2015/05/01 - 2015/05/09
40位(同エリア4378件中)
ウェンディさん
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- 旅行記377冊
- クチコミ2248件
- Q&A回答132件
- 1,994,256アクセス
- フォロワー343人
〜すべての道はROB(M)Aに通ず、ROB(M)Aは一日にして成らず〜
私の住まう日本から約9000kmも離れた土地にあるカッパドキア。
その夕陽の見える丘に立ち、眼下に広がる絶景を眺め、さらに丘の上からローズバレーを貫くローマ道を歩いた旅。
ローマ道の途中には、遥か昔ローマ時代に手掘りで造られた教会があり、壁をよじ登り教会の中を拝見したり、ガイドのファーティ氏と人生などについて話したりしながら、ハーブの花々の咲き誇る道を至福な気分でトレッキングいたしました。
古の昔から、この地では大らかな心が育まれてきました。
自分達以外の文化も認め、決して相手を追い詰めず、皆が平和に暮らせるように、全てが無に帰ってしまうことが無いように…。
だからこそ、今なお、数千年前に作られた文化がこの地には残っています。
現在イスラム教の国であるトルコですが、トルコには古からの精神が今も受け継がれています。
それなのに、なぜ世界では、トルコの隣国では、どうして、現在のような争いが起きてしまうのか…と、思いました。
また、ホームステイして、人情はどこも変わりはない、ただ皮相が異なっているだけであると“武士の娘”を著わした杉本鉞子氏の言う通り…と実感いたしました。
旅の1年前に、娘から「何処へ行きたいか」と問われた時、20年ほど前にTVでみたアジア大陸とヨーロッパを結ぶボスポラス海峡が脳裏に浮かび、出来るならトルコへとリクエストして、大正解でした。
イスタンブールのリュステム・パシャ・ジャーミー。
ここの空間は私をゆったりと包み、なんでしょうか…、解き放たれた感を得た私がいました。
また、カーリエ博物館では、私が今まで知らなかったご幼少時のマリア様のお話等興味深い話を聞くことができました。
エディルネ門やイスタンブールで最も高い丘に建つミフリマーモスク等々、出来ることなら再訪したいトルコ。
トルコは人も景色も、そして物事の考え方も共感できる部分がいっぱいあった国でした。
今、世界で起きている争い。
世の中のみんなが、遥か昔の時代の様に、広くゆったりとした気持ちでコトにあたることができたら…と思った旅でもありました。
☆トルコ旅のエピローグの旅行記の序文を書いたのは、一緒に旅をした71歳を迎えた母。旅の前の国際情勢の変化やホームステイという旅の形式から、旅の前にはどうなることかと多少の不安も感じていた様ですが、母も心から旅を愉しみ、旅の経験から何か感じるところがあったみたいです。
☆★☆★☆★☆★旅程 2015/5/1〜2015/5/9☆★☆★☆★☆★
□5/1 成田22:30 -TK0053-
□5/2 イスタンブール 04:40 / 09:50 -TK2026- カイセリ11:10
カッパドキア観光
□5/3 カッパドキア観光
□5/4 カッパドキア観光
□5/5 ホームステイ
□5/6 カイセリ6:00 -TK2023- イスタンブール07:25
アヤソフィア、エジプシャンバザール、リュステム・パシャ・ジャミィ、イェニ・ジャミィ、ガラタ塔、セマー
□5/7 トプカプ宮殿、ルナ・テラス、ブルーモスク、グランドバザール、ヴァレンス水道橋、シェフサーデ・ジャミィ、スレイマニエ・ジャミィ、リュステム・パシャ・ジャミィ、ボスポラス海峡クルーズ
■5/8 地下宮殿、カーリエ博物館、テオドシウスの城壁、ミフリマー・スルタン・ジャミィ、 考古学博物館
□5/9 イスタンブール 01:15 -TK0052- 成田18:30
☆★☆★☆★☆★ ファティマとアイシャの旅 旅行記☆★☆★☆★☆★
【1】日本人の知らないカッパドキアへ☆ソーアンルの岩窟修道院:
http://4travel.jp/travelogue/11010564
【2】ウフララ渓谷は赤目溪谷だった!?:
http://4travel.jp/travelogue/11012680
【3】男の村マズにある真実の地下都市とバルーン・ライド:
http://4travel.jp/travelogue/11013325
【4】時に忘れられた村;ジェミルへ:
http://4travel.jp/travelogue/11015647
【5】Forgotten Cave Churches☆ローズ・バレーをトレッキング:
http://4travel.jp/travelogue/11017310
【6】女の修業!度胸でチャレンジ♪ホームステイでお料理教室:
http://4travel.jp/travelogue/11018186
【7】スター・ウォーズの世界へ☆ギョレメパノラマをハイキング:
http://4travel.jp/travelogue/11019510
【8】貌のない天使を探して
http://4travel.jp/travelogue/11024303
【9】スルタンの秘められた世界;狂気を孕む王宮へ
http://4travel.jp/travelogue/11028013
【10】点と線を楽しむイスタンブール街歩き
http://4travel.jp/travelogue/11039360
【11】メドゥーサの微笑み☆美味い話にウラは無い!
http://4travel.jp/travelogue/11050701
【12】マリア様はSuper Girl
http://4travel.jp/travelogue/11094540
(写真:セブン・ヒルズ・ホテルの屋上カフェから眺めるブルーモスク)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2015年の春に母と旅したトルコ。
娘の私がプロデュースする旅が、フツーの周遊旅行と同じであるわけがない。
世界にたった一つだけの、母と私だけのスペシャルな旅にしようと、航空券を購入したその日からプランニングを開始した。
母と私の希望は唯一つ。
ディープなトルコを味わいたい。
ツアーでは行けないような場所、経験、そんなことが出来たらいいな。
現地の家庭で料理を教えてもらう…そんなコトできるのかな。
計画を立て始めた当初は全て個人で動く旅も考えていたのだが、1か月位いろいろ考えた末、母も一緒の旅なので、いざという時のバックアップ体制のある現地手配会社をかませる方が安全だろう…ということで、日本や在トルコの現地手配会社に片っ端からメールを書いて、旅の相談をしてみた。
現地手配会社は数多くあり、同じ様な旅の内容でも手配料金は様々で、高いところと安いところでは一人当たり10万円位の差があった。
しかし、どこも通り一遍のいわゆるツアー的な内容を推してきて、母と私が望むようなディープなトルコを味わえるような手配が出来るような会社はなかなか見つからなかった。
(写真:カッパドキアで、現地のご家庭でのホームステイ♪庭の窯で伝統料理を作ったり、トルコ刺繍を教わったり、充実の日々) -
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる!
10社以上にメールを書いた末に、母と私の希望をかなえてくれそうな現地手配会社:ストリームに出会う事が出来た。
しかし、この手配会社に関する日本語の口コミはほとんどなく、その信用度は未知数。
この手配会社を使うことが、吉となるか、凶となってしまうのか…。
口コミがほとんどない手配会社を使うのは(特にイスラム圏では)勇気がいる。
何度か日本(日本語)問い合わせ担当の櫻澤さんや現地の担当者の方(英語)でメールを交わし、レスポンスの早さ、情報の正確さ、情報のいい加減では無さ(アラブの国とやり取りをする時にはコレは結構重要。旅行代理店関係者とはいえ、いい加減な情報、都合の良い情報しかよこさない輩はアラブには多い)等をチェックした。
そして、私の直感は囁いた。…この会社は、信用して大丈夫…と。
2015年のゴールデンウィークに旅したトルコ。
カッパドキアでの怒涛の日々は、日本でプランニングしていた以上のディープな面白さ。
毎日、新しい発見と驚きがあり、濃厚な5日間となった。
イスタンブールでは、オスマン時代の史跡を巡り、スルタンの暮らしに触れ、モスクの意匠の美しさに目を奪われ、当時の女性の生活に想いを馳せた…。
母と旅したトルコの旅は、母にとっても私にとっても、心に残る旅となった。 -
母と旅したトルコ。そのトルコが、今、揺れている。
2016年1月12日。
イスタンブールの一番の観光名所であるスルタン・アフメット広場で自爆テロがあり10人の方が亡くなられた。
母と私が滞在したホテルがあったのも、スルタン・アフメット広場の傍。
3日間のイスタンブールの滞在で、この広場は母と私の通り道だった。
母との旅の時期が異なっていたならば、巻き込まれていたかもしれない自爆テロ。
そんなことがあの場所で起きてしまったなんて…と言葉を失った。
母が旅行記の冒頭文で書いていた文章。
“古の昔から、この地では大らかな心が育まれてきました。
自分達以外の文化も認め、決して相手を追い詰めず、皆が平和に暮らせるように、全てが無に帰ってしまうことが無いように…”
他人を認め、信仰する神以外も許容する文化、そんなおおらかさが古の昔からこの西アジアにはあった。
今、戦いを繰り広げようとしている人達、彼らはそんな民族のおおらかな心を忘れてしまったのか…。
宗教を錦の御旗として掲げ、テロ行為を繰り返し、憎しみの連鎖を生む集団。
彼らの根底にあるのは多分、宗教ではない何か…、それは、憎悪なのか、反発なのか…。
包容力がある文化を培ってきたトルコとその周りの国々。
平和的解決は難しいのかもしれないが、古より培ってきた彼らの大きな包み込む力。
その包容力でテロ組織の頑なな心を溶かすことが出来れば…なんて思うのは甘い考えなのだろうか…。スルタン アフメット パーク 広場・公園
-
チョッピリと重い旅行記の出だしとなってしまったが、ここからがトルコ旅行記エピローグ編のはじまり・はじまり…。
トルコ旅の最終日は朝からの大雨。
この雨脚では、当初に予定していた古い建物が立ち並ぶ地区への1日街歩きはとても無理そうだったので、行動計画は雨の日バージョンへと変更!
朝いちで一番混みそうな地下宮殿へと行き、蛇髪の少女メデューサに会いに行く。イスタンブル地下宮殿 城・宮殿
-
地下宮殿の水底に横たわる少女メデューサ。
物言わぬの彼女が静かに語りかける遥かなる神々の世界の話…、それは、私が知っている子供向けのギリシア神話の物語とは一線を画すもの。
仄暗い地下宮殿の中に音なく広がるメデューサの独白の様な呟き。
母と私は、その昔語りに静かに耳を傾けた。
(メデューサが眠る地底宮殿の旅行記は↓
メドゥーサの微笑み☆美味い話にウラは無い!
http://4travel.jp/travelogue/11050701 )
そして、10時過ぎにトラムの駅へと行き、次なる目的地へと向かう。
T1トラムのチェンベルリタシュ駅からトプカプ駅へ移動し、トプカプ駅でT4トラムに乗換える。
下車駅はエディルネカプ駅。
トラムでの移動は基本難しくはないのだが、雨で視界が悪い中では、トプカプ駅の乗り換えが少し分かり難かった。 -
エディルネカプ駅到着は10時30分。
チェンベルリタシュ駅からは約30分のトラム旅だ。
トラムに乗っている間に少しでも雨が弱くなるのを期待したのだが、旅の神様もそこまでは甘くはなく、トラムを降りた母と私の前には、降りしきる雨のカーテン。
これから向かいたいのはカーリエ博物館なのだが、駅前には何の案内表記もない。
さてさて、どうしたモノか…。
地図は歩き方の大雑把なモノしかもっていないし、こういう時に頼りになるタクシーすら駅前にはいない。
駅前で傘をさし、途方に暮れる母娘ふたり。
そんな二人を心配して、後からトラムを降りたオジサンが声をかけてくれた。
とはいうもののオジサンの話す言葉は英語ではなく、トルコ語。
でも、大丈夫。
オジサンは、一言「カーリエ?」と聞いてくれたのだ。
そして、私達が頷くと、ついてこいよ♪のジェスチャー。
車がビュンビュン横切る大通りを一緒に渡ってくれ、カーリエ博物館が見える場所まで私達を連れて行ってくれた。 -
イチオシ
カーリエ博物館は別名をコーラ修道院と云い、もともとは正教会の修道院だった場所で、オスマントルコ時代にはキリスト教の壁画を全て漆喰で埋め、イスラム寺院として利用してきた場所だ。(アヤソフィアの状況と基本的には同じだ)
スルタンが施した漆喰のお蔭で、5〜11世紀に作られたコーラ修道院のフレスコ画やモザイク壁画は酸化という経年劣化から保護され、20世紀に再びこの世に蘇り、現在はカーリエ博物館として公開されている。
私が訪れた時のカーリエ博物館は外壁と内部の一部が修復中で、外壁は工事幕で覆われ外観を見ることはできなかった。
カーリエ博物館の見所は何と言ってもビザンチン時代に作られた精緻なモザイク画で、入口の直ぐ上では、【祝福を与えるキリスト】のモザイク画が見学者を出迎えてくれていた。 -
カーリエ博物館の内部は3つのパートに分かれていて、それぞれが内拝廊、外拝廊、礼拝堂と呼ばれている。
今回はオーディオガイド(15TL)を借りて見学をしたのだが、ここカーリエ博物館ではオーディオガイドが有るのと無いのではモザイク壁画に対する理解度に雲泥の差が出てくる。
この写真は外拝廊にあるモザイク画で、キリストが行った最初の奇跡、壺の中の水をワインに変えた(物質が水から有機物に変わってしまったまるで錬金術の様な奇跡)【カナの奇跡】のシーンを表している。
【カナの奇跡】については聖書で少し齧った程度なので詳しくは知らないのだが、婚礼でワインが足りなくなった信徒に対して、キリストが壺の中の水をワインに変えるという手品(奇跡)をやって見せた…というモノ。
個人的には、ワインが無ければ水で良いでしょ♪と云いたいところだが、キリスト教においてワインは神聖なるもの…(キリストの血の代用)だという事なので、大事な場面なのだろう。 -
内拝廊へと入ると、そこは一面のモザイクの世界。
天井ドームには【全能のキリスト】と【使徒】の姿がモザイクで刻まれていた。 -
イチオシ
内拝廊の対面には、聖母マリアと天使たちの姿。
モザイク画のスタイルはアヤソフィアと同じビザンチン形式なのだが、アヤソフィアの天使セラフィムやガブリエルとは雰囲気が少し異なる。カーリエ博物館 (コーラ修道院付属ソーテール聖堂) 博物館・美術館・ギャラリー
-
カーリエ博物館は、その建物内部全てがビザンチン形式の芸術品で見所も多い。
その全部を紹介していたら時間が足りなくなるので、カーリエ博物館に行くまで私が知らなかった物語のモザイク画(内拝廊)をメインとして紹介したい。
その物語の主人公はマリア様。
(正教会ではマリア様の事は生神女と呼ぶが、ここではあえて分かりやすくマリアと書かせてもらう)
マリア様はキリストの母として、その名を知られている女性だ。
私は、マリア様の名前が最初に史実(聖書)に登場するのは、大天使ガブリエルによるマリアへの受胎告知だと思っていた。
ところが、正教会にはマリア様が生まれる過程とマリア様の成長物語のモザイク画があるという。
しかも、そのマリア様は実はスーパー・ガールで、超能力少女だった…と云うのだ。 -
話の始まりは、マリア様の両親であるヨアキムとアンナの夫婦のお話から。
ヨアキムとアンナは深い愛情で結ばれていたが子宝に恵まれず20年の齢を重ねてきた。
そんなある日、天使が現れてアンナに告げる。
「あなたは、巫女となるべき子を産むでしょう」と。
(写真:聖アンナの受胎告知) -
そして、アンナは無事に女の子を出産、この子がマリアとなる。
これが【無原罪の御宿り】と云われる現象だそうだ。
実は私はカーリエでこの説明を聞くまで、キリスト教における【無原罪の御宿り】の意味を勘違いしていた。
マリア様が処女懐妊をしてキリストを宿したことを【無原罪の御宿り】というのだと思っていたのだが、実は、【無原罪の御宿り】とは、その前の段階(マリアの誕生)をも含めて指す言葉なのだそうだ。
少し難しいオトナな話となってしまうが、キリストの母であるマリアも神性を具有していると云いたいらしい。
つまり、キリストもその母であるマリアも原罪(性の欲望)を介さず生まれてきた子供であり、キリストは一点の穢れもない(原罪のない)状態で生まれてきた子であることを示している…。
キリストもその母マリアも男性のDNAの介入なしに生まれてきた子供であり、通常の人間とは異なる存在である…そんなことを言いたいようだ。
(写真:生神女誕生) -
神のお告げにより生まれた子供であるマリアは、やはりただ者ではなかった。
生後6か月にして一人で歩き始めたスーパー・ベイビーだった。
(写真:両親による生神女への愛情) -
マリアの成長の速さ、利発さに驚いた両親のヨアキムとアンナは聖職者に相談に行き、そこでマリアは神の祝福を受けた。
(写真:聖職者によって祝福された生神女) -
そして3歳になった時、マリアは修道院にその身を預けられ、父母と分かれ10年間を聖職者と共に修道院で過ごすことになった。
マリアは、利発ゆえにお転婆が若干過ぎたようで(様々な小さな奇跡を起こして見せたらしい)、初潮を迎える頃に嫁に出される(追い出される)ことが決まった。
ところが聖職者が募集したマリアの夫となる男の条件は、妻を亡くした男性だけ。
そんな男たちが各自の杖を持って神殿に集合したところ、ヨセフの持っている杖から鳩が飛び出し(まるで手品みたいだ!)ヨセフの肩にとまり、ヨセフが旦那さんに決まった…と云う事だ。
ここから先は誰もが知る有名な話で、マリアの母と同様に天使がマリアの元にやってきて、子供(キリスト)を身ごもったことを告げる…と云う展開へとなっていく。
(写真:エルサレム神殿に奉献される生神女) -
ところで、マリアの結婚相手として妻を亡くした年配の男たちがその候補者となった理由。
この理由は、カーリエ博物館のオーディオガイドでは説明が無く、さっぱり分からなかったのだが、帰国後に少し調べてみて、あくまでも推論だがその理由が分かった気がした。
当時、神聖な聖職者の居場所であった修道院。
そこは安全な場所ではあったが、完全に保護されている場所ではなかった。
例えば時の権力者が変わった場合など、修道院が焼き討ちに遭う事もあった。
(信長の比叡山延暦寺の焼き討ちなど、日本でも事例がある)
巫女として生まれてきたマリア。
美しい少女となりつつあるマリア。
彼女の姿が時の権力者の目につく前に、安全なところに避難させなければならない。
しかし、スーパー・ガールであるマリア。
そんなマリアを庇護するには同じ位の年齢の若者では役不足であり、敢て年配の男性が選ばれたのではないかと想像できる。
それも、以前に妻帯したことがある男ならば、忍耐力もあるだろう。
そして、その後にマリアの身に起こるであろう処女懐妊という説明が出来ない不可思議な出来事。
そんな時でもオトナの男ならば、おおらかな気持ちでマリアを守り抜くに違いない…。
そんなところではないか…と勝手に想像している。 -
マリア様の話は此処で終わりだが、カーリエ博物館の中には時の権力者の横暴を表すモザイク画も有り、この写真がその1つだ。
あまり良く見ると気持ち悪くなってしまう可能性があるので、サラッと見て欲しいのだが、ヘロデ王の幼児虐殺の様子を表している。 -
そして、こちらのモザイク画では、槍に突き刺された乳児の姿が・・・。
そんな時代背景からマリアの夫として寡男が選ばれた…(選ばれたヨセフさんもある意味災難だが)のではないかな。 -
イチオシ
カーリエ博物館にある芸術作品は、物語を描いたモザイク画だけではない。
窓を装飾するアーチ部分にはハートをモチーフにしたモザイク模様が施されている。 -
モザイク画とモザイク画を区切る枠の部分もオシャレなモザイク模様で、どこを見ていても飽きない。
-
天井へと繋がる柱にも美しいモザイク装飾が施されていた。
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そして、ここで紹介を忘れてはいけないモザイク画の聖人が一人いる。
この方は、キリスト教の伝道師として有名な聖パウロ(St.Paul)さんで、母と私がカッパドキアの薔薇の谷で見た【柱の教会】を掘った方だ。 -
カーリエ博物館での最後の紹介は、礼拝堂に描かれている【キリストの冥府降下図】のフレスコ画で、キリストが地獄に落ちたアダムとイブの手を引き、天上界へと引き上げている有名な絵だ。
棺桶に足を突っ込んでいるアダムとイブの姿はなんだか滑稽なのだが、アダムが白髪の老人になっているのに対し、イブはそんなにお婆さん感を感じさせない顔立ち。
やはり、レディには気を遣うのだなぁ…と絵画とは別のところで関心してしまった。 -
カーリエ博物館で1時間ほどゆっくりとモザイク画を堪能し、外へ出ると嬉しい事に雨がかなり小降りになってきていた。
傘が不要とまではいかないが、この程度の雨であれば少しは町歩きが楽しめそう…と母と二人で歩き出す。
実は、このカーリエ博物館のある地域は、バラット&フェネル地区と呼ばれるトルコでもかなり古くからある地区で、その建築物も昔ながらのトルコ式住宅が多い。
この日の天気が晴れならば、朝早くからこのバラット&フェネル地区を訪れ、古い教会や建物が立ち並ぶ街を歩こうと思っていたのだ。
しかし、あいにくの雨でその計画は没となったのだが、雨脚が弱まったので少し位は歩けそうだった。 -
イチオシ
イスタンブール初日に訪れたスルタン・アフメット地区にも2階・3階部分が張り出したトルコ式住宅が立ち並ぶ区域があったが、その様子は観光資源として最近建て直した感じだったが、この地区の住宅はペンキを塗り直してはいるものの、建物自体はかなり年季が入っている。
だからこその味わいがある風情だ。 -
普通のアパートメントだって、ただモノではなかった。
一見、灰色っぽく見えるアパートの壁面も、よく見れば…、 -
小さなタイルを張り合わせて壁とした、とてもオシャレな壁面。
-
こんな風にモザイク模様で壁を彩っているお宅も多い。
昔ながらのトルコ式住宅を見ることは諦めていただけに、最終日のここで出会えて、本当に嬉しかった。 -
雨は相変わらずシトシトと降っていたが、ここで勢いづいてしまった母と私が散歩を止めるわけがない。
晴れの日バージョンの計画にあったテオドシウスの砦探検へと行くことにした。
テオドシウスの城壁は5世紀に作られた城壁で、イスタンブールの西側をマルマラ海から金角湾を結ぶように建てられており、1600年間もの歴史を持つ城壁だ。 -
城壁の高さは高いところでは約10mあり、その全長も7kmと長い。
テオドシウスの城壁が完成したのは413年で、その後に多くの敵がやってきてはこの城壁を越え攻め入ろうとしたが、1453年にメフメット二世がコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を陥落させるまで、何人たりとも落とせなかった砦だ。
1000年もの間、難攻不落であった城壁。
もし仮に、旅の前に、その城壁の上に登れるかもしれない…なんていう情報を知ってしまったら、どう思う?…登りたくなるよねぇ?
母と私は、旅の前にそんな情報を見てしまった旅人のひとり。
基本は登れない筈の城壁なのだが、たまに鍵が開いている門がある…そんな情報を見つけていた。
だから、母と私は城壁沿いを歩き、ついに鍵のかかっていない門を見つけた。 -
登り始める前に一通り辺りを見渡し、登っては行けません標識が無い事を確認する。
階段はステップが小さく登りにくい上、斜度があり、雨がザァザァ降っていたならば登るのは無理だっただろう。
しかし、雨は小雨。
私達が登らない訳はない。
城壁の上へと登り詰める。
特にテオドシウスの城壁の上に何かがある…訳ではないのだが、ネコと何とかは高いところが好きな訳で、登れただけで満足感。
城壁は所々が崩れ落ちているので、その上をずっと歩いて行けるわけではない。 -
城壁の右側部分から金角湾に向かっての部分が、城壁により1000年もの間守られていたコンスタンチノープルの町並みで、古い家々が所狭しと立ち並んでいた。
実は、母と私が歩きたかったこの地区:バラット&フェネル地区は日本のガイドブックによれば昼間でも治安が悪く、必ず複数人で訪れる様に…と注意書きがある地区だ。
しかし、海外のイスタンブール紹介のサイトでは、観光用ではない本当の古い町並みを見ることのできる地区として、ウォーキングツアーが組まれたりしていて、かなり面白そうに紹介されている場所だ。
私もこの場所については4-TraのQAで質問するまでは知らなかったのだが、回答して下さった るなさん からこの地区についての情報を貰い、急きょイスタンブールでの予定に組み込んだ場所だ。
晴れてさえいれば、この地区の迷路のような町並みの中を歩き、昔からの変わらぬ景色をこの目で見てみたかった。
今度イスタンブールに来る機会があれば、この地区はまず最初に足を運ぶだろう。
参考文献:町歩きプランの参考にしたホームページ(るなさんの紹介♪)↓
http://www.bigboytravel.com/europe/turkey/istanbul/goldenhorn/ -
現在、テオドシウスの城壁はただの壁で、特に町の防御壁という訳ではない。
しかし、そんな城壁の内部にはこんな可愛い居住者達が居る。
テオドシウスの城壁を棲家としていたのは野良猫たち。
トルコの人達は猫好きが多く、野良猫のために城壁の中の小部屋を使って猫の家を作っていた。
雨風が吹きこまない部屋の隅にソファや布団を置き、猫たちがリラックスして過ごせる環境が出来上がっていた。
そして猫たちも、皆に可愛がられているのだろう。
体毛も整えられ、美しい毛並みをしている。
トルコの猫は幸せだ。 -
テオドシウスの城壁の上にも登れて大満足の母と私は、城壁が見えるカフェを見つけ、そこで昼食休憩。
実質的にはこれがトルコでの最後の食事となる。
カフェは完全に地元の人向けで1階は、水煙草を吸うリラックス・スペースなので、食事は2階で戴く。
雨にしっとりと濡れる城壁も風情があり、素敵だ。 -
昼食を食べている間に雨はどんどん弱くなり、私達が再び外に出た頃には、傘はもう必要ない位の霧雨状態となっていた。
私達が次に向ったのは、テオドシウスの城壁の続きのエディルネ門。
エディルネ門は、テオドシウスの城壁の1000年の守りを破ったメフメット2世がコンスタンチノープルに入る時に初めて足を踏み入れた場所。
その同じ門を、母と私も潜る。 -
メフメット2世が難攻不落のテオドシウスの城壁を落とすことが出来たのは、彼の持つ幸運の女神のパワーによるところが大きかった。
城壁の攻略のキーポイントはなんと、ビザンツ帝国側の兵士による城壁の通用門の鍵のかけ忘れ。
強運の持ち主であるメフメット2世の兵士が鍵のかかっていない城壁のゲートを見つけ、そこから一気に砦を攻め、コンスタンチノープルの町を攻略した…と云われている。
もしメフメット2世に運命の女神が微笑んでいなければ、その後のトルコの歴史すら変えていたであろうテオドシウスの城壁。
仮にメフメット君(オスマントルコ)側が鍵の開いている入口を見つけていなかったとしたら、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の栄光は15世紀以降も続き、今のイスタンブールの姿はキリスト教国の神聖な都として君臨し、現在とは全く異なるイメージの都市となっていたはずだ…。
そんな歴史のターニングポイントとなった砦の脇に立っている。
そう考えるだけでワクワクしてくる場所だ。 -
その昔は10mの高さを誇った城壁が崩れ落ち、廃墟となったかのような姿。
煉瓦と石の割れ目には鳥が落とした草木の種が入り込み、芽吹いている。
栄華盛衰の世界。
廃墟に心惹かれる私には、そんな城壁の姿がとても魅力的だった。テオドシウスの城壁 史跡・遺跡
-
1000年前のローマ・アーチが残る部分も有った。
こんな雰囲気が、たまらなく好きだ。
此処で、テオドシウス城壁に関する注意を少しだけ書いておく。
テオドシウス城壁のあたりは、遺跡好き、廃墟好き、古いもの好きな旅人にとってたまらなく魅力的な場所であることは確かだが、危険を孕む場所であるかもしれないことも認識しておく方が良い。
テオドシウスの城壁をすみか棲家としているのは、猫だけではない。
城壁沿いの空間には、定住する家を持たないヒトが住んでいる場所もある…と云う話だ。
そういう人達が全て危険という訳ではないとは思うが、危険の要素を含む可能性はあるだろう。 -
雨が上がったおかげで城壁沿いの散歩が出来、上機嫌な母と私が次に足を向けた場所は、ミフリマー・スルタン・ジャミィ。
ここは白大理石を基調にしたモスクで、女性的な香りをその意匠から感じた場所だった。ミフリマー スルタン ジャーミィ 寺院・教会
-
このモスクのデザイン担当者は、有名なオスマントルコの建築家シナンさん。
ミフリマー・スルタン・ジャミィは、名工シナンさんが密かに慕う女性の為に建てたモスクだとも言われている。
シナンさんが想いを寄せていたのはスルタンの娘であるミフリマー・スルタン。
絶対に叶わぬ恋。
主の娘への禁断の恋。
その思いが凝縮し出来たのが、このモスクだ。 -
白を基調とするドーム下には100個以上のステンドグラスから出来た窓が並び、自然光をとり入れた明るい造りになっている。
ステンドグラスのモチーフは花。
きっと王女様は花の様に可愛らしい方だったのだろう。 -
時刻はそろそろ16時近く。
この日の帰国便の飛行機は翌朝0時過ぎの深夜便だが、ホテルへの迎車は19時。
母と私のイスタンブールでの持ち時間は、もうそんなに長くはない。
来た時同様にトラムを乗り継ぎ、この旅の最後の目的地へとやってきた。
やってきたのだが、目的地に着く前にあるモノにトラップされてしまった。
私達をトラップしたモノ…それはアヤ・イリニ教会。
アヤ・イリニ教会の歴史は古く、アヤソフィアと同じ長さの時間を生きてきている教会だ。
しかし、アヤソフィアと異なる点は、そんなに教会内部が広くはなかったため、モスクとしては転用されずに倉庫として利用されたために、4世紀当初の建築スタイルがそのまま手つかずで残されているところだ。
そして、アヤ・イリニ教会は普段は内部公開はしていない筈なのに、この日は何故か門が開いていた。
門が開いているならば、入ってみるのが私達。アヤ イリニ教会 寺院・教会
-
アヤ・イリニ教会の中はガランドウで、特に何を見る…というモノはない。
でも、洞窟を削った中に作られたようなこの階段、なんだか色気があり好きだ。
進入禁止のロープさえなかったら、迷わず階段の上へと引き寄せられてしまうような階段だ。
アヤ・イリニ教会はそのなにも無さ故に通常は公開をされておらず、コンサート会場として利用されることが多いそうだ。
天井もドーム型の為、コンサートを開いたら音の反響の大きさは良いのだろう…と容易に想像はつく。 -
そして、アヤ・イリニ教会から歩いて5分、最終目的地の考古学博物館へと辿り着いた。
考古学博物館へと来たのは母のリクエスト。
此処には母が会いたかったモノがあった。
それは、博物館前に鎮座するライオンの像。
実は、2015年の春は考古学博物館は全面リフォーム中で、その展示もバラバラになっているため、私自身は今回の旅程には入れていなかったのだが、母のたっての希望が、このライオンさん。
どうしてもこの子に会いたかったそうだ。
(どうやら、何かの本でこのライオン像についての記述を読んだらしい…)国立考古学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
母がライオンの像と戯れている間、私が遊んでいたのは敷地内に出没する小さなライオンさんである猫。
多分、ノラ猫だと思うのだが皆が可愛がるので人間を怖がらない。
ただ、足元にすり寄って来るのかというとそういう訳ではなく、一定の距離を保ち、こちらの出方を窺っていた。 -
時刻は18時。もう本当にホテルへと戻らなければならない時間だ。
でもその前に、ホテルへの通り道にある場所で一か所だけ立ち寄りたいところがあった。
そこは4-Traのトラベラーの aoitomoさん に教えて頂いたアヤソフィアとブルーモスクが一望出来る絶景テラス・レストランのある場所:アルカディア・ブルー・ホテルだ。
レストランのテラス席に座り、絞りたてのフレッシュ・ジュースを飲みながら、最後となるイスタンブールの光景を脳裏に焼き付ける。
雨も上がり、少し靄のかかる空気の中に浮かび上がるアヤソフィアとブルーモスク。
その姿は、旅の前にイメージで抱いていたよりも美しく、艶やかだった。アヤソフィア 寺院・教会
-
イチオシ
2015年の春に71歳になる母と共に訪れたトルコ。
旅の4か月前にはトルコの隣国シリアで日本人人質殺害事件があり、旅の前には、周りの人からも「本当に行くの?危険ではないの?」等の様々な意見をいただいた旅だった。
しかし実際に足を運んでみれば、トルコはアッラーもキリストも受け入れることのできるおおらかな人達が住む国で、少なくとも観光地自体はテロの影響も紛争地の影響も受けていない場所だった。
しかし、今、その土地に、不穏な空気が漂い始めている。
不穏な空気の元凶は、宗教間の戦いという蓑を被ったテロ組織との対立だ。
これから、世界情勢はどの様に変わっていってしまうのだろうか…。
トルコ、そして中東地域の平和と安定。
それが1日でも早く実現する事を願っている。ホテル アルカディア ブルー イスタンブール ホテル
-
旅行記の最後に旅の予算についてまとめておく。
☆トルコ旅の支出☆
【国際線】113150円/一人(サーチャージ、税金込)
トルコ航空の正規割引航空券を利用:旅の10か月前に購入
【現地手配】手配代金:200000円/二人
・イスタンブール―カッパドキア 往復航空券
・カッパドキア洞窟ホテル2泊(朝食付き)
・カッパドキアホームステイ2泊(朝・昼・夕食付き)
・イスタンブール2泊(朝食付き)
・カッパドキア3日間の日本語プライベード観光(3日間の昼食・入場料付)
・カッパドキアでの気球モーニング・フライト1時間
(天候等によりバルーン・ライドが実施できない場合:1万円/一人の返金らしい)
現地手配会社:ストリーム
日本語問い合わせ先:http://www.streamcotours.com/
カッパドキア本社:http://www.turkey-travelplan.com/
【観光代金】18800円/一人
・各施設の入場料とオーディオ・ガイド代と交通費
・ホジャパシャ文化センターでのセマー舞踊
【食費】13100円/一人
カッドキア 夕食1回
イスタンブール 夕食2回、昼食3回
カフェでのお茶等
【参考まで…土産代】26000円/一人
トルコは素敵なものが沢山で、ついつい買い過ぎてしまうかも…
【旅の総支出】245050円/一人(土産物は除く)
前の旅行記:【11】メドゥーサの微笑み☆美味い話にウラは無い!
http://4travel.jp/travelogue/11050701スルタン アフメト モスク 寺院・教会
-
【旅を終えて】
1年前、母と旅したトルコ。
カッパドキア、イスタンブールで一週間の滞在でした。
沢山の方に出会い、素敵な思い出が両手に抱えきれないほどできました。
思い出がいっぱいありすぎて旅行記が全然先には進まなく、本当に旅行記を書き終えることが出来るのだろうか…と云う不安が頭をよぎることもありました。
でも、そんな旅行記もこの第12章が最終章。
ようやく完成しました。
そして、母と私のトルコ旅の一部が歩き方の最新版に載ることになり、3月に刊行。
私がガイドブックを見て、旅のプランニングにワクワクしたように、母と私の旅が誰かをドキドキさせることができたら、嬉しいな。
そんな風に思います。
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この旅行記へのコメント (12)
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- ラクパグさん 2016/01/29 10:06:34
- いつも ありがとうございます。ラクパグです
- ウエンディさん はじめまして ラクパグです
トルコ 表紙の写真が 本当に きれいです!!
トルコは怖いと思ってたのが 本当に素晴らしい国ですね。
イスラム様式 モスク 美しいです。地下も凄くて
驚きの 歴史です。私も もう1度行きたいなと
思ってたのですが 残念です。勝手に
フォローさせていただきました。
今年もよろしくお願いします。ラクパグ
- ウェンディさん からの返信 2016/01/30 08:38:45
- RE: いつも ありがとうございます。ラクパグです
- ラクパグさん はじめまして。
フォローをありがとうございます。
私も旅情報を探している時にふとした拍子にラクパグさんの旅行記に辿り着き、写真の素敵さに見惚れていました。
アングルも生の写真を更に効果的に魅せる特殊効果の使い方も参考になります。
トルコは中東にあるので、今回のテロの件はとうとう…という感じでしたが、なかなか簡単にはちょっと行ってくる!と行ける国ではなくなってしまいましたね。
早く中東情勢が安定してくれると良いのですが。
最後になりましたが、私からのフォローもよろしくお願いします。
ウェンディ
-
- 旅するうさぎさん 2016/01/23 23:55:59
- こんにちは。
- こんにちは、ウェンディさん。
トルコ親子旅行の最終章、拝見しました。
カーリエ博物館のモザイク画、
とても分かりやすいですし、美しいです。
こんなモザイク画を現地で実際に見たら、
いつまでも見入ってしまいそうです。
私も場所は違いますが、チロルの村の壁絵で
「無原罪の御宿り」の絵や、
聖母マリアの母が、幼いマリアに書物を手ほどきしている
「マリアの教育の場面」というのを見たことがあったので、
そういう部分も興味深かったです。
最後の方に出てきたミフリマー・スルタン・ジャミィは、
確かに女性的な繊細な美しさがありますね。
素敵なモスクだと思いました。
そうそう、映画「海難1890」はもう見ましたか?
私は先月見たのですが、涙が止まりませんでした。
他の観客の人達も泣いている様子でした。
日本とトルコの時を越えた友情が描かれていて、
とても良い映画でした。
トルコが平和であってほしいと願います。
旅するうさぎ
- ウェンディさん からの返信 2016/01/25 21:23:55
- RE: こんにちは。
- 旅するうさぎさん こんばんは。
トルコへの旅はオスマントルコの歴史、そして十字軍やギリシア正教の物語を紐解く旅でした。
信じるモノがあるが故の意思の強さ、そして残酷さ…。
宗教の複雑さを現地に残る壁画や遺跡、そして今、トルコで暮らす人たちから教わりました。
現地で初めて見聞きすることも多かった旅でしたが、帰国後に調べて納得したり、旅するうさぎさんに教えて頂いて初めて人物関係が見えてきたり…、旅の準備段階、旅をしている時、そして、旅の後も様々な事を学びました。
映画『海難1890』は未だ見に行っていないので、1月中には行こう♪と思っています。
一緒にトルコへと行った母は公開初日に見に行っていました。
本で話の内容は知っていますが、きっと映画を見たら涙があふれるのでしょう。
トルコを含め、中東地域の平和、特にシリアの人達が以前の様に落ち着いて暮らせる日が早く来るといいですね。
ウェンディ
-
- mistralさん 2016/01/16 20:35:34
- 思い出の追体験。
- ウェンディさん
こんばんは。
mistralです。
サンティアゴ デ コンポステーラの旅行記に
投票をありがとうございました。
今、イスタンブールの旅行記、最終章を拝見しました。
長期にわたっての投稿、お疲れ様でした。
mistralにとりましてもイスタンブールは昨年5月の旅!
のはず?
でも、懐かしい想いで一杯になって拝見しました。
カーリエ博物館のモザイク画の説明、とっても納得。
エディルネ門、訪ね歩き、発見したときの感激!
これが、あの、スルタンが入場を果たした門!
などなど、追体験させていただきました。
mistral
- ウェンディさん からの返信 2016/01/17 22:18:38
- RE: 思い出の追体験。
- mistralさん こんばんは。
ゆっくりと書いてきたトルコ旅行記もとうとう最終章を迎えました。旅行記を書き始めた時は12章もの長さになるとは予想していませんでしたが、筆が(指が)勝手に動いて、気が付いたらカッパドキア編だけでも7章。それだけ思い出がたっぷりの旅だったのだと思います。
イスタンブールではmistralさんとお友達も行かれたカーリエ博物館、そしてメフメット2世が1000年の守りを崩したテオドシウスの城壁へと足を運びました。テオドシウスの城壁は最初に作られてから1500年が経とうとしていますが、建築当初のローマ・アーチが今なお残る場所も有り、時の流れと共にローマ時代の建築技術力の高さを実感しました。
イスタンブールという町は様々な物語の舞台となっているので、町歩きをしていると物語の舞台となった場所が不意に目の前に開けていたりして、通常の観光旅行よりもずっと面白いですね。
「コンスタンティノープルの陥落」は私も読みました。この本を読んだおかげでイスタンブールでの散策が一層興味深いものになったのだと思います。
アヤ・ソフィア(ハギヤ・ソフィア)を訪れた時、コンスタンティヌス11世が最後の礼拝を行った場所はここだったのか…と思い、観光客のざわめきの中から当時の光景を感じとりました。
テオドシウスの城壁沿いで砦の上へと上がる鍵の開いた門を見つけた時も、オスマントルコの兵士の気持ちに想いを馳せました。
今回、初めて訪れたトルコでしたが、まだまだ見てみたい場所は沢山あります。
またいずれ…と思っていましたが、とうとう、イスタンブールでも自爆テロ事件が起き、中東の安全が脅かされつつあります。
これからどのように事態が進んでいくのか、心配ですね。
ウェンディ
-
- aoitomoさん 2016/01/15 11:23:47
- トルコ旅行記お疲れ様です〜
- ウェンディさん こんにちは〜
トルコ旅行記お疲れ様です。
娘もトルコに行きたいと言ってましたたが、
『ツアーなら大丈夫では・・』と言っていた矢先の、またの爆弾テロ。
いよいよ、真剣に遠い親日国になってしまった状況です。
イスタンブールにしても、ディープな散策はさすが、ウェンディさんです。
コメントでも現地手配の計画の立て方は凄く参考になりますが、簡単に真似できるレベルではありません。
『カーリエ博物館』
マリア様の話といいヘロデ王の横暴といい話がわかれば、ますますモザイク画も面白いです。細かい観察もお見事です。
『バラット&フェネル地区』
ウェンディさんやるなさんのディープな地区散策はこれから旅するものにとって凄く役に立ちます。フリーでイスタンブールに行けたなら行ってみたい場所です。
『テオドシウスの砦』
鍵が開いている門を探して登るというのも凄い話です。
確かに、砦とあらば登りたくなります。
上には絶景が待ってますからね。
『ミフリマー スルタン ジャーミィ』
白さが特に美しいモスクですね。
ブルーモスクもいいですが、混んでないこんな場所でゆっくりとモスクを満喫したいです。
『考古学博物館』
このライオンかどうかは覚えてないのですが、
ライオンを見たことがない人が造ったライオン像というのは聞いたことがあります。
ですから、たてがみを忘れているようです。
『アルカディア・ブルー・ホテル』
わざわざ足を運んでくれてありがとうございます。
最後となるイスタンブールの光景を目に焼き付けるにはいいかもしれません。
私は、ここからの景色を見たいがために、ブルーモスク、アヤソフィア、トプカプ宮殿、地下宮殿と見た後、飛んでいきました。
いつも、度胆をぬく旅を楽しませていただきありがとうございます。
旅の行動とは想像もできない可愛らしいウェンディさんの姿も拝ませていただきました〜(笑)
aoitomo
- ウェンディさん からの返信 2016/01/16 01:28:12
- RE: トルコ旅行記お疲れ様です〜
- aoitomoさん こんばんは。
トルコ旅行記、終了までに8か月かかりました。
そして旅行記の冊数も12冊。今までの最長記録を更新!です。
実は、私がトルコへの旅を決めるきっかけとなったのが、aoitomoさんのトルコ旅行記です。
丁寧な解説と綺麗な写真に触発され、いいな〜、行きたいな〜と思っている時に、「トルコ、行ってみたいな〜」の神の声。
神の声の主は母だったのですが、二人で話し合い、あっという間にトルコ行きが決定!で、一週間もしない内に航空券を購入しました。
その後は何回もaoitomoさんの旅行記を拝見して、ポイントをメモしたりしていましたが、毎回笑わせてもらったのが地下都市での【アナ雪】の替え歌でした。
今回の母と二人のトルコ旅では、出来るだけのんびり・ゆっくり・丁寧に廻ろうという事で9日間の日程をカッパドキアとイスタンブールに絞り込みましたが、それでも足りませんでした。
カッパドキアでは、歩きたいトレイルが他にもありましたし、ホームステイをもっと長くして、お料理やトルコ語を教わりたかったです。
イスタンブールでも、近郊のエディルネにも行きたかったですし、ハンと呼ばれる隊商宿探しも最後までやりたかった!
まだまだやり残したことが沢山あります。
次に行く時には…と思っていましたが、旅行記の最終章を書いている時に起こったイスタンブールのテロ事件。
今までほど安心してノホホンとした観光は難しくなるかもしれませんね。
考古学博物館のライオンの像、タテガミを忘れたライオンという見方もあるのですね。
私は、コレはメスのライオンなのか、ライオンという名のトラなのか(張り子の虎に似ていませんか)…と思っていました。
ウェンディ
-
- スイカさん 2016/01/15 08:13:38
- 今は大変なトルコ
- おはようございます。ウェンディさん
今は大変なトルコ、綺麗な写真たくさんでよかったです。
ファティマとアイシャも出演ししてたので更によかったです。
スイカ
- ウェンディさん からの返信 2016/01/16 01:06:37
- RE: 今は大変なトルコ
- スイカさん こんばんは。
トルコは紛争地帯に隣接しているとはいえ、観光地と云われる場所は安全であると思っていましたが、昨年秋のアンカラ、そして1月のイスタンブールでの自爆テロと続き、外務省が出すイスタンブールの渡航情報の危険度が上がりそうな気配ですね。
でも、今回のテロ事件、これは対岸の火事ではないかもしれません。
今回の自爆テロの場所、イスタンブールのスルタンアフメット広場と云えば日本でいえば、皇居前広場みたいなもの。
島国である日本には武器を持ち込むのは容易くはありませんが、持ち込んでしまえば日本で同じようなテロが起きる可能性も否定できません。
パリでのテロの件も有りますし、私達も様々なことにアンテナを張り巡す必要がある世の中になってきているのかもしれませんね。
さて、ファティマとアイシャが登場する旅行記はこれで終わりです。
まだ旅行記が書きかけの【スペイン女子旅♪】や書き始めたばかりの【メキシコ一人旅】では、自身の写真は撮らなかったので…。
トルコ旅行記は私にしては珍しく、人物写真の多いシリーズとなりました。
ウェンディ
-
- きなこさん 2016/01/14 20:42:29
- 無原罪の御宿り
- こんにちは〜ウェンディさん
私も全く別の解釈をしていました
そうだったんですね
マリア様から二代続いて
本当にお勉強になります
中高と歴史が苦手で社会は政経を選択していました
いえいえ!好きじゃなくて消去法で(笑)
でも今こうしてウェンディさんから色々な事を楽しく学ばせて頂いています
有難うござい
きなこ
お母様のコメント素敵です
- ウェンディさん からの返信 2016/01/16 00:46:45
- RE: 無原罪の御宿り
- きなこさん こんばんは。
カーリエ博物館(コーラ修道院)のモザイク画については私も殆ど知識を持たずに訪れてしまったので、オーディオガイドの説明が頼りでした。(日本語があって良かったです)
マリア様の子供時代の話や不思議な能力についてのお話は非常に興味深かったのです。
帰国後に少しだけ、マリアとアンナ(マリアの母)の話について調べてみたのですが、マリアの母の話はどうやら初期のころの聖書にはなかった話で、後世になって(といっても5世紀とかの話)キリスト信仰からマリア信仰が派生した時にマリア様も神様なのだから通常の人間と同じ生まれ方をしてきてはいけない。だから、マリアの両親の話(アンナの処女懐妊)の話が作られた(でっち上げられた)なんていう説もあるようです。
因みに現在のローマ法王系のカトリック教会が教義としてマリアの両親の事を正式に取り込んだのは19世紀という事です。
あと、12/24ってクリスマスイブ・キリストの誕生日の前日っていう事で盛大なお祝いがあったりしますが、実はこれも一説によればガセではないかという話もあります。
では、なんで12/25がキリスト生誕の日と云われているのか…。
それは、太陽の動き(カレンダー)を農民の人達に分かりやすく理解してもらう為と、彼らに畏怖を与えるため。
太陽の南中高度が1年で1番低い日:冬至の日って12/22前後ですよね。
キリストの誕生日が冬至の日に近ければカレンダーも理解しやすいですし、第一、キリストの誕生日を境に、どんどん日照時間が長くなってくる!というのは当時の農民にとってはとっても大事な事。
神を印象付けるにはもってこいの日だったみたいですよ。
キリストの誕生日として有力な説は、秋の時期(10月)頃みたいです。
私も、学生時代は社会科は苦手でした。
でも、今は地図を見たり、歴史書を読んだり、伝記を読んだり、そして聖書を紐解いたり、とても楽しい学問だと思っています。
テストが無いから気楽なんですね。
自分の興味あることを勉強するのは楽しいです。
ウェンディ
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