横浜臨海公園さんへのコメント一覧(20ページ)全1,510件
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勉強になりました。
初めまして。
読み応えのある記録の数々、とても勉強になりました。
この旅行記に使われた写真に20年以上住んだ実家が写っています。
それだけ慣れ親しんだ地元でありながら、
>2代目横浜駅が旧東急東横線高島町駅付近に存在していた史実は、横浜市民と言えども、既に忘却されているのが現実である。
仰る通りです。
私もこの存在を知ったのは成人後です。
該当マンション建設時に遺構が出てきたと話題になったので今は多少知られているように感じますが、
それもご近所さんだけかもしれません。
また京急平沼駅についても存在自体は知られていますが、
私達は「空襲で焼けてそのまま廃駅になった」と教えられていました。
空襲以前に廃止されていたんですね…初めて知りました。
京急乗車時に見える駅の様子がいかにも焼け焦げた跡というもので
(1999年まで残っていた柱などが特にその雰囲気を醸し出していました)
空襲で焼けてそのままという言葉に非常に説得力があったため驚きました。
今復活したらそこそこの利用客がいそうな気もしますが、難しそうですね。
他の旅行記もコツコツと楽しませていただきますね。
mei1110
拝復
mei1110さま、こんにちは。
拙稿旅行記に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
mei1110さまの旅行記を拝見し、横浜市民の方とお見受けしておりましたが、やはりそうだったのですね。
仰せの通り、京急平沼駅は、当時の京浜電気鉄道が東急電鉄に合併後に該社湘南線横浜-戸部間近距離を理由に、該社京浜線反町駅と同時に営業休止となり、更に、廃止後に空襲で被災したにも拘らず、横浜市史等々でも、営業中に空襲で被災したかの如き記述となっており、此れが誤解の原因となっていることは残念に思います。
あの近辺は東急が地下化別線になり、現在では地下鉄しか無く、すご不便な所になってしまいました。
駅復活で、近隣マンション住民は便利かもしれませんが、あの現在の朝のラッシュの状態では乗車自体が困難だと思います。
横浜臨海公園2018年08月13日16時01分 返信する -
金山から大府だったか
横浜臨海公園さん、おはようございます。
もう50年以上前のことですが、親に連れられて金山駅からたぶん大府駅までだと思うんですが、親戚の家に遊びに行くために蒸気機関車が引く列車に何回も乗ったことがあった記憶が浮かんできた旅行記でした。
当時は名古屋住まいで、市内にはチンチン電車の愛称で呼ばれる路面電車が縦横に走っていて、バスのウインカーはうさぎさんの耳でした。
昔の懐かしい思い出を思い出させていただきありがとうございました。
kuni -
旅行記に投票有り難うございました。
横浜臨海公園 様
すっかりご無沙汰していますが お元気でしょうか?
この度は旅行記に投票いただき有り難うございます。
台湾も日本も暑かったですが、空気が綺麗なぶん 日本のほうがいいかな?という感じでした。
台北は25年か30年ぶりに行きました、本当は火鍋を食べたかったのですが、
2泊3日では 残念ながら2晩しかありませんので次回にします。
台北で昔と大きく変わったことは、バイクが車に変わったということでしょうか?
昔はもっとバイクが多かったような気がします。
そして以前は無かったMRTが市民の足として 安くてとても便利だと思いました。
MRTは飲食禁止、これは日本でも是非導入して欲しいと思いました。
一応 乗り鉄、撮り鉄のはしくれなので、台鐵と高鐵を利用するため日本から予約して現地で切符を受け取りました、予約システムも素晴らしく なんの問題もありませんでした。
今度は涼しくなったらでかけてみたいと思っています。
今後とも宜しくお願いいたします。
敏じぃ
2018年08月09日11時35分返信する -
フォローありがとうございます。
18切符で途中下車しながら旅をするのが好きです。
とうかいどうせんもとざんの道すがら、いろいろな駅で下車をしました。
鉄道唱歌に合わせて旅をするのも楽しいですね。
楽しみに読ませていただきます
よろしくお願いします拝復 はじめまして
イメ・トラさま、メッセージを賜りまして、誠に有難うございました。
拙稿にお立寄りと投票、掲示板にコメントを賜りまして深謝しております。
小生が、かの如き旅行記作成を思い立ったのは、世間で流布されている出版物の内容がデタラメばかりで、最たるものは、昭和46年(1971年)から公刊された日本国有鉄道100年史など、一例では被災したのは飯田町駅にも拘らず、飯田橋駅が空襲で駅本屋他施設全焼との記載がされた為に、以後雨後の筍の如く、事実ではない記載がまかり通ってしまい、呆れた結果、自身で正確で資料としても活用可能な旅行記作成を思い立った次第です。
小生、旅行記上程は遅速にして少数ですが、納得できる内容をと心掛けております。
今後とも宜敷くお願い申します。
先ずは略儀ながら、御礼とご挨拶まで。
横浜臨海公園2018年07月07日14時38分 返信する -
田子の浦、地名について
こんにちは、はじめまして
東海道線関連の労作を拝見しました。
このような形で地域の交通関連の近現代史がまとめられるのはありがたいことです。
眼の状態が十全でなく、すべてに目を通したわけではありませんが、鉄道唱歌関連で田子の浦という地名に言及されておりましたので、気がついたことを書き留めます。
もとより田子の浦は山部赤人の歌にみられる名所で、ここがどこであるかは、国文学系の万葉学者らも検討されていることと思います。
反歌 田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける
いま、田口益人の歌二首をもって考えてみたいと思います。
[題詞]田口益人大夫、任上野國司時、至駿河浄見埼、作歌二首
296 廬原乃 浄見乃埼乃 見穂之浦乃 寛見乍 物念毛奈信
廬原の 清見の崎の 三保の浦の ゆたけき見つつ 物思ひもなし
297 晝見騰 不飽田兒浦 大王之 命恐 夜見鶴鴨
昼見れど 飽かぬ田子の浦 大君の 命畏み 夜見つるかも
297番歌は、田口益人が天皇の名を受けて任国へ急ぐために、残念なことに夜の間に通り過ぎてしまったことだと解釈されたりします。
しかし、この二首の歌が万葉集に採録されたのは意味があって、田口益人は国誉め、土地褒めの歌を詠んでいる。大王の命に関わる神事のために夜の浜辺にいるのでしょう。
田子とは多胡(渡来人)であって、この地域にいた先進的な文化を持った人々を上野の地へ移り住まわせる試みがあったのじゃないかと考えています。
それはともかくとして、清見が埼、三保の浦と田子の浦が対になって歌われていることから、やはり田子の浦は旧庵原郡の地、三保の砂嘴に囲まれた浦を措定するのが妥当だと考えています。
富士川以東の吉原-原に新駅を作るときに東田子の浦というとんでもない駅名を設けたことが発端で、潤井川、沼川河口に出来た港の名前が田子の浦港。
こんなことで、田子の浦がどこであったのか、見えにくくなってしまいました。
鉄道唱歌作者の大和田建樹の「三保の松原、田子の浦、逆さに映る富士の嶺を波に眺むる舟人は、夏も冬とや思ふらん」という詞は正確だと思います。
拝復
ソンマーイさま、はじめまして。
此の度は、小生のページにフォローを賜りまして、誠に有難うございました。
また、掲示板に貴重な御意見を賜りまして、深謝しております。
該旅行記上程は3年前ですが、飼料蒐集は5年前に実施致しました。
当時は、静岡県立図書館在籍資料を基に作成を進めたのですが、正直申しまして、鉄道関係、及び、初代静岡県知事 関口隆吉に関する資料に就いて、特に、静岡新聞社出版部から公刊された資料は、傍目で見ても間違いとする箇所が多数散見され、該旅行記上程後に、事実と明らかに異なる記述をした為に、小田原-浜松間各編に就いて、内容更新を開始した次第でございます。
小生は元々古典には疎いのでうが、それでも、田子の浦とは庵原三保説だと考えておりましたが、該資料を参照した結果、不本意ながら東田子の浦としたもので、その後は、やはり庵原三保説が正当だと考えております。
原-鈴川(現 吉原)間駅開設では、新駅名に対し、地元意見より、当時の名古屋鉄道局静岡管理部の意見が最優先された様で、地元も余り歴史的知識が希薄だったからこそ、該駅名に落ち着いたのではと考えております。
若し、地元に歴史的知識があれば、山陽本線朝霧駅開設時に、当時の国鉄は当初は西舞子、次いで、東明石を提示しものの、地元は万葉集にも謳われた地名故に朝霧を押し、結果的に採用された経緯があり、当時の国鉄も結構地元に対する理解があったものと想像されます。
その為に、もう少しお時間を賜れば、該旅行記の更新作業に着手致しますので、其れ迄は何卒ご容赦の程をお願い申します。
横浜臨海公園2018年06月25日15時07分 返信する -
お礼
マレーシアの旅にご投票ありがとうございます。4トラで報告していないのはアジアでは残り少ない国の一つなのでいつかは行ってみようと思っていました。日本人の長期滞在者が多いとも聞いていたので興味もありました。でも旅行記に書いたように観光面ではまだまだ発展途上です。また特に料理でおいしいものもなく、それががっかりです。世界遺産とされているマラッカ海峡にしてもあまり見るべきものが在りませんでした。それなら私の住んでいる堺市で申請している仁徳天皇陵のほうがいいでしょうと突っ込みたくなるくらいでした。寺院などにもあまり見るべきものが在りませんでした。アジアでもベトナム、カンボジア などはもう一度行ってみたいと思うところがあるのですが、ここは残念ながらそうはおもえず、旅行記をあげるのも遅くなってしまいました。クアラルンプールはとても賑やかな都会です。友人がここの一番いいホテルに宿泊する2泊3日の旅行を3万円ぐらいでいったそうで、これは大満足だったそうですからこういう旅ならいいかもしれません。2018年06月21日10時30分返信する -
ご無沙汰しておりました
横浜臨海公園さん、お久しぶりです!
6年ぶりの旅行記に「いいね!」押してくださってありがとうございます。
横浜臨海公園さんの旅行記はいつもいろいろと調べられていてすごいなぁと思います。
また少しずつ拝見させていただこうと思います。
これから、また、よろしくお願いいたします。2018年06月01日11時22分返信する拝復
Anneさま、こんにちは。
本当にお久しぶりの旅行記、篤と拝見させて頂きました。
小生も本当はもう少し各地を廻りたいとの希望はあるのですが、先日も過労が原因で10日間も入院する羽目になり、昨日退院したばかりでした。
自分なりに頑張りたいと思いつつ、不自由な体調に嘆き、そしてジレンマを感じております。
次作旅行記を期待しております。
横浜臨海公園2018年06月01日14時41分 返信する -
読んでから行けばまた違うでしょうね
横浜臨海公園さん、こんにちは!
ご紹介いただいた旅行記、ようやく読ませていただけました^^
まず、この旅行記が2011年の調査、ということで、つい先日私たちが見てきた風景と若干異なるところもあったり、変わってない部分もあったり、楽しく読ませていただきました!
まだ10年経ってないわけですが、熱海駅や伊東駅など、最も利用の多いだろう場所は変わってますね。
どちらも観光化がより進んだ気がします。
特に伊東駅は、私は電車からホームを眺めただけでしたが、それでも土産物屋や売店がホーム内に増えたような、改札付近の変化があったんじゃないかと思えました。
熱海駅は全体的に「今風」になりましたよね。ちょっと残念です。
でも、冒頭のところでこの路線が多くの鉄道路線が作られてきた経緯とは違った経緯を持ってることや、もともと「観光」に力を入れてた場所って言うのを読めばすごく納得でした。
もとから下田までJRで、最近よくあるJRの路線リストラで伊東~下田が伊豆急行になったのかとか勝手に想像してましたが、全然違いましたね(笑)
あぁいつもほんと勉強になります!
この間の私たちの伊豆旅行は行先決定から出発まで約1週間でした。
かなりバタバタで予備知識はほぼ持たずに旅をしてきましたが、旅行中、改めてゆっくり駅舎など回ってみたいと思っていました。
その前にこの旅行記読めて良かったです!
駅舎それぞれとってもすてきですね~スペイン風の瓦とかクロスの装飾とか、じっくり見てこれそうです^^
こないだの旅はそれこそ先入観をほぼ持たずに「伊豆」の雰囲気を楽しめたのでそれはそれでよかったですが、次回の滞在は「歴史」を感じながらまた違った視点で楽しめるかな~と思います♪ありがとうございます!
長くなってしまってすみません;
次の神戸~・・・の分はかなり苦戦を・・・とのことですが、あまりご無理はなさらないでくださいね^^;
でも地元関西ということでかなり楽しみにしております(´▽`)
ステファニー
拝復
ステファニーさま、こんにちは。
拙稿に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
伊東線の歴史探訪記は、約7年前の内容ですが、御指摘の様に、温泉駅前風だった熱海駅本屋は改築され、全国共通型の何処にでも見られる現代調の造営に変わってしまいました。
更に驚かされるのは、国鉄時代に全国でも珍しいマルス端末機が設備されていた網代を含め、伊東線中間駅が合理化の余波を受け、全駅無人化されてしまった事で、時代の趨勢を感じさせられます。
伊東線建設当時の鐵道省が、昭和15年(1940年)の東京オリムピック開催を目処に、国際観光客誘致の為に、地方駅に於ける外国人利用の利便を考えた設計を行った事で、一例では、東北本線黒田原駅本屋など、現在の人々から見て考えられない構造なのは、鉄道省国際観光局の意向が働いたと見るべきだとも居ます。
それにしても、JR各社は、観光客目当てに駅本屋を改造する傾向が強いのには残念に思っております。
横浜臨海公園2018年05月05日13時23分 返信する



