松江・松江しんじ湖温泉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
あれから、どの程の月日が過ぎたことでしょう。<br />浮世を離れ、ヘルンと共に“彼の地”と呼ばれる場所で身を横たえ、永い時が過ぎました。<br /><br />肉体を離れた魂と呼ばれるモノは、時空を超えることも自在でございます。<br />私は時折ヘルンの下を離れ、魂の旅に出ます。<br /><br />あれは、いつの事だったのでしょうか。<br />隠岐で、私がヘルンについて語った言葉を記した本を持つ女性(にょしょう)を見かけたのは…。<br /><br />殿方がお召しになる様な洋装の女性は西ノ島の黒木御所跡の高台で、我が夫“Patrick Lafcadio Hearn”の本を片手に海を眺めていました。<br />その女性に親しみを覚えた私は、女性に留まり、しばし現し世を漂う事にいたしました。<br /><br />私の名は、小泉セツ。<br />我が夫は、日本では小泉八雲として知られるギリシア血脈の明治の文筆家でございます。

Femme Fatale -運命の赤い糸-【ヘルンが愛した神々の国:セツの独白】

88いいね!

2016/09/02 - 2018/12/09

61位(同エリア1233件中)

旅行記グループ Girls Trip -街散歩-

2

50

ウェンディ

ウェンディさん

この旅行記のスケジュール

2016/09/04

この旅行記スケジュールを元に

あれから、どの程の月日が過ぎたことでしょう。
浮世を離れ、ヘルンと共に“彼の地”と呼ばれる場所で身を横たえ、永い時が過ぎました。

肉体を離れた魂と呼ばれるモノは、時空を超えることも自在でございます。
私は時折ヘルンの下を離れ、魂の旅に出ます。

あれは、いつの事だったのでしょうか。
隠岐で、私がヘルンについて語った言葉を記した本を持つ女性(にょしょう)を見かけたのは…。

殿方がお召しになる様な洋装の女性は西ノ島の黒木御所跡の高台で、我が夫“Patrick Lafcadio Hearn”の本を片手に海を眺めていました。
その女性に親しみを覚えた私は、女性に留まり、しばし現し世を漂う事にいたしました。

私の名は、小泉セツ。
我が夫は、日本では小泉八雲として知られるギリシア血脈の明治の文筆家でございます。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス JALグループ ANAグループ JRローカル 徒歩

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  • ☆★☆★2016.9月 お気楽・隠岐 一人旅・旅程☆★☆★<br />□9/2 羽田-米子空港-七類港-別府港-国賀めぐり観光船<br />□9/3 西ノ島サイクリング 摩天崖-国賀海岸-赤尾展望所-鬼舞展望所-焼火神社<br />■9/4 別府港-境港-松江-小泉八雲の幻想世界<br />□9/5 松江-足立美術館-境港の妖怪の世界 米子空港-羽田<br /><br />    ☆★☆★★2016年9月 お気楽・隠岐 一人旅 旅行記☆★☆★<br />【1】蒼の洞窟へ♪ http://4travel.jp/travelogue/11171204<br />【2】天空の摩天崖 http://4travel.jp/travelogue/11183051<br />【3】天国と地獄 http://4travel.jp/travelogue/11187018<br />【4】ヘルンが愛した松江 https://4travel.jp/travelogue/11432271<br />【5】妖怪は何処へ消えた  https://4travel.jp/travelogue/11436287

    ☆★☆★2016.9月 お気楽・隠岐 一人旅・旅程☆★☆★
    □9/2 羽田-米子空港-七類港-別府港-国賀めぐり観光船
    □9/3 西ノ島サイクリング 摩天崖-国賀海岸-赤尾展望所-鬼舞展望所-焼火神社
    ■9/4 別府港-境港-松江-小泉八雲の幻想世界
    □9/5 松江-足立美術館-境港の妖怪の世界 米子空港-羽田

        ☆★☆★★2016年9月 お気楽・隠岐 一人旅 旅行記☆★☆★
    【1】蒼の洞窟へ♪ http://4travel.jp/travelogue/11171204
    【2】天空の摩天崖 http://4travel.jp/travelogue/11183051
    【3】天国と地獄 http://4travel.jp/travelogue/11187018
    【4】ヘルンが愛した松江 https://4travel.jp/travelogue/11432271
    【5】妖怪は何処へ消えた https://4travel.jp/travelogue/11436287

  • ---旅日記 1--<br />台風に追われながらも、隠岐諸島の西ノ島での絶景三昧の旅を楽しんだ私が向かったのは島根県の松江市。<br /><br />本来ならば最終便の船で脱出するはずであった西の島を7:40の朝イチのジェットフォイルで離島した。  <br />

    ---旅日記 1--
    台風に追われながらも、隠岐諸島の西ノ島での絶景三昧の旅を楽しんだ私が向かったのは島根県の松江市。

    本来ならば最終便の船で脱出するはずであった西の島を7:40の朝イチのジェットフォイルで離島した。  

  • 台風の進路は予想よりユックリではあったが、台風のもたらす風は海の波を苛立たせ、この日の夕方の船は欠航が決定していて、隠岐諸島に滞在していた旅人には朝の便に乗り本土に戻るという選択肢しか残されていなかった。<br /><br />10時過ぎに到着した境港からはバスで松江市へと向かう。  <br />

    台風の進路は予想よりユックリではあったが、台風のもたらす風は海の波を苛立たせ、この日の夕方の船は欠航が決定していて、隠岐諸島に滞在していた旅人には朝の便に乗り本土に戻るという選択肢しか残されていなかった。

    10時過ぎに到着した境港からはバスで松江市へと向かう。

    境港フェリーターミナル 乗り物

  • 松江駅まではシャトルバスで40分(運賃1000円)。<br /><br />松江駅への到着は11:00。<br />まずは駅徒歩5分のホテルへと荷物を預け、駅前で市バスの一日券を購入する。<br /><br />

    松江駅まではシャトルバスで40分(運賃1000円)。

    松江駅への到着は11:00。
    まずは駅徒歩5分のホテルへと荷物を預け、駅前で市バスの一日券を購入する。

  • 松江市はそれほど大きな街ではないので、市内循環バスの1日乗車券を購入すれば、ほぼ1日で観光が出来る。<br />バスの1日乗車券(ぐるっと松江レイクライン)は500円。<br /><br />バスの内装は明治や大正時代を彷彿とさせるレトロな雰囲気だった。<br />

    松江市はそれほど大きな街ではないので、市内循環バスの1日乗車券を購入すれば、ほぼ1日で観光が出来る。
    バスの1日乗車券(ぐるっと松江レイクライン)は500円。

    バスの内装は明治や大正時代を彷彿とさせるレトロな雰囲気だった。

    ぐるっと松江レイクライン 乗り物

  • この日は西ノ島での出立が早く民宿での朝食が食べられなかったので、腹ペコ。<br />観光前にまずは腹ごしらえをしなくては私が倒れてしまう。<br /><br />松江駅からバスに乗り県庁前バス停で下車し、出雲そばで有名な一色庵(いっしきあん)へと吸い込まれるように入る。  <br /><br />

    この日は西ノ島での出立が早く民宿での朝食が食べられなかったので、腹ペコ。
    観光前にまずは腹ごしらえをしなくては私が倒れてしまう。

    松江駅からバスに乗り県庁前バス停で下車し、出雲そばで有名な一色庵(いっしきあん)へと吸い込まれるように入る。  

  • ---セツの独白 1---<br />私の名前は、セツ。<br />小説「怪談」の著者として知られる小泉八雲(ヘルン)の妻でございます。<br />後世ではヘルンの事をラフカディオ・ハーンと呼ぶ方が多いそうではございますが、八雲自身が“ヘルンさん”と呼ばれることを好んでいましたので、此処では敢て“ヘルン”と呼ばせていただきとうございます。<br /><br />ヘルンが松江へとやって来たのは明治23年(1890年)のこと。<br />島根県尋常中学校と師範学校の英語教師として松江に赴任して参りました。<br /><br />松江の蕎麦は“出雲そば”や“割子そば”と呼ばれておりまして、他の地域の蕎麦の食し方と異なる食の作法がございます。<br />三種類の薬味を蕎麦に乗せ食するのですが、だし汁に卵の白身が隠し味として入っております。<br /><br />ヘルンはこの出雲蕎麦を大変気に入っていたものでございました。<br />

    ---セツの独白 1---
    私の名前は、セツ。
    小説「怪談」の著者として知られる小泉八雲(ヘルン)の妻でございます。
    後世ではヘルンの事をラフカディオ・ハーンと呼ぶ方が多いそうではございますが、八雲自身が“ヘルンさん”と呼ばれることを好んでいましたので、此処では敢て“ヘルン”と呼ばせていただきとうございます。

    ヘルンが松江へとやって来たのは明治23年(1890年)のこと。
    島根県尋常中学校と師範学校の英語教師として松江に赴任して参りました。

    松江の蕎麦は“出雲そば”や“割子そば”と呼ばれておりまして、他の地域の蕎麦の食し方と異なる食の作法がございます。
    三種類の薬味を蕎麦に乗せ食するのですが、だし汁に卵の白身が隠し味として入っております。

    ヘルンはこの出雲蕎麦を大変気に入っていたものでございました。

  • 出雲そばの特徴は三段重ねの割子と呼ばれる容器にございます。<br />蕎麦は三段の割子に入れられ、1段目の割子にだし汁を入れ食したあと、残りのだし汁を順に2段目・3段目の蕎麦へとかけ、最後に、残っただし汁を蕎麦湯に入れて飲み干すのがこの辺りでの流儀でありました。<br /><br />日本での最初の蕎麦が横浜であったヘルンには、お江戸方式とは異なる出雲そばの一風変わった食べ方が面白かったらしく、松江に居る間は出雲そばを好んで食べておりました。

    出雲そばの特徴は三段重ねの割子と呼ばれる容器にございます。
    蕎麦は三段の割子に入れられ、1段目の割子にだし汁を入れ食したあと、残りのだし汁を順に2段目・3段目の蕎麦へとかけ、最後に、残っただし汁を蕎麦湯に入れて飲み干すのがこの辺りでの流儀でありました。

    日本での最初の蕎麦が横浜であったヘルンには、お江戸方式とは異なる出雲そばの一風変わった食べ方が面白かったらしく、松江に居る間は出雲そばを好んで食べておりました。

    一色庵 グルメ・レストラン

    優しい主が作る出雲そば by ウェンディさん
  • ---旅日記 2---<br />一色庵で出雲そば(1080円)を食べお腹を満たした私は、本格的な松江観光へ。<br />松江の観光はこの日の午後半日しかなかったので、あまり行動範囲は広げずに松江城周辺エリアと夕方の宍道湖だけに絞り込んだ。<br /><br />今回の隠岐諸島への旅で、旅の最終泊に松江を加えたのには2つの理由があった。<br /><br />1番の理由は、隠岐旅が島旅なので旅程や船便にトラブルがあった場合の回避処置や、何らかの理由で早く島を離れなくなった時のバックアッププランとして。<br />もう1つの理由は、松江にはいつか行ってみたいと思っていたから。<br /><br />最終的に今回の島旅では、台風の影響で島旅を1日早く切り上げなければならなくなり、準備していたバックップ計画を発動することとなり、松江と足立美術館(鳥取)を1泊2日で組み入れることとなった。<br /><br />私が松江に行ってみたいと思っていた理由は、そこが小泉八雲に縁の地であるから。<br /><br />小泉八雲;ラフカディオ・ハーンとして知られる作家の小説を初めて読んだのは小学生の時。<br />読んだ本は子供向けにアレンジされた「怪談」。<br />どの話も現実の世界の事とは思えずに空恐ろしかったのだが、中でもズシンと心の奥底に残ったのは「雪女」というタイトルの小話。<br />冬になると雪が降りつもる新潟で子供時代を過ごした私にとっては、物音が全て吸い取られてしまうシンシンと雪が降り積む夜に読む「雪女」の話は、絵空事ではなかった。<br /><br />家族がみな、寝静まった雪の夜。<br />ふと目を覚ますと、雪明りに照らされた障子戸に髪の長い和装女性の影を見た…気がしたのは1度や2度ではない。<br /><br />そしてオトナになってから、小泉八雲の書いた話は全て英文であり、その話のソースは妻である小泉セツ(セツではなく本名は節子であったとする文献も有る)がヘルン語で語る日本民話であったと知った。<br /><br />節子と八雲が出会ったのが、島根県松江市。<br />2人が出会う運命が無ければ、八雲が後世に残る名作を書くこともなかっただろう。<br />

    ---旅日記 2---
    一色庵で出雲そば(1080円)を食べお腹を満たした私は、本格的な松江観光へ。
    松江の観光はこの日の午後半日しかなかったので、あまり行動範囲は広げずに松江城周辺エリアと夕方の宍道湖だけに絞り込んだ。

    今回の隠岐諸島への旅で、旅の最終泊に松江を加えたのには2つの理由があった。

    1番の理由は、隠岐旅が島旅なので旅程や船便にトラブルがあった場合の回避処置や、何らかの理由で早く島を離れなくなった時のバックアッププランとして。
    もう1つの理由は、松江にはいつか行ってみたいと思っていたから。

    最終的に今回の島旅では、台風の影響で島旅を1日早く切り上げなければならなくなり、準備していたバックップ計画を発動することとなり、松江と足立美術館(鳥取)を1泊2日で組み入れることとなった。

    私が松江に行ってみたいと思っていた理由は、そこが小泉八雲に縁の地であるから。

    小泉八雲;ラフカディオ・ハーンとして知られる作家の小説を初めて読んだのは小学生の時。
    読んだ本は子供向けにアレンジされた「怪談」。
    どの話も現実の世界の事とは思えずに空恐ろしかったのだが、中でもズシンと心の奥底に残ったのは「雪女」というタイトルの小話。
    冬になると雪が降りつもる新潟で子供時代を過ごした私にとっては、物音が全て吸い取られてしまうシンシンと雪が降り積む夜に読む「雪女」の話は、絵空事ではなかった。

    家族がみな、寝静まった雪の夜。
    ふと目を覚ますと、雪明りに照らされた障子戸に髪の長い和装女性の影を見た…気がしたのは1度や2度ではない。

    そしてオトナになってから、小泉八雲の書いた話は全て英文であり、その話のソースは妻である小泉セツ(セツではなく本名は節子であったとする文献も有る)がヘルン語で語る日本民話であったと知った。

    節子と八雲が出会ったのが、島根県松江市。
    2人が出会う運命が無ければ、八雲が後世に残る名作を書くこともなかっただろう。

  • 道路を渡り、松江城の敷地内へと入る。<br />9月とはいえ、まだ残暑が残る季節。<br /><br />お堀沿いの緑地帯の中は、木々の下を通り抜ける風が少しだけ心地よい。<br />

    道路を渡り、松江城の敷地内へと入る。
    9月とはいえ、まだ残暑が残る季節。

    お堀沿いの緑地帯の中は、木々の下を通り抜ける風が少しだけ心地よい。

  • 城址沿いでギリギリ井戸跡という場所を発見した。<br /><br />なにやら曰くがありげな名前なのだが、やはり、その推測は大当たり。<br /><br />その昔、松江城を築城する際に、いくら石を積み上げてもすぐに崩れてしまう石垣があり、その現象を不審に思った城主が石垣の下を調べたところ、頭に矢が刺さった古い頭蓋骨が埋まっていたそうだ。<br />不憫に感じた城主が頭蓋骨を丁寧に弔った所、城壁が崩れることは無くなった…とする伝説が残っている。<br /><br />城が出来上がるギリギリのタイミングで出来た城壁の傍にある井戸だから、ギリギリ井戸…と呼ばれている訳ではない。<br /><br />山陰地方の方言でギリギリとは頭頂部のつむじを指す言葉で、頭蓋骨(ギリギリ)を弔った後の場所から水がこんこんと湧き出るようになり、そこに井戸が作られ、ギリギリ井戸と呼ばれる水場になったという事だ。<br />

    城址沿いでギリギリ井戸跡という場所を発見した。

    なにやら曰くがありげな名前なのだが、やはり、その推測は大当たり。

    その昔、松江城を築城する際に、いくら石を積み上げてもすぐに崩れてしまう石垣があり、その現象を不審に思った城主が石垣の下を調べたところ、頭に矢が刺さった古い頭蓋骨が埋まっていたそうだ。
    不憫に感じた城主が頭蓋骨を丁寧に弔った所、城壁が崩れることは無くなった…とする伝説が残っている。

    城が出来上がるギリギリのタイミングで出来た城壁の傍にある井戸だから、ギリギリ井戸…と呼ばれている訳ではない。

    山陰地方の方言でギリギリとは頭頂部のつむじを指す言葉で、頭蓋骨(ギリギリ)を弔った後の場所から水がこんこんと湧き出るようになり、そこに井戸が作られ、ギリギリ井戸と呼ばれる水場になったという事だ。

  • ギリギリ井戸の脇を通り抜け、向かった先は松江城の敷地内にある城山稲荷神社。<br />ここは石狐がいるパワースポットとして有名な場所。<br /><br />でも、私の目的はパワースポットではなく、小泉八雲が愛した石狐に会う事。<br /><br />

    ギリギリ井戸の脇を通り抜け、向かった先は松江城の敷地内にある城山稲荷神社。
    ここは石狐がいるパワースポットとして有名な場所。

    でも、私の目的はパワースポットではなく、小泉八雲が愛した石狐に会う事。

    城山稲荷神社 寺・神社・教会

    ヘルンが愛した耳欠き狐 by ウェンディさん
  • 神社の参道には2000体もの石狐が鎮座していて、その中にいる石珠を持つ狐が願い事をかなえてくれるパワーを持つ狐らしいのだが、私が探しているのは残念ながらその狐ではない(私自身が、後付けの理由や昨今の流行から作られたパワースポットとか呼ばれる場所には一切興味はない)。<br /><br />パワースポットの狐像よりも更に時代が古い、石が摩耗し目鼻立ちも分からなくなったお狐様だ。<br />

    神社の参道には2000体もの石狐が鎮座していて、その中にいる石珠を持つ狐が願い事をかなえてくれるパワーを持つ狐らしいのだが、私が探しているのは残念ながらその狐ではない(私自身が、後付けの理由や昨今の流行から作られたパワースポットとか呼ばれる場所には一切興味はない)。

    パワースポットの狐像よりも更に時代が古い、石が摩耗し目鼻立ちも分からなくなったお狐様だ。

  • ---セツの独白 2---<br />城山稲荷神社。<br />あゝ、なんて懐かしい景色なのでしょう。<br /><br />この神社はヘルンが毎日、お仕事へと向かう時に立ち寄っていた場所でございます。<br />

    ---セツの独白 2---
    城山稲荷神社。
    あゝ、なんて懐かしい景色なのでしょう。

    この神社はヘルンが毎日、お仕事へと向かう時に立ち寄っていた場所でございます。

  • この何体も並ぶ、古の狐たち。<br /><br />ヘルンは古い神々、草や木、動物にも神々が宿ると考える日本の古い多神信仰に非常に興味を持ち、その考えを愛おしみ、稲荷にも愛着を感じておりました。<br />

    この何体も並ぶ、古の狐たち。

    ヘルンは古い神々、草や木、動物にも神々が宿ると考える日本の古い多神信仰に非常に興味を持ち、その考えを愛おしみ、稲荷にも愛着を感じておりました。

  • その中でも特にヘルンが愛してやまなかったのが、耳が欠けた古い御狐様。<br /><br />そう、この子たちでございます。<br /><br />ヘルンは毎朝、仕事へ行く途中に城山稲荷神社に立ち寄っては、表情豊かな狐たちと会話をしておりました。<br />

    その中でも特にヘルンが愛してやまなかったのが、耳が欠けた古い御狐様。

    そう、この子たちでございます。

    ヘルンは毎朝、仕事へ行く途中に城山稲荷神社に立ち寄っては、表情豊かな狐たちと会話をしておりました。

  • ---旅日記 3---<br />八雲がお参りを欠かさなかったという城山稲荷神社から程遠くないところに、セツと八雲が暮らした松江での住居が現在も保存されている。<br /><br />松江市には小泉八雲記念館と呼ばれる八雲に縁の品々を紹介した場所も有り、今回の松江旅では其処も訪れたが、個人的な意見となってしまうが、記念館には無機質な空気感を感じてしまい、収蔵品などは凄いものだと思うのだが、あまり心に響く場所ではなかった。<br /><br />

    ---旅日記 3---
    八雲がお参りを欠かさなかったという城山稲荷神社から程遠くないところに、セツと八雲が暮らした松江での住居が現在も保存されている。

    松江市には小泉八雲記念館と呼ばれる八雲に縁の品々を紹介した場所も有り、今回の松江旅では其処も訪れたが、個人的な意見となってしまうが、記念館には無機質な空気感を感じてしまい、収蔵品などは凄いものだと思うのだが、あまり心に響く場所ではなかった。

    小泉八雲旧居 名所・史跡

    セツとの思い出が沢山 by ウェンディさん
  • 小泉八雲が妻セツと共に暮らしたのは、松江城のお堀沿いにある武家屋敷。<br /><br />日本文化に深く傾倒していた八雲は武家屋敷での生活に憧れ、英語教師をしていた松江で武家屋敷に住む機会を得た。<br />

    小泉八雲が妻セツと共に暮らしたのは、松江城のお堀沿いにある武家屋敷。

    日本文化に深く傾倒していた八雲は武家屋敷での生活に憧れ、英語教師をしていた松江で武家屋敷に住む機会を得た。

  • 武家屋敷なので、表門を潜ったその先の風景は障子が連なる殺風景な風景で、八雲自身も、初めて住む武家屋敷の入口の様子をこんな風に記している。<br /><br />・・・門を入ってから母屋に続く道も、両側は塀に囲まれている。だから、此処を訪れる客はよほどの特権でもない限り、目の前には白い障子戸が閉まっている玄関口が見えるだけである・・・<br />

    武家屋敷なので、表門を潜ったその先の風景は障子が連なる殺風景な風景で、八雲自身も、初めて住む武家屋敷の入口の様子をこんな風に記している。

    ・・・門を入ってから母屋に続く道も、両側は塀に囲まれている。だから、此処を訪れる客はよほどの特権でもない限り、目の前には白い障子戸が閉まっている玄関口が見えるだけである・・・

  • しかし、八雲の文章は以下に続く。<br /><br />・・・どの部屋も天井が高く、ゆったりとして美しい・・・<br />

    しかし、八雲の文章は以下に続く。

    ・・・どの部屋も天井が高く、ゆったりとして美しい・・・

  • 更に八雲は武家屋敷の小さな庭をいたく気に入り、日本の庭と西洋の庭の根本的な違いをその著書の中で解説している。<br /><br />

    更に八雲は武家屋敷の小さな庭をいたく気に入り、日本の庭と西洋の庭の根本的な違いをその著書の中で解説している。

  • 特に樹木には魂が宿るという日本の古い考え方に八雲は同感し、樹木の精を主題とした物語もいくつか残されている。<br /><br />

    特に樹木には魂が宿るという日本の古い考え方に八雲は同感し、樹木の精を主題とした物語もいくつか残されている。

  • ---セツの独白 3---<br />ここは、松江で私とヘルンが暮らした家でございます。<br /><br />私セツは、最初は松江へとやって来たヘルンの世話係として住み込みで働いておりましたが、ヘルンの実直な人柄に惹かれ夫婦となりました。<br /><br />松江での暮らしは1年余りと永くはありませんでしたが、ヘルンはこの床の間の前に座り眺める庭の景色をことのほか気に入っておりました。<br />

    ---セツの独白 3---
    ここは、松江で私とヘルンが暮らした家でございます。

    私セツは、最初は松江へとやって来たヘルンの世話係として住み込みで働いておりましたが、ヘルンの実直な人柄に惹かれ夫婦となりました。

    松江での暮らしは1年余りと永くはありませんでしたが、ヘルンはこの床の間の前に座り眺める庭の景色をことのほか気に入っておりました。

  • 床の間を背に和室の奥へと座ると自然の山水を生かした庭の景色が三方に広がり、毎日、師範学校から戻りますと、畳の上に座わり庭を眺めるのがヘルンの日課でございました。

    床の間を背に和室の奥へと座ると自然の山水を生かした庭の景色が三方に広がり、毎日、師範学校から戻りますと、畳の上に座わり庭を眺めるのがヘルンの日課でございました。

  • この松江のお屋敷は、私が初めてヘルンに昔語りを始めた場所でもあります。<br /><br />ヘルンはヘルン語と呼ばれる独特の日本語で私と会話をいたしておりました。<br />私もヘルンから英語を教わりましたが、ヘルンがヘルン語を覚える方が早かったように思います。<br /><br />ヘルンは日本の古い民話、特に怪談に非常に興味を持っておりました。<br />そして私は、松江で語り継がれてきた民話をヘルンに語り聞かせるのが毎日の日課でございました。<br /><br />(註:ヘルン語とは八雲と家族の間だけで通じた日本語で、英語風に主語→動詞→目的語の語順で話す特殊な日本語)

    この松江のお屋敷は、私が初めてヘルンに昔語りを始めた場所でもあります。

    ヘルンはヘルン語と呼ばれる独特の日本語で私と会話をいたしておりました。
    私もヘルンから英語を教わりましたが、ヘルンがヘルン語を覚える方が早かったように思います。

    ヘルンは日本の古い民話、特に怪談に非常に興味を持っておりました。
    そして私は、松江で語り継がれてきた民話をヘルンに語り聞かせるのが毎日の日課でございました。

    (註:ヘルン語とは八雲と家族の間だけで通じた日本語で、英語風に主語→動詞→目的語の語順で話す特殊な日本語)

  • 語り部としての私の役割は、子供のころから聞いてきた出雲の民話を自分のモノとして感情を交えながらヘルンへ伝えることでございました。<br /><br />松江の夏はたいそう暑うございますが、夜に縁側に二人で座り、ヘルンに怪談を物語る時などは、その時が夏であるという事を忘れる程ヒンヤリとした空気が流れておりました。<br />

    語り部としての私の役割は、子供のころから聞いてきた出雲の民話を自分のモノとして感情を交えながらヘルンへ伝えることでございました。

    松江の夏はたいそう暑うございますが、夜に縁側に二人で座り、ヘルンに怪談を物語る時などは、その時が夏であるという事を忘れる程ヒンヤリとした空気が流れておりました。

  • ヘルンの代表作となった雪女の話を最初に語ったのも、この松江でございます。<br />後にヘルンは「松江でセツが語ってくれた雪女は、私にとってFemme Fataleだった」と申しておりました。<br /><br />Femme Fataleとはフランス語で魔性の女や運命の女を意味する言葉でございます。<br />雪女のお雪が、文筆家としてのヘルンの運命の一つの分岐点であったのかもしれません。<br /><br />

    ヘルンの代表作となった雪女の話を最初に語ったのも、この松江でございます。
    後にヘルンは「松江でセツが語ってくれた雪女は、私にとってFemme Fataleだった」と申しておりました。

    Femme Fataleとはフランス語で魔性の女や運命の女を意味する言葉でございます。
    雪女のお雪が、文筆家としてのヘルンの運命の一つの分岐点であったのかもしれません。

  • 嗚呼、これはヘルンの光画。<br />子供の頃に事故で左目の光を失ったヘルンは、正面からの光画を好みませんでした。<br /><br />私から見れば見えない目も含め全てがヘルンでしたが、夫は右からの光画しか残しておりません。<br /><br />

    嗚呼、これはヘルンの光画。
    子供の頃に事故で左目の光を失ったヘルンは、正面からの光画を好みませんでした。

    私から見れば見えない目も含め全てがヘルンでしたが、夫は右からの光画しか残しておりません。

  • 松江の武家屋敷には14もの部屋がありましたが、この小さな書斎もヘルンが気に入っていた部屋の一つでございます。<br /><br />書斎の庭が一望できる位置に背の高い机と椅子を置き、夜になるとヘルンはこの机に向かいました。<br /><br />ヘルンは非常に繊細なたちでしたので、文章を書いている時は物音がするのを好みませんでした。<br />ですから私や女中はヘルンが机に向かうと出来るだけ静かにしておりましたが、あまりに家の中が静か過ぎるとヘルンの事が心配となり、そうっと襖を開けヘルンの様子を見たものでございます。

    松江の武家屋敷には14もの部屋がありましたが、この小さな書斎もヘルンが気に入っていた部屋の一つでございます。

    書斎の庭が一望できる位置に背の高い机と椅子を置き、夜になるとヘルンはこの机に向かいました。

    ヘルンは非常に繊細なたちでしたので、文章を書いている時は物音がするのを好みませんでした。
    ですから私や女中はヘルンが机に向かうと出来るだけ静かにしておりましたが、あまりに家の中が静か過ぎるとヘルンの事が心配となり、そうっと襖を開けヘルンの様子を見たものでございます。

  • その様な時のヘルンは大抵、机に頭をこすりつけるようにして物語を書いておりました。<br />ヘルンは近目でありましたので、専用の机は机面が高く作られており、その机に覆いかぶさるようにして羽ペンを滑らせる様子は、まるで文筆の化身の様に感じられたこともございました。<br /><br />幼いころから私が聞いてきた民話や怪談を母国語である英語に変え、書き溜めておりましたのも、この松江の武家屋敷でのことでございます。<br />そして、松江で過ごした一年間の想い出についての随筆が米国の出版社より世に出ましたのが1994年の9月のこと。<br />この本Glimpses of Unfamiliar Japan【日本の面影】がヘルンことLafcadio Hearnの名を世界的に一躍有名にいたしました。<br />

    その様な時のヘルンは大抵、机に頭をこすりつけるようにして物語を書いておりました。
    ヘルンは近目でありましたので、専用の机は机面が高く作られており、その机に覆いかぶさるようにして羽ペンを滑らせる様子は、まるで文筆の化身の様に感じられたこともございました。

    幼いころから私が聞いてきた民話や怪談を母国語である英語に変え、書き溜めておりましたのも、この松江の武家屋敷でのことでございます。
    そして、松江で過ごした一年間の想い出についての随筆が米国の出版社より世に出ましたのが1994年の9月のこと。
    この本Glimpses of Unfamiliar Japan【日本の面影】がヘルンことLafcadio Hearnの名を世界的に一躍有名にいたしました。

  • ---旅日記 4---<br />この日の午後は、塩見縄手と呼ばれる武家屋敷通りを散歩したり、松江城や明治時代の洋館を見学して、夕方まで松江城エリアを観光した。<br />17時前に再び松江駅前へと戻り、そこから夕方だけに運行される宍道湖へのバスルート、ぐるっと松江レイクラインの夕陽鑑賞号へと乗車する。<br /><br />夕陽鑑賞号は全部で3本のバス便があり、その時刻は日没時間に沿って月ごとに変わる。<br />私が訪れた9月は、1号便の松江駅始発が17時だった。<br /><br />

    ---旅日記 4---
    この日の午後は、塩見縄手と呼ばれる武家屋敷通りを散歩したり、松江城や明治時代の洋館を見学して、夕方まで松江城エリアを観光した。
    17時前に再び松江駅前へと戻り、そこから夕方だけに運行される宍道湖へのバスルート、ぐるっと松江レイクラインの夕陽鑑賞号へと乗車する。

    夕陽鑑賞号は全部で3本のバス便があり、その時刻は日没時間に沿って月ごとに変わる。
    私が訪れた9月は、1号便の松江駅始発が17時だった。

  • バスは宍道湖の湖畔を走りぐるりと回って松江駅前へ戻ってくるので、バスに乗車しているだけでも夕宍道湖に沈む夕日は楽しめるが、やはりそれでは面白くない私は宍道湖でいったん下車。<br /><br />宍道湖での夕陽を見たい場合の下車バス停は、停留所番号31の夕陽公園前だ。<br /><br />

    バスは宍道湖の湖畔を走りぐるりと回って松江駅前へ戻ってくるので、バスに乗車しているだけでも夕宍道湖に沈む夕日は楽しめるが、やはりそれでは面白くない私は宍道湖でいったん下車。

    宍道湖での夕陽を見たい場合の下車バス停は、停留所番号31の夕陽公園前だ。

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    ひとり旅には、ちと辛い場所かな by ウェンディさん
  • 宍道湖は内陸湖だが、川を通じて湖の水が日本海の海水と交換される汽水湖で、その特徴を生かしてシジミの養殖やシジミ漁が盛んな湖だ。<br />シジミが大好きで、貝をほじくってでもシジミの身を食べる私的には現地での新鮮なシジミも味わってみたかったが、この日の目的は八雲とセツが毎日眺めていたという湖に沈む夕日。<br /><br />翌日に台風の直撃を受ける天気予報だったので、空には雲が多く、夕焼けが見られるかどうかすら怪しかったのだが、日没の時間が近づく頃には空は赤く染まり始めていた。<br /><br />

    宍道湖は内陸湖だが、川を通じて湖の水が日本海の海水と交換される汽水湖で、その特徴を生かしてシジミの養殖やシジミ漁が盛んな湖だ。
    シジミが大好きで、貝をほじくってでもシジミの身を食べる私的には現地での新鮮なシジミも味わってみたかったが、この日の目的は八雲とセツが毎日眺めていたという湖に沈む夕日。

    翌日に台風の直撃を受ける天気予報だったので、空には雲が多く、夕焼けが見られるかどうかすら怪しかったのだが、日没の時間が近づく頃には空は赤く染まり始めていた。

    嫁ヶ島 自然・景勝地

    全てが嫁がらみ/嫁ヶ島 by ウェンディさん
  • 遊歩道を歩き、カップルが少なそうなポイントを探して腰をおろし、サンセットを待つ。

    遊歩道を歩き、カップルが少なそうなポイントを探して腰をおろし、サンセットを待つ。

  • ---セツの独白 4---<br />宍道湖は、私とヘルンが初めて出会った場所でございます。<br /><br />ヘルンの松江での最初の住居は宍道湖の湖畔にあり、夕方に見える美しい夕陽をヘルンは大変好んでおりました。<br />

    ---セツの独白 4---
    宍道湖は、私とヘルンが初めて出会った場所でございます。

    ヘルンの松江での最初の住居は宍道湖の湖畔にあり、夕方に見える美しい夕陽をヘルンは大変好んでおりました。

  • この宍道湖のお宅では私と女中はヘルンのお世話役として雇われ、離れで生活をしておりました。<br /><br />ある日の事、離れから宍道湖の夕陽を眺めていると、湖の岸辺で子供たちが小さなネコの仔を水に沈めて苛めているのを見つけました。<br />私は仔猫を不憫に思い、子供たちに御託をして仔猫をヘルンのいる家へと連れて帰りました。<br />

    この宍道湖のお宅では私と女中はヘルンのお世話役として雇われ、離れで生活をしておりました。

    ある日の事、離れから宍道湖の夕陽を眺めていると、湖の岸辺で子供たちが小さなネコの仔を水に沈めて苛めているのを見つけました。
    私は仔猫を不憫に思い、子供たちに御託をして仔猫をヘルンのいる家へと連れて帰りました。

  • ヘルンは私の腕に抱かれるびしょ濡れの仔猫を見、そして私の話を聞き「おお、仔猫、カワイソウな仔猫。子供はむごいことをします」といい、自分の懐が濡れるのも構わず、仔猫を着物の内側へと入れ、暖めてやりました。<br /><br />その時、私はたいへん関心し、ヘルンに親しく思う心を持ち始めたのを覚えております。<br />

    ヘルンは私の腕に抱かれるびしょ濡れの仔猫を見、そして私の話を聞き「おお、仔猫、カワイソウな仔猫。子供はむごいことをします」といい、自分の懐が濡れるのも構わず、仔猫を着物の内側へと入れ、暖めてやりました。

    その時、私はたいへん関心し、ヘルンに親しく思う心を持ち始めたのを覚えております。

    宍道湖 自然・景勝地

    夕陽を見に、公共交通機関で行くならば… by ウェンディさん
  • ---旅日記 5---<br />宍道湖での滞在時間は1時間。<br /><br />18:44のバスに乗り再び松江駅方向へと戻るが、降りるのは松江駅ではなく松江城近くの23番バス停のカラコロ工房前。<br />

    ---旅日記 5---
    宍道湖での滞在時間は1時間。

    18:44のバスに乗り再び松江駅方向へと戻るが、降りるのは松江駅ではなく松江城近くの23番バス停のカラコロ工房前。

    カラコロ工房 名所・史跡

    夜景散歩にお勧め by ウェンディさん
  • そこから松江城に向かって歩く。<br /><br />この日の昼間、観光案内所で松江城は20時までライトアップしていると聞いたので、そのライトアップを見に行くつもりだった。<br /><br />

    そこから松江城に向かって歩く。

    この日の昼間、観光案内所で松江城は20時までライトアップしていると聞いたので、そのライトアップを見に行くつもりだった。

  • ところがお城の近くに行っても、ライトアップを見に来ている人もほとんど姿も無く、城内へと入る木戸にも灯りすらない。<br /><br />自分のスマホのライトを使って歩かなければならないような道だった。<br />

    ところがお城の近くに行っても、ライトアップを見に来ている人もほとんど姿も無く、城内へと入る木戸にも灯りすらない。

    自分のスマホのライトを使って歩かなければならないような道だった。

  • そんな状態ながら、何とかライトアップをしている松江城へと辿り着いたのだが、そこには誰もいなかった。<br /><br />白い城壁に漆黒の瓦を持つ松江城が闇夜に浮かび上がる中、その見物者は私一人…という状態。<br /><br />

    そんな状態ながら、何とかライトアップをしている松江城へと辿り着いたのだが、そこには誰もいなかった。

    白い城壁に漆黒の瓦を持つ松江城が闇夜に浮かび上がる中、その見物者は私一人…という状態。

    松江城 名所・史跡

    ハートの木目を探せ! by ウェンディさん
  • 1人でライトアップされた松江城を眺めていたら、城影から人影が現れ、その方に声をかけられ事情が分かった。<br />その方は、私にこう問うたのだ。<br />「どうやってここまで入って来たのですか?城の門は閉じてはいませんでしたか?」<br /><br />まるで私が不審者のような扱い。<br />だから、私も観光案内所で20時までライトアップと紹介された内容を話すと、どうやらライトアップの解釈に違いがあることが判明した。<br /><br />観光案内所で教えてもらったライトアップとは、松江市内からライトアップされた城やお堀が20時まで見えるということで、20時まで城の周辺に入れるという訳ではなかったようだ。<br /><br />帰りは、女性一人では危険だからと云う事で、消灯担当の警備のオジサンと一緒にお城の敷地を出ることに。<br /><br />松江の夜は、なかなかスリリングだった。<br /><br />

    1人でライトアップされた松江城を眺めていたら、城影から人影が現れ、その方に声をかけられ事情が分かった。
    その方は、私にこう問うたのだ。
    「どうやってここまで入って来たのですか?城の門は閉じてはいませんでしたか?」

    まるで私が不審者のような扱い。
    だから、私も観光案内所で20時までライトアップと紹介された内容を話すと、どうやらライトアップの解釈に違いがあることが判明した。

    観光案内所で教えてもらったライトアップとは、松江市内からライトアップされた城やお堀が20時まで見えるということで、20時まで城の周辺に入れるという訳ではなかったようだ。

    帰りは、女性一人では危険だからと云う事で、消灯担当の警備のオジサンと一緒にお城の敷地を出ることに。

    松江の夜は、なかなかスリリングだった。

  • …そして時が経ち、2018年12月。<br />私が降り立ったのは都電の雑司ヶ谷停留所。<br /><br />秋から冬にかけ松江の写真を整理し、旅行記の構成を考えていたのだが、写真を見返していると、セツが八雲について語った言葉がいくつも頭に浮かんできては、私に語りかけてきた。<br />

    …そして時が経ち、2018年12月。
    私が降り立ったのは都電の雑司ヶ谷停留所。

    秋から冬にかけ松江の写真を整理し、旅行記の構成を考えていたのだが、写真を見返していると、セツが八雲について語った言葉がいくつも頭に浮かんできては、私に語りかけてきた。

    都電雑司ヶ谷停留場

  • 今回の松江旅は、隠岐諸島の島旅の天候悪化時のセカンド・プラン。<br /><br />だから、旅行記自身もオマケのつもりで軽く書ければと考えていたのだが、旅の移動途中に小泉八雲の関連本を何冊も読んだせいなのか、それとも子供の頃に読んだ八雲の書いた雪女の印象があまりに強すぎたのか、旅行記を書いている内に、二人が最後を迎えた場所、そして眠る場所を訪れたいという衝動に駆られ、二人の眠る地へとやって来た。<br /><br />(小泉八雲の墓へのアクセス-1:<br />都電を降りたら、雑司ヶ谷霊園方向へ歩き出す。写真の交番が見えたら、その角を左折)

    今回の松江旅は、隠岐諸島の島旅の天候悪化時のセカンド・プラン。

    だから、旅行記自身もオマケのつもりで軽く書ければと考えていたのだが、旅の移動途中に小泉八雲の関連本を何冊も読んだせいなのか、それとも子供の頃に読んだ八雲の書いた雪女の印象があまりに強すぎたのか、旅行記を書いている内に、二人が最後を迎えた場所、そして眠る場所を訪れたいという衝動に駆られ、二人の眠る地へとやって来た。

    (小泉八雲の墓へのアクセス-1:
    都電を降りたら、雑司ヶ谷霊園方向へ歩き出す。写真の交番が見えたら、その角を左折)

  • 池袋駅から歩いて20分の雑司ヶ谷霊園に小泉八雲とその妻セツが眠っている。<br /><br />八雲は1904年享年54歳に心臓発作でこの世を去り、妻セツは1932年に64歳で八雲が待つ地へと旅立っている。<br /><br />(小泉八雲の墓へのアクセス-2:<br />八雲の墓の番地は1-1-8。都電を降りてから徒歩10分でアクセスできる)

    池袋駅から歩いて20分の雑司ヶ谷霊園に小泉八雲とその妻セツが眠っている。

    八雲は1904年享年54歳に心臓発作でこの世を去り、妻セツは1932年に64歳で八雲が待つ地へと旅立っている。

    (小泉八雲の墓へのアクセス-2:
    八雲の墓の番地は1-1-8。都電を降りてから徒歩10分でアクセスできる)

    雑司ケ谷霊園 名所・史跡

  • セツは八雲が亡くなった後に、八雲との結婚生活の回想として、セツが八雲に語った松江の民話「雪女」に出てくる雪女のお雪はヘルンにとってのFemme Fatale(運命の女)であったと話しているが、私は、セツこそが八雲のとっての運命の女性、赤い糸で結ばれる運命であった女性だったのではなかろうかと思っている。<br /><br />八雲が松江の宍道湖畔で世話役として家に来てくれたセツと出会わなければ、セツがヘルンが理解しやすい日本語であるヘルン語を駆使してヘルンに民話や伝承を伝えていなければ、小泉八雲の死の直前に出版された遺作である【怪談】の話は、世に出ることは無かっただろう。<br /><br />(小泉八雲の墓へのアクセス-3:<br />雑司ヶ谷霊園は広いが、行き方を知っていれば比較的簡単に目的地へと辿り着く。小泉八雲の墓を一番簡単に見つける方法は、1番1種8側と9側の間の通路を進む。)

    セツは八雲が亡くなった後に、八雲との結婚生活の回想として、セツが八雲に語った松江の民話「雪女」に出てくる雪女のお雪はヘルンにとってのFemme Fatale(運命の女)であったと話しているが、私は、セツこそが八雲のとっての運命の女性、赤い糸で結ばれる運命であった女性だったのではなかろうかと思っている。

    八雲が松江の宍道湖畔で世話役として家に来てくれたセツと出会わなければ、セツがヘルンが理解しやすい日本語であるヘルン語を駆使してヘルンに民話や伝承を伝えていなければ、小泉八雲の死の直前に出版された遺作である【怪談】の話は、世に出ることは無かっただろう。

    (小泉八雲の墓へのアクセス-3:
    雑司ヶ谷霊園は広いが、行き方を知っていれば比較的簡単に目的地へと辿り着く。小泉八雲の墓を一番簡単に見つける方法は、1番1種8側と9側の間の通路を進む。)

  • ---セツの独白 5---<br />ヘルンは雑踏を好まず、ひとり静かに眠りたい…。<br />常々、そのように申しておりました。<br />ですから、静かな環境であった雑司ヶ谷をヘレンの眠る地といたしました。<br /><br />(小泉八雲の墓へのアクセス-4:<br />小泉家の墓は三墓あり、左がセツ、中央が八雲、右が小泉家代々の墓。<br />セツの墓は八雲の墓に寄り添うように建てられている)<br />

    ---セツの独白 5---
    ヘルンは雑踏を好まず、ひとり静かに眠りたい…。
    常々、そのように申しておりました。
    ですから、静かな環境であった雑司ヶ谷をヘレンの眠る地といたしました。

    (小泉八雲の墓へのアクセス-4:
    小泉家の墓は三墓あり、左がセツ、中央が八雲、右が小泉家代々の墓。
    セツの墓は八雲の墓に寄り添うように建てられている)

  • ヘルンがこの世を去り私がヘルンの下へと旅立った後、東京の町は大きく変わり、昔のような風情ある街並みは少なくなり、あの頃にヘルンと私が感じた美しい日本の原風景は失われてしまったかのように感じます。<br /><br />しかし、ヘルンが感じたままを描写した本〈日本の面影〉、その本が時を越え、今なお読み継がれているとは嬉しい限りに存じます。

    ヘルンがこの世を去り私がヘルンの下へと旅立った後、東京の町は大きく変わり、昔のような風情ある街並みは少なくなり、あの頃にヘルンと私が感じた美しい日本の原風景は失われてしまったかのように感じます。

    しかし、ヘルンが感じたままを描写した本〈日本の面影〉、その本が時を越え、今なお読み継がれているとは嬉しい限りに存じます。

  • あゝ、気が付けば、どうやら現し世に永く浮かんでいたようでございます。<br /><br />そろそろお暇しなければなりません。<br /><br />夕景の宍道湖の如き黄昏の地で、首を長くして待っているヘルンにも土産話が沢山出来ました。<br />ヘルン語で沢山、お話を語ることにいたしましょう。<br />きっとヘルンも大きな目を見開いて、喜んで聞いてくれることと思います。<br /><br />また、皆様にいつかお目にかかる日が有りますことを…。<br /><br />小泉 セツ

    あゝ、気が付けば、どうやら現し世に永く浮かんでいたようでございます。

    そろそろお暇しなければなりません。

    夕景の宍道湖の如き黄昏の地で、首を長くして待っているヘルンにも土産話が沢山出来ました。
    ヘルン語で沢山、お話を語ることにいたしましょう。
    きっとヘルンも大きな目を見開いて、喜んで聞いてくれることと思います。

    また、皆様にいつかお目にかかる日が有りますことを…。

    小泉 セツ

  • 【旅行記4のあとがき】<br />この旅行記は隠岐旅の第4部目の旅行記に当たりますが、ノーマルな松江旅行記としてではなく、小泉八雲の妻である小泉セツ視点での八雲との思い出を交えて松江の情景を書いてみました。<br /><br />子供の頃に読んだ小泉八雲の再話「怪談」<br />昔から日本にある民話や伝承を再話と云う形で物語に書き下ろしたモノですが、八雲が綴る文章はとても海外から日本にいらした方が書いたとは思えない細やかな情景描写や心理描写で、子供心ながら圧倒された記憶があります。<br /><br />そんな八雲に縁のある松江での一人旅。<br />もう2年前の旅ですが、八雲の暮らした家で感じた空気感、今でも、ふとした時に思い出されます。

    【旅行記4のあとがき】
    この旅行記は隠岐旅の第4部目の旅行記に当たりますが、ノーマルな松江旅行記としてではなく、小泉八雲の妻である小泉セツ視点での八雲との思い出を交えて松江の情景を書いてみました。

    子供の頃に読んだ小泉八雲の再話「怪談」
    昔から日本にある民話や伝承を再話と云う形で物語に書き下ろしたモノですが、八雲が綴る文章はとても海外から日本にいらした方が書いたとは思えない細やかな情景描写や心理描写で、子供心ながら圧倒された記憶があります。

    そんな八雲に縁のある松江での一人旅。
    もう2年前の旅ですが、八雲の暮らした家で感じた空気感、今でも、ふとした時に思い出されます。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • fujickeyさん 2018/12/13 13:24:19
    読み返しちゃいました
    ウェンディさん、こんにちは!

    冒頭にでてきた「本を持つ女性(にょしょう)」はウェンディさんのことですね。
    いつも感じていましたけれどウェンディさんの旅行記って完成度が高いし、
    読み物としてもすごく楽しいです。さらに勉強にもなるし!!

    旅行時期が長かったので入力間違いかな・・・なんて思ってしまいましたが
    きちんと繋がっていたのですね。(失礼しました)

    わたしも松江に行きましたが、
    出雲大社のついでみたいな感じになってしまってあまり記憶がなかったり。
    松江城のライトアップに入り込んでしまったのは
    セツさんの力が働いたのかしら(笑)
    本当は扉も閉まっていたのに・・・時空と物質を通り抜けてしまったのかも。

    帰りに門の前で「閉まっている!出られない!!」って
    ウェンディさんが慌てないように
    セツさんが警備員のおじさんを差し向けたのかもしれませんね。
    そう考えるとなんだか面白い体験をされたのかも。
    ウェンディさんならありえそう(笑)

    追伸:足の指の爪は順調に育っていますか?

    fujickey

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2018/12/13 20:28:20
    RE: 読み返しちゃいました
    fujickeyさん こんばんは。

    思い出したような隠岐旅の旅行記更新です。
    今回の旅行記ではちょっと趣向を変えて、八雲の奥さんのセツさんにも登場して頂き、八雲愛を語ってもらいました。

    松江はいわゆる町観光だったのですが、小泉八雲にスポットを当てて旅をしたら思いの外ディープな旅となりました。
    その原因は小泉セツさんで、彼女の視点に立ち、小泉八雲由来の松江を見て感じると、色々と面白かったです。
    八雲とセツの松江での滞在は1年ちょっとと短かったのですが、文豪としての小泉八雲が生まれた街と云う意味では、凄く大事な1年だったのだと思います。

    旅行記の構想を練る内にどうしても本物の八雲さんとセツさんにお会いしたくなり、つい先日、雑司ヶ谷霊園のお墓にまで押しかけ、お墓の前で、私が感じた松江の武家屋敷の印象や、彼の著書を読んでの感想をお話ししてきました。
    亡くなっている方とは分かっていますが、本を読んでとても近しい方だったような気がしてなりません。

    松江の続きの旅行記は、再び私が主人格の旅行記となります。
    松江城の柱に残るハートの木目やお隣鳥取の妖怪のお話などを、書いてみたいです。

    足の爪さんは今、硬い爪が半分位生えてきていて回復を実感していますが、未だ生えていない部分がちょっと地獄です。
    左足で爪先立ちなんてもってのほか。
    つま先立ちをすると、未だ爪のない生爪背部分に硬い爪が喰い込むので、悶絶する痛さとなります。
    と云う訳で、やはり全治1年ですね。

    ウェンディ

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