2020/02/21 - 2020/02/23
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この旅行記のスケジュール
2020/02/21
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その他での移動
公共駐車場は美々津海岸にあります。美々津の町中は通りが狭いので観光客は路駐は遠慮して!
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美々津の町並み散策は、玄関前の石畳やばったり床机(しょうぎ)のある家並みを楽しんで。
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江戸時代からの廻船問屋の屋敷内が見ることのできる場所は3カ所ありますが、イチオシは美々津軒。
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美々津の街角は四季折々、変わります。私達が訪れた時はおひな様が飾られていました。
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今から400年ほど遡った江戸時代。
物資の運搬の主役は船で、廻船と呼ばれる海上輸送船が江戸と大坂(現在の大阪)を行き交い、綿や油、醤油などを運ぶ菱垣廻船と酒にターゲットを絞った樽廻船がそのスピードを競いあっていました。
海運産業が盛んだったのは、幕府のあった江戸や天下の台所の大坂だけではなく、それらの大都市へと荷を運ぶ拠点となる町でも同じで、日向の港町であった美々津は、大坂への荷を運ぶ廻船問屋や商家が軒を連ねる活気ある大きな港町で、千石船が海を行き交い、港町には“美々津千軒”と呼ばれる廻船問屋が連なり、京や大坂の雅な造りを取り入れた家々が並んでいました。
美々津の港には大坂からの商品、情報が九州の何処の港よりもいち早く入り、船乗りが上方土産に持ち帰る流行歌や装飾品は、美々津の港から九州内陸への流行が始まったとも言われています。
港町;美々津の一大交易都市としての発展は江戸時代から明治・大正時代へと続きましたが、長く鎖国のぬるま湯に浸り、なかなか西洋文化への馴染みが遅かった日向地方。
大正時代に入り、西洋から蒸気汽船が入ってきてからも古式ゆかしい和式の帆船から離れることができずに、時代の流れの変化に気がついたときには、もう、時すでに遅し。
時を同じくして美々津に鉄道が敷かれ、さらに道路交通網の整備により木材輸送の港が日向細島湊へとシフトし、美々津港はその煌びやかな海運の歴史に幕を閉じました。
☆古事記を巡る宮崎旅
旅行記-1:本当はアダルトな古事記:https://4travel.jp/travelogue/11616411
旅行記-2:実はエグい古事記:https://4travel.jp/travelogue/11617927
旅行記-3:モアイを肴に時間旅行:https://4travel.jp/travelogue/11620618
旅行記-4:朱の鳥居を翔ける龍神:https://4travel.jp/travelogue/11622560
番外編:京薫る美々津☆レトロ散歩:https://4travel.jp/travelogue/11630623
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
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大人となって改めて読み直した古事記。
子供の頃に学童版古事記を読んではいましたが、もう一度、オトナ向けに編集されたその内容を噛みしめながら読んでみると、その内容は突拍子もない上に、何の脈絡もなく新しい登場人物が増えたり、やたらオトコ神が女好きで泣かせたオンナの数は数知れず・・・と奇想天外。
古事記は、実は高天原で暮らすカミサマたちをニンゲン臭溢れる描写で描かれたドラマであり、その誕生の舞台となった地を自分の目で見てみたくなった私は、冬に宮崎を旅しました。
古事記の基本は神話物語であり、その内容は後世に編纂された日本書紀とも異なる部分も多くあり、信憑性の白黒もはっきりしない部分が多いのは事実です。
しかし、宮崎には現在でも古事記の神々の名に由来する地が多く存在し、その地では古事記に登場するキャストである神々が現在も敬われています。
そして、それらの土地には古事記には詳細が記されなかった裏話や、古事記のその後的な-Spin off ver.もありました。
今回の旅行記は、古事記旅のスピンオフ編。
アマテラスの子孫である神武天皇が初めて水軍を編成し、船出をした美々津。
神武天皇の時代から2300年の時を経た江戸の元禄時代に、九州海運の要として発展を遂げた京の風が吹く美々津の港町のお話です。 -
美々津の港町があるのは、耳川の河口の小さな漁港。
国道沿いに大きな紹介看板があるわけでなく、ここに京風のレトロな家々が軒を連ねる町並みがあるという予備知識が持っていなければ、ふらりと目的無く旅をしていたのでは、美々津には辿り着けない。
江戸時代から大正時代に海運業で栄えていた港町であった美々津は、廻船問屋の土蔵や商家が残る町並みが国の重要伝統的兼俗物保存地区として指定された町で、ガイドブックでは、“石畳にレトロな廻船問屋の町並み”と紹介されていた。 -
だから、私の頭の中で膨らんでいた美々津のイメージは、箱根の旧街道的な石畳とお江戸の廻船問屋風。
でも、実際の保存地区の路面はこんな感じ(写真)で“石畳”と言うよりも、工業的にカッターで切り取った“石を並べた道路”で、ちょっと私の思い描いていた石畳とは様子が違っていた。レトロ散歩で楽しむ京情緒を残す港町 by ウェンディさん美々津町並 名所・史跡
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予想していた想像図と実際の美々津の町並みが違っていたので少しガッカリもしたのだが、この“石敷道路”についての説明看板を読んで、納得。
昔から美々津の商家や廻船問屋で使われていたのは、“石畳”ではなく“石敷”。
もともと美々津の道路全体が石畳だったわけではなく、各家々の玄関前のスペースに自然石を敷き詰めた石敷空間を施すのが美々津流の美しい町並みだったってことだ。
(ガイドブックにはもう少し正確な情報を書いて欲しいかな・・・) -
美々津の重要伝統的建造物群の区域内には日向市歴史民族資料館があり、資料館は元々が廻船問屋であった河内屋さんの建物を利用している。
河内屋は165年の歴史があり、当時は美々津でも指折りの豪商として栄華を極めていたそうで、その建物は修復は施してはあるが、当時の造りを生かした形で資料館として活躍している。165年前の呉服問屋さんの商家を利用した資料館 by ウェンディさん日向市歴史民俗資料館 美術館・博物館
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廻船問屋“河内屋”が建てられたのは1855年(安政2年)。
建物の中には165年前の和式ライフスタイルがそのままの形で残されている。
美々津での持ち時間が短かった私たちは資料館内へは入らなかったが、その入館料も大人220円とそれほど高くはない。 -
イチオシ
ガイドブックの写真を眺めていると、美々津には多くの歴史的な建造物が残っているようにも錯覚するが、実は江戸や明治時代から当時そのままの形を維持している商家はそれほど多くはなく、家の中まで拝見できるお宅は3軒だけで、そのほかは外観の見学だける。
こちらの写真のお宅は1840年(天保11年)に建築された山中家で見学は外観のみ。
玄関周りには石が敷いてある美々津の伝統的な様式家屋だ。 -
美々津の町を散策していて気がつくのが、折りたたみ式の縁側;ばったり床机(しょうぎ)。何処の家にもばったり床机があるのが美々津の港町の特徴で、美々津の人たちは、このばったり床机のことをバンコと呼ぶ。
そして、このバンコが美々津が上方文化を引き継いでいる部分の1つで、日本でバンコ(ばったり床机)で有名な場所は、京の町屋。
ばったり床机は揚げ店(または揚見世)とも言い、その昔は商品を陳列する折りたたみ式のショーウインドウの役割を果たしていたそうだ。 -
ばったり床机を表す“バンコ”と言う単語は、なんだか日本語っぽくない響き。
・・・と言うことで調べてみたらやはり、バンコの語源はポルトガル語。
Bancoとはポルトガル語でベンチのことを指す。
折りたたみ式の椅子を呼ぶのに、上方のオリジナル京言葉の“ばったり床机”を使わずに、鎖国時代から交易のあったポルトガルの言葉から名前を貰うだなんて、江戸時代の美々津の廻船問屋のオヤジ達はなんと粋だったのだろう。 -
保存地区の建物の多くは伝統的な切妻屋根が多く、三角形の切妻が通り沿いに並ぶ姿は壮観だったが、残念だったのが電柱と電線。
建物の2階の高さには見事に電線が走り、せっかくの景観がもったいないかな。
町の整備計画を実施するときに地下埋没式電線を採用できれば良かったのにね。 -
美々津には漆喰壁の家も多く海鼠(なまこ)塀もよく見かけたが、美々津の海鼠塀は一般的な平瓦を用いた形ではなく、瓦の代わりに石を用いていた。
瓦だと幾何学的な印象になる海鼠塀も、色が微妙に異なる石の組み合わせだとその印象も優しげな雰囲気となる。 -
漆喰が建物に使われている割に見かけなかったのが、虫籠窓の建築様式。
士農工商の身分差別がはっきりとしていた江戸時代、商家では二階建てを作ることが許されていなかった。
だから廻船問屋などでは、二階部分は敢えて屋根裏スペースっぽく見せかけ、その窓は漆喰で塗った虫籠みたいな明かり取りの窓とすることが多かったはずだが、美々津の商家の建築は虫籠窓が木で組まれていて、室内の採光も漆喰虫籠窓よりも格段に良い。
日向の辺りはお江戸から遠く離れていたので、幕府の締め付けが緩めだったのかもしれない。 -
美々津では建物の全体像を見ていても面白いが、玄関脇の木の板の装飾が家ごとに個性があり、まるで家紋みたい。
大坂屋の飾り板はSimple is the Bestなのだが、板の表面はピカピカに磨いてあり、その木目が美しい。 -
こちらの飾り板は、透かし模様で海波を表現していた。
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若松屋さんの飾り板は、かなり年季の入った味のある風合い。
その昔、美々津千軒の問屋が並んでいた頃は、各商家ごとに意匠の豪華さ、上品さを競っていた飾り板だったのだろう。 -
イチオシ
また、各家々のポストも海運の町らしく、船のデザイン。
でも、実はこの船のモデルは江戸時代の帆船ではなく、もっと古い時代の和船でその歴史はなんと2700年前! -
美々津はどの時期に訪れても良いとは思うが、レトロな町並みさんぽに隠し味を加えたいならば、季節の行事があるときがお勧め。
私たちが訪れたこの時は桃の節句が近かったこともあり、町中にはおひな様を飾る商家が沢山。 -
白壁の美しい備前屋はクラシカルな七段飾り。
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ひな壇の脇で埴輪が船に乗っているのは、同じ宮崎県の西都原古墳群から出土した舟形埴輪をイメージしているのだろう。
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田崎家のおひな様のメインはシックな黒塗り台だったが、田崎家で注目したいのは土人形のおひな様。
顔の辺りの色の落ち方から見ると、かなり古い人形なのかもしれない。 -
イチオシ
そして、何代もの女の子達が節句の度に着せて貰ったであろう振り袖。
鮮やかな朱の振り袖で着飾った7歳の節句。
どの子もニコニコだったに違いない。 -
掛け軸型のおひな様も珍しく、目をひいた。
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美々津の保存地区はそれほどエリアは広くなく、のんびり歩いても1時間くらいで歩けてしまう位狭い。
旧廻船問屋の中には、何件かその屋内を見せて貰える家があるのだが、時間の制約があり、どれか1軒だけを見る!というならば、私のイチオシは美々津軒だ。見学料は無料で、昔の廻船問屋の内部を見学できます by ウェンディさん新ひむかまちづくり塾 美々津軒 名所・史跡
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美々津軒は明治17年(1884年)に建築された廻船問屋の矢野家を修復し、美々津の歴史を学ぶ実践の場として提供されている場所で、管理人は矢野家の子孫であり、この廻船問屋の中でかくれんぼをしながら子供時代を過ごしたという女将さん。
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建物内には明治時代から伝わる生活用品などが展示されていたが、女将さんが時間がありそうならば、女将さんからお話を聞くのがお勧めで、廻船問屋ならではの家の構造や、女将さんが子供の頃に体験した生活様式などを教えて貰える。
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矢野家は廻船問屋の商人の家なので、内装が豪華なのは当たり前。
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屋敷の興味深い点はその構造で、実は隠し中二階構造となっている。
建物を表の道路側からの見ただけでは分からないが、室内の押し入れの背後に隠された秘密の階段があり、其処を通って中二階の部屋へと行くことができる。
(観光客は、残念ながら1階からその構造を見上げるだけで、上階へは上がれない) -
中二階の部屋は、船が港に着くと高価な品を表からは見えないところに保管するための部屋で、お得意様が来ると、秘密の通路を通って中二階へと案内し、とっておきの商品を見せたそうだ。
だから一階の部屋の天井は中二階がある部屋は低くなっているのだが、その天上の段差も、正面玄関から見ても分からないように工夫してある。 -
また、日本の中でも亜熱帯に近い植生もある宮崎の気候に適した家と言うことで、軒先の風通しの窓の構造も特徴的で、涼しい風は通るのに台風の強い風雨は吹き込まないマジカルな建築様式となっていた。
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廻船問屋の屋根裏部屋へと登る階段は現在は危険なので封鎖され、階段ギャラリーとなっていて、50年ほど前の美々津の町の風景が飾られていた。
そして、この階段も廻船問屋さんらしくただの昇降ステップではなく、商品を収納できる抽斗階段だ。 -
廻船問屋 矢野家の実際の屋敷は、商家部分の表屋敷と家族が暮らす裏屋敷があり、現在公開しているのは表屋敷の1階部分のみだ。
裏屋敷へと繋がる中庭には土蔵があり、そこは女将さんが子供の頃、悪い子になると閉じ込められた怖い場所だとのこと。
当時の日本には虐待の概念はなく、全てが厳しい躾のため。
蔵の中は真っ暗で虫のカサカサという音がして、小さな女の子にとっては本当に恐怖の闇だったそうだ。 -
美々津軒の室内にも、桃の節句のおひな様は飾られていた。
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保存地区の町中には、共同井戸があちこちにあった。
町の規模の割に井戸が多いなと感じたが、コレも廻船問屋が建ち並ぶエリアだったからの理由だろう。
卸問屋にとって怖いのは泥棒よりも火事。
火事の炎は自分の商家だけではなく、隣接する廻船問屋全てを舐め尽くす。
だから、初期消火のためにも大量の水の確保が重要だったと考えられる。 -
保存地区エリアには廻船問屋の矢野家(美々津軒)以外にも呉服問屋の近藤家の屋敷跡を利用した美々津町並みセンターがあり、地方の特産品などを購入できる。
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またエリアの外れには150年以上前に立てられた古民家を改装したomoiire(想い煎れ)cafeもあり、時間があるならばカフェでまったりとしながら、のんびりとレトロな雰囲気に浸ることも可能だ。
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美々津の港町だが、実は美々津が海を制する町としてその名を馳せたのは、江戸時代の海運業がその始まりではない。
美々津が最初に歴史にその名を残したのは、今から遙か2700年前の紀元前700年代で、なんとそのきっかけになったのが神話の世界の天皇である神武天皇。
神武天皇が大和国を制圧するために水軍の船出をした港が、美々津であると言われている。
最初、遠目にこの写真の巨大なモニュメントを目にしたときに碑の脇にある旭日旗から、ちょっと過激な思想の方達が建立した何かかと勘違いしそうになったが、碑の説明を読んで神武天皇による“日本海軍発祥の地の碑”ということである程度納得しかけたのだが、しかし・・・碑の隣ではためく旭日旗は、なんとなく違うのではないかな。
神武天皇が太陽神のアマテラスの子孫だから旭日旗の発想なのだろうが、現代の感覚的には旭日旗は軍隊を連想させ、またこの巨大モニュメントの名前の“日本海軍発祥の地の碑”も、なんとなく違和感を感じさせる。
“海軍”ではなく“水軍”発祥の地とする方が神武天皇の初の船出のイメージと馴染むのではないかな・・・なんて思う。太平洋戦争絡みの軍国主義かと思ったら、違った! by ウェンディさん日本海軍発祥の地の碑 名所・史跡
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碑の裏側に「内閣総理大臣、海軍大将、米内光政」との名前を見つけて、やっぱりね・・・というのが感想。
なんだ・・・やはり、この碑は軍国主義時代の真っ最中に作られた碑だった様だ。
表向きは神武天皇の初の船出を祀っているように見せかけてはいるが、その実は海軍を鼓舞する様な意味を持たせて、戦時中に建てられたのだろう・・・と邪推もしたくなる。
名が刻まれている米内光政氏が内閣総理大臣の在位していた時は日独伊三国同盟の時代で、彼は戦後の東京裁判にも出廷している。
人格者であり物事の分析に長けた人物だったらしいが、旭日旗と名前が並んでいると、その良い印象は半減してしまう。 -
日本発の水軍の船出を記念すべく作られたのは巨大な碑だけではない。
美々津の港近くの立磐神社も、神武天皇の船出を祝して建てられている。
立磐神社の建立は景行天皇(紀元前13年~紀元後130年)の時代で、九州南部の新興豪族であった熊襲(クマソ)を最初に成敗したのが景行天皇と言われている。
しかし、景行天皇がその地を過ぎ去ると熊襲はその勢いを再び取り戻し、九州南部を支配するようになり、そこで対熊襲のコマンダーとして派遣されたのが、景行天皇の息子のヤマトタケル(日本武尊)。
多分だが、景行天皇は敵対する熊襲との戦いに勝つために、水軍を指揮した神武天皇の加護にあやかりたかったのだろう。神武天皇の船出を祀った神社 by ウェンディさん立磐神社 寺・神社・教会
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立磐神社の境内には神武天皇が腰をかけたと言われる“神武天皇御腰掛け磐”や
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神武天皇船出の歌伝説の碑もある。
と言うわけで、美々津は神武天皇にも縁が深い地であるらしい。 -
しかし、神武天皇がこの美々津の港から水軍の船出をしたという話は、その真実性としては歴史的にあり得るのだろうか。
神武天皇の時代;紀元前700年代と言えば、歴史の教科書風に記すならば、日本は縄文時代から弥生時代へと移り変わろうとしている時代。
その時代に神武天皇が家来の軍勢をお供に船出をした・・・とは、時代考証をし始めると、かなり無理がある設定の気もしてくる。 -
美々津の町の散策ガイドだが、ガイドブックには詳細な地図はなく、現地の保存地区内や駐車場に設置された美々津町並みガイドマップ看板を見るか、日向の公式ホームページ↓を参考にするしかないのだが、はっきりいって、そんな詳しい情報は記されてはいない。
ガイドマップのH.P.: https://www.hyugacity.jp/sp/display.php?cont=140313161206
散策エリアはそれほど広くはないので、町歩きを始める前に歴史民俗資料館や美々津軒でこのエリアに関する基礎知識を仕入れてから歩き出す方が、レトロな町さんぽを楽しめると思う。 -
そして、
美々津を訪れたときに私たちが悩んだのが、駐車場が見つからない問題。
美々津の町中は江戸時代の古い港町の道幅がそのまま現代の道路となっているので、道路幅が狭く、こんな駐車禁止看板があちこちにある。 -
「こちら側 駐車禁止」とはユニークな表現だが、これは偶数月、奇数月によって路肩の片側だけを駐車OKとする、道幅が狭い美々津ならではのルール。
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イチオシ
しかし、この月別駐車OKルールが使えるのは美々津で暮らしている町の人だけ。
では、美々津の町散策を楽しむためにやって来る観光客は何処に車を停めれば良いのか。 -
美々津の歴史建造物が多いエリアには観光客用の駐車場の用意は無く、観光客が車を置けるのは美々津の中心エリアから徒歩5分(かなり早足)~10分の美々津海岸観光駐車場。
美々津の町の方達がエリアを散策する観光客とうまく共存できる様に、訪れる私たちも町の人たちの生活を尊重したルールを守るのが大事だよね。
前の旅行記:旅行記-4:朱の鳥居を翔ける龍神
https://4travel.jp/travelogue/11622560美々津町さんぽの無料駐車場はここ! by ウェンディさん美々津海岸 自然・景勝地
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