横浜臨海公園さんへのコメント一覧(14ページ)全1,510件
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昨夜ちょうど。
横浜臨海公園様
こんばんは!
昨夜ちょうど、「琵琶湖空港と栗東に新幹線駅があったら、今どうだったか」と夢の中で考えていました。
新幹線駅は何十年の夢だったのに、京都からひょっこり来られた方が「もったいない」と言い出して、何やら世間ももったいない風がビュービュー吹いていて私もマジックに引っ掛かってしまいました。
そのせいで、日本で住み良い町が一気に転落してしまいました。
【嘉田は該県知事退任後、該新駅は必要だった、云々、との回顧をしたが、各自治体財政逼迫だったとは云え、長期的展望や計画性すら無い受け狙いのみの思い付き的行動が、他からより該県信頼を完全喪失せしめた責任は重大である】
長年の計画と皆の夢が、一瞬で壊れた事。
やる気ある滋賀の復活を願うばかりです。
今まで見過ごして来た、線路に意識して見ようと思います。
うばがもちと南洋軒と日本旅行。
草津は旅行会社の発祥の地だったんですね。流石、交通の要だと思いました。
拝復
まむーとさま、こんにちは。
拙稿にお立寄りと投票、そして掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
草津、守山地区は、新幹線新駅設置に依る経済効果が一番期待された街故に、設置計画撤回に依る落胆は甚だしいものがあったものと思われます。
当時の日本国有鉄道は、新幹線新駅設置を見越し、草津線を複線化させるべく上り線を立体交差で越え、下り線は線路を付替え、準備工事が完成状態でした。
因みに、草津駅で栗東方面に向かう途中、右手に曲線状の空き地があるのは、切り替えられる前の旧草津線線路跡の名残です。
若し、新幹線新駅が開業していれば、現在の草津発着新快速電車が新駅発着に変更された事は確実で、新駅予定地付近に住宅を購入された方々は、始発から新快速電車に着席が可能で、新幹線に乗らずとも、たいへん便利になったものと思われます。
然し、単なる思い付きで人気取りのスローガンで当選した新知事の為に、新駅構想は壊滅、JR東海からは嘘つき呼ばわりされる始末で、更に、嘉田知事の福祉を履違えた政策に拠り、今や滋賀県は全国で12を争うほど、住みたくない都道府県となってしまいました。
日本旅行は、草津駅の駅弁販売の南洋軒が開設した旅行会社第1号で、草津駅前の例のビルに入居しているものが発祥です。
横浜臨海公園2019年12月26日11時05分 返信する穏やかな気持ちで豊かに暮らせる! 湖国滋賀!
政治は失敗の滋賀ですが、実際は毎日の生活はとても過ごしやすいのですよ。
私は3人子どもがおりますが、出生率は全国平均より高いです。生活しやすいからだと思います。
日本のまん中に位置し大企業の工場が多くあり、あくせく働かなくても平穏で豊かな暮らしが出来ます。
なので、豊かさ指数が高い滋賀です。
滋賀は断トツ暮らしやすいです(*´∀`)
子育て世代の方、是非マイホームは滋賀に!と思います!
■2019年の幸福度は「沖縄県」「滋賀県」が同率1位
となっていました。(≧▽≦)
ただし、空港までが遠い。。
2019年12月26日15時54分 返信する -
早々にお立ち寄りいただき有難うございます
早々にお立ち寄りいただき有難うございます
40年ぶりのハワイでしたので、昔の思いでは全く忘れてしまっていましたので、全てが新鮮でした。
冬から夏へ、そして現実の冬に戻り体調管理に気をつけなくてはと感じた事でした。
今後ともよろしくお願いいたします。
とも2019年12月18日08時49分返信する -
知らなかった歴史と記録
横浜臨海公園様
はじめまして。
こちらの旅行記、先祖、私の記録であります。知らない事を多くありました。
私の頭では理解がまだ出来ないのですが、
また読み返します。
表紙はオートバックスの下ですね。私は子どもの時に見て、なんだろうと不思議に思ったトンネル。
その埋まったトンネルが表紙になった旅行記を拝見する日が来るとは!
膳所駅は定期で通いました。何気ない鉄柱の歴史に感動しました。今の様子を知れて嬉しいです。
私の祖父は蒸気機関車時代には御召列車の機関士に任命されていました。祖父にもっと鉄道の話を聞けば良かったと思いました。
琵琶湖線の歴史と私の思い出、滋賀の歴史、祖父の思い出、鉄道事故、凝縮された旅行記。
大変ありがとうございます。
記録をまとめてくださった事、大変感謝です。拝復
まむーとさま、こんにちは。
此の度は、拙稿に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
狼川廃隧道をご存じだったとは正直驚きました。
本当は、石山神戸方も坑口が、より原形で残されているのですが、現在では個人住宅の庭内に存在しており、まさか個人所有の敷地内に立入など思いもよらぬ為に、撮影は諦めた経緯がございます。
> 膳所駅は定期で通いました
→と言う事は、まむーとさまは滋賀県筆頭の進学校のご出身と推察しました。
> 私の祖父は蒸気機関車時代には御召列車の機関士に任命されていました。祖父にもっと鉄道の話を聞けば良かったと思いました。
→おじい様は、京都梅小路機関区か大阪宮原機関区で働いていたご様子ですね。
> 琵琶湖線の歴史と私の思い出、滋賀の歴史、祖父の思い出、鉄道事故、凝縮された旅行記。
→実は、滋賀県は政治的背景を以って、歴史的事実を事実として公表していない為に、事実が埋没化しているのが現状です。
宜しければ、東海道本線の他の滋賀県ヴァージョンもご覧くだされば幸甚です。
今後とも何卒宜敷くお願い申します。
横浜臨海公園2019年12月16日17時37分 返信する -
東海道を西へ下る、旅行誌のようです!
横浜臨海公園さん
おはようございます。
改めて旅行記へ再訪しましたが、より詳しい自分の郷土史を発見する
ようで敬服いたしました。
まず東海道本線の電車に乗り、駅間の風景とさらに徒歩による周辺の
描写と解説など、地元民でも知らない情報提供にとても参考になりま
した。普段何気なく通っている大沢川、高さ1.7mの鉄橋下の自動車道
、東海道本線と静岡鉄道線の橋梁の見える巴川の風景など懐かしい気持
ちです。
今では殆どの地元民でも知らない、海水浴客のための臨時袖師駅のプラ
ットホーム跡、明治時代の元勲の過ごした興津の史跡、また時折清見寺
への墓参りのため利用する東海道本線の上の跨橋(線路が跡で開通した
ため)などは時間と労力をかけて、丹念に調査、研究しないと完成しな
い日本の鉄道近代史の旅行記ですね!
我が街の旧清水市は、平成の大合併で静岡市となり歴史ある町名や雰囲
気が失われてゆくのは寂しいものがあります。
貴旅行記により、あらためて郷土を想う懐旧の気持ちになりました。
私の旅のテーマは、「船と海」そして「清水港と富士山」です。
またの訪問と情報交換を!
風 魔拝復
風 魔さま、こんにちは。
拙稿への立寄りと掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
皆さん鉄道に乗られる方は大勢おられますが、では、車窓から見えない所とは何ぞやと考えを巡らす方が実に少なく、各地にコンナものが有ったのかと意外に思われている方が多く、小生も少なからず驚かされております。
東京や大宮鉄道博物館に建設当時の資料が存在せず、実地で歩いてみて、はじめて気付くことばかりです。
現存する資料と照合する為に、旅行記作成着手から上程まで、時間を要してしまい、1ヶ月に1作上程できれば上々の状態です。
清水市は、駅裏が再開発で整備されたのは良かったと思いますが、小生は昔の線路が幾重にも並び、貨車がひっきりなしに動いていた時代の方が清水らしさが感じられて良かったと思います。
40年前に1度だけ乗車した清水港線は、清水駅乗場は構内踏切を渡り長い通路の先に短いホームが有り、ノンビリとした光景が今でも忘れられません。
また時間がございましたらお立寄りを賜れば幸甚でございます。
横浜臨海公園2019年12月08日11時33分 返信する -
フォローありがとうございます
横浜臨海公園さま、こんばんは。
フォローしていただきありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
トントン -
いいねを有難うございました
この度は、私の旅行記・遠野から十和田湖へにいいねを頂きありがとうございました。
昔からの4トラベルフォロアーの方もいれば、初めて知るメンバーの方もいて嬉しい限りです。
十和田湖周辺の紅葉は素晴らしかったです。機会があれば来年行かれたらいかがでしょうか。
紅葉の見所は私の今回の旅行から推測すれば、10月20日前後かと思います。早かったとか遅かったと悩むことの無い時期かと思います。
私の里、小豆島寒霞渓の紅葉も素晴らしいです。
こちらはもうすぐ11月は20日頃でしょうか。こちらにもお越し下さいませ。
これからも よろしくお願い申し上げます
olive kenji
2019年11月11日07時58分返信する -
お立ち寄りいただき有難うございます
お立ち寄りいただき有難うございます
能登半島ものどかな場所ですので、ゆっくりと観光を楽しめました。
和つぃは半島巡りが好きですので今度は何処にしようかと考慮中です。
今後ともよろしくお願いいたします
とも2019年11月07日16時17分返信する -
宜しくお願い致します。
横浜臨海公園さま
私の大変稚拙な旅行記への投票と、またフォローまで
いただき本当にありがとうございます。恐縮です。
湯布院にはいつか行きたいと思っていて
参考にさせていただきたいと拝見しましたが・・
昔の風情が失われてしまっているとのこと、残念です。
それではまた、どうぞ宜しくお願い致します。
なぽ -
中央線沿線の駅々の懐かしい光景を拝見しました!
横浜臨海公園さま
おはようございます。
旅行記への訪問&投票をありがとうございます。
貴旅行記を拝見しましたが、詳しい史実、史跡の説明には大変驚いています。
中央線の沿線は東京の大学生活の頃、電車に乗って都内を周遊した記憶がありますが今では新路線、高いビル建物群が多く出来て風景も様変わりしました。
全国の鉄道の旅に、マイホーム・タウンの静岡近辺のいつも見慣れた風景を拝見しましたが、私の知らない史跡・史実の詳しい解説がとても参考になりました。
ところで、私の亡妻の叔父は、明治時代の建造物研究の第一人者として旧丸ビル近辺の建築物に関する著書を書き、その後「明治村の村長」を務めた村松貞次郎氏ですが、自分も古き良き時代の建造物にも興味があります。
興津座魚荘に移り住んだ「西園寺公望公」は、神田・駿河台に本宅がありましたが、幕末の頃駿河(静岡)の役人が神田周辺に住んでいたことから、その地名の由来です。
横浜臨海公園とは、私のなかでは「山下公園」をイメージしますが、学生時代に横浜に住んでいたので、海と公園の景色には特に想い入れがあります。
またの訪問と情報交換を!
風 魔拝復
風 魔さま、こんにちは。
拙稿へのお立寄りと投票、そして掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
当該旅行記は、関東大震災発生、当時の鉄道省本省庁舎が類焼に依り全焼した際に、建設当時のオリジナル資料も焼失した為に、旅行記作成の資料蒐集に時間を取られすぎてしまい、上程まで時間がかかり過ぎてしまいました。
兎に角、今回の旅行記作成過程でもそうですが、今まで真顔で語られていたことが、実は伝承嘘ばかりだったと言えると思います。
仮に30年前と比較すると、神田、御茶ノ水、飯田橋駅前は、麻雀荘が軒を並べていたものが、その後、殆どの店が全滅し、現在ではカラオケボックスが乱立する状態となっております。
然し、御親戚に村松貞次郎教授がおられたとは驚いております。
何卒亦宜敷くお願い申します。
横浜臨海公園2019年10月23日14時05分 返信する



