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<1976.12.31.~1977.01.02.ミュンスター年末・年始の旅:2泊3日の旅><br /><br />1976・77年の年末年始の休みはミュンスターラントの中心・ミュンスターの町の古城ホテルで過ごすことにした。<br /><br />Duesseldorfデュッセルドルフから走り始め、東のDortmundドルトムントへ62km、更にドルトムントから北へ60kmほどの距離にある。片道直路で122km、この旅の総走行距離は約300kmだった。<br /><br />写真は当時の古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城

セピア色の思い出:冬のミュンスター 1976・77年の年末・年始の旅

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1976/12/31 - 1977/01/02

6位(同エリア35件中)

旅行記グループ セピア色の思い出

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jijidaruma

jijidarumaさん

<1976.12.31.~1977.01.02.ミュンスター年末・年始の旅:2泊3日の旅>

1976・77年の年末年始の休みはミュンスターラントの中心・ミュンスターの町の古城ホテルで過ごすことにした。

Duesseldorfデュッセルドルフから走り始め、東のDortmundドルトムントへ62km、更にドルトムントから北へ60kmほどの距離にある。片道直路で122km、この旅の総走行距離は約300kmだった。

写真は当時の古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • アウトバーンのA1をを長々と北上し、そしてNord-Muensterミュンスター北出口でアウトバーンを降り、国道B54でミュンスターの町に向かうと、古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城は近い。<br /><br />写真はHotel Schloss Wilkinghege古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城 への地図

    アウトバーンのA1をを長々と北上し、そしてNord-Muensterミュンスター北出口でアウトバーンを降り、国道B54でミュンスターの町に向かうと、古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城は近い。

    写真はHotel Schloss Wilkinghege古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城 への地図

  • ミュンスターには9世紀初頭、カール大帝によって司教座がおかれた。<br />13世紀前半に帝国都市特権を獲得し、ハンザ同盟の一員として繁栄を遂げた。<br /><br />16世紀の宗教改革では一時再洗礼派が市政を握ったが、まもなく失脚した(ミュンスターの反乱)。世界史的には三十年戦争の講和条約であるヴェストファーレン条約の締結地として知られる。<br /><br />写真はMuenster:St. Paulus-Dom聖パウロ大聖堂・1993年の切手

    ミュンスターには9世紀初頭、カール大帝によって司教座がおかれた。
    13世紀前半に帝国都市特権を獲得し、ハンザ同盟の一員として繁栄を遂げた。

    16世紀の宗教改革では一時再洗礼派が市政を握ったが、まもなく失脚した(ミュンスターの反乱)。世界史的には三十年戦争の講和条約であるヴェストファーレン条約の締結地として知られる。

    写真はMuenster:St. Paulus-Dom聖パウロ大聖堂・1993年の切手

  • ミュンスターは第二次世界大戦でほぼ全壊してしまったが、旧市街をはじめとして、昔のままに再建されている。現在のミュンスターの人口は31万人、大都市です。(1976年当時は人口20万ほどでした。)<br /><br />雪も所々に残るミュンスターラントの古城、ミュンスターの町でしたが、積雪があるとは考えないで、出発してしまったのです。<br />幸い、旅の期間中は怖い状況にもならず、帰宅できました。<br /><br />写真は時計回りにSt. Paulus-Dom聖パウロ大聖堂、<br />Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城(当時は学生用の宿泊施設となっていた)、<br />ミュンスターのZoo動物園、<br />Burg Huelshoffヒュルスホフ城。

    ミュンスターは第二次世界大戦でほぼ全壊してしまったが、旧市街をはじめとして、昔のままに再建されている。現在のミュンスターの人口は31万人、大都市です。(1976年当時は人口20万ほどでした。)

    雪も所々に残るミュンスターラントの古城、ミュンスターの町でしたが、積雪があるとは考えないで、出発してしまったのです。
    幸い、旅の期間中は怖い状況にもならず、帰宅できました。

    写真は時計回りにSt. Paulus-Dom聖パウロ大聖堂、
    Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城(当時は学生用の宿泊施設となっていた)、
    ミュンスターのZoo動物園、
    Burg Huelshoffヒュルスホフ城。

  • ミュンスターの郊外にあったFreilichmuseum野外博物館を訪れたのだが、年末年始にも拘わらず、開館していた。<br /><br />ミュンスターラントの農家の建物や風車小屋、囲炉裏と燻製された品、農機具小屋、民族衣装を着た地元のスタッフなど、見たことのない展示に子供たちは大喜びでした。<br /><br />写真は時計回りに民族衣装を着た小母さん、囲炉裏の絵葉書、農家や風車小屋の絵葉書、ソーセージが天井からぶら下がり、囲炉裏にはマキがくべられて。<br />

    ミュンスターの郊外にあったFreilichmuseum野外博物館を訪れたのだが、年末年始にも拘わらず、開館していた。

    ミュンスターラントの農家の建物や風車小屋、囲炉裏と燻製された品、農機具小屋、民族衣装を着た地元のスタッフなど、見たことのない展示に子供たちは大喜びでした。

    写真は時計回りに民族衣装を着た小母さん、囲炉裏の絵葉書、農家や風車小屋の絵葉書、ソーセージが天井からぶら下がり、囲炉裏にはマキがくべられて。

  • ミュンスターの郊外にある古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城は“Gast im Schlossお城に滞在”に掲載されていたホテルで、以前から興味を持っていた。<br /><br />“Gast im Schloss”は1961年創立、ドイツを中心として、メルヘン街道にあるBurg Trendelburgトレンデルブルク城に事務局を置き、そこの城主が加盟ホテルのリーダーとなっていた。<br />1977年当時の加盟古城ホテルは72を数えていた。<br /><br />トレンデルブルク城はグリム童話・“Rapunzelラプンツェル” (髪長姫)の伝説が知られている。<br /><br />写真は時計回りに古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城への並木道、入口の立て札、水城の様子、ヴィルキングヘーゲ城の外観。

    ミュンスターの郊外にある古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城は“Gast im Schlossお城に滞在”に掲載されていたホテルで、以前から興味を持っていた。

    “Gast im Schloss”は1961年創立、ドイツを中心として、メルヘン街道にあるBurg Trendelburgトレンデルブルク城に事務局を置き、そこの城主が加盟ホテルのリーダーとなっていた。
    1977年当時の加盟古城ホテルは72を数えていた。

    トレンデルブルク城はグリム童話・“Rapunzelラプンツェル” (髪長姫)の伝説が知られている。

    写真は時計回りに古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城への並木道、入口の立て札、水城の様子、ヴィルキングヘーゲ城の外観。

  • 元旦の夕食に古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城のレストラン ケラー(地下蔵のレストラン)を予約しておきました。<br /><br />年末年始の宿泊客は少ない様子で、そのためでしょう、メインである築城者の名を取ったレストランvon Rhemenフォン・レーメンではありませんでした。<br /><br />もっとも翌日の朝食はレストランvon Rhemenフォン・レーメンでとりましたが。<br /><br />写真は時計回りにヴィルキングヘーゲ城の別棟のロビー、レストラン ケラーの私たち家族、氷の張った水城です。<br /><br />

    元旦の夕食に古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城のレストラン ケラー(地下蔵のレストラン)を予約しておきました。

    年末年始の宿泊客は少ない様子で、そのためでしょう、メインである築城者の名を取ったレストランvon Rhemenフォン・レーメンではありませんでした。

    もっとも翌日の朝食はレストランvon Rhemenフォン・レーメンでとりましたが。

    写真は時計回りにヴィルキングヘーゲ城の別棟のロビー、レストラン ケラーの私たち家族、氷の張った水城です。

  • 写真は時計回りに夕食後、レストラン ケラーの入口で家族一同の記念写真を撮った。<br />古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城の中庭にある礼拝堂前で、<br />翌朝の朝食はレストランvon Rhemenフォン・レーメンで、<br />2月で7歳を迎える長女は前歯が抜けています。<br /><br />

    写真は時計回りに夕食後、レストラン ケラーの入口で家族一同の記念写真を撮った。
    古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城の中庭にある礼拝堂前で、
    翌朝の朝食はレストランvon Rhemenフォン・レーメンで、
    2月で7歳を迎える長女は前歯が抜けています。

  • ⑨⑩2016年10月22日(土)~10月24日(月):2泊  ⑫<br />Hotel Schloss Wilkinghege古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城*<br />D-48159 Muenster 、Steinfurter Strasse 374<br />http://www.schloss-wilkinghege.de/<br /><br />4星・全35室(内13がスイート)。SuiteNo.32(40㎡)・Euro170X2=340(朝食込み)+KurtaxEuro13.37=Euro353.37(40,799円)。VISA(Booking com.)*<br /><br />この秋の旅、3回目の2泊になる。チェックイン手続きを本館の2階で行い、別棟のホテル棟1階32号室に入る。行程上、この古城ホテルに決めていたが、通常の部屋が予約できず、この旅初めてのスイートの部屋(40㎡)にした。モダンな居間と寝室の其々にTVが付き、分かれておりさすがに広い。それに寝室と同じ大きさの浴室・トイレも明るく、浴槽とシャワー室も別々で全てが機能的であった。<br /><br />浴用ガウン・スリッパも備えあり、その他にコーヒー・紅茶セットも用意されていた。お水2本0.375l(ガス入り)は最初の日だけでしたが。<br /><br />写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:緑の中のホテル・俯瞰

    ⑨⑩2016年10月22日(土)~10月24日(月):2泊  ⑫
    Hotel Schloss Wilkinghege古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城*
    D-48159 Muenster 、Steinfurter Strasse 374
    http://www.schloss-wilkinghege.de/

    4星・全35室(内13がスイート)。SuiteNo.32(40㎡)・Euro170X2=340(朝食込み)+KurtaxEuro13.37=Euro353.37(40,799円)。VISA(Booking com.)*

    この秋の旅、3回目の2泊になる。チェックイン手続きを本館の2階で行い、別棟のホテル棟1階32号室に入る。行程上、この古城ホテルに決めていたが、通常の部屋が予約できず、この旅初めてのスイートの部屋(40㎡)にした。モダンな居間と寝室の其々にTVが付き、分かれておりさすがに広い。それに寝室と同じ大きさの浴室・トイレも明るく、浴槽とシャワー室も別々で全てが機能的であった。

    浴用ガウン・スリッパも備えあり、その他にコーヒー・紅茶セットも用意されていた。お水2本0.375l(ガス入り)は最初の日だけでしたが。

    写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:緑の中のホテル・俯瞰

  • 築城者の名を取ったレストランvon Rhemenフォン・レーメンは2014年以来ミシュランGMになっており、ドイツランクは907位である。<br />22日(土)の夕食は予約済みだが、日曜日はレストランが定休日の為、18時までにkleine Kaffeekarteでの対応で頼むか、又はミュンスター旧市街のレストラン利用となる。結果的に旧市街を利用した。<br /><br />ミュンスター近郊のこの古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城にはかつての駐在時、1976年の年末年始の時期に家族で2泊した事がある。それ以来40年ぶりの訪れになる。<br />本館裏手に18ホールのGolfclub Muenster-Wilkinghege e.V.ゴルフ場がある。<br /><br />写真は2016年秋のヴィルキングヘーゲ城:レストランvon Rhemenフォン・レーメン

    築城者の名を取ったレストランvon Rhemenフォン・レーメンは2014年以来ミシュランGMになっており、ドイツランクは907位である。
    22日(土)の夕食は予約済みだが、日曜日はレストランが定休日の為、18時までにkleine Kaffeekarteでの対応で頼むか、又はミュンスター旧市街のレストラン利用となる。結果的に旧市街を利用した。

    ミュンスター近郊のこの古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城にはかつての駐在時、1976年の年末年始の時期に家族で2泊した事がある。それ以来40年ぶりの訪れになる。
    本館裏手に18ホールのGolfclub Muenster-Wilkinghege e.V.ゴルフ場がある。

    写真は2016年秋のヴィルキングヘーゲ城:レストランvon Rhemenフォン・レーメン

  • ヴィルキングヘーゲ城の歴史:<br /><br />ヴィルキングヘーゲ城は1311年Rhemen zu Barensfeldレーメン・バレンスフェルト家が建てた水城である。14世紀後半にはミュンスターの Cleyhorstクレイフォルスト家が所有した。<br />更にSteveninck zu Broich シュテヴェニック・ブロイヒ家が1550年、古い城の土台上に新たに城を建てた。この時の城が今日まだ存在している。<br />1719年にはHardeハルデとKatharina von Keppelカタリーナ・ケッペル夫妻がGottfried Laurens Pictoriusゴットフリート・ロレンス・ピクトリウスに命じて、後期ルネサンス様式に改築した。この時の二匹のライオンの紋章が城門入口に見ることが出来る。<br />その後、城の所有者はしばしば代わったが、1779年に再びレーメン・バレンスフェルト家が所有した。<br /><br />写真は2016年秋の朝霧の中のヴィルキングヘーゲ城:左に礼拝堂、中央に本館

    イチオシ

    ヴィルキングヘーゲ城の歴史:

    ヴィルキングヘーゲ城は1311年Rhemen zu Barensfeldレーメン・バレンスフェルト家が建てた水城である。14世紀後半にはミュンスターの Cleyhorstクレイフォルスト家が所有した。
    更にSteveninck zu Broich シュテヴェニック・ブロイヒ家が1550年、古い城の土台上に新たに城を建てた。この時の城が今日まだ存在している。
    1719年にはHardeハルデとKatharina von Keppelカタリーナ・ケッペル夫妻がGottfried Laurens Pictoriusゴットフリート・ロレンス・ピクトリウスに命じて、後期ルネサンス様式に改築した。この時の二匹のライオンの紋章が城門入口に見ることが出来る。
    その後、城の所有者はしばしば代わったが、1779年に再びレーメン・バレンスフェルト家が所有した。

    写真は2016年秋の朝霧の中のヴィルキングヘーゲ城:左に礼拝堂、中央に本館

  • 長い城の歴史の経過と共に、この城に居住し、あるいは客として滞在した著名人も多い。<br /><br />即ち、Fuerstbischof Franz von Waldeck侯爵司教フランツ・ヴァルデック、Fuerstbischof Christoph Bernhard von Galen侯爵司教クリストフ・ベルンハルト・ガレン、 Franz Freiherr von Fuerstenbergフランツ・フュルステンベルク男爵、 Napoleons Marschall ナポレオン旗下の元師Jean-Baptiste Kleberジャン・バティスト・クレベール(フランス革命期の軍人、ストラスブール出身。1798年のエジプト・シリア戦役に同行し、翌年ナポレオン・ボナパルトが引き上げると留守をあずかったが、1800年にカイロで暗殺された。)、そして有名なドイツの女流詩人Annette von Droste zu Huelshoffアネッテ・ドロステ・ヒュルスホフである。<br /><br />写真は2016年秋のヴィルキングヘーゲ城:別棟のスイートの部屋

    長い城の歴史の経過と共に、この城に居住し、あるいは客として滞在した著名人も多い。

    即ち、Fuerstbischof Franz von Waldeck侯爵司教フランツ・ヴァルデック、Fuerstbischof Christoph Bernhard von Galen侯爵司教クリストフ・ベルンハルト・ガレン、 Franz Freiherr von Fuerstenbergフランツ・フュルステンベルク男爵、 Napoleons Marschall ナポレオン旗下の元師Jean-Baptiste Kleberジャン・バティスト・クレベール(フランス革命期の軍人、ストラスブール出身。1798年のエジプト・シリア戦役に同行し、翌年ナポレオン・ボナパルトが引き上げると留守をあずかったが、1800年にカイロで暗殺された。)、そして有名なドイツの女流詩人Annette von Droste zu Huelshoffアネッテ・ドロステ・ヒュルスホフである。

    写真は2016年秋のヴィルキングヘーゲ城:別棟のスイートの部屋

  • レーメン・バレンスフェルト家の家系が絶え、ヴィルキングヘーゲ城は祖父により、Rembert Winneckenレンバート・ヴィンネッケンに譲渡された。1955年に新たに改築された。1958年に火災に遭ったが、その後再建されている。<br /><br />1970年にホテルをオープンし、1990年には一部のベッド数を減らし、Rembert und Getha Winneckenレンバート&ゲータ・ヴィンネッケン夫妻の新しいコンセプトでスイートを中心に高級感を持った古城ホテルに生まれ変わった。<br /><br />・・・・・・・・・・<br /><br />写真は2016年秋の朝霧の中のヴィルキングヘーゲ城:秋に色ずく礼拝堂

    イチオシ

    レーメン・バレンスフェルト家の家系が絶え、ヴィルキングヘーゲ城は祖父により、Rembert Winneckenレンバート・ヴィンネッケンに譲渡された。1955年に新たに改築された。1958年に火災に遭ったが、その後再建されている。

    1970年にホテルをオープンし、1990年には一部のベッド数を減らし、Rembert und Getha Winneckenレンバート&ゲータ・ヴィンネッケン夫妻の新しいコンセプトでスイートを中心に高級感を持った古城ホテルに生まれ変わった。

    ・・・・・・・・・・

    写真は2016年秋の朝霧の中のヴィルキングヘーゲ城:秋に色ずく礼拝堂

  • 写真は2016年秋の朝霧の中のヴィルキングヘーゲ城:奥に本館が見える

    写真は2016年秋の朝霧の中のヴィルキングヘーゲ城:奥に本館が見える

  • 写真は2016年秋のヴィルキングヘーゲ城:周囲の水堀

    写真は2016年秋のヴィルキングヘーゲ城:周囲の水堀

  • 写真は2016年秋のヴィルキングヘーゲ城:本館

    写真は2016年秋のヴィルキングヘーゲ城:本館

  • 写真はヴィルキングヘーゲ城の別棟(2016年秋現在はスイートのみ)

    写真はヴィルキングヘーゲ城の別棟(2016年秋現在はスイートのみ)

  • 写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城 :本館正面

    写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城 :本館正面

  • 写真はヴィルキングヘーゲ城:水堀越しの景観

    写真はヴィルキングヘーゲ城:水堀越しの景観

  • 写真は2016年秋の古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城 :ケラーは朝食の間

    写真は2016年秋の古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城 :ケラーは朝食の間

  • 写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:円天井レストラン ケラー

    写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:円天井レストラン ケラー

  • 写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城 :隣接のゴルフ場

    写真は古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城 :隣接のゴルフ場

  • 裏手のゴルフ場が部屋の窓から水堀の向こうに見られ、夕方も迫っていたが、プレー中の人は上手くはないが実にゆったりとやっていた。<br /><br />やはりドイツでは、ゴルフは富裕層のものである。確か、40年前の宿泊はホテル棟の2階だった覚えがある。外見も全く変わらず。<br /><br />写真は2016年秋の古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:レストランvon Rhemenフォン・レーメン

    裏手のゴルフ場が部屋の窓から水堀の向こうに見られ、夕方も迫っていたが、プレー中の人は上手くはないが実にゆったりとやっていた。

    やはりドイツでは、ゴルフは富裕層のものである。確か、40年前の宿泊はホテル棟の2階だった覚えがある。外見も全く変わらず。

    写真は2016年秋の古城ホテル ヴィルキングヘーゲ城:レストランvon Rhemenフォン・レーメン

  • 1月2日はヴィルキングヘーゲ城を発ち、ミュンスターラントの水城を訪れながら、デュッセルドルフに帰った。<br /><br />写真は時計回りにFuerstbischoefliche Schloss侯爵家の城とWestfaelische Wilhelms-Universitaetヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学*1、<br />Schloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿、<br />Burg Huelshoffヒュルスホフ城の水堀と橋から城門入口の様子、<br />

    1月2日はヴィルキングヘーゲ城を発ち、ミュンスターラントの水城を訪れながら、デュッセルドルフに帰った。

    写真は時計回りにFuerstbischoefliche Schloss侯爵家の城とWestfaelische Wilhelms-Universitaetヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学*1、
    Schloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿、
    Burg Huelshoffヒュルスホフ城の水堀と橋から城門入口の様子、

  • *1<br />豪華な彫像が正面を飾る侯爵家の城は1767~1787年に三つの翼を持つ建築群として建設された。St. Paulus-Dom 大聖堂と同様に典型的なBaumberger Sandsteinバウムベルク(ミュンスターラントのKreis Coesfeldコースフェルト郡でとれる)の砂岩で造られている。<br /><br />1780年に創立された大学で、第二次大戦で罹災した城は再建され、1954年よりWestfaelische Wilhelms-Universitaetヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学となった。4.4万人の学生が在籍する大学は15の学部に130の学科から構成されるドイツでも最も大きな総合大学のひとつになっている。<br /><br />通称は町の名をとってミュンスター大学と言うが、大学の正式名称ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学であり、ヴィルヘルムとその名を残しているのはミュンスター城をその居城としていたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世である。<br />ミュンスターの人口は31万人、これに占める学生の割合がたいへん高い都市である。<br /><br />写真は侯爵家の城:正面

    *1
    豪華な彫像が正面を飾る侯爵家の城は1767~1787年に三つの翼を持つ建築群として建設された。St. Paulus-Dom 大聖堂と同様に典型的なBaumberger Sandsteinバウムベルク(ミュンスターラントのKreis Coesfeldコースフェルト郡でとれる)の砂岩で造られている。

    1780年に創立された大学で、第二次大戦で罹災した城は再建され、1954年よりWestfaelische Wilhelms-Universitaetヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学となった。4.4万人の学生が在籍する大学は15の学部に130の学科から構成されるドイツでも最も大きな総合大学のひとつになっている。

    通称は町の名をとってミュンスター大学と言うが、大学の正式名称ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学であり、ヴィルヘルムとその名を残しているのはミュンスター城をその居城としていたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世である。
    ミュンスターの人口は31万人、これに占める学生の割合がたいへん高い都市である。

    写真は侯爵家の城:正面

    レジデンス (シティ パレス) 建造物

  • <Munsterlander Wasserburgenミュンスターラントの水城(古城)を巡る><br /><br />ノルトライン・ヴェストファーレン州は大きく分けると、西部がノルトライン地方、東部がヴェストファーレン地方であるが、ヴェストファーレンに属するミュンスター地方の中心がMuensterミュンスターで、Duesseldorfデュッセルドルフから北東へ120km、Dortmundドルトムントから北へ60kmほど離れている。<br /><br />ミュンスターの町の半径70km周辺は美しい緑豊かな平野が広がり、この一帯をミュンスターラントと呼んでいる。概略、その南はライン川の支流Lippeリッペ川(全長 220 km)が流れ、北はドイツ北西部のオランダとの国境付近を流れる川であるEmsエムス川(全長371km)一帯のエムスラント、東は遠い昔の紀元9年、ローマ軍団とドイツ人の祖ゲルマンの部族が三日間にわたり、壮絶な戦いをした場所で、ローマ軍団がゲルマンの英雄ヘルマンに殲滅された“Teutoburger Waldトイトブルクの森”がある。西にはオランダとの国境の地域で、水濠に囲まれた典型的な水城が点在している事が知られている。<br /><br />起伏のない平地が広がるこの田園地帯に、壕をめぐらす古城が無数に点在し、ミュンスターの観光協会から157の水城が観光用に選定されている。それらはSchlossシュロス(ここでは宮殿風な城)、Burgブルク(城砦)、あるいはHausハウス(城館)といった名前で登場し、大小様々な水城を見る事が出来る。<br />中世、この地に水城が発達した理由は、ミュンスターラントが全くの平地で、ライン川の両岸のように城砦を作るのにふさわしい自然的地形に恵まれなかった為である。防衛面から2重3重の堀を作って川から水を引き、その中に城門や城が建てられた。<br />それが今日、水に映る美しい城として観光的な価値を高めているのである。<br />水城の起源は12世紀ころで、財産と領地を守ろうとする騎士領主間の絶え間のない抗争が背景にあり、防衛のために壕をめぐらす城が作られていった。<br />16世紀に入ると、鉄砲の発明によって水壕による防御は役に立たなくなり、次第により複雑堅固な設備に移り変わっていった。<br />壕に囲まれて2つの島の上に防備の固い城塞を築き、2島間を橋でつなぐという形を取ることが多くなった。手前にVorburgフォアブルク(一の丸)と称した食糧庫や別館があり、Hauptburgハウプトブルク(本丸)には城主たちの居住用建物が配置されていた。<br />1600年代は争いもなくなり、特に新旧キリスト教徒の宗教戦争であった30年戦争以後は、美しい庭園に囲まれた宮殿や城館が主流となっていった。<br /><br />写真はミュンスターラントの地図

    <Munsterlander Wasserburgenミュンスターラントの水城(古城)を巡る>

    ノルトライン・ヴェストファーレン州は大きく分けると、西部がノルトライン地方、東部がヴェストファーレン地方であるが、ヴェストファーレンに属するミュンスター地方の中心がMuensterミュンスターで、Duesseldorfデュッセルドルフから北東へ120km、Dortmundドルトムントから北へ60kmほど離れている。

    ミュンスターの町の半径70km周辺は美しい緑豊かな平野が広がり、この一帯をミュンスターラントと呼んでいる。概略、その南はライン川の支流Lippeリッペ川(全長 220 km)が流れ、北はドイツ北西部のオランダとの国境付近を流れる川であるEmsエムス川(全長371km)一帯のエムスラント、東は遠い昔の紀元9年、ローマ軍団とドイツ人の祖ゲルマンの部族が三日間にわたり、壮絶な戦いをした場所で、ローマ軍団がゲルマンの英雄ヘルマンに殲滅された“Teutoburger Waldトイトブルクの森”がある。西にはオランダとの国境の地域で、水濠に囲まれた典型的な水城が点在している事が知られている。

    起伏のない平地が広がるこの田園地帯に、壕をめぐらす古城が無数に点在し、ミュンスターの観光協会から157の水城が観光用に選定されている。それらはSchlossシュロス(ここでは宮殿風な城)、Burgブルク(城砦)、あるいはHausハウス(城館)といった名前で登場し、大小様々な水城を見る事が出来る。
    中世、この地に水城が発達した理由は、ミュンスターラントが全くの平地で、ライン川の両岸のように城砦を作るのにふさわしい自然的地形に恵まれなかった為である。防衛面から2重3重の堀を作って川から水を引き、その中に城門や城が建てられた。
    それが今日、水に映る美しい城として観光的な価値を高めているのである。
    水城の起源は12世紀ころで、財産と領地を守ろうとする騎士領主間の絶え間のない抗争が背景にあり、防衛のために壕をめぐらす城が作られていった。
    16世紀に入ると、鉄砲の発明によって水壕による防御は役に立たなくなり、次第により複雑堅固な設備に移り変わっていった。
    壕に囲まれて2つの島の上に防備の固い城塞を築き、2島間を橋でつなぐという形を取ることが多くなった。手前にVorburgフォアブルク(一の丸)と称した食糧庫や別館があり、Hauptburgハウプトブルク(本丸)には城主たちの居住用建物が配置されていた。
    1600年代は争いもなくなり、特に新旧キリスト教徒の宗教戦争であった30年戦争以後は、美しい庭園に囲まれた宮殿や城館が主流となっていった。

    写真はミュンスターラントの地図

  • ≪1976~77年の年末・年始に訪れたミュンスターラントの古城(水城)群≫<br /><br /><Havikbeckハヴィックベックの二つの水城><br /><br />その1 Burg Huelshoffヒュルスホフ城<br />D-48329 Havixbeck  、Schonebeck 6 <br />その2 Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城<br />D-48329 Havikbeck 、Gennerich 18<br /><br />Burg Vischeringヴィッシェリンク城<br />D-59348 Luedinghausen 、Berenbrock 1<br />Schloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿<br />D-59394 Nordkirchen 、Schloss 1 a<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城の切手

    ≪1976~77年の年末・年始に訪れたミュンスターラントの古城(水城)群≫

    <Havikbeckハヴィックベックの二つの水城>

    その1 Burg Huelshoffヒュルスホフ城
    D-48329 Havixbeck  、Schonebeck 6
    その2 Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城
    D-48329 Havikbeck 、Gennerich 18

    Burg Vischeringヴィッシェリンク城
    D-59348 Luedinghausen 、Berenbrock 1
    Schloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿
    D-59394 Nordkirchen 、Schloss 1 a

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城の切手

  • Burg Vischeringヴィッシェリンク城  ⑨<br />13:45~14:45 入場料Euro5(512円)<br />D-59348 Luedinghausen 、Berenbrock 1<br />http://www.burg-vischering.de/<br /><br />1977年、2013年訪問。<br />ミュンスターの南30km、ノルトキルヒェン宮殿から北西8kmのリューディングハウゼンにあるヨーロッパ随一と云われる素晴しい水城である。<br />木造の橋を渡り、城内に入る。入場券を購入し、小母さんに聞いてみると写真撮影は禁止と言われた。アルテナ城は全く問題なかったが、ここは駄目なので、がっかり。<br />自由見学はOKなので、その点はありがたい。ただ、城内のミュンスター地方博物館はあまり見るものが無く、入場券の安い事に納得した。やはり、水城の外観が素晴しく、絵になる水城が一番のようだ。城の周辺を回ったが、小さいので直ぐに一周できる。<br /><br />ヴィッシェリンク城の歴史:<br /><br />1271年、支配地の防衛の為、ミュンスターのBischof Gerhard von der Markゲルハルト・マルク司教領主が水城を建てた。<br />その後、 Droste zu Vischeringドロステ・ヴィシェリンク家の居城になった。<br />ヴュストファーレン最古の城と云われ、城壁と水掘に囲われ、城の防壁と壕に囲まれた2つの島に本丸と一の丸からなる昔のままの姿が残されている。<br />城内にはMunsterlandmuseumミュンスター地方博物館があり、いろいろな時代の古い家具や美しい彫刻を施した長持ちや食器棚などを収めている。 <br />開館;10~13時と13:30~17:30 、Cafe Reitstallカフェ・ライツシュタールがある。<br /><br />大きなドングリの実を拾いながら、ヴィシェリンク城の駐車場に戻る。ノルトキルヒェン宮殿はここから近い。<br /><br />写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城<br />

    Burg Vischeringヴィッシェリンク城  ⑨
    13:45~14:45 入場料Euro5(512円)
    D-59348 Luedinghausen 、Berenbrock 1
    http://www.burg-vischering.de/

    1977年、2013年訪問。
    ミュンスターの南30km、ノルトキルヒェン宮殿から北西8kmのリューディングハウゼンにあるヨーロッパ随一と云われる素晴しい水城である。
    木造の橋を渡り、城内に入る。入場券を購入し、小母さんに聞いてみると写真撮影は禁止と言われた。アルテナ城は全く問題なかったが、ここは駄目なので、がっかり。
    自由見学はOKなので、その点はありがたい。ただ、城内のミュンスター地方博物館はあまり見るものが無く、入場券の安い事に納得した。やはり、水城の外観が素晴しく、絵になる水城が一番のようだ。城の周辺を回ったが、小さいので直ぐに一周できる。

    ヴィッシェリンク城の歴史:

    1271年、支配地の防衛の為、ミュンスターのBischof Gerhard von der Markゲルハルト・マルク司教領主が水城を建てた。
    その後、 Droste zu Vischeringドロステ・ヴィシェリンク家の居城になった。
    ヴュストファーレン最古の城と云われ、城壁と水掘に囲われ、城の防壁と壕に囲まれた2つの島に本丸と一の丸からなる昔のままの姿が残されている。
    城内にはMunsterlandmuseumミュンスター地方博物館があり、いろいろな時代の古い家具や美しい彫刻を施した長持ちや食器棚などを収めている。 
    開館;10~13時と13:30~17:30 、Cafe Reitstallカフェ・ライツシュタールがある。

    大きなドングリの実を拾いながら、ヴィシェリンク城の駐車場に戻る。ノルトキルヒェン宮殿はここから近い。

    写真はBurg Vischeringヴィッシェリンク城

  • Schloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿  ⑩<br />15:05~15・25<br />D-59394 Nordkirchen 、Schloss 1 a<br />http://www.schloss-nordkirchen.de/<br /><br />1977年、2013年に訪問。<br />ミュンスターから南30kmの距離にある。ミュンスターラントの水城の中でも最も大きく、最も立派なものとされ、「ヴェストファーレン地方のヴェルサイユ宮殿」とも呼ばれる。<br />州の財務行政大学が置かれていることもあり、内部の見学は最初から考えていない。<br />ともかくも、周辺を黄葉に囲まれた「ヴェストファーレン地方のヴェルサイユ宮殿」を一目見れば、満足なのだ。宮殿右の一部を改装中でクレーンが立っていたが、散歩客も多く、並木道を散策し、お濠に映る黄葉と宮殿の姿を楽しんでいるようだ。<br /><br />ノルトキルヒェン宮殿の歴史:<br />1324年頃、Die Ritter von Morrien モリエンの騎士が現在の庭園の東、鹿苑のあたりに居住していたらしい。 <br />現在のバロック様式のノルトキルヒェン宮殿は1703年から1734年にかけて建設された。<br />ミュンスターの司教であり、*Herzogtum Kleveクレーフェ公国の大公Fuerstbischof Friedrich Christian von Plettenberg-Lenhausenフリードリヒ・クリスティアン・プレッテンベルク・レーンハウゼン公爵が建設を始め、孫のフェルディナント・プレッテンベルクが完工し、この場所に住んだ。<br />1833年には宮殿はGrafen von Esterházyエステルハージ伯爵が所有した。<br />1903年にHerzog Engelbert Maria von Arenbergエンゲルベルト・マリア・アーレンベルク公爵が住むようになった。<br />1959年、ノルトライン・ヴェストファーレン州が宮殿などを購入し、最終的には1000haを越える庭園、森を含めたものになった。庭園には菩提樹やマロニエの木々の並木道が続き、散策の為に訪れる人も多い。<br />また宮殿の建物はUの字型で中庭を囲むように翼を伸ばしていった。その中には宮殿礼拝堂のあるエーレンホフがあり、城内の天井画は素晴しく、内装はバロック様式の中でもロココに近い植物などをモチーフにした模様が目立つ。<br /><br />1951年以来、公園に囲まれた雄大な赤れんが造りの宮殿内にはノルトライン・ヴェストファーレン州の財務行政大学が置かれている。 <br />開館:10月~4月日曜日の14~16、もしくは事前に予約が必要(9~18:02596‐ 917-137)<br /><br />写真はSchloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿:俯瞰

    Schloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿  ⑩
    15:05~15・25
    D-59394 Nordkirchen 、Schloss 1 a
    http://www.schloss-nordkirchen.de/

    1977年、2013年に訪問。
    ミュンスターから南30kmの距離にある。ミュンスターラントの水城の中でも最も大きく、最も立派なものとされ、「ヴェストファーレン地方のヴェルサイユ宮殿」とも呼ばれる。
    州の財務行政大学が置かれていることもあり、内部の見学は最初から考えていない。
    ともかくも、周辺を黄葉に囲まれた「ヴェストファーレン地方のヴェルサイユ宮殿」を一目見れば、満足なのだ。宮殿右の一部を改装中でクレーンが立っていたが、散歩客も多く、並木道を散策し、お濠に映る黄葉と宮殿の姿を楽しんでいるようだ。

    ノルトキルヒェン宮殿の歴史:
    1324年頃、Die Ritter von Morrien モリエンの騎士が現在の庭園の東、鹿苑のあたりに居住していたらしい。 
    現在のバロック様式のノルトキルヒェン宮殿は1703年から1734年にかけて建設された。
    ミュンスターの司教であり、*Herzogtum Kleveクレーフェ公国の大公Fuerstbischof Friedrich Christian von Plettenberg-Lenhausenフリードリヒ・クリスティアン・プレッテンベルク・レーンハウゼン公爵が建設を始め、孫のフェルディナント・プレッテンベルクが完工し、この場所に住んだ。
    1833年には宮殿はGrafen von Esterházyエステルハージ伯爵が所有した。
    1903年にHerzog Engelbert Maria von Arenbergエンゲルベルト・マリア・アーレンベルク公爵が住むようになった。
    1959年、ノルトライン・ヴェストファーレン州が宮殿などを購入し、最終的には1000haを越える庭園、森を含めたものになった。庭園には菩提樹やマロニエの木々の並木道が続き、散策の為に訪れる人も多い。
    また宮殿の建物はUの字型で中庭を囲むように翼を伸ばしていった。その中には宮殿礼拝堂のあるエーレンホフがあり、城内の天井画は素晴しく、内装はバロック様式の中でもロココに近い植物などをモチーフにした模様が目立つ。

    1951年以来、公園に囲まれた雄大な赤れんが造りの宮殿内にはノルトライン・ヴェストファーレン州の財務行政大学が置かれている。 
    開館:10月~4月日曜日の14~16、もしくは事前に予約が必要(9~18:02596‐ 917-137)

    写真はSchloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿:俯瞰

  • <2013年に訪れたミュンスターラントの古城(水城)群><br /><br />Burg Vischeringヴィッシェリンク城<br />D-59348 Luedinghausen 、Berenbrock 1<br />Schloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿<br />D-59394 Nordkirchen 、Schloss 1 a<br /><br /><Havikbeckハヴィックベックの三つの水城><br />その1 Burg Huelshoffヒュルスホフ城<br />D-48329 Havixbeck  、Schonebeck 6 <br />その2 Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城<br />D-48329 Havikbeck 、Gennerich 18<br />その3 Haus Havixbeck ハウス ハヴィックベック<br />D-48329 Havixbeck 、Josef-Heydt-Strasse 2 <br /><br />Schloss Lembeck古城ホテル レンベック城<br />D-46286 Dorsten-Lembeck 、Schloss 1<br />Sport Schloss Velen古城ホテル フェーレン城<br />D - 46342 Velen 、Schlossplatz 1<br />Burg Gemenゲーメン城<br />D-46325 Borken-Gemen 、Schlossplatz 1<br />Restaurant Schloss Raesfeldラエスフェルト城<br />D-46348 Raesfeld 、Freiheit 27 (Schlosshof)<br />Parkhotel Wasserburg Anholt古城ホテル アンホルト城<br />D-46419 Isselburg-Anholt 、Klever Strasse<br />など。<br /><br />・・・・・・・・・・<br /><br />写真はSchloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿:正面

    <2013年に訪れたミュンスターラントの古城(水城)群>

    Burg Vischeringヴィッシェリンク城
    D-59348 Luedinghausen 、Berenbrock 1
    Schloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿
    D-59394 Nordkirchen 、Schloss 1 a

    <Havikbeckハヴィックベックの三つの水城>
    その1 Burg Huelshoffヒュルスホフ城
    D-48329 Havixbeck  、Schonebeck 6
    その2 Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城
    D-48329 Havikbeck 、Gennerich 18
    その3 Haus Havixbeck ハウス ハヴィックベック
    D-48329 Havixbeck 、Josef-Heydt-Strasse 2

    Schloss Lembeck古城ホテル レンベック城
    D-46286 Dorsten-Lembeck 、Schloss 1
    Sport Schloss Velen古城ホテル フェーレン城
    D - 46342 Velen 、Schlossplatz 1
    Burg Gemenゲーメン城
    D-46325 Borken-Gemen 、Schlossplatz 1
    Restaurant Schloss Raesfeldラエスフェルト城
    D-46348 Raesfeld 、Freiheit 27 (Schlosshof)
    Parkhotel Wasserburg Anholt古城ホテル アンホルト城
    D-46419 Isselburg-Anholt 、Klever Strasse
    など。

    ・・・・・・・・・・

    写真はSchloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿:正面

  • <Havikbeckハヴィックベックの三つの水城><br />その1 Burg Huelshoffヒュルスホフ城  ⑫<br />9:50~10:35<br />D-48329 Havixbeck  、Schonebeck 6 <br />http://www.burg-huelshoff.de/<br /><br />1979年、2013年訪問。<br />ミュンスターから北西に10kmの町、Havixbeckハヴィックスベックの郊外にある。<br />ハヴィックベックから東、Roxelロクセル方面に向かった所にある。<br />ノルトライン・ヴェストファーレン州の北部、ミュンスター地方の典型的な水城である。<br /><br />11世紀に湖沼や運河、30ヘクタールの広大な庭園に囲まれた小島に築城されたもので、Freiherr Droste zu Huelshoff ドロステ・ヒュルスホフ男爵家の夏の宮殿の一つである。<br />2つの小島の上に一の丸Vorburgフォーアブルク(手前の城)と、領主の館のあるHauptburgハウプトプルク(本丸、1545年)が建設されたものである。<br />それらは橋で連結し、一の丸に食糧庫と正方形の角櫓があり、本丸は切り石を使った煉瓦建築で、屋根から浮き出た切妻と小さな明かり取り塔がある。本丸の右手に新ゴシック様式の礼拝堂が、1870年に増築された。<br /><br />写真はBurg Huelshoffヒュルスホフ城の俯瞰

    <Havikbeckハヴィックベックの三つの水城>
    その1 Burg Huelshoffヒュルスホフ城  ⑫
    9:50~10:35
    D-48329 Havixbeck  、Schonebeck 6
    http://www.burg-huelshoff.de/

    1979年、2013年訪問。
    ミュンスターから北西に10kmの町、Havixbeckハヴィックスベックの郊外にある。
    ハヴィックベックから東、Roxelロクセル方面に向かった所にある。
    ノルトライン・ヴェストファーレン州の北部、ミュンスター地方の典型的な水城である。

    11世紀に湖沼や運河、30ヘクタールの広大な庭園に囲まれた小島に築城されたもので、Freiherr Droste zu Huelshoff ドロステ・ヒュルスホフ男爵家の夏の宮殿の一つである。
    2つの小島の上に一の丸Vorburgフォーアブルク(手前の城)と、領主の館のあるHauptburgハウプトプルク(本丸、1545年)が建設されたものである。
    それらは橋で連結し、一の丸に食糧庫と正方形の角櫓があり、本丸は切り石を使った煉瓦建築で、屋根から浮き出た切妻と小さな明かり取り塔がある。本丸の右手に新ゴシック様式の礼拝堂が、1870年に増築された。

    写真はBurg Huelshoffヒュルスホフ城の俯瞰

  • 1797年、この城でドイツを代表する女流詩人*Annette von Droste Hulshoffアネッテ・ドロステ・ヒュルスホフが生まれている。彼女はここで30年程を過ごしている。<br />この偉大な女流人の生涯と作品を回想する小さな博物舘がある。<br />カフェ・レストラン、庭園が併設されている。<br />博物館(庭園)開館:3月~12月中旬、11~18:30<br /><br />写真はBurg Huelshoffヒュルスホフ城:庭園から

    1797年、この城でドイツを代表する女流詩人*Annette von Droste Hulshoffアネッテ・ドロステ・ヒュルスホフが生まれている。彼女はここで30年程を過ごしている。
    この偉大な女流人の生涯と作品を回想する小さな博物舘がある。
    カフェ・レストラン、庭園が併設されている。
    博物館(庭園)開館:3月~12月中旬、11~18:30

    写真はBurg Huelshoffヒュルスホフ城:庭園から

  • *Annette von Droste zu Huelshoffアネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ女史(1797~ 1848年)は水城“Burg Huelshoffヒュルスホフ城”で城主の娘として生まれ、女流詩人として世に出る。19世紀の文豪ゲーテや哲学者ショーペンハウエル、グリム童話のグリム兄弟とも親交があったと云う。<br /><br />詩人としてのドイツでの評価は高く、旧ドイツマルクの20DM紙幣の図柄に美人であった女史が採用されている。また、1961年発行のドイツ郵便切手でも、1DM切手の図柄になっている。<br /><br />ボーデン湖のMeersburgメーアスブルク(海の城)近くに彼女の記念館であるドロステの館がある。ドロステ女史はメーアスブルク城の城主と妹が結婚していた事で、この地に1841年に来訪し、詩作に勤しんだと云う。1848年5月、滞在した旧城の一間で、ひどい肺炎に罹り、51歳の生涯を閉じた。<br /><br />写真は庭園に立つドロステ女史の胸像

    *Annette von Droste zu Huelshoffアネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ女史(1797~ 1848年)は水城“Burg Huelshoffヒュルスホフ城”で城主の娘として生まれ、女流詩人として世に出る。19世紀の文豪ゲーテや哲学者ショーペンハウエル、グリム童話のグリム兄弟とも親交があったと云う。

    詩人としてのドイツでの評価は高く、旧ドイツマルクの20DM紙幣の図柄に美人であった女史が採用されている。また、1961年発行のドイツ郵便切手でも、1DM切手の図柄になっている。

    ボーデン湖のMeersburgメーアスブルク(海の城)近くに彼女の記念館であるドロステの館がある。ドロステ女史はメーアスブルク城の城主と妹が結婚していた事で、この地に1841年に来訪し、詩作に勤しんだと云う。1848年5月、滞在した旧城の一間で、ひどい肺炎に罹り、51歳の生涯を閉じた。

    写真は庭園に立つドロステ女史の胸像

  • 写真はAnnette von Droste zu Huelshoffアネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ女史:20DM紙幣

    写真はAnnette von Droste zu Huelshoffアネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ女史:20DM紙幣

  • その2 Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城 ⑬  <br />11:10~11:35<br />D-48329 Havikbeck 、Gennerich 18<br />http://www.havixbeck.de/de/willkommen.php<br /><br />1979年、2013年訪問。<br />Haus Stapelハウス シュタペルは水城である。16世紀に初めて、貴族の居城として建てられたものである。現在の城郭は1607年頃のもので、本館は1828年に造られた。<br />この城の特記事項としては、ドイツの代表的女流詩人アネッテ・ドロステ・ヒュルスホフの縁戚である事だろう。<br />つまり、1801年にMaria Theresia Freiin von Kerckerinck zu Stapel マリア・テレジア・ケルケリンク・シュタペル(1786?1870)男爵令嬢がアネッテ・ドロステ・ヒュルスホフの伯父Ernst Konstantin Freiherr von Droste Hulshoffエルンスト・コンスタンティン・ドロステ・ヒュルスホフ男爵(マリアより15歳年上であった)と結婚した事である。この夫婦は22人の子を生したそうで、その内の半分ほどが成人したと云う。<br />尚、5月から9月までは見学は可能とある。<br /><br />写真はハウス シュタペル水城の正面

    その2 Wasserburg Haus Stapelハウス シュタペル水城 ⑬  
    11:10~11:35
    D-48329 Havikbeck 、Gennerich 18
    http://www.havixbeck.de/de/willkommen.php

    1979年、2013年訪問。
    Haus Stapelハウス シュタペルは水城である。16世紀に初めて、貴族の居城として建てられたものである。現在の城郭は1607年頃のもので、本館は1828年に造られた。
    この城の特記事項としては、ドイツの代表的女流詩人アネッテ・ドロステ・ヒュルスホフの縁戚である事だろう。
    つまり、1801年にMaria Theresia Freiin von Kerckerinck zu Stapel マリア・テレジア・ケルケリンク・シュタペル(1786?1870)男爵令嬢がアネッテ・ドロステ・ヒュルスホフの伯父Ernst Konstantin Freiherr von Droste Hulshoffエルンスト・コンスタンティン・ドロステ・ヒュルスホフ男爵(マリアより15歳年上であった)と結婚した事である。この夫婦は22人の子を生したそうで、その内の半分ほどが成人したと云う。
    尚、5月から9月までは見学は可能とある。

    写真はハウス シュタペル水城の正面

  • その3 Haus Havixbeck ハウス ハヴィックベック<br />D-48329 Havixbeck 、Josef-Heydt-Strasse 2 <br />http://www.havixbeck.de/de/tourismus-kultur/fuehrungen.php<br /><br />ハウス ハヴィックベックはミュンスター地方の典型的な水城である。<br />1369年、Ritter Dietrich von Schonebeckディートリヒ・シェーネベックの騎士領主が死去し、子供が無かった事で、Stiftes St. Mauritz vor Muensterミュンスターの聖マウリッツ教会の所有になった。<br />1562年に中世の館が建てられた。<br />1601年には城主の娘Ermengard von Bevern エルメンガルト・ベヴェルンがRudolf von Twickelルドルフ・ツヴィケルと結婚した際に、嫁入りの持参金として、ハウス ハヴィックベックが与えられた。<br />その後、Familie von Twickelツヴィケル家は所有を続け、現在に至るまで居住している。この為、城外は見学可能だが、室内は事前の町の許可が必要になっている。<br />館は城と云うよりも宮殿で、現在は歴史的建造物として保護の対象になっている。<br /><br />写真はHaus havixbeckハウス ハヴィックベック:俯瞰

    その3 Haus Havixbeck ハウス ハヴィックベック
    D-48329 Havixbeck 、Josef-Heydt-Strasse 2
    http://www.havixbeck.de/de/tourismus-kultur/fuehrungen.php

    ハウス ハヴィックベックはミュンスター地方の典型的な水城である。
    1369年、Ritter Dietrich von Schonebeckディートリヒ・シェーネベックの騎士領主が死去し、子供が無かった事で、Stiftes St. Mauritz vor Muensterミュンスターの聖マウリッツ教会の所有になった。
    1562年に中世の館が建てられた。
    1601年には城主の娘Ermengard von Bevern エルメンガルト・ベヴェルンがRudolf von Twickelルドルフ・ツヴィケルと結婚した際に、嫁入りの持参金として、ハウス ハヴィックベックが与えられた。
    その後、Familie von Twickelツヴィケル家は所有を続け、現在に至るまで居住している。この為、城外は見学可能だが、室内は事前の町の許可が必要になっている。
    館は城と云うよりも宮殿で、現在は歴史的建造物として保護の対象になっている。

    写真はHaus havixbeckハウス ハヴィックベック:俯瞰

  • Sport Schloss Velen古城ホテル フェーレン城   ⑭<br />D - 46342 Velen 、Schlossplatz 1<br />http://www.sportschlossvelen.de/go/home<br /><br />4星S・全101室。ミュンスター地方の水城。<br />城の名前は890年ころからある神聖ローマ帝国男爵としての家系フェーレンからきている。<br />1240年頃にHermann I ヘルマン1世と息子Konrad コンラットにより現在でも見られる塔を備えたLの形のゴシック様式の小さな騎士の館を建てた。<br />16世紀、Hermann VIIヘルマン7世は礼拝堂を改装し、館の増改築を行った。<br />18世紀、Anna Theresia von Velenアンナ・テレジア・フェーレンはClemens August von Landsbergクレメンス・アウクスト・ランヅベルクと結婚し、この城の城主はFamilie Landsberg-Velen ランヅベルク・フェーレン家になった。<br />1931年4月に城は大火事で完全焼失してしまうが、1933~34年に再建し、庭園、オランジュリー、雉の飼育所などを作り直した。第二次大戦中は野戦病院や老人ホームに使用され、その後、1987年まで税関の学校に利用されていた。<br />1988年、改装された古城はホテルとしてオープンした。<br /><br />2013年訪問。<br /><br />写真は古城ホテル フェーレン城

    Sport Schloss Velen古城ホテル フェーレン城   ⑭
    D - 46342 Velen 、Schlossplatz 1
    http://www.sportschlossvelen.de/go/home

    4星S・全101室。ミュンスター地方の水城。
    城の名前は890年ころからある神聖ローマ帝国男爵としての家系フェーレンからきている。
    1240年頃にHermann I ヘルマン1世と息子Konrad コンラットにより現在でも見られる塔を備えたLの形のゴシック様式の小さな騎士の館を建てた。
    16世紀、Hermann VIIヘルマン7世は礼拝堂を改装し、館の増改築を行った。
    18世紀、Anna Theresia von Velenアンナ・テレジア・フェーレンはClemens August von Landsbergクレメンス・アウクスト・ランヅベルクと結婚し、この城の城主はFamilie Landsberg-Velen ランヅベルク・フェーレン家になった。
    1931年4月に城は大火事で完全焼失してしまうが、1933~34年に再建し、庭園、オランジュリー、雉の飼育所などを作り直した。第二次大戦中は野戦病院や老人ホームに使用され、その後、1987年まで税関の学校に利用されていた。
    1988年、改装された古城はホテルとしてオープンした。

    2013年訪問。

    写真は古城ホテル フェーレン城

    Hotel SportSchloss Velen ホテル

  • Burg Gemenゲーメン城    ⑮<br />13:30~14:15<br />D-46325 Borken-Gemen 、Schlossplatz 1<br />http://www.jugendburg-gemen.de/<br /><br />1979年、2013年訪問。<br />Borkenボルケンの北4kmにゲーメンの水城がある。<br />12世紀の頃、ミュンスターの司教領主の治下で、ゲーメンの騎士領主が築城したものだが、1280年に建てられた天守閣が城の最も古い部分になる。<br /><br />現在の本丸は1411年に建設されたもので、17世紀に改築されているが、昔のままの城郭配置で、巨大な本丸と天守閣が防備を施した小島の上にそびえ立つ。<br />1822年、Reichsfreiherr Johann Ignatz Franz von Landsberg-Velenヨハン・イグナッツ・フランツ・ランヅベルク・フェーレン帝国男爵が購入した。<br /><br />写真はBurg Gemenゲーメン城の切手

    Burg Gemenゲーメン城    ⑮
    13:30~14:15
    D-46325 Borken-Gemen 、Schlossplatz 1
    http://www.jugendburg-gemen.de/

    1979年、2013年訪問。
    Borkenボルケンの北4kmにゲーメンの水城がある。
    12世紀の頃、ミュンスターの司教領主の治下で、ゲーメンの騎士領主が築城したものだが、1280年に建てられた天守閣が城の最も古い部分になる。

    現在の本丸は1411年に建設されたもので、17世紀に改築されているが、昔のままの城郭配置で、巨大な本丸と天守閣が防備を施した小島の上にそびえ立つ。
    1822年、Reichsfreiherr Johann Ignatz Franz von Landsberg-Velenヨハン・イグナッツ・フランツ・ランヅベルク・フェーレン帝国男爵が購入した。

    写真はBurg Gemenゲーメン城の切手

  • 1840年、プロイセン王Friedrich Wilhelm IVフリードリヒ・ヴィルヘルム4世により、伯爵に叙任され、Graf von Landsberg-Velen und Gemenランヅベルク・フェーレン・ゲーメン伯と名乗った。<br />この家系が現在も城主として住んでいる。<br /><br />城は1946年より、Jugendburg Gemen青少年センターとなり、現在も利用されていた。<br /><br />写真はBurg Gemenゲーメン城

    1840年、プロイセン王Friedrich Wilhelm IVフリードリヒ・ヴィルヘルム4世により、伯爵に叙任され、Graf von Landsberg-Velen und Gemenランヅベルク・フェーレン・ゲーメン伯と名乗った。
    この家系が現在も城主として住んでいる。

    城は1946年より、Jugendburg Gemen青少年センターとなり、現在も利用されていた。

    写真はBurg Gemenゲーメン城

  • ゲーメンの水城からは14kmにあるラエスフェルトの騎士の居城は大ぶりな水城である。橋を渡り、一の丸に入ると、ここでも結婚式があり、年配のカップルということで、着飾った人々も老若男女が参集していた。<br />水城の周辺をドイツ人達と同様に散策した。<br /><br />Restaurant Schloss Raesfeldラエスフェルト城   ⑯<br />14:35~15:20<br />D-46348 Raesfeld 、Freiheit 27 (Schlosshof)<br />http://www.restaurant-schloss-raesfeld.de/index.html<br /><br />Borkenボルケンの南9kmにミュンスター地方の典型的な水城がある。1979年2月26日訪問したと、私の記録にあるが、城を見ても全く覚えが無かった。<br /><br />棟瓦造りの絵のようなVorburg一の丸(17世紀)があり、正面左手に“Sterndeuterturm占星術師の塔”がある。この塔の上でアレクサンダー2世・フェーレン帝国伯が天体観測を行ったと云う。<br /><br />一の丸の後に、城主が住むHaupthaus本丸(1643~1658年)が立ち、二つの翼と教会、上に行くほど細くなる特徴的な塔が本丸を形作っている。<br />いずれも島の上に建てられ、水濠に周辺を囲まれ、橋で繋がっているのも今まで見てきた水城と同じだ。<br /><br />城の歴史;<br />12世紀にはじまるHerren von Raesfeldラエスフェルトの騎士領主の居城である。<br />1643年から、Reichsgraf  Alexander II. von Velenアレクサンダー2世・フェーレン帝国伯がルネサンス様式の宮殿に改築した。<br />18世紀ごろになると、城主の死と共に城は無住となり、だんだんと荒廃していった。<br /><br />19世紀には城の一部が農事用に使用され、第二次大戦後はノルトライン・ウェストファーレンの手工業用の役所が所有し、利用してきた。その後も補修が行われ、城内に文化的展示場、レストランがオープンした。<br />この水城はレストランが主で、ホテルは最近になって城の傍に建てられたが、現代風な全6室があるのみで、この点では魅力が無い。<br /><br />写真はラエスフェルト城

    ゲーメンの水城からは14kmにあるラエスフェルトの騎士の居城は大ぶりな水城である。橋を渡り、一の丸に入ると、ここでも結婚式があり、年配のカップルということで、着飾った人々も老若男女が参集していた。
    水城の周辺をドイツ人達と同様に散策した。

    Restaurant Schloss Raesfeldラエスフェルト城   ⑯
    14:35~15:20
    D-46348 Raesfeld 、Freiheit 27 (Schlosshof)
    http://www.restaurant-schloss-raesfeld.de/index.html

    Borkenボルケンの南9kmにミュンスター地方の典型的な水城がある。1979年2月26日訪問したと、私の記録にあるが、城を見ても全く覚えが無かった。

    棟瓦造りの絵のようなVorburg一の丸(17世紀)があり、正面左手に“Sterndeuterturm占星術師の塔”がある。この塔の上でアレクサンダー2世・フェーレン帝国伯が天体観測を行ったと云う。

    一の丸の後に、城主が住むHaupthaus本丸(1643~1658年)が立ち、二つの翼と教会、上に行くほど細くなる特徴的な塔が本丸を形作っている。
    いずれも島の上に建てられ、水濠に周辺を囲まれ、橋で繋がっているのも今まで見てきた水城と同じだ。

    城の歴史;
    12世紀にはじまるHerren von Raesfeldラエスフェルトの騎士領主の居城である。
    1643年から、Reichsgraf Alexander II. von Velenアレクサンダー2世・フェーレン帝国伯がルネサンス様式の宮殿に改築した。
    18世紀ごろになると、城主の死と共に城は無住となり、だんだんと荒廃していった。

    19世紀には城の一部が農事用に使用され、第二次大戦後はノルトライン・ウェストファーレンの手工業用の役所が所有し、利用してきた。その後も補修が行われ、城内に文化的展示場、レストランがオープンした。
    この水城はレストランが主で、ホテルは最近になって城の傍に建てられたが、現代風な全6室があるのみで、この点では魅力が無い。

    写真はラエスフェルト城

  • (2泊)⑤⑥  Schloss Lembeck古城ホテル レンベック城  ⑪<br />D-46286 Dorsten-Lembeck 、Schloss 1<br />Tel:+49 (0) 2369 - 7213  、Fax: - 7283<br />http://www.schlosshotel-lembeck.de/?q=de<br />http://www.schlosslembeck.de/<br /><br />Herkulesヘラキュレスの間(3階)は本丸左隅の櫓(塔)内の部屋で、Blick in den wunderbaren Schlosspark.美しい庭園側眺望。Euro149x2=Euro298(40,649円)<br />?星・全19室。この古城ホテルも各部屋に名前が付いている。Exzellenz、Wiesenturm、Moses、Jan&amp;Gret、Napoli、Hautelisse、Alpenroseといった名前であるが、ホテルのHPの部屋紹介でトップにHerkulesヘラキュレスの間があったのが嬉しい。<br /><br />アレンジメント“Romantik Tageロマンチックな一日”;DZ Euro198(朝食込み)x2=Euro396、2回の夕食は19時に予約済み。<br /><br /> “Romantik Tageロマンチックな一日”<br />Zwei Uebernachtungen im geraeumigen Doppelzimmer, eingerichtet mit alten Schlossmoebeln, mit Badewanne und Blick in den wunderbaren Schlosspark.(2泊・庭園側眺望)<br />Auf Ihrem liebevoll dekorierten Zimmer werden Sie begruesst mit einem kleinen Obstkorb, Pralinen und 2 Piccolo Sekt. Badeoele für ein entspannendes Wellnessbad stehen fuer Sie zur Entspannung bereit.(果物かご、プラリネン、ゼクト、バードオイル)<br />In unserem Schlossrestaurant nehmen Sie ein 4-Gang-Candle-Light-Dinner an einem Abend Ihrer Wahl ein.(御希望の日に4品のキャンドルナイトの夕食)<br />Unsere charmanten Burgfraeulein und Knappen sprechen gerne eine passende Weinempfehlung aus.(小姓・侍女が相応しいワインを紹介)<br />Nach einem ausgiebigen Fruehstueck vom Buffet sind Sie am naechsten Tag gestaerkt fuer die Heimreise.(朝食込み)          Euro198  pro Person x2 =Euro396<br /><br />今回、2013年の秋の旅で、ミュンスターラントを訪れるにあたり、かつて訪れたが宿泊した事が無かった古城ホテル レンベック城に2泊して、157の水城の内からドイツを代表する幾つかの水城、例えば、“ヴェストファーレン地方のヴェルサイユ宮殿“と称されるSchloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿 、Schloss Raesfeldラエスフェルト城、ドイツの女流詩人Annette von Droste zu Huelshoffアネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ女史が生まれたBurg Huelshoffヒュルスホフ城、Burg Gemenゲーメン城 、<br />などを訪ねたいと考えた。<br /><br />ドイツの産業の心臓部であるルール工業地帯の北の外れに位置するが、もうこのあたりは牧歌的な自然の中にある。この地方は美しい森や林の間に池や沼が点在する“Hohe Markホーエ・マルク“自然公園にある。オランダ国境にも近く、Attendornアッテンドロンの町からは北西に140kmの距離になる。<br /><br />水の宮殿へと通じる並木道が、実に印象的で、本来は中世の要塞(14世紀)であったが、17世紀末に二つの島に分かれた宮殿に改造された。建物の角は一つを除いてバロック様式の円蓋や、明かり取り塔のある重々しい塔を頂いている。<br /><br />現在のレンベック城はホテル・レストランのほかに、本丸1階にSchlossmuseum城博物館を設立し、ガイド付きで見学ができる。内部見学ではGrosser Saal大広間の板張りと漆喰細工が見ものである。また、本館地下のかつての台所には、一族の画家Hans Hubertus Graf von Merveldtハンス・フーベルトゥス・メルフェルト伯の記念ギャラリーが開かれている。 1992年には郷土博物館を本丸の屋根裏部屋に設立した。<br /><br />写真はレンベック城:正面

    (2泊)⑤⑥  Schloss Lembeck古城ホテル レンベック城  ⑪
    D-46286 Dorsten-Lembeck 、Schloss 1
    Tel:+49 (0) 2369 - 7213  、Fax: - 7283
    http://www.schlosshotel-lembeck.de/?q=de
    http://www.schlosslembeck.de/

    Herkulesヘラキュレスの間(3階)は本丸左隅の櫓(塔)内の部屋で、Blick in den wunderbaren Schlosspark.美しい庭園側眺望。Euro149x2=Euro298(40,649円)
    ?星・全19室。この古城ホテルも各部屋に名前が付いている。Exzellenz、Wiesenturm、Moses、Jan&Gret、Napoli、Hautelisse、Alpenroseといった名前であるが、ホテルのHPの部屋紹介でトップにHerkulesヘラキュレスの間があったのが嬉しい。

    アレンジメント“Romantik Tageロマンチックな一日”;DZ Euro198(朝食込み)x2=Euro396、2回の夕食は19時に予約済み。

    “Romantik Tageロマンチックな一日”
    Zwei Uebernachtungen im geraeumigen Doppelzimmer, eingerichtet mit alten Schlossmoebeln, mit Badewanne und Blick in den wunderbaren Schlosspark.(2泊・庭園側眺望)
    Auf Ihrem liebevoll dekorierten Zimmer werden Sie begruesst mit einem kleinen Obstkorb, Pralinen und 2 Piccolo Sekt. Badeoele für ein entspannendes Wellnessbad stehen fuer Sie zur Entspannung bereit.(果物かご、プラリネン、ゼクト、バードオイル)
    In unserem Schlossrestaurant nehmen Sie ein 4-Gang-Candle-Light-Dinner an einem Abend Ihrer Wahl ein.(御希望の日に4品のキャンドルナイトの夕食)
    Unsere charmanten Burgfraeulein und Knappen sprechen gerne eine passende Weinempfehlung aus.(小姓・侍女が相応しいワインを紹介)
    Nach einem ausgiebigen Fruehstueck vom Buffet sind Sie am naechsten Tag gestaerkt fuer die Heimreise.(朝食込み) Euro198 pro Person x2 =Euro396

    今回、2013年の秋の旅で、ミュンスターラントを訪れるにあたり、かつて訪れたが宿泊した事が無かった古城ホテル レンベック城に2泊して、157の水城の内からドイツを代表する幾つかの水城、例えば、“ヴェストファーレン地方のヴェルサイユ宮殿“と称されるSchloss Nordkirchenノルトキルヒェン宮殿 、Schloss Raesfeldラエスフェルト城、ドイツの女流詩人Annette von Droste zu Huelshoffアネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ女史が生まれたBurg Huelshoffヒュルスホフ城、Burg Gemenゲーメン城 、
    などを訪ねたいと考えた。

    ドイツの産業の心臓部であるルール工業地帯の北の外れに位置するが、もうこのあたりは牧歌的な自然の中にある。この地方は美しい森や林の間に池や沼が点在する“Hohe Markホーエ・マルク“自然公園にある。オランダ国境にも近く、Attendornアッテンドロンの町からは北西に140kmの距離になる。

    水の宮殿へと通じる並木道が、実に印象的で、本来は中世の要塞(14世紀)であったが、17世紀末に二つの島に分かれた宮殿に改造された。建物の角は一つを除いてバロック様式の円蓋や、明かり取り塔のある重々しい塔を頂いている。

    現在のレンベック城はホテル・レストランのほかに、本丸1階にSchlossmuseum城博物館を設立し、ガイド付きで見学ができる。内部見学ではGrosser Saal大広間の板張りと漆喰細工が見ものである。また、本館地下のかつての台所には、一族の画家Hans Hubertus Graf von Merveldtハンス・フーベルトゥス・メルフェルト伯の記念ギャラリーが開かれている。 1992年には郷土博物館を本丸の屋根裏部屋に設立した。

    写真はレンベック城:正面

  • レンベック城の歴史:<br />1017年、レンベックの騎士がPaderbornパーダーボルンの司教領主Heinrich IIハインリヒ2世により、封土された。1190年には現在の城郭、“Motteモッテ(蛾?陽気な人)”と名付けた天守閣などを建設した。次の450年の間にモッテは更に頑強に、中世風な城郭を備えた。<br /><br />1526年にヨハン・レンベックの娘Berta von LembeckベルタがBernhard I.von Westerholtヴェストホルト家のベルンハルト1世と結婚し、Westerholt zu Lembeckヴェストホルト・レンベック家を立ち上げた。<br />1536年にベルンハルト1世はミュンスターの司教領主であったFranz von Waldeckフランツ・ヴァルデックから、正式にレンベックの封土を受けた。<br />しかも彼は司教の親衛隊長となり、1576年、息子のBernhard IIベルンハルト2世は80年戦争(1568~1648年:スペインからのオランダ独立戦争)の折に、オランダ側についたミュンスター司教の為にレンベック家は戦い、スペイン軍の攻撃にもひるまなかった。<br />1631年、80年戦争での費用負担が大きく嵩み、ヴェストホルト・レンベック家はその居城をオランダ系の親族・Westerholt-Hackfurtヴェストホルト・ハックフルト家に売却せざるを得なかった。<br /><br />ヨーロッパ全土を巻き込む新旧キリスト教徒間で行われた宗教戦争の30年戦争(1618~48年)では旧教・神聖ローマ帝国側に着いた。しかし、帝国側はフランス・スウェーデン・イギリス・オランダなどの前に敗戦が続き、ボヘミアでのスウェーデン軍の包囲の前に皇帝は終戦の宣言をすることになり、ヴェストホルト・ハックフルト家は一時、イギリスに亡命することになった。<br />1641年、レンベック城はヴェストホルト・ハックフルト家の所有に戻り、1700年、帝国伯爵に叙された。1670年から92年にかけ工事を行い、レンベック城はミュンスターラントで最も大きな水城になった。<br /><br />1702年、ヴェストホルト・ハックフルト家の城主のDietrich Conrad Adolfディートリヒ・コンラッド・アドルフが死去すると、男子の相続者がいなかった為、娘のMaria Josepha Annaマリア・ヨセファ・アンナがFerdinand Dietrich Freiherr von Merveldtフェルディナンド・ディートリヒ・メルフェルト男爵と結婚して、この城を引き継いだ。<br />1726年、メルフェルト男爵は帝国伯爵に叙された。以来、300年の間、メルフェルト家が所有し、この当時の城郭は今もそのままである。<br />ヴェストファーレンの水城と同じようにレンベック城は二つの島の上にある。第一の島にはVorburg一の丸、二の島には城主が住むHaupthaus本丸があった。<br />本丸に付属する翼は北のみで、南の部分は建設されていない。大きな水面や周囲の景観は300年の水城がもつ魅力である。<br /><br />現在、レンベック城はFerdinand Graf von Merveldt &Catharineフェルディナント・メルフェルト伯と妻キャサリンの所有となっている。<br /><br />写真はレンベック城と水堀

    レンベック城の歴史:
    1017年、レンベックの騎士がPaderbornパーダーボルンの司教領主Heinrich IIハインリヒ2世により、封土された。1190年には現在の城郭、“Motteモッテ(蛾?陽気な人)”と名付けた天守閣などを建設した。次の450年の間にモッテは更に頑強に、中世風な城郭を備えた。

    1526年にヨハン・レンベックの娘Berta von LembeckベルタがBernhard I.von Westerholtヴェストホルト家のベルンハルト1世と結婚し、Westerholt zu Lembeckヴェストホルト・レンベック家を立ち上げた。
    1536年にベルンハルト1世はミュンスターの司教領主であったFranz von Waldeckフランツ・ヴァルデックから、正式にレンベックの封土を受けた。
    しかも彼は司教の親衛隊長となり、1576年、息子のBernhard IIベルンハルト2世は80年戦争(1568~1648年:スペインからのオランダ独立戦争)の折に、オランダ側についたミュンスター司教の為にレンベック家は戦い、スペイン軍の攻撃にもひるまなかった。
    1631年、80年戦争での費用負担が大きく嵩み、ヴェストホルト・レンベック家はその居城をオランダ系の親族・Westerholt-Hackfurtヴェストホルト・ハックフルト家に売却せざるを得なかった。

    ヨーロッパ全土を巻き込む新旧キリスト教徒間で行われた宗教戦争の30年戦争(1618~48年)では旧教・神聖ローマ帝国側に着いた。しかし、帝国側はフランス・スウェーデン・イギリス・オランダなどの前に敗戦が続き、ボヘミアでのスウェーデン軍の包囲の前に皇帝は終戦の宣言をすることになり、ヴェストホルト・ハックフルト家は一時、イギリスに亡命することになった。
    1641年、レンベック城はヴェストホルト・ハックフルト家の所有に戻り、1700年、帝国伯爵に叙された。1670年から92年にかけ工事を行い、レンベック城はミュンスターラントで最も大きな水城になった。

    1702年、ヴェストホルト・ハックフルト家の城主のDietrich Conrad Adolfディートリヒ・コンラッド・アドルフが死去すると、男子の相続者がいなかった為、娘のMaria Josepha Annaマリア・ヨセファ・アンナがFerdinand Dietrich Freiherr von Merveldtフェルディナンド・ディートリヒ・メルフェルト男爵と結婚して、この城を引き継いだ。
    1726年、メルフェルト男爵は帝国伯爵に叙された。以来、300年の間、メルフェルト家が所有し、この当時の城郭は今もそのままである。
    ヴェストファーレンの水城と同じようにレンベック城は二つの島の上にある。第一の島にはVorburg一の丸、二の島には城主が住むHaupthaus本丸があった。
    本丸に付属する翼は北のみで、南の部分は建設されていない。大きな水面や周囲の景観は300年の水城がもつ魅力である。

    現在、レンベック城はFerdinand Graf von Merveldt &Catharineフェルディナント・メルフェルト伯と妻キャサリンの所有となっている。

    写真はレンベック城と水堀

  • Parkhotel Wasserburg Anholt古城ホテル アンホルト城   ⑰<br />D-46419 Isselburg-Anholt 、Klever Strasse<br />http://www.schloss-anholt.de/<br />http://www.wasserburg-anholt.de/<br />http://www.youtube.com/watch?v=rYmpDSFVVPY<br /><br />4星・全31室。オランダの国境近く、ライン川が蛇行し地域の湖沼には水城が多く築かれたが、この古城ホテル・レストランも掘割に囲まれた水城である。<br />いかにもオランダを感じさせる白い跳ね橋を渡り、城の城門を入ると、中庭になる。<br /><br />正方形の中庭の回りに秩序よく建てられた水の城は12~17世紀に築城・増築され、17世紀以降、オランダ・バロック様式に改築されている。<br /><br />現在は博物館になっているのが、写真右手に見える城の本館で、12~4世紀に建てられている。宮殿内装ではオークの大きな階段が特に目を引き、先祖の肖像画が並ぶ廊下がある騎士の間、フランドル地方のタペストリーで飾られた祝宴の間、17、8世紀の日本や中国の陶磁器コレクション、16、7世紀のオランダ(レンブラント)、ドイツ(ホルバイン)、イタリア、スペインの巨匠たちの絵画700が展示されている。 開館:ガイド付き11~16時。<br />http://www.fuerst-salm.de/<br /><br />写真は古城ホテル アンホルト城・俯瞰

    Parkhotel Wasserburg Anholt古城ホテル アンホルト城   ⑰
    D-46419 Isselburg-Anholt 、Klever Strasse
    http://www.schloss-anholt.de/
    http://www.wasserburg-anholt.de/
    http://www.youtube.com/watch?v=rYmpDSFVVPY

    4星・全31室。オランダの国境近く、ライン川が蛇行し地域の湖沼には水城が多く築かれたが、この古城ホテル・レストランも掘割に囲まれた水城である。
    いかにもオランダを感じさせる白い跳ね橋を渡り、城の城門を入ると、中庭になる。

    正方形の中庭の回りに秩序よく建てられた水の城は12~17世紀に築城・増築され、17世紀以降、オランダ・バロック様式に改築されている。

    現在は博物館になっているのが、写真右手に見える城の本館で、12~4世紀に建てられている。宮殿内装ではオークの大きな階段が特に目を引き、先祖の肖像画が並ぶ廊下がある騎士の間、フランドル地方のタペストリーで飾られた祝宴の間、17、8世紀の日本や中国の陶磁器コレクション、16、7世紀のオランダ(レンブラント)、ドイツ(ホルバイン)、イタリア、スペインの巨匠たちの絵画700が展示されている。 開館:ガイド付き11~16時。
    http://www.fuerst-salm.de/

    写真は古城ホテル アンホルト城・俯瞰

  • 本館にくっついている“Dicke Turm太っちょの塔”は最も古く、12世紀のものだそうだ。<br />1968年から右の建物を古城ホテル・レストランとして、開業する。<br />18Hのゴルフ場も備えていて、デュッセルドルフの日本人たちも結構利用しているようだ。私自身はゴルフ下手なので、かつて一度も利用した事が無い。<br /><br />写真は古城ホテル アンホルト城:正面・跳ね橋

    本館にくっついている“Dicke Turm太っちょの塔”は最も古く、12世紀のものだそうだ。
    1968年から右の建物を古城ホテル・レストランとして、開業する。
    18Hのゴルフ場も備えていて、デュッセルドルフの日本人たちも結構利用しているようだ。私自身はゴルフ下手なので、かつて一度も利用した事が無い。

    写真は古城ホテル アンホルト城:正面・跳ね橋

  • 18世紀のオランタ式幾何学模様庭園を第一に、水城の周囲の大庭園は美しい。庭園の周辺はもう森で、なんとも言えぬ良い環境にある。<br /><br />このホテルにはオランダへの旅の途中で宿泊し、或いは週末のドライブで、ゴッホのクローラー・ミュラー美術館(Arnheimアーネム)の往復の際に、何度か立ち寄った所である。私のお気に入りの古城ホテルと言って良い。<br /><br />写真は古城ホテル アンホルト城:本館・太っちょの塔

    18世紀のオランタ式幾何学模様庭園を第一に、水城の周囲の大庭園は美しい。庭園の周辺はもう森で、なんとも言えぬ良い環境にある。

    このホテルにはオランダへの旅の途中で宿泊し、或いは週末のドライブで、ゴッホのクローラー・ミュラー美術館(Arnheimアーネム)の往復の際に、何度か立ち寄った所である。私のお気に入りの古城ホテルと言って良い。

    写真は古城ホテル アンホルト城:本館・太っちょの塔

  • 写真は古城ホテル アンホルト城:ホテル棟と右下はテラスレストラン

    写真は古城ホテル アンホルト城:ホテル棟と右下はテラスレストラン

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