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伊東線(いとうせん)は、熱海-伊東間16.9キロを結ぶ地方路線ながら実質的には伊豆半島に於ける旅客輸送を役割を担う為に輸送量が多く、国鉄時代は自動車普及率は高く無かった事も手伝い、利用者が多く全国でも稀有の黒字路線で幹線扱されていた事で知られている。<br /><br /><br />大正13年(1924年)第3回鐵道会議に於いて熱海-伊東-下田間鉄道建設が決定したが、折りしも我が国は第1次世界大戦終結に伴う世界的大不況を受け、第27代内閣総理大臣 濱口雄幸(はまぐち おさち)(明治3年(1870年)5月1日~昭和6年(1931年)8月26日)(昭和4年1929年)7月2日~昭和6年(1931年)4月14日組閣)は、大蔵大臣 井上準之助(いのうえ じゅんのすけ)(明治2年(1869年)5月6日~昭和7年(1932年)2月9日)(昭和4年(1929年)7月2日~昭和6年(1931年)4月14日在任)の提言に依り、緊急金融財政縮小政策が採用実行され此れに基づき金本位制度を復活させたが、政策的には世界の趨勢に反し却って不況を増大させ失敗し、結果的に濱口、井上両名共に狙撃され、井上に至っては暗殺に追い込まれる事態に展開し、それ故、伊東線建設は早期建設不要線と解釈され白紙撤回し、後に、熱海-伊東間を第1次建設区間線として建設認可が下りた。<br />此の為に開業は意外にも遅く、当時の熱海線の培養線として丹那隧道(たんな ずいどう)開通後の昭和10年3月30日に来宮-網代間を嚆矢に伊東まで全線開業を果たしたのは昭和13年(1938年)12月15日で開通当初から全線電化されたが、短区間ながら網代-伊東間開通が遅延した原因は伊東線が海岸線に面しているにも拘らず山岳貫通構造様式となり、殊に、宇佐美隧道掘削が難工事で完成に手間取り、伊東まで開通後、社会情勢が順調平時であれば更に南下し下田まで建設が予定され、殊に、陸海軍部共に国防上に於ける要塞設置必要の関係上、下田への延伸工事継続を望んでいたが、昭和12年(1937年)7月7日に盧溝橋事件(ろこうきょう じけん)を発端に日華事変(にっか じへん)(昭和12年(1937年)7月7日~昭和16年(1941年)12月8日)勃発に依り、我が国は総動員体制の下戦時体制に移行した為に伊東以南の建設は不要不急工事と認定され実現は画餅と化した。<br /><br />該残区間開通は、東京急行電鉄の100%子会社たる伊豆急行(いず きゅうこう)に依り昭和36年(1961年)12月10日である。<br /><br />国際連盟(こくさい れんめい)脱退たる昭和8年(1933年)から日華事変勃発翌年たる昭和13年(1938年)の5年間に於ける我が国状態は、国際的に孤立すれど皮肉にも戦時体制移行期以前に於ける経済は延伸し国民生活も安定を極めた時期である。<br /><br />それ故、当時の鐵道省が観光に力を入れ戦前に於ける観光黄金期が形成されたが、此の為に、新路線開通と同時に建設された駅本屋は景勝地、若しくは、神社仏閣最寄駅等々に於いて特徴的建築が現出する事となる。<br /><br />殊に、伊東線は東京横浜から至近保養地たる熱海伊東間に特徴的な建築物が成立しても何等不思議では無く、それ故に、伊東線各駅に南欧風白壁調の駅本屋が構築されるに至った。<br /><br />大東亜戦争終結後、連合軍はポツダム宣言に基づき我が国を占領開始すると同時に国内重要施設接収を実行したが、進駐軍の大部分がアメリカ軍だったのに対し、広島県呉市に存在した旧帝國海軍呉鎮守府施設管理は当初は米軍が担当の後、英国連邦軍が担当した。<br />広島呉地区占領担当の英国連邦軍は正規将校こそ英本国出身者で占められたが、一般下士官兵は豪州出身者が多数を占めていたとされ、事実、遺憾ながら占領直後に於ける呉市、及び、広島市内に於ける英国軍人に依る我が国国民への重大犯罪行為とされたものは殆んど豪州兵に依るものである。<br /><br />英国占領軍は我が国政府に対し、呉、若しくは、近隣地を出発とする東京、及び、伊東までの英国占領軍専用列車運転を要求された為に、運輸省鉄道総局は、当初は山陽本線海田市駅、次いで、呉駅を始発駅として呉線経由東京・伊東行列車運転を決定し、昭和21年(1946年)7月より運転開始された。<br /><br />列車編成は10両で、先頭車にスハニ32型改造の2等荷物合造車スロニ31型、3等簡易寝台車6両、食堂車2両で構成され最後尾にスイテ381が連結されていた。<br /><br />スイテ38型は開戦前、当時の特別急行 富士 号専用車として2両製造された旧1等展望車の1両で、軍番号1706 CLYD(クライド)と命名され、英国占領軍将官専用車として整備使用し、後に冷房機搭載に拠り重量が加重されマイテ49型に形式変更され1号車は台枠利用でオシ17型食堂車に改造され原型を喪失したが、マイテ49 2は廃車後に大阪交通科学館に保存展示された事から残存し、国鉄末期に奇跡的に車籍復活整備され、現在は西日本旅客鉄道宮原運転所に配置在籍中である。<br /><br />途中、熱海駅で増解結され伊東まで運転されたが、此れは英国進駐軍が将校保養施設として大倉財閥から接収した川奈ホテル、及び、川奈ゴルフ場への将校輸送が主要目的だった。<br />該列車は発駅が変更になった程度で特に変化は無かったが、朝鮮動乱(ちょうせん どうらん)勃発に拠り、昭和25年(1950年)9月30日附を以って廃止された。<br /><br />また、終戦直後から2等車は進駐軍専用とされ我々日本人乗車は認められていなかったが、昭和22年(1947年)10月30日より、東京鉄道局管理下では東海道本線東京-沼津間、御殿場線全線、伊東線全線等々に於いて運転されていた指定列車外の一部白帯車乗車の為に該当車輌外部横に20cmの黄球を表示し2等乗車券発売が再開されたが、該乗車券裏面に「余席が無い時、進駐軍が立っている時は他車に乗換る事。その際、差額は払戻しません」と云う屈辱的記述が印刷されていた。<br /><br />東海道本線静岡-浜松間は昭和24年(1949年)5月23日に電化されたが、物不足の当時故に牽引用電気機関車が不足になる事から、該電気機関車捻出の為に伊東線列車は同月15日より該線内折返列車限定で電車化され横須賀線用電車4両編成2本を使用し運用した。<br />該電車保守点検は伊東駅構内に存在した沼津機関区伊東支区で実施したが、日本国有鉄道が成立し沼津地区が東京鉄道管理局から静岡鉄道管理局に移管される事が決定した為に、翌昭25年(1950年)5月1日附で田町電車区伊東支区に所属変更した。<br /><br />戦後は温泉ブームの到来と共に昭和30年代前半まで伊豆半島温泉地は高級志向傾向となり首都圏在住者の新婚旅行先であり旅客数は激増の一途をたどる。<br /><br />前述の如く、伊東-下田間は伊豆急行に依り昭和36年(1961年)12月10日に開業したが、然し、建設免許交付に際し、西武鉄道系列企業たる駿豆鉄道も免許申請を行い、同時に運輸省に対し、伊東-下田-大仁間鉄道は、大正11年(1922年)制定の鐵道敷設法の趣旨に則り国鉄が建設するのであれば何等異議を申立てないが、然し、伊豆半島開発に何等実績を有し無い一民間企業が落下傘部隊の如き伊豆半島に飛来し該区間免許出願は容認し難いとの意見書を提出した。<br />結局、東急電鉄対西武鉄道の競願事項となり、昭和32年(1957年)7月3日、及び、4日に運輸省本省8階大会議室に於いて公聴会が開催されたが該公聴会で、特に、鉄道路線と並行関係になると考えられた東海自動車の意見が尊重され、新鉄道路線の培養路線として東海自動車の同意が得られ、昭和35年(1960年)1月に工事着工に漕ぎ着けた。<br />因みに、完成した伊豆急行は営業許可免許内で、日本国有鉄道、若しくは、該後継承継団体から路線買収の提議がなされた際は此れを拒否出来ずとの一項目が存在する。<br /><br />国鉄時代に輸送量が激増逼迫し伊東線全線の複線化が決定し、新小山、及び、温泉余土から発する硫酸塩が原因で隧道内のコンクリートや鉄筋類の老朽化が著しかった宇佐美隧道に代り新宇佐美隧道を掘削し完成後使用されたが国鉄財政悪化に拠り複線化工事は中断されたままである。<br /><br />また、伊東線の歴史的特徴として開業以来、伊東駅以外の駅に於いて一般貨物取扱が無く、現在の如く宅急便が普及する以前から手荷物扱が昭和47年(1972年)3月15日附を以って伊東駅を除く全駅で取扱廃止となり、一般貨物扱も伊豆急行への鉄道車輌搬出入を除き昭和55年(1980年)9月30日附を以って全面廃止されたが、即ち、熱海-伊東間に於いて観光地故に平行道路も早くから整備され、トラックの機能的進出が必ずしも鉄道貨物を必要としなかったと見るべきであろう。<br /><br /><br />表紙は 初代宇佐美隧道熱海方坑門跡

伊東線歴史的痕跡探訪記

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2011/07/05 - 2011/07/05

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横浜臨海公園

横浜臨海公園さん

伊東線(いとうせん)は、熱海-伊東間16.9キロを結ぶ地方路線ながら実質的には伊豆半島に於ける旅客輸送を役割を担う為に輸送量が多く、国鉄時代は自動車普及率は高く無かった事も手伝い、利用者が多く全国でも稀有の黒字路線で幹線扱されていた事で知られている。


大正13年(1924年)第3回鐵道会議に於いて熱海-伊東-下田間鉄道建設が決定したが、折りしも我が国は第1次世界大戦終結に伴う世界的大不況を受け、第27代内閣総理大臣 濱口雄幸(はまぐち おさち)(明治3年(1870年)5月1日~昭和6年(1931年)8月26日)(昭和4年1929年)7月2日~昭和6年(1931年)4月14日組閣)は、大蔵大臣 井上準之助(いのうえ じゅんのすけ)(明治2年(1869年)5月6日~昭和7年(1932年)2月9日)(昭和4年(1929年)7月2日~昭和6年(1931年)4月14日在任)の提言に依り、緊急金融財政縮小政策が採用実行され此れに基づき金本位制度を復活させたが、政策的には世界の趨勢に反し却って不況を増大させ失敗し、結果的に濱口、井上両名共に狙撃され、井上に至っては暗殺に追い込まれる事態に展開し、それ故、伊東線建設は早期建設不要線と解釈され白紙撤回し、後に、熱海-伊東間を第1次建設区間線として建設認可が下りた。
此の為に開業は意外にも遅く、当時の熱海線の培養線として丹那隧道(たんな ずいどう)開通後の昭和10年3月30日に来宮-網代間を嚆矢に伊東まで全線開業を果たしたのは昭和13年(1938年)12月15日で開通当初から全線電化されたが、短区間ながら網代-伊東間開通が遅延した原因は伊東線が海岸線に面しているにも拘らず山岳貫通構造様式となり、殊に、宇佐美隧道掘削が難工事で完成に手間取り、伊東まで開通後、社会情勢が順調平時であれば更に南下し下田まで建設が予定され、殊に、陸海軍部共に国防上に於ける要塞設置必要の関係上、下田への延伸工事継続を望んでいたが、昭和12年(1937年)7月7日に盧溝橋事件(ろこうきょう じけん)を発端に日華事変(にっか じへん)(昭和12年(1937年)7月7日~昭和16年(1941年)12月8日)勃発に依り、我が国は総動員体制の下戦時体制に移行した為に伊東以南の建設は不要不急工事と認定され実現は画餅と化した。

該残区間開通は、東京急行電鉄の100%子会社たる伊豆急行(いず きゅうこう)に依り昭和36年(1961年)12月10日である。

国際連盟(こくさい れんめい)脱退たる昭和8年(1933年)から日華事変勃発翌年たる昭和13年(1938年)の5年間に於ける我が国状態は、国際的に孤立すれど皮肉にも戦時体制移行期以前に於ける経済は延伸し国民生活も安定を極めた時期である。

それ故、当時の鐵道省が観光に力を入れ戦前に於ける観光黄金期が形成されたが、此の為に、新路線開通と同時に建設された駅本屋は景勝地、若しくは、神社仏閣最寄駅等々に於いて特徴的建築が現出する事となる。

殊に、伊東線は東京横浜から至近保養地たる熱海伊東間に特徴的な建築物が成立しても何等不思議では無く、それ故に、伊東線各駅に南欧風白壁調の駅本屋が構築されるに至った。

大東亜戦争終結後、連合軍はポツダム宣言に基づき我が国を占領開始すると同時に国内重要施設接収を実行したが、進駐軍の大部分がアメリカ軍だったのに対し、広島県呉市に存在した旧帝國海軍呉鎮守府施設管理は当初は米軍が担当の後、英国連邦軍が担当した。
広島呉地区占領担当の英国連邦軍は正規将校こそ英本国出身者で占められたが、一般下士官兵は豪州出身者が多数を占めていたとされ、事実、遺憾ながら占領直後に於ける呉市、及び、広島市内に於ける英国軍人に依る我が国国民への重大犯罪行為とされたものは殆んど豪州兵に依るものである。

英国占領軍は我が国政府に対し、呉、若しくは、近隣地を出発とする東京、及び、伊東までの英国占領軍専用列車運転を要求された為に、運輸省鉄道総局は、当初は山陽本線海田市駅、次いで、呉駅を始発駅として呉線経由東京・伊東行列車運転を決定し、昭和21年(1946年)7月より運転開始された。

列車編成は10両で、先頭車にスハニ32型改造の2等荷物合造車スロニ31型、3等簡易寝台車6両、食堂車2両で構成され最後尾にスイテ381が連結されていた。

スイテ38型は開戦前、当時の特別急行 富士 号専用車として2両製造された旧1等展望車の1両で、軍番号1706 CLYD(クライド)と命名され、英国占領軍将官専用車として整備使用し、後に冷房機搭載に拠り重量が加重されマイテ49型に形式変更され1号車は台枠利用でオシ17型食堂車に改造され原型を喪失したが、マイテ49 2は廃車後に大阪交通科学館に保存展示された事から残存し、国鉄末期に奇跡的に車籍復活整備され、現在は西日本旅客鉄道宮原運転所に配置在籍中である。

途中、熱海駅で増解結され伊東まで運転されたが、此れは英国進駐軍が将校保養施設として大倉財閥から接収した川奈ホテル、及び、川奈ゴルフ場への将校輸送が主要目的だった。
該列車は発駅が変更になった程度で特に変化は無かったが、朝鮮動乱(ちょうせん どうらん)勃発に拠り、昭和25年(1950年)9月30日附を以って廃止された。

また、終戦直後から2等車は進駐軍専用とされ我々日本人乗車は認められていなかったが、昭和22年(1947年)10月30日より、東京鉄道局管理下では東海道本線東京-沼津間、御殿場線全線、伊東線全線等々に於いて運転されていた指定列車外の一部白帯車乗車の為に該当車輌外部横に20cmの黄球を表示し2等乗車券発売が再開されたが、該乗車券裏面に「余席が無い時、進駐軍が立っている時は他車に乗換る事。その際、差額は払戻しません」と云う屈辱的記述が印刷されていた。

東海道本線静岡-浜松間は昭和24年(1949年)5月23日に電化されたが、物不足の当時故に牽引用電気機関車が不足になる事から、該電気機関車捻出の為に伊東線列車は同月15日より該線内折返列車限定で電車化され横須賀線用電車4両編成2本を使用し運用した。
該電車保守点検は伊東駅構内に存在した沼津機関区伊東支区で実施したが、日本国有鉄道が成立し沼津地区が東京鉄道管理局から静岡鉄道管理局に移管される事が決定した為に、翌昭25年(1950年)5月1日附で田町電車区伊東支区に所属変更した。

戦後は温泉ブームの到来と共に昭和30年代前半まで伊豆半島温泉地は高級志向傾向となり首都圏在住者の新婚旅行先であり旅客数は激増の一途をたどる。

前述の如く、伊東-下田間は伊豆急行に依り昭和36年(1961年)12月10日に開業したが、然し、建設免許交付に際し、西武鉄道系列企業たる駿豆鉄道も免許申請を行い、同時に運輸省に対し、伊東-下田-大仁間鉄道は、大正11年(1922年)制定の鐵道敷設法の趣旨に則り国鉄が建設するのであれば何等異議を申立てないが、然し、伊豆半島開発に何等実績を有し無い一民間企業が落下傘部隊の如き伊豆半島に飛来し該区間免許出願は容認し難いとの意見書を提出した。
結局、東急電鉄対西武鉄道の競願事項となり、昭和32年(1957年)7月3日、及び、4日に運輸省本省8階大会議室に於いて公聴会が開催されたが該公聴会で、特に、鉄道路線と並行関係になると考えられた東海自動車の意見が尊重され、新鉄道路線の培養路線として東海自動車の同意が得られ、昭和35年(1960年)1月に工事着工に漕ぎ着けた。
因みに、完成した伊豆急行は営業許可免許内で、日本国有鉄道、若しくは、該後継承継団体から路線買収の提議がなされた際は此れを拒否出来ずとの一項目が存在する。

国鉄時代に輸送量が激増逼迫し伊東線全線の複線化が決定し、新小山、及び、温泉余土から発する硫酸塩が原因で隧道内のコンクリートや鉄筋類の老朽化が著しかった宇佐美隧道に代り新宇佐美隧道を掘削し完成後使用されたが国鉄財政悪化に拠り複線化工事は中断されたままである。

また、伊東線の歴史的特徴として開業以来、伊東駅以外の駅に於いて一般貨物取扱が無く、現在の如く宅急便が普及する以前から手荷物扱が昭和47年(1972年)3月15日附を以って伊東駅を除く全駅で取扱廃止となり、一般貨物扱も伊豆急行への鉄道車輌搬出入を除き昭和55年(1980年)9月30日附を以って全面廃止されたが、即ち、熱海-伊東間に於いて観光地故に平行道路も早くから整備され、トラックの機能的進出が必ずしも鉄道貨物を必要としなかったと見るべきであろう。


表紙は 初代宇佐美隧道熱海方坑門跡

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 熱海(あたみ)駅<br /><br /><br /><br />第1番伊東線発着用ホーム<br />伊東線列車は本来、東海道本線上りホーム上に存在した切込状ホームから着発していたが、伊東線熱海-来宮間が複線化が決定し東海道本線用に新野中山隧道を建設し野中山隧道が伊東線専用になり列車運行が分離された、昭和43年(1968年)10月ダイヤ改正を前に同年9月9日から現1番線ホーム使用に変更されたが元来は車輌留置線だった。<br />仕切柵上を跨ぐ形態でホーム新設。<br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=64

    熱海(あたみ)駅



    第1番伊東線発着用ホーム
    伊東線列車は本来、東海道本線上りホーム上に存在した切込状ホームから着発していたが、伊東線熱海-来宮間が複線化が決定し東海道本線用に新野中山隧道を建設し野中山隧道が伊東線専用になり列車運行が分離された、昭和43年(1968年)10月ダイヤ改正を前に同年9月9日から現1番線ホーム使用に変更されたが元来は車輌留置線だった。
    仕切柵上を跨ぐ形態でホーム新設。
    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=64

    来宮駅

  • 熱海駅<br /><br /><br /><br />熱海駅第1番ホーム<br />先方は野中山隧道。<br />現第1番ホームは主として伊東線着発列車の為に昭和43年(1968年)10月の全国白紙ダイヤ改正を前に同年9月9日の伊東線熱海-来宮間複線化の際に側線に12両停車可能なホームを新設した。

    熱海駅



    熱海駅第1番ホーム
    先方は野中山隧道。
    現第1番ホームは主として伊東線着発列車の為に昭和43年(1968年)10月の全国白紙ダイヤ改正を前に同年9月9日の伊東線熱海-来宮間複線化の際に側線に12両停車可能なホームを新設した。

  • 熱海駅<br /><br /><br /><br />旧第4番線ホーム跡<br />電車化以降、伊東線は横須賀線電車と共通の大船電車区配置車輌7両編成で運転されていたが、横須賀線が11両基本+4両付属編成に変更され、伊東線列車も編成見直の為に該ホーム着発を廃止し15両編成停車可能に改造された。<br />因みに、伊東線電車運転は東海道本線に80型電車導入運転されるより早く、昭和24年(1949年)5月23日の東海道本線静岡-浜松間電化に伴う電気機関車捻出の必要性から同年同月15日より田町電車区配置の横須賀線用電車4両編成2本を使用し運転。

    熱海駅



    旧第4番線ホーム跡
    電車化以降、伊東線は横須賀線電車と共通の大船電車区配置車輌7両編成で運転されていたが、横須賀線が11両基本+4両付属編成に変更され、伊東線列車も編成見直の為に該ホーム着発を廃止し15両編成停車可能に改造された。
    因みに、伊東線電車運転は東海道本線に80型電車導入運転されるより早く、昭和24年(1949年)5月23日の東海道本線静岡-浜松間電化に伴う電気機関車捻出の必要性から同年同月15日より田町電車区配置の横須賀線用電車4両編成2本を使用し運転。

    熱海駅

  • 熱海-来宮間<br /><br /><br /><br />請願道路架道橋(せいがん どうろ かどうきょう)<br />本来は東海道本線請願道路架道橋として開設されたが、伊東線複線別線化に伴い該路線山側に東海道本線用別線が開設され現在は伊東線専用。<br /><br />熱海市咲見町13<br />東海道本線熱海駅 徒歩7分

    熱海-来宮間



    請願道路架道橋(せいがん どうろ かどうきょう)
    本来は東海道本線請願道路架道橋として開設されたが、伊東線複線別線化に伴い該路線山側に東海道本線用別線が開設され現在は伊東線専用。

    熱海市咲見町13
    東海道本線熱海駅 徒歩7分

  • 熱海-来宮間<br /><br /><br /><br />請願道路架道橋<br />新設時は鋼鉄製橋桁だったが現在はコンクリートPC桁に更新し此れに伴い橋台も改造済。<br /><br />熱海市咲見町13<br />東海道本線熱海駅 徒歩7分

    熱海-来宮間



    請願道路架道橋
    新設時は鋼鉄製橋桁だったが現在はコンクリートPC桁に更新し此れに伴い橋台も改造済。

    熱海市咲見町13
    東海道本線熱海駅 徒歩7分

  • 熱海-来宮間<br /><br /><br /><br />野中山隧道<br />熱海方坑門<br />右手 野中山隧道<br />左手 新野中山隧道

    熱海-来宮間



    野中山隧道
    熱海方坑門
    右手 野中山隧道
    左手 新野中山隧道

    来宮駅

  • 熱海-来宮間<br /><br /><br /><br />野中山隧道(のなかやま ずいどう)<br />熱海方坑門<br />本来は東海道本線用に建設され開業時たる昭和9年(1934年)12月1日開通。<br />伊東線は野中山隧道途中に存在した渡り線で分岐していた。<br />坑門、及び、隧道内部はコンクリート打工法構造。<br /><br />熱海市咲見町13<br />東海道本線熱海駅 徒歩8分

    熱海-来宮間



    野中山隧道(のなかやま ずいどう)
    熱海方坑門
    本来は東海道本線用に建設され開業時たる昭和9年(1934年)12月1日開通。
    伊東線は野中山隧道途中に存在した渡り線で分岐していた。
    坑門、及び、隧道内部はコンクリート打工法構造。

    熱海市咲見町13
    東海道本線熱海駅 徒歩8分

  • 熱海-来宮間<br /><br /><br /><br />野中山隧道<br />伊東方坑門<br />昭和43年(1968年)10月1日の全国白紙ダイヤ改正で伊東線熱海-来宮間複線化に鑑み、それまで東海道本線野中山隧道の山側に新野中山隧道(しんのなかやま ずいどう)を開通させ、従来の野中山隧道は伊東線専用に変更。<br /><br />熱海市咲見町15−23<br />東海道本線熱海駅 徒歩12分

    熱海-来宮間



    野中山隧道
    伊東方坑門
    昭和43年(1968年)10月1日の全国白紙ダイヤ改正で伊東線熱海-来宮間複線化に鑑み、それまで東海道本線野中山隧道の山側に新野中山隧道(しんのなかやま ずいどう)を開通させ、従来の野中山隧道は伊東線専用に変更。

    熱海市咲見町15−23
    東海道本線熱海駅 徒歩12分

  • 熱海-来宮間<br /><br /><br /><br />左手側 新野中山隧道<br />右手側 野中山隧道<br />伊東方坑門<br /><br />熱海市上宿14<br />伊東線来宮駅 徒歩3分

    熱海-来宮間



    左手側 新野中山隧道
    右手側 野中山隧道
    伊東方坑門

    熱海市上宿14
    伊東線来宮駅 徒歩3分

  • 熱海-来宮間<br /><br /><br /><br />来宮眼鏡橋(きのみや めがねばし)<br />該名は通称で海側から見て、<br />右手側 来宮暗渠(きのみや あんきょ)<br />左手側 来宮架道橋(きのみや かどうきょう)<br />が正式名称。<br />来宮暗渠下は糸川(いとがわ)が流れ、元名称は糸川橋梁(いとがわ きょうりょう)だったが、交通量増加に伴い橋梁上部を封印し暗渠として対面交通可能にした。<br /><br />熱海市上宿16<br />伊東線来宮駅 徒歩2分

    熱海-来宮間



    来宮眼鏡橋(きのみや めがねばし)
    該名は通称で海側から見て、
    右手側 来宮暗渠(きのみや あんきょ)
    左手側 来宮架道橋(きのみや かどうきょう)
    が正式名称。
    来宮暗渠下は糸川(いとがわ)が流れ、元名称は糸川橋梁(いとがわ きょうりょう)だったが、交通量増加に伴い橋梁上部を封印し暗渠として対面交通可能にした。

    熱海市上宿16
    伊東線来宮駅 徒歩2分

  • 熱海-来宮間<br /><br /><br /><br />来宮眼鏡橋<br />全景<br /><br />熱海市上宿16<br />伊東線来宮駅 徒歩2分

    熱海-来宮間



    来宮眼鏡橋
    全景

    熱海市上宿16
    伊東線来宮駅 徒歩2分

  • 来宮(きのみや)駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />全景<br />白壁南欧風建築。<br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=600

    来宮(きのみや)駅



    駅本屋
    全景
    白壁南欧風建築。
    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=600

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />正面玄関。<br />駅本屋全体を白壁で包込み、屋根瓦にオレンジ色のスペイン瓦を配し、妻面にポーチ、及び、小屋根を一体化させた玄関が特徴。

    来宮駅



    駅本屋
    正面玄関。
    駅本屋全体を白壁で包込み、屋根瓦にオレンジ色のスペイン瓦を配し、妻面にポーチ、及び、小屋根を一体化させた玄関が特徴。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />玄関。<br />ファサード部の木骨クロス紋様は伊東線各駅本屋共通。<br />玄関上部に於ける小型付庇は南欧風意匠。

    来宮駅



    駅本屋
    玄関。
    ファサード部の木骨クロス紋様は伊東線各駅本屋共通。
    玄関上部に於ける小型付庇は南欧風意匠。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />屋根にスペイン瓦が蔽う。

    来宮駅



    駅本屋
    屋根にスペイン瓦が蔽う。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />右手窓上はオリジナル・スペイン瓦。

    来宮駅



    駅本屋
    右手窓上はオリジナル・スペイン瓦。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />刻装飾と庇支柱の波型方杖。<br />庇支柱は 持ち送り(もちおくり) とも称され和風建築に於ける特徴である。

    来宮駅



    駅本屋
    刻装飾と庇支柱の波型方杖。
    庇支柱は 持ち送り(もちおくり) とも称され和風建築に於ける特徴である。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />正面玄関。<br />門柱裾は鉄平石装飾。

    来宮駅



    駅本屋
    正面玄関。
    門柱裾は鉄平石装飾。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />刻装飾。

    来宮駅



    駅本屋
    刻装飾。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />内部

    来宮駅



    駅本屋
    内部

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />建物財産標<br />該標に依れば、来宮駅本屋建築完成は昭和10年(1935年)12月であり、伊東線来宮駅開業日時と矛盾する。<br />此れは、来宮駅が丹那隧道開通時たる昭和9年(1934年)12月1日に東海道本線来宮信号所として開設された経緯が存在し、駅昇格に伴う旅客扱に鑑み必ずしも駅本屋施設を必要としなかった為である。

    来宮駅



    駅本屋
    建物財産標
    該標に依れば、来宮駅本屋建築完成は昭和10年(1935年)12月であり、伊東線来宮駅開業日時と矛盾する。
    此れは、来宮駅が丹那隧道開通時たる昭和9年(1934年)12月1日に東海道本線来宮信号所として開設された経緯が存在し、駅昇格に伴う旅客扱に鑑み必ずしも駅本屋施設を必要としなかった為である。

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />旅客連絡地下通路<br />駅開業当時の原形を残す。

    来宮駅



    旅客連絡地下通路
    駅開業当時の原形を残す。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋地下連絡通路上屋支柱古軌条<br /><br />DARLINGTON IRON 8□ I.R.J.<br />(英ダーリントン アイアン社 188□年製造 工部省鐵道作業局発注品)<br /><br />英国ダーリントン・アイアン社は我が国の鉄道創業時に於ける京浜間、及び、京阪神間開通時に条鋼たる軌条類一式納入の軌条、及び、橋梁製造企業。<br />製造年特定は厚化粧網膜の為に判読不能だが1880年代前半であると思われる。<br />即ち、それ迄の練鉄製軌条に代り明治13年(1880年)に鋼鉄製平底型軌条が登場する事から鋼鉄製平底型軌条黎明期製造物と推定。

    来宮駅



    駅本屋地下連絡通路上屋支柱古軌条

    DARLINGTON IRON 8□ I.R.J.
    (英ダーリントン アイアン社 188□年製造 工部省鐵道作業局発注品)

    英国ダーリントン・アイアン社は我が国の鉄道創業時に於ける京浜間、及び、京阪神間開通時に条鋼たる軌条類一式納入の軌条、及び、橋梁製造企業。
    製造年特定は厚化粧網膜の為に判読不能だが1880年代前半であると思われる。
    即ち、それ迄の練鉄製軌条に代り明治13年(1880年)に鋼鉄製平底型軌条が登場する事から鋼鉄製平底型軌条黎明期製造物と推定。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋地下旅客連絡通路上屋支柱古軌条<br /><br />CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1888 SEC131 I.R.J.<br />(英キャムメル・スティール社 1888年製造 発注製品番号第131号 工部省鐵道作業局発注品)

    来宮駅



    駅本屋地下旅客連絡通路上屋支柱古軌条

    CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1888 SEC131 I.R.J.
    (英キャムメル・スティール社 1888年製造 発注製品番号第131号 工部省鐵道作業局発注品)

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />駅本屋地下旅客連絡通路上屋支柱古軌条<br /><br />BV & Co LD 190□ エ<br />(英ボルコウ・ヴォーン社 190□年製造 鐵道院発注品)<br /><br />製造年号末尾が判読困難だが、恐らく明治末期の鐵道院発注品と推定)

    来宮駅



    駅本屋地下旅客連絡通路上屋支柱古軌条

    BV & Co LD 190□ エ
    (英ボルコウ・ヴォーン社 190□年製造 鐵道院発注品)

    製造年号末尾が判読困難だが、恐らく明治末期の鐵道院発注品と推定)

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />地下旅客連絡通路<br />階段下部<br />階段部は駅開業当時の物。

    来宮駅



    地下旅客連絡通路
    階段下部
    階段部は駅開業当時の物。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />地下旅客連絡通路<br />階段上部<br />電車運転移伴う段差打上で手摺部が上増追加。<br />追加部分はステンレス製。

    来宮駅



    地下旅客連絡通路
    階段上部
    電車運転移伴う段差打上で手摺部が上増追加。
    追加部分はステンレス製。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br /><br />地下旅客連絡通路<br />ホーム段全景

    来宮駅




    地下旅客連絡通路
    ホーム段全景

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />ホーム上屋支柱古軌条<br /><br />CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1880 SEC131 I.R.J.<br />(英キャムメル・フィールド・スティール社 1880年製造 製造発注番号第131号 工部省鐵道作業局発注品)<br /><br />支柱番号第1号a

    来宮駅



    ホーム上屋支柱古軌条

    CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1880 SEC131 I.R.J.
    (英キャムメル・フィールド・スティール社 1880年製造 製造発注番号第131号 工部省鐵道作業局発注品)

    支柱番号第1号a

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />ホーム上屋支柱古軌条<br /><br />DARLINGTON IRON Co 8□ I.R.J.<br />(英ダーリントン・アイアン社 188□年製造 工部省鐵道作業局発注品)<br /><br />支柱番号第2号d<br /><br />駅本屋地下旅客連絡通路上屋支柱と同製品。

    来宮駅



    ホーム上屋支柱古軌条

    DARLINGTON IRON Co 8□ I.R.J.
    (英ダーリントン・アイアン社 188□年製造 工部省鐵道作業局発注品)

    支柱番号第2号d

    駅本屋地下旅客連絡通路上屋支柱と同製品。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />伊東線起点標<br />本来、伊東線起点は熱海駅構内に存在。<br />熱海-来宮間は東海道本線と重複区間扱。<br />右表記 伊東線起点距離<br />左表記 東海道本線東京駅起点距離

    来宮駅



    伊東線起点標
    本来、伊東線起点は熱海駅構内に存在。
    熱海-来宮間は東海道本線と重複区間扱。
    右表記 伊東線起点距離
    左表記 東海道本線東京駅起点距離

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />ホーム<br />停車中の伊豆急行8000型電車。<br />ホーム先端は打上未了の電車客車兼用で段差残存。

    来宮駅



    ホーム
    停車中の伊豆急行8000型電車。
    ホーム先端は打上未了の電車客車兼用で段差残存。

    来宮駅

  • 来宮駅<br /><br /><br /><br />来宮CTC列車集中制御指令室<br />日本国有鉄道時代、伊東線は、昭和33年(1958年)5月20日から全国に先駆、CTC列車集中制御装置を導入し合理化と経費削減に貢献。<br /><br />写真 右手建築物が 来宮CTC列車集中指令室

    来宮駅



    来宮CTC列車集中制御指令室
    日本国有鉄道時代、伊東線は、昭和33年(1958年)5月20日から全国に先駆、CTC列車集中制御装置を導入し合理化と経費削減に貢献。

    写真 右手建築物が 来宮CTC列車集中指令室

  • 来宮-伊豆多賀間<br /><br /><br /><br />殉職者慰霊碑<br /><br />国府津保線区職員が線路点検の為に暴風雨巡回中に誤って糸川の濁流に呑込まれ殉職した功績を讃えた建立。<br /><br />熱海市梅園町3<br />伊東線来宮駅 徒歩4分

    来宮-伊豆多賀間



    殉職者慰霊碑

    国府津保線区職員が線路点検の為に暴風雨巡回中に誤って糸川の濁流に呑込まれ殉職した功績を讃えた建立。

    熱海市梅園町3
    伊東線来宮駅 徒歩4分

  • 来宮-伊豆多賀間<br /><br /><br /><br />殉職者慰霊碑<br />裏面<br /><br />熱海市梅園町3<br />伊東線来宮駅 徒歩4分

    来宮-伊豆多賀間



    殉職者慰霊碑
    裏面

    熱海市梅園町3
    伊東線来宮駅 徒歩4分

  • 来宮-伊豆多賀間<br /><br /><br /><br />丸山隧道(まるやま ずいどう)<br />熱海方坑門<br /><br />熱海市梅園町3<br />伊東線来宮駅 徒歩4分

    来宮-伊豆多賀間



    丸山隧道(まるやま ずいどう)
    熱海方坑門

    熱海市梅園町3
    伊東線来宮駅 徒歩4分

  • 伊豆多賀(いずたが)駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />駅玄関部両側に存在するクロス状紋様窓が特徴。<br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=121

    伊豆多賀(いずたが)駅



    駅本屋
    駅玄関部両側に存在するクロス状紋様窓が特徴。
    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=121

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />クロス状紋様窓<br />建物基礎鉄平石装飾

    伊豆多賀駅



    駅本屋
    クロス状紋様窓
    建物基礎鉄平石装飾

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br />駅本屋<br />待合室外部

    伊豆多賀駅


    駅本屋
    待合室外部

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />待合室内部

    伊豆多賀駅



    駅本屋
    待合室内部

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />待合室内部

    伊豆多賀駅



    駅本屋
    待合室内部

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />改札口

    伊豆多賀駅



    駅本屋
    改札口

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム<br />伊東方に旅客地下連絡通路

    伊豆多賀駅



    第1番ホーム
    伊東方に旅客地下連絡通路

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム<br />旅客地下道入口

    伊豆多賀駅



    第1番ホーム
    旅客地下道入口

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />駅開業記念桜樹木植樹群<br />植樹後50年以上経過し、朽木化が進行した事から暴風の都度、枝幹折損が度重なり、殊に、ホーム上に存在した桜樹は折損の都度、列車運行上、重大事故を招来する可能性が指摘された為に、平成8年(1996年)秋に駅構内ホーム上の殆どの桜樹が根元から切倒され現在は数本が残存するに過ぎない。

    伊豆多賀駅



    駅開業記念桜樹木植樹群
    植樹後50年以上経過し、朽木化が進行した事から暴風の都度、枝幹折損が度重なり、殊に、ホーム上に存在した桜樹は折損の都度、列車運行上、重大事故を招来する可能性が指摘された為に、平成8年(1996年)秋に駅構内ホーム上の殆どの桜樹が根元から切倒され現在は数本が残存するに過ぎない。

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />駅構内全景

    伊豆多賀駅



    駅構内全景

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />駅開業記念桜樹木植樹群<br />駅前広場、及び、連絡取付道路の桜樹群は現在でも3月下旬から4月上旬にかけ盛大に開花し、熱海市内に於ける屈指の桜の名所。

    伊豆多賀駅



    駅開業記念桜樹木植樹群
    駅前広場、及び、連絡取付道路の桜樹群は現在でも3月下旬から4月上旬にかけ盛大に開花し、熱海市内に於ける屈指の桜の名所。

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />本屋は駅前広場から階段築堤上に存在。

    伊豆多賀駅



    駅本屋
    本屋は駅前広場から階段築堤上に存在。

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀駅<br /><br /><br /><br />県道伊豆多賀停車場線<br />駅開業記念桜樹木植樹群<br />伊豆多賀駅開業を記念して地元多賀村青年団の手に依り駅前広場、及び、連絡取付道路にソメイヨシノが植樹されたが、更に、昭和12年(1937年)4月10日に、熱海町、及び、多賀村が合併して熱海市成立を記念して、伊豆多賀駅構内ホームに追加植樹された結果、伊豆多賀駅桜樹群と云えば、東京横浜方面ですら広く知られた存在だった。<br /><br />熱海市上多賀89<br />伊東線伊豆多賀駅 徒歩2分<br />

    伊豆多賀駅



    県道伊豆多賀停車場線
    駅開業記念桜樹木植樹群
    伊豆多賀駅開業を記念して地元多賀村青年団の手に依り駅前広場、及び、連絡取付道路にソメイヨシノが植樹されたが、更に、昭和12年(1937年)4月10日に、熱海町、及び、多賀村が合併して熱海市成立を記念して、伊豆多賀駅構内ホームに追加植樹された結果、伊豆多賀駅桜樹群と云えば、東京横浜方面ですら広く知られた存在だった。

    熱海市上多賀89
    伊東線伊豆多賀駅 徒歩2分

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀-網代間<br /><br /><br />多賀隧道(たが ずいどう)<br />熱海方坑門<br /><br />熱海市上多賀1202<br />伊東線伊豆多賀駅 徒歩3分

    伊豆多賀-網代間


    多賀隧道(たが ずいどう)
    熱海方坑門

    熱海市上多賀1202
    伊東線伊豆多賀駅 徒歩3分

    伊豆多賀駅

  • 伊豆多賀-網代間<br /><br /><br /><br />旧小山隧道(きゅう おやま ずいどう)<br />熱海方坑門<br />昭和50年(1975年)6月3日附の国鉄理事会に於いて伊東線全線複線化が決定したのを受け、新小山隧道工事が開始され、昭和57年(1982年)2月26日より新隧道が使用開始され旧隧道は改修待状態。<br /><br />熱海市上多賀541<br />伊東線網代駅 徒歩6分

    伊豆多賀-網代間



    旧小山隧道(きゅう おやま ずいどう)
    熱海方坑門
    昭和50年(1975年)6月3日附の国鉄理事会に於いて伊東線全線複線化が決定したのを受け、新小山隧道工事が開始され、昭和57年(1982年)2月26日より新隧道が使用開始され旧隧道は改修待状態。

    熱海市上多賀541
    伊東線網代駅 徒歩6分

    網代駅

  • 伊豆多賀-網代駅<br /><br /><br /><br />新小山隧道(しん おやま ずいどう)<br />熱海方坑門<br /><br />熱海市上多賀541<br />伊東線網代駅 徒歩6分

    伊豆多賀-網代駅



    新小山隧道(しん おやま ずいどう)
    熱海方坑門

    熱海市上多賀541
    伊東線網代駅 徒歩6分

    網代駅

  • 伊豆多賀-網代駅<br /><br /><br /><br />旧小山隧道<br />新小山隧道<br />伊東方坑門<br /><br />熱海市上多賀468−1<br />伊東線網代駅 徒歩2分

    伊豆多賀-網代駅



    旧小山隧道
    新小山隧道
    伊東方坑門

    熱海市上多賀468−1
    伊東線網代駅 徒歩2分

    網代駅

  • 伊豆多賀-網代間<br /><br /><br /><br />小山隧道<br />伊東方坑門<br />正面<br /><br />熱海市上多賀468−1<br />伊東線網代駅 徒歩2分

    伊豆多賀-網代間



    小山隧道
    伊東方坑門
    正面

    熱海市上多賀468−1
    伊東線網代駅 徒歩2分

    網代駅

  • 伊豆多賀-網代間<br /><br /><br /><br />新小山隧道<br />伊東方坑門<br /><br />熱海市上多賀468−1<br />伊東線網代駅 徒歩2分

    伊豆多賀-網代間



    新小山隧道
    伊東方坑門

    熱海市上多賀468−1
    伊東線網代駅 徒歩2分

    網代駅

  • 網代(あじろ)駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />鐵道省駅本屋建築物で南欧風たるスペイン瓦使用例は伊東線各駅以外では他に同時期たる昭和9年(1934年)12月19日開業の揖宿線(現 指宿枕崎線)揖宿駅(現 指宿駅)初代本屋に診られた。<br />指宿駅初代駅本屋は大東亜戦争末期に空襲で被災炎上し鉄筋コンクリートに改築され現存せず。<br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=58

    網代(あじろ)駅



    駅本屋
    鐵道省駅本屋建築物で南欧風たるスペイン瓦使用例は伊東線各駅以外では他に同時期たる昭和9年(1934年)12月19日開業の揖宿線(現 指宿枕崎線)揖宿駅(現 指宿駅)初代本屋に診られた。
    指宿駅初代駅本屋は大東亜戦争末期に空襲で被災炎上し鉄筋コンクリートに改築され現存せず。
    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=58

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />正面<br />昭和27年(1952年)6月24日に静岡県御前崎附近に上陸した ダイナ台風(だいな たいふう)は焼津市内を流れる瀬戸川が氾濫し焼津市に甚大な被害をもたらしたが、該台風被害に拠り駅本屋が損傷し修復を兼ね同年11月一部改築。

    網代駅



    駅本屋
    正面
    昭和27年(1952年)6月24日に静岡県御前崎附近に上陸した ダイナ台風(だいな たいふう)は焼津市内を流れる瀬戸川が氾濫し焼津市に甚大な被害をもたらしたが、該台風被害に拠り駅本屋が損傷し修復を兼ね同年11月一部改築。

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />正面 車寄せ<br />本格的付け庇<br />スペイン瓦は平成期の改修で消滅。<br />土台は鉄平石装飾。

    網代駅



    駅本屋
    正面 車寄せ
    本格的付け庇
    スペイン瓦は平成期の改修で消滅。
    土台は鉄平石装飾。

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />正面両側にクロス模様窓

    網代駅



    駅本屋
    正面両側にクロス模様窓

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br />駅本屋<br />三本柱と付け庇<br />土台は鉄平石装飾

    網代駅


    駅本屋
    三本柱と付け庇
    土台は鉄平石装飾

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />待合所<br />窓枠はアルミサッシ化されたが窓上のスペイン瓦装飾は駅開業時のオリジナル。

    網代駅



    駅本屋
    待合所
    窓枠はアルミサッシ化されたが窓上のスペイン瓦装飾は駅開業時のオリジナル。

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />窓上<br />スペイン瓦装飾

    網代駅



    駅本屋
    窓上
    スペイン瓦装飾

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />内部<br />国鉄時代からマルス端末機が設置されていた。

    網代駅



    駅本屋
    内部
    国鉄時代からマルス端末機が設置されていた。

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />建物財産標<br />昭和10年(1935年)9月26日竣工

    網代駅



    駅本屋
    建物財産標
    昭和10年(1935年)9月26日竣工

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />渡り廊下<br />装飾支柱<br />昭和27年(1952年)11月改修工事で他支柱はストレートタイプに交換され新築当時の原形装飾支柱は該1本のみ残存。

    網代駅



    渡り廊下
    装飾支柱
    昭和27年(1952年)11月改修工事で他支柱はストレートタイプに交換され新築当時の原形装飾支柱は該1本のみ残存。

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />旅客連絡地下道<br />取付部

    網代駅



    旅客連絡地下道
    取付部

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />旅客連絡地下道<br />階段部

    網代駅



    旅客連絡地下道
    階段部

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />旅客連絡地下道<br />ホーム段

    網代駅



    旅客連絡地下道
    ホーム段

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />ホーム上屋支柱古軌条<br /><br />DARLINGTON IRON Co 8□ I.R.J.<br />(英ダーリントン・アイアン社 188□年製造 工部省鐵道作業局発注品)<br /><br />支柱番号第8号a<br /><br />ホーム上屋支柱使用中の同製品は、<br />第8号b、第10号b、第11号ab、第12号ab、第14号b、第15号b

    網代駅



    ホーム上屋支柱古軌条

    DARLINGTON IRON Co 8□ I.R.J.
    (英ダーリントン・アイアン社 188□年製造 工部省鐵道作業局発注品)

    支柱番号第8号a

    ホーム上屋支柱使用中の同製品は、
    第8号b、第10号b、第11号ab、第12号ab、第14号b、第15号b

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />ホーム上屋古軌条支柱<br /><br />CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1887 SEC171 I.R.J.<br />(英キャムメル・スティール社1888年製造 発注番号131号 工部省鐵道作業局発注品)<br />支柱番号 第14号a

    網代駅



    ホーム上屋古軌条支柱

    CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1887 SEC171 I.R.J.
    (英キャムメル・スティール社1888年製造 発注番号131号 工部省鐵道作業局発注品)
    支柱番号 第14号a

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />ホーム<br />前方に新宇佐美隧道坑門と旧宇佐美隧道坑門が遠望<br />桁方向に組み込まれた軌条は極細様式762mm用の物で、丹那隧道東西口で活躍した建設資材運搬鉄道線用軌条の成れの果て。

    網代駅



    ホーム
    前方に新宇佐美隧道坑門と旧宇佐美隧道坑門が遠望
    桁方向に組み込まれた軌条は極細様式762mm用の物で、丹那隧道東西口で活躍した建設資材運搬鉄道線用軌条の成れの果て。

    網代駅

  • 網代駅<br /><br /><br /><br />網代駅前<br />網代駅開業時に於ける駅前の状態は建築物群が一切存在せず、網代自体が単なる漁村に過ぎなかった。<br />然るに、網代に於いて温泉湧出を見るのは、武井覚太郎氏が私財を以って和田木縄海岸に於いて温泉試掘が成功した昭和13年(1938年)8月以降の事であり、網代に温泉民宿街が形成されるのは大東亜戦争終結後である。<br /><br />熱海市下多賀171<br />伊東線網代駅 徒歩15秒

    網代駅



    網代駅前
    網代駅開業時に於ける駅前の状態は建築物群が一切存在せず、網代自体が単なる漁村に過ぎなかった。
    然るに、網代に於いて温泉湧出を見るのは、武井覚太郎氏が私財を以って和田木縄海岸に於いて温泉試掘が成功した昭和13年(1938年)8月以降の事であり、網代に温泉民宿街が形成されるのは大東亜戦争終結後である。

    熱海市下多賀171
    伊東線網代駅 徒歩15秒

    網代駅

  • 網代駅前<br /><br /><br /><br />県道網代停車場線<br />駅前通りから見た網代駅<br /><br />熱海市下多賀164<br />伊東線網代駅 徒歩2分

    網代駅前



    県道網代停車場線
    駅前通りから見た網代駅

    熱海市下多賀164
    伊東線網代駅 徒歩2分

    網代駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />第2網代暗渠(だいに あじろ あんきょ)<br />海側全景<br /><br />熱海市下多賀188−8<br />伊東線網代駅 徒歩1分

    網代-宇佐美間



    第2網代暗渠(だいに あじろ あんきょ)
    海側全景

    熱海市下多賀188−8
    伊東線網代駅 徒歩1分

    網代駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />第2網代暗渠<br />山側全景<br /><br />熱海市下多賀182<br />伊東線網代駅 徒歩2分

    網代-宇佐美間



    第2網代暗渠
    山側全景

    熱海市下多賀182
    伊東線網代駅 徒歩2分

    網代駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />旧宇佐美隧道取付線路跡<br />画面左上部のケーブルは架線跡<br /><br />熱海市下多賀218<br />伊東線網代駅 徒歩3分

    網代-宇佐美間



    旧宇佐美隧道取付線路跡
    画面左上部のケーブルは架線跡

    熱海市下多賀218
    伊東線網代駅 徒歩3分

    網代駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />宇佐美隧道(うさみ ずいどう)<br />全長2920m<br />熱海方坑門<br />伊東線建設工事に於いて最大の難工事箇所。<br />該隧道は、試掘段階では全区間 安山岩で構成されているとの調査結果で、熱海方坑口が間組(はざまぐみ)、伊東方坑口が中央土木(ちゅうおうどぼく)が工事落札を行い昭和8年(1933年)1月に着工に至ったが、実際には、坑口付近が火山灰土だっただけで、全区間温泉余土、及び、温泉原脈に遭遇した。<br />温泉余土(おんせん よど)とは、温泉湧出地に於いて長年に亙り高温温泉水の影響を受けた岩石が粘土質に変化した物で、軟弱粘土化した物質は大気に接触する事で爆発的膨張性を有し、此の為に坑道に防御杭をも土圧力に拠り坑道を崩壊させる程の膨張力を有する。<br />温泉余土は宇佐美地区近隣たる丹那隧道(たんな ずいどう)、及び、泉越隧道(いずみごし ずいどう)工事に於いても遭遇し該存在が確認され、宇佐美隧道は泉越隧道と共に開通後も常に補修保全工事を余儀無くされた。<br />更に、熱海方坑口700m地点、及び、伊東方坑口650m地点に於いて大断層に遭遇した。<br />大断層とは断層破砕帯とも称され、此れで隧道工事進捗は完全に停頓を見せ一時は工事放棄も検討された。<br />事態を重視した鐵道省は、両施工会社の希望を入れ、工事継続は鐵道省直営式に変更した。<br />該隧道掘削中に高温源泉帯に遭遇し、該温泉温度は摂氏100度を超え高熱の為に工事は遅延したが、昭和11年(1936年)12月12日に先導坑貫通し隧道工事完成は昭和13年(1938年)1月6日にずれ込んだ。<br />該隧道建設工事では隧道内部にコンクリート同床に1575mの電気溶接式ロングレールを布設し、此れらは同時期に建設工事中だった関門隧道工事内部にも導入された。<br /><br /><br />熱海市下多賀194-1<br />伊東線網代駅 徒歩3分

    網代-宇佐美間



    宇佐美隧道(うさみ ずいどう)
    全長2920m
    熱海方坑門
    伊東線建設工事に於いて最大の難工事箇所。
    該隧道は、試掘段階では全区間 安山岩で構成されているとの調査結果で、熱海方坑口が間組(はざまぐみ)、伊東方坑口が中央土木(ちゅうおうどぼく)が工事落札を行い昭和8年(1933年)1月に着工に至ったが、実際には、坑口付近が火山灰土だっただけで、全区間温泉余土、及び、温泉原脈に遭遇した。
    温泉余土(おんせん よど)とは、温泉湧出地に於いて長年に亙り高温温泉水の影響を受けた岩石が粘土質に変化した物で、軟弱粘土化した物質は大気に接触する事で爆発的膨張性を有し、此の為に坑道に防御杭をも土圧力に拠り坑道を崩壊させる程の膨張力を有する。
    温泉余土は宇佐美地区近隣たる丹那隧道(たんな ずいどう)、及び、泉越隧道(いずみごし ずいどう)工事に於いても遭遇し該存在が確認され、宇佐美隧道は泉越隧道と共に開通後も常に補修保全工事を余儀無くされた。
    更に、熱海方坑口700m地点、及び、伊東方坑口650m地点に於いて大断層に遭遇した。
    大断層とは断層破砕帯とも称され、此れで隧道工事進捗は完全に停頓を見せ一時は工事放棄も検討された。
    事態を重視した鐵道省は、両施工会社の希望を入れ、工事継続は鐵道省直営式に変更した。
    該隧道掘削中に高温源泉帯に遭遇し、該温泉温度は摂氏100度を超え高熱の為に工事は遅延したが、昭和11年(1936年)12月12日に先導坑貫通し隧道工事完成は昭和13年(1938年)1月6日にずれ込んだ。
    該隧道建設工事では隧道内部にコンクリート同床に1575mの電気溶接式ロングレールを布設し、此れらは同時期に建設工事中だった関門隧道工事内部にも導入された。


    熱海市下多賀194-1
    伊東線網代駅 徒歩3分

    網代駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />宇佐美隧道<br />熱海方坑門<br />伊東線複線化決定に依り新宇佐美隧道の掘削が開始され昭和61年(1986年)7月に新宇佐美隧道が完成し、取敢えず伊東線を新隧道に移設し旧隧道を大改築し再用を計画していたが、国鉄財政が一段と悪化し改築工事は未着手状態で民営化を迎え、その後24年が経過したが、複線化計画自体が半ば消滅した現在、今後に於ける取扱は未定である。<br />旧隧道内は硫酸塩ガスが発生し通行は危険。<br /><br />熱海市下多賀194-1<br />伊東線網代駅 徒歩3分<br />

    網代-宇佐美間



    宇佐美隧道
    熱海方坑門
    伊東線複線化決定に依り新宇佐美隧道の掘削が開始され昭和61年(1986年)7月に新宇佐美隧道が完成し、取敢えず伊東線を新隧道に移設し旧隧道を大改築し再用を計画していたが、国鉄財政が一段と悪化し改築工事は未着手状態で民営化を迎え、その後24年が経過したが、複線化計画自体が半ば消滅した現在、今後に於ける取扱は未定である。
    旧隧道内は硫酸塩ガスが発生し通行は危険。

    熱海市下多賀194-1
    伊東線網代駅 徒歩3分

    網代駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />新宇佐美隧道(しん うさみ ずいどう)<br />熱海方坑門<br />旧宇佐美隧道は戦後、昭和22年(1947年)頃より内部形状に変化が顕著になり列車運行上深刻な状況となった。<br />此れは、温泉余土に拠る膨張圧迫が原因でコンクリート構体が圧迫され、その都度、修理を余儀無くされた。<br />温泉余土は隧道を構成する鋼鉄、及び、コンクリートをも腐食させる為に、維持させる為に常に補修を要し、国鉄理事会で伊東線全線複線化が承認決定し、先ず、難工事が予想された新宇佐美隧道建設から着手された。<br /><br />熱海市下多賀194-1<br />伊東線網代駅 徒歩3分

    網代-宇佐美間



    新宇佐美隧道(しん うさみ ずいどう)
    熱海方坑門
    旧宇佐美隧道は戦後、昭和22年(1947年)頃より内部形状に変化が顕著になり列車運行上深刻な状況となった。
    此れは、温泉余土に拠る膨張圧迫が原因でコンクリート構体が圧迫され、その都度、修理を余儀無くされた。
    温泉余土は隧道を構成する鋼鉄、及び、コンクリートをも腐食させる為に、維持させる為に常に補修を要し、国鉄理事会で伊東線全線複線化が承認決定し、先ず、難工事が予想された新宇佐美隧道建設から着手された。

    熱海市下多賀194-1
    伊東線網代駅 徒歩3分

    網代駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />新宇佐美隧道<br />熱海方坑門<br />新宇佐美隧道では温泉余土が原因たる膨張的土圧防止の為に、隧道内部断面を馬蹄形断面から鉄道用隧道としては極めて稀な正円形断面を採用し土圧を均等に受けるべく設計され海側に建設された。<br />昭和61年(1986年)7月に完成し直ちに使用されたが、旧隧道総延長が2920mに対し、新宇佐美隧道では総延長が2985mとなり旧隧道より若干距離が長い。<br /><br />熱海市下多賀194-1<br />伊東線網代駅 徒歩3分

    網代-宇佐美間



    新宇佐美隧道
    熱海方坑門
    新宇佐美隧道では温泉余土が原因たる膨張的土圧防止の為に、隧道内部断面を馬蹄形断面から鉄道用隧道としては極めて稀な正円形断面を採用し土圧を均等に受けるべく設計され海側に建設された。
    昭和61年(1986年)7月に完成し直ちに使用されたが、旧隧道総延長が2920mに対し、新宇佐美隧道では総延長が2985mとなり旧隧道より若干距離が長い。

    熱海市下多賀194-1
    伊東線網代駅 徒歩3分

    網代駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />新宇佐美隧道<br />伊東方坑門<br /><br />伊東市宇佐美嵯峨734-1<br />伊東線宇佐美駅 徒歩12分

    網代-宇佐美間



    新宇佐美隧道
    伊東方坑門

    伊東市宇佐美嵯峨734-1
    伊東線宇佐美駅 徒歩12分

    宇佐美駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />新宇佐美隧道<br />網代-宇佐美間は旧隧道、及び、路盤整備すれば直ちに複線化可能。<br /><br />伊東市宇佐美嵯峨734−1<br />伊東線宇佐美駅 徒歩12分

    網代-宇佐美間



    新宇佐美隧道
    網代-宇佐美間は旧隧道、及び、路盤整備すれば直ちに複線化可能。

    伊東市宇佐美嵯峨734−1
    伊東線宇佐美駅 徒歩12分

    宇佐美駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />旧宇佐美隧道取付路盤跡<br />軌条が残存。<br /><br />伊東市宇佐美嵯峨734−1<br />伊東線宇佐美駅 徒歩12分

    網代-宇佐美間



    旧宇佐美隧道取付路盤跡
    軌条が残存。

    伊東市宇佐美嵯峨734−1
    伊東線宇佐美駅 徒歩12分

    宇佐美駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />新宇佐美隧道<br />網代から連続下り勾配。<br /><br />伊東市宇佐美1602<br />伊東線宇佐美駅 徒歩1分

    網代-宇佐美間



    新宇佐美隧道
    網代から連続下り勾配。

    伊東市宇佐美1602
    伊東線宇佐美駅 徒歩1分

    宇佐美駅

  • 網代-宇佐美間<br /><br /><br /><br />宇佐美駅<br />構内俯瞰<br /><br />伊東市宇佐美1571<br />伊東線宇佐美駅 徒歩1分

    網代-宇佐美間



    宇佐美駅
    構内俯瞰

    伊東市宇佐美1571
    伊東線宇佐美駅 徒歩1分

    宇佐美駅

  • 宇佐美(うさみ)駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />全景<br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=220

    宇佐美(うさみ)駅



    駅本屋
    全景
    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=220

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />

    宇佐美駅



    駅本屋

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />土台に鉄平石装飾使用例が診られる。

    宇佐美駅



    駅本屋
    土台に鉄平石装飾使用例が診られる。

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />クロス紋様窓

    宇佐美駅



    クロス紋様窓

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />付け庇<br />原型柱裾部は伊東線他駅同様鉄平石装飾だったが、昭和33年(1958年)9月26日に小田原市附近に上陸した狩野川台風(かのがわ たいふう)に拠り静岡県伊豆東部地区甚大な被害が生じたが、該駅本屋は台風に伴う高潮被害の際に損傷し復旧時に原型喪失。<br />伊東線他各駅本屋に比較して様相が異なるのは該台風復旧工事に拠る。

    宇佐美駅



    付け庇
    原型柱裾部は伊東線他駅同様鉄平石装飾だったが、昭和33年(1958年)9月26日に小田原市附近に上陸した狩野川台風(かのがわ たいふう)に拠り静岡県伊豆東部地区甚大な被害が生じたが、該駅本屋は台風に伴う高潮被害の際に損傷し復旧時に原型喪失。
    伊東線他各駅本屋に比較して様相が異なるのは該台風復旧工事に拠る。

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />付け庇<br />刻み装飾

    宇佐美駅



    付け庇
    刻み装飾

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />駅前藤棚庇古軌条支柱<br /><br />75 A 1918 ????<br />(官設八幡製鐵所 75ポンド 1918年(大正7年)8月製造 鐵道院発注品)

    宇佐美駅



    駅前藤棚庇古軌条支柱

    75 A 1918 ????
    (官設八幡製鐵所 75ポンド 1918年(大正7年)8月製造 鐵道院発注品)

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />内部

    宇佐美駅



    駅本屋
    内部

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />内部

    宇佐美駅



    駅本屋
    内部

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />天井<br />テュダー建築風刻み装飾

    宇佐美駅



    駅本屋
    天井
    テュダー建築風刻み装飾

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />駅本屋と第1番ホーム庇

    宇佐美駅



    駅本屋と第1番ホーム庇

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム

    宇佐美駅



    第1番ホーム

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />熱海方俯瞰

    宇佐美駅



    熱海方俯瞰

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム<br />旧信号取扱所跡

    宇佐美駅



    第1番ホーム
    旧信号取扱所跡

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム<br />旧腕木式信号機操作ケーブル跡

    宇佐美駅



    第1番ホーム
    旧腕木式信号機操作ケーブル跡

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム<br />温泉洗面台

    宇佐美駅



    第1番ホーム
    温泉洗面台

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム<br />温泉洗面台<br />現在は引き湯が中止されオブジェ。

    宇佐美駅



    第1番ホーム
    温泉洗面台
    現在は引き湯が中止されオブジェ。

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br />階段部<br />沼津静岡方面<br />何れも静岡県内なれど他社。

    宇佐美駅



    跨線橋
    階段部
    沼津静岡方面
    何れも静岡県内なれど他社。

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br />熱海方

    宇佐美駅



    跨線橋
    熱海方

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br />伊東方

    宇佐美駅



    跨線橋
    伊東方

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />跨線橋<br />該駅は伊東線内駅に於いて唯一跨線橋連絡構造を有する。<br />以前、該区間建設途上に於いて電化決定した為に架線部分を追構造に変更した為に該段差構造になったとの文献に接した事が有ったが、伊東線は建設当初から電化設置が決定しており、故に、該説は偽である。

    宇佐美駅



    跨線橋
    該駅は伊東線内駅に於いて唯一跨線橋連絡構造を有する。
    以前、該区間建設途上に於いて電化決定した為に架線部分を追構造に変更した為に該段差構造になったとの文献に接した事が有ったが、伊東線は建設当初から電化設置が決定しており、故に、該説は偽である。

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム跨線橋古軌支柱

    宇佐美駅



    第2番ホーム跨線橋古軌支柱

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム跨線橋古軌条支柱<br /><br />CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1887 SEC□□□ I.R.J.<br />(英キャムメル・スティール社1887年製造 発注番号不明 工部省鐵道作業局発注品)

    宇佐美駅



    第2番ホーム跨線橋古軌条支柱

    CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1887 SEC□□□ I.R.J.
    (英キャムメル・スティール社1887年製造 発注番号不明 工部省鐵道作業局発注品)

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム跨線橋古軌条支柱<br /><br />G.H.H. 1922 エ<br />(独グーテ・ホフヌングス・フュッテ(GUTE HOFFNUNG HUTTE)社 1922年製造 鐵道省発注品)

    宇佐美駅



    第2番ホーム跨線橋古軌条支柱

    G.H.H. 1922 エ
    (独グーテ・ホフヌングス・フュッテ(GUTE HOFFNUNG HUTTE)社 1922年製造 鐵道省発注品)

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム跨線端古軌条支柱<br /><br />UNION D. 1887 I.R.J.<br />(独ウニオン社ドルトムント工場 1887年製造 工部省鐵道作業局発注品)

    宇佐美駅



    第2番ホーム跨線端古軌条支柱

    UNION D. 1887 I.R.J.
    (独ウニオン社ドルトムント工場 1887年製造 工部省鐵道作業局発注品)

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム跨線橋古軌条支柱<br /><br />UNION D. 1887 N.T.K.<br />(独ウニオン社ドルトムント工場 1887年製造 日本鐵道會社発注品)

    宇佐美駅



    第2番ホーム跨線橋古軌条支柱

    UNION D. 1887 N.T.K.
    (独ウニオン社ドルトムント工場 1887年製造 日本鐵道會社発注品)

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br />第2ホーム上屋<br />建物財産表<br />昭和40年(1965年)3月8日竣工

    宇佐美駅


    第2ホーム上屋
    建物財産表
    昭和40年(1965年)3月8日竣工

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />第2番ホーム<br />物置台<br />地元担ぎ屋女性の荷物置に使用された。

    宇佐美駅



    第2番ホーム
    物置台
    地元担ぎ屋女性の荷物置に使用された。

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅<br /><br /><br /><br />老桜樹<br />駅開業を記念して植樹されたソメイヨシノ。<br /><br />伊東市宇佐美1859<br />伊東線宇佐美駅 徒歩15秒

    宇佐美駅



    老桜樹
    駅開業を記念して植樹されたソメイヨシノ。

    伊東市宇佐美1859
    伊東線宇佐美駅 徒歩15秒

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅前<br /><br /><br /><br />県道宇佐美停車場線<br />駅から数百メートルで熱海湾。<br /><br />伊東市宇佐美1860<br />伊東線宇佐美駅 徒歩30秒<br /><br />

    宇佐美駅前



    県道宇佐美停車場線
    駅から数百メートルで熱海湾。

    伊東市宇佐美1860
    伊東線宇佐美駅 徒歩30秒

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅前<br /><br /><br /><br />旧コンクリート製郵便ポスト<br /><br />伊東市宇佐美1832<br />伊東線宇佐美駅 徒歩15秒

    宇佐美駅前



    旧コンクリート製郵便ポスト

    伊東市宇佐美1832
    伊東線宇佐美駅 徒歩15秒

    宇佐美駅

  • 宇佐美駅前<br /><br /><br /><br />旧コンクリート製郵便ポスト<br /><br />伊東線宇佐美1832<br />伊東線宇佐美駅 徒歩15秒

    宇佐美駅前



    旧コンクリート製郵便ポスト

    伊東線宇佐美1832
    伊東線宇佐美駅 徒歩15秒

    宇佐美駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />俯瞰全景<br />http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=143

    伊東駅



    駅本屋
    俯瞰全景
    http://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=143

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />正面全景<br />一部2階建平屋建築スペイン風建物。<br />ファザード部の時計以外は、ほぼ開業当時の原型を留める。

    伊東駅



    駅本屋
    正面全景
    一部2階建平屋建築スペイン風建物。
    ファザード部の時計以外は、ほぼ開業当時の原型を留める。

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム旧0番線跡

    伊東駅



    第1番ホーム旧0番線跡

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム旧0番線跡<br />伊東駅が終着駅時代の昭和24年(1949年)5月15日より横須賀線用電車を使用して電車運転開始の際に小荷物車用線路を整備して0番線が設置された7両以下の編成に使用された。<br />然るに、昭和43年(1968年)10月1日以降、使用中止となり軌条路盤撤去整備の上、現在は駐車場。

    伊東駅



    第1番ホーム旧0番線跡
    伊東駅が終着駅時代の昭和24年(1949年)5月15日より横須賀線用電車を使用して電車運転開始の際に小荷物車用線路を整備して0番線が設置された7両以下の編成に使用された。
    然るに、昭和43年(1968年)10月1日以降、使用中止となり軌条路盤撤去整備の上、現在は駐車場。

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />旧貨物取扱所跡<br />駅本屋方俯瞰

    伊東駅



    旧貨物取扱所跡
    駅本屋方俯瞰

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />旧貨物取扱所跡<br />熱海方俯瞰

    伊東駅



    旧貨物取扱所跡
    熱海方俯瞰

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />旧貨物取扱所跡

    伊東駅



    旧貨物取扱所跡

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム上屋<br />古軌条支柱群

    伊東駅



    第1番ホーム上屋
    古軌条支柱群

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />第1番ホーム上屋

    伊東駅



    駅本屋
    第1番ホーム上屋

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />改札口付近

    伊東駅



    駅本屋
    改札口付近

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム上屋古軌条支柱<br /><br />CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1888 SEC131 I.R.J.<br />(英キャムメル・スティール社1888年製造 発注番号131号 工部省鐵道作業局発注品)<br />支柱番号 第21号b<br /><br />伊東駅ホーム上屋支柱使用中の同製品は、<br />第22号b、第26号d、第32号cd、第33号m

    伊東駅



    第1番ホーム上屋古軌条支柱

    CAMMELLS FIELD TOUGHENED STEEL W.1888 SEC131 I.R.J.
    (英キャムメル・スティール社1888年製造 発注番号131号 工部省鐵道作業局発注品)
    支柱番号 第21号b

    伊東駅ホーム上屋支柱使用中の同製品は、
    第22号b、第26号d、第32号cd、第33号m

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム上屋古軌条支柱<br /><br />BARROW STEEL 1882 I.R.J.<br />(英バーロウ・スティール社 1882年製造 工部省鐵道作業局発注品)<br />支柱番号 第27号m

    伊東駅



    第1番ホーム上屋古軌条支柱

    BARROW STEEL 1882 I.R.J.
    (英バーロウ・スティール社 1882年製造 工部省鐵道作業局発注品)
    支柱番号 第27号m

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム上屋古軌条支柱<br /><br />UNION D 1885 N.T.K.<br />(独ウニオン社ドルトムント工場 1885年製造 日本鐵道會社発注品)<br />支柱番号 第31号m<br /><br />伊東駅ホーム上屋支柱使用中の同製品は、<br />第26号m

    伊東駅



    第1番ホーム上屋古軌条支柱

    UNION D 1885 N.T.K.
    (独ウニオン社ドルトムント工場 1885年製造 日本鐵道會社発注品)
    支柱番号 第31号m

    伊東駅ホーム上屋支柱使用中の同製品は、
    第26号m

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム上屋古軌条支柱<br /><br />UNION D. 1886 N.T.K.<br />(独ウニオン社ドルトムント工場 1886年製造 日本鐵道會社発注品)<br />支柱番号 第16a<br /><br />伊東駅ホーム上屋支柱使用中の銅製品は、<br />第16号d、第19号abdm、第20号d、第21号c、第23号cm、第26号c、第27号d、第28号cm、第32号m、第33号d、第34号cd、

    伊東駅



    第1番ホーム上屋古軌条支柱

    UNION D. 1886 N.T.K.
    (独ウニオン社ドルトムント工場 1886年製造 日本鐵道會社発注品)
    支柱番号 第16a

    伊東駅ホーム上屋支柱使用中の銅製品は、
    第16号d、第19号abdm、第20号d、第21号c、第23号cm、第26号c、第27号d、第28号cm、第32号m、第33号d、第34号cd、

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム上屋古軌条支柱<br /><br />UNION D. 1887 N.T.K.<br />(独ウニオン社ドルトムント工場 1887年製造 日本鐵道會社発注品)<br />支柱番号 第18号a<br /><br />伊東駅ホーム上屋支柱使用中の同製品は、<br />第18号b、第19号abdm、第20号d、第21号c、第23号cdm、第26号c、第27号d、第28号cm、第29号m、第32号m、第33号d、第34号cd

    伊東駅



    第1番ホーム上屋古軌条支柱

    UNION D. 1887 N.T.K.
    (独ウニオン社ドルトムント工場 1887年製造 日本鐵道會社発注品)
    支柱番号 第18号a

    伊東駅ホーム上屋支柱使用中の同製品は、
    第18号b、第19号abdm、第20号d、第21号c、第23号cdm、第26号c、第27号d、第28号cm、第29号m、第32号m、第33号d、第34号cd

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />第1番ホーム上屋<br />駅長事務室付近<br />裾以下は鉄平石装飾。

    伊東駅



    第1番ホーム上屋
    駅長事務室付近
    裾以下は鉄平石装飾。

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />表側<br />元小荷物取扱所跡

    伊東駅



    駅本屋
    表側
    元小荷物取扱所跡

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />第1番ホーム側<br />旧手小荷物取扱所跡<br />鉄平石装飾

    伊東駅



    駅本屋
    第1番ホーム側
    旧手小荷物取扱所跡
    鉄平石装飾

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />旧東京車掌区伊東支区庁舎<br />昭和55年(1980年)10月1日附で該車掌区が国府津車掌区に発展解消し移転。<br />現在は東日本旅客鉄道関連清掃業務企業が入所

    伊東駅



    旧東京車掌区伊東支区庁舎
    昭和55年(1980年)10月1日附で該車掌区が国府津車掌区に発展解消し移転。
    現在は東日本旅客鉄道関連清掃業務企業が入所

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />旧小荷物手荷物取扱所<br />扱廃止後、現在は駅レンタカー伊東駅営業所

    伊東駅



    旧小荷物手荷物取扱所
    扱廃止後、現在は駅レンタカー伊東駅営業所

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />第2番ホーム上屋

    伊東駅



    駅本屋
    第2番ホーム上屋

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />第2番ホーム上屋<br />信号取扱所跡

    伊東駅



    駅本屋
    第2番ホーム上屋
    信号取扱所跡

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />第2番ホーム上屋<br />信号取扱所跡<br />ポイント切替用パイプが幾条にも伸びていた。

    伊東駅



    駅本屋
    第2番ホーム上屋
    信号取扱所跡
    ポイント切替用パイプが幾条にも伸びていた。

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />旅客連絡地下道<br />階段部

    伊東駅



    旅客連絡地下道
    階段部

    伊東駅

  • 伊東駅<br /><br /><br /><br />旅客連絡地下道

    伊東駅



    旅客連絡地下道

    伊東駅

  • 伊東-南伊東間<br /><br /><br /><br />伊東駅構内<br />終端部より構内俯瞰<br /><br />伊東市松原603<br />伊東線伊東駅 徒歩5分

    伊東-南伊東間



    伊東駅構内
    終端部より構内俯瞰

    伊東市松原603
    伊東線伊東駅 徒歩5分

  • 伊東-南伊東間<br /><br /><br /><br />谷津踏切(やづ ふみきり)<br /><br />伊東市松原603<br />伊東線伊東駅 徒歩5分

    伊東-南伊東間



    谷津踏切(やづ ふみきり)

    伊東市松原603
    伊東線伊東駅 徒歩5分

  • 伊東-南伊東間<br /><br /><br /><br />東日本旅客鉄道伊豆急行社界分界点<br />中央石柱が社境。<br /><br />伊東市松原603<br />伊東線伊東駅 徒歩5分

    伊東-南伊東間



    東日本旅客鉄道伊豆急行社界分界点
    中央石柱が社境。

    伊東市松原603
    伊東線伊東駅 徒歩5分

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この旅行記へのコメント (6)

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  • S...t...e...Pha...n...i...Eさん 2018/05/04 12:15:22
    読んでから行けばまた違うでしょうね
    横浜臨海公園さん、こんにちは!
    ご紹介いただいた旅行記、ようやく読ませていただけました^^

    まず、この旅行記が2011年の調査、ということで、つい先日私たちが見てきた風景と若干異なるところもあったり、変わってない部分もあったり、楽しく読ませていただきました!

    まだ10年経ってないわけですが、熱海駅や伊東駅など、最も利用の多いだろう場所は変わってますね。
    どちらも観光化がより進んだ気がします。
    特に伊東駅は、私は電車からホームを眺めただけでしたが、それでも土産物屋や売店がホーム内に増えたような、改札付近の変化があったんじゃないかと思えました。
    熱海駅は全体的に「今風」になりましたよね。ちょっと残念です。
    でも、冒頭のところでこの路線が多くの鉄道路線が作られてきた経緯とは違った経緯を持ってることや、もともと「観光」に力を入れてた場所って言うのを読めばすごく納得でした。
    もとから下田までJRで、最近よくあるJRの路線リストラで伊東~下田が伊豆急行になったのかとか勝手に想像してましたが、全然違いましたね(笑)
    あぁいつもほんと勉強になります!

    この間の私たちの伊豆旅行は行先決定から出発まで約1週間でした。
    かなりバタバタで予備知識はほぼ持たずに旅をしてきましたが、旅行中、改めてゆっくり駅舎など回ってみたいと思っていました。
    その前にこの旅行記読めて良かったです!
    駅舎それぞれとってもすてきですね~スペイン風の瓦とかクロスの装飾とか、じっくり見てこれそうです^^
    こないだの旅はそれこそ先入観をほぼ持たずに「伊豆」の雰囲気を楽しめたのでそれはそれでよかったですが、次回の滞在は「歴史」を感じながらまた違った視点で楽しめるかな~と思います♪ありがとうございます!

    長くなってしまってすみません;
    次の神戸~・・・の分はかなり苦戦を・・・とのことですが、あまりご無理はなさらないでくださいね^^;
    でも地元関西ということでかなり楽しみにしております(´▽`)

    ステファニー

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2018/05/05 13:23:17
    拝復
    ステファニーさま、こんにちは。


    拙稿に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。

    伊東線の歴史探訪記は、約7年前の内容ですが、御指摘の様に、温泉駅前風だった熱海駅本屋は改築され、全国共通型の何処にでも見られる現代調の造営に変わってしまいました。

    更に驚かされるのは、国鉄時代に全国でも珍しいマルス端末機が設備されていた網代を含め、伊東線中間駅が合理化の余波を受け、全駅無人化されてしまった事で、時代の趨勢を感じさせられます。

    伊東線建設当時の鐵道省が、昭和15年(1940年)の東京オリムピック開催を目処に、国際観光客誘致の為に、地方駅に於ける外国人利用の利便を考えた設計を行った事で、一例では、東北本線黒田原駅本屋など、現在の人々から見て考えられない構造なのは、鉄道省国際観光局の意向が働いたと見るべきだとも居ます。

    それにしても、JR各社は、観光客目当てに駅本屋を改造する傾向が強いのには残念に思っております。



    横浜臨海公園
  • MechaGodzillaⅢ&703さん 2011/11/06 12:39:21
    なつかしい熱海駅
    横浜臨海公園さん こんにちは。ご無沙汰です。

     昔何度か訪れた熱海駅のお写真、何気なく記憶があり懐かしかったです。ありがとうございました。

     昼休憩中 Mecha Godzilla?.T&N

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2011/11/07 00:09:50
    拝復
    Mecha Godzilla?.T&Nさま、こんばんは。


    この度は、旅行記にお立寄りと投票を賜りまして誠に有難うございました。
    熱海駅は昭和25年(1950年)の熱海大火で焼失した痕に建設した駅ビルを解体し、現在、新築工事中です。
    完成後は亦印象が変わるものと期待しております。



    横浜臨海公園
  • DANAさん 2011/10/24 18:48:10
    歴史ある駅のホームが教えてくれること
    横浜臨海公園様

     大変ご無沙汰しました。お元気で御活躍の様子、大変うれしく思います。
    毎回非常に綿密な資料と踏査に基づく画像や手記を拝見しておりますと、人間はなんて主観的でいい加減な日常を過ごしているのかと、恥ずかしくなります。でも、人それぞれに与えられた器があるというのも、事実ですね…。
    小さい器ながら、あなたの素晴らしい旅行記を拝見するたびに、毎朝の駅や出張・旅で出会う駅のホームに無関心ではいられなくなります。
    この柱のそばで汽車を待っていた人、みんなの安全や不便を慮って事故に遭った人等など。

    これからも素晴らしい旅をお続けくださいますように。


    取り急ぎ御礼まで。

    DANA

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2011/10/26 02:53:46
    拝復
    DANAさま、こんばんは。



    何時も拙稿にお立寄りを賜りまして誠に有難うございます。

    また、過分なるお褒めのメッセージと旅行記への投票を賜りまして有難うございました。

    小生の性格としてチャラチャラした軽薄で薄っぺらな内容の旅行記など登校する気にもなれず1作ごとに資料収集だけで時間を要する為に1ヶ月に1作品、多くて2作品を上程すれば良い方です。
    作成中のものが多数あるのも亦事実ですが、今後に何卒ご期待を願います。



    横浜臨海公園

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