1984/04/20 - 1984/04/22
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≪セピア色の思い出:1984年の復活祭はフランスのパリ、ロワール渓谷に小旅行≫
「ドイツ語ではOsternオースターン、英語で Easter(イースター)」は「復活祭」の事だ。
2021年は4月2日(金)から4月5日(月)までの4日間がオースターン(イースター)となる。
もう終わったけれども、この時期は楽しい。
写真は古城ホテル Chateau de Chaumontel ショーモンテル城、パリ・コンコルド広場のオベリスク
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
復活祭は文字通り、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭になっている。
オースターン(イースター)は春分の日から最初の満月の後の日曜日と定められているので、毎年その祝日期間が変わる(これを移動祝祭日という)。
ドイツ語では、キリストが十字架に掛けられたとされる聖金曜日(Karfreitag)、聖土曜日(Karsamstag)、キリストが復活した日である復活祭(Ostersonntag)、オースターンモンターク(Ostermontag、祝日)の4日間続きます。
写真はオースター休みの旅(パリ、ロワール):Osternオースターン(イースター):シンボルは再生の卵と繁殖力のウサギだ。 -
そして、オースターン(イースター)のシンボルは卵(Osterneiオースターアイ:生命の誕生と再生の象徴)と繁殖力の高いウサギ(Osterhaseオースターハーゼ)である。
この時期、子どもたちは家庭や幼稚園でオースターアイを作り、庭木に卵を飾り、部屋の中にも飾ったりする。
ご参考に:
番外編:ドイツ・フランケン地方のオースターブルネン(復活祭の泉)は美しい。https://4travel.jp/travelogue/11485339
写真はオースター休みの旅(パリ、ロワール):Osterneiオースターンアイ・・・シンボルは再生の卵 -
デュッセルドルフに駐在していた頃は、この休みを利用して3泊4日の小旅行に出かけた。国内旅行もあったが、時には国外に車を走らせた。
さて、1984年は復活祭の休みが4月20日(金)~23日(月)だったので、40歳の私共は、この3泊4日の予定でフランスに小旅行をした。
(総走行距離1,781km)
写真はル・レ・シャトーの1973年、1984年ガイドブック -
2度目のデュッセルドルフ駐在は、1982年の2月末に赴任した。その引継ぎ期間中に生じた大きな事件は私にとっては青天の霹靂(せいてんのへきれき)でしたが、本社の支援を受けて、それも一応の片が付いた頃、同時に3年の駐在(約束されていた)期間も半ばを過ぎ、気分も一新して、旅に出たい気持ちだった。
写真は古城ホテル Chateau de Chaumontel ショーモンテル城:ル・レ・シャトーの1973年ガイドブック -
写真はChaumontelショーモンテルの紋章・・・楯の上部にある3つのアヤメ(アイリス)の花はフランスの象徴である。
Wiki:フルール・ド・リス(仏語:fleur-de-lis もしくは fleur-de-lys)は、アヤメ(アイリス)の花を様式化した意匠を指す。特に紋章の場合は政治的、王権的、芸術的、表象的、象徴的な意味をも持つと云う。
フルール・ド・リスはヨーロッパの紋章や旗に何世紀にもわたり数多く見られるが、歴史的には特にフランス王家と関係が深く、またブルボン家の一員であるスペイン王家やルクセンブルク大公家も現在でも紋章に使用し続けている。
かつてのドゴール大統領は「フランスはサーベルで築かれた国である。国民の連帯の象徴たるフルール・ド・リスは三つの刃を持つ槍を顕した図にほかならない」 -
イチオシ
①1984年4月20日(金) 晴、475km+(30kmX2=60km)=535km
デュッセルドルフを早朝6時45分に立ち、=>(A57アーヘン)=>(E40リエージュ(ベルギー・Liege)=>(E42 ・A1コンピエーニュ (フランス・Compiegne)と走り=>この日、予定していた古城ホテル「Chateau de Chaumontelショーモンテル城」に昼頃(12時半)に到着した。
(アウトバーンで、休憩をはさみながら約5時間45分をかけ475kmを走った)
写真はフランスの古城ホテル Chateau de Chaumontel ショーモンテル城とパリ・コンコルド広場のオベリスク -
【Chateau de Chaumontelショーモンテル城】
1984年4月20日(金)~22日(日)2泊朝・夕食込み、
(宿泊料などはFRF仏フラン1,435@2.88=DM498、凡そ5万円でした)
村の人口は2300人と云う小さな村にあったショーモンテル城(別名Herrenhaus von Preslayプレスレイの館とも呼ぶ)。
城を囲む水堀や池、橋、ロマンチックな庭園に囲まれた古城は現在、ホテルとレストランとなっている。
写真は現在の古城ホテル ショーモンテル城 -
パリの北、約25kmの近距離にある村に、この美しいショーモンテル城、古城ホテルは全20室と小規模なもので、4ヘクタールの広い、美しい庭園があった。
ショーモンテル城は中世の城址の上に、18世紀になって再建された城である。
元来は中世時代の14世紀に築城されたもので、当時の砲塔と堀が残っていた。
写真は現在の古城ホテル ショーモンテル城のと寝室 -
1560年に城址となってしまっていたのを、*第7代コンデ公(prince de Conde=Prince of Condeルイ4世アンリ(1692年~1740年)・・・ルイ3世の子、フランスのブルボン家の支流になる公爵・宰相)が再建し、1707年から1737年の間、自らの狩猟の館として使用した。
・・・・・
写真は第7代コンデ公爵Henri de Bourbon, Prince of Conde (1692~1740年) -
写真は古城ホテル Chateau de Chaumontel ショーモンテル城近郊の風景
-
<パリ見物>
小休止の後、ショーモンテルからパリに向かう。30km弱の距離である。
N16の道を走り、パリを訪れると、パリ北東のPortede la Chapelleラシャペルの門から入る。久しぶりにパリ市内を走った。
だがパリはやっぱり*カオスだった!
(*ヨーロッパ各国を車で凡そ20万km走った経験では、やはりドイツ系の国・ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタインが一番安心して走る事ができる。つまり運転技術やマナーがベストと言える。次にドイツ語をしゃべる地域をもったオランダ、ルクセンブルグ、ベルギーで、ドイツ系の人たちの影響があるのだろうか。3番手にイギリス。4番手はイタリアで、最後はフランスがくる。
私もパリには数回訪れているが、パリ市内などはドイツ人に言わせると“Chaosカオス(混乱、無秩序)”だそうだ。ドイツ人の表現に私も同意・納得する)
最初は何度も訪れたパリの中心・Concordeコンコルド(調和の意味)広場だ。東西南北の市内の主要な通りを広場で十字に交わらせるパリの要がこの広場、周辺には相変わらず各国の観光バスが待機中だ。訪れる日本人観光客もさすがに多い。
オベリクス(エジプトのルクソール神殿のものを王から贈られた)の立つコンコルド広場をバックに、この旅最初のパリに写真を撮った。
1984年当時の写真は、1970年代の写真に比べ、セピア色になっていない。
写真はパリ市内見物:上左右・コンコルド広場・下左右ルーブル美術館「ミロのヴィーナス像」などセピア色の思い出:パリはやっぱりカオスだ。その中心にコンコルド広場がある。 by jijidarumaさんコンコルド広場 広場・公園
-
Arc de triomphe de l'Etoileエトワール凱旋門がシャンゼリゼ通りの遠くに見え、その姿と家族達を写真におさめたが、かすかに凱旋門を認識出来る程度だった。
コンコルド広場(1755年にルイ15世の命によって造られました)の中央に「川の噴水」・「海の噴水」というふたつの大きな噴水が高々と水を噴き上げ、大きくなった娘たちを迎えてくれている。
目玉のPalais du Louvreルーブル宮・ルーブル美術館(入場券は26フラン)見物に向かう。定番の「ミロのヴィーナス像」・・・古代ギリシアで制作された女性像である・・・、今回も何故かぼけてしまった「サモトラケのニケ像」・・・ヘレニズム期の大理石彫刻。翼のはえた勝利の女神ニケが空から船のへさきへと降り立った様子を表現した彫像・・・など少ない写真を撮る。
何回目かのルーブル美術館も、娘たちには美術の勉強のおさらいのようで、長い間見て回ったから足が痛くなった。(アイス代:24フラン、駐車代:8フラン)
それから順不同なのだが、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを歩き、ナポレオンが建てたエトワール凱旋門(1836年)まで行く。
次はローマ・カトリック教会の大聖堂であるCathedrale Notre-Dameノートルダム寺院(1991年世界遺産:2019年4月15日大火災で焼失し、再建中)を見学、特にバラ窓が魅力だ。パリのシテ島に立っている様子は白い貴婦人と称されている。
夕暮れ時、現在は大型展示会場であるPalais de Chaillotシャイヨ宮の中央テラスから望んだLa tour Eiffelエッフェル塔(1889年完工、高さ324 m、セーヌ川に架かるイエナ橋を挟んで反対側。但し、登ってはいない)はなかなかの景観だった。
何度目かのパリ見物はこんなもので終了して、ショーモンテル城に戻った。
写真はパリ市内見物:パリ市内見物:時計回りにエッフェル塔・凱旋門・ルーブル宮・ノートルダム寺院 -
イチオシ
②1984年4月21日(土) 晴、678km
朝食後、朝露を踏みながら、家族でショーモンテル城の庭園を散策する。手入れの行き届いた庭園は草木も生き生きとして気持ちの良いものでした。小さな橋のたもとで立つ14歳の長女、スズカケの大木傍に立つ12歳の次女、抜けるような青い空の下、家族みんながちょっとした幸せを感じたものでした。
ショーモンテル城も又来てみたい古城ホテルになりました。
ショーモンテル城を出発。=>(パリ)=>A10・ A11 132 km Chartresシャルトル=>N154 77 km (Orleansオルレアン)=>A10 104 km (Amboiseアンボワーズ城)=>D58・D943 41 km Lochesロシュ城=>D80 37 km Chenonceauシュノンソー城=>D764 52 km Bloisブロア=>(Orleansオルレアン)=>(パリ)=>A10 235 kmショーモンテル城
写真は古城ホテル ショーモンテル城:家族でショーモンテル城の庭園を散策 -
ショーモンテル城を出発し、この城に戻る行程だ。アウトバーン有料計116フラン。
<シャルトル大聖堂の「シャルトルの青」>
ボース大平野の町ChartresシャルトルのCathedrale Notre Dame de Chartresシャルトル大聖堂(1220年完工、1979年世界遺産)は左右の塔で建築様式が異なる。
ファサードのバラ窓や、キリストの家系図を表した側廊のステンドグラス「エッサイの根」は、「シャルトルの青」といわれる青みのあるステンドグラスで、13世紀のステンドグラスの極みとして知られる。
この旅の目的の一つはここの「シャルトルの青」を再見することだった。
写真はシャルトル大聖堂ステンドグラスセピア色の思い出:シャルトル大聖堂のバラ窓など、「シャルトルの青」の美しさは何度も訪れる魅力がある。 by jijidarumaさんシャルトル大聖堂 寺院・教会
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<Lochesロシュ城>
ロシュ城は岩山のせり出した先端に築城された中世(12世紀)の城である。
フランス的というか、優雅なロワールの古城群に比べ、無骨な印象を与える城であるが、中世を通じて常に戦略的に重要な地位を占めた。
シャルル7世(フランス・ヴァロワ朝の第5代国王(在位:1422年~1461年)の即位前の居城であったことで知られている。
1429年、オルレアンを解放したJeanne d'Arcジャンヌ・ダルク(後述)は王太子シャルルが居城としていたロシュ城に駆けつけ、王位継承を戸惑っていた王太子シャルルに即位を決意させたという有名な歴史上の出来事がある。
この謁見の行われた間が今も城内に残っている。
城のテラスや砦からの眺めはかなり良さそうだったが、今日はロシュ城に城門前に佇んだだけで、シュノンソー城に向かった。
写真はLochesロシュ城:俯瞰セピア色の思い出:英雄ジャンヌ・ダルクが王太子シャルルの居城ロシュ城で謁見し、仏王即位を決意させたと云う。 by jijidarumaさんロシュ城 城・宮殿
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イチオシ
<シュノンソー城と美しい庭園>入場券48フラン、蝋人形館16フラン。
今回の旅行の目玉はロワール渓谷にあるChateau de Chenonceauシュノンソー城である。
長いニレの並木道が続き、アイスクリームを食べながら歩いて行くと、見覚えのある美しい城と庭園が見えてきた。白壁の汚れを目下改装中のようだ。
写真は時計回りにロシュ城、シャルトル大聖堂、ロワールのシュノンソー城、アウトバーン沿いの春の林で。 -
≪世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」≫
(2000年登録)
世界遺産になったVal de Loireロワール渓谷は、ロワール川(フランスの中央部を流れ、大西洋にそそぐ川で、全長1,012km)流域に広がる渓谷である。
アンボワーズ、アンジェ、ブロワ、オルレアン、トゥールといったフランスの歴史に登場する都市が点在し、300をこえる数の名城・古城群が現存していることから「フランスの庭園」の異名をもつ。
代表的な城としては、シャンボール城、アンボワーズ城、アンジェ城、ブロワ城、ロシュ城、シュノンソー城、アゼ・ル・リドー城、ユッセ城(シャルル・ペローはユッセ城で「眠れる森の美女」の作品を書いた。ユッセ城はお姫様が目覚めたお城のモデルである)、ショーモン城、ヴィランドリー城、シュヴェルニー城などがある。1984年春以外の旅を含めて、在独中に上述の古城群は訪れている。
写真はVal de Loireロワール渓谷の古城群の地図 -
下の縄張り図から見ると、
①オランジェリー、
②管理棟(蝋人形館15体のみ)、
③16世紀に建てられた入り口の管財人の家、その下にディアーヌの庭、
④マルクの塔、左手にカトリーヌの庭、
⑤シュノンソー城:衛兵室、礼拝堂、ディアーヌ・ド・ポワチエの寝室、王妃の緑の書斎、王妃の図書室、
⑥ギャラリー:長さ60m、幅6m、採光窓18、床にはスレートと石灰岩タイルが張られ、天井は横梁が剥き出しになっている。演舞場、台所、
その他、フランソワ1世の寝室、ルイ14世の居室、5人の王妃の寝室、カトリーヌ・ド・メディシスの寝室などがある。
写真はChateau de Chenonceauシュノンソー城の縄張り図 -
シュノンソー城はシェール川の古い製粉所跡に建てられたもので、歴史の文献に最初に登場したのは11世紀のことである。城館としては13世紀頃から記録がある。
周辺の豊かな緑に囲まれ、美しい城は世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のVal de Loireロワール渓谷」に含まれる古城の中でも特に人気が高い。
写真はロワール渓谷第一の名城と云われるシュノンソー城の俯瞰 -
イチオシ
シェール川が流れる川上に築城されたシュノンソー城はフランスの中でも独特の城館であり、また、付随したディアーヌの庭(Henri IIアンリ2世・ヴァロワ朝第10代のフランス王、在位:1547年~1559年)が愛妾のディアーヌ・ド・ポワチエにシュノンソー城を贈った事に因む・・・ドイツのザクセンの強王が愛妾コーゼル伯爵夫人にドレスデンのタッシェンベルク宮殿やピルニッツ城を贈った事とも通ずるものだが・・・)と、
カトリーヌの庭(アンリ2世の王妃カトリーヌ・ド・メディシスが、馬上槍試合の事故で王が死すと、愛妾ディアーヌを追い出して、自ら所有した事に因む)という二つのエピソード付きの異なる庭が見られる。
写真はロワールのシュノンソー城:時計回りにギャラリー、城館とアーチ橋、マルクの塔からディアーヌの庭を望むセピア色の思い出:フランスの「ロワール渓谷」に含まれる古城の中でも、特に人気が高いシュノンソー城は美しい。 by jijidarumaさんシュノンソー城 城・宮殿
-
愛妾のディアーヌはシュノンソーの地を好み、アーチ型の橋を作ってシェール川の対岸までを結んだと云われ、「ディアーヌの橋」として今でも人々を魅了している。
この橋の上に1576年に建設されたものが、現在ギャラリーと呼ばれるもので、長さは60m、床は白と黒の独特の色使いが素晴らしい、演舞場にも利用されたと云う。
写真はロワールのシュノンソー城:大きいのが愛妾ディアーヌの庭 -
写真はロワールのシュノンソー城:王妃JardinCatherineカトリーヌの庭
尚、1977年4月8日~11日のイースター休みで、フランス・モンサンミッシェル(1000km)やロワールの古城群、パリのジャンヌ・ダルク像も訪れた記憶がある。 -
<ブロワの町とブロワ城>
Bloisブロワの町(人口4万7千人)には夕暮れ時に着いた。ちょっと休憩がてら、ロワール川畔に座って、その美しい景観を眺めた。
ブロワの町はフランス中央部、ロワール・エ・シェール県の県庁所在地である。Toursトゥール(アンドル・エ・ロワール県)とオルレアン(ロワレ県)の中間に位置し、ロワール川畔に発展した。
かつて訪れたChateau de Bloisブロワ城は町の中心に立ち、歴代フランス王の幾人かが居城とした。また、ブロワ城は1588年、ギーズ公アンリが殺害された舞台として、また、その翌月にフランス王アンリ2世の王妃カトリーヌ・ド・メディシスが没した場所としても、よく知られている。
特筆するべきは、かの「オルレアンの乙女」と呼ばれ、フランスの国民的ヒロインジャンヌ・ダルク(イングランドとの百年戦争で、神のお告げを信じて先陣に立って活躍したフランスの軍人で、後にカトリック教会における聖人となった)が、1429年、「オルレアン包囲戦」でオルレアンの町を救うべく、援軍を率いて出発する際に、ランスの大司教から祝福を受けた場所が、このブロワ城である。
写真はBloisブロワ城 -
前述のロシュ城でジャンヌ・ダルクの言を受け入れ、王太子シャルルはランス大聖堂にて戴冠し、フランス王シャルル7世となった。
シャルル7世はその後次第にジャンヌ・ダルクを疎んじ、ルーアンで彼女がイングランド軍の捕虜となった際に見殺しにしてしまったと云う。
写真は1428年9月のオルレアンの絵。オルレアン包囲戦の最中である -
③1984年4月22(日) 晴、568km (尚、2泊3日で帰宅した)
古城ホテル ショーモンテル城 =>D1016 9km Chantillyシャンティイ宮殿=>A1・A2 331 km Grottes de Hanベルギーのアンの洞窟=>(アーヘン経由)=>E40・A44 228 kmデュッセルドルフに戻った。
<シャンティイ宮殿>
パリから北に約40kmの郊外にあるシャンティイ市(人口1万人)に見事なChateau de Chantillyシャンティイ宮殿が立っている。
ショーモンテル城を出発、シャンティイ宮殿を訪れた。シャンティイ宮殿はショーモンテル城から9kmと近いから、ドイツに戻る日に立寄ることにしていた。ただ外観のみだったが・・・。
元々は中世の14世紀に要塞として建てられ、ルネサンス時代に大規模な改築がなされた。400年の歴史を持ち、ルイ13世やブルボン公が代々城主でもあった。
32万坪の敷地を持つ宮殿は大きく分けて「グラン・シャトー」と「プチ・シャトー」の2つから成る。
「グラン・シャトー」はフランス革命期に最初の建物が破壊された後、1870年代に国王ルイ・フィリップの5男オマール公アンリ・ドルレアンにより再建された。
「プチ・シャトー」は1560年頃、Anne de Montmorencyアンヌ・ド・モンモランシー(ヴァロワ朝時代のフランスの元帥)のために建てられたものである。
写真は右上・ロワールのブロアの町、左上・シャンティイ宮殿、
左下・ベルギーのGrottes de Hanアンの洞窟内の休憩所、
右下・フランスの古城ホテル ショーモンテル城No.72の図セピア色の思い出:コンデ公代々の居城、シャンティイ宮殿は水城である。 by jijidarumaさんシャンティイ城 城・宮殿
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1772年から1774年にかけて、第8代コンデ公ルイ5世ジョゼフ(1736年~1818年、ルイ4世アンリの子。また、付け加えれば、ショーモンテル城を再建したのは第7代コンデ公である)が城内に造らせた「Le hameau de Chantillyル・アモー・ドゥ・シャンティイ」はイギリス式庭園である。
城内にはコンデ美術館、そして世界的に知られたシャンティイ競馬場がある。
写真は18世紀に描かれたChantillyシャンティイ宮殿の絵 -
<Grottes de Hanベルギーのアンの洞窟>
駐車料30フラン、入場券33.2DM
ベルギーのアンの洞窟は確か記憶では2度目になる。
B-25580 Han-sur-Lesseアン・シュル・レス(レス川に臨むアンの意)、
Rue Joseph Lamotte 2
写真はHan-sur-Lesseアン・シュル・レスの地図 -
ベルギーのワロン地方の小さな村、アン・シュル・レスはベルギーの首都ブリュッセルから車で約1時間20分の所で、「アンの洞窟」という巨大な鍾乳洞がある。
写真はGrottes de Han-sur-Lesseベルギーのアンの洞窟の図(1893年)・・・右手のAの入口から左の出口まで -
「アンの洞窟」は全長14kmの鍾乳洞で、見物は所要約1時間半の洞窟ガイドツアーを利用することとなった。
写真は4kmの近距離を乗るトラム。トラムで洞窟入り口へ移動する。 -
まずトラムに4kmの近距離を乗車し、洞窟入り口へ移動した。スケールが大きい鍾乳洞をガイドと共に行動し、迷子にならないように注意が肝心だ。
私もツイ、道草をしてガイドに口頭で注意された。
写真はGrottes de Han Han-sur-Lesseベルギーのアンの洞窟内 -
鍾乳洞を回遊して、最後の方で広々とした場所に休憩所兼レストランがあって、冷えたので温かいココアを飲んだ。
「アンの洞窟」には地底湖もあり、その端から観光客は皆ボートに乗って出口へ向かう。上陸後、そこで解散になった。
夕方5時47分に「アンの洞窟」を出発し、ドイツに出発した。
デュッセルドルフの自宅に帰ったのは午後9時頃だ。
(総走行距離1,781km)
(2021年4月20日Wiki訳、編集・追記)
写真はベルギーのアンの洞窟:出口 -
以下はご参考に:
Val de Loireロワール渓谷の古城群は300をこえる数の名城・古城群がある。
その中で、訪れた城をピックアップした。
写真はAmboiseLeChateauアンボワーズ城 -
写真はAngersアンジェ城
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写真はChambordシャンボール城
-
写真はVillandryヴィランドリー城と庭園
-
写真はUsseユッセ城
-
写真はChevernyシュヴェルニー城
-
写真はChaumontショーモン城
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写真は番外編:ドイツ・フランケン地方のオースターブルネン(復活祭の泉)は美しい。
*オースターブルネン(復活祭の泉)とオースターアイ「復活祭の卵」・・・Forchheimフォルヒハイム・マリア礼拝堂前にもオースターアイが美しく飾られていた。 -
写真は番外編:ドイツ・フランケン地方のオースターブルネン(復活祭の泉)は美しい。
*ヴィルスベルクのマルクト広場に大変良くできたオースターブルネン(復活祭の泉)と珍しい「復活祭のウサギ」の人形をみつけて、仲良く写真を撮った。
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旅行記グループ セピア色の思い出
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