1976/10/23 - 1976/10/23
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jijidarumaさん
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≪セピア色の思い出:ドイツ流≪キツネ狩り≫、ドイツ語でいうReitjagtライトヤーグト、乗馬と狩りが一緒となった現代の狩猟スポーツの催しを初めて見る機会があった。≫
かつて「Hirschjagd鹿狩り」や「Fuchsjagdキツネ狩り」と称していたものが、現代流に変化した「Reitjagtライトヤーグト」は今も人気がある。
その催しがヘッセン州のWesterwaldヴェスターヴァルトのHaigerハイガーの町の近郊で行われる事になった。
日頃取引のあった上組(かみぐみ:港湾運送業・倉庫業・重量物運搬などをおこなう日本企業)から声がかかり、1976年10月23日(土)、会社の先輩一家と共にデュッセルドルフからWesterwaldヴェスターヴァルトのハイガーまで、片道凡そ150kmのバス旅行に招待された。
英国貴族流のキツネ狩りの写真や絵画は英国の旅で、古城内の展示された絵画などで見ていたが、その疑似体験をするのは初めてのことだった。
といっても、あくまで観客としてだったが・・・。
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):バス旅行はヘッセン州WesterwaldヴェスターヴァルトのHaigerハイガー地区で行われた。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 観光バス
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1976年10月23日(土)は休日、家族そろって、朝早くから気持ちもうきうきとしていた。
150kmのバスの旅も、日頃は自分で車を運転する小旅行とは違い、とても気軽なものである。
Westerwaldヴェスターヴァルトの森、この一帯には古城や古城ホテルも多く、一寸した1泊旅行には最適な地方だ。
写真はWesterwaldヴェスターヴァルトの森・・・ドイツ中央の山地にある。 -
Haigerハイガーはヘッセン州Giessenギーセン行政管区のLahn-Dill-Kreisラーン・ディル郡北部の19千人の小都市で、北約 17 kmに大きな都市Siegenジーゲンがある。ハイガーバッハ川、アウバッハ川、ディル川の3本の川の谷が交わる場所に発展した町は交通の便が良く、ケルンからライプツィヒに至る交易路(ブラバント街道)にも近かった。
写真はHaiger_De_Merian_Hassiae、1655年に出版されたマテウス・メーリアンの銅版画に描かれたハイガー -
ハイガーはヴェスターヴァルト(Rheinische Schiefergebirgeライン・スレート(板岩)山地)の東端、すなわちRothaargebirgeロタール山地の南の支脈(Kalteicheカルトアイヒェ)沿いに位置する。Hessenヘッセン州、 Nordrhein-Westfalenノルトライン・ヴェストファーレン州、Rheinland-Pfalz ラインラント・プファルツ州の三州境界の北東約 9 km にある。
写真はim Westerwald ヴェスターヴァルト、1958頃の山村の風景 -
≪英国貴族が好んで行う狩猟=Fox_hunting (ドイツ語Fuchsjagd)キツネ狩りとは?≫
16世紀頃のイギリスで、森林の減少によりそれまでの狩猟対象としていたシカが減少したため、キツネを対象とした狩猟つまりキツネ狩りが考えだされた。
最終的にキツネは猟犬に殺される。殺されたキツネは猟犬に食べられるが、尻尾や足を切り落として景品にする場合もあった。
伝統的にアカギツネを標的とし、猟犬として訓練されたイングリッシュ・フォックスハウンドや馬を用いて英国貴族が好んで行う狩猟で、派手な狩猟服を着た騎馬の集団でキツネを追跡し、殺すスポーツハンティングである。
キツネ狩りは一般の猟とは違い銃でキツネを撃ったりはせず、田園地帯を馬に乗って夢中でキツネを追い回すことを楽しむ。
キツネ狩りのシーズンは11月の第1月曜日からと決まっていた。特にイギリス中部の田園地帯で盛んだった。
キツネ狩りは娯楽であると同時に、有益な軍事訓練であると見なされていた。軍務に就いている者はキツネ狩りのシーズンに休暇を与えられた。
また、ジェントルマンにとっては数少ない運動とスリルが味わえる場であり、舞踏会や食事会などの余興を伴った社交の場でもあった。
故に、本格的なキツネ狩りは非常に金のかかる娯楽だった。
現在ではむしろ馬や犬を訓練するのが一義的となってきた。
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写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):「Reitschuljagd乗馬学校の狩猟」Angelo Jankアンゲロ・ヤング作(1910年)の絵にはその様子が見られる。猟犬ビーグルたちも一斉に走り出すと、騎馬が走る。 -
イチオシ
いわゆる「Jagd狩猟」では、狩りはスポーツとして実践され、Reiter 騎手、Pferd馬や、常に先を走るHund犬も獲物はない。このスポーツは勇気、スピード、忍耐を養うものだ。
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):バス旅行はヘッセン州WesterwaldヴェスターヴァルトのHaigerハイガー地区で行われた。 -
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):「Hubertus-Jagdフベルトゥスの狩り(ラテン語)=Hubert-Jagdフーベルトの狩り(ドイツ語)」のJagdherr狩猟責任者が1961年、ケルン近郊のSchloss Auelアウエル城(D-53797 Wahlscheid 、Haus Auel 1:何度か泊まった事がある古城ホテルだが、現在は27ホールのゴルフ場も経営するSchloss Auel Boutique Hotelの名に変わっていた)で狩猟ルールを説明している写真が残っている。
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写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):Jagdhornblaeser 猟用ホルンの吹奏者たちが一斉に音を奏でると乗馬狩りの始まりになる。
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騎馬の参加者や猟犬たちもが参集始めた。Jagdherr狩猟責任者が狩猟ルールを説明しているようだ。見守る観客も興味津々だ。
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):バス旅行はヘッセン州WesterwaldのHaigerハイガー地区で行われた。 -
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):騎馬や猟犬たちも参集し、狩猟責任者が狩猟ルールを説明している。
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イチオシ
Jagdhornblaeser 猟用ホルンの吹奏者たちが一斉に音を奏でると、この日の「Reitjagtライトヤーグト」乗馬狩りの始まりになる。
狩りの先導者の馬が(狐・・・この場合はキツネの匂いをかがせた衣類、帽子を犬たちの獲物とするのだろう)匂いを身に着けて走り出す。それを猟犬(主にBeagleビーグル:その優れた嗅覚を生かして獲物を追う猟犬である。獲物を追い詰めて仕留める格闘犬としてもしばしば用いられるが、その多くは「追い鳴き」という習性を持ち、獲物を追いながら鳴き続け、ハンターを導きながら他の犬と共同で獲物を追い詰める)が追う。
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):ロバさん一家も参加、狐を追う先頭馬が疾駆する。 -
猟犬ビーグルたちが一斉に走り出すと、その後を追う先頭馬が疾駆し始める。騎馬集団が列となってそれを追って走り出す。
行程の先には様々な障害物がある。木材、柵が先を阻み、小川や濠を飛び越え、時には馬が立ち停まってしまう、人が落馬する事もよくあるのかもしれない。
皆が走る、走る。
段々と障害物を乗り越えて馬が近づく。白馬に乗った赤い乗馬服の騎手も格好良く駆け抜けていく。これがキツネ狩りのイメージだ。
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):段々と障害物を乗り越えて馬が近づく。白馬に乗った赤い乗馬服の騎手。 -
スピードはいまいちながら、ロバさんに乗った一家も元気よく走り、緑の制服の警官部隊も乗馬姿も格好が良いし、よく訓練されているようで見事な乗馬で走る。
見物している娘たちもだんだん飽きてきて、お疲れの様子だ。
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):ロバさんに乗った一家、緑の制服の警官部隊、
娘たちもだんだん飽きてきて、お疲れの様子だ。 -
お腹が空いた頃、招待客などが大テントの中に招かれて、豆とソーセージのスープも出た軽食を頂いた。
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):警官部隊が行き、大テントの中で空腹を満たす軽食、最後の大きな焚火。 -
狩りを終えた乗馬姿の騎手が徐々に戻って来た。
参加者全員がそろった所で、夕闇も迫る中、大きな焚火が焚かれ、セレモニーが行われた。
見物人たちはセレモニー後、大きな焚火の炎を見ながら散会した。
帰りのバスは皆さんお疲れで、バスの揺れと共にひと眠りとなった。
写真はReitjagtライトヤーグト(乗馬して狩りを行う:いわゆるキツネ狩り):狩りを終えた乗馬姿の騎手、セレモニー、見物人も散会した。
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さて、以下に参考としていくつか付記した。 -
≪聖フベルトゥス(ラテン語)=聖フーベルト(ドイツ語)の祝日とフベルトゥスの狩り=フーベルトの狩り≫
「Hubertus-Jagdフベルトゥスの狩り(ラテン語)=Hubert-Jagdフーベルトの狩り(ドイツ語)」の狩猟責任者が1961年、ケルン近郊のSchloss Auelアウエル城(D-53797 Wahlscheid 、Haus Auel 1:何度か泊まった事がある古城ホテルだが、現在は27ホールのゴル場も経営するSchloss Auel Boutique Hotelの名に変わっていた)で狩猟ルールを説明している写真が残っている。
伝統的にHubertustag聖フベルトゥス=聖フーベルトの祝日(11月3日)に狩猟が開催される。
以下のyoutubeは<フランケン地方の「狩猟」の様子>を見られる。
Frankenmeute fuer die Jagd::Sport mit Hund und Pferd |
Zwischen Spessart und Karwendel | Doku | BR
https://www.youtube.com/watch?v=E8IEhXIZUqo
また、聖フベルトゥス(ラテン語)=聖フーベルト(ドイツ語)については、以前番外編で書いた。 https://4travel.jp/travelogue/10912937
≪アルデンヌ地方:実在した狩人の守護聖人St. Hubert聖ユベール(=聖フーベルト)≫
St. Hubert聖ユベールはオランダのMaastrichtマーストリヒトと、ベルギーのLiegeリエージュの司教で、後に聖人(655ころ‐727年)に列せられた。
狩人、山林官などの守護聖人でもある。
伝説によれば、世俗の貴族であったが、復活祭の日に狩りに行ったところ、一頭の鹿の角の間にキリストの十字架を幻視し、改心したと云う。
今では毎年11月3日(743年11月3日、聖人に列せられた日)を聖ユベール=聖フーベルトの祝日としている。
尚、St.Hubertus聖フベルトゥスはラテン語読みで、ドイツ語・オランダ語でフーベルト(Hubert)、フランス語でユベール(Hubert)、英語ではヒューバート (Hubert)と、其々異なった呼び方をするので、聖ユベールの伝説が聖フベルトゥスの伝説と一致せず、理解に戸惑った。
ここベルギー・アルデンヌ地方ではフランス語のユベール(Hubert)を使った。
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写真はアルデンヌ地方:実在した狩人の守護聖人St. Hubert聖ユベール(=聖フーベルトが狩りの最中にキリストの十字架を幻視した様子。 -
≪Brauhaus Fuchsjagdキツネ狩りビール醸造所≫
実はこの店は知らなかったのだが、デュッセルドルフの南Ellerエラー地区にある。最初に住んだBilkビルクの場所からも近かったようだ。
それでご紹介した。
<Brauhaus Fuchsjagdキツネ狩りビール醸造所>
D-40229 Duesseldorf 、Gumbertstrasse 181
http://brauhaus-fuchsjagd.de
ここのアルトビールの銘柄の一つ、「Fuchsjagdキツネ狩り」があるらしい。
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写真はBrauhaus-Fuchsjagdキツネ狩りビール醸造所のレストラン -
番外編で書いた「安くて好ましいドイツのWesterwaldヴェスターヴァルトの焼き物(陶器)」がキツネ狩りのビール瓶の横にあるのが見えて嬉しい。
写真はBrauhaus Fuchsjagdキツネ狩りビール醸造所のレストラン:キツネ狩りのビール -
写真はBrauhaus-Fuchsjagdキツネ狩りビール醸造所のレストラン:オーナーらしき人物と店内にある自慢のキツネの絵
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写真はコッラディーノ王の鷹匠狩りの様子。
*Konradin von Hohenstaufen bei der Beizjagd鷹匠狩り (Miniatur im* Codex Manesse, um 1305~1340年)
*コッラディーノ(Corradino, 1252年~1268年)は、ホーエンシュタウフェン朝のシチリア王、エルサレム王(在位:1254年~1268年)。
コンラディン(コンラーディン・コンラート)とも呼ばれる。
<Kodex(Codexコデックス)写本>
Codex Manesseマネッセ写本は、中世盛期におけるドイツの代表的な140人の宮廷詩人(ミンネゼンガー)の詩歌(恋愛歌曲)を収録したコデックス彩飾写本。
最も総合的に収集された中世の詩集として、また各宮廷詩人を描いた美しい挿絵(細密画)で知られている。大ハイデルベルク歌謡写本とも。
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≪Fuchsjagdliedキツネ狩りの歌:Was kommt dort von der Hoeh!≫
(Wiki&世界の民謡・童謡 ホーム)
ドイツ民謡/ブラームス『大学祝典序曲』でおなじみのメロディ
http://www.worldfolksong.com/songbook/germany/was-kommt-dort.html
『Was kommt dort von der Hoeh!』(そこの丘から何が来た)は、ドイツの学生歌として古くから歌われてきたドイツ民謡である。
『Fuchslied』(狐の歌)といった副題や、「Jagdlied狩りの歌」、「Fuchsjagdlied狐狩りの歌」、「Fuchsrittlied狐乗りの歌」などの表記も見られる。
同曲は19世紀ドイツの作曲家Johannes Brahms ヨハネス・ブラームス(1833~1897年)の代表曲『Akademische Festouvertuere大学祝典序曲(1880年)』の中で引用されたことでも知られている。
特にこの曲のト長調による第2主題が「大学受験講座」のオープニングテーマ曲に使われたため、日本ではその部分がとりわけ有名になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=2CG-y8FTa8E
https://h-chateau.com/daishuku_gakuseika/
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写真はこんな可愛らしいキツネ!だが・・・。
(2021年2月28日Wiki参照、訳・編集・追記)
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