横浜臨海公園さんへのコメント一覧(12ページ)全1,509件
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お久しぶりです
横浜臨海公園さん いつもご投票ありがとうございます。
何度も利用している身延線ですが、長い歴史があるのですね。
横浜臨海公園さんの関心とは離れるかもしれませんが、身延線は読みからは想像できない駅名が多くて面白いです。この区間だと「こいかわ」「こくぼ」「かねんて」でしょうか。極めつけは「はだかじま」! -
久し振りに発見!
渋い旅行記を発見!もう、殆どいいねを押しているはずなので、久しぶりに未踏の地を発見した気分です。これは、また、渋い上州の田舎に織田の名残があったとは。。養蚕業は、昔からこの地方はあったんですね。明治維新後、その伝統が活かされました。 -
フォローありがとうございます、
神戸!と思って、少しはと思って、読み始めましたが、これがなかなか!!読み切れません、(笑)しかしジワーっと興味がわきますね、やっぱり凄ーーい!
フォローありがとうございます、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
拝復
ピーちゃんさま、こんにちは。
この度は拙稿にフォローを賜りまして、誠に有難うございました。
神戸生まれの神戸育ちだと察しました。
神戸といえば阪神淡路大震災の時にボランティアで入市した時の事は今でも忘れられません。
灘-摂津本山間運行のバスの行列を見て、待つ時間を惜しみバスに乗るのを諦め、あの区間を何度も歩いて突破したものでした。
神戸、および近隣都市が見事に復興し震災の痕跡は殆ど見られなくなりましたが、時に震災前の神戸の街の昔を懐かしがっております。
神戸の拙稿でしたら
https://4travel.jp/travelogue/11245946
もございますのでご覧下されば幸甚です。
今後とも何卒宜敷くお願い申します。
横浜臨海公園2020年12月19日10時49分 返信する -
御礼
こんにちは。
旧ユーゴスラビアの旅行記に投票を頂き、ありがとうございました。
クロアチアに個人旅行で行きたかったのですが、個人では行きずらかったのでツアーにしました。
それはそれで又良い思い出になりました。
2020年11月06日16時30分返信する -
今回もなかなか勉強になりますね。
横浜臨海公園さま、お久しぶりにコメント申し上げます。
また、この度は拙鳴子旅行記に投票いただいたこと、遅らばせながら感謝申し上げます。
今回も鉄道史のみならず、現代史解説も冴え渡っており、流石歴史の大家でらっしゃるなあと感心しております。
さりながら、鉄道史のほうでなく、関東大震災や味の素、小笠原長生子爵の下りの方についつい目がいってしまったなあ~と思います。
もちろん、明治天皇が明治5年10月14日の開業前の8月に品川沖が荒れてたので、急遽横浜から鉄道で東京入りしたという記述も大変勉強になりました。
多くのかたや各マスメディアもてっきり10月の開業が初乗車だと思っているので、皇室を尊敬して止まない自分にとってははありがたい記述です。
(マスメディアや鉄道系ユーチューバー各氏も※印のテロップいれるなり、しかしやただし書きをつけるなり、工夫が必要だと思います。)
さて、一番興味深い記述は関東大震災の下りで、被災者の金品を荒らし回っていた浮浪朝鮮人に激怒した自警団が反撃したといのが、かの『朝鮮人虐殺事件(朝鮮人が井戸に毒持ったデマを流したあれ)』の真相であったことに目から鱗が落ちました。
よく左翼系マスメディア(近年の東京放送)だとかが、震災や今回のコロナのトイレットペーパーみたいな『デマ騒動』が起こる度、この事件を引き合いにだして『だからデマはダメです』といっていたのは耳にしましたが、さすが左翼(誉めてない)やることがいつも同じ特定アジアの肩をもつ、自虐史観パターンだなあ~とふりかえてってしまいます。
事実私も子供の頃読んだ歴史漫画にも震災後の大杉栄と朝鮮人の虐殺が出てきて、ずーっと信じていたので、ようやくこの固定概念から脱却できたことに感謝しております。
『恥も外聞もかなぐり捨て、歴史を改竄して厚顔無恥たる言行動を反復させ相手を罵詈讒謗攻撃するのが、古今かの国たる特長でもある。』
まさに仰る通りです。
朝鮮王朝時代は両班という特権階級が跋扈し、まともな農機具がないなか民は搾取され、中央政界は民を省みず権力争いしている世紀末のような状態でした。
イザベラ・バードの紀行文の一節にもその記述がありますね。
併合ののちは、北を工業地帯、南を農業地帯として開発。
それにともなって道路・ダムなどのインフラを整備。
医療やハングル教育を拡充させ、人口、平均寿命、識字率も向上。
終戦ののちは農業地帯であった大韓民国に多額の経済援助をして工業地帯へ変革させるいわゆる『ハンガンの奇跡』をもたらしたのも我が国です。
にも関わらず徴用工や慰安婦を巡り、罵詈讒謗をあびせる大韓民国首脳部と一部国民言動にはうんざりさせられ、本気で断交を考えてしまうときもあります。
(さりとて、拉致問題や国防上の繋がりはある程度必要という理性もまだ残ってますけど。)
しかしながら、大韓民国と違って、中華民国(台湾)は李登輝閣下や許文龍先生がおこなっている後藤新平伯(阿片の撲滅とインフラ整備)や八田與一(嘉南大しゅうという灌漑施設や烏山頭ダム)、新渡戸稲造博士(砂糖の量産化)などの顕彰活動もあり、日本に対する歴史認識もだいぶ改善されておるのが救いで、東日本大震災などで援助をいただいているのに、大韓民国と同じ穴の狢の中華人民共和国に『経済的事情を鑑み忖度』し、中華民国をないがしろにしている我が国の首脳は情けないというか憤りすら覚えます。拝復
毛利慎太朗さま、こんにちは。
拙稿にお立寄りと掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
残念んがら、小生、大学で教鞭を執っている科目は日本近現代史ではありませんので、旅行記を御覧になり、ご不満を感じられた事と思います。
それにしても、昨今の日本近現代史はウソがまかり通りすぎているのは事実だと感じます。
例えば、明治天皇記を精査すれば8月に鉄道乗車が在った事実が記載されているにも拘らず、資料を読まず公開資料のドン引きばかりやっているからこそ、事実が出てきません。
小生が知るマスコミ関係者など、半分はゴミみたいな連中で、TBSなんぞまだマシな方で、我が国には、もっと酷い連中が跋扈しています!
関東大震災発生後に於ける略奪事件は、明治29年(1886年)生まれの祖母から直に耳にしていただけでは無く、高校の同級生で、我々古くからの横浜市民は南京町と称した中華街出身者からも、祖父から南京町が丸焼けになった直後に、不逞朝鮮人が大挙して押し掛け、金品を略奪していった話など、地元民なら誰でもが知ってた事件であって、虐殺説となるのは大東亜戦争後の事です。
また、小田原駅での震災直後に貨車の搭載物略奪事件も、昨今では熱海線建設工事に従事していた朝鮮人犯行説が有力です。
両班ですが、小生知友の在米韓国人両班は、小生に竹島は日本領土です。但し、自分の発言をソウルでやらないで下さい、警察も保護なんかしていくれず襲撃されます。
とのことですので、韓国の本当の知識階級は真相を承知しているものと思います。
小生、台湾の李登輝先生には生前2度お目にかかっております。
李先生から日本人はもっと自信を持てと言われたのが印象的です。
横浜臨海公園
2020年10月24日12時57分 返信する丁寧に解説いただきありがとうございます。
まず、両班の方のことをあまり識らず、無礼なことを申し上げ、誠に申し訳ございませんでした。
そうでしたか、まだ良心と呼ばれる方々が大韓民国に残っておられたのですね。
私は最近自虐史観から脱却できたかというと、一関市の隣町が奥州市で、台湾総督府民政長官としてインフラ整備とアヘン撲滅を行った後藤新平伯や朝鮮総督として憲兵警察の廃止やキリスト教布教緩和、各種デモクラシー改革などを行った斎藤実子爵の業績を折に触れ、なぜ台湾では親日の方が多いのに、大韓民国の方はああなんだろうと素朴に思ったからです。
戦前の台湾や朝鮮に関してはインフラ・衛生・教育などの水準を本国まで引き上げるために大量のヒト・モノ・カネを投じたので『植民地』支配ではなく『領土』として統治したのであるという竹田恒泰先生の正論を支持しております。
欧州のピサロやコルテスのような略奪型支配をしたわけでもないのに、なぜあんなに恨むのか。
全ては亡命先のアメリカから帰国した李承晩のせいだと最近気がつきました。
それなのに建国の父と称えられているのは恥ずかしい限りです。
朝鮮戦争が勃発したとき真っ先に逃げたしたのは何を隠そう李承晩であり、自国民をスパイとして虐殺し、避難民が渡る橋を爆破した蛮行も許せません。
それならばまだしも、北朝鮮軍を一時支那国境まで押し返した金錫源将軍やペク・ソンヨプ将軍を日本の士官学校出であるというだけで、親日家認定するとは。
救国の父に対して『ありがとう』の一言もいえぬとはこのような国には'未来'を語る資格はないです。
次に近現代史の専門家でなくても、このように緻密な解説で我々の目を楽しませていただいているので、気負いせず、引目にかんじることなく、このクオリティで正論を述べていただきたいな~と思って、心より応援しております。2020年10月24日17時01分 返信する -
フォローありがとうございます!
横浜臨海公園さん、私の拙い旅行記見ていただきありがとうございます!
フォローまでして頂き、ありがとうございます!
コロナで自由に旅行に行けないようなこのご時世!
海外旅行も行きたいのですが、いつになったら安心して旅行出来るのか先が見えないですよね・・・( ノД`)
早く安心して旅行出来る日が来る事を祈ります!
また訪問させて頂きますね~! -
こんにちは
毎回極めて博識な鉄道の紹介に感心して読ませていただいております。
猿田神社の参道の不思議な橋は何だろうと思っておりました。写真の報告書によれば、境内を鉄道が横切ったのは明治時代とのこと。現代なら文化遺産保護の観点からまず実現不可能ですね。
この写真も、明治天皇御名御璽の文書も、非常に貴重なものです。御名御璽とある場合、御名は天皇の直筆ということですか。
この辺りは古代は香取の海が近くまで来ておりました。香取神宮や鹿島神宮は水際でしたので、猿田神社も御説の通り谷伝いに近くまで水が来ていた可能性はあると思います。
これからも鉄道線路の由来、神社の由来、楽しませていただきます。
ところで、狛犬ですが、これはおそらく唐獅子だと思います。たてがみの感じ、胴体の渦巻模様が唐獅子みたいです。出雲の六所神社で出雲構獅子を調べたときに、唐獅子と狛犬は違うと知りました。奉納が昭和では彫る方もあまり違いを意識しなくなったかもしれません。非常に古いタイプの狛犬だと、頭に角があるので、狛犬と一見してわかります。
唐獅子の場合は、本来は台座に牡丹が彫ってあるはずです。拝復
しにあの旅人さま、こんにちは。
拙稿に投票と掲示板に過分なコメントを賜りまして、深謝しております。
誠に有り難うございました。
明治期では廃仏毀釈の関係で、東京では寛永寺と増上寺がヤリ玉に挙げられ、両寺共に敷地の大半を公収され、寛永寺は上野公園と上野駅に、増上寺は公園と戦後は東京タワー敷地へと変貌を遂げましたが、当時の国家宗教たる神道では大事に扱われた関係で、猿田神社は参拝者の安全も考慮して煉瓦造の跨線橋が設置されたものと思われます。
あの御名御璽も他の御名御璽の筆跡から、明治天皇本人の御真筆に相違ないと思われます。
今後とも何卒宜敷くお願い申します。
横浜臨海公園2020年08月16日14時21分 返信する -
旅行記に投票いただき ありがとうございます。
横浜臨海公園様
ご無沙汰しています、お元気ですか? いつもお世話になりまして有難うございます。
COVID-19にはずいぶんいじめられました、今シーズンのスキーは
2月の志賀高原が最後になりました、6月頃まで山スキー含め行くつもりでしたが
完全にダメになってしまいました。
まあスイスとオーストリアで滑っておいて良かったと思っています。
アウシュビッツですが日本から遠いので 行っておいて良かったと思います、
ただビルケナウは敷地も広いので
建物の爆破の後なんか見に行くにはなかなか大変だと思いました。
今後とも宜しくお願いいたします。
敏じぃ
2020年07月07日11時52分返信する -
中央線沿線の花見の名所、今年は寂しくなりますね
横浜臨海公園さま、こんにちは。
飯田橋から新宿までの中央線の旅、楽しませていただきました。
馴染みのある場所ばかりですが、横浜臨海公園様の写真で改めて拝見させていただくと、大変新鮮に感じます。
飯田橋駅のこと、当時は飯田町駅という駅名だったのですね。知りませんでした。
大正天皇御大喪時の様子も大変興味深く拝見しました。
横浜臨海公園さまの旅行記によく登場している海軍の米内光政や井上茂美、それに思いがけず高木惣吉少将の名前も出てきて驚きました。
あの沿線には東京の桜の名所が何か所もありますが、今年の花見は寂しいものになるでしょうね。昨年は外人さんも大勢来日して日本の「ハナミ」を満喫していましたが、今年は入国規制や出国規制で外人さんの姿も少ないでしょうから。
早く終息してほしいですね。
himmel
すっかり御無沙汰をしておりました
frau.himmelさま、こんばんは。
すっかりご無沙汰をしておりました。
コロナコロナと、世間の新興宗教的超バカ騒ぎぶりにウンザリさせられ、小生の気休めのフォートラベルから遠ざかっておりました。
今回の旅行記も構想から着手まで実に4年もかかってしまいました。
兎に角、意外と資料類が見当たらず、突き詰めていくと関東大震災で類焼し烏有化したものが多く、穴を埋める作業がコンナに手間取るとは予想すらしておりませんでした。
来年ですが、中央本線で都内に所在する数駅が115周年を迎える事から、小生の旅行記を参考にしたいとの照会が来ております。
横浜臨海公園2020年07月09日17時56分 返信する -
森鴎外
横浜臨海公園さま、こんにちは。
いつも私の拙い旅行記を見てくださってありがとうございます。
さて、今回もいつもながらの壮大なご旅行記、ただただ敬服の念に堪えません。
あれほどものを調査なさるのにも膨大な時間を要されましたでしょうね。それもさることながら、それをあの重厚な旅行記に纏める作業もさぞかしお時間をかけられたのだろうなーと、毎回感服しております。
今回の山陽本線 須磨ー西明石間、お恥ずかしながら私の全く知らない区間です。通ったことがあるのかもしれませんが、全く覚えていません。
そんな私が畏れ多くも横浜臨海公園さまにコメントを差し上げる・・・。
実は今回明治期の陸軍軍医森鴎外のことを載せていらっしゃったものですから。森鴎外はドイツに大変関係の深い人物で、ベルリンやライプティヒで彼の足跡を辿ったことがありましたものですから。
それに明治期に活躍した軍人や官人の名前がいろいろ出てまいりますね。
数年前NHKの大河ドラマで「せごどん」を見て、彼を追っかけて歴史の旅をしたこともあり、文中にそれらの名前を見つけて喜んでおりました。
そんなミーハーな考えで、壮大な旅行記を見せていただいたなんて、ほんとに申し訳ありません。
その中でちょっと気になったことが・・・。
>・・・或る部隊付医歯科中尉の筆者への直話では、大東亜戦争中に於ける天長節などの式典席次では・・・、
と書いていらっしゃいますが、この歯科中尉という方はもしかして私が存じ上げている方かも。
いつぞや横浜臨海公園さまが私にコメントくださったあの「M先生」のことでしょうか。先生からもそんな話を聞いたことが・・・、いえ森鴎外のことでなく、戦争体験のことですが。
違っていましたら、お忘れください。
新型コロナウィルスが衰えを見せません。どうかお身体にお気を付けくださいませ。
himmel
拝復
frau.himmelさま、こんばんは。
拙稿に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。
小生、旅行記作成で大変なのは、関東から離れれば離れるほど資料の収集に時間を要するばかりでは無く、元資料自体が滅失していて、取捨選択と解読に時間ばかりとられ、困難になるばかりとなっております。
山陽本線須磨-西明石間は、山陽新幹線新大阪-岡山間が昭和47年(1972年)3月15日開業前は在来線しか無かった事から、九州方面に出掛られた際は必ず該地を通過されていたものと思われます。
資料として活用した明治天皇紀は、舞子御用邸前臨時停車場事故の記述が全く存在し無い事で、必ずしも明治天皇一代全部を網羅している訳では無い事を、はからずも思い知らされました。
>この歯科中尉という方はもしかして私が存じ上げている方かも。
>いつぞや横浜臨海公園さまが私にコメントくださったあの「M先生」のことでしょうか。先生からもそんな話を聞いたことが・・・、いえ森鴎外のことでなく、戦争体験のことですが。
→仰せの通り、М先生です。
М先生は陸軍招集後、満州での部隊勤務をされ、ソ連に依るシベリア抑留の辛酸を受け、復員後は国鉄某病院長退職後、クリニック病院長として80歳を超えての現役歯科医でした。
此れらの事はイロイロお話を伺っておりますが、一般には記録に残っていない生々しい内容を教示頂き、その一部を活用した内容を当該旅行記に参考にさせて頂きました。
見ててご覧ください。
今月末までに、あの悪名高いウィキペディアが小生の旅行記記述が、そのまま記載されているでしょう。
横浜臨海公園2020年03月16日20時28分 返信する



