の「Stone of Sconeスクーンの石」の伝承と、英国におけるイングランドとスコットランドの歴史的経緯と、それによって生じた確執等は次のようなものだ。 

    伝承されてきた「スクーンの石」について以下に書いた。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    写真は1978年8月5日英国の旅:ドーバー海峡を渡る

  • <エディンバラ城・王宮内にある主な宝物><br />エディンバラ城で一番人気は王宮内にある「クラウン・ルーム」です。<br />ここでは「三種の宝器」と「運命の石」が目玉です。スコットランド歴代の王室の宝石や王冠、武器など歴史的遺品が展示されている。<br /><br />「Stone of Sconeスクーンの石」:<br />伝承によると、「スクーンの石」は聖地パレスチナにあって聖Jacobヤコブが枕にしていたという石だと云う。この石をFergusⅠファーガス1世が500年ごろスコットランドに持ち込んだとか(これは伝説だが、現代の科学で実際はスクーン周辺の石切場で採掘されたものであると実証している)。<br /><br />以後伝承は続き、中世においては「スクーンの石」があったSconeスクーン(現Perth and Kinrossパース・アンド・キンロス村)の地はスコットランド王国の重要な地となり、宮廷が置かれた。<br /><br />「スクーンの石」は<スコットランド王家の守護石>となり、スコットランド王が代々即位する際、この石の上で戴冠式が行われたという伝統的な宝物なのだ。<br /><br />「Stone of Sconeスクーンの石」は「Stone of Destiny運命の石」とも呼ばれる長方形の石で重さは約152 kgと云う。<br /><br />写真は1978年8月17日エジンバラ城のMilitary Tattoo

    イチオシ

    <エディンバラ城・王宮内にある主な宝物>
    エディンバラ城で一番人気は王宮内にある「クラウン・ルーム」です。
    ここでは「三種の宝器」と「運命の石」が目玉です。スコットランド歴代の王室の宝石や王冠、武器など歴史的遺品が展示されている。

    「Stone of Sconeスクーンの石」:
    伝承によると、「スクーンの石」は聖地パレスチナにあって聖Jacobヤコブが枕にしていたという石だと云う。この石をFergusⅠファーガス1世が500年ごろスコットランドに持ち込んだとか(これは伝説だが、現代の科学で実際はスクーン周辺の石切場で採掘されたものであると実証している)。

    以後伝承は続き、中世においては「スクーンの石」があったSconeスクーン(現Perth and Kinrossパース・アンド・キンロス村)の地はスコットランド王国の重要な地となり、宮廷が置かれた。

    「スクーンの石」は<スコットランド王家の守護石>となり、スコットランド王が代々即位する際、この石の上で戴冠式が行われたという伝統的な宝物なのだ。

    「Stone of Sconeスクーンの石」は「Stone of Destiny運命の石」とも呼ばれる長方形の石で重さは約152 kgと云う。

    写真は1978年8月17日エジンバラ城のMilitary Tattoo

  • 1296年、イングランド王Edward I.エドワード1世(在位1272~1307年)により、戦利品として収奪され、スクーン修道院(スクーン宮殿)からイングランドへ持ち去られた。<br /><br />イングランドではウェストミンスター寺院に置かれ、イングランド王の戴冠式で使用されていた。石は木の椅子の座部にはめ込まれ(写真参照)、代々のイングランド王たちが即位する戴冠式の際、王たちがこの椅子に座った。<br /><br />スコットランド王の象徴である「スクーンの石」を尻に敷いて即位することになる。この事はスコットランド人のプライドを大いに傷つけたことでしょう。<br /><br />尚、「スクーンの石」がイングランドに奪われたことで、スコットランドの人々はイングランドへの敵対意識を高めることになり、1950年12月クリスマスにはスコットランド民族主義者による「スクーンの石」の盗難(奪還!)事件が発生した。犯人グループによる運搬中に、石の角が割れてしまったが、グラスゴーで石工が修復した。最終的に石は発見されイングランドへ回収された。<br /><br />写真は1978年8月18日①キングストン・アポン・ハルの港を出港:北海フェリーの船Norwindノースウインド号に乗船待ち、乗船後

    1296年、イングランド王Edward I.エドワード1世(在位1272~1307年)により、戦利品として収奪され、スクーン修道院(スクーン宮殿)からイングランドへ持ち去られた。

    イングランドではウェストミンスター寺院に置かれ、イングランド王の戴冠式で使用されていた。石は木の椅子の座部にはめ込まれ(写真参照)、代々のイングランド王たちが即位する戴冠式の際、王たちがこの椅子に座った。

    スコットランド王の象徴である「スクーンの石」を尻に敷いて即位することになる。この事はスコットランド人のプライドを大いに傷つけたことでしょう。

    尚、「スクーンの石」がイングランドに奪われたことで、スコットランドの人々はイングランドへの敵対意識を高めることになり、1950年12月クリスマスにはスコットランド民族主義者による「スクーンの石」の盗難(奪還!)事件が発生した。犯人グループによる運搬中に、石の角が割れてしまったが、グラスゴーで石工が修復した。最終的に石は発見されイングランドへ回収された。

    写真は1978年8月18日①キングストン・アポン・ハルの港を出港:北海フェリーの船Norwindノースウインド号に乗船待ち、乗船後

  • <1978年の旅の事だから、以下の事は追記になる。><br /><br />1996年、時のトニー・ブレア首相(労働党政権)はスコットランドとの融和の為、「スクーンの石」を700年ぶりにスコットランドへ返還し、現在エディンバラ城に保管されている。<br />但し、将来の英国王室の戴冠式の際には、「スクーンの石」は一時的にウェストミンスター寺院に戻されることになっているそうだ。<br />(従って、エリザベス2世女王の崩御と共に、チャールズ3世の戴冠となるわけで、その際には一時的に戻されることになる)<br /><br />伝承から始まった、文字通り「運命の石」となった「スクーンの石」はイングランドとスコットランドの対抗意識の象徴であり、スコットランドの*独立意識も勢いづかせる存在になっているように思われる。<br /><br />*スコットランドの分離・独立について、最近の報道(2020年9月の調査)では調査対象の1016人の有権者の内、56%がスコットランドの独立を支持、44%が反対であったと云う。また、2020年11月5日の報道によると、現英国ジョンソン首相は2020年にこの件について記者団に次のように語った。<br />≪2014年の独立を拒否した国民投票は「一世代に一度の出来事」であると同意して行われたものであり、今後、スコットランド独立の是非を問う国民投票の再実施は不要だ≫と・・・。<br /><br />・・・・・<br /><br />チャールズ3世と、エリザベス2世女王、古くはエリザベス2世の父ジョージ6世の戴冠式の模様をご参照頂くと、その様子が見られる。<br /><br />写真は英国土産の銀食器

    <1978年の旅の事だから、以下の事は追記になる。>

    1996年、時のトニー・ブレア首相(労働党政権)はスコットランドとの融和の為、「スクーンの石」を700年ぶりにスコットランドへ返還し、現在エディンバラ城に保管されている。
    但し、将来の英国王室の戴冠式の際には、「スクーンの石」は一時的にウェストミンスター寺院に戻されることになっているそうだ。
    (従って、エリザベス2世女王の崩御と共に、チャールズ3世の戴冠となるわけで、その際には一時的に戻されることになる)

    伝承から始まった、文字通り「運命の石」となった「スクーンの石」はイングランドとスコットランドの対抗意識の象徴であり、スコットランドの*独立意識も勢いづかせる存在になっているように思われる。

    *スコットランドの分離・独立について、最近の報道(2020年9月の調査)では調査対象の1016人の有権者の内、56%がスコットランドの独立を支持、44%が反対であったと云う。また、2020年11月5日の報道によると、現英国ジョンソン首相は2020年にこの件について記者団に次のように語った。
    ≪2014年の独立を拒否した国民投票は「一世代に一度の出来事」であると同意して行われたものであり、今後、スコットランド独立の是非を問う国民投票の再実施は不要だ≫と・・・。

    ・・・・・

    チャールズ3世と、エリザベス2世女王、古くはエリザベス2世の父ジョージ6世の戴冠式の模様をご参照頂くと、その様子が見られる。

    写真は英国土産の銀食器

  • ・・・・・<br /><br />ロイター・毎日新聞:英で70年ぶり戴冠式 世界の要人2000人出席(2分)<br />英で70年ぶり戴冠式 秋篠宮ご夫妻ら世界の要人2000人出席 - YouTube<br />昨年9月に死去したエリザベス英女王の後を継ぎ、新国王に即位したチャールズ3世(74)の戴冠式が2023年5月6日午前11時(日本時間同日午後7時)、ロンドンのウェストミンスター寺院で行われた。世界の要人約2000人が出席し、新たな君主の時代の始まりを改めて祝福。英君主の戴冠式は、1953年のエリザベス女王以来70年ぶりとなる。(ロイター)2023年5月7日公開<br /><br />HISTORY CHANNEL:エリザベス女王二世 戴冠式 - Coronation of Queen Elizabeth II &quot;The Crowning Ceremony(2分)<br />【4K】エリザベス女王二世 戴冠式 - Coronation of Queen Elizabeth II &quot;The Crowning Ceremony&quot; - YouTube<br /><br />1953年6月2日には、世界各国の元首級の賓客らを招待してウェストミンスター寺院でエリザベス女王二世の戴冠式を行い、この模様はイギリス連邦内だけでなく世界各国に当時の最新メディアである白黒テレビにより中継され、英国におけるテレビ普及に大きな影響を与えた。<br />夫のフィリップ・エディンバラ公爵は共同君主・共同統治者ではなく、「Prince Consort(王配)」の称号を持たなかった。 <br />イギリス女王に即位したことにより、イギリス連邦に加盟する独立国家7か国、すなわち、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、パキスタン、セイロンの女王になった。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br />写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

    ・・・・・

    ロイター・毎日新聞:英で70年ぶり戴冠式 世界の要人2000人出席(2分)
    英で70年ぶり戴冠式 秋篠宮ご夫妻ら世界の要人2000人出席 - YouTube
    昨年9月に死去したエリザベス英女王の後を継ぎ、新国王に即位したチャールズ3世(74)の戴冠式が2023年5月6日午前11時(日本時間同日午後7時)、ロンドンのウェストミンスター寺院で行われた。世界の要人約2000人が出席し、新たな君主の時代の始まりを改めて祝福。英君主の戴冠式は、1953年のエリザベス女王以来70年ぶりとなる。(ロイター)2023年5月7日公開

    HISTORY CHANNEL:エリザベス女王二世 戴冠式 - Coronation of Queen Elizabeth II "The Crowning Ceremony(2分)
    【4K】エリザベス女王二世 戴冠式 - Coronation of Queen Elizabeth II "The Crowning Ceremony" - YouTube

    1953年6月2日には、世界各国の元首級の賓客らを招待してウェストミンスター寺院でエリザベス女王二世の戴冠式を行い、この模様はイギリス連邦内だけでなく世界各国に当時の最新メディアである白黒テレビにより中継され、英国におけるテレビ普及に大きな影響を与えた。
    夫のフィリップ・エディンバラ公爵は共同君主・共同統治者ではなく、「Prince Consort(王配)」の称号を持たなかった。
    イギリス女王に即位したことにより、イギリス連邦に加盟する独立国家7か国、すなわち、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、パキスタン、セイロンの女王になった。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

    エディンバラ城 城・宮殿

  • さて、エリザベス2世女王の崩御の際に、「生涯一度のイギリス旅行」で訪れた女王関係の城を5つピックアップしたことがある。<br /><br />第一にロンドンのBuckingham Palaceバッキンガム宮殿、<br />第二にロンドン郊外のWindsor Castleウィンザー城、<br />第三にスコットランドにある夏の宮殿・女王が崩御されたBalmoralCastleバルモラル城、<br />第四にエディンバラのPalace of Holyroodhouseホーリィーロードハウス宮殿、<br />第五にスコットランドのEdinburgh Castleエディンバラ城である。 <br /><br />尚、5つの内、*ホーリィーロードハウス宮殿はあまり知られていないかもしれない。この宮殿はイギリス王室のスコットランドにおける宮殿で、エリザベス2世女王がスコットランド滞在で使用する公邸として知られていた。<br /><br />1978年の夏の休暇に、思い切ってドーバー海峡を渡った。<br />「生涯一度のイギリス旅行」も、44年という古い旅、セピア色の思い出の旅となってしまった。総走行距離は3,400km(スタート時81,790km、完走時85,190km)と、15日間の旅としては良く走った思いが残る。<br /><br />・・・・・<br /><br />写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

    さて、エリザベス2世女王の崩御の際に、「生涯一度のイギリス旅行」で訪れた女王関係の城を5つピックアップしたことがある。

    第一にロンドンのBuckingham Palaceバッキンガム宮殿、
    第二にロンドン郊外のWindsor Castleウィンザー城、
    第三にスコットランドにある夏の宮殿・女王が崩御されたBalmoralCastleバルモラル城、
    第四にエディンバラのPalace of Holyroodhouseホーリィーロードハウス宮殿、
    第五にスコットランドのEdinburgh Castleエディンバラ城である。 

    尚、5つの内、*ホーリィーロードハウス宮殿はあまり知られていないかもしれない。この宮殿はイギリス王室のスコットランドにおける宮殿で、エリザベス2世女王がスコットランド滞在で使用する公邸として知られていた。

    1978年の夏の休暇に、思い切ってドーバー海峡を渡った。
    「生涯一度のイギリス旅行」も、44年という古い旅、セピア色の思い出の旅となってしまった。総走行距離は3,400km(スタート時81,790km、完走時85,190km)と、15日間の旅としては良く走った思いが残る。

    ・・・・・

    写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

  • ≪セピア色の思い出:ブリテン人から「翼の生えた岩の城」と呼ばれたエディンバラの王城≫<br /><br />11日目の8月15日(火)晴れ後小雨、<br />この日はスコットランドの都市の中では一番小さい都市スターリングにあるStirling Castle スターリング城を見学して、その後に56km先のEdinburgh Castleエディンバラ城に向かった。<br /><br />スコットランドの東岸、フォース湾に面するスコットランドの首府エディンバラは人口48万人、スコットランドにおける政治と文化の中心であり、グラスゴーと共に2大都市の一角を占める。<br />旧市街と新市街の美しい町並みは、ユネスコの世界遺産に登録されていて、旧跡も豊富と云う。毎年8月、エディンバラ・フェスティバルと呼ばれる芸術祭典が行われ、多くの観光客で賑わう。この日も予想以上に多い。<br /><br />写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

    ≪セピア色の思い出:ブリテン人から「翼の生えた岩の城」と呼ばれたエディンバラの王城≫

    11日目の8月15日(火)晴れ後小雨、
    この日はスコットランドの都市の中では一番小さい都市スターリングにあるStirling Castle スターリング城を見学して、その後に56km先のEdinburgh Castleエディンバラ城に向かった。

    スコットランドの東岸、フォース湾に面するスコットランドの首府エディンバラは人口48万人、スコットランドにおける政治と文化の中心であり、グラスゴーと共に2大都市の一角を占める。
    旧市街と新市街の美しい町並みは、ユネスコの世界遺産に登録されていて、旧跡も豊富と云う。毎年8月、エディンバラ・フェスティバルと呼ばれる芸術祭典が行われ、多くの観光客で賑わう。この日も予想以上に多い。

    写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

  • <Edinburgh Castleエディンバラ城><br /><br />エディンバラ城は通称「Castle Rockキャッスル・ロック」という岩山の上に立つ古代からの要塞で、エディンバラのシンボルと言って良いだろう。<br />午前中に訪れたStirling Castleスターリング城(岩山の高さは調べてみたが、意外に記載がない)と似た火山性の岩山・キャッスル・ロックはほぼ左右対称の円筒状の玄武岩で出来ており、145mの高さがある。<br /><br />ケルト系のブリテン人からは「Castle Myned Agned翼の生えた岩の城」と呼ばれ、スコットランド人は「Maidens Castle, Virgins Castle乙女の城」と呼んだそうだ。<br />英国史上最も包囲を受けた城と云われ、1100年の歴史の中で26回の包囲戦が確認されている。<br /><br />写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

    <Edinburgh Castleエディンバラ城>

    エディンバラ城は通称「Castle Rockキャッスル・ロック」という岩山の上に立つ古代からの要塞で、エディンバラのシンボルと言って良いだろう。
    午前中に訪れたStirling Castleスターリング城(岩山の高さは調べてみたが、意外に記載がない)と似た火山性の岩山・キャッスル・ロックはほぼ左右対称の円筒状の玄武岩で出来ており、145mの高さがある。

    ケルト系のブリテン人からは「Castle Myned Agned翼の生えた岩の城」と呼ばれ、スコットランド人は「Maidens Castle, Virgins Castle乙女の城」と呼んだそうだ。
    英国史上最も包囲を受けた城と云われ、1100年の歴史の中で26回の包囲戦が確認されている。

    写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

  • 現在、エディンバラ城にはスコティッシュ・ロイヤル・ジュエル (戴冠用宝玉)、運命の石、有名な15世紀の大砲モンス・メグ、ワン・オクロック砲、およびスコットランドの戦争史を紹介する「国立戦争博物館」館などがある。<br /><br />・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・<br /><br /> (2023年5月14日Wiki・HP参考、編集・加筆)<br /><br />写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

    現在、エディンバラ城にはスコティッシュ・ロイヤル・ジュエル (戴冠用宝玉)、運命の石、有名な15世紀の大砲モンス・メグ、ワン・オクロック砲、およびスコットランドの戦争史を紹介する「国立戦争博物館」館などがある。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     (2023年5月14日Wiki・HP参考、編集・加筆)

    写真はスコットランド・エディンバラの王城の見学

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  • noelさん 2023/05/15 21:54:40
    スクーンの石
    jijidarumaさん

    いつもありがとうございます。
    今回の英国王の戴冠式については、話題にはなっていたものの、目の付けどころが違いますね。
    私自身は英国王の戴冠式は、今回初めて拝見しました。(TVで)
    ただ、ぼーっと見ていましたし、日本では、反王室のニュースやヘンリー王子のニュース等々の話題はあったものの、スクーンの石については触れてませんでした。

    幸いにもエジンバラ城でこの石を見ることができましたが、混んでいて流れるように見た程度だったため、ほとんどの人は王冠や王笏・・・ばかり見ていたようです。
    そして実際に見ましたが、予想より地味だったと思いました。(歴史のあるものだから仕方ありませんが。)

    この旅行記のお陰で、忘れていたことを思い出させていただきました。
    そして、戴冠式も終わったことですから、またエジンバラに戻されるのでしょうね。
    かつてのスコットランドとイングランドの確執は、旅先で結構感じました。(-_-;)

    今後ともよろしくお願いします。


    noel

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2023/05/16 00:02:17
    Re: スクーンの石
    noelさん、
    今晩は。いつもありがとうございます。

    1978年夏の休暇・イギリス旅行はもう古い古い旅で、一度しか行かなかった英国ですが、それでもとても印象に残ったものでした。

    この旅第一の目的であるエディンバラ城のミリタリー・タトゥー(軍楽隊によるドラムとバグパイプの演奏)では迫力があったスコットランドのバグパイパー部隊の登場、しかも戦車まで出てきてビックリしたものでした。

    noelさんは直接、エディンバラ城でスクーンの石を拝見された由、多くの観光客がそうした体験をされたことでしょう。
    今回の戴冠式にあたり、エディンバラ城訪問で初めて知ったスクーンの石、伝承の歴史を書き留めておりましたから、その登場はとても気になったのです。「スクーンの石がはめこまれたエドワード王の椅子」にチャールズ3世は座し、聖エドワード王冠を戴冠した画像を見て、なるほど歴史や伝統はこうして繋がって行くのだと、妙に感心したものでした。

    「生涯一度のイギリス旅行」で知ったスコットランドとイングランドが関わる伝承、そして戴冠式、これも生涯一度のものになりましたね(多分!)。

    それではまた。ありがとうございました。
    jijidaruma

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