ミルさんのクチコミ(2ページ)全1,489件
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投稿日 2020年06月01日
総合評価:3.0
鬼子母神堂に続く100メートルほどの参道には、推定樹齢600年を超えるケヤキの古木4本が連なる小さな並木道になっています。このケヤキ並木は戦前から東京都の天然記念物に指定されています。昭和の初めごろには19本あったそうですが、15本が下水本管敷設や道路整備で伐採されてしまったそうです。伐採された箇所に、かつての風景が戻るよう、植え替えの復元作業が行われ、今に至っています。元々、これらのケヤキは鬼子母神へ奉納されたものだったそうです。何百年という年月を経て成長した古木が、民家に覆いかぶさり、今にも押しつぶすように迫っている様子は、これはこれで、そこに暮らす住民にとっては何とも複雑で深刻な問題かもしれませんが、現存する貴重な存在を何とか保護し続けて欲しいものです。
- 旅行時期
- 2020年06月
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投稿日 2020年06月01日
総合評価:3.0
真言宗豊山派の寺院「金乗院」は「こんじょういん」と読みます。御府内八十八ヶ所霊場、江戸三十三観音霊場、関東三十六不動霊場、東京三十三観音霊場の札所で、室町時代に創建とされた古刹です。1キロほど離れた場所にあった目白不動堂(新長谷寺)が第二次世界大戦で焼失し、廃寺となったことで「金乗院」と合寺され、現在に至っています。そのため、一つの寺で二つの札所となっているために、やたらと札所の名が登場する寺となった珍しい存在です。新長谷寺が持っていた江戸三大不動・江戸五色不動のひとつ、「目白不動」が、合寺によって金乗院に移され、現在、このお寺の最大の見どころとなっているわけです。不動明王像は弘法大師によって造られたといわれており、三代将軍、徳川家光が新長谷寺の本尊であった不動明王像を五色不動のひとつとして『目白不動』の名を贈り、以後「目白不動明王」と呼ばれるようになったそうです。この「目白不動」が現在の「目白」の地名の起源であるとされています。因みに「目黒」の地名も同様に「目黒不動」がルーツだそうです。不動明王像は、山門をくぐり、正面に見える本堂ではなく、すぐ右手にある目白不動を祀る小さな「不動堂」にひっそりと安置されていました。
- 旅行時期
- 2020年06月
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投稿日 2020年04月25日
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投稿日 2020年04月27日
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投稿日 2020年05月28日
総合評価:3.0
明王山宝仙寺は、大規模な社葬や、各界著名人の葬儀・告別式も多く執り行われることで知られるお寺で、御府内八十八所第12番、関東三十六不動第15番札所にもなっている霊場です。平安後期に源義家によって創建された、長い歴史を誇る古刹です。元々は阿佐ヶ谷の地に造られましたが、室町時代に現在の場所に移転されました。杉並区の大宮八幡宮の別当寺でもありました。江戸時代、この寺から沢山の優れた僧を出したそうで、幕府から厚い保護を受けてきました。中野区屈指の広大な敷地がそのことを物語っています。明治以降、終戦まで、境内には現在の中野区の前身である中野町の役場も置かれていたそうです。立派な本堂だけでなく、三重塔も必見です。寛永寺、池上本門寺、芝増上寺(空襲で焼失)、浅草寺(戦後コンクリート造で再建)、谷中天王寺(放火により焼失)と共に、江戸時代に建立された仏塔「江戸六塔」の一つに指定されています。「江戸六塔」の内、現存する塔は4塔で3つが五重塔で、宝仙寺だけが三重塔です。宝仙寺の三重塔も東京大空襲で焼失しましたが、戦後、飛鳥様式で再建され、今に至っています。三重塔を除く、江戸の五重塔だけをピックアップした「江戸四塔」というカテゴリーもあります。御本尊は不動明王像で鎌倉時代より秘仏となっています。
- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月28日
総合評価:3.0
悪名高き生類憐みの令が徳川五代将軍綱吉によって発令されると、「犬愛護」が強要され、
殺生の厳しい制限によって江戸の町には、野生犬が激増しました。綱吉は江戸郊外に大規模な犬の保護施設「犬屋敷」をつくり、手厚く飼育にあたらせました。「犬屋敷」は「お囲い御用屋敷」ともいいました。巨大犬小屋が作られたのが中野、四谷、大久保で、中でも最も大きかったのが中野でした。この「犬屋敷」は綱吉が死ぬまで15年間も続きました。東京ドーム約20個分の保護施設に、多い時には10万頭もの犬が暮らしていたそうです。「天下の悪法」として知られる「生類憐みの令」ですが、野犬が人間を襲ったりしたトラブル回避が目的だったとか、令を破って処刑された人が言われているより、はるかに少なかったとか、儒教による文治政治の一環だったとか、酷評されてきた綱吉への再評価、解釈の見直しも進んでいるようでもあります。中野区役所の入口には、そんな犬屋敷の名残を伝える犬の像がひっそりと設置されています。- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月28日
総合評価:3.0
元祖オタクの聖地で、若者文化のサブカルチャー発信地でもある中野のランドマークといえるのが1973年開業の「中野サンプラザ」です。ホテル、結婚式場、コンサートホール、大規模イベントホール、カルチャーセンター、テニスコート、フィットネスジム、プール、ボウリング場、レストランなど、あらゆる機能を押し込めた複合施設です。とくに有名なのが、2222席あるコンサートホールです。開館以来、一流歌手、外タレミュージシャン、アイドルなど音楽シーンをリードする多くのアーティストがコンサートを開催してきたホールは、日比谷野外音楽堂や日本武道館とも並び、人気を集めてきました。音響家が選ぶ優良ホール100選にも選ばれています。この「中野サンプラザ」が間もなく消滅します。老朽化のため解体が決まっていて、新施設が同じ場所に建設されるそうです。2028年の完成を目指しているそうです。新施設の名称はそのまま「サンプラザ」となるのが期待されます。
- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月27日
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投稿日 2020年05月27日
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投稿日 2020年05月27日
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投稿日 2020年05月27日
総合評価:3.0
別名「東京大仏」でも知られる巨大大仏がある板橋区の浄土宗寺院です。室町時代に創建され、江戸時代に家康から10石の朱印地を寄進された由緒ある寺院です。八代将軍、吉宗が鷹狩りの際に雨宿りし、以後、将軍家の休憩所となっただけあって、境内入口には徳川家の家紋である三つ葉葵(みつばあおい)を見ることができます。昭和46年、高速道路建設に伴う拡張工事で、板橋区仲宿から現在の赤塚に移転されました。現在の寺が高台にあるのは、かつてここが赤塚城の二の丸があった場所だったためです。昭和52年、関東大震災や東京大空襲で亡くなられた無縁仏の供養と、平和を祈願する目的で大仏が建てられました。大仏は、高さ13メートルの青銅製で、座っている姿の青銅製鋳造大仏としては、奈良の大仏、鎌倉の大仏に次いで日本3位の大きさです。因みに立像では牛久大仏の120メートルが群を抜いて大きく、石仏では日本寺大仏の31メートルというのが日本一となっています。大仏だけでなく、美しい池、一列に勢ぞろいした七福神、「何でも耐える がまんの鬼」など見どころ満載です。1984年にマッキンリーで消息を絶った冒険家の植村直己さんの墓地もあります。ただ遺体が発見されていないため、供養墓になっています。
- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月26日
総合評価:3.0
霞ヶ関の一角に、これはいったい何?と思わせる巨大な赤レンガの洋風建築があります。重要文化財に指定されている「法務省旧本館」です。一般に「赤レンガ棟」と呼ばれるこの建物の正式名称は「中央合同庁舎第6号館赤れんが棟」と言います。1895年に竣工した建築で、様式はドイツ・ネオバロック様式です。その名のとおり、ドイツ人建築家が設計に当たりました。第二次世界大戦の空襲で、大きな被害を受けましたが、大修復を経て復元されました。現在は法務総合研究所及び法務図書館として利用されていて、一部が一般公開されているので見学も可能です。因みに、現在の法務省は旧本館の真裏に建つ中央合同庁舎第6号館A棟にあります。
- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月26日
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投稿日 2020年05月26日
総合評価:3.0
品川神社の境内に末社として鎮座する“金運アップ”の社です。品川神社の拝殿隣りにある、朱色の奉納鳥居が目印です。鳥居を抜けた先にあるのが上社です。実は阿那稲荷神社は小さいながらも上社と下社の2つに分れていて、上社は天の恵み、下社は地の恵みの霊が祀られているそうです。見所は下社です。上社の右にある小さな階段を進むとたどり着きます。アプローチがドラマチックでワクワクします。下社には3つの小さな社が一緒にお祀りされています。この下社一押しのスポットが「一粒萬倍の泉」です。この泉から湧く霊水でお金や印鑑などを洗って清めると、金運がアップするそうです。一粒の種から萬倍の稲穂に成るという由来から、その名が付けられており、決して洗った額の1万倍になって帰ってくるという、そんな短絡的な意味ではないようです。洗ったお金の一部をお賽銭にしたりして、増えて帰ってくるのを静かに待つというのが正しい姿勢とのことです。水を汲んで持ち帰り、家の四隅に撒いたり、掃除に用いて家を清めたりするのも良いそうです。飲料用には適していないので、くれぐれも飲まないよう、ご注意ください。
- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月26日
総合評価:3.0
東京十社のひとつでもある品川神社は徳川家康が関ヶ原出陣前に参拝して戦勝祈願した神社として知られています。徳川家の厚い庇護を受け、社紋も徳川家の家紋「丸に三つ葉葵」となっています。創始は、さらに古く、平安時代末期に、源頼朝が航海安全と祈願成就を祈ったのが、はじまりとも言われています。明治元年、明治天皇が東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社と制定した十社のひとつになったことで、広く知られることになりました。現在の社殿は1964年に再建されたものです。合格祈願、健康祈願、商売繁盛、開運招福など、オールマイティにご利益がある神社です。訪ねた時は、全面修復中でした。
- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月26日
総合評価:3.0
伊勢神宮(内宮)の御祭神、天照大御神を祀っている神社で、「関東のお伊勢さま」とも
呼ばれています。1005年に創建された社で、神社の中でも格上の「大神宮」となっています。江戸時代に庶民の信仰を集め、多くの人々が参拝に訪れる場所となり、その当時の賑わいは、広重の浮世絵にも登場しています。江戸時代に芝大神宮境内で起きた町火消し「め組」の鳶職と江戸相撲の力士たちの乱闘事件は、「め組の喧嘩」として歌舞伎や講談や芝居の題材として再三上演されてきました。入口付近に「生姜塚」がありました。平安時代、この辺り一帯が生姜畑だったそうで、神前に生姜を供える習慣もあり、社務所では今も、生姜飴売っています。縁結びにご利益があることで知られているため、神前結婚式も盛んです。冬場のみ行われる「かがり火結婚式」というものが神秘的で人気らしいのですが、日に1組限定の挙式となっているそうです。- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月26日
総合評価:3.0
現在の社殿は昭和37年に造られたものですが、神社自体の創建は西暦806年と、非常に古い神社で、目黒区最古の神社でもあります。11月の酉の市は、江戸時代より続く伝統行事として知られています。大鳥神社は、合格祈願や勝負運アップ、恋愛・縁結びを願う人にご利益があるとされています。境内の隅に庚申塔も並んでいます。寺や神社のすみっこでよく目にする「庚申塔」ですが、「庚申塚」と呼ばれているものと同じです。江戸時代から明治くらいに流行り、数多く造られた石造物ですが、もともとは中国から伝わった道教信仰に、仏教的信仰や民間信仰、習俗、呪術的医学などが混ざり合い、平安貴族を中心に、夜明かしで神仏を祀る風習となり、それが庶民にも広がり、江戸時代には本来の信仰の姿が失われ、仲間と集い、夜を徹して歓談、飲食する民間行事として各地に大流行しました。明治政府は庚申信仰を迷信と位置付け、街道筋に置かれたもの撤去し、それらが寺社の境内に移転されました。今でもたまに交通量の少ない道の端っこに、ぽつん取り残されたように佇んで「庚申塔」がありますが、道の拡張工事や都市開発など、破壊をかろうじて免れ、残存しているものです。
- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月26日
総合評価:3.0
「東京のへそ・子育厄除八幡さま」の愛称でも親しまれている八幡様です。旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡、弥生時代の祭祀遺跡が発掘され、太古の昔から神社のある一帯が聖域であったと考えられています。ご祭神は応神天皇ということで、天皇家を表わす菊の御紋章が注連縄の上や門扉に見ることができます。創建は古く、2020年、御鎮座957年を迎えています。縁結び、夫婦円満、子宝、安産、子育てにご利益がある神社とされています。境内に御神水が湧き出る「多摩清水社」があり、寿命が伸びると言われる、有難い御神水を自由に頂くことができます。ペットボトル3本まで持ち帰りOKとのことです。
- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月26日
総合評価:3.0
関東最古の不動霊場で、関東三十六不動霊場札所、江戸三十三観音霊場結願札所、山手七福神札所などにもなっています。境内がある土地は縄文時代より霊域であったと考えられています。慈覚大師が最澄のもとへ赴く途上、この地に立寄られ、霊夢を見たそうです。夢から覚めた後、その姿を自ら彫刻したのが、御本尊である目黒不動明王とのことです。徳川家光公の帰依を受け、五十三棟に及ぶ大伽藍が造られました。歴代の将軍が参詣する寺は、やがて庶民も列を成して詣でる、江戸随一の名所となっていったそうです。さつまいもの栽培を広めた「甘藷先生」こと蘭学者・青木昆陽の墓があることでも知られています。青木昆陽は、八代将軍吉宗に飢饉に備えてサツマイモ栽培を促進するよう進言した人物です。
- 旅行時期
- 2020年05月
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投稿日 2020年05月25日