1974/02/22 - 1974/02/24
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jijidarumaさん
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≪雪景色のインスブルックとリヒテンシュタインの旅≫
(1974.02.02.〜03.29.Prienゲーテ語学校時代)
1974年2月22日(金)〜24日(日):2泊3日の予定でRepublik Oesterreichオーストリアのチロル州の州都Innsbruckインスブルック、Fuerstentum Liechtensteinリヒテンシュタイン公国の首都Vaduzファドゥーツに出かけた。
写真はファドゥーツ城
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 鉄道
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
ゲーテ語学校(2ヶ月の予定だった)にも徐々に慣れて、Chiemseeキームゼー湖畔にあるPrienプリーンから1時間のミュンヘンやザルツブルクには週末を利用して出かけるようになっていた。
今度は少々長い行程を列車に乗って出かけることにした。某生保の派遣生のO氏と示し合わせての旅だった。
勿論、目的地はドイツ語圏のインスブルック、リヒテンシュタインで、一応今後の勉強に生かすと言う建前の旅である。
写真はゲーテ語学校時代:インスブルックの凱旋門・ファドゥーツのカーニバル・プリーンの下宿(下左右・・・右の2階中央の部屋が私の下宿部屋) -
2月22日(金):小雨
午前中の授業終了後、自動車運転の練習をしてから、プリーンを午後2時23分のミュンヘン行きに乗った。Rosenheimローゼンハイムで一時間半も乗り継ぎ列車を待ち、Kufsteinクフシュタイン経由インスブルック行きの急行に乗った。
途中、ミュンヘンで働いているという土木関係者の小父さんと話す。日本人ということもあって、親切にインスブルックの事などを教えてくれた。
そうしているうちに夕刻の18時26分にインスブルック駅に到着した。
2月22日(金)1泊:
<Hotel Maria Theresia ホテル マリア テレジア >
Maria Theresienstr. 31, Innsbruck 6020, Austria
4星・全102室。室料As230+朝食37+夕食124.5=391.5・・換算DM1=As7.2
中央駅まで約1km。インスブルックのメインストリートにあたるマリア・テレジア通りにある。
1906年開業の歴史あるホテルは凱旋門など市内の主な観光スポットまで徒歩数分の距離にあり、大変便利だった。
ホテルのレストランで夕食を食べた。ワイン1本を二人で空けて、十分満足したのだったが・・・。
写真はマリア・テレジア通りのホテルマリア テレジア通り 散歩・街歩き
-
2月23日(土):朝方は小雪、その後小雨の寒い一日。
朝から大変だった。というのも、昨夜の夕食はレストランで支払い済みだったが、この朝、レセプションでチェックアウトすると、請求書がいやに高い。中身を調べてみると、昨夜の夕食分が加算されていたのだ。
二重取りなので、慌ててクレームする。ホテル側の言い分は夕食代の請求書にサインがされていて、その意味は部屋代と一緒に支払うという意思表示なのだと言う。酔った所為で分からぬままに、不慣れなサインをしてしまったようだ。
ここで引き下がるわけにもいかず、手元のドイツマルクからオーストリア通貨に換算した明細、様々な支払いの領収書、手持ちの所持金などを見せて、夕食代を支払ったことを納得してもらった。
二人で不自由なドイツ語を使っての交渉だったが、ともあれ良い勉強になった。
写真はRail_map_of_Liechtensteinオーストリアからリヒテンシュタイン経由スイス行き鉄道線路図 -
イチオシ
ホテルを出て、午前中いっぱいインスブルックの旧市街観光をしたが、当時、土曜日はお店も閉めてしまうので、寒い日でもあり、博物館にも入る気分になれず、結局、リヒテンシュタインに向向かうことになった。
駅に行くと、丁度良い時刻にFeldkirchフェルトキルヒ経由リヒテンシュタインのSchaanシャーン行きがあり、これに飛び乗る。
途中、ユーゴスラビアからの出稼ぎ労働者と少し話した。
列車は国境の山に向かって走る。急に列車内が寒くなり、途中の景色も積雪で真っ白になっている。スキーをやる人たちも乗下車していく。
Schaanシャーンで下車し、バスでVaduzファドゥーツに向かう。午後6時ごろ、リヒテンシュタイン公国の首都ファドゥーツに着いた。
山間にある人口3万人ほどの小さな公国、税金も軍隊もない国は切手で有名だ。
写真は1974年2月23日(土)雪のファドゥーツ城とホテルの前でファドゥーツ城 城・宮殿
-
2月23日(土)1泊:
<Hotel Schloessleホテル シュレッスル>
Fuerst-Franz-Josef-Strasse 68 、FL 9490 Vaduz 、Fuerstentum Liechtenstein
室料(朝食込み)Sf42.5+夕食39=81.5・・・換算DM1=Sf1.1
調べてみると、この名のホテルはなく、かつての建物はSCHLOESSLE MAHAL
Indisches Restaurantインド料理のレストラン マハルに変わっていた。
写真はかつてのホテル シュレッスル(以前の面影が残る) -
2月24日(日):小雪
首都ファドゥーツからバスでスイスのBuchsブフスに抜け、そこから列車でシャーン=>フェルトキルヒ=>インスブルック=>クフシュタイン=>ローゼンハイムと、来たルートで夕方プリーンに帰った。
写真左はファドゥーツ城:1974年2月23日の私、中央と右の写真は1975年8月14日家族と再訪した時 -
写真はファドゥーツ城と首都の景色
-
2015年7月、シュヴァーベン地方の旅で中世の騎士への憧れから築城された可愛いリヒテンシュタイン城を訪れた。
先ごろ4Travelでも掲載したが、その際リヒテンシュタイン城のことを調べていて、私も初めて知ったのだが、Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城と同じ日本語の発音になるBurg Liechtensteinリヒテンシュタイン城という城があることに気づいた。
こちらはリヒテンシュタイン公国の元首となるFuerstentum Liechtensteinリヒテンシュタイン公爵家と関係がある。
Burg Liechtensteinリヒテンシュタイン城はリヒテンシュタイン家の先祖であるHugo von Petronell-Liechtensteinフーゴ・ペトロネル・リヒテンシュタインが12世紀に居城として築城したもので、ウィーンの南、Niederoesterreichニーダーエステライヒ州のMaria Enzersdorf マリア・エンツェルスドルフに中世のままの姿で立っている。
Burg Liechtensteinリヒテンシュタイン城と称しており、前者はLichであり、後者は Liechで、つまり間に( e )が挟まっている。
意外と気がつかないのだが。
<Burg Liechtensteinリヒテンシュタイン城>
Am Hausberg 2, 2344 Maria Enzersdorf, Austria
https://www.youtube.com/watch?v=LaGhJXCj5BA
Fuerstentum Liechtensteinリヒテンシュタイン公国(公爵あるいは侯爵)家が現在も所有する城なので、公国はオーストリア国内に飛び地を持っていることになる。
リヒテンシュタイン公国はスイスとオーストリアに囲まれた小国だが、ここには1974年、初めてドイツに赴任した年から3度ほど訪れたことがある。
XXX
写真はBurg_Liechtensteinリヒテンシュタイン城
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この旅行記へのコメント (2)
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- sanaboさん 2016/07/16 00:19:12
- "セピア色の思い出"
- jijidarumaさん、こんばんは
まさしく ”セピア色の思い出”ですね^^
とはいえ、とても40年以上も前の旅行記とは思えぬ詳細な記述に驚いております。
列車の時刻からホテル・お食事の代金、様々なエピソードに至るまで・・・
当時から詳細な日記をつけていらっしゃるのでしょうね。
ファドゥーツやフェルトキルヒは、我が家も10年以上前ですが
アッペンツェルやザンクト・ガレンとともに訪れた懐かしい街です。
2014年にSご夫妻と再会された旅行記も心温まる思いで拝見いたしました。
旧交を温める旅も良いものですね。
大きなマロニエの木のある緑豊かなお庭とご立派な邸宅を拝見し、
その恵まれた住環境をとても羨ましく思いました。
ところで、6月に2週間ポルトガルに行ってきました。
いまだに昨年のフランス旅行記を引きずっていますので
早く完結させなくては!(笑)
梅雨明け後の猛暑を思うと今から憂鬱ですが、
jijidarumaさんもくれぐれもご自愛下さいませ。
sanabo
- jijidarumaさん からの返信 2016/07/16 17:07:50
- "セピア色の思い出"
- sanaboさん
こんにちは、コメント・ご投票ありがとうございました。
旅行記が進捗しないなと思っていましたら、2週間ポルトガルにご旅行でしたか!羨ましいですね。
フランスの旅に次ぐポルトガルの旅の掲載も期待しています。
ドイツの旅はいまだ計画に至りません。秋か冬かになりそうですが、
15回目はともあれ、今年中に行きたいと思っています。
身辺相変わらず、何かと忙しくSNSは手抜きしながらやっています。
”セピア色の思い出”の旅はアルバムを息抜きに見ながら、かつての日記も参考に書いています。初めての赴任、ドイツ語学習、全てが新鮮で緊張した毎日でもありましたから、日記も箇条書きながらも詳しく書いていたようです。それでも業務に入ると、疲れてしまいもうこの日で終わりなどと書き、終了しています。
ともあれ、ここに掲載することで、自分史のドイツの旅シリーズが埋まっていくのです。
ブレーメンのSご夫妻訪問も3年ごと、来年は催促されそうです。
夏の高校野球も母校の戦いはあっという間に終わり、残念でした。
その記事が出た翌日、当時の一年下の球友(大学でも後輩、同じ商社マンでした)が亡くなったと、奥様からの手紙で知らされました。
そんなことがあって、かつて寄稿した創部100周年記念誌(2004年刊)を読み返すことになりました。
この球友の死をOB会のメール網に載せると、彼の同期(北海道在住)から私にメールが直接届き、思わぬ交信となりました。
それではまた。お元気にお過ごしください。
jijidaruma>
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