1975/08/09 - 1975/08/19
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jijidarumaさん
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≪39年前に走ったロマンチック街道:
南独、オーストリア、スイス巡り(その1)≫
(1975年8月9日〜8月19日 10泊11日 夏の休暇Urlaub旅行)
毎年、ドイツの春や秋、時にはクリスマス時期にも走る。
ドイツには良くできた観光街道:Ferienstrasseフェーリエンシュトラッセ(休暇街道)が多く、それは歴史のある町々、素晴らしい景観に恵まれた地方などを結んだルートである。
ドイツ政府観光局や自治体が設定したもので、ドイツ国内には総数150ルート以上の大小様々な街道があると云われる。
写真はアウトバーンA45の休憩所で
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
中でもエリカ街道(シュターデ或いはプレーンより、リューベック経由ハノーファーまで)、ゲーテ街道(フランクフルト--->ライプツィヒ)、古城街道(マンハイム--->プラハ)、ロマンチック街道(ヴュルツブルグ--->ホーエンシュヴァンガウ)、ファンタスティック街道(メーアブルグ--->バーデンバーデン)、アルペン街道(リンダウ--->ベルヒステスガーデン)、メルヘン街道(ハーナウ--->ブレーメン)の7街道が有名である。
いずれも、田舎道を走り、名所・旧跡のある小さな町々をつなぐ素晴らしい街道で、ドイツらしい、楽しく、魅力的な旅が出来る。
しかも、これらの街道は“Deutsche Fachwerk Strasseドイツ木組み建築の家街道”とも、重なり合っていて、様々な木組みの家を楽しめる旅でもある。
写真はアウトバーンの休憩所で -
上述の街道はもちろん、走った街道名を書き出すときりがなく続く・・・:
黒い森・シュヴァルツヴァルト山岳街道(黒い森・温泉街道、黒い森・峡谷街道も)、ヴェーザールネサンス街道、
ドイツワイン街道、モーゼルワイン街道、バーデンワイン街道、ヴュルテンベルクワイン街道、ナーエワイン街道、ボックスボイテル街道、ザーレ・ウンシュトルート・ワイン街道、ザクセンワイン街道、
陶磁器街道、テューリンゲン陶磁器街道、ガラス街道、ドイツ宝石街道、
シシー(オーストリア皇妃エリザベート・愛称Sisi)街道、皇帝と皇妃の街道、ホーエンツォレルン街道、ニーベルンゲン・ジークフリート街道、ドイツ・リーメス(ローマ軍団の防御線)街道、巡礼街道、ラーン休暇街道、バーデンシュパーゲル(アスパラ)街道、シュヴェービッシュ・アルプ街道などがある。
日本人観光客に最も人気の高いロマンチック街道はとりわけ懐かしく、何度走っても楽しいものである。
写真はロマンチック街道のマップ -
ドイツで生まれて初めての自動車免許(1974年12月)を取り、第一回目の駐在中にヨーロッパをオペル車で凡そ4年半の間、10万kmを走りました。
XXX
余談になりますが、この翌年の1月に購入した車は新車のOpel Rekord L 2000CC Automatik (当時の価格はDM13,600@1DM=100円)でした。
この車は当時のヨーロッパ市場では良く売れていた大衆車でした。会社の先輩連中は皆メルセデスやアウデイの中古を買っていました。私はどうせ駐在も長くなりそうだし、車音痴には手ごろな価格の新車がベストと思ったものです。
この車は私ども家族にとってはドイツ生活を一変させるものでした。通勤はもちろん、買物、週末の遠出、夏の休暇旅行と・・・こんなに車のある生活が楽しいものなのか!!と当時はよく思ったものです。
この車は大きなトラブルもなく、良く走りました。
駐在を終えて帰国する2ヶ月前、Duesseldorf市内の信号で停まっているときに、前方不注意のアウデイに追突されて、オシャカ(後部の車輪が車体に食い込んで動かなくなり、全損事故になりました)になりましたが・・・。
XXX
写真はDuesseldorfの旧市街の対岸・ライン川畔でオペル車と -
≪39年前に走ったロマンチック街道:南独、オーストリア、スイス巡り≫
(1975年8月9日〜8月19日 10泊11日 夏の休暇Urlaub旅行)
さて、駐在二年目に入ると、車にも少し自信が出てきて、夏の休暇は初めて大きな旅行をしました。
当時、私共は31歳、娘たちは5歳と3歳でした。
赴任して、家族を連れて最初に行きたかったのはロマンチック街道であり、更に東に走りバイエルンの州都ミュンヘン、私が学んだゲーテ・ドイツ語学校のあったキームゼー湖畔のプリーンでした。その後、オーストリアに入りザルツブルク、チロルのインスブルックを訪ね、いったんドイツの新白鳥城を見て、リヒテンシュタイン公国、スイスのチューリッヒ、ルツェルン、人気の高い山ユングフラウヨッホに登山列車で登り、氷河を見て、首都ベルン等の地を巡った盛りだくさんの旅でした。
ロマンチック街道は、その後も何度か訪れ、昔を思い出しながら、各町を訪れたのです。
写真はヴュルツブルクのアルテ・マイン橋から大要塞を望んで -
以下は39年前の当時の旅を出来るだけ思い出し、再現したものです。
写真はアルバムから古いものを撮し、時にはHPなどから借用しました。
宿泊先;今の旅は古城ホテルを第一に捜しますが、古城ホテル好きからすると、不思議なほどに39年前の旅は普通のホテルばかりです。
8月09日(土)Rothenburg ;Hotel Gasthof Goldenes
8月10日(日)Muenchen ;Hotel Reinhold
8月11日(月)Prien ;Pension Kampenwand
8月12日(火)Innsbruck ;Hotel Grauer Baer
8月13日(水)Fuessen ;Hotel Hirsch
8月14日(木)Maienfeld ;Victor's Bed & Breakfast
8月15日(金)Brunnen ;Hotel Eden au Lac
8月16日(土)Grindelwald ;Hotel Eiger
8月17日(日)Bern ;Hotel Metropole
8月18日(月)Mannheim ;Hotel Basler Hof
8月19日(火)Duesseldorf の自宅に帰る。
但し、8月24日(日)まで休暇期間は認められていたが、仕事が気になってしまい、お土産を持って20日には出社した。
写真はヴュルツブルクのマリエンベルク大要塞の城門 -
①8月09日(土)快晴 ;470km
Duesseldorfデュッセルドルフを朝6時50分に出発した。
普段走るラインの右側にあるA3を使わず、Sauerlandザワーラントの山中を貫く道・A45アウトバーンを利用して、Hagenハーゲン経由し、Frankfurt を迂回し、HanauハーナウあたりからA3に入り、Wuerzburgヴュルツブルクに向かう。この道は比較的車も少なく、渋滞も無く、気持ち良く進んだ。
天候にも恵まれて、絶好の休暇日和になった。(350km)
写真はローテンブルクの遠望 -
ヴュルツブルク観光(11時半に到着、14時半まで観光):
レジデンス(バロックの宮殿)、大聖堂、ノイミュンスター教会、アルテ・マイン橋、マリエンベルクの大要塞など。大要塞から見た町は深い緑、白壁に赤レンガの屋根、この美しい景観に感動した。人口130千人。
Die Romantische Strasseロマンチック街道(〜ローテンブルクまで凡そ120km):
Wuerzburgヴュルツブルク=>B8・B290 Bad Mergentheimバート・メルゲントハイム=>B19 Weikelsheimヴァカースハイム;ホーエンローエ家の居城ヴァイカースハイム城=>Creglingenクレクリンゲン=>Detwangデトヴァンク=>Rothenburg ob der Tauberローテンブルク・オプ・デア・タウバー。
街道上の町でじっくり見たのはヴュルツブルクとヴァイカースハイム城。
それでもローテンブルクには夕暮れ時に到着となった。ローテンブルク観光は翌日にお預け。人口12千人。
写真は1975.08.10.ローテンブルクの旧市街の娘たち -
ロマンチック街道・・・今は日本語で書かれた標識も見られるほどになっておりますが、当時の街道沿いはのんびりした田園風景が続き、今は南北に走る便利になり過ぎたアウトバーンも無かったと思います。
写真を見てみると、8月の観光シーズンながら、日本人観光客も見かけませんでしたし、ドイツ人も少なかったですね。
Rothenburg泊 ;Hotel Gasthof Goldenes
写真は1975.08.10.ローテンブルク:左下に鍛冶屋・城壁散歩 -
②8月10日(日)快晴 ;215km
ローテンブルク観光:
まぶしいほどの朝日を浴びて、Spitalbasteiシュピタール稜堡から見学はスタート。
Burgtor城塞門を抜け、帝国城塞庭園(Burggarten)に入ると、美しいお花畑があった。聖ヤコブ教会、Ploenleinプレーンライン(意味はラテン語で小さな場所)には夏場とあって、窓に飾られた花々が、街並みを美しく見せている。奇妙な屋根をした青年の家(YH)。Kobolzellertorコボルツェラー門から市城壁の外に出て、ちょっぴり散策をした。
観光ポイントの市庁舎、市議宴会館の仕掛け時計(1910年)は見逃せない。
最後はRoedertorレーダー門近くのかつての鍛冶屋(Gerlachschmiede今は小粋なレストラン)の傍から、市城壁の狭い回廊に登り、短い距離を歩いた。
中世そのままのローテンブルクはいまだに魅力的です。
今もプレーンラインは最も好まれるアングルなので、訪ねる度に同じような光景を撮っています。
写真は1975.08.10.ローテンブルク:町一番のプレーンライン -
ローテンブルク=>B25 Dinkelsbuehlディンケルスビュール;聖ゲオルク教会、旧市街を囲む市壁、旧市街・Weinmarkt =>B25 Noerdlingenネルトリンゲン;中世そのままの町。=>Harburgハールブルク;ハールブルク城(ヴェルニッツ川を臨む丘の上、海抜480mに立つハールブルク城は難攻不落の城として知られる名城である。18世紀以来、Oettingen-Wallersteinエッティンゲン・ヴァラーシュタイン侯爵家の居城の一つになった。)=>B25 Donauwoerthドナウヴェルト、ドナウ川を越えるとのどかな田園風景が続く。=>B2 Augsburgアウクスブルク;ローマ人により建設された帝国都市。市庁舎、Dom大聖堂、赤い門、世界最古の福祉施設Fuggereiフッゲライ、アウグストウスの噴水、マクシミリアン通り、ヘラクレスの噴水=>A8 Muenchenミュンヘン
Muenchen泊 ;Hotel Reinhold
写真は1975.08.10.ロマンチック街道・Dinkelsbuehlの郊外で昼食 -
③8月11日(月)晴れ ;100km
ミュンヘン観光:
平和の天使像、新市庁舎・85mの塔と展望台に登る・11時の仕掛け時計、フラウエン教会・ペーター教会、朝市と5月柱。広い英国庭園でメリーゴーランドに乗り、焼きソーセージや大ジョッキのビールを楽しんだ。ドイツ博物館は休館でがっかり。レジデンス、国立劇場等をよく歩いた。人口130万人。
写真は1975.08.11.Muenchen:英国庭園・5月柱 -
Muenchenミュンヘン=>A8 Prienプリーン
この旅で是非訪れたかったプリーンにはゲーテ・ドイツ語学校で2ヶ月間のドイツ語学習を受講する為にやってきたのです。ゲーテ・インスティテュート(ドイツ語学校)は寒い2月(1974年)でしたから、観光のオフシーズンであり、周辺は静かなものでした。
学校は金曜日の午後から週末にかけて休みになるので、電車で1時間と近いミュンヘンやザルツブルクには日帰りで、ウィーン、インスブルックなどにも1泊しながら電車を利用して行きました。
だから、プリーン・キームゼーの景観を楽しんだのは1年半経ってからでした。
写真は1975.08.11.Muenchen:英国庭園でソーセージとビール -
Prien泊 ;Pension Kampenwandペンション カンペンバンド
9室
Familie Anton Bruckner
D-83112 Frasdorf ・Simsseestrasse 18
観光シーズンのプリーン(人口10千人)の町中ではホテルが取れず、離れた場所に移動しながら、ホテルを探し、結局、新しいペンションを漸く見つけて泊った。フラスドロフはプリーンから南に10kmの小村であり、A8のアウトバーンを越えた山中にあった。
ペンション カンペンバンドの名はAschauアッシャウ近くの1669mのKampenwandカンペンバンドから取ったようだ。
http://www.pension-kampenwand.de/
ホテルを予約せずに旅に出るのは、気分でその時良いと思うホテルに泊まることができますが、時には観光シーズンや、見本市や各種の催しで、行くホテル行くホテルで断わられるのは困ります。家内がホテルを探す担当でしたから、私と娘たちは車で待機し、家内は大いに嫌がったものです。
写真はミュンヘンの市庁舎前で -
④8月12日(火)小雨後曇り ;215km
Chiemseeキームゼー観光:
朝から小雨模様で、肌寒し。娘たちはレインコートを着て、船に乗る。Herreninsel男島にあるヘレンキームゼー宮殿(バイエルン国王ルートヴィヒ2世の建てた三番目の宮殿・未完の部分が残る。)を見た。
フランス太陽王ルイ14世に心酔していたルートヴィヒ2世が建てた宮殿だが、鏡の大広間・ヴェルサイユ宮殿よりも22mも長く立派な様子に圧倒された。
Latonabrunnenラトナ(太陽神Apolloと月の女神Dianaの母)の噴水がある。亀やカエル、海神と思われる像がラトナ神を二重三重に囲み、それらの口から水を噴き上げている。
森の中を往きは徒歩20分を歩き、帰途は娘たちが喜んだ観光馬車に乗った
写真は1975.08.12.Chiemsee:ヘレンキームゼー宮殿・鏡の大広間 -
写真はキームゼー湖のマップ
中央左にキームゼー湖とプリーン、中央にフラスドロフ -
写真は1975.08.11.Chiemsee:夏景色とカンペンバンド山
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写真は1974.02.02.〜03.29.Prienゲーテ語学校時代:プリーン駅
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写真は1974.02.02.〜03.29.Prienゲーテ語学校時代:到着した日に泊まったホテル・ワグナー、キームゼー
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写真は1974.02.02.〜03.29.Prienゲーテ語学校時代:プリーンの景観
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写真は1974.02.02.〜03.29.Prienゲーテ語学校時代:下宿の家
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写真は1974.02.02.〜03.29.Prienゲーテ語学校時代:下宿の小母さんと自動車学校の先生
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写真は1974.02.02.〜03.29.Prienゲーテ語学校時代:旧ユーゴスラビアのお医者さん(大学に留学希望)、インドネシア人のコック志望、観光に来たイギリス人、留学志望の日本人など様々でした。
-
Prienプリーン=>A8 Salzburgザルツブルク
午後にはドイツ・オーストリアの国境を越え、Salzburgザルツブルクに入る。
ザルツブルク観光(人口145千人):
オペラ魔笛・パパゲーノの噴水、ゲトライドガッセ、モーツアルト生家、ミラベル宮殿・庭園、モーツアルトの銅像、ケーブルカーでHohensalzburgホーエンザルツブルク城へ。
写真は1975.08.12.Salzburgザルツブルク・魔笛パパゲーノの泉の前で -
ザルツブルク=>A8・93 Kufsteinクーフシュタイン・・・バイエルンとオーストリア・チロルの国境にある町=>A93・A12 パプスブルク家・皇帝マクシミリアン1世お気に入りの帝都、現在はチロル州の州都Innsbruckインスブルックに向かう。
Innsbruck泊 ;Hotel Grauer Baerホテル グラウアー ベアー
4星・196室
A-6020 Innsbruck・ Tirol-Oesterreich 、Universitaetsstrasse5-7
ホテル グラウアー ベアーはインスブルック市の中心部、大学通りにある120年以上もの歴史を有するホテル。歴史的旧市街の有名な記念碑“黄金の小屋根”からわずか150メートルに位置する。行程中、一番のホテルでした。
http://grauer-bar-innsbruck.hotel-rn.com/
写真は1975.08.13.Innsbruck・Schloss Ambrasアンブラス城 -
⑤8月13日(水)晴れ ;105km ここまで1,105km
インスブルック観光(128千人):
Hofburg王宮、大聖堂、チロル民芸博物館、旧市街、マリア・テレジア通り、凱旋門、噂に聞いた見事な黄金の小屋根、イン川散策。郊外にあるSchloss Ambrasアンブラス城。
マクシミリアン1世お気に入りの帝都だけあって、インスブルックは美しい町でした。町にチロルの山が迫っていたのを思い出します。
天気も良く、山の高い辺りまで家屋が建っているのが見えました。
プリーンのゲーテ・インスティテュート時代に、仲間とインスブルックを一度訪ねていますが、レストラン代を食後に支払ったにも拘らず、チェックアウトの際に再度請求され、ヘタなドイツ語でなんとかホテルを納得させたことを思い出します。
写真は1975.08.13.Innsbruck・GoldenesDachl黄金の小屋根 -
インスブルック=>A12・B179 イン川が流れる平野からFernpassフェルンパス(峠1209m)の長い坂を登る。トラックなどにはきつい坂だ。峠の途中にあったレストランで、昼食を取りながら、テラスからインスブルック一帯の景観を眺望した。
更に進み、オーストリアとドイツの国境近くの町Lermoosレルモーズでドイツ最高峰のZugspitzeツークシュピッツェ(2963m)を右に遠望し、ドイツのFuessenフュッセンに至る。夕方のWeissenseeヴァイセンゼーを散策。
インスブルックからだと、北上して独墺国境のドイツの町Mittenwaldミッテンヴァルトを通り、Garmisch-Partenkirchenガルミッシュ・パルテンキルヒェン(Zugspitzeに登る町、冬季オリンピックの町)に抜ける道もありましたが、ノイシュヴァンシュタイン城を家族に見せる為に、西に走り、フェルン峠越えを選択したのです。多分、道はこちらの方が険しいと思います。
Fuessen泊 ;Hotel Hirschホテル ヒルシュ
48室
D-87629 Fuessen 、Kaiser-Maximilian-Platz7
ホテル ヒルシュは皇帝マクシミリアン広場に面していた。今は改装されて綺麗なホテルになっているが、当時のホテルは一階のレストラン・酒場がうるさかった記憶が残る。
http://www.hotelfuessen.de/
写真は1975.08.13.インスブルック=≫オーストリアとドイツの国境近くの町Lermoosレルモーズで -
⑥8月14日(木)晴れ ;200km
フュッセン市内の観光はせず、直ぐにSchwangauシュヴァンガウに向かう。
フュッセン市内も見るものがありますが、やはり新白鳥城を優先してしまいます。私の場合も何度か来ていますが、殆ど記憶に残っていないのがフュッセンなのです。
この旅の目玉でもあった、バイエルン王マクシミリアン2世が建てたSchloss Hohenschwangauホーエンシュヴァンガウ城と狂王ルートヴィヒ2世の夢の城・Schloss Neuschwansteinノイシュヴァンシュタイン城(新白鳥城)をじっくりと見学した。
今はガイド付き、写真撮影も不可ですが、当時は気軽に自由に見て回り、写真も撮っていました。
写真は1975.08.14.Schloss Neuschwanstein新白鳥城:城内の宝物 -
Marienbrueckeマリエン橋からは新白鳥城の眺望や深い谷底をみた。帰り道ではバイエルンの民族衣装を着たドイツ人家族に出会った。
そこは眺望の開けた高台で、緑の森に囲まれたAlpseeアルプ湖、Schwansee白鳥の湖、ホーエンシュヴァンガウ城の美しい景観が見下ろせて、“これぞドイツの素晴しさ”と思ったものです。
野原で遊ぶ娘たちの背景に見えるノイシュヴァンシュタイン城の姿は実に素晴しい。
ドイツ・アルプスを背景に立つ二つの城は、ドイツ観光で最も好まれるお城でしょう。
国費の浪費家・狂王ルートヴィヒ2世と国民に指弾されましたが、今観光客の落とす莫大なお金は建設費以上もものとなり、将来もずっと貢献するとは・・・実に皮肉なものです。
実はプリーンのゲーテ語学学校に居た2ヶ月の間、一度仲間のオンボロカブトムシVWに乗って、ノイシュヴァンシュタイン城を訪れています。
1974年3月3日(日)だったので、門は閉まっていました。この時の写真を見ると雪も残り、皮コート姿で雪道を登っています。
今は冬季でも開館しているのでしょうね。冬の景観も素晴しいでしょう。
XXXXX
写真は1975.08.14.Schloss Neuschwanstein新白鳥城を背景に娘たち
(その2に続きます)
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この旅行記へのコメント (2)
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- yukiさん 2015/09/08 22:34:14
- jijidarumaさまへ
- jijidarumaさま
こんばんは、こちらへ早速訪ねました。
コメントをありがとうございます。
私が生まれた頃のお写真がたくさんありました。その頃の風景を見られて、とても楽しかったです。
どれも良いご家族写真で、、
jijidaruma さんも35年後にこちらのお写真を整理なさりながら、それはそれは、楽しい作業だったことと思います。
私も、これからたくさん素敵な思い出を増やしていきたいです。。(o^^o)
カメラちゃん
- jijidarumaさん からの返信 2015/09/09 00:17:44
- マイエンフェルト
- カメラちゃん
早速のお立ち寄りとご投票ありがとうございました。
また、掲示板にコメントも頂き、恐縮です。
古いアルバムからデジカメで撮ってみたので、少々ピンボケです。
スキャンというやり方を知らない所為でしたが、今はこの方法も理解しました。
さて、我が家は旅のアルバムばかりで始末に困りますが、何時でも手元で写真が見られて、結構楽しんでいます。
更に、孫たち5人それぞれの誕生した時から写してきたアルバムもあって、結構な数になりました。今夏、我が家を訪れた5人の孫たちもそれを引っ張り出して見ています。
高校生になったら、其々の分全てを贈呈するつもりなので、早く大きくなってくれないかと思うこの頃です(笑)。
息子さんにも良いお写真をたくさん撮って残してあげてください。
jijidaruma
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