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該区間は開通に鑑み複雑な経緯を有する。<br />即ち、<br /> 米原-長岡(現 近江長岡)-深谷間            明治22年(1889年) 7月 1日開業<br /> 長岡(現 近江長岡)-柏原-関ケ原Ⅱ間          明治32年(1899年)10月15日開業<br /> 長岡(現 近江長岡)-深谷-関ケ原Ⅰ間                       <br />      12月28日廃止<br />である。<br /><br /><br />該区間は、治16年(1883年)5月1日附で長濱Ⅰ-春照-関ケ原Ⅰ間開通に依り、途中、鉄道未開通区間に於ける 琵琶湖大津Ⅰ(現 濱大津)-長濱Ⅰ間は大湖汽船(現 琵琶湖汽船) 関ケ原Ⅰ-木曾川間は人力車を介し京濱間対京阪神間鉄道未開通区間に依る中継連絡が可能になり、更に明治22年(1889年)7月1日に、米原-長岡(現 近江長岡)-深谷間開通に鑑み鉄道に依る直通輸送こそ可能ならしめたが、然し該区間は主として北國脇往還(ほっこくわきおうかん)(現 国道365号線)沿に敷設された為に、当該区間は最大25/1000‰連続急勾配と共に該地域に於ける伊吹山(いぶきさん)標高1377mを頂点とし太平洋側気候、及び、日本海側気候接合点に位置する事から冬期間に於ける降雪量は尋常では無く豪雪地帯であると同時に吹溜常発生地帯として輸送障害区間化していた。<br /><br />明治22年(1889年)7月1日附開通区間は特に天候状態不良に指定された長濱Ⅰ-深谷間代替区間として緊急建設されたが、長岡(現 近江長岡)-深谷-関ケ原Ⅰ間は、滋賀岐阜両県境に存在する深山幽谷地帯であり、深谷-長濱Ⅰ-米原間より降雪量は少量なりとは言え伊吹山南麓鞍部たる標高230m地点通過の為に豪雪地帯には変わりは無く、日清(にっしん)戦争(明治27年(1894年)7月25日~明治28年(1895年)11月30日)勃発に伴ふ軍事輸送活発化と共に冬期間に於ける該降雪輸送障害頻発地帯の客貨大量滞留を要因として陸海軍部側をして所管官庁たる逓信省鐵道局に対し大規模改善要求させる事態へと発展した。<br /><br />此の為に改めて現地調査した処、新経路敷設が有利と結論し明治32年(1899年)10月15日に現行経路たる関ケ原-柏原-長岡(現 近江長岡)間が開通し、最大勾配も10/1000‰に改善され同時に関ケ原駅は現位置に移転した。<br />新線開通と同時に長岡(現 近江長岡)-深谷-関ケ原Ⅰ間は営業休止を経て12月28日附を以って廃止された。<br />新旧路線統結合の結果、地図上に於いて柏原-近江長岡-醒ヶ井間線路形態がΩ状を示すのは此の為である。<br /><br /><br />明治24年(1891年)10月28日に発生した濃尾(のうび)大地震に依る該区間内被害は軽微で復旧は震災発生翌々日30日である。<br /><br /><br />鐵道唱歌<br />第37番<br />山はうしろに立ち去りて<br />(やまは うしろに たちさりて)<br />前に来るは琵琶の海<br />(まえに きたるは びはのうみ)<br />ほとりに沿ひし米原は<br />(ほとりに そひし まいばらは)<br />北陸道の分岐点♪<br />(ほくりくどうの ぶんぎてん)<br />歌詞内に何気無く伊吹山と琵琶湖が盛り込まれている。<br /><br /><br />長岡(現 近江長岡)-米原間10.7Kmは単線で列車増発が不可能だった事から、該区間閉塞2分割も兼ね、明治33年(1900年)2月21日附で 醒ケ井(さめがい)驛が開設された。<br /><br /><br />該区間複線化 <br />関ケ原Ⅱ‐長岡(現 近江長岡)間     明治34年(1901年)12月28日<br />長岡(現 近江長岡)-米原間      明治35年(1902年)11月 1日<br /><br /><br />明治22年(1889年) 7月 1日開業附で 該線長岡(ながおか)驛開業当時後、山陽鐵道(現 山陽本線)に明治24年(1891年)3月18日附で同名驛が開設され該驛は明治39年(1906年)1月1日附を以って西大寺(さいだいじ)に改名されたが、更に明治28年(1894年)4月1日附で 日本鐵道(現 津北本線)長岡(ながおか)驛、明治31年(1898年)6月16日に北越鐵道(現 信越本線)長岡驛開業に依り、貨物小荷物類誤発着が大量発生し、且つ、後発ながら新潟縣所在長岡は該縣最大の城下町だった事から、該驛は先発たる存在ながら大正3年(1914年)12月1日附を以って 近江長岡(おうみながおか)驛に駅名改称された。<br /><br /><br />醒ケ井-米原間は6.1Kmを有し双信閉塞式では停車場間に1列車しか運転出来ず、列車増発を目的として停車場間2分割の為に大正8年(1919年)11月25日附で醒ヶ井-米原間に寺倉(てらくら)信号所が設置された。<br /><br />該区間は複線化と同時に双信閉塞区間だったが昭和2年(1927年)9月1日附で自動閉塞式導入に依り、國府津-御殿場-沼津間を除き該線全線自動信号化が達成され寺倉信号所は不要施設となり廃止された。<br /><br /><br />大東亜戦争中たる昭和17年(1942年)6月5日附で第1次米原駅構内拡張大改良工事が竣工したが、該改良工事の結果、従来の状態では名古屋鐵道局、大阪鐵道局分界地点が該駅構内に存在する事となり該不都合を回避する為に同日附を以って新分界点を該線神戸方2.5Km地点に移転した。<br /><br /><br />運輸通信省鐵道総局は全国各地に於ける空襲被害に依る機関車損耗を防止する為に主として蒸気機関車用防空壕体設置を決定し該命令に鑑み米原機関區は米原驛東京方0.9km地点に存在する岩脇山(いおぎやま)を活用地に決定し昭和20年(1945年)6月より掘削工事を開始した。<br />然るに、隧道掘削工事と称しながら電動工具類等々は一切存在せ、地元住民や國民学校児童に依る勤労奉仕が主体の人海戦術では掘削能力に限界が在り該工事15%程度進行状態で終戦となり該工事は未完ながら中止された。<br /><br /><br />D52型蒸気機関車は大東亜戦争末期に特甲線甲線に於いて1200t貨物牽引可能目的用途として設計製造された我が国最大貨物用蒸気機関車である。<br />全長21.105m 総重量136.89tを有し、昭和18年(1943年)に濱松工機部に於いて試作第1号機完成後、濱松工機部 鷹取工機部 川崎車輛 汽車會社製造 日本車輌本店 日立製作所水戸工場 三菱重工三原工場に於いて計285両が製造された。<br />戦時中に於いて大量生産を可能としたが該時期物資不足時代製造を反映し、排煙板、炭水車石炭覆等々に木材で代用し、良く言えば非合理的簡略化、在り大抵に言えば粗製濫造の傾向を有していた事は否定し得ない事実である。<br />該機関車本領最大出力発揮は戦争終結後の昭和23年(1948年)から開始された更新化工事に依りボイラー等々換装化工事完了以降だったが換装を要する不良ボイラー搭載車輌は計173両にのぼった。<br /><br />昭和20年(1945年)10月19日に、醒ヶ井駅構内に於いて蒸気機関車全盛期ですら空前絶後たる大事故が発生した。<br />即ち、米原発稲沢操車場行 上り貨物第972列車 D52209(米原機関區配置)(昭和20年(1945年)1月18日 川崎車輌製)蒸気機関車牽引46両編成は12時10分頃該駅通過中に突然当該蒸気機関車ボイラーが大音響と共に爆発し該ボイラーは破裂と同時に車体から分離し100m先の地蔵川付近に吹き飛ばされた。<br />唯一生存した機関士証言に拠り、該機関車運転中の機関士見習は該爆発事故発生直前に機関車本体に異常を感知したとして非常制動を動作させた為に、該列車は暴走する事無く該爆発事故発生地点より約100m進行し急停車した。<br />該事故に依り、機関士見習 機関助士見習即死、機関助士全身第3度重火傷に依り苦痛悶絶事故発生8日後死亡、機関士は爆風で車外に吹飛ばされ脳震盪軽傷。<br />事故原因は、大東亜戦争中に於ける熟練工員戦時軍兵役召集の為、該不足を補う為に代りに補充動員された旧制中学校生生徒 旧制女学校生徒達の未熟素人集団の電気溶接不良に依る火室天井板破裂と断定された。<br /><br />同例事故として、<br />Ⅰ)同年8月11日7時15分頃、山陽本線萬富駅構内に於いて、下関発東京行上り第1種急行第2列車 D5282(姫路第1機関區配置)(昭和19年(1944年)7月 川崎車輌製)蒸気機関車牽引9両編成は該列車該駅94分遅延状態で通過中、突然、該機関車火室部が大音響と共に爆発し、該機関車は炭水車 動輪車輪台枠上部煙室を残し全体が吹飛ばされ該爆発事故発生地点より約400m進行し急停車した。<br />同月6日 廣島市内原子爆弾関係 復旧<br />廣島驛構内線路上支障物撤去    当日23時40分<br />横川驛構内線路上支障物撤去        7日11時00分<br />   廣島-横川間猿猴川橋梁上 下り貨物第377列車貨車脱線転覆復旧<br />  下り線  8日15時00分<br />  上り線  8日16時05分<br />更に、同月8日未明 福山大空襲 復旧<br />   大門-福山間<br />  下り線  9日 7時10分<br />  上り線  9日11時00分<br />此の為に該線廣島鐵道局管内上下線列車に相当の大遅延が発生し、本来であれば当該列車牽引蒸気機関車は旅客用C59型、若しくはC53型であるべき処、運用変更が原因で貨物用D52型が充当されていた。<br />該爆発事故に依り、該列車東京方客車2両脱線大破 2両中破 職員1名即死 <br /> 旅客6名以上職員4名重傷 軽傷者相当数。<br />該事故原因は、該機関車内火室燃焼室電気溶接剥離と断定された。<br /><br />Ⅱ)同年12月10日3時21分頃、山陽本線吉永-三石間走行中の上り貨物第390列車 D52371(梅小路機関區配置)(昭和20年(1945年)4月27日 汽車會社製造製)蒸気機関車牽引53両編成は該区間10/1000‰登り勾配走行中、突然、焚炭口より高圧熱汽水が噴出し、該機関車乗務員3名は機関車外に吹飛ばされた事から該機関車機関室は無人状態となり更に該列車は登り勾配上で自然停止し後退を開始したが意識朦朧状態から意識回復した機関士は爆風に依り右腕を付根から吹飛ばされ左片腕状態だったにも拘らず該機関車に乗込み前部制動連結ホースを解放させ該列車は停止した。<br />該事故原因は、該機関車ステー部電気溶接剥離と断定。<br /><br /><br />比叡山(ひえいさん)は、標高848.3mの大坂岳を頂点とした山脈である。<br />昭和27年(1952年)9月1日時刻改正より名古屋-大阪-神戸間運転の準急列車運転開始時に対し 比叡(ひえい)、昭和34年(1959年)9月22日時刻改正より運転開始された該区間2時間25分運転全車指定席列車は 伊吹(いぶき) と命名されたが何れも滋賀県南北を代表する山岳名から採用された。<br />特に、電車準急 伊吹 は名古屋-大阪間途中停車駅は尾張一宮 岐阜 大津 京都に限定し2時間35分で運転されたが平均時速は80.0kmと、昭和43年(1968年)10月1日附時刻改正で登場した仙台-青森間運転の電車急行 くりこま号の時速81.6kmに肉薄し、更に準急でありながら東京-大阪間運転の153系急行用電車編成を間合使用しビュッフェも営業していた。<br /><br /><br />該区間は、昭和30年(1955年)7月20日附で直流1500V電化されたが、関ケ原-柏原間に存在する 今須(います)隧道302mは竣工時より複線型構造で構築され使用されていたが、直流1500V電化に際し複線構造での架線吊張空間に余裕無く現状活用では建築限界支障と判定され該状態での電化施工困難と判断された事から、新たに新今須(しんいます)隧道534mが構築され、新隧道完成後は上り線を新隧道に移転後、既成隧道内部を複線から単線仕様に変工し該工事完成後は下り線専用とした。<br /><br /><br />日本国有鉄道は昭和62年(1987年)3月1日附を以って名古屋鉄道管理局 大阪鉄道管理局分界点を従来の米原-彦根間から醒ヶ井-米原間に変更し、此の為に米原駅は在来線構内に限定し名古屋鉄道管理局管轄から大阪鉄道管理局管轄に変更され、該新分界点が4月1日の民営分割時に東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道社分界点となった。<br /><br /><br />現在でも垂井-関ケ原-米原間は冬期降雪量は尋常では無く、此の為に、昭和40年代まで大垣、及び、米原にラッセル車が配置されていた。<br /><br />因みに、1日24時間に於ける積雪量世界一は他ならぬ此の伊吹山山頂で、昭和2年(1927年)2月10日に観測記録した1182cmとされる。<br />因みに、我が国平野部に於ける最大積雪量は昭和21年(1946年)1月17日に新潟県中頸城郡関山村(現 妙高市関山町)に於いて観測された210cmであり、要するに伊吹山山麓周辺降雪量は我が国有数で、且つ尋常では無い特異地域である。<br /><br /><br /><br /><br /><br />表紙写真は、<br />今須隧道神戸方坑門<br /><br /><br /><br /><br />東海道本線歴史的痕跡探訪記<br />~東京-濱松町間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10701644<br />~東京驛編~<br /><br />~汐留-濱松町-品川間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10797199<br />~品川-川崎間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10502858<br />~川崎-横濱間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10711843<br />~横濱駅移設変転史編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10316826<br />~横濱-大船間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/10713813<br />~大船-平塚間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/10714472<br />~平塚-國府津間編 明治頌歌~<br />https://4travel.jp/travelogue/10715768<br />~國府津-根府川間編~<br />http://4travel.jp/travelogue/10298330<br />~根府川-熱海間編~<br />http://4travel.jp/travelogue/10310352<br />~丹那隧道完成秘話 丹那隧道碑文から読み取れし或る歴史的事実~<br />http://4travel.jp/travelogue/10291350<br />~丹那隧道完成秘話 三島口建設工事鉄道線探訪記~<br />http://4travel.jp/travelogue/10575630<br />~熱海-沼津間編~<br /><br />~沼津駅驛編~<br />http://4travel.jp/travelogue/10294787<br />~沼津港線編~<br />http://4travel.jp/travelogue/10621891<br />~沼津-富士間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10623829<br />~富士-興津間編 明治頌歌~<br />http://4travel.jp/travelogue/10625542<br />~興津-静岡間編 明治頌歌~<br 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東海道本線歴史的痕跡探訪記 ~関ケ原-米原間編 明治頌歌~

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2020/03/22 - 2020/03/22

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横浜臨海公園

横浜臨海公園さん

該区間は開通に鑑み複雑な経緯を有する。
即ち、
 米原-長岡(現 近江長岡)-深谷間     明治22年(1889年) 7月 1日開業
 長岡(現 近江長岡)-柏原-関ケ原Ⅱ間  明治32年(1899年)10月15日開業
 長岡(現 近江長岡)-深谷-関ケ原Ⅰ間                
12月28日廃止
である。


該区間は、治16年(1883年)5月1日附で長濱Ⅰ-春照-関ケ原Ⅰ間開通に依り、途中、鉄道未開通区間に於ける 琵琶湖大津Ⅰ(現 濱大津)-長濱Ⅰ間は大湖汽船(現 琵琶湖汽船) 関ケ原Ⅰ-木曾川間は人力車を介し京濱間対京阪神間鉄道未開通区間に依る中継連絡が可能になり、更に明治22年(1889年)7月1日に、米原-長岡(現 近江長岡)-深谷間開通に鑑み鉄道に依る直通輸送こそ可能ならしめたが、然し該区間は主として北國脇往還(ほっこくわきおうかん)(現 国道365号線)沿に敷設された為に、当該区間は最大25/1000‰連続急勾配と共に該地域に於ける伊吹山(いぶきさん)標高1377mを頂点とし太平洋側気候、及び、日本海側気候接合点に位置する事から冬期間に於ける降雪量は尋常では無く豪雪地帯であると同時に吹溜常発生地帯として輸送障害区間化していた。

明治22年(1889年)7月1日附開通区間は特に天候状態不良に指定された長濱Ⅰ-深谷間代替区間として緊急建設されたが、長岡(現 近江長岡)-深谷-関ケ原Ⅰ間は、滋賀岐阜両県境に存在する深山幽谷地帯であり、深谷-長濱Ⅰ-米原間より降雪量は少量なりとは言え伊吹山南麓鞍部たる標高230m地点通過の為に豪雪地帯には変わりは無く、日清(にっしん)戦争(明治27年(1894年)7月25日~明治28年(1895年)11月30日)勃発に伴ふ軍事輸送活発化と共に冬期間に於ける該降雪輸送障害頻発地帯の客貨大量滞留を要因として陸海軍部側をして所管官庁たる逓信省鐵道局に対し大規模改善要求させる事態へと発展した。

此の為に改めて現地調査した処、新経路敷設が有利と結論し明治32年(1899年)10月15日に現行経路たる関ケ原-柏原-長岡(現 近江長岡)間が開通し、最大勾配も10/1000‰に改善され同時に関ケ原駅は現位置に移転した。
新線開通と同時に長岡(現 近江長岡)-深谷-関ケ原Ⅰ間は営業休止を経て12月28日附を以って廃止された。
新旧路線統結合の結果、地図上に於いて柏原-近江長岡-醒ヶ井間線路形態がΩ状を示すのは此の為である。


明治24年(1891年)10月28日に発生した濃尾(のうび)大地震に依る該区間内被害は軽微で復旧は震災発生翌々日30日である。


鐵道唱歌
第37番
山はうしろに立ち去りて
(やまは うしろに たちさりて)
前に来るは琵琶の海
(まえに きたるは びはのうみ)
ほとりに沿ひし米原は
(ほとりに そひし まいばらは)
北陸道の分岐点♪
(ほくりくどうの ぶんぎてん)
歌詞内に何気無く伊吹山と琵琶湖が盛り込まれている。


長岡(現 近江長岡)-米原間10.7Kmは単線で列車増発が不可能だった事から、該区間閉塞2分割も兼ね、明治33年(1900年)2月21日附で 醒ケ井(さめがい)驛が開設された。


該区間複線化
関ケ原Ⅱ‐長岡(現 近江長岡)間   明治34年(1901年)12月28日
長岡(現 近江長岡)-米原間     明治35年(1902年)11月 1日


明治22年(1889年) 7月 1日開業附で 該線長岡(ながおか)驛開業当時後、山陽鐵道(現 山陽本線)に明治24年(1891年)3月18日附で同名驛が開設され該驛は明治39年(1906年)1月1日附を以って西大寺(さいだいじ)に改名されたが、更に明治28年(1894年)4月1日附で 日本鐵道(現 津北本線)長岡(ながおか)驛、明治31年(1898年)6月16日に北越鐵道(現 信越本線)長岡驛開業に依り、貨物小荷物類誤発着が大量発生し、且つ、後発ながら新潟縣所在長岡は該縣最大の城下町だった事から、該驛は先発たる存在ながら大正3年(1914年)12月1日附を以って 近江長岡(おうみながおか)驛に駅名改称された。


醒ケ井-米原間は6.1Kmを有し双信閉塞式では停車場間に1列車しか運転出来ず、列車増発を目的として停車場間2分割の為に大正8年(1919年)11月25日附で醒ヶ井-米原間に寺倉(てらくら)信号所が設置された。

該区間は複線化と同時に双信閉塞区間だったが昭和2年(1927年)9月1日附で自動閉塞式導入に依り、國府津-御殿場-沼津間を除き該線全線自動信号化が達成され寺倉信号所は不要施設となり廃止された。


大東亜戦争中たる昭和17年(1942年)6月5日附で第1次米原駅構内拡張大改良工事が竣工したが、該改良工事の結果、従来の状態では名古屋鐵道局、大阪鐵道局分界地点が該駅構内に存在する事となり該不都合を回避する為に同日附を以って新分界点を該線神戸方2.5Km地点に移転した。


運輸通信省鐵道総局は全国各地に於ける空襲被害に依る機関車損耗を防止する為に主として蒸気機関車用防空壕体設置を決定し該命令に鑑み米原機関區は米原驛東京方0.9km地点に存在する岩脇山(いおぎやま)を活用地に決定し昭和20年(1945年)6月より掘削工事を開始した。
然るに、隧道掘削工事と称しながら電動工具類等々は一切存在せ、地元住民や國民学校児童に依る勤労奉仕が主体の人海戦術では掘削能力に限界が在り該工事15%程度進行状態で終戦となり該工事は未完ながら中止された。


D52型蒸気機関車は大東亜戦争末期に特甲線甲線に於いて1200t貨物牽引可能目的用途として設計製造された我が国最大貨物用蒸気機関車である。
全長21.105m 総重量136.89tを有し、昭和18年(1943年)に濱松工機部に於いて試作第1号機完成後、濱松工機部 鷹取工機部 川崎車輛 汽車會社製造 日本車輌本店 日立製作所水戸工場 三菱重工三原工場に於いて計285両が製造された。
戦時中に於いて大量生産を可能としたが該時期物資不足時代製造を反映し、排煙板、炭水車石炭覆等々に木材で代用し、良く言えば非合理的簡略化、在り大抵に言えば粗製濫造の傾向を有していた事は否定し得ない事実である。
該機関車本領最大出力発揮は戦争終結後の昭和23年(1948年)から開始された更新化工事に依りボイラー等々換装化工事完了以降だったが換装を要する不良ボイラー搭載車輌は計173両にのぼった。

昭和20年(1945年)10月19日に、醒ヶ井駅構内に於いて蒸気機関車全盛期ですら空前絶後たる大事故が発生した。
即ち、米原発稲沢操車場行 上り貨物第972列車 D52209(米原機関區配置)(昭和20年(1945年)1月18日 川崎車輌製)蒸気機関車牽引46両編成は12時10分頃該駅通過中に突然当該蒸気機関車ボイラーが大音響と共に爆発し該ボイラーは破裂と同時に車体から分離し100m先の地蔵川付近に吹き飛ばされた。
唯一生存した機関士証言に拠り、該機関車運転中の機関士見習は該爆発事故発生直前に機関車本体に異常を感知したとして非常制動を動作させた為に、該列車は暴走する事無く該爆発事故発生地点より約100m進行し急停車した。
該事故に依り、機関士見習 機関助士見習即死、機関助士全身第3度重火傷に依り苦痛悶絶事故発生8日後死亡、機関士は爆風で車外に吹飛ばされ脳震盪軽傷。
事故原因は、大東亜戦争中に於ける熟練工員戦時軍兵役召集の為、該不足を補う為に代りに補充動員された旧制中学校生生徒 旧制女学校生徒達の未熟素人集団の電気溶接不良に依る火室天井板破裂と断定された。

同例事故として、
Ⅰ)同年8月11日7時15分頃、山陽本線萬富駅構内に於いて、下関発東京行上り第1種急行第2列車 D5282(姫路第1機関區配置)(昭和19年(1944年)7月 川崎車輌製)蒸気機関車牽引9両編成は該列車該駅94分遅延状態で通過中、突然、該機関車火室部が大音響と共に爆発し、該機関車は炭水車 動輪車輪台枠上部煙室を残し全体が吹飛ばされ該爆発事故発生地点より約400m進行し急停車した。
同月6日 廣島市内原子爆弾関係 復旧
廣島驛構内線路上支障物撤去    当日23時40分
横川驛構内線路上支障物撤去     7日11時00分
  廣島-横川間猿猴川橋梁上 下り貨物第377列車貨車脱線転覆復旧
  下り線  8日15時00分
  上り線  8日16時05分
更に、同月8日未明 福山大空襲 復旧
  大門-福山間
  下り線  9日 7時10分
  上り線  9日11時00分
此の為に該線廣島鐵道局管内上下線列車に相当の大遅延が発生し、本来であれば当該列車牽引蒸気機関車は旅客用C59型、若しくはC53型であるべき処、運用変更が原因で貨物用D52型が充当されていた。
該爆発事故に依り、該列車東京方客車2両脱線大破 2両中破 職員1名即死
旅客6名以上職員4名重傷 軽傷者相当数。
該事故原因は、該機関車内火室燃焼室電気溶接剥離と断定された。

Ⅱ)同年12月10日3時21分頃、山陽本線吉永-三石間走行中の上り貨物第390列車 D52371(梅小路機関區配置)(昭和20年(1945年)4月27日 汽車會社製造製)蒸気機関車牽引53両編成は該区間10/1000‰登り勾配走行中、突然、焚炭口より高圧熱汽水が噴出し、該機関車乗務員3名は機関車外に吹飛ばされた事から該機関車機関室は無人状態となり更に該列車は登り勾配上で自然停止し後退を開始したが意識朦朧状態から意識回復した機関士は爆風に依り右腕を付根から吹飛ばされ左片腕状態だったにも拘らず該機関車に乗込み前部制動連結ホースを解放させ該列車は停止した。
該事故原因は、該機関車ステー部電気溶接剥離と断定。


比叡山(ひえいさん)は、標高848.3mの大坂岳を頂点とした山脈である。
昭和27年(1952年)9月1日時刻改正より名古屋-大阪-神戸間運転の準急列車運転開始時に対し 比叡(ひえい)、昭和34年(1959年)9月22日時刻改正より運転開始された該区間2時間25分運転全車指定席列車は 伊吹(いぶき) と命名されたが何れも滋賀県南北を代表する山岳名から採用された。
特に、電車準急 伊吹 は名古屋-大阪間途中停車駅は尾張一宮 岐阜 大津 京都に限定し2時間35分で運転されたが平均時速は80.0kmと、昭和43年(1968年)10月1日附時刻改正で登場した仙台-青森間運転の電車急行 くりこま号の時速81.6kmに肉薄し、更に準急でありながら東京-大阪間運転の153系急行用電車編成を間合使用しビュッフェも営業していた。


該区間は、昭和30年(1955年)7月20日附で直流1500V電化されたが、関ケ原-柏原間に存在する 今須(います)隧道302mは竣工時より複線型構造で構築され使用されていたが、直流1500V電化に際し複線構造での架線吊張空間に余裕無く現状活用では建築限界支障と判定され該状態での電化施工困難と判断された事から、新たに新今須(しんいます)隧道534mが構築され、新隧道完成後は上り線を新隧道に移転後、既成隧道内部を複線から単線仕様に変工し該工事完成後は下り線専用とした。


日本国有鉄道は昭和62年(1987年)3月1日附を以って名古屋鉄道管理局 大阪鉄道管理局分界点を従来の米原-彦根間から醒ヶ井-米原間に変更し、此の為に米原駅は在来線構内に限定し名古屋鉄道管理局管轄から大阪鉄道管理局管轄に変更され、該新分界点が4月1日の民営分割時に東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道社分界点となった。


現在でも垂井-関ケ原-米原間は冬期降雪量は尋常では無く、此の為に、昭和40年代まで大垣、及び、米原にラッセル車が配置されていた。

因みに、1日24時間に於ける積雪量世界一は他ならぬ此の伊吹山山頂で、昭和2年(1927年)2月10日に観測記録した1182cmとされる。
因みに、我が国平野部に於ける最大積雪量は昭和21年(1946年)1月17日に新潟県中頸城郡関山村(現 妙高市関山町)に於いて観測された210cmであり、要するに伊吹山山麓周辺降雪量は我が国有数で、且つ尋常では無い特異地域である。





表紙写真は、
今須隧道神戸方坑門




東海道本線歴史的痕跡探訪記
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~灘-神戸間編 大正浪漫~
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旅行の満足度
5.0
観光
4.5
グルメ
5.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
利用旅行会社
エアーワールド
  • 関ヶ原(せきがはら)駅<br /><br /><br />該駅は、明治16年(1883年)5月1日開業である。<br />即ち、長濱-関ヶ原間開通に伴い設置されたが、初代駅位置は、現在とは異なり、現在の関ヶ原町役場庁舎付近に設置された。<br />明治22年(1889年)7月1日に深谷-長岡(現 近江長岡)間が開通したが、該区間は伊吹山(いぶきさん)標高1377m南側麓、及び、岩倉山鞍部間を標高230mで通過する事から、該地は太平洋側気候 対 日本海側気候合流点に位置する事から、冬季ともなると雪害、雪溜が集中する為に列車運行上に於いて障害多発区間と化してしまい、此の為に路線変更が決定し、明治32年(1899年)10月15日に現在の柏原経由線開通時に該駅は現位置に移転した。<br />現第3代駅本屋は、新垂井線開通に伴う該駅構内改修に伴い、昭和19年(1944年)10月に改築当時の第3代建築。<br />

    関ヶ原(せきがはら)駅


    該駅は、明治16年(1883年)5月1日開業である。
    即ち、長濱-関ヶ原間開通に伴い設置されたが、初代駅位置は、現在とは異なり、現在の関ヶ原町役場庁舎付近に設置された。
    明治22年(1889年)7月1日に深谷-長岡(現 近江長岡)間が開通したが、該区間は伊吹山(いぶきさん)標高1377m南側麓、及び、岩倉山鞍部間を標高230mで通過する事から、該地は太平洋側気候 対 日本海側気候合流点に位置する事から、冬季ともなると雪害、雪溜が集中する為に列車運行上に於いて障害多発区間と化してしまい、此の為に路線変更が決定し、明治32年(1899年)10月15日に現在の柏原経由線開通時に該駅は現位置に移転した。
    現第3代駅本屋は、新垂井線開通に伴う該駅構内改修に伴い、昭和19年(1944年)10月に改築当時の第3代建築。

    関ケ原駅

  • 関ヶ原-柏原間<br /><br /><br /><br />今須(います)隧道<br />全長302m<br />該隧道は、明治32年(1899年)10月15日開通である。

    関ヶ原-柏原間



    今須(います)隧道
    全長302m
    該隧道は、明治32年(1899年)10月15日開通である。

  • 関ケ原-柏原間<br /><br /><br /><br />今須隧道<br />神戸方<br />坑門<br />接写<br />該隧道は複線用坑径で建築されたが、建設当時は将来に於ける電化を想定すらされておらず、大東亜戦争後、電化が現実問題となり上り線側に新隧道を設置し、既成隧道は線路を単線中央敷化して存続。

    関ケ原-柏原間



    今須隧道
    神戸方
    坑門
    接写
    該隧道は複線用坑径で建築されたが、建設当時は将来に於ける電化を想定すらされておらず、大東亜戦争後、電化が現実問題となり上り線側に新隧道を設置し、既成隧道は線路を単線中央敷化して存続。

  • 関ヶ原-柏原間<br /><br /><br /><br />新今須(しんいます)隧道<br />全長534m<br />該隧道は、昭和30年(1955年)5月6日切替開通。<br />上り線専用。<br />神戸方<br />坑門

    関ヶ原-柏原間



    新今須(しんいます)隧道
    全長534m
    該隧道は、昭和30年(1955年)5月6日切替開通。
    上り線専用。
    神戸方
    坑門

  • 関ケ原-柏原間<br /><br /><br /><br />青坂(あおさか)隧道<br />全長34.0m<br />該隧道は、昭和30年(1955年)5月6日開通。<br />上り線専用。<br />東京方<br />坑門

    関ケ原-柏原間



    青坂(あおさか)隧道
    全長34.0m
    該隧道は、昭和30年(1955年)5月6日開通。
    上り線専用。
    東京方
    坑門

  • 関ケ原-柏原間<br /><br /><br /><br />妙応寺(みょうおうじ)架道橋

    関ケ原-柏原間



    妙応寺(みょうおうじ)架道橋

  • 関ケ原-柏原間<br /><br /><br /><br />一丁橋(いっちょうばし)拱橋

    関ケ原-柏原間



    一丁橋(いっちょうばし)拱橋

  • 柏原(かしわばら)駅<br /><br /><br /><br />該駅は、明治33年(1900年)2月21日開業である。<br />関ヶ原-米原間は、3次に亙る路線変更を経て現路線に落着いた経緯を有する。<br />該駅は、旧中仙道柏原宿中心付近に開設されたが、該宿は元来少規模宿場で、該村居住者に於ける鉄道利用は大正期まで殆ど無く近隣地移動は徒歩移動だった。<br />該駅に於ける貨物取扱業務は少数の米出荷に留まった事から、貨物取扱量僅少を理由に昭和35年(1960年)9月15日附で廃止された。

    柏原(かしわばら)駅



    該駅は、明治33年(1900年)2月21日開業である。
    関ヶ原-米原間は、3次に亙る路線変更を経て現路線に落着いた経緯を有する。
    該駅は、旧中仙道柏原宿中心付近に開設されたが、該宿は元来少規模宿場で、該村居住者に於ける鉄道利用は大正期まで殆ど無く近隣地移動は徒歩移動だった。
    該駅に於ける貨物取扱業務は少数の米出荷に留まった事から、貨物取扱量僅少を理由に昭和35年(1960年)9月15日附で廃止された。

    柏原駅

  • 柏原駅<br /><br /><br /><br />出改札口<br />簡易委託駅

    柏原駅



    出改札口
    簡易委託駅

    柏原駅

  • 柏原駅<br /><br /><br /><br />駅構内

    柏原駅



    駅構内

    柏原駅

  • 柏原駅<br /><br /><br /><br />駅構内<br />旅客第1番線

    柏原駅



    駅構内
    旅客第1番線

    柏原駅

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />柏原駅<br />神戸方

    柏原-近江長岡間



    柏原駅
    神戸方

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />甲坂ノ尻(こうさかのしり)拱橋<br />下り線側

    柏原-近江長岡間



    甲坂ノ尻(こうさかのしり)拱橋
    下り線側

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />甲坂ノ尻拱橋<br />内部<br />煉瓦は英國積

    柏原-近江長岡間



    甲坂ノ尻拱橋
    内部
    煉瓦は英國積

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />甲坂ノ尻拱橋<br />上り線側

    柏原-近江長岡間



    甲坂ノ尻拱橋
    上り線側

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />乙坂ノ尻(おつざかのしり)拱橋

    柏原-近江長岡間



    乙坂ノ尻(おつざかのしり)拱橋

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />乙坂ノ尻拱橋<br />接写

    柏原-近江長岡間



    乙坂ノ尻拱橋
    接写

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />前淵(まえぶち)拱橋<br />

    柏原-近江長岡間



    前淵(まえぶち)拱橋

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />前淵拱橋<br />接写

    柏原-近江長岡間



    前淵拱橋
    接写

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />背後は伊吹山

    柏原-近江長岡間



    背後は伊吹山

  • 柏原-近江長岡間<br /><br /><br /><br />甲向田(こうむかいだ)拱橋

    柏原-近江長岡間



    甲向田(こうむかいだ)拱橋

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />東京方<br />俯瞰<br />背後は 伊吹山

    近江長岡駅



    東京方
    俯瞰
    背後は 伊吹山

    近江長岡駅

  • 近江長岡(おうみ ながおか)駅<br /><br /><br /><br />該駅は、明治22年(1889年)7月1日開業である。<br />但し、該駅開業当時は長岡(ながおか)と称した。<br />該駅は、長岡(現 近江長岡)-深谷間開通時に設置された。<br />開業当初は同名ながら信越本線に長岡駅が存在し、且つ、同名ながら信越本線側は旧城下町所在だったのに対し、該駅は旧中仙道宿場町所在に過ぎぬ小駅だった事から混乱忌避の為に、大正3年(1914年)12月1日附で旧国名を冠し現駅名に改称された。<br />初代駅本屋は上り線旅客ホーム側に接していたが、豪雪地に所在する事から老朽化が著しく、該駅構内大改良計画に依り上り通過線が新設され、昭和36年(1961年)10月に現第2代駅本屋に改築された。

    近江長岡(おうみ ながおか)駅



    該駅は、明治22年(1889年)7月1日開業である。
    但し、該駅開業当時は長岡(ながおか)と称した。
    該駅は、長岡(現 近江長岡)-深谷間開通時に設置された。
    開業当初は同名ながら信越本線に長岡駅が存在し、且つ、同名ながら信越本線側は旧城下町所在だったのに対し、該駅は旧中仙道宿場町所在に過ぎぬ小駅だった事から混乱忌避の為に、大正3年(1914年)12月1日附で旧国名を冠し現駅名に改称された。
    初代駅本屋は上り線旅客ホーム側に接していたが、豪雪地に所在する事から老朽化が著しく、該駅構内大改良計画に依り上り通過線が新設され、昭和36年(1961年)10月に現第2代駅本屋に改築された。

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />出改札口兼待合室

    近江長岡駅



    出改札口兼待合室

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />第1番旅客ホーム<br />連絡階段<br />昭和36年(1962年)設置。

    近江長岡駅



    第1番旅客ホーム
    連絡階段
    昭和36年(1962年)設置。

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />ホーム上屋は昭和36年(1961年)10月竣工。

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    ホーム上屋は昭和36年(1961年)10月竣工。

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />元信号取扱所

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    元信号取扱所

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />第1番旅客ホーム<br />元信号取扱所<br />該駅、昭和36年(1961年)大改良工事以前の建造物。

    近江長岡駅



    第1番旅客ホーム
    元信号取扱所
    該駅、昭和36年(1961年)大改良工事以前の建造物。

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />待合室

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    待合室

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />駅構内<br />遠景は伊吹山。

    近江長岡駅



    駅構内
    遠景は伊吹山。

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />東京方

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    東京方

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第2番ホーム

    近江長岡駅



    旅客第2番ホーム

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />古軌条上屋支柱群

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    古軌条上屋支柱群

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />古軌条上屋支柱<br />1-2C<br />No 1909 60A Ⅲ<br />(官営 八幡製鉄所製 1909年(明治42年)3月製造)

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    古軌条上屋支柱
    1-2C
    No 1909 60A Ⅲ
    (官営 八幡製鉄所製 1909年(明治42年)3月製造)

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />古軌条上屋支柱<br />1-5C<br />No 1908 60A Ⅵ<br />(官営 八幡製鉄所製 1908年(明治41年)6月製造)

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    古軌条上屋支柱
    1-5C
    No 1908 60A Ⅵ
    (官営 八幡製鉄所製 1908年(明治41年)6月製造)

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />古軌条上屋支柱<br />1-7A<br />No 1910 60 Ⅳ<br />(官営 八幡製鉄所製 1910年(明治43年)4月製造)

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    古軌条上屋支柱
    1-7A
    No 1910 60 Ⅳ
    (官営 八幡製鉄所製 1910年(明治43年)4月製造)

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />東京方

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    東京方

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第1番ホーム<br />東京方<br />側壁

    近江長岡駅



    旅客第1番ホーム
    東京方
    側壁

    近江長岡駅

  • 近江長岡駅<br /><br /><br /><br />旅客第2番ホーム

    近江長岡駅



    旅客第2番ホーム

    近江長岡駅

  • 近江長岡-醒ヶ井間<br /><br /><br /><br />半ノ尻(はんのしり)拱橋<br />1.82m<br />昭和36年(1961年)に施工された近江長岡駅拡張工事で両脇大部分がコンクリートで埋没。

    近江長岡-醒ヶ井間



    半ノ尻(はんのしり)拱橋
    1.82m
    昭和36年(1961年)に施工された近江長岡駅拡張工事で両脇大部分がコンクリートで埋没。

  • 近江長岡-醒ヶ井間<br /><br /><br /><br /><br />半ノ澤拱橋<br />接写

    近江長岡-醒ヶ井間




    半ノ澤拱橋
    接写

  • 近江長岡-醒ヶ井間<br /><br /><br /><br />甲花ノ谷(こうはなのたに)拱橋<br />1.82m<br />

    近江長岡-醒ヶ井間



    甲花ノ谷(こうはなのたに)拱橋
    1.82m

  • 近江長岡-醒ヶ井間<br /><br /><br /><br />甲花ノ谷拱橋<br />接写

    近江長岡-醒ヶ井間



    甲花ノ谷拱橋
    接写

  • 近江長岡-醒ヶ井間<br /><br /><br /><br />乙花ノ谷(おつはなのたに)拱橋<br />1.82m

    近江長岡-醒ヶ井間



    乙花ノ谷(おつはなのたに)拱橋
    1.82m

  • 近江長岡-醒ヶ井間<br /><br /><br /><br />乙花ノ谷拱橋<br />接写

    近江長岡-醒ヶ井間



    乙花ノ谷拱橋
    接写

  • 近江長岡-醒ヶ井間<br /><br /><br /><br />梓川(あずさがわ)橋梁

    近江長岡-醒ヶ井間



    梓川(あずさがわ)橋梁

  • 近江長岡-醒ヶ井間<br /><br /><br /><br />該区間電化時の鋼鉄製架線柱

    近江長岡-醒ヶ井間



    該区間電化時の鋼鉄製架線柱

  • 醒ケ井(さめがい)駅<br /><br /><br /><br />該駅は、明治33年(1900年)2月21日開業である。<br />該区間たる長岡(現 近江長岡)-米原間は10.7km在り単線時代は列車遅延に依る待避を要する事から、関ケ原-柏原-長岡(現 近江長岡)間11.4km開通時に該駅が設置された。<br />初代駅本屋は老朽化が深刻な状態となり、昭和33年(1958年)12月に現第2代駅本屋竣工。<br />因みに、該駅所在地名は駅名表記と異なり醒井である。

    醒ケ井(さめがい)駅



    該駅は、明治33年(1900年)2月21日開業である。
    該区間たる長岡(現 近江長岡)-米原間は10.7km在り単線時代は列車遅延に依る待避を要する事から、関ケ原-柏原-長岡(現 近江長岡)間11.4km開通時に該駅が設置された。
    初代駅本屋は老朽化が深刻な状態となり、昭和33年(1958年)12月に現第2代駅本屋竣工。
    因みに、該駅所在地名は駅名表記と異なり醒井である。

    醒ケ井駅

  • 醒ヶ井駅<br /><br /><br /><br />駅本屋<br />全景

    醒ヶ井駅



    駅本屋
    全景

    醒ケ井駅

  • 醒ヶ井駅<br /><br /><br /><br />出改札口<br />簡易委託駅

    醒ヶ井駅



    出改札口
    簡易委託駅

    醒ケ井駅

  • 醒ヶ井駅<br /><br /><br /><br />旧1番線旅客ホーム<br />合理化に依り使用停止。

    醒ヶ井駅



    旧1番線旅客ホーム
    合理化に依り使用停止。

    醒ケ井駅

  • 醒ヶ井駅<br /><br /><br /><br />第2番旅客ホーム

    醒ヶ井駅



    第2番旅客ホーム

    醒ケ井駅

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />丹生川(にゅうがわ)橋梁<br />該橋梁は、明治22年(1889年)7月1日開通である。<br />全長55.30m<br />12.90m × 4連

    醒ヶ井-米原間



    丹生川(にゅうがわ)橋梁
    該橋梁は、明治22年(1889年)7月1日開通である。
    全長55.30m
    12.90m × 4連

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />樋口川(ひぐちがわ)橋梁<br />該橋梁は、明治22年(1889年)7月1日開通である。<br />全長14.30m<br />12.90m × 1連

    醒ヶ井-米原間



    樋口川(ひぐちがわ)橋梁
    該橋梁は、明治22年(1889年)7月1日開通である。
    全長14.30m
    12.90m × 1連

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />樋口川橋梁<br />313系電車

    醒ヶ井-米原間



    樋口川橋梁
    313系電車

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />寺倉(てらくら)信号所跡<br />該区間複線化当時の保安装置は双信閉塞式だったが、該閉塞式では停車場間に1列車しか運転出来ず、列車増発を目的として停車場間2分割の為に、大正8年(1919年)11月25日附で、該地に該信号所が設置された。<br />その後、昭和2年(1927年)9月1日附で自動閉塞式導入に依り、國府津-御殿場-沼津間を除き該線全線自動信号化が達成され、該信号所は不要施設となり廃止された。

    醒ヶ井-米原間



    寺倉(てらくら)信号所跡
    該区間複線化当時の保安装置は双信閉塞式だったが、該閉塞式では停車場間に1列車しか運転出来ず、列車増発を目的として停車場間2分割の為に、大正8年(1919年)11月25日附で、該地に該信号所が設置された。
    その後、昭和2年(1927年)9月1日附で自動閉塞式導入に依り、國府津-御殿場-沼津間を除き該線全線自動信号化が達成され、該信号所は不要施設となり廃止された。

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点

    醒ヶ井-米原間



    東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点

    醒ヶ井-米原間



    東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点

    醒ヶ井-米原間



    東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点

    醒ヶ井-米原間



    東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点<br />311系電車

    醒ヶ井-米原間



    東海旅客鉄道・西日本旅客鉄道両社分界点
    311系電車

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />運輸通信省鐵道総局は、全国各地に於ける空襲被害に依る機関車損耗を防止する為に、主として蒸気機関車用防空壕体設置を決定し、該命令に鑑み米原機関區は米原驛東京方0.9km地点に存在する岩脇山(いおぎやま)を活用地に決定し、昭和20年(1945年)6月より掘削工事を開始した。<br />然るに、隧道掘削工事と称しながら電動工具類は一切存在せず、地元住民や國民学校児童に依る勤労奉仕が主体の人海戦術では掘削能力に限界が在り、該工事15%程度進行状態で終戦となり、該工事は未完ながら中止された。<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    運輸通信省鐵道総局は、全国各地に於ける空襲被害に依る機関車損耗を防止する為に、主として蒸気機関車用防空壕体設置を決定し、該命令に鑑み米原機関區は米原驛東京方0.9km地点に存在する岩脇山(いおぎやま)を活用地に決定し、昭和20年(1945年)6月より掘削工事を開始した。
    然るに、隧道掘削工事と称しながら電動工具類は一切存在せず、地元住民や國民学校児童に依る勤労奉仕が主体の人海戦術では掘削能力に限界が在り、該工事15%程度進行状態で終戦となり、該工事は未完ながら中止された。
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />該坑道は貫通した。<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    該坑道は貫通した。
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />該坑道は整備され特定日に限定し見学可能。<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    該坑道は整備され特定日に限定し見学可能。
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />該坑道は未貫通。<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    該坑道は未貫通。
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />岩脇山機関車防空壕跡<br />大東亜戦争終結後は該防空壕存在は長らく忘却され塵捨場と化していた。<br />https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

    醒ヶ井-米原間



    岩脇山機関車防空壕跡
    大東亜戦争終結後は該防空壕存在は長らく忘却され塵捨場と化していた。
    https://maibarand.shiga.jp/train-shelter/

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />上り線

    醒ヶ井-米原間



    上り線

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />上り線

    醒ヶ井-米原間



    上り線

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />米原駅電車留置線<br />西日本旅客鉄道、東海旅客鉄道所有車輌群。

    醒ヶ井-米原間



    米原駅電車留置線
    西日本旅客鉄道、東海旅客鉄道所有車輌群。

  • 醒ヶ井-米原間<br /><br /><br /><br />米原駅電車留置線<br />西日本旅客鉄道、東海旅客鉄道所有車輌群。

    醒ヶ井-米原間



    米原駅電車留置線
    西日本旅客鉄道、東海旅客鉄道所有車輌群。

  • 米原(まいばら)駅<br /><br /><br /><br />該駅は、明治22年(1889年)7月1日開業である。<br />即ち、該駅は該開通区間たる長濱-米原-馬場(現 膳所)間、及び、米原-長岡(現 近江長岡)-深谷間開通に伴い分岐点として設置された。<br />該駅開業当時は、相対式ホーム2面の小規模、且つ、典型的中間駅構造だった。<br />然るに、大正2年(1913年)4月1日附で北陸本線、大正13年(1924年)7月31日附で羽越本線全線開通に依り、関西対東北北海道連絡輸送が容易になり同時に貨車取扱量が激増し旅客列車も増発された事から昭和3年(1928年)に旅客ホームが1本増設された。<br />該駅が大規模構造化するのは、吹田操車場許容取扱範囲が限界に達し、貨車仕分作業を分散化を要すると判断され、該駅構内に新操車場設置が決定され、該駅構内大改良工事が昭和15年(1940年)に開始され、該工事は昭和17年(1942年)6月5日附で竣工した。<br />即ち、旅客ホームを現在位置に移転し、米原機関区を現東海道新幹線ホーム位置付近に移設させ、該跡地神戸方に操車場を設置した。<br />因みに、名古屋鐵道局、大阪鐵道局分界点が該操車場構内となる事から、該分界点を神戸方2.5km地点に移転し混乱発生を忌避した。<br />昭和25年(1950年)に朝鮮動乱(ちょうせん どうらん)(昭和25年(1950年)6月21日~昭和28年(1953年)7月27日)勃発に依り、我が国は未曽有の好景気を迎えたた事で貨物取扱量が激増し、仕分不足が懸念され、更に、当時、昭和31年(1956年)予定の東海道本線米原-京都間電化に依る該線全線電化、及び、北陸本線米原-敦賀間複線化兼交流電化計画が想定されており、該状態解決を見るべく第2次拡張工事が決定され、昭和29年(1954年)に着工した。<br />即ち、当時は、東海道本線、及び、北陸本線列車は、該駅構内に於いて平面交差していた事から列車運行に於ける保安上の問題も多く、東海道本線上り線を乗越立体交差とし、旅客列車増発に対応可能とすべく、旅客ホームを2本増設計5本体制とする内容で、該工事は、昭和32年(1957年)10月に竣工した。<br />然るに、昭和49年(1974年)7月20日に湖西線山科-近江塩津間が開通し、次いで、翌昭和50年(1975年)3月10日に、一部急行列車を除き関西対北陸線直通列車は該線経由となった事から該操車場の必要性は低下し、更に、貨車運行が直行式に変更された事から該操車場は不要施設に指定された。<br />該駅は、開業以来、名古屋管轄だったが、民営分割直前たる 昭和62年(1987年)3月1日附を以って、名古屋鉄道管理局・大阪鉄道管理局界が従来の米原-彦根間から醒ヶ井-米原間に変更され、同時に該駅は名古屋管轄から大阪管轄に変更され、該駅も大阪鉄道管理局所属に変更された。<br />民営分割後、西日本旅客鉄道、日本貨物鉄道所有地とならなかった余剰地は 日本国有鉄道精算事業団管理地となり、該駅再開発計画に依り平成7年(1995年)に着工し、平成9年(1997年)に竣工した。<br />因みに、駅名は米原(まいばら)、地元地名は米原(まいはら)だったが、該町市昇格時に駅名に合せた名称に変更された。<br />http://www.jr-odekake.net/eki/premises.php?id=0610147

    米原(まいばら)駅



    該駅は、明治22年(1889年)7月1日開業である。
    即ち、該駅は該開通区間たる長濱-米原-馬場(現 膳所)間、及び、米原-長岡(現 近江長岡)-深谷間開通に伴い分岐点として設置された。
    該駅開業当時は、相対式ホーム2面の小規模、且つ、典型的中間駅構造だった。
    然るに、大正2年(1913年)4月1日附で北陸本線、大正13年(1924年)7月31日附で羽越本線全線開通に依り、関西対東北北海道連絡輸送が容易になり同時に貨車取扱量が激増し旅客列車も増発された事から昭和3年(1928年)に旅客ホームが1本増設された。
    該駅が大規模構造化するのは、吹田操車場許容取扱範囲が限界に達し、貨車仕分作業を分散化を要すると判断され、該駅構内に新操車場設置が決定され、該駅構内大改良工事が昭和15年(1940年)に開始され、該工事は昭和17年(1942年)6月5日附で竣工した。
    即ち、旅客ホームを現在位置に移転し、米原機関区を現東海道新幹線ホーム位置付近に移設させ、該跡地神戸方に操車場を設置した。
    因みに、名古屋鐵道局、大阪鐵道局分界点が該操車場構内となる事から、該分界点を神戸方2.5km地点に移転し混乱発生を忌避した。
    昭和25年(1950年)に朝鮮動乱(ちょうせん どうらん)(昭和25年(1950年)6月21日~昭和28年(1953年)7月27日)勃発に依り、我が国は未曽有の好景気を迎えたた事で貨物取扱量が激増し、仕分不足が懸念され、更に、当時、昭和31年(1956年)予定の東海道本線米原-京都間電化に依る該線全線電化、及び、北陸本線米原-敦賀間複線化兼交流電化計画が想定されており、該状態解決を見るべく第2次拡張工事が決定され、昭和29年(1954年)に着工した。
    即ち、当時は、東海道本線、及び、北陸本線列車は、該駅構内に於いて平面交差していた事から列車運行に於ける保安上の問題も多く、東海道本線上り線を乗越立体交差とし、旅客列車増発に対応可能とすべく、旅客ホームを2本増設計5本体制とする内容で、該工事は、昭和32年(1957年)10月に竣工した。
    然るに、昭和49年(1974年)7月20日に湖西線山科-近江塩津間が開通し、次いで、翌昭和50年(1975年)3月10日に、一部急行列車を除き関西対北陸線直通列車は該線経由となった事から該操車場の必要性は低下し、更に、貨車運行が直行式に変更された事から該操車場は不要施設に指定された。
    該駅は、開業以来、名古屋管轄だったが、民営分割直前たる 昭和62年(1987年)3月1日附を以って、名古屋鉄道管理局・大阪鉄道管理局界が従来の米原-彦根間から醒ヶ井-米原間に変更され、同時に該駅は名古屋管轄から大阪管轄に変更され、該駅も大阪鉄道管理局所属に変更された。
    民営分割後、西日本旅客鉄道、日本貨物鉄道所有地とならなかった余剰地は 日本国有鉄道精算事業団管理地となり、該駅再開発計画に依り平成7年(1995年)に着工し、平成9年(1997年)に竣工した。
    因みに、駅名は米原(まいばら)、地元地名は米原(まいはら)だったが、該町市昇格時に駅名に合せた名称に変更された。
    http://www.jr-odekake.net/eki/premises.php?id=0610147

    米原駅

  • 米原駅<br /><br /><br /><br />東口<br />令和3年(2021年)春、米原新市役所開所予定。

    米原駅



    東口
    令和3年(2021年)春、米原新市役所開所予定。

    米原駅

  • 米原駅<br /><br /><br /><br />在来線側出改札口

    米原駅



    在来線側出改札口

    米原駅

  • 米原駅<br /><br /><br /><br />東口<br />旧駅本屋所在地側

    米原駅



    東口
    旧駅本屋所在地側

    米原駅

  • 米原駅<br /><br /><br /><br />旅客第3番ホーム

    米原駅



    旅客第3番ホーム

    米原駅

  • 米原駅<br /><br /><br /><br />旅客第4番ホーム

    米原駅



    旅客第4番ホーム

    米原駅

  • 米原駅<br /><br /><br /><br />旅客第4番ホーム<br />古軌条上屋支柱群

    米原駅



    旅客第4番ホーム
    古軌条上屋支柱群

    米原駅

  • 米原駅<br /><br /><br /><br />旅客第4番ホーム<br />古軌条上屋支柱群

    米原駅



    旅客第4番ホーム
    古軌条上屋支柱群

    米原駅

  • 米原駅<br /><br /><br /><br />旅客第4番ホーム<br />古軌条上屋支柱群<br />昭和31年(1956年)該駅第3次大改良時痕跡。

    米原駅



    旅客第4番ホーム
    古軌条上屋支柱群
    昭和31年(1956年)該駅第3次大改良時痕跡。

    米原駅

  • 米原駅<br /><br /><br /><br />旅客第4番ホーム<br />古軌条上屋支柱群

    米原駅



    旅客第4番ホーム
    古軌条上屋支柱群

    米原駅

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  • おみヴぉ333さん 2021/01/10 11:44:23
    今年もよろしくお願いします。
    横浜先生~

    久しぶりの旅行記UPうれしいです (^▽^)

    昔の駅の支柱は美しくて萌えますね!
    防空壕跡トンネルは、私だったら怖くて写真撮れません~ (@@;;

    本年もどうぞよろしくお願いいたします。
    寒い毎日なのでどうぞご自愛くださいませ・・

    おみヴぉ

    横浜臨海公園

    横浜臨海公園さん からの返信 2021/01/15 18:32:46
    拝復
    おみヴぉさま、こんばんは。


    拙稿旅行記に投票と掲示板にコメントを賜りまして、誠に有難うございました。

    機関車の防空壕では水戸駅近くにも存在しますが、此方は地元でも忘れられている様で、常磐線電車車内から見て寂しげな感じがします。

    来週中に新旅行記を1点上程出来ると思いますので何卒宜敷くお願い申します。



    横浜臨海公園

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