1977/06/16 - 1977/06/19
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jijidarumaさん
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先日、「セピア色の思い出:かつての駐在時代の写真集」を作っていたら、ドイツ語の家庭教師(当時デュッセルドルフ大学生)Herr Dagobert Rufダゴベルト・ルーフのご実家に1泊した写真が見つかった。
【ドイツの団子(だんご)、”クネーデル”料理を食べましたか?】
1977.06.18.~19.ニュルンベルク近郊の町Schwabachシュヴァーバッハの一地区、Schwanstetten‐Mittelhembaシュヴァンシュテッテン・ミッテルヘムバッハという小さな田舎を訪れたのだった。
この時は前半の16日から17日フランケン地方のバンベルクや、バイロイトを巡り、18日ニュルンベルクなどを巡った。
訪れたドイツ語の家庭教師のご実家は、*Schwabachシュヴァーバッハと*Schwanstettenシュヴァンシュテッテンの中間ぐらいにある小さなMittelhembachミッテルヘムバッハにあった。人口約200名の共同体で、その小さな村落の一角に御実家があった。
*シュヴァーバッハは人口4万人の都市で、周辺の共同体を吸収合併してしてきた。
*シュヴァンシュテッテンはニュルンベルク市の南約15kmに位置する人口7千人の町である。
参考写真はドイツと言えばKartoffelknödelじゃがいも(ポテト)団子・・・この参考写真が当時提供された”Knödelクネーデル”によく似ている。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
【ドイツのジャガイモ料理といえば、”Knödelクネーデル”料理が知られている】
この小さな村落で、多分ドイツで意識して!初めて食べたのが、フランケン地方の郷土料理と思しき”Knödelクネーデル”料理でした。
私共を含めて、日本人の皆さんの投稿写真を見てもこの”Knödelクネーデル”料理を殆ど見かけていないので、セピア色した思い出の一つとして纏めてみました。
改めて纏めてみると、クネーデル(団子)がドイツだけではない欧州各地に郷土料理として根強い、ポピュラーな品であることを知った。
私共がクネーデルを見たり、食べたりしていながら、恥ずかしいことに、言葉(ドイツ語の単語)として、或いは料理そのものを意識し、知識や記憶の中に入れていなかったことがよく分かった。
さて、デュッセルドルフで大変親切なドイツ語の家庭教師のHerr Ruf ルーフさんに出会い、私共一家がいろいろと学び、また種々の場で助けて頂いた。
或る時、その彼からご実家を紹介されて、一泊した時の体験である。
参考写真:ニュルンベルク近郊Map -
お母さんはElzeエルゼさん(69歳)といい、お兄さんの長男Karl Ludwigカール・ルートヴィヒ(41歳)& Hildegardヒルデガルト(40歳)夫妻と3人の孫娘たち(13歳Andreaアンドレア、10歳Waltraudバルトラウト、6歳のBrigitteブリジッテ)一家と同居されていました。
多分地元で成績も良かった次男のDagobert Rufダゴベルト・ルーフはフランケンの地から大都市のデュッセルドルフ大学に進学したのでしょう。
ドイツ語の家庭教師をお願いした経緯は日本人倶楽部の掲示版から見つけたのか、会社のドイツ人秘書に頼んで見つけてもらったのか、もう定かでないが、Bilkビルクの自宅で面接して決めた覚えがある。
お母さんのエルゼさんや兄のカールさんから聞いた事だが、カールさんと一回り年下の次男ダゴベルトは年が離れていた所為か、甘えん坊で育ったと云う。
当時30歳前だったダゴベルトさんの知人(33歳の異邦人である私共)が来訪するという事で、エルゼさん自らの客人として接遇してくれた。
自らの部屋を私共に提供し、彼女自身は孫娘の部屋を利用していた。
写真は1977.06.18.~19.Herr Rufルーフさんのご実家訪問の行程Map:片道668km(往復凡そ1400km)を走っていた。 -
イチオシ
夕食に用意して頂いたのは、家内も手伝いながらエルゼ夫人が手作りしてくれた「クネーデル料理」などはもうセピア色となった写真が残るだけで、詳細(別掲の参考写真を参照)はよく分かりません。
私共は多分初めて?食べた、いわゆる団子風の「クネーデル料理」にちょっと戸惑いながら、食べた記憶が残っています。
ニュルンベルク風の大きなオムスビのようなクネーデルに吃驚したものですが、この時に*”Knödelクネーデル”というドイツ語単語も覚えたようです。
*”Knödelクネーデル”を簡単に説明すると、茹でたジャガイモや固くなったパンを潰し、これを生地にして丸めたものを指すことが多く、いわば、「じゃがいも団子」である。
主にお肉料理などの付け合わせとして食べられますが、クネーデルにソースかけて、クネーデルだけで食べられることもある。
家庭ではあまってしまったクネーデルを、翌日に小さめに切って卵と炒めて食べる事もする。
参考写真はドイツと言えばKartoffelknödelじゃがいも(ポテト)団子・・・この参考写真が当時エルゼ夫人が手作りされた”Knödelクネーデル”によく似ている。クネーデルの印象が強くて、他の料理の事は思い出せない。 -
イチオシ
偶々、時代をかえて見つけた写真ですが、定年後の旅でクネーデルを食べていた。
手元の<ドイツのお料理ガイド:地球の歩き方(2003~04年版)>を見ても、ドイツではポピュラーなもののようです。クネーデルのスープ、肉料理の付け合わせにクネーデルがあるのを幾つか見ることができる。
<かつての東ドイツ:ルター諸都市・Berlin・Dresdenなどを巡る旅>
期間:2011年05月13日(金)~05月27日(金)15日間
5月15日(日); 晴、16℃。409km
旧東独地域を巡った際に、Potsdamポツダムの5星Hotel Bayrisches Hausホテル バイエルンハウスに3泊した。
第一日目の夕食を“営林署官舎もしくは山番小屋”と言う意味のAlte Förstereiアルテ フェルステライで食べた。ここはバイエルンハウス付属の郷土料理の店で、狩猟小屋のような雰囲気を持たせて、外には鹿の銅像が立ち、建物の外壁には鹿の角が飾られていたレストランだったが、ベルリンの名物Berliner Weisse*ベルリーナ・ヴァイセ(白ビール)と、シュパーゲルのスープ、<グラッシュにクネーデル>、タラのソテーにリソット、サラダなどを頂いた。
総じて、料理は塩気が多い感じだった。
写真はPotsdam:Hotel Bayrisches Haus ・Alte Förstereiの料理でグラッシュにクネーデルを添えた(2011年5月)料理を頂いた。当時の旅行記にはこの時の料理について、ちゃんと「グラッシュにクネーデルを添え」と書いていた!
グラッシュのソースをクネーデルにつけて食べた。 -
2011年5月15日(日)
Schloss Sanssouciサンスーシ宮殿(無憂宮) 17:35~18:00 庭園のみ見学。
行った時間は既に閉館の時間だった為、ガルテンパビリオンを抜けて、庭園を目指した。公園下から見上げるブドウ畑、噴水がすっきりと見えた。
晴天の日のサンスーシ宮殿の公園は実に美しく、それだけで満足した。
サンスーシ宮殿はフリードリヒ大王の夏の離宮(1745年~1747年に建設)である。ブドウ畑のあった高台に建てられた宮殿は、ポツダムにあるホーエンツォレルン家の宮殿の中で一番知られた宮殿である。大王は35歳から亡くなる74歳まで、殆どの時間をここで過ごしたと云う。中央の巨大な132段の階段が、6つの階段式ブドウ畑の上方のテラスに続き、そこに平屋造り、バロックとロココ様式の明るい感じの宮殿を建てた。 宮殿内に12の豪華な部屋があり、特に大理石の間、謁見の間、楕円の間がよいと云う。
世界遺産の中核であるサンスーシ宮殿の周りの公園は500haもあり、そこに150もの歴史的建造物がある。Schloss Charlottenhofシャルロッテンホフ城とOrangerieオランジェリー、新宮殿、Chinesisches Teehaus中国茶館、Bildergalerie絵画館等があり、何日もかけないと、全てを見る事が出来ない。
・・・・・
ドイツのジャガイモと言えば、ポツダムのSchloss Sanssouciサンスーシ宮殿にある第3代Friedrich II.プロイセン王フリードリヒ2世(フリードリヒ大王と称された:1712年~1786年)の墓には、ジャガイモがそなえられていると云う話が有名である。
Wikiによれば、フリードリヒは、寒冷でやせた土地でも生育するジャガイモの栽培を奨励し、それまで休耕地となっていた土地にジャガイモや飼料作物(クローバーなど)の栽培を奨め、下僚にジャガイモ普及のための指示書や回状(いわゆる Kartoffelbefehl = ジャガイモ命令)を送り、自ら普及のために領内を巡回してはキャンペーンを行ったと云う。
参考写真:Potsdamポツダム:Friedrichフリードリヒ大王の墓とジャガイモの献呈(2011年5月) -
以下は手持ちの一般料理のレシピ本ですが、調べてみると伝統の料理だけにやはり掲載されていた。
参考写真はドイツ料理:一般料理のレシピ表紙・・・350頁に777ものレシピが掲載されている。 -
参考写真はドイツ料理:一般料理のレシピ裏表紙
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meatballミートボール(英語)は、挽肉につなぎと調味料を入れて混ぜ、丸く成形してから、加熱して作る料理である。
ドイツで言うKnödelクネーデルもミートボールのドイツ版だと云う。
日本語では肉団子(にくだんご)・メンチボールなどとも言う。
欧州各国でも様々な言い方をした料理がある。
ドイツではテューリンゲン州、ザクセン州、バイエルン州のクネーデルがとくに有名で、さらにザクセン州のVogtlandフォークトラント地方やバイエルン州のフランケンといった地域ごとにもバリエーションが見られると云う。
掲載写真はアルゴイ風肉団子であるが、念のため検索して見ると、アルゴイ風肉団子が出てこずに、
かつての東プロイセンのKönigsberger Klopseケーニヒスベルガー・クロプセ(「ケーニヒスベルク風クネーデル」の意)が、この地方の名物料理としてでてきた。
今では「ケーニヒスベルク風肉団子」をベルリンの名物料理と紹介されている。
「アルゴイ風肉団子」も「ケーニヒスベルク風肉団子」どちらも似たものなのだろう。
尚、Königsbergケーニヒスベルクは中世後期からプロイセンの中心だった都市で、現在のロシア領のKaliningradカリーニングラードである。
バルト海に接するロシアの飛地領であり、人口は約49万人(2021年)の港湾都市である。
参考写真はAllgäuer Fleisch Knödelアルゴイ風肉団子 -
オーストリアの6月はまさに旬のアプリコットの季節である。
オーストリアではMarillen(マリレン)と呼ばれている。
Marillen Knödelマリレンクネーデルはオーストリアやチェコの伝統料理。
クネーデルと呼ばれるお団子の生地の中にアプリコットが入っている。
生地の主な材料は、小麦粉やフレッシュチーズ、ジャガイモがありますが、写真は小麦粉がベースになっている。(参考:地球の歩き方)
参考写真はMarillen Knödelマリレンクネーデル Austria・・・オーストリア風アプリコット団子 -
クネーデルは地方によってはKloßクロースやKlößクレースとも呼ばれる。
「クネーデル」と言うのはドイツ南部やオーストリア方言だと云う。
主に肉料理の付け合せに使われる。
中に揚げたクルトンを包んだり、生地にハーブ類を混ぜることがある。
テューリンゲン地方のKlößクレースは生のジャガイモをすりおろして用いることが特徴で、生地の3分の2以上を占めている。
生地の中に果物のピューレを包んだクネーデルもあり、その場合はバニラソースや砂糖をかけてスイーツとして供される。
肉や魚の身をすりつぶして団子状にし、茹でたり煮込んだりした料理もクネーデルと呼ばれ、その一例がLeberknödelsuppeレバークネーデルズッペである。
参考写真はSemmelknödelゼンメル・クネーデル・・・固くなったパンから作られるクネーデルの一種 -
以下の国のクネーデルがどんな姿なのか不詳だが、多分ドイツ風の格好をしたものだろう。
チェコではドイツのクネーデルに類似のknedlíkクネドリーク があり、
フランス・ローヌ―アルプ地方では魚肉風味のquenelleクネル と言う。
イタリア北部の国境地帯(オーストリアの文化の影響がある)ではCanederliカネデルリ と言う名前で呼ばれ、
ポーランドではpyzyピズィ、あるいはkluskiクルスキ が一般に広く食べられているそうだ。
調べてみると、予想以上に各国の人々にも好まれた、一般的な料理なのだ。
参考写真はSemmelknödelゼンメルパンのクネーデル(団子) -
参考写真はBayerische Kartoffelknödeltopf調理中のバイエルン風じゃがいも(ポテト)団子。生地の主材料はじゃがいもである。
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味はじゃがいもで作っただけのなんの変哲も無い団子。これといった味付けがされているわけではないので、料理のソースを付けて食べるのが一般的なようです。
もちもちとした食感で、1つでもかなり食べ応えを感じる。
参考写真はBayerische Kartoffelknödelバイエルン風じゃがいも(ポテト)団子
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参考:実に詳細なじゃがいも事典があるので、こちらに資料として載せた。
18 August 2017 Nr.1056
【保存版!ドイツのじゃがいも事典】
(ドイツニュースダイジェスト編集部)
ドイツといえば、ビールにソーセージ、そしてじゃがいも!
たかが「いも」と侮ることなかれ。その多様性、歴史、
そしてドイツの食文化に深く根ざす底力!!
ドイツのじゃがいもをさまざまな角度から存分に味わいましょう。
現在、ドイツには70以上もの国産のじゃがいも品種があり、これらは調理法によって主に3タイプに分けられている。
ここでは調理法ごとにおすすめの品種をご紹介しよう。
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参考写真はLeberknödelsuppeレバークネーデルズッペ・・・レバーの団子が入ったコンソメ風のスープ。
このスープはオーストリアではどのレストランでも提供されているぐらいポピュラーだと云う。多くは牛のレバーですが、ドイツには豚のレバーを使う所もあるようです。
また、ドイツ南部からオーストリアにかけてはLeberspätzlesuppeレバーシュペッツレズッペというバリエーションも存在する。これはレバー生地を団子状ではなく、シュペッツレに似た麺状に成型したものである。 -
また、クヌーデルはジャガイモのみの団子で肉料理に添えられていたり、ひき肉を入れていたり様々な形で食べられている。
写真の様にまん丸の形をした、典型的な「じゃがいも団子」、お肉料理の付け合わせとして、レストランなどでよく見かける。
参考写真はBayerische Schweinshaxe mit Kartoffelknödelバイエルン風シュバイネハクセ(ローストした豚のすね肉)にじゃがいも(ポテト)団子を付け合わせとした。 -
参考写真はSchweinsbraten mit Knödeln und Krautsalatシュヴァインスブラーテン(豚肉のロースト)に、付け合わせたクネーデル(団子)とクラウトザラート(キャベツサラダ)
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参考写真:先の2011年の写真から、こんなものを検索できた。Goulashsuppeグーラッシュズッペ(パプリカ風味の肉入りシチュー)にクネーデルを添えた一品。クネーデルの存在が目立つ。
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参考写真はSpeckknödel Sauerkraut ベーコン団子にザワークラウト
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参考写真:≪20241221:セピア色の思い出・家内のお手製のシュークリームはドイツの子供たちにも大人気だった。≫でも驚いたが、今はこのようなクネーデルの簡単料理(冷凍もの)があるそうだ。
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フランケンの旅では、目的地はMittelhembachミッテルヘムバッハだが、この旅ではバイエルン州Frankenフランケン地方の*Pommelsfeldenポンマースフェルデン、Bambergバンベルク、Bayreuthバイロイト、Nürnbergニュルンベルクを訪れた。
この時は前半の16日から17日フランケン地方のポンマースフェルデン、バンベルクや、バイロイトを巡り、18日ニュルンベルクなどを巡った。
*フランケン地方はドイツ中南部から南ドイツの北部に至る地域で、ヴュルツブルクを中心にフランケンワインの名産地として知られている。ロマンチック街道が南北に、古城街道が東西に通る観光の要所だから、この地方は度々訪れている。
*マインツ選帝侯・バンベルク司教領主Lothar Franz von Schönbornロタール・フランツ・フォン・シェーンボルンが1711年から1716年にポンマースフェルデンに造営したSchloss Weißensteinヴァイセンシュタイン城がある。
この城は現在に至るまで、その一族の所有物である。
写真は1977.06.16.~19.Herr Rufのご実家訪問とフランケンの旅:左上から時計回りで、ニュルンベルク近郊のMapとミッテルヘムバッハ、バンベルクの絵葉書、
バンベルクの騎士像、PommelsfeldenポンマースフェルデンのSchloss Weißensteinヴァイセンシュタイン城 -
写真は1977.06.16.~19.Herr Rufのご実家訪問とフランケンの旅:左上から時計回りで、バンベルクの絵葉書、バンベルク旧市庁舎の絵葉書、レグニッツ川のカヌー遊び、観光船の船着場で、
旧市庁舎 (バンベルク) 建造物
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写真は1977.06.16.~19.Herr Rufのご実家訪問とフランケンの旅:左上から時計回りで、バイロイトの歌劇場前で、バイロイトの新宮殿前で、バンベルクの旧市庁舎をバックに、バイロイトのHofgarten、バイロイトの新宮殿の噴水。
バイロイト:当時、祝祭劇場前も殆ど人の姿を見なかった。 by jijidarumaさんバイロイト祝祭劇場 劇場・ホール・ショー
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写真は1977.06.16.~19.Herr Rufのご実家訪問とフランケンの旅:左上から時計回りで、カイザーブルク城、マルクト広場の美しき噴水、王の塔と手工業地区、聖養老院、カイザーブルク城の深井戸。
ニュルンベルク城 (カイザーブルク) 城・宮殿
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写真は1977.06.16.~19.Herr Rufのご実家訪問とフランケンの旅:左上から時計回りで、ニュルンベルクの名物焼きソーセージ店、デュ―ラー像、デュ―ラーハウス、ミッテルヘムバッハの遠望、店内で名物焼きソーセージを食べる。
ブラートヴルストホイスレ 地元の料理
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2021年9月の俯瞰写真を見ると、中ほどにルーフ家が見える。
Mittelhembachミッテルヘムバッハは1978年5月以来、行政上、Schwanstettenシュヴァンシュテッテン人口7千人の町に属している。
歴史的には14世紀ごろ、Markgrafen von Ansbachアンスバッハ辺境伯領であったと云う。
写真は1977.06.16.~19.SchwabachシュヴァーバッハとSchwanstettenシュヴァンシュテッテンの中間ぐらいにある小さなMittelhembachミッテルヘムバッハは人口約200名の共同体で、その小さな村落の一角に御実家があった。 -
イチオシ
1977.06.18.訪れて驚いたことに、シュヴァーバッハの水道局に務める長兄Karlカールさんはこの家を自分で建ててていた。
私共が泊まった時も、まだまだ建てている最中で、写真右上のように未完成の玄関周りを自分で作業していた。
ドイツ人は地方に於いて、自分で家を建てることが多いと聞いていたが、その実例を体験した。
まずはお茶会をして、夕食はお母さんと、夕食後はお兄さんご夫妻(Karlカール(41歳)&Hildegardヒルデガルト(40歳)夫妻)とも御一緒に2階の居間で飲み会となった。
写真は1977.06.16.~19.ニュルンベルクの近郊にあるHerr Rufルーフのご実家:左上から時計回りで、カール夫妻の三人娘(13歳Andreaアンドレア、10歳Waltraudバルトラウト、6歳のBrigitteブリジッテ)と我が家の娘達(7歳と5歳)、ケーキを囲んでお茶会(お母さんとお兄さんご一家5人)。 -
夕食はお母さんと、夕食後はお兄さんご夫妻(Karlカール(41歳)&Hildegardヒルデガルト(40歳)夫妻)とも御一緒に2階の居間で飲み会となった。
お兄さんご夫妻から借用したバイエルン衣装で飲んでます。
ご長男家族(5人)と一緒に生活していたご母堂は当時69歳、次男坊の知人という事で自分のお客として歓待してくれた。
その際、夕食で出たのは(家内も手伝って作った)ドイツ名物の”クネーデル”でした。ニュルンベルク風の大きなオムスビのようなクネーデルに吃驚したものです。
写真は左上から時計回りで、エルゼさんの野菜畑、夕食はお母さんElzeエルゼさんと頂いた。歳の近いBrigitteブリジッテ(6歳)とテラスで遊ぶ娘達、夕食後はお兄さんKarlカール&Hildegardヒルデガルト夫妻と飲み会で団らん。 -
写真はHerr Rufルーフのご実家で:お兄さんご夫妻から借用したバイエルン衣装「Dirndl ディアンドル(ディルンドル)」、「Lederhoseレーダーホーゼ」を着て、背格好も近くて、よく似あうと皆さんに言われて、気分良く記念写真を撮った(私共は33歳)。
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写真はHerr Rufルーフのご実家で:左上から時計回りで、06.19.お母さんElzeエルゼさん(69歳)とドイツの朝食、06.18.娘達はブリジッテと夕方にブランコ遊びに熱中、06.19.娘達は兎のトミーに餌をあげ、ブリジッテと朝もまたブランコ遊び。
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1977.06.19.日曜日でご家族はお出かけに。近所のお友達Achtlichアハトリヒ夫妻を訪問してから、皆さんとお別れして、デュッセルドルフに帰宅した。
写真は左上から時計回りで、06.19.皆さんと集合写真を撮影、ブリジッテ(6歳)とまたブランコ遊びし、長女13歳Andreaアンドレア、次女10歳Waltraudバルトラウトも一緒に。ご近所のお友達Achtlichアハトリッヒ夫妻を訪問して紹介される。皆さんとお別れ。 -
1977年8月6日、夏の休暇旅行でイタリアに向けて走る。途中ミッテルヘムバッハのご実家に短い訪問(左下の写真)をして、エルゼさん達に御挨拶した。
先日の写真の焼き増しを手渡してから、ミュンヘンに向かう。
写真は左上から時計回りで、06.19.兎のトミーに餌をあげ、ご近所のお友達Achtlichアハトリッヒ夫妻を訪問して野菜畑を見る。 -
地域の中心地であるSchwabachシュヴァーバッハには長兄のカールさんが水道局に務めていたこともあって、ルーフ家族と訪れたことがある。
シュヴァーバッハはバイエルン州ミッテルフランケン行政管区に位置する、同州最小の郡独立市である。Nürnbergニュルンベルク、Fürthフュルト、Erlangenエアランゲンとともに、バイエルン州に3つある大都市圏の1つを形成している。
周辺地域とともにニュルンベルク大都市圏を形成しているが、これはドイツに11ある欧州大都市圏の1つである。
参考写真はシュヴァーバッハの紋章・・・1953年に最終的にこの紋章が承認された。この紋章には1329年のMarkgrafen von Ansbachアンスバッハ辺境伯の印章に用いられていた要素が採用されていると云う。それは赤地に円形アーチの上に鋸壁を頂上に戴いた塔に、帝国鷲(左手)とナッサウの獅子(右手)を描いた2つの小盾を配したものであった。 -
シュヴァーバッハは、ミッテルフランケン盆地に位置している。地形は、南、西、北を森に囲まれており、その大部分が保安林に指定されている。東に向かってレドニッツタール(Rednitzレドニッツ川の谷)の草地が開けている。
旧市街自体はシュヴァーバッハ川両岸の平らな谷に位置している。シュヴァーバッハ川は、市内の住宅地域の外でレドニッツ川(全長59km、マイン川左岸の支流)
)に合流しており、市の他の地区に囲まれている。
市の北部は、ニュルンベルク南部の市区と融合している。西、南、東はロート郡に完全に囲まれている。
参考写真はシュヴァーバッハ旧市街の俯瞰 -
参考写真はSchwabacシュヴァーバッハの中心にあるマルクト広場(Königsplatz王の広場)。正面の建物が市庁舎
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参考写真はシュヴァーバッハの中心にあるマルクト広場(Königsplatz王の広場)に立つRathaus市庁舎
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シュヴァーバッハ「市庁舎」には goldenem Saal und goldenem Dach黄金のホールと黄金の屋根が現存する。
このような「黄金の屋根」を見たのはオーストリアのチロル州Innsbruckインスブルックの町とシュヴァーバッハだけである。
この市庁舎の大会議ホールは、14,000枚のシュヴァーバッハの金箔(クルト・ゼーヴェリンとマックス・フリーゼによる)が用いられており、フリーズには重要なシュヴァーバッハの企業名を刻んだ装飾がなされている。
このホールは1974年1月15日に火災による損傷を受け、2000年から2002年に修復された。
14,000枚のシュヴァーバッハの金箔で飾られた市庁舎の 黄金のホールは、Kurt Severinクルト・ゼヴェリーンとMax Frieseマックス・フリーゼによって造られた。シュヴァーバッハは2004年にシュヴァーバッハの金箔500周年を祝った。金箔の職人はほとんどいなくなったが、現在も4社が営業している。
参考写真はGoldenes Dach in Schwabachシュヴァーバッハ市庁舎の黄金の屋根 -
1988年に彫刻家 Andreas Teuchertアンドレアス・トイヒェルトが作成した泉で、金箔師Werner Wolfヴェルナー・ヴォルフの仕事姿である。
(私共訪れた年にはもちろん無かったが)
シュヴァーバッハは、金箔と世界中に輸出されているその加工品で有名である。
これまで知らなかったが、世界の多くの見所でシュヴァーバッハの金箔が用いられているそうだ。
例えば、ロンドンのBuckingham Palaceバッキンガム宮殿、
ベルリンのSiegessäule ジーゲスゾイレ戦勝記念塔の女神像、
Mont Saint-Michelモン・サン・ミシェル(聖ミカエルの山)修道院教会の大天使ミカエル像といったものなどが知られている。
参考写真はDenkmal Goldschläger ゴールトシュレーガー像(金箔師の記念碑) -
1977.12.10.私共がルーフさんを家庭教師として紹介していた日本人学校のN先生ご家族と一緒に、ルーフさん宅に御招待されたことがある。
写真は1977.10.18.駐在員の帰国見送り(デュッセルドルフ空港)、12.10.ルーフさん宅に御招待された。 -
1977.12.17.先日の御招待の御返しもあり、Oliveオリーブ&Dagobertダゴベルト Ruf夫妻を夕食に御招待した。旅行などの8ミリ映画を見て疲れて寝てしまった娘たちの写真とともに、セピア色となってしまった写真が残っている。
年上のオリーブ(イギリス出身)が学生だったダゴベルトとの生活を支えていた様子だった。
後にNZに移住した彼らは離婚してしまったが、ドイツ語教師となったダゴベルトは新たにドイツ系のNZ人のJanetジャネットと再婚し、Karlカールという愛息を得た。
1983年3月5日に来独されたジャネットとダゴベルトと会ったことがある。
写真は1977.12.17.Oliveオリーブ&Dagobertダゴベルト Ruf夫妻を夕食に御招待、8ミリ映画を見て疲れて寝てしまった娘たち。 -
イチオシ
1979.08.01.最後の夏の休暇を南ドイツで過ごし、帰途、Prienプリーンのゲーテ語学校に就学していた後任者Y君を迎えに行き、午後1時ピックアップした、
それからニュルンベルク近郊のMittelhembachミッテルヘムバッハのRufルーフ家に立寄り、ご母堂のエルザさんに日本に帰国(5年7ヶ月の駐在期間)する旨の御挨拶をした。
エルゼさんは三種類のケーキを作り歓迎してくれた。
この日はデュセルフドルフの隣町Duisburgデュイスブルク在住の友人Frau Wolferzヴォルフェルツ夫人が来訪していて、御紹介を受けて、御一緒に団らんした。
残念ながら、町の水道局勤めの息子さんKarlカール一家はちょうど休暇中で、娘達も同じ年頃の3姉妹Andreaアンドレア、Waltraudヴァルトラウト、Brigittyブリギッテイに会うのを楽しみにしていたから残念がっていた。
庭先にウサギのTomyトミーが元気に飼われていて、娘達は草をあげていた。
ご母堂のエルゼさんからは、帰国後も度々音信があり、見事な美しい文字で書かれた文章が印象に残っている。
この日、御挨拶後にニュルンベルクを経由、ヴュルツブルクを過ぎ、*Marktheidenfeldマルクトハイデンフェルトに1泊し、翌日、フランクフルトのゲーテ博物館をみて、デュッセルフドルフに帰った。
写真は1979.08.01.最後の夏の休暇を南ドイツで過ごし、帰途、Prienプリーンのゲーテ語学校に後任者Y君を迎え、ミッテルヘムバッハのRufルーフ家に立寄って、ご母堂のエルザさんに日本に帰国する御挨拶をした。
・・・・・・・・・・・・・・
ドイツのジャガイモと言うと、ソーセージと並んで人気なPommesポメスが好まれる。(ポメスとはフライドポテトのことで、フランス語のPommes Fritesポン・フリである)
そしてドイツの春の旬、シュパーゲル(白アスパラ)料理に付け合わせたジャガイモが大好きだ。
オーストリアのMarillen Knödelマリレンクネーデルのことで、オーストリアの6月はまさに旬のアプリコットの季節である。Marillen(マリレン)と呼ばれていると書いて、ツイ、シュパーゲル(白アスパラ)料理を思いだした。
1月3日に義兄が享年89歳で亡くなり、子供がいない、一人となった姉を気遣って無理をした所為か、私共夫婦が咳風邪にかかり、長い期間寝込んだ。
80代ともなると、やはり無理が気かないようで、もう無理だなと思ってきたドイツの旅が一段と遠のいていく。
その分、本編のようなセピア色した思い出がとても懐かしいのだが、不調で投稿の完成には時間がかかってしまった。
(2025年02月09日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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この旅行記へのコメント (4)
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- クリスさん 2025/02/12 08:21:20
- Kartoffelknödel
- 最初のヨーロッパ旅行は50年以上前、当時のドイツは東西に分かれていましたが団体のバス旅行で東側にも行きました。ミュンヘンから南下しインスブルックまでの行程の中で昼食時に、場所は忘れましたが初めてカルトフェルクネーデルをいただきました。シンプルでしたが出汁が効いてとても美味しかった。様々なバリエーションをもち南西ドイツを中心の食文化圏で広まっている料理のようで、他でも何度か食べていますが最初の時の感動には適いませんでした。
- jijidarumaさん からの返信 2025/02/12 11:43:54
- Re: Kartoffelknödel
- クリスさん、
今日は。いつもありがとうございます。
50年以上前、当時のドイツのベルリンなどに旅行された様子、私が初めて東独に足を踏み入れたのは1977.6.8~6.9(1泊2日)、西ベルリンに先輩社員と出張した時ですから、ずっと遅かったですね。
二度目は1983.4.1~4.4(3泊4日)、東西ベルリン旅行に家族で行きました。
クネーデルについては、4Traのドイツ好きでもあまり食べられた体験をお見かけしておりませんし、写真で見る機会も殆どなくて、このようなセピア色の思い出話を書いてしまいました。
クリスさんにとっては、旅の中で食べたクネーデル、よほどクネーデルが印象に残ったようですね。いまだにそのような思い出がサッと浮かんでくる旅はきっと楽しく、充実したものであったように思われて、素晴らしいです。
それではまた。
jijidaruma
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- Rolleiguyさん 2025/02/09 22:49:59
- クネーデル
- jijidarumaさん、こんにちは。
クネーデルにまつわるお話興味深く拝見しました。
昔々、学生時代にドイツに行ったときにこのクネーデルを初めて食し、
まあなんと洗練されていない料理なんだと、たかが学生風情なのに思ったものです。
しかし、ドイツでのジャガイモと生活の結びつきには、日本での豆腐みたいなものが
あるのかもしれませんね。いろいろな料理の写真で、また食べたいなと思ったのは
シュヴァインスブラーテンです。地味な田舎料理のようにも見えるし、ポークを見た目も美味しそうに料理したようにも見えて、私は好きです。
セピア色に変色してしまった写真は、パソコンに写真編集用のアプリが入っていれば簡単に修正できます。お孫さんに頼んでみてはいかがですか。
風邪をひかれた由。どうぞご自愛ください。ドイツは遠くなりましたが、私は今年は
9月に行こうと思っています。一人では危ないので娘と。
春も近付いて来ました。陽光に導かれて外出できる日が待ち遠しいですね。
Rolleiguy
- jijidarumaさん からの返信 2025/02/10 14:25:38
- Re: クネーデル
- Rolleiguyさん、
今日は。いつもありがとうございます。
クネーデルはエルゼ夫人とともに強い印象の残る一品でしたから、私共のドイツ生活を彩る「セピア色の思い出の一章」に是非加えたく思っていました。
「学生時代にクネーデルを初めて食し、まあなんと洗練されていない料理なんだ」と大兄も思われた由、ドイツ人の生活にしっかり根付いてしまったクネーデルは確かにそのような印象でしたね。「日本の豆腐」と比喩されておられますが、言い得て妙なもので、料理としてはメインではなく、付け合わせ、添え物ですが存在感はあります。
さて、此処でご紹介したGoulashsuppeグーラッシュズッペ(パプリカ風味の肉入りシチュー)にクネーデルを添えた一品、Schweinsbraten mit Knödelnシュヴァインスブラーテン(豚肉のロースト)に付け合わせたクネーデル、 Schweinshaxe mit Kartoffelknödelバイエルン風シュバイネハクセ(ローストした豚のすね肉)にじゃがいも団子は、ドイツレストランでは定番ものですね。私も又食べたい料理です。
大兄、9月にはドイツにお出かけの由、実に羨ましいですね。旅行記が楽しみです。
我が家の最年長の孫娘が大学卒業にあたり、2月中旬に南ドイツにツアーで出かけると聞きました。初めての欧州で南ドイツを選んだのは嬉しく、ツイ、手元のユーロをお祝い(御餞別に)にあげました(笑)。
若者は良いですね。
アドバイス頂いた、セピア色に変色してしまった写真の編集用のアプリ、検討して見ます。ありがとうございました。
寒さはまだまだの様子、大兄もご自愛ください。
それではまた。
jijidaruma
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