港区芝大門にある「芝大神宮」についての情報を発信していきます。今回、「芝大神宮」を訪れたのは2024年月日です。「芝大神宮...
続きを読む」へのアクセスは、都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門駅」のA6出口を出ると、「芝大門更科布屋」が右手にありその角を右折します。60mほど進むと十字路があるので、左折すると50m前方に「芝大神宮」の石鳥居が見えます。
最初に、「芝大神宮」の歴史と概要を紐解いてみると、「芝大神宮」は、「伊勢神宮」の御祭神である「天照大御神」(内宮)と「豊受大神」(外宮)の二柱を主祭神として祀っています。創建は、寛弘2年(1005年)に「一条天皇」のときに創建された約1000年の歴史をもつ由緒ある神社です。鎌倉時代には、「源頼朝」の篤い信仰のもと「飯倉神明宮」、「芝神明宮」といわれ、江戸時代においては、徳川幕府の篤い保護の下に境内や門前には、茶屋、芝居小屋等が並び、相撲や富くじの興業も行われ、賑わいをみせました。関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢さま」ともいわれ、「歌川広重」の錦絵にも描かれました。
「芝大神宮」の祭礼は期間が長いため「芝神明だらだら祭り」として知られています。祭礼には、生姜市が立ち、土生姜が売られたこと、生姜を神前にお供えしていたこと、生姜は古くから邪気を払う縁起の良い食べ物とされてきたことにより別名「生姜祭」とも呼ばれました。授与品には「千木筥」があり、東京の郷土玩具としても知られています。また、江戸時代に境内でおきた「め組鳶」と「角力」とのいさかいは「め組の喧嘩」として再三歌舞伎で上演せられ、その半鐘は今でも宝物として「芝大神宮」に保存されています。現在は縁結びの御利益がとくに有名で、女性には大人気なパワースポットです。女優の北川景子が歌手のDAIGOとの入籍前に参拝したということが話題になりました。芝大神宮には「千木筥(ちぎばこ)」といわれるお守りがあります。千木は千着と考えられ、「着るものに困らない」ということから「衣裳が増える」「良縁に恵まれる」と考えられるようになり、それが縁結びに繋がったそうです。
次のような巡路で「芝大神宮」を参拝しました。
《「芝大神宮」のお薦め参拝巡路》
①《鳥居》⇒②《銅燈篭》⇒③《貯金塚》⇒④《生姜塚》⇒⑤《狛犬》⇒⑥《百度石》⇒⑦《神明恵和合取組碑》⇒⑧《力石》⇒⑨《星野立子・椿・高士 三代俳句碑》
それでは、参拝のスタートです。
《「芝大神宮」のお薦め参拝巡路》
①《鳥居》⇒②《銅燈篭》⇒③《貯金塚》⇒④《生姜塚》⇒⑤《狛犬》⇒⑥《百度石》⇒⑦《神明恵和合取組碑》⇒⑧《力石》⇒⑨《星野立子・椿・高士 三代俳句碑》
それぞれのポイントについては、見どころとして下記に掲載してあります。
01_【「芝大神宮」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒105-0012 東京都港区芝大門1丁目12-7 電話:03-3431-4802
⑵ 主祭神…①天照大御神 ②豊受大神 ⑶ 例祭日…9月16日
⑷ 社務所受付…9時〜17時 ⑸ 御祈祷受付…9時〜16時30分
02_【「芝大神宮」へのアクセス】
⑴ 電車を利用して
① JR線・東京モノレール「浜松町駅」JR北口から徒歩7分450mほど
② 都営地下鉄三田線「御成門駅」A2出口から徒歩5分400mほど
③ 都営地下鉄三田線「芝公園駅」エレベータ出口から徒歩7分550mほど
④ 都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門駅」A6出口から徒歩2分130mほど
⑤ 都営地下鉄大江戸線「赤羽橋駅」赤羽橋口から徒歩16分1100mほど
⑥ 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」3番出口から徒歩16分1100mほど
03_【「芝大神宮」の見どころ】
⑴ 「鳥居」
「芝大神宮」の「鳥居」は、高さ12.5mある「神明鳥居」です。「神明鳥居」の特徴は、上部の横柱が一直線になっていて歴史的にもっとも古いタイプの鳥居です。「鳥居」の真下には賽銭箱が設置され、階段を上らなくても参拝できるようになっています。
⑵ 「銅燈篭」
参道から「鳥居」に向かうと階段下の「鳥居」の両側に「銅燈籠」があります。また、左側には立派な社号碑があります。「銅燈籠」は、港区の有形文化財に平成9年(1997年)3月11日に指定されています。
⑶ 「貯金塚」
「鳥居」の右手にある植栽の植え込みの中に「貯金塚」とその説明の石碑があります。説明の石碑には、大正12年(1923年)の関東大震災で壊滅的な被害を受けた東京で、「不動貯金銀行」(現在の「りそな銀行」)だけが貯金の全額払い戻しを行ったことが刻まれています。貯金塚の碑文は、「武者小路実篤」の筆です。「貯金塚 根気 根気 何事も根気 篤」と刻まれていました。そして、碑文の最後にある「倉は焼けても貯金は焼けぬ」という言葉が印象的です。
⑷ 「生姜塚」
「鳥居」の左手の植栽の植え込みに「生姜塚」が建っています。碑の上部には、金色に輝く生姜が描かれています。江戸時代には、この付近には生姜畑が広がっていたそうです。ここの生姜は「神明生姜」という名で、食べれば風邪知らずとのことです。生姜には体を温める効果があることは有名ですが、実は邪気を払う効果もあるといわれているそうです。祭礼には、生姜市が立ち、土生姜が売られていたそうです。
⑸ 「狛犬」
「鳥居」をくぐると階段上の左右に「狛犬」があります。「狛犬」の台座には「め組」とあります。
左側の「狛犬」は吽形像で、興味深いのは山のような太い円錐形の角があることです。また、右側の「狛犬」は阿形像で、宝珠の形をあしらったたんこぶのような頭の形をしています。この「狛犬」の台座の上段には正面に「奉献」と「昭和六年九月 芝石民刻」、台座の中断には正面に「め組」、「芝大神宮 高麗犬修覆 台石奉納 昭和四十年九月吉日」と刻まれていました。文字通りに受け取ると、昭和6年(1931年)に寄進されたものを昭和40年(1965年)に修復したということになりますね。
⑹ 「手水舎」
「手水舎」は、「拝殿」に向かって左手の木々に隠れるようにしてあります。ちょっと分かりにくい場所かもしれません。
⑺ 「百度石」
「百度石」は、手水舎の手前にあります。「百度石」は、神社仏閣の境内で一定の距離を100回往復して参拝し、願いの成就を祈願するために使用される石柱のことですよね。「百度石」は、お百度参りの起点となるもので、ここから「芝大神宮」の「拝殿」まで15mほどあります。つまり走行距離は、3kmほどということになりますね。
⑻ 「神明恵和合取組碑」
「手水舎」の奥には、「神明恵和合取組碑」があります。文化2年(1805年)の相撲興業の際に鳶頭と力士の間で起こった乱闘騒ぎは「め組の喧嘩」として知られ、歌舞伎や講談の演目ともなりました。「神明恵和合取組碑」は、平成22年(2010)に建立されました。この「め組の喧嘩」には、喧嘩両成敗でなく、おもしろいというか粋な裁定が下されました。この当時、「芝大神宮」の境内には相撲や芝居小屋や見世物小屋などがあり賑わっていました。境内で開催中だった相撲のことで、町火消の「め組」と相撲力士とで乱闘事件になりました。後日、寺社奉行や町奉行と勘定奉行が裁きを出しました。その喧嘩の時にならされた「め組」の半鐘が、島流しの刑という珍しいものでした。それが講談や芝居の題材にされて、「芝大神宮」の名が世間に広く知れ渡ることになったそうです。
⑼ 「力石」
「力石」は、境内左手の「手水舎」の奥にあります。「力石」には、「五拾貫余」とともに「川口町 金杉藤吉」の名前が刻まれています。「五拾貫余」はキログラムに換算すると1貫が3.75kgですからなんと187.5kgもあることになります。力持ちとしか言いようがありませんよね、「力石」は、重い石を持ち上げて「力競べ」や「曲持ち」を行った際に使用した石です。石に対する信仰は古くからあり、神の依代である重い石を持ち上げて力を競い、その年の吉凶や稲作の豊凶を占う行事もその一つでした。「力石」は、平成7年(1995年)9月26日に港区の有形民俗文化財に指定されています。
⑽ 「星野立子・椿・高士 三代俳句碑」
「力石」のさらに奥の方でこれ以上先に進めないところに、「星野立子・椿・高士 三代俳句碑」があります。この句碑は、「高浜虚子」の娘、孫、曾孫の三代の句碑になります。「星野立子・椿・高士 三代俳句碑」は、平成15年(2003年) 9月に建立されました。句碑には次のように刻まれていました。
①「そよりとも 風はなけれど 夜涼かな」… 立子
②「千年の 神燈絶えず 去年今年」…椿
③「界隈の たらだら祭 なる人出」…高士
⑽ 「め組の半鐘」
「拝殿」の右手には、「め組の半鐘」が説明板とともに置かれています。説明板には、「め組の半鐘 此の半鐘は文化2年(1805年)2月 当芝大神宮境内において 花角力があった時 力士とめ組の鳶の者との間に些細な事から 血の雨を降らせる大喧嘩となった 其の時打ち鳴らされた め組の半鐘です 当時この喧嘩の裁きに当たった南町奉行は此の鐘が自ら鳴り出した為に大喧嘩となったという情けある裁きにより この半鐘に遠島(三宅島)を申付けた という話はあまりにも有名である。明治初年島より帰って以来芝大神宮で保管している」と書かれていました。粋な計らいですよね。
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投稿日:2024/10/23