薔薇の咲く庭さんのクチコミ(45ページ)全1,100件
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投稿日 2017年01月10日
総合評価:3.5
キリスト教徒の攻撃に備えるため、イスラム教徒が築いた。城門のアーチは馬蹄形をしてアラブの名残がある。城の中には入ることはできなかった。マヨール広場から少し坂道を上った景色が良い場所にある。城から町へ下りるのには近道があった。
- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2017年01月11日
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投稿日 2017年01月02日
総合評価:4.0
ノビサドの歴史は古く石器時代の住居跡がペトロヴァラディンに残されている。要塞はローマ帝国がケルト人の部族・スコルディスキを征服したあと、この地に築いた。ハンガリー王国の時代も重要な戦略拠点であった。コソボ紛争の時は石油産業があったためにかなりの空爆を受けている。ドナウ川にかかる橋は橋げたを残したまま修復されていない。
要塞へ歩いて上るのであれば上がれる道はドナウ川沿いにはない。ドナウ川を渡ったところの十字路を直進し、右に入る道を進むと緩やかな坂が続いて、やがて要塞の上に出る。要塞の上にはレストランがあり、ドナウ川を眺めながら食事をすることが出来る。少し離れた所にノビサドの旧市街が広がっているのが見える。- 旅行時期
- 2016年05月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 3.0
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投稿日 2017年01月08日
総合評価:3.5
ラルナカの海岸沿いのメインストリートにある。ラルナカ空港に行く途中で寄ることが出来る。海沿いにあり、海に面した城塞の外壁に波が押し寄せてきそうな所にある。城壁の上に上ることが出来るが、あまり高くないので町を見渡すことはできない。近景が見えるだけである。城内の木造の階段を上ると2階に中世博物館がある。ラルナカの歴史がパネルを使って写真で解説してある。遺物も展示されていた。この城塞はヴェネツィア時代の砦をオスマントルコが再建した。要塞の中には大砲が残されていた。イギリス統治時代は刑務所として使われていたせいか、鉄格子が残されていた。
- 旅行時期
- 2015年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
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投稿日 2017年01月08日
総合評価:3.5
サラミス遺跡に行くためには北レフコシアから乗り合いバスに乗り、約40分位でフォマグスタの街まで行きます。そこからは公共交通機関はなく、タクシーで行く方法しかありません。海沿いに古代ローマの遺跡が残っています。「こんなところにローマ時代の遺跡?」と不思議に思うような場所です。しかし、サラミスはローマ時代からビザンティンまでキプロスの中心であったので浴場跡や公衆トイレ、劇場などの遺跡が残っています。 入場料は無料ですが、交通の便が悪いのか観光客はあまりいませんでした。実際に残っているのもに触れることが出来ました。劇場は崩れているところもありましたが修復はされていませんでした。円形劇場として、昔どのように使われていたのかを想像することは難しいです。最上段に上ると海が見えます。
- 旅行時期
- 2015年11月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2017年01月13日
総合評価:3.0
アメリカンスタイルのごく普通のホテル。部屋の使い勝手は良いと思う。特に特徴はないが、清潔感があり、気持ちよく過ごせた。セビーリアの中心部に出るのにトラムを使うと便利。玄関が広く荷物の出し入れに気を使わずに済んだ。
- 旅行時期
- 2015年09月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- サービス:
- 3.0
- バスルーム:
- 3.5
- ロケーション:
- 4.5
- 客室:
- 4.0
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投稿日 2017年01月14日
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投稿日 2017年01月14日
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投稿日 2017年01月21日
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投稿日 2017年01月21日
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投稿日 2017年01月21日
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投稿日 2017年01月22日
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投稿日 2017年01月22日
総合評価:4.5
足場が悪い湿地帯にゲルマン人のイタリア侵略から逃げてきたウェネティ人が、松の木の杭を打ち、島を作って住み始めたのは5世紀。その後、東ローマ帝国の支配下にあった時代もあるが、実質的には自治権を持って栄えた街。東地中海最強の海軍国家として栄えた歴史もある。街を歩いていると、「こんな狭い所に海に沈まない陸地をよく作りました」と思う。あちらこちらの路地を、かってはアドレア海の女王としての誇りをもち、街を闊歩する人々が行きかっていたのだろう。
- 旅行時期
- 2015年06月
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2017年01月22日
総合評価:3.5
ゴンドラに乗ってしばらくすると大きな川と思えるような幅の運河に出ました。カナルグランデ運河でした。両サイドの建物の前に道路や船着き場があり、大きな船も着岸することが出来ます。島には自動車が入ることが出来ないので船が重要な役割をしていることが分かりました。
- 旅行時期
- 2015年06月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2017年01月21日
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投稿日 2017年01月21日
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投稿日 2017年01月21日
総合評価:4.0
828年にヴェネツアの商人がエジプト人が嫌う豚肉を使ってアレキサンドリアから、聖マルコの遺骸を持ち帰ったことを記念して建てられた。クーポラが丸くヴィザンティン建築を代表する建築物。なぜドウモにしなかったのかを不思議に思っていたが、ヴェネツア共和国の総督個人の礼拝堂にすることによって、政治的独立性を守るためであることが分かった。
正面入り口の上にある4頭の馬の銅像はコンスタンティノポリスの競技場にあったものを第4回十字軍で奪い取って来たという。イスタンブールのコンスタンティノポリスを訪ねているが、確かに馬の銅像はなかった。- 旅行時期
- 2015年06月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2017年01月21日
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投稿日 2017年01月21日
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投稿日 2017年01月21日