1976/02/27 - 1976/04/02
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jijidarumaさん
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≪セピア色の思い出:ドイツで家内は古いソファーと椅子の布地を改装した。≫
<家内の回想>
1974年7月12日、6ヶ月ぶりになる主人が待つドイツのDuesseldorfデュッセルドルフに4歳と2歳の娘たちを連れて赴任した。
(当時の新人駐在員はその適性を見る、語学研修を受ける為、赴任から6ヶ月間は家族の呼び寄せが出来なかった)
写真は1976.02.27.家具の修理前(右上)、04.02.修理後(左上)、7月頃の居間(暖炉の反対側)と子供部屋の寝室。
-
当時、会社関係の日独の御客や私的な友人関係の来客も多く、
前住民だった某化学のO氏から引き取った家具は年代物で、
特に来客を招いた暖炉のある居間(二十数畳と広く、天井も高い)
に置いた古いソファーや肘掛け椅子が今一つで、部屋の雰囲気を
暗くしていた。ずっと気になっていたが、多忙に過ぎていた。
写真は1976年2月、ひなの節句(雛祭り)には暖炉のある居間に御殿風・お雛様を飾った。古い家具に座って嬉しそうな娘たち。 -
イチオシ
(駐在員は家族来訪に備え、住宅探しをする。主に日本人倶楽部に
掲示された個人の住居引継ぎ依頼書を見て、適宜決めていく事が多い。
私の場合は駐在期間も長くなりそうだったので、あまり日本人
が住んでいない地域で、家賃も会社から支給される住宅手当よりも
やや低めのあたりの住居を選んだ。日本人の多いオーバーカッセル
地域は総じて高いものだった)
1976年の春になって、そうした思いもあったから、ソファー(長椅子)
や肘掛け椅子などの寸法を測り、それらのカバー(布地)貼り替えを決意した。
写真は1976年2月27日古い家具、4月2日の布張り完了後 -
近くの布地を売る店に赴き、カーテン地を買い求めた。
ドイツ語の家庭教師(当時、Herr Rufルーフ氏はデュッセルドルフ大学
の学生(ニュルンベルクの近郊の町出身、現在はNZ在住)で、大変
親切な方でした)にアドバイスを頂き、家具用の釘や留め金なども
用意して頂きました。
布地をソファー(長椅子)や肘掛け椅子に合わせて裁断して、改装に
取りかかったのです。作業を始めてみると、意外に順調に進みました。
写真は1976年4月2日、暖炉の居間で改装されたソファーと肘掛け椅子に嬉し気に座る娘たち。
(右上は居間から出たテラスに仲良く立っている娘たち) -
ある日、階下のお世話になっていたFrau Reckertレッカート夫人が
やってきて、音がするけど、「何をしているの」と聞かれた。
居間で作業中の様子を説明すると、彼女が「私もやってみたい!」と。
彼女は肘掛け椅子を手がけましたが、上手く布の引っ張りが出来ず、
偏ってしまい、失敗してしまいました。
レッカート夫人は同年輩の方で、ドイツの家庭婦人らしく、きれい好き、
日々の家事に手を抜かない方でしたが、さすがにこれにはギブアップ
しました。
彼女から「こんな仕事を以前していたの?」と聞かれましたが、
私にしても、初めての試みだったのです。
4月にカバー(布地)貼り替えが完了し、少々派手ではあるものの、
居間が明るくなり、まずまずの成果に満足を感じたものです。
・・・・・
写真は1976.02.27.家具の修理前(右上)、04.02.後(左上)、7月頃の居間(暖炉の反対側)と子供部屋の寝室。 -
写真は1975.07.06.ベンラート城で、
07.22.プラネーテンの住居2階から眺めた良く手入れされた裏手の庭(レッカート家:サクランボやリンゴの木もある。右上)お隣の庭も。 -
このドイツでの珍しい体験もあって、日本に帰国後、我が家の
食卓椅子6脚も張り替えました。
(先年、さすがに古くなった椅子だけは全て購入しました)
写真は2006年5月7日、21年ぶりとなるデュッセルドルフ市内のかつての住居プラネーテン通り34番地(上2枚)・3階建ての2階と、娘たちが通ったボニファチウス幼稚園(下2枚)を再訪してみた。 -
写真は1976.02.27.椅子のカバー貼り替え前:暖炉のある居間(好奇心はありましたが、面倒だとドイツ人の同僚にも聞いていたので、4年数ヶ月の間、一度も使用しませんでした・・・)にはTV、飾り家具、羽子板、 カバー貼り替え前の椅子が置かれていた。
-
写真は1976.04.02.暖炉の反対側:ソファーと肘掛け椅子のカバー貼り替え後
-
写真は1976.04.2.布張り完了後の肘掛け椅子
-
それからも、長女一家の海外赴任に伴う引っ越しで、不要となった
食卓椅子4脚をもらい受け、これも古いカーテン生地を裁断し、
2010年5月25日、同じように張り替えました。
言わば、再生工場と言って良いでしょう。
写真は2010年5月25日:椅子の座る部分のカバー改装(改装前)・・・背もたれの部分は素人には直すのは無理で、座る部分だけになりました。 -
写真は2010年5月25日:椅子の座る部分のカバー改装の完成(改装後)
・・・通常の居間は6客用の椅子がありますが、孫たちが来訪すると
足りませんから、こんな椅子も重宝するのです。
・・・・・・・・・・・・
(2021年2月10日編集・追記)
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この旅行記へのコメント (10)
-
- 駐妻。さん 2021/09/10 15:12:30
- 網を張りました。
- こんにちは~ jijidarumaさん、昨夜はありがとうございました。
この間キルシュトルテの旅行記を見ていて、
私もこのケーキが好きだったのでコメントしようと思っていたのですが、
一度閉じたら旅行記が見付からなくなってしまいました…
今日は、自分が生まれた年の旅行記を覗いてみたら、素敵な椅子のお話でしたね、
とてもほっこりしました。
私も住居などは前任者からそのまま引き継ぎましたが、
歴代日本人だったせいか、ドイツっぽいインテリアはありませんでした。
椅子はどんな生地だったかな~…
jijidarumaさんが住まれていた住居、網戸はありましたか?
私、ドラッグストアで網戸キット(網、両面テープ入り)を購入して、腰高窓だけ自分で網張りました!
色々思い出しながら旅行記を見ています☆
- jijidarumaさん からの返信 2021/09/10 23:50:33
- Re: 網を張りました。
- デス妻。さん 、
今晩は。コメントありがとうございました。
「セピア色の思い出」シリーズをお読みいただきありがとうございました。
もう何十年も昔の話ばかりで、今在独中の方には古すぎたものでしょう。
「網戸」を張られたとのこと、少々驚きました。頑張りましたね!
他国に住む苦労は時代が変わっても、似たような事があるのだと思ったものです。日本人が歴代住んでしまうと、どうしても短期的な住みかと云う事で、とかく「マー、いいか」ですませてしまいがちですけど。
私の場合は、1974年に初めて住んだ家は網戸はありませんでしたし、幸いその必要性も無かったようです。
(時代は変わって、長女夫婦が台北駐在中、あちらで孫娘二人を出産し、その度に予定日に合わせて私共で手伝いに行きました。私共のドイツ時代よりきれいな住居に住んでいましたが、網戸があり、台北は大気汚染もあってか、埃で汚れていたので、到着早々、気になって大掃除をする羽目になりました。(^^)
さて、見付からなくなった旅行記は2021/03/19投稿の≪大好きな黒い森のシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ( さくらんぼケーキ)≫と思います。
https://4travel.jp/travelogue/11682325
それではまた。
ありがとうございました。
jijidaruma
-
- ちゃたろうさん 2021/02/22 14:36:02
- 驚きました!
- jijidarumaさん
こんにちは。椅子やソファの張替え、外注しないと無理なものと思っていました。
技術的にも、それから力も要りそうで諦めてしまいますよね。jijidarumaさんご夫婦とも
なんて器用なのだろうと感心しています^^
ストライプの椅子カバーもセンスの良い柄で、とても上手に仕上がっていますね!
こうして物を大事にして自分の力で工夫して修繕したり、模様替えするのは素敵なことだなと思いました。
それからjijidarumaさんのドイツ駐在生活を読むと、家族仲良く丁寧に暮らされているのが伝わり、とても温かい気持ちになります。もちろん駐在中はお忙しかったりご苦労は
おありだったでしょうが、過去の記事でもどこかゆったりとしたものを感じました。
ドイツ駐在生活でのお話、とても楽しいです。
- jijidarumaさん からの返信 2021/02/22 17:52:44
- Re: 驚きました!
- ちゃたろうさん、
今晩は。いつもありがとおうございます。
そちらは此処にやや早くコメントして頂いたようですね。
私は8分遅れで、そちらの掲示板に書いたばかりでした。
たまにはこうした「以心伝心」の感じも悪くないですね。
さて、≪椅子やソファの張替え≫は、私は完全な傍観者でした。
すべて家内のアイデアと実行です。私は不器用で、壊す方なのです。
そしてMさんのところで書きましたように、日本からミシンも持参し、
古くなった私のYシャツを娘たちのエプロンとか、スカートに
仕立てる事もしていました。
口コミのhttps://4travel.jp/os_shisetsu_tips/14261014
20210114:≪ローテンブルク:ゲルラッハ鍛冶屋はメルヘンに満ちた、この街の宝石と云われている≫で、娘たちが着ていますよ。
それではまた。
jijidaruma
- jijidarumaさん からの返信 2021/03/01 12:46:36
- RE: Re: 驚きました!:(転記)2月も半ば、早いですね!セピア色の思い出。
- ちゃたろうさん、
今日は。いつもありがとうございます。
2月も半ば、早いですね!
セピア色の思い出(家内は古いソファーと椅子の布地を改装した)に
ついては、時たま古いアルバムから、懐かしい写真を選んでスキャンし、
写真集をためているのですが、その一部にこの写真がありました。
その写真の写しを家内にわたし、感想文を書いてもらったものに、私が
編集・追記したものです。
上のセピア色した写真集は1974年の赴任時から始まります。
主に子供たちの事を中心にしたものですが、もう彼女たちも50代前後、
私共夫婦もいろいろと大変でしたが、娘たちも幼稚園では言葉が
分からぬままに入園し、大変だったはずです。
その頃のことをもう忘れてしまったでしょうが、
本日、第一番目の写真集17頁を送りました。楽しんでくれる事でしょう。
そんな写真集も4Traで御披露できれば、良いなと思っています。
自粛続きも疲れますが、溜まった整理もできて、助かります。
ではまた。
jijidaruma
(2021年02月22日14時44分)
- ちゃたろうさん からの返信 2021/03/01 13:41:09
- Re: 驚きました!
- jijidarumaさん
こんにちは。いつも楽しい旅行記ありがとうございます。
「セピア色の思い出」シリーズは、ドイツでの生活や旅行など楽しく読んでいます。ご家族の皆様もドイツでの生活が慣れるまでは、ご苦労があったと思いますが、ドイツの街やヨーロッパの他の国々を旅したことは素晴らしい経験だったのではと思います。うらやましいです^^
現在は旅行は出来ませんが、皆様の旅行記でいろいろなことを知ることが出来ます。こういうことについては良い時代だなと思っています。
ちゃたろう
-
- sanaboさん 2021/02/22 00:49:04
- 器用なjijidaruma家ですね☆彡
- jijidarumaさん、こんばんは
以前に拝読した旅行記でjijidarumaさんがドイツに赴任された半年後に奥様とお嬢様たちがおいでになったことは知っていましたが、学校の事情か何かでかしらと思っていました。そしたら、当時の会社の方針だったのですね~。
新天地での半年、お一人で新しい生活やお仕事に適応されるためにドイツ語のお勉強にも励まれたことでしょう。半年後にご家族を迎えられた時の歓びはいかばかりだっただろうかと思いを巡らせました。
新しい物好きの日本人と違い、ヨーロッパでは伝統ある家具を家族代々受け継ぎ大切に使用していくのだとは思っていましたが、当然修理には出すものとばかり思っていました。ソファの張替えに果敢に挑戦されたと知り驚きました。見事に作業を終えられた後の達成感はさぞ気持ち良いものだったことでしょう。素晴らしいエピソードに拍手喝采をお送りしたいです^^
感染者数がここのところ、だいぶ落ち着いてきましたね。とはいえ、ワクチン接種にも時間がかかりそうですので、引き続きご自愛の上、お過ごし下さいませ☆
sanabo
- jijidarumaさん からの返信 2021/02/22 12:17:49
- Re: 器用なjijidaruma家ですね☆彡
- sanaboさん、
おはようございます。いつもありがとうございます。
器用なのは家内で、私は全く不器用なのです(苦笑)。
当時の会社方針も、今は緩くなったようです。ただ、新人駐在員の
立場からみても、助かるのですよ。何しろドイツ語が出来ない!
車の免許がない!では、日本での実務能力がOKでも、さすがに
上手くいかないの実情で、慣れるにはそれなりの期間が必要でした。
慣れないうちに家族が来独すると、これもまた大変なのです。
住宅設営、娘たちの幼稚園など、家内もドイツ語はできませんから。
次女は2歳でしたから、空港に迎えに出たら、この人は誰という感じで、
私に慣れるまでこちらも大変でした。
駐在員の適性を見ると云う点も大事で、高い費用を出しているだけに、
派遣・赴任したのに、不適正で帰国では送り出した上司も家族も
大変です。ドイツでも後から家族と駐在した先輩が語学ノイローゼで
帰国となりました。
香港で部下になった優秀な!者も異国での生活適用が出来ず、帰りたい
と申し出た為、日本を巻き込んでごたごたした末に3ヶ月で帰国となり
ました。日本では私が厳しかったからだとか、とんだ濡れ衣を受けた
ものでした。
思えばいろいろありましたね。
自粛続きも疲れますが、溜まった整理もできて、助かります。
ではまた。
jijidaruma
-
- M-koku1さん 2021/02/21 21:12:28
- 駐在員生活 あるある
- jijidarumaさん
椅子の張替お上手ですね!
ヨーロッパの家具は 自らの手を入れることが可能なような造りになっていましたね。
日本に帰ってきたときもそのつもりで椅子を見たら
素人では 全く歯が立たない構造になっていました。
面倒なので 我が家の椅子は 全体をカバーで覆う形になってしまいました。
ストライプの椅子のクッション お洒落で素敵だと思います。
私のまた従姉妹がアメリカに駐在に出る時に 「ミシンは絶対にもっていかないとだめよ」と言っていたのですが、 入居時にまずカーテンの製作から手掛けるからですって。そのあと私がイギリス駐在で出たのですが、10年ぐらいたっていたので 幸いにももう既製のカーテンを購入できる便利な世の中になっていました。
jijidarumaさんのセピア色のお写真を見ていると かつての駐在員家族の大変さが 思い出されてきます。
お互いに 頑張りましたよね。
懐かしいです。
Mより
- jijidarumaさん からの返信 2021/02/22 11:52:13
- Re: 駐在員生活 あるある
- M-koku1さん 、
おはようございます。いつもありがとうございます。
思えばいろいろありましたね。ほんと!お互いに 頑張りました。
だから、家内は≪戦友!≫と言って良いのです。
セピア色の思い出(家内は古いソファーと椅子の布地を改装した)に
ついては、時たま古いアルバムから、懐かしい写真を選んでスキャンし、
写真集をためているのですが、その一部にこの写真がありました。
その写真の写しを家内にわたし、感想文を書いてもらったものに、私が
編集・追記したものです。
家内は工夫や細工に長けていたようで、今でもへーと感心するような
事をやります。ともあれ、一番下の若い駐在員生活は車や住宅設営資金
用の会社の借金返済が最優先で、駐在2年くらいは自分で直せることは
自分たちでやっていましたね。
もっとも家の事は不器用な私は全て家内任せでしたが。
ただ、若いだけに好奇心もあり、欧州各地の観光旅行や、目にする様々な
ものが魅力的でした。
そうそう、ミシンも持参しました。有れば便利で、古くなった私の
Yシャツを娘たちのエプロンとか、スカートに仕立てていました。
それではまた。
jijidaruma
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