2020/01/20 - 2020/01/20
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横浜臨海公園さん
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該区間は、昭和3年(1928年)3月30日に開通した。
身延(みのぶ)線の前身たる富士身延(ふじみのぶ)鐵道は、大正2年(1913年)12月6日附で富士-大宮町(現 富士宮)間10.3km開通以来、順次延伸を重ね、大正9年(1920年)5月18日に身延開通を果たしたが、他方、大正3年(1914年)6月18日附を以って内閣鐵道院に対し身延-甲府間建設延長工事施工許可申請を出願した。
他方、大正9年(1920年)8月7日附法律第54号に拠る鐵道建設法公布に依り甲府-身延間が内閣鐵道院鉄道敷設予定線指定を受け、更に、大正11年(1922年)4月11日附法律第37号に拠り改正鉄道建設法公布に依り該区間は鐵道省直営に依る工事建設が決定された。
然るに、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災に依る震災被害復興が最優先事業とされた為に、該区間建設工事は一時凍結を余儀無くさせられる。
第23代内閣総理大臣 清浦清吾(きようら せいご)(嘉永3年(1850年)2月14日~昭和17年(1942年)11月5日)内閣(大正13年(1924年)1月7日~同年6月11日組閣) 鐵道省次官 岡野 昇(おかの のぼる)(明治9年(1876年)6月14日~昭和24年(1949年)4月28日)(大正13年(1924年)1月7日~同年6月11日在任)は、該社第2代社長 堀内良平(ほりうち りょうへい)(明治3年(1870年)12月24日~昭和19年(1944年)7月4日)(大正12年(1923年)4月4日~昭和7年(1932年)5月25日在任)を鐵道省本省に招致し、該大震災に依る政府財源逼迫を理由に、甲府-市川大門間は鐵道省が建設する代り、身延丸滝-市川大門間は該社建設に依る早期全通可能なりやと打診を求めた。
因みに、鐵道省が計画策定していた該線工事区間は、現行路線と異なり、市川大門より笛吹川右岸に沿い、現在の笛吹市八代町付近に於いて該河川を渡河、中央本線甲府駅に至るもので、該区間案は鐵道省、及び、内務省土木局と協議し決定されたものであり該計画案は第50回帝國会議に於いて予算承認され大正14年(1925年)着工が決定した。
然し、該経路では途中人口希薄地たる事から、客貨共に期待困難を理由に該社側が難色を示し、該区間選択に対し該社独自経路案を選定提示した事から、鐵道省、及び、内務省土木局と協議の上、現行線に決定した経緯を有し、該社は、大正15年(1926年)6月22日附を以って該区間工事着工許可願を提出し、鐵道省は該許可願を審査した結果、昭和2年(1927年)2月28日附を以って許可を与えた。
該区間敷設工事は同年7月22日に着工し、翌昭和3年(1928年)3月30日附で開通した。
因みに、該区間を含め、前年に開通した該社身延-市川大門間建設に対し、当時の帝國陸軍鐵道聯隊所有で明治27年(1894年)英デュープス(DUBS)社製造タンク式機関車118号機、及び、119号機2両を使用し該聯隊演習を兼ね路線建設が行われた。
既成開通区間は、該社に依り直流1500V電化され、当該新線区間は開通当初から電化された。
然るに、該区間内に隧道工事こそ発生しなかったが、市川本町-甲斐上野間芦川橋梁、及び、甲斐上野-東花輪間笛吹川橋梁架橋工事があり、該社資力での工事費用で巨額資金を要し、財政負担となったばかりでは無く、該区間全通後たる翌昭和4年(1929年)10月24日に米国ニューヨーク・ウォール街株式市場に端を発した株価大暴落に依る米国内恐慌は忽ち全世界に波及し、世界恐慌は該線沿線にも例外無く襲い、該恐慌が原因で国際生糸繭相場は暴落し、此の為に期待された該社貨物輸送は想定外数値しか得られず該社は経営的苦境に立たされる事態に直面した。
他方、該社運賃は建設費に要した巨額資金回収の為に当時の我が国鉄道運賃としては一番の高額設定となり、富士-身延間43.2km大人1名3等運賃は、当時の鐵道省東海道本線東京-大阪間御殿場経由568.1km大人1名3等運賃6円6銭と同額だった。
因みに、令和2年(2020年)1月1日現在の東海道本線東京-大阪間熱海経由運賃は8910円であり、此れに対し該社後身路線たる身延線富士-身延間運賃は990円であり、該社運賃が如何に高額設定だったかを理解出来される事だろう。
その為に、該沿線では該社線列車に乗車するのは該社優待無料乗車証所持者だけで、一般沿線住民は、乗合馬車、或は徒歩で往還する状態だった。
此の為、該社は集客目的として電車停車専用停留所設置を計画し、該区間開通後、無人駅ながら、市川本町、芦川、小井川、甲府住吉(現 甲斐住吉)、及び、金手各駅が次々と開設された。
然して、昭和6年(1931年)末ともなると地元沿線から該社に対する不満が表面化し、翌昭和7年(1932年)1月10日附で、静岡県側沿線住民は富士身延鐵道國有化促進同盟会を結成し、同月19日に、第29代内閣総理大臣 犬養 毅(いぬかい つよし)(安政2年(1855年)6月4日~昭和7年(1932年)5月15日)内閣(昭和6年(1931年)12月13日~昭和7年(1932年)5月26日組閣) 第49代内務大臣 中橋徳五郎(なかはし とくごろう)(文久元年(1861年)10月13日~昭和9年(1934年)3月25日)(昭和6年(1931年)12月13日~昭和7年(1932年)3月16日在任)、及び、第10代鐵道大臣 床次竹二郎(とこなみ たけじろう)(慶應2年(1867年)1月6日~昭和10年(1935年)3月8日)(昭和6年(1931年)12月13日~昭和7年(1932年)5月26日在任)に対し該社国有化請願を行った。
他方、出遅れていた山梨県側沿線も該県町村会が同年3月17日附で買収陳情を行った。
同年5月7日附で鐵道省は該社政府買収を決定し、同月10日に鐵道省本庁舎内に於いて、床次鐵道大臣、及び、該社第2代社長 堀内良平(ほりうち りょうへい)(明治3年(1870年)12月24日~昭和19年(1944年)7月4日)(大正12年(1923年)4月4日~昭和7年(1932年)5月25日在任)間に於いて買収協定書が調印され、後は第62回帝國議会に於いて公債発行成立を待つのみとなったが、不幸にも該成立直前にして同年5月15日に発生した5.15事件発生に依り犬養内閣総理大臣は決起帝國海軍将校に殺害された事から、該内閣崩壊の為に該協約は全部失効し該社買収は不成立し該社国有化は画餅と化した。
該社を襲った度重なる不幸は、身延-甲府間は鐵道省直営工事が既成決定していたにも拘らず、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災被災復旧工事が最優先とされた為に該省直営工事は中止となり、更に、第22代第Ⅱ次内閣総理大臣 山本権兵衛(やまもと ごんべい)(嘉永7年(1852年)11月26日~昭和8年(1933年)12月8日)内閣(大正12年(1923年)9月2日~大正13年(1924年)1月7日組閣)は、摂政宮裕仁親王(明治34年(1901年)4月29日~昭和64年(1989年)1月7日)狙撃事件、即ち、虎ノ門(とらのもん)事件の責任を取り総辞職を余儀無くさせられ、第29代内閣総理大臣 犬養 毅内閣で、やっと光明が見えたかの矢先、5.15事件で犬養総理が殺害され交渉相手が消滅する等々、正に地元にとって落胆続きの状況だった。
該社第2代社長 堀内良平は政府買収不成立の責任を取り、代表取締役社長を辞任し、後任に、第3代社長 小野耕一(おの こういち)(明治15年(1882年)6月~ ? )が就任した。
然し、該社線沿線住民は、依然として高額運賃徴収を継続する該社姿勢に対する不満が鬱積し、他方、監督官庁たる鐵道省も政府買収決定を流産させた経緯から該状況を放置状態とする訳にもいかず、取敢えず政府借上と云う状態にする事で当座を決着させ、昭和13年(1938年)10月1日附を以って該社借上が実施された。
該結果、予てよりの懸案事項たる運賃体系は見直され、鐵道省運賃規則が適用され、更に全国鐵道省間運賃が通算計算可能となった事から従来の不満は解消され沿線住民から歓迎された。
全線名古屋鐵道局管轄となり、
富士-稲子間 静岡運転保線事務所
稲子-甲府間 甲府運転保線事務所
が管理した。
因みに、該社借上当時、甲府に於いて接続した中央本線淺川(現 高尾)-甲府間は、昭和6年(1931年)4月1日附で直流1500V電化され、当時は、八王子、及び、甲府に電気機関車のみ配置され、電車配置は無く、他方、身延線には社型と称する旧該社発注電車が存在しており、素人目に見れば、該車輌運転間合を活用し、塩山-甲府間に電車運用を実施すれば利便性向上に貢献するものと考えるが、実現したのは大東亜戦争後の事で、中央本線=官設=親藩譜代、身延線=私鉄借上=外様の図式が存在し鐵道省内に於いて格下視されていた事は否定し得ない事実である。
該社線富士-甲府間88.1km間は、改めて昭和16年(1941年)5月1日附で政府買収が実施され改めて鐵道省身延線が成立する。
同時に、鐵道省借上中だった 白棚(はくとう)鐵道白棚白河-磐城棚倉間23.3kmも買収された。
該区間に於ける大東亜戦争中の空襲に依る被害は、
昭和20年(1945年)
7月 6日 第21爆撃機軍団 第314航空隊 B29戦略爆撃機計132機
23時23分 警戒警報発令
23時53分 空襲警報発令
23時54分 空襲開始
2時20分 空襲警報解除
3時20分 警戒警報解除
金手駅
駅本屋全焼
甲府駅
身延線旅客ホーム上屋全焼
甲府管理部庁舎全焼
復旧7日14時
米軍資料に拠れば甲府駅鉄道操車場50㌫を破壊したと記録されているが、実際の鉄道施設被害は軽微だった。
昭和24年(1949年)6月1日附で日本国有鉄道が成立したが、翌昭和25年(1950年)8月1日附で管理部門再編を受け、東京鉄道管理局、及び、静岡鉄道管理局が成立し、
富士-善光寺間 静岡鉄道管理局
善光寺-甲府間 東京鉄道管理局
管理に変更された。
該線優等列車は、昭和39年(1964年)3月20日附時刻改正に依り運転開始された 準急 富士川(ふじかわ)号2往復が嚆矢である。
但し、該区間内停車駅は内1往復が市川本町に停車するだけで2往復共に南甲府は通過したが、現在の特急ふじかわ号より、はるかに停車駅が少なく格式が在った。
該区間は鐵道省線丙線規格で建設された事から、貨物列車牽引用に大東亜戦争後は本線用ED17型電気機関車、更に、EF64型電気機関車も入線可能だった。
該線保安装置は長年 通票閉塞式で信号機も一部を除き腕木式信号機が現役だったが、昭和57年(1982年)2月28日附を以って、西富士宮-甲府間にCTC列車集中制御装置が導入された事で、列車交換駅に信号取扱要員配置が不要となり、翌昭和58年(1983年)6月1日附を以って、甲斐上野、常永、国母各駅が無人化された。
日本国有鉄道は、昭和62年(1987年)4月1日附民営分割を直前に、同年3月1日附を以て、局境界地点を善光寺-金手間から金手-甲府間に変更された。
表紙写真は
富士身延鐵道時代設置架橋された井出川(いでがわ)橋梁と架線柱.
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
市川大門(いちかわだいもん)駅
該駅は、昭和2年(1927年)12月17日開業である。
該駅は、身延-市川大門間延長に伴い開設された。
該駅は、貨物取扱業務が昭和47年(1972年)9月20日附で廃止されたが、それに輪を掛け翌昭和48年(1973年)2月1日附を以って、2番線が廃止され停留所化され、昭和60年(1985年)4月1日附で無人化された。
初代駅本屋は老朽化の為に改築が決定し、大門碑林公園内造営物を参考に平成7年(1995年)10月15日附で第2代駅本屋竣工。
同時に2番線が復活し列車交換が再可能になった。市川大門駅 駅
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市川大門駅
駅本屋市川大門駅 駅
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市川大門駅
駅本屋
該駅は、昭和60年(1985年)4月1日附で無人化されたが、平成25年(2013年)4月1日附で簡易委託駅化。市川大門駅 駅
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市川大門駅
駅構内
旅客ホーム市川大門駅 駅
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市川大門駅
駅構内
富士方市川大門駅 駅
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市川大門駅
駅構内
元貨物業務取扱施設跡
該駅開業時より昭和47年(1972年)9月19日まで使用された貨車取扱業務施設跡。市川大門駅 駅
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市川本町(いちかわほんまち)駅
該駅は、昭和5年(1930年)10月1日開業である。
開業当時は無人駅だったが、鐵道省に依る政府借上時に有人化された。
初代該駅本屋はジェーン台風に依り損壊した事から、昭和25年(1950年)2月に第2代駅本屋が設置された。
該駅は、昭和39年(1964年)3月20日附時刻改正時より富士-甲府間運転開始の準急富士川号の停車駅で該列車急行格上後も変化が無かったが、然るに、平成7年(1995年)10月1日附時刻改正時に当該列車が特急ふじかわ号に格上時に該列車は市川大門駅停車となり当該日より該駅通過となった。
現第3代駅舎は、平成18年(2006年)8月建築である。市川本町駅 駅
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市川本町駅
旅客ホーム
該駅開業時よりホーム1面1線。市川本町駅 駅
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市川本町-芦川間
宝寿院(ほうじゅいん)踏切
金剛山宝寿院参道
正月三箇日は初詣客で賑う。 -
市川本町-芦川間
芦川(あしがわ)橋梁
西八代郡市川三郷町川浦490
身延線芦川駅 徒歩8分 -
市川本町-芦川間
芦川橋梁
該橋は、昭和3年(1928年)3月30日開通の橋梁である。
全長50.0m
内閣鐵道院設計に依る
櫻田機械製造所 昭和2年(1927年)製造
平行弦下路プラットトラス構桁46.939m(150ft)×1連
が架橋された。
該橋梁本体は単線型鋼鐡製鋲締構造で、橋台橋脚共にコンクリート構造。
西八代郡市川三郷町川浦490
身延線芦川駅 徒歩8分 -
芦川(あしがわ)駅
該駅は、昭和4年(1929年)2月11日開業である。
該区間開通に刺激され、当時の西八代郡上野村に於いて該村内駅設置の機運が高まり、該村は該社に対し駅開設要請を行い、該社は検討した結果、該駅開設に伴う用地、及び、該駅開設必要不動産全額無償提供を条件とする事で該村と合意し、駅開業に至った。
該駅は開業以来、無人駅であり、開業時に存在した蒸気機関車牽引列車は該駅は通過した。 -
芦川駅
駅待合室
平成9年(1997年)改築。
該駅は開業時より無人駅で、鐵道省に依る政府借上時に乗車券発売制限が存在したが、該制限は昭和31年(1956年)2月1日附で廃止され日本国有鉄道線全線着発発行が可能になった。 -
甲斐上野(かいうえの)駅
該駅は、昭和3年(1928年)3月30日開業である。
CTC設置により昭和58年(1983年)6月1日附を以て駅無人化された。
初代駅本屋は老朽化の為に改築が決定し、平成15年(2003年)2月改築の第2代目である。甲斐上野駅 駅
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甲斐上野駅
駅構内甲斐上野駅 駅
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甲斐上野駅
旅客ホーム旅客待合室
改装施工されているが、該駅開業当時の造営。甲斐上野駅 駅
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甲斐上野駅
駅構内
313系電車
上り列車甲斐上野駅 駅
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甲斐上野-東花輪間
井出川(いでがわ)橋梁
該橋は、昭和3年(1928年)3月30日開通の橋梁である。
上路鈑桁13.0m×1連
昭和3年(1928年)櫻田機械製造所。
西八代郡市川三郷町
身延線甲斐上野駅 徒歩2分 -
甲斐上野-東花輪間
井出川橋梁
架線柱
共に
富士身延鐵道発注品。
西八代郡市川三郷町
身延線甲斐上野駅 徒歩2分 -
甲斐上野-東花輪間
甲府盆地
水平区間
該地点まで連続急勾配区間。
西八代郡市川三郷町
身延線甲斐上野駅 徒歩14分 -
甲斐上野-東花輪間
甲府盆地
登攀区間
甲府駅より該地点まで連続平坦区間。
西八代郡市川三郷町
身延線甲斐上野駅 徒歩14分 -
甲斐上野-東花輪間
笛吹川(ふえふきがわ)橋梁
中央市大田和中田浦
身延線東花輪駅 徒歩30分 -
甲斐上野-東花輪間
笛吹川橋梁
該橋は、昭和3年(1928年)3月30日開通の橋梁である。
全長249.6m
内閣鐵道院設計に依り
櫻田機械製造所 昭和2年(1927年)製造
上路鈑桁19.16m×3連 + 平行弦下路プラットトラス構桁46.939m(150ft)×4連
が架橋された。
該橋梁本体は、鋼鐡製鋲締構造で、橋台橋脚共にコンクリート構造。
中央市大田和中田浦
身延線東花輪駅 徒歩30分 -
甲斐上野-東花輪間
笛吹川橋梁
支間46.939m
該社の如き、地方弱小私有鉄道に於いて橋梁の如き大型構造物設計能力を有する事例は稀少であり、故に、大正初期に於ける当時の内閣鐵道院設計に依るトラス構桁設計図面を元に活用し製造された為に、昭和期製造にも拘らず古典的形態を有する構桁である。
因みに、同形態櫻田機械製造所製造トラス構桁は、昭和4年(1929年)開通の留萌(るもい)鐵道臨港線留萌-古潭別間5.0km副港橋梁が存在し該地に架橋されたが、該社は、昭和16年(1941年)10月1日附で鐵道省に政府買収され留萌本線臨港線となり現在は路線廃止後も当該橋梁は現地に残存する。
中央市大田和中田浦
身延線東花輪駅 徒歩30分 -
甲斐上野-東花輪間
笛吹川橋梁
銘板
櫻田機械製造所
昭和二年
製造
中央市大田和中田浦
身延線東花輪駅 徒歩30分 -
甲斐上野-東花輪間
鎌田川(かまたかわ)橋梁
国土交通省土木局に依る河川改修に伴い、平成28年(2016年)10月1日に現平行弦ワーレントラス構桁架替が実施。
中央市大田和中田浦
身延線東花輪駅 徒歩30分 -
東花輪駅
駅構内
甲府方
俯瞰
中央市東花輪町清川885
身延線東花輪駅 徒歩6分 -
東花輪(ひがしはなわ)駅
該駅は、昭和3年(1928年)3月30日開業である。東花輪駅 駅
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東花輪駅
駅本屋
該線内に残存する富士身延鐵道時代建築の造営物。東花輪駅 駅
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東花輪駅
旅客ホーム東花輪駅 駅
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東花輪駅
旅客ホーム東花輪駅 駅
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東花輪駅
旅客ホーム
313系電車東花輪駅 駅
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東花輪駅
旧貨物取扱施設跡
該駅貨物業務取扱終了は規定上では、平成13年(2001年)3月31日附だが、貨車取扱業務最終日は平成10年(1998年)9月29日である。東花輪駅 駅
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東花輪駅
旧貨物取扱施設跡
現在は電車滞泊に使用。東花輪駅 駅
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東花輪駅
駅構内
富士方東花輪駅 駅
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東花輪駅
駅構内
富士方
俯瞰
中央市布施大和田澤1401
身延線東花輪駅 徒歩5分 -
小井川(こいかわ)駅
該駅は、昭和4年(1929年)8月15日開業である。
芦川駅開設に刺激され、当時の中巨摩郡三町村に於いて該村内駅設置の機運が高まり、該村は該社に対し駅開設要請を行い、該社は検討した結果、該駅開設に伴う用地、及び、該駅開設必要不動産全額無償提供を条件とする事で該村と合意し、駅開業に至った。
該駅は開業以来、無人駅であり、開業時に存在した蒸気機関車牽引列車は該駅は通過した。小井川駅 駅
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小井川駅
駅出入口小井川駅 駅
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小井川駅
旅客ホーム小井川駅 駅
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小井川-常永間
常永駅構内
甲府方
俯瞰 -
常永(じょうえい)駅
該駅は、昭和3年(1928年)3月30日開業である。
但し、該駅開業当時は 西條常永(さいじょう じょうえい)と称したが、即ち、当時の該駅敷地が中巨摩郡常永村、及び、該郡西條村に存在した為に、両村名を駅名として命名されたが、鐵道省に依る政府借上実施時に現駅名に改称された。
然し、政府借上時に西條村側から村名削除に均しいとして相当の反発が発生したと伝えられている。
現駅本屋は、平成11年(1999年)3月造営の第2代目。常永駅 駅
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常永駅
駅構内
旅客ホーム常永駅 駅
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國母(こくぼ)駅
該駅は、昭和3年(1928年)3月30日開業である。国母駅 駅
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国母-甲斐住吉間
國分川(こくぶかわ)橋梁
該橋は、昭和3年(1928年)3月30日開通の橋梁である。
上路鈑桁6.98m×4連
昭和3年(1928年)櫻田機械製造所。
が架橋された。
甲府市国母4-22
身延線南甲府駅 山梨交通自動車線甲府市地方卸売市場東口停留所降車 徒歩3分 -
国母-甲斐住吉間
荒川(あらかわ)橋梁
該橋は、昭和3年(1928年)3月30日開通の橋梁である。
上路鈑桁19.16m×4連
昭和2年(1927年)櫻田機械製造所。
が架橋された。
甲府市国母4-22
身延線南甲府駅 山梨交通自動車線甲府市地方卸売市場東口停留所降車 徒歩3分 -
甲斐住吉(かい すみよし)駅
該駅は、昭和6年(1931年)4月1日開業である。
該区間開業後、次々とていりゅうじょ設置が実現された事に刺激され、当時の西山梨郡住吉村は、該村内駅設置の機運が高まり、該村は該社に対し駅設置を要請し、該社は検討の結果、新駅開設に要する用地、及び、該駅設置造営物関係に関し、該村全額負担を条件とする事で合意し開業に至った。
該駅開業当時は 甲府住吉(こうふすみよし) と称したが、鐵道省借上時に現駅名に改称された。
該駅は、開業以来無人駅であり、該駅開業当時残存していた蒸気機関車牽引列車は該駅を通過した。甲斐住吉駅 駅
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甲斐住吉駅
駅構内
該駅は甲府市出入口に存在する為に通勤通学利用の乗降客が多い。甲斐住吉駅 駅
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甲斐住吉-南甲府間
南甲府駅
甲府方
俯瞰
甲府市住吉1-1-15
身延線南甲府駅 徒歩3分 -
南甲府(みなみ こうふ)駅
該駅は、昭和3年(1928年)3月30日開業である。
但し、該駅開業当時は 甲府南口(こうふ みなみくち) と称したが、鐵道省に依る政府借上時に現駅名に改称された。
該駅本屋は、該駅開業当時の鉄骨鉄筋コンクリート建築で、該駅2階には該社本社組織が入居した。
昭和62年(1987年)4月1日附で東海旅客鉄道成立後、該駅本屋建物は不使用窓部が次々とコンクリートで封鎖され、嘗ての東ドイツ東ベルリン壁側建物を想起させ実に見苦しい限りだったが、近年、封鎖窓部が再開口され、原形に近い容姿を取り戻した。
https://railway.jr-central.co.jp/station-guide/shizuoka/minami-kofu/index.html南甲府駅 駅
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南甲府駅
駅前ロータリー南甲府駅 駅
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南甲府駅
駅本屋
正面
テラコッタ造南甲府駅 駅
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南甲府駅
駅本屋
駅長事務室南甲府駅 駅
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南甲府駅
古軌上屋条支柱南甲府駅 駅
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南甲府駅
古軌条上屋支柱南甲府駅 駅
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南甲府駅
駅本屋
裏側南甲府駅 駅
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南甲府駅
駅本屋
裏側
表側より原形が残存する。南甲府駅 駅
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南甲府駅
出改札口
閑散としている。南甲府駅 駅
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南甲府駅
旧貨物取扱施設跡
該駅は該線東花輪駅と共に民営化後も日本貨物鉄道第2種鉄道事業として貨車取扱業務が残存し、該駅対鈴与商事、及び、山光石油各工場間引込専用線が複数存在したが、該駅貨物取扱業務は平成13年(2001年)3月31日を以て全部廃止され、一部貨物線は夜間電車滞留線として活用された以外、民間業者に譲渡されたが、該土地は葬儀会社が取得する事となり、現在では駅横に民間葬儀場が存在すると云う全国でも稀で奇異な光景を目にする。南甲府駅 駅
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南甲府駅
旧貨物取扱施設跡
該駅貨物業務取扱量は日本国有鉄道時代、該線内第1位を保持し、且つ、山梨県内所属駅で中央本線竜王駅に次いで第2位だった。南甲府駅 駅
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南甲府駅
旧貨物取扱施設跡南甲府駅 駅
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南甲府駅
旧貨物取扱施設跡
山光石油専用線跡南甲府駅 駅
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南甲府駅
旧貨物取扱施設跡
該地には貨物取扱業務専用ホームも存在したが、該駅貨物取扱業務縮小に依り昭和63年(1988年)に撤去された。
該地は、民営分割時に東海旅客鉄道所有地とならず日本国有鉄道清算事業団管理地となり、民間払下後、現在は地元民間葬儀社用地。南甲府駅 駅
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南甲府駅
遊亀川(ゆうきかわ)橋梁
元鈴与商事専用線跡
甲府市南口町22-11
身延線南甲府駅 徒歩5分 -
南甲府駅
遊亀川橋梁
元鈴与商事専用線跡
甲府市南口町22-11
身延線南甲府駅 徒歩5分 -
南甲府駅
遊亀川橋梁
元鈴与商事専用線跡
甲府市南口町22-11
身延線南甲府駅 徒歩5分 -
南甲府-善光寺間
南甲府駅
富士方
俯瞰
甲府市南口町22-11
身延線南甲府駅 徒歩5分 -
南甲府-善光寺間
第1板垣川(だいいち いたがきがわ)橋梁
該橋は、昭和3年(1928年)3月30日開通の橋梁である。
上路鈑桁6.98m×1連
昭和3年(1928年)櫻田機械製造所。
が架橋された。
架橋後、河川改修に依り該河川は廃川化し現在は架道橋。
甲府市
身延線善光寺駅 徒歩9分 -
南甲府-善光寺間
第1板垣川橋梁
銘板
櫻田機械製造所
昭和三年
元鈴与商事専用線跡
甲府市
身延線善光寺駅 徒歩9分 -
南甲府-善光寺間
善光寺(ぜんこうじ)架道橋
該橋は、昭和3年(1928年)3月30日開通の橋梁である。
上路鈑桁19.16m×1連
昭和3年(1928年)櫻田機械製造所。
甲府市城東町5-8-11
身延線善光寺駅 徒歩1分 -
善光寺(ぜんこうじ)駅
該駅は、昭和3年(1928年)3月30日開業である。
該駅は開業当時は停留場で無人駅だったが、鐵道省に依る政府借上時に有人化され、同時に手小荷物、及び、小口貨物扱が開始された。善光寺駅 駅
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善光寺駅
駅本屋跡
該駅は、昭和57年(1982年)2月26日附で再無人化され、その後、初代駅本屋は解体撤去された。
該駅は通常、通勤通学客主体利用の甲府市近郊所在駅だが、正月三箇日は甲斐善光寺初詣参拝客乗降で賑わいを見せる。
月数件、長野善光寺最寄駅と勘違客乗降が有る。善光寺駅 駅
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善光寺駅
旅客ホーム
富士方
俯瞰善光寺駅 駅
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善光寺駅
旅客ホーム
甲府方
俯瞰善光寺駅 駅
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善光寺駅
旅客ホーム
正月三箇日は該駅に特急ふじかわ号も臨時停車する。善光寺駅 駅
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善光寺-金手間
中央本線合流部 -
善光寺-金手間
請願寺(せいがんじ)踏切
警報器のみ社別機種。
甲府市城東1-1
身延線金手駅 徒歩3分 -
善光寺-金手間
架線柱は共通。
甲府市城東1-3
身延線金手駅 徒歩5秒 -
善光寺-金手間
金手(かねんて)踏切
東海旅客鉄道線側
遮断機警報器双方が会社間で異なる。
甲府市城東1-3
身延線金手駅 徒歩5秒 -
善光寺-金手間
金手踏切
東日本旅客鉄道線側
遮断機警報器双方が会社間で異なる。
甲府市東光寺1-3
身延線金手駅 徒歩10秒 -
金手(かねんて)駅
該駅は、昭和4年(1929年)8月15日開業である。
因みに、該駅所在地開設時は該線甲府駅1.1km地点に所在したにも拘らず西山梨郡里垣村で、該駅所在地の甲府市編入は昭和12年(1937年)8月1日附を以て甲府市東光寺町となったが、昭和初期に於ける該市域範囲狭隘に驚愕させられる。
昭和20年(1945年)7月6日未明の甲府大空襲に依り近隣地域と共に被災した事から、当時の甲府管理部は該駅に於いて暫く乗降が存在しないと判断され営業休止状態が継続した。
昭和28年(1953年)5月10日附で営業復活を果したが、営業規定上は貨物取扱業務を有するとしながら実際には手小荷物取扱業務に限定された。
該駅は、日本国有鉄道民営分割を直前にして、昭和62年(1987年)2月1日附で、従来の東京西鉄道管理局所属から静岡鉄道管理局所属に変更された。金手駅 駅
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金手駅
駅構内金手駅 駅
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金手-甲府間
東海東日本旅客鉄道線分界点
東海旅客鉄道線側
甲府市中央3-1
中央本線甲府駅南口 徒歩10分 -
金手-甲府間
東海東日本旅客鉄道線分界点
東東日本旅客鉄道線側
甲府市中央3-1
中央本線甲府駅南口 徒歩10分 -
金手-甲府間
駅構内
身延線用
旅客ホーム
該線用初代旅客ホームは写真左手に存在した。
甲府市丸の内1-4
中央本線甲府駅南口 徒歩8分 -
甲府(こうふ)駅
該駅は、明治36年(1903年)6月11日開業である。
初代駅本屋は、大正13年(1924年)3月19日に失火が原因で全焼したが、鐵道省名古屋鐵道局に依り第2代駅本屋が設置され、該駅本屋は、昭和20年(1945年)7月7日の甲府大空襲時も被災せず無事だった。
現駅本屋は、昭和60年(1985年)10月に かいじ国体開催に合せ改築された第3代目橋上駅舎である。
https://www.jreast.co.jp/estation/station/info.aspx?StationCd=671甲府駅 駅
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甲府駅
身延線用旅客ホーム
該駅構内身延線開通時に於ける旅客ホームは、現在地より富士駅方0.1km地点に設置された。
即ち、昭和3年(1928年)3月30日附で市川大門-甲府間開通時に、当時の鐵道省中央本線甲府駅旅客ホーム中心位置付近への乗入は認められず、辛うじて該駅構内隅に設置許可が下りた事から当該地点に該線旅客ホーム設置を余儀無くさせられた。
現在地への旅客ホーム移転は昭和44年(1969年)9月28日附だったが、現在でも、該駅改札口より該線列車乗車は時間を要する事甚だしい。
該線旅客ホームは駅長室側に存在するにも拘らず、1番2番と付番されず完全に継子扱。甲府駅 駅
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甲府駅
身延線用旅客ホーム甲府駅 駅
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甲府駅
身延線用旅客ホーム甲府駅 駅
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甲府駅
身延線用旅客ホーム甲府駅 駅
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甲府駅
身延線
末端部
該部分が該線完全終端部。甲府駅 駅
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甲府駅
中央本線下り旅客ホーム1番線
背後奥が身延線用旅客ホーム。甲府駅 駅
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねもさん 2020/12/18 15:20:21
- お久しぶりです
- 横浜臨海公園さん いつもご投票ありがとうございます。
何度も利用している身延線ですが、長い歴史があるのですね。
横浜臨海公園さんの関心とは離れるかもしれませんが、身延線は読みからは想像できない駅名が多くて面白いです。この区間だと「こいかわ」「こくぼ」「かねんて」でしょうか。極めつけは「はだかじま」!
- 横浜臨海公園さん からの返信 2021/01/12 09:44:46
- 拝復
- ねもさま、こんにちは。
遅くなりましたが、掲示板にコメントを賜りまして誠に有難うございました。
本来の予定では、今月10日11日に身延線富士-富士宮間探索を予定しておりましたが、非常事態宣言のおかげで、静岡県は当該指定地域からの訪問者を拒否する態度に呆れ、中止していしまいました。
何時になりか解りかねますが、本文は完成しておりますので何れの機会に訪れたいと思って居ります。
本年も亦何卒宜敷くお願い申します。
横浜臨海公園
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