ねんきん老人さんへのコメント一覧(41ページ)全873件
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パッチワーク・・
ねんきんさん、おはようございます。
奥様が数人のご友人と自宅でパッチワークを楽しまれている日に、鹿島神宮にお出かけになった旅行記に再訪しました。
既に「いいね」を押しているので、すみませんが書き込みだけさせていただきます。
まず鹿島神宮の末社から、参拝されたのですね。
それが駐車料の節約になるなんて、少しラッキーに思いました。
お参りはしてもお賽銭はご勘弁をって、ねんきんさんスゴク正直ですねー
広大な奥参道の凛とした空気を感じて、お咎めはないように思います。
また要石は水戸黄門様が7日7晩にわたっても掘り切れなかった、ありがたい石なのですね。
このご時世で「水戸黄門」=再放送された番組を、何度も観ています・・
もし鹿島神宮に行ける日が来たら、覚えておこう!と思いました。
鹿島神宮から往復100km近くある、大洗海岸に立ち寄られて・・
石碑と鳥居と打ち寄せる波も、ステキな景色でしたね(^_-)-☆
・・最後にオバタリアンという言葉、久々に聞きました(笑)
ふわっくま
オバタリアン・・・死語ですか?
ふわっくまさん、こんにちは。
小生の拙稿に2度もお立ち寄りいただき、その上書き込みまでしていただいて、ありがとうございました。
慌てて自分で読み返してみましたが、あまりの駄文に穴があったら入りたい気分です。
賽銭までケチった自分でしたが、最近は反省し、入れるようにしています。もっとも、入れるのはいつも10円玉ばかりなので、ご利益は期待しませんし、お願い事をしないのは今も同じです。
水戸黄門の再放送をご覧になっているのですか? 私は東野英治郎さんの黄門様がワッハッハと笑っていらっしゃるころは毎回観ていましたが、その後はどうもしっくりこないので、今は専ら「大岡越前」の再放送を観ています。
まあ、歳のせいでしょうが、最近のテレビは面白くなくて、時代劇の再放送かアマゾンプライムの西部劇ばかりです。
ところで、歳のせいといえば、「オバタリアン」という言葉はもう死語ですか!? 私は普通に使っていましたが、そういえば他の人からは聞きませんね。 こうして自分では気が付かないうちに徐々に時代から遅れていくのでしょうか。
もうこうなったら、開き直って今の人たちが私についてこられないのを笑ってやりましょうか。 先日、ある集まりの場で「たかじけない」と言って驚かれたことがありましたが、あとで自分でも古かったなと呆れました。
もう棺桶に片足突っ込んでいるどころか、すっぽり入って、あとは蓋をするだけになっていますが、もう少しお付き合いいただければ嬉しい限りです。
オミクロンとかいうのが猛威をふるって、大阪も大変なようですが、どうぞお気をつけてお過ごしください。
ねんきん老人
2022年01月18日11時18分 返信する -
特攻隊の歴史を想う!
特攻隊の基地を想う!
私は「真面目なミリタリーマニア」ですが、戦史を研究して特攻隊の基地は海軍
=鹿屋、陸軍=知覧と別れて特攻に出撃して行ったと聞きました。
我が家の近くには特攻隊に指名された方が住んでおり、当時のお話しを聞き海軍
の戦闘機「紫電改」の写真を頂き、額に入れて居間に飾ってあります。
さらに自宅には太平洋戦争開戦の「天皇の開戦詔書」の「御名御璽」のお言葉が
記された掛け軸があり、どこかの歴史記念館に寄贈しようと思っています!
太平洋戦争の末期・1944年には、地元三保海岸に海軍甲種予科練の飛行場があり、
多くの若者がきびしい訓練飛行に明け暮れていました。
現在は富士山を望む飛行場の跡地に、記念碑が立っています。
今の日本の若者は、毎日が楽しければイイと云う考えで、「暮らし、社会、政治」
の事を真面目に考える者が少ない事が残念です!
20代の若者が特攻を前にして家族に「辞世の句」を残すなど、戦後の民主教育の影
に消え去った心情は「反戦」だけでは、語れません!
またの訪問と情報交換を!
風 魔戦死ご研究に敬意を表します。
風魔さん、小生の駄文に書き込みをいただき、ありがとうございます。
戦史をご研究とのこと、意を強くしました。
時代背景が違うとはいえ、現代の若者のていたらくに切歯扼腕している身として、特攻に散っていった若者たちに申し訳ないという気持ちが整理できないでおりますので、風魔さんのような方がいらっしゃるということには勇気づけられる思いです。
実は私も以前、紫電改についてあちこちの資料を拾い読みし、それらをつなげて一文を綴ったことがあります。
それは私のブログに載せてありますので、もしお時間がありましたらご一読いただければ光栄です。
http://zatsunen4989.web.fc2.com/hitorigoto/063_shidenkai.html
URLで検索していただくか、
「雑念怨念羞恥の念」と文字入力していただき、あとは 「ねんきん老人の独り言」⇒「紫電改、その哀れ」を選択していただくと、その稿が出てきます。
甲飛予科練之像は私も三保海岸に行った折に拝見し、胸を打たれました。
戦争のない社会を見ることは私の余生では望めませんが、せめて戦争で散った方々のことは記憶し続けていこうと思っています。
ねんきん老人2022年01月18日10時21分 返信する -
都井岬
ねんきん老人さん
いつもありがとうございます。
長引くコロナのせいか、最近は4トラ旅行記、ご無沙汰していました。
都井岬は10年近く前に行きましたが、その時は野生馬を数頭しか
見られませんでした。
仔馬に遭遇されて、羨ましい。
可愛いですね、眠っちゃったりして^^
そうそう、子供たちも孫たちも、
ご飯食べながらウトウトしたりしてました^^
あの野生馬たち、そっと隠れてこの世を去っていくのでしょう。
あたふたしないで自然をそのまま受け入れているって、
我が家で飼っていた犬を思い出しました。
ワンともフンとも言わず静かに‥。
ところで「獏鼻」
私は日光金谷ホテルで同じようなのを見ましたよ。
「想像の象」だということでした。
懐かしかった旅行記をありがとうございました。
では、お互い健康に気を付けて今年も楽しみましょう!
ニコニコそっと死んでゆく・・・
ニコニコさん、こんにちは。 書き込みをありがとうございました。
鵜戸神宮の「獏鼻」、日光金谷ホテルでご覧になったのですね。
私の旅行記に「どこかで見たような気がするが、どこで見たのか思い出せない」と書きましたが、私が金谷ホテルのような高級ホテルに行くはずもありませんので、もしかしたら、ニコニコさんの旅行記で拝見したのが頭の隅に残っていたのかも知れません。
そう思って、過去に拝読したニコニコさんの旅行記を再読してみましたら、確かに載っていますね。 でも、なんで神社でもないホテルにそういう彫刻があるのだろうと思って、金谷ホテルのHPを見てみました。 ホテルの創業者が東照宮に勤めていたことからの趣向だそうで、今更ながら知らないことだらけの自分を恥じました。
実は、金谷ホテルには、ある接待を受けたときにランチを食べに入りました。 接待ですから自分ではお金を払っていないので、そういうときにしか入れません。 ただそのときには館内の彫刻にはまったく気が付きませんでした。
今回の書き込みでニコニコさんが仰っている馬や犬がそっと静かに死んでゆくというお話。 ジンときました。
確かに、野生動物の死骸というのはほとんど見ることがありませんね。 馬のような大きな動物もそうですし、カラスやスズメなんて、毎日何百羽、何千羽と死んでいると思うのですが、まったく見ません。
昔々、子供のころ、象は死ぬときに「象の墓場」という所に行って死ぬという話を聞いたことがありますが、高崎山の猿も死ぬときは群れを離れて山奥に行って死ぬということですし、象の話もまんざら作り話ではないのかもしれませんね。
私も昔、犬と猫を飼っていましたが、やはりニコニコさんが仰るとおり、ある朝、死んでいました。 前日まで、苦しい様子も見せなかったのに・・・。
私もそう遠くない日を、騒がず、静かに迎えたいと思っていますが、どうなることでしょうか。
それまではせめて安・近・短の旅行を続けたいと願っています。
ニコニコさんも、コロナには十分お気をつけて、ますます活発にご旅行されることを祈っております。
ありがとうございました。
ねんきん老人2022年01月13日10時59分 返信する -
鵜戸神宮。
ねんきん老人さん・おはようございます。
今お邪魔したら鵜戸神宮懐かしく読ませてもらいました。
遥か昔30年近くなるでしょうか?
その頃母親も一緒に九州ツアーに出かけ・
この鵜戸神宮にお参りしました。
その頃は母も歳をとっていて・広い観光地は車椅子使ったりして観光して・
鵜戸神宮だけあの階段降りれないわ~と上で休んでいて・
nimame達は下まで降りて・皆さん亀石に投げていました。
遥か昔はお金で子供たちが取りに行く危険な時もあったなんて!
ねんきん老人さんの詳しく書かれているので・良く解りますね~
もう忘れてしまった場所ばかりで・亀石だけが鮮明に覚えています。
放牧されている馬も可愛いし・ジャラカンダの花が一斉に咲いた光景見てみたいと思いました。
千葉から九州は結構距離ありますよね!
こうして懐かしい写真見る事が出来て思いだしました。
有難う御座います。
nimame
同じ場所に行かれたのですね。
nimame さん、書き込みをありがとうございました。
30年ほど前に鵜戸神宮に行かれたのですか。 同じ場所に行かれたと知って、とても嬉しい気分になりました。
確かにあの階段はお年寄りにはきついですね。 私も、手摺りにつかまりながら下り、また手摺りを頼りに上りました。
母上様が本殿まで行けなかったのはちょっと残念ですが、車椅子を使いながらでもnimame さんが連れて行かれたというのは、母上様にとって、とても嬉しいことだっただろうと拝察します。
「ツアーだから無理・・・家にいて」
そう言われても仕方がないのに、手間をいとわずご一緒されたのですから、母上様にとっても、大切な思い出になったことでしょう。
昨年亡くなられたお姉様もご一緒だったのでしょうか?
網走から九州まではずいぶん遠いと思いますが、機会があったら是非またお出でになって、思い出の地を回られてください。
そのためにも早くコロナが収まってくれることを祈らずにはいられません。
くれぐれもご自愛ください。
ねんきん老人2022年01月06日12時00分 返信する -
深く考えさせられました
ねんきん老人さん、こんにちは。
いろいろと考えさせられる旅行記でした。
特攻隊員として戦死された多くの若者たち。
映画やTVドラマで見るたびに、どうしてこんな理不尽な事を
強いられなければいけなかったのか。
胸が苦しくなります。
知覧に特攻平和会館があることは知りませんでした。
せめてもの供養にと、お名前をお一人ずつ読み上げる、
ねんきん老人さんの優しさに心打たれました。
300名弱だなんて、相当な数です。
特攻隊員の方々も、きっと喜んでいらっしゃったことと思います。
桜島の黒神埋没鳥居。
懐かしいです。
私も以前、旅行で訪れました。
当然と言えば、当然ですが、足元には火山灰が降り積もり、
すぐ隣の小学校のグラウンドの地面も火山灰。
前を見れば、当たり前のごとく退避壕が設置され、
桜島の噴火と共に、日常の暮らしがあるのだと改めて気づかされました。
いろいろと不便なこともあるでしょうが、それでも、そこに住み続ける。
それだけの魅力が桜島にはあるのですね。
kiyo故郷は簡単に捨てられるものではないのですね。
kiyo さん、桜島の黒神埋没鳥居をご覧になったとのこと、共通の体験を持つことができて、とても嬉しく思います。
仰るとおり、避難壕に守られながらの生活、さぞや不便なことだろうと思いますが、それでもそこに住み続けるというのは、やはりよそ者には分からない桜島の魅力があるのですね。
東日本大震災で壊滅状態になった故郷を棄てられず、不自由を承知で戻ってくる人たちがいるという事実を見ても、やはり故郷というものは簡単には捨てられないのだと思います。
特攻という、何をどう考えても理不尽な作戦を否定できなかった社会、その中で「お前の番だ」と言われて飛行機に乗らなければならなかった若者たち、それを「万歳!」と叫んで送らなければならなかった家族・・・。
たまたまの巡り合わせで戦争を体験せずに済んだ私たちは、あの特攻隊員たちに向ける言葉というものがありません。
せめて、本当にせめてもの気持ちから芳名碑を(途中まで)読んだ私の心情をお察しくださって、ありがとうございます。 白状しますが、あの時は途中で声がつまってしまい、続けられなかったのです。 縁もゆかりもない白髪じじいの涙など、あの若者たちにとっては噴飯ものだっただろうと、今も申し訳ない気持ちです。
今も世界には武器を持って走ったり倒れたりしている若者たちが沢山いるのですね。 何もできない自分がもどかしい限りですが、どうか人と人とが殺し合わなくていい世の中が一日でも早くきてほしいと、ただただ祈るばかりです。
重ねて、ありがとうございました。
ねんきん老人2021年12月29日16時10分 返信する -
知覧・・・
ねんきん老人さん、こんにちは。
雄川の滝、知らなかったけれど、素晴らしい滝ですね。
そこでの 待っていたのに、掛からなかった声
複雑な心境、お察しいたします。
鹿屋航空基地史料館は、思ったよりも充実している展示ですね。
鹿行は通過したことはあるのですが、
このような史料館の存在は知りませんでした・・・
知覧特攻平和会館は、息子が行って
今までで一番人生を真剣に考えさせられた場所だと申しておりました。
私はまだ行ったことが無いのですが、
息子を二人育てた親の視点から見ると、
当時の母親は、お国のために死にゆくのは名誉とされていた。
そんな馬鹿げた思想を信じ込ませた教育が恐ろしいと感じました。
私なら、何があっても、息子たちを死なせたりはしない!
与謝野晶子と同じ心境です。
教育の力は大きい・・・
この時点で、人と人とが殺戮しあうのは愚かだと
教育されていたならば・・・
それが無くて、当時の日本人は戦争に反対する人は
皆 投獄されていた・・・
考えただけでも恐ろしい社会です。
それと 今は大丈夫なのだろうか・・・
意見を言える時代になっているのだろうか?
報道は偏らずに正当に手に入れられているのだろうか・・・
今の時代でも、不穏な空気はあります。
それを感じ取っていない人も大勢います。
正しい方向に向かっているのかを判断するのは一人一人です。
8月に戦争関係の番組がほとんど無くなって久しいですね。
このような戦争の記憶を抹殺してしまうのも恐ろしいし、
被爆国なのに、アメリカに忖度して核兵器禁止条約の採択に
参加しないなんて、考えられないです。
それまでの長崎や広島の人々の苦しい思いを無視しているとしか・・・
話が飛躍して、知覧だけではなくなりました。
我が家では知覧茶をよく飲みます。
宇治よりも静岡よりも、嬉野よりも
美味しい・・・
それは特攻隊の悲しみの産物なのかと感じることがあります。
スミマセン、脈絡のないコメントになりました。
しかし、年末にしっかりとまた思いを確認させて頂きました。
ねんきん老人さんの旅行記には重みがあります。
また、来年も重みのある旅行記を読ませてください。
どうぞ、良いお年をお迎えください。
yamayuri2001
教育する側の責任を考えなければいけませんね。
yamayuri2001 さん、拙稿にご丁寧な書き込みをありがとうございました。
ご子息が「今までで一番人生を真剣に考えさせられた」と仰ったとのことを知り、頼もしい思いを抱きました。 日頃、チャラチャラした若者の言動に辟易していますので、真面目な場所に行き、真面目な感想を持たれる若者の存在には勇気づけられます。
戦争当時の教育が多くの若者を死に追いやった事実、それを止められなかった大人たち・・・その多くが教育によって、いわば洗脳されていた事実を思うと、教育というものの恐ろしいほどの力を痛感します。
このことは、中国や韓国で諸悪の根源が日本人であるように教えられ、それが心底に沁みついている民衆の姿が語っています。 日本もかつてはアメリカ人、イギリス人を「鬼畜米英」などと教えていましたから、今、中韓を責めることはできませんが、教育による洗脳の恐ろしさは感じます。
yamayuri2001 さんが仰るように、被爆経験があり、世界に核兵器の廃絶を訴えることになんらためらう必要のない国でありながら、日本が核兵器禁止条約に賛意すら示せないという体たらくを思うと、あの大戦の反省がどこにあるのだろうと思ってしまいます。
私は、妻が死んで以来、急須でお茶を入れたことがありません。 無論、家には急須がありますし、湯飲み茶椀もありますが、独身時代を含め自分で急須を使ったことがないので、どうも大変な作業に思えてしまい、お客さんが来てもペットボトルのお茶を出している有様です。
yamayuri2001 さんが知覧茶は特攻隊の悲しみの産物なのかと書かれているのを拝読し、いつか知覧茶を買って、急須で入れてみようかという気になってきました。
実現するかどうか分かりませんが、宿題にしようと思います。
ありがとうございました。
ねんきん老人2021年12月29日15時47分 返信する -
とこしえの知覧
ねんきん老人さん
いつもありがとうございます。
知覧特攻平和会館、私も1992年に行ってます。
思春期の頃から太平洋戦争には興味があったので。。。
当時の印象は、とにかく「遺書」です。
まだ二十歳に満たない多くの若者が家族に宛てた最後の言葉に涙ボロボロでした。
こんな神聖な場所に、粋がった小若い衆(bingo)がオープンカー転がして行ってしまいました。今思えば、なんと罰当たりな事でしょう。
恥ずかしながら、当時の旅行記もアップしております。笑
縁あって広島県民となって10数年経ちましたが、昭和20年は大日本帝国が奈落の底に落ちる寸前であったと思います。
ゼロ戦は、確か零式艦上戦闘機が正式名称で、海軍が三菱の堀越技師さんたちに、無理なパフォーマンスを要求したから防御力が置き去りになりましたが、いかにも日本軍的思考ですし、不謹慎ではありますが、そこに哀愁や儚さを感じてしまいます。
今は展示物も充実しているようで、昭和55年に引き揚げられた機体を見に、もう一度訪れたい施設です。勿論、遺書も。。。
とても詳細に記していただきまして、ありがとうございました。
bingo
フェアレディ・・・とこしえの憧れです。
bingo さん、拙稿にわざわざの書き込み、ありがとうございます。
bingo さんも知覧特攻平和会館に行かれて、そのときの旅行記もアップされているということで、早速拝読しました。
フェアレディを駆って自在に旅行をしている姿、ただただ羨望の思いでした。1992年に知覧に行かれたということですが、その頃だったら私はトヨタのランドクルーザーに妻と3人の子供を載せて「ザッツ・ファミリー」という感じで出かけていました。
トヨタのスプリンターから始まった私のカーライフは、常に大衆車で、フェアレディは遠い遠い世界の話でした。
若い特攻隊員たちの書いた遺書に、辺りをはばかりながら涙を拭いたのは私も同じです。
歴史の過ちというにはあまりにも酷い日本の愚策でしたが、それを「失敗・無駄死に」という言葉だけで語るのは、死んでいった方々に申し訳ないという気持ちがあります。
せめて、当時のことをしっかりと学び、特攻隊員が気に掛けながら出撃していったご家族たちのその後についても検証してゆくことが、私たちの務めだと思いますので、これからも日本近代史についての資料は読み続けていこうと思っています。
同じ場所を訪問されたという bingo さんの存在に勇気づけられました。ありがとうございました。
ねんきん老人2021年12月25日10時12分 返信する -
栄太郎
ねんきん老人さん、はじめまして。
ソコソコ近くに住んでいます。住んでいるだけでさほどはくわし
木更津の港側ですね、書き方が素晴らしいので引き込まれるように拝見しました。
東口側もよろしければ旅行記にあげていただけると嬉しいです。
栄太郎は、個人的にはミルフィーユが好きです。Re: 栄太郎
途中で間違って送信してしまいました。
ねんきん老人さん、はじめまして。
ソコソコ近くに住んでいます。そしてよく読むと同窓のようです。住んでいるだけでさほど詳しくはないのですが、身近な風景にも色々なものがあるものですね。
木更津の港側ですね、書き方が素晴らしいので引き込まれるように拝見しました。
東口側もよろしければ旅行記にあげていただけると嬉しいです。
栄太郎は、個人的にはミルフィーユが好きです。2021年12月20日20時15分 返信する同窓!?
メイリンさん、書き込みをありがとうございました。
なんと! 同じ高校ですか? だったら私がいい加減に書いた木更津の様子をお読みになって、さぞ腹立たしい思いをされたでしょうね。 申し訳ありません。
木更津の東半分についても書きたいとは思っているのですが、西側を書いたあと、コロナはますます激しくなり、今は近所のコンビニに行くのも人の目を避けてコソコソ行っているような状況で、街歩きはとてもできません。
もし私が生きているうちにコロナが収束するようでしたら、またウロウロしてつまらぬ記事を書いてみたいと思いますので、もしお目に止まりましたら嬉しい限りです。
どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
ねんきん老人2021年12月20日20時47分 返信する -
尊いのは生きること
ねんきん老人さん、こんにちは。
こちらの旅行記を拝見していろいろと考えさせられました。そして皆さんのコメント・ねんきん老人さんの返信を読んで、胸のつかえがおりたような気がします。
美しいもの、尊いものは命そのものであり、授かった命を精一杯生きること。人にとって死は避けられないからこそ、命を大切にしなければならない。国家が国民の命を絶つようなことは、絶対にやってはいけないと思います。死は悲しいもの。辛い者。残されたものの悲しみは深い。だから、テレビや小説などで死を美化したりヒロイックなものとして描くことに対して、若い頃からうさん臭さを感じ、年齢を重ねるごとに抵抗が大きくなってきています。
今回のような旅行記を作成し、公開されたねんきん老人さん敬服するとともに、本当にありがとうございますと申し上げたいです。
Deco生きていられることへの感謝
Deco さん、書き込みをありがとうございました。
望外の、過分なお言葉をいただき、恐縮しながら自分の書いたものを読み返してみました。 いつもながら不必要な管見を書き連ね、まとまりのないままに終えている駄文に羞恥と後悔の混じった思いをしております。
Deco さんの仰る、死は避けられないからこそ、授かった命を精一杯生きることが大切であり、命そのものが尊いのだということ・・・胸に刺さりました。
実は、妻が死んで4年半、自分が生き残っていることに意味が見出せずにいたのです。 朝、パンにバターを塗って、昼、カップラーメンに湯を注いで、夜、レトルトカレーをレンジにかけて・・・何の意味があるのだろう?
スーパーに行って、調理不要の総菜を買って、老人会で仲間の自慢話を聞いて・・・何の意味があるのだろう?
しかし、意味のある人生が残っているのに、お国のためとかいって死ななければならなかった人たちが、今の私の投げやりな言葉を聞いたらどう思うでしょうか。 つべこべ言わずに精一杯生きろ! 俺たちはお前たちのその生を守るために死んだんだ、と言われるかも知れません。
Deco さんの仰るとおり、死は悲しいもの、辛いもので、残された者の悲しみは深いものです。 私は妻が死んで、人間の体の中にはこれほどの涙が入っているのかと自分でも呆れるくらい泣きました。 すぐにでも妻のそばに行ってやらなければという思いと、妻が生前私の体を気遣い続けてくれたことを無にしてはいけないという思いとの間で揺れながら今日まできました。
特攻という理不尽以外の何物でもない作戦に従事させられた方々にとって、「生きる意味」がどうのこうのと言っている今の私は腹立たしいくらい愚かに見えるかも知れません。
事情はまったく違いますが、大阪の雑居ビルで、いきなり火に包まれて亡くなった方々が、大切な命をゆえなく奪われたことに納得している筈がありませんね。 意味があるとかないとか、そんな寝ぼけたことを言っている私をどう思うでしょう?
正直言って、毎日同じことを繰り返している今の「生」に張り合いがある訳ではありませんが、それを故意に終わらせる権利はたとえ本人にでもあるものではない・・・と、そう思っています。
改めて、生きることについて考えました。 ご指摘、ありがとうございました。
ねんきん老人2021年12月18日16時01分 返信する -
散るために咲く花・・
ねんきんさん、こんにちは。
まず雄川の滝は、駐車場から1kmも離れていたようですが・・
歩きやすい遊歩道の先にはエメラルドグリーンで透き通った水盤の、美しい滝が眺められるのですね。
・・人面魚のような鯉、誰が放ったのでしょうか・・って、ちょっと愚問でした(笑)
それから神川ビーチの影絵をご覧になって、鹿屋基地へ・・
ここからの出撃で、908名の尊い命が奪われたのですね。
3万年前からの歴史(!)ある財宝温泉で、貸し切りで疲れを癒されて・・
・・桜島で観音様を拝観しながら、ランチをいただき・・
知覧特攻平和会館でのご様子、胸がつまる思いで拝見させていただきました。
散るために咲く花なんて育てた覚えがない!と、皆様方のお母さんは思っておられるでしょう・・
道中の濃霧が、その気持ちを表しているような気がしました。
ふわっくま
散るために咲く花なんて「育てた覚えがない」と・・・
ふわっくまさん、こんにちは。 知覧への旅行記を丁寧に読んでくださって、ありがとうございました。
雄川の滝は想像以上の美しさで、遠回りしても行った甲斐がありました。あの鯉にはがっかりしましたが、まあ、ブラックバスを放されるよりはいいということにしましょうか。
観音様を見上げながらコンビニのスパゲティで昼食というのは、なんとも侘しい感じを持たれたと思いますが、一人旅でレストランに入っても楽しくはありませんので、まあ、コンビニ弁当ぐらいがちょうどいいと思っています。
知覧特攻平和会館は初めて行きましたが、時間を忘れて見学しました。
散るために咲く花なんてあるものか! 私はそう思ったのですが、今回ふわっくまさんが、それに加えて「そんな花を育てた覚えがない」ということを書いてくださったのを拝読して、当時の母親たちの気持ちに気づき、ハッとしました。 ふわっくまさんの視点の広さに、大切なことを教えられました。 ありがとうございました。
仰るとおり、私もあの深い霧が偶然の自然現象だとは思えませんでした。
叶うことならもう一度、平和会館に行ってみたいと思っています。
ねんきん老人2021年12月17日14時07分 返信する



