2025/06/21 - 2025/06/22
13位(同エリア66件中)
さっくんさん
今回のアフガニスタンの旅、最終目的地マザール・シャリフに到達しました。アフガニスタンを峠の国と例えるならば、マザール・シャリフはその峠の北の入り口に位置します。そして街は地政学上は中央アジアそのものです。
マザール・シャリフは二つの地域から成っています。一つはその昔、バクトリアの首都と考えられているバルフと言う地域。即ち旧市街的位置づけの部分。そしてイマーム・アリーの遺体を埋葬したと言う伝説から生まれたアリー廟(ブルー・モスク)を中心に発展した現在のマザール・シャリフと言う地域です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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マザール・シャリフに朝が訪れました。高層のホテルだったので屋上に登ってみました。カブールのカイバル・ホテルの様な快適なスペースがある訳ではありませんが、マザール・シャリフの街を一望する事が出来ました。
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アフガニスタンの朝食は…正直、ショボいです(涙)
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マザール・シャリフはカブール、カンダハル、ヘラート共にアフガニスタンの4大都市のひとつでアフガニスタン北部、ウズベキスタンとの国境に程近くに位地します。
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マザール・シャリフは後述するとある建築が建てられた事により、その建物を中心に発展し、現在ではマザール・シャリフがこの地方の中心都市となっています。しかし此処から少し離れたバルフと言う街に古都としての見所が集まっています。日本で言えば東京と鎌倉、京都と奈良の関係に近いでしょうか?先ずバルフから観光を開始します。
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街の中心を抜けると、アフガニスタンらしくない大平原が広がります。もう此処は中央アジアです。
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バルフに到着しました。大通りのロータリーにはモスクが建てられています。礼拝の時、どうやってモスクに辿り着くのでしょう?
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ホジャ・アブ・ナスル・パルサ廟を訪れました。この外観を見て、中央アジアに到達した事を実感します。この様式は…ウズベキスタンやぁ~!って気になります。因みに此処からウズベキスタンの国境迄は車で1時間もかかりません。ウズベキスタンと物理的にも近いのです。
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ウズベキスタンと簡単に説明してしまいましたが、正確には後期ティムール様式。サマルカンドに首都を置いたティムール帝国と物理的にも近く、ティムール帝国時は当然の如くバルフの街はティムール帝国の領内であり、逆にティムール帝国の残り香が無い方が不自然な事なのかもしれません。
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まるでウズベキスタンの街にいるかの様な霊廟のアイバーン。
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こうした紋様のデザインも年代や地方によって変わって来ます。
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これ等の紋様、そして建築様式もペルシャから中央アジアに伝わったものです。中央アジアでペルシャ系民族が多いのはアフガニスタンとタジキスタン。そんなタジクの人々とトルコ系の人々が長い月日の中で接触した事で、ペルシャ様式がトルコ系民族に伝わり、定住化していったトルコ系民族がウズベク族です。ウズベク語にはタジク系の言語も混ざっており、ペルシャ系の文化がトルコ系に伝わった痕跡が言語からも解ります。
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このネジネジの装飾は後期ティムール様式の特徴なのでしょうか?本家サマルカンドではあまり見かけなかった様式に感じます。
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アイバーン(前門)は大きく破損してしまっていますが、ペルシャの影響を大きく受ける中央アジアのモスクや廟の建築の大きな特徴は、本家ペルシャよりアイバーンが大きく造られ、正面から見るとその奥にあるドームをスッポリ隠してしまう事です。
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折角美しいドームを築きながら、大きなアイバーンで隠してしまう。それは如何に?ガイドさんに問うと、真面目なガイドさんは調べてくれました。ドームは礼拝を行う室内の直上にあり、又は廟にあっては安置されている棺の直上に当り、ドームはその建物の中心となる聖なるもの。それを守る、即ち俗界との結界を張る為の様な意味合いがあるのだそうです。
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このドーム部分も、シンプルなドームや、この廟のドームの様に幾重もの筋状の形状が入るものなど、幾つかの様式が見られます。
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イチオシ
さて、この廟に眠るホジャ・アブ・ナスル・パルサと言う人物は、ナクシュバンディ派スーフィー神秘主義者です。スーフィズムはサウジアラビアのガチなスンニ派ワッハーブ派では否定されていたりもしますが、イスラームの内面的探究の修業法として、広域に伝播されています。
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その内容は複雑なもので一概に説明する事は難しいですが、彼等の舞踏、スーフィーダンスは観光向けの舞踏でも披露される機会も多いです。またクルクルと周り続ける独特な舞踏は、中国でムスリムを回族と呼ぶ謂れとなりました。
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ホジャ・アブ・ナスル・パルサが所属したナクシュバンディ派を率いたナクシュバンディの廟は。此処からそれ程離れてはいない、ウズベキスタンのブハラ郊外に建ち、現在も多くの信徒が巡礼に訪れ、中央アジア屈指の巡礼地となっています。
ブハラの旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11763307 -
続いて訪れたのはバラ・ヒサールと呼ばれる場所です。只バラ・ヒサールと言う単語は固有名詞では無い様で、検索するとカブールやパキスタンのペシャワール等でもヒットします。即ち古代都市遺跡と言う認識で良いかと思います。
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今となっては城壁らしきものが残されているだけで、映える様な要素は全くありません。しかし、此処バルフのバラ・ヒサール、即ち古代都市はとても重要な古代都市なのです。確定こそしていませんが、この古代都市はバクトリアの首都、バクトラであったと考えられています。
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バクトラはゾロアスター教の一大中心地として栄え、アケメネス朝ペルシャの支配を受ける事になります。
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そして、その次にこの街、バクトラを支配したのはアレキサンダー大王です。彼の故郷はマケドニア。ユーゴスラビアが分裂し、マケドニアが独立した事で、お隣ギリシャと国名を巡って論争になるなど、現代に於いても人を騒がせる程影響力を持つ人物がアレキサンダー大王です。
北マケドニア・スコピエ旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11381311 -
アレキサンダー大王はペルセポリスを襲撃し、アケメネス朝ペルシャを滅ぼします。
ペルセポリス
https://4travel.jp/travelogue/11784797 -
そして此処バクトラを拠点とし、更に北東に進軍現在のタジキスタン・ホジャンドにアレキサンドリア・エスハテ(最果てのアレキサンドリア)を建設します。そして再びバクトラに舞い戻るとインドに遠征する為、私の走ってきた街道を逆に向かい峠を下り、カブールを経由し、更にカイバル峠を下ります。
タジキスタン・ホジャンド
https://4travel.jp/travelogue/11914023 -
そして現在のパキスタンのタキシラにギリシャ風の街を建築します。そしてアレキサンダー大王の持ち込んだヘレニズム文化は、東から伝わってきた仏教と融合し、仏像が産まれる事になるのです。
Hellenism meets Buddhism at Taxila.
パキスタン・タキシラ
https://4travel.jp/travelogue/11777107 -
その後インド遠征を終えたアレキサンダー大王は故郷に引き返しますが、その途中現在のイラクのバビロンにて病没、彼の偉大な旅は此処で終わる事となります。
イラク・バビロン
https://4travel.jp/travelogue/11945617 -
アレキサンダー大王の死後、セレウコス朝、グレコ・バクトリア王国等の時代を経て、クシャーナ朝の時代、この地は仏教が最盛期に入りました。その後西方からサーサーン朝が進出、さらにエフタル、西突厥と中央アジアの政情は入り乱れ始めます。そしてより西方から、強力なイスラーム勢力の足音が忍び寄る直前、此処バクトラを中国から遥々経典を求めて旅を続ける高僧が通り過ぎます。
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その名は玄奘三蔵、彼は経典を求めて、当時外国への渡航を禁じられていたにも関わらず、密出国までして旅立ちます。密出国=お尋ね者となった彼は乞食僧の井出達で数少ない仏教徒の助けを受けながら西へ西へと旅を続ける事になります。
中国・西安
https://4travel.jp/travelogue/11769749 -
そんな過酷な旅を続ける玄奘三蔵でしたが、トルファンで彼の運命は一変します。途中立ち寄った高昌国の王に歓待を受け、高昌国の使節の長として旅を続けられる事になったばかりか、突厥国への招待状迄頂きました。トルファンは西遊記でもトルファンの火炎山で牛魔王と戦った節目となる場所でした。
中国・トルファン
https://4travel.jp/travelogue/11769656 -
こうして玄奘三蔵は現在のキルギスのイシククル湖を通過、突厥を経由し此処バルフに到達します。その後私が来た街道を逆に辿り、バーミアンで大仏に参拝した後、アレキサンダー大王と同じ行程でカイバル峠を下りガンダーラを目指しました。
キルギス・イシククル湖
https://4travel.jp/travelogue/11914057 -
そして玄奘三蔵はガンダーラに到達します。西遊記では此処で大段落を迎えるのですが、現実はそう簡単にはいきません。三蔵が到達した頃には、最早ガンダーラでは仏教が衰退していたのです。彼の旅は未だ続きます。インドのナーランダー僧院迄。
パキスタン・タキシラ
https://4travel.jp/travelogue/11777107 -
玄奘三蔵が過ぎ去った後、642年バルフにイスラームが到達、ウマイヤ朝、アッバース朝と支配が続き、アッバース朝の力が弱まると、各地で分離独立したイスラーム勢力がバルフを支配していく事になります。
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1135年、この地でセルジューク朝のスルタン、アフマド・サンジャルがアリー・イブン・アビ・タリブの遺体を発見、現在のマザール・シャリフに廟を建築。これが現在のブルー・モスクの原型となります。以降アリーの信仰の篤いシーア派の聖地となった事で人々が集まり、マザール・シャリフ(聖なる墓所)と言う街に発展、今ではバルフに変わり、この地方の中心都市に成長しました。
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そして13世紀、ユーラシアを震撼させたジンギス・ハーンの襲来。此処バルフも例外無く破壊されました。そんな破壊も未だ言えぬ頃、二人の偉大な旅人が此処バルフを訪れています。一人はヴェネチアを出発し、シルクロードを旅し中国を目指したマルコ・ポーロ。もう一人はイスラーム圏をくまなく旅し続けたイブン・バトゥータです。
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イスラームをテーマにして世界を旅していていると、必ずや彼の足跡を見つけます。13世紀と言う時代、アフリカ、中東、アジアそして中国まで、旅しまくった伝説の旅人イブン・バトゥータ。玄奘三蔵と共に私が最も愛し、尊敬する旅人は、彼の故郷、モロッコのタンジェの路地裏にひっそりと眠りについています。
モロッコ・タンジェ
https://4travel.jp/travelogue/11751362 -
ジンギス・ハーンが過ぎ去り、チンギス・ハーンが亡くなると、モンゴル帝国は一気に分裂しました。しかしそんな中でモンゴル帝国復興を旗印に、再び中央アジアを席巻し、ヨーロッパ迄攻め込んだ男がいました。ティムールです。ジンギス・ハーンは壊すだけ壊して何も残す事がありませんでしたが、ムスリムであったティムールはサマルカンドを中心に多くの建築を後世に残しました。
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此処バルフはサマルカンドからも近く、ティムールの故郷シャフリサブスからは更に近い位置にあります。当然ティムール帝国の領土内にバルフはあります。こうしてバルフ、以前のバクトラはティムールの手によって城壁などが整備される事になります。遺跡にとても古代バクトリアのものと思えない保存状態の良い城壁が残されているのはその為です。
ウズベキスタン・サマルカンド
https://4travel.jp/travelogue/11763189 -
ティムール時代の望楼(現代的修復も加えられています。)
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そしてティムール時代の城壁。
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イチオシ
此方の城壁は先に訪れたバクトリア時代の城壁より遥かに保存状態は良いです。であったとしても、映える遺跡とは言えないでしょう。然しながら私は足が震える程興奮していました。今迄紹介してきた歴史の偉人の数々、そのすべての人物がこの街を訪れていたのです。アレキサンダー大王、玄奘三蔵、ジンギス・ハーン、マルコ・ポーロ、イブン・バトゥータ、そしてティムール。そして彼の血縁であり再再度モンゴル帝国の復興を企む、後のムガル帝国初代バーブルも間違いなく此処を通り過ぎて行った事でしょう。
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東西の、覇王、旅人、僧侶…様々なジャンルで歴史に名を遺す偉人達がこの街を訪れ、通り過ぎて行きました。その要因はこの街の立地にあるでしょう。中央アジアからペルシャ、そしてインドへ至るには、必ずやこの街を訪れる事になるからです。
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が故に周囲の権力者達にとって、この街は喉から手が出る程手に入れたい街ではなかったでしょうか?放って置いてもこの街に人が集まり、富が落とされる訳ですから。
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世界には数々の城壁都市が残ります。その幾つかに私も訪問してきましたが、その歴史の中で、これだけバリエーションに富んだ偉人達が訪れた城壁都市はあるでしょうか?
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西からはアレキサンダー大王、東からは玄奘三蔵。マルコ・ポーロやイブン・バトゥータ。暮らした場所も、時代も、目的も、全く異なる偉人達が、まるで引き寄せられるかの様にこの街を訪れたのです。凄い事だとは思いませんか?
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将来的にアフガニスタンの退避勧告が解除されたなら、中央アジア方面のツアー形態は激変するかもしれません。今のところ中央アジアの旅と言えばウズベキスタンが周囲の国より頭一つ飛び抜けているのが現状で、ツアーの殆どはタシケントからヒヴァに至る東西の移動が主体です。
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アフガニスタンに訪れるようになれば、サマルカンド~シャフリサブスからアフガニスタンの国境を越えて、此処バルフ~マザール・シャリフと言う南北の動線も加わる筈です。更には峠を下ってバーミアンを目指すツアーも出て来る筈です。
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アフガニスタンはスタンが国名につく国の中でウズベキスタンと並ぶ観光資源に恵まれた国だと思います。この隣同士の国が自由に旅人が行き来出来る様になれば、無数の旅のルートを想像出来ます。
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日本の城巡りをしても痛感しますが、その城の辿ってきた歴史を学んで城を訪れるのと、知らずして訪れたのでは雲泥の差が出ます。正にこの城壁都市の遺跡も、そんな遺跡と言えるでしょう。
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有名な人物を取り上げただけでも先に紹介した通り大物がゾロゾロ登場します。細かく歴史を調べたら、大河ドラマ数年分に至ってしまうかもしれません。とんでもない場所をおとずれてしまったものです。
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続いてノ・ゴンバド・モスクを訪れました。9世紀後半、この地で最古のモスクと言われています。保存状態は良くなく、屋根は失われ崩壊の危機がある事から屋根で覆われ保存されています。
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イチオシ
現在では全て失われてしまいましたが、屋根は9つのドームがあった事から、それがそのままモスクの名前になっています。
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大きなドームを作る技術が完成する前は、多柱式モスクと言い、多くの柱で屋根を支える必要がありました。均等の間隔で柱を4本並べ、それを4列作ります。その全部で16本の柱の上に均等に梁を乗っければ、真上から見ると9つの正方形が出来上がります。(ルービックキューブを想像してください。)その其々に小さなドームを乗っければ、9つのドームを持つ建物が出来上がると言う仕組みです。
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状態の悪い写真で恐縮ですが、此方はバングラデシュ・クルナのモスクで同じ意味の名を持つ、即ち9つの屋根を持つモスクです。バングラデシュだとノイ・コンブス・マスジッドとなります。見辛いですが屋根に薄いドームが三列に並んでいます。これが其々奥に向かっても三列あるので3×3で9のドームになるのです。この事から、9つのドームを持つモスクとは、固有名詞と言うより、当時の中規模モスクの様式の一つだったと言えるでしょう。
バングラデシュ・クルナ
https://4travel.jp/travelogue/11809744 -
柱は太く、緻密な装飾が施されています。技術が進むと柱は徐々に細くなり、礼拝する為のスペースも広くなります。そして巨大なドームが開発されて、漸く柱に邪魔される事無く礼拝が行われる様になるのです。
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多柱式モスクから巨大なドームが出来る様になる過程に於いても、柱だらけと言うデメリットを克服する為、イスラームの建築家は試行錯誤を繰り返しました。後ウマイヤ朝の首都が置かれたスペイン・コルドバのメスキータは多柱式のデメリットである多くの柱を芸術の域まで高めた建築として有名です。
スペイン・コルドバ
https://4travel.jp/travelogue/11519800 -
9世紀後半建造と言う事は、モスクとしては相当初期の建造物となります。一部とは言え、良く持ち堪えてくれました。長らく紛争の続いた国ですから猶更です。
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この4本の柱の上に、一つの小さなドームが乗っかっていた筈です。
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装飾の保存状態はかなり良いです。
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最初訪れた時は何故此処にローマ(ビザンティン)遺跡が?と勘違いしてしまいましたが、その正体は武骨な柱に支えられた多柱式モスクでした。
イスラームはアラビア半島を掌握すると、ビザンティン帝国、サーサーン朝ペルシャと争い、その過程で彼等の文化を吸収しつつ急速に発展を遂げました。ですからイスラームの文化の中にはビザンティンやサーサーン朝の文化所縁のものも多いです。今日あるモスクの建築様式も、ダマスカスの教会(ウマイヤド・モスク)にインスパイアされたものが始まりです。その後、両者の礼拝方法等から建築様式が大きく変わる事になりました。
例えば教会の鐘楼はミナレットの前身となりましたが、イスラームは鐘を使わないので、建築技術が向上すると細長い形状に変遷しました。また、教会は奥に至聖所がある為、長細い建築プランになりますが、モスクは特定の時間に多くの信者が出入りする必要がある為、正方形に近い建築プランになります。この為、スペイン、セビーリャの大聖堂は、ウマイヤ朝時代のモスクを教会に改宗した為、教会ではあるものの、正方形に近い建築プランになっています。
その逆に珈琲を始め、イスラームからキリスト教圏に伝わった文化も数多く存在します。人は愚かな存在なので、ぶつかり合ってばかりですが、素晴らしい文化は宗教を越えて伝達するのです。
ウマイヤド・モスク
https://4travel.jp/travelogue/11763508 -
中央アジアらしい大平原を走り、マザール・シャリフに戻ります。
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マザール・シャリフに戻って来ました。またロータリー中央にモスクを建ててます。礼拝の度に交通事故が起きそうなのですが…。
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何を積んでいるのでしょう?いずれにせよ過積載ですよ(笑)まだまだ甘い!と言う声が聞こえてきそうです。
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もうパブロフの犬状態になっています。ケバブの匂いに吸い寄せられます。日本には無くて寂しいです。
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アフガニスタンでも実演は商売の基本です。鰻屋さんの店の前で仕事した事ありますが、あの時は拷問でした。だからって昼飯鰻屋入ってしまったら日当全て失いますし…(笑)実演は反則です!
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結局食べてしまう私。
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日中は余りに暑いと言う事でホテルで休憩を取る事になりました。
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屋上から再びマザール・シャリフの街を眺めました。アフガニスタンのモスクのドームは銀色のものが多く見られます。
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近代的な街並みが広がっています。
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アブドゥルアリー・マザーリー廟を訪れました。アフガニスタンの政治家でイスラーム統一党の党首でハザーラ人、シーア派の人物です。
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イチオシ
アフガニスタンの連邦制の統治を主張、全ての民族に権利を保証すれば、アフガニスタンの政治的、民族的分裂は終わると言う信念の下活動を続けましたがタリバンにより暗殺されました。私もアフガニスタンの安定化の最適解は連邦制だと思っているので、とても残念です。
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アフガニスタン、特にハザーラ人に親しまれており、参拝に訪れる人が後を絶ちません。この日もパシュトゥーン人の団体と出逢い談笑しました。その時メロンを頂いたのですが、翌日我々はお腹を壊し、その容疑者の一人に彼等が疑われる一幕もありましたが、このメロンをドライバーさんは食べていません。ドライバーさんもお腹を壊しているので彼等は無実でしょう。
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ブルー・モスクを訪れました。バルフの歴史的城塞都市で説明した「1135年、この地でセルジューク朝のスルタン、アフマド・サンジャルがアリー・イブン・アビ・タリブの遺体を発見、現在のマザール・シャリフに廟を建築。」その廟を原型に、幾度かの増改築を加えつつ建てられたのがブルー・モスク及びハズラト・アリー廟。モスクと廟が建つ複合施設です。(愛称としてブルー・モスクと呼ばれる事が多いです。)
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広大な敷地内のマッカがある方角、即ち西側に左右にミナレットを持つこの建物がモスクです。
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方角を変えてモスクを眺めます。
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敷地内中央にある堂々とした建物が廟。ハズラト・アリー廟です。即ちアリー・イブン・アビ・タリブの廟と信じられている廟です。カブールではアリーが立ち寄ったと言う伝説。バーミアンのバンディ・アミールにもアリーの伝説が残りましたが、此処マザール・シャリフはズバリ、アリーの遺体が葬られていると信じられています。
マザール・シャリフと言う街の名前は「聖なる墓所」と言う意味を持ち、正統派カリフである事からスンニ派にも慕われますが、シーア派にとっては初代イマームとして絶大なる信仰を集めています。彼等の巡礼の地となった事で、この廟を中心に街は発展、成長を遂げ、バルフに変わりマザール・シャリフはこの地方の中心都市となりました。 -
イチオシ
アリーの遺体があると言う夢を見たと知らされたスルタンが…。と言う伝承が始まりとは言え、千年も人々が信じてきた事実があるのもまた事実。この街にいる限り、彼等が信じる伝承にレスペクトを持つ事も重要です。
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此方はイラク・ナジャフにあるイマーム・アリー・モスク。史実としてアリー・イブン・アビ・タリブが埋葬されたとされるモスクであり廟です。驚いた事は廟に次々と担架に乗せられた遺体が運び込まれてくる事。シーア派の人が亡くなると、このモスクに遺体を運び、アリーとの別れを告げてから埋葬されると天国に行けると言う信仰があるのだそうです。
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そしてモスクのすぐ傍の崖の下に広がる墓地に、アリーのモスクに寄り添う様に埋葬されるのです。この墓地は年々広がっていき、この墓地の数は最早ナジャフに生きる人の数を超えたとも言われています。そして世界で一番広い墓地としても有名です。もう広過ぎて、一つの巨大な都市に見えます。
イラク・ナジャフ
https://4travel.jp/travelogue/11945626 -
サウジアラビアのマディナ。預言者のモスクの傍らには正統派カリフ達の名を冠した小さなモスクが建っています。此方がアリー・イブン・アビ・タリブのモスクです。
サウジアラビア・マディナ
https://4travel.jp/travelogue/11868680 -
イスラーム建築はシンメトリーで建てられる事が多いですが、この廟の構造は複雑な構造を持っています。
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この小さな建物は敷地内に入る為の門です。
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此方が正門にあたる、つまり正面の筈です。
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複雑な造りで、見る角度毎に違った印象を受け、ついついグルグル廟を周遊してしまいます。
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正面のアイバーンを見上げました。
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対照的なデザインでは無い例外的なデザインが新鮮に映ります。
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複雑な構造を持っています。
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廟内部は残念ながらムスリム・オンリー。ガイドさんの計らいで、ガイドさんがカメラマンになって撮影代行してくれました。
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ドームを見上げます。
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屋根の造形も美しいです。青く鮮やかな外観に比べると落ち着いた内装です。
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此方はミフラーブ?イラク・ナジャフの本家の廟は、核心部はギンギラギンでした。
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此方はもう一つのドームです。
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此方が棺です。棺はナジャフにあるものと全く同じ様式です。イラクの廟では棺がある部屋は鏡等が張り巡らされ、それはそれはド派手な演出が施されていますが、此処は非常に落ち着いた雰囲気です。
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ガイドさん。エキストラ迄用意して頂きました。お祈りをしている光景です。参加してくれた皆様、ありがとうございます。
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聞くのを忘れてしまいました。これはいったい何でしょう?
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外観の装飾も美しいです。
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カリグラフィも美しい。
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イスアームらしい窓の形状、網が張ってあるのは鳩避けでしょう。
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この部分の装飾、私の好きなポイントです。
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此方は側部にある出入り口のアイバーン。横とは言え手抜き無く素晴らしい意匠です。
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モスクを振り返ります。
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今度は敷地を隔てる門を眺めます。
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イチオシ
廟が夕陽を受けてキラキラ輝きます。と言う事は…。慌てて廟の裏側に回ります。
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イチオシ
間に合ったぁ!夕陽がアリーの廟の向こうに沈んでいきます。
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静かに、静かに、一日が終わろうとしています。この廟内にいる外国人は私一人の事でしょう。本当に素敵なモスク、そして廟です。この感動を多くの人に届けたい、アフガニスタンを訪れて欲しいと思います。然しながら心の奥底でNO!とそれを覆したくなる自分もいます。それは昨今の日本の現状を知っているからです。
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私はペット業界と旅業界は何某かの障壁が必要だと思っています。ペットが可愛いから飼ってみよう!日本では気軽にペットショップでペットを買えます。気軽に手に入れられたペットは気軽に捨てられます。一年で何匹のペットが殺処分されているかご存じですか?約一万匹にも上る犬猫が殺されているのです。
ペットショップを廃止し、ブリーダーと手続きを踏んで…とか、手数を必要とする事で、本当にペットを飼いたいと思う人だけがペットを飼う様になる事で、犠牲となるペットの数が激減するのではないかと思います。 -
旅も同様に思うのです。今の日本に蔓延る迷惑外国人旅行客。舞妓さんを追いかけまわしたり、神社の鳥居で懸垂したり、バスは占拠され地元の人が通学通勤出来なかったりと、もう異常事態としか言い様がありません。手軽に気軽にと言った風潮がこのザマです。私はトランプと言う人物が大嫌いですが、ポリコレに対する判断とアメリカの入国を厳しくした事には同意できます。
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入国を厳しくする、若しくは何某かの手順を設ける事で、本当にその国を訪れたいと言う旅人、目的意識がハッキリしている旅人だけがその国を訪れる様にする。それにより観光客の適正な数を保ち、観光客と地元の人のwinwinの関係を守る事が出来るのでは無いでしょうか?
アフガニスタンの現状は各国が退避勧告を出しているので、殆ど観光客と出くわす事はありません。それもそれで寂しく感じますが、しかしそこで珍しく出逢う旅人は、皆しっかり目的意識を持った、節度も守る素晴らしい旅人でした。やはり高い障壁が、いい加減な旅人を篩にかけている側面はあるのです。 -
先日、何処かの放送局で、文化人気取りの芸人コメンテータ(笑)が、外国人の犯罪に対して「外国人の文化の違いもありますから~」的な頭の弱い発言を述べていました。どうして日本人が外国人の犯罪に対して、その外国人の文化を考慮に入れなければならないのでしょう?
このコメンテータの家に私がお邪魔して、いきなり居間で煙草吸ったらどう思うでしょう?私の自室での文化を考慮してくれるのでしょうか?(笑)
日本には法律があります。それらは遵守されなければなりません。have toでは無くmustです。それはどの国籍であっても、どの人種であってもです。ですから平等性を保てるのです。其処に法律を犯した人の国民性は介在するべきではありませんし、介在してはならないのです。もし「自分の国では…」なぁんて配慮し出したら著しく不公平なものになってしまうでしょう。
なんなら、この芸人コメンテータ(笑)の息子と、外国人が同じ犯罪を犯し、息子が豚箱入って、外国人が、文化の違いを情状酌量されて無罪になっても同じ事が言えるのでしょうか?
この芸人コメンテータは、外国人に寛大な発言をして「理解ある人間」って顔をしたかったのかもしれませんが、自分の発した言葉の意味の重さを、法律と言うものが何故存在するのか?もっと良く理解出来るようになってから文化人気取りした方が良いと思います。また放送局も、こんな程度の人間に発言させないで貰いたい。(とは言っても日本の報道自体が腐りきっているから日本のメディアには絶望しかない。)
人様の国を訪れようとするなら、その国の文化、歴史、法律、マナー、ルール…学んで訪れるのが当たり前なんです。(自分の国では…なんて屁理屈通用しません!聞く耳もいりません!譲歩も考慮も必要無いのです。)リベラル系の人間は甘やかされて育ったのか、優しさと甘やかしの区別もつかない勘違いな人間が多くて閉口します。
なんなら何処の国も、それらを網羅した入国テスト実施するべきだと思います。受かった人だけビザ発給!赤点なら即GO HOME!全問正解なら宿泊費30%オフ!(笑)私は大喜びで猛勉強するけどね(笑)これで、観光公害もサヨウナラ(笑) -
私はアフガニスタンに大挙して観光客が押し寄せる、そんな光景はあまり見たくありません。元々チップの習慣が無い国々に白人が押し寄せチップをばら撒いたせいで、チップが何かも知らない貧しい人々の心が汚される様な哀しい光景を何度も見てきました。退避勧告と言う高過ぎる障壁が、アフガニスタンの美しい自然とアフガニスタンの人々の心を守っている側面もあると感じます。
旅人は時にウイルスに近い存在となり得ます。本人の自覚の無いところで、現地の文化、環境、価値観を破壊、若しくは変異させてしまう危険性を秘めています。自らが、その一因にならぬ様、自戒の念を込めて旅を続けたいと思います。私の考え方は、ストイック過ぎるかもしれませんが、アフガニスタンのこの美しい世界観がいつまでも続く事を心から祈ります。 -
とは言え、増え続けるインバウンドに対して、日本の若者の旅離れ、特に海外旅行者は減り続けているとの情報もあります。今はネット社会も進み、家に居ながらにして何でも解ったかと錯覚してしまいかねない程情報が溢れています。しかし、旅に出て痛い程実感する、その情報のあやふやさ、いい加減さ…。ネットに溢れる情報に、知らず知らずのうちに虚偽を真実にすり替えられ操られる危険性にも満ちている事を痛感します。
ネットや画像で伝わってくる情報と、現地で生で感じた実体験は、似ている様で天と地の違いがあります。例えば、紛争が起こった時、天災が起きた時、自分の未訪問の国と、実際訪れた事のある国では、胸の痛みが天と地になるのでは無いでしょうか?与えられた情報と、自部の実体験の間には、理解の質に大きな差が生じると思います。それは心を伴うか、伴わないかとも言えるかもしれません。出来れば多くの人に様々な国を、旅を体験して貰い、理解の質を上げていく、増やしていく事が、情報に操られない、翻っていつかは世界平和に繋がっていくのではないかと思います。
旅人(異国人)は時にウイルスとなり、破壊者ともなり得ます。しかし、相互理解のメッセンジャーにだってなり得ます。今回、アフガニスタンを訪問中、私が日本人だと知ると、合言葉の様に、アフガニスタンに尽力し、アフガニスタンで亡くなった中村哲氏を称えられ、親切な対応を受けました。私も称えられずとも、後に旅する旅人達が後ろ指を指されぬ様、ウイルスにならぬ様、旅を続けたいと思います。 -
ガイドさんと此処で出逢ったアフガンのYouTuber?インタビューされてしまいました。何処かの動画サイトでアフガンの民族衣装来てヘタッピな英語で私が日本を語っているかもしれません?
インタビューでも私はしっかり述べました。
「貴方の国は旅人を歓迎しますか?」
との問いに
I only welcome travelers who have respect for Japan. Unfortunately, those who don't, go home.
「レスペクトを持ってくれるならと言う条件下で歓迎します!」
と…。でも当たり前な事ですよね? -
礼拝に来たのか?お参りに来たのか?それとも観光か?多分そのいずれもであろうアフガンの人々と。
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アリー・イブン・アビ・タリブの名を冠するだけあって、アリーの名に恥じないとても美しい廟、そしてモスクでした。後ろ髪を引かれながらブルー・モスクを後にします。
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モスクを出て、モスク界隈のバザールを歩きました。そのうちの一軒のアイスクリーム屋さんに入ってアイスを楽しみました。結構濃厚な味の本格的なアイスでした。
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迂闊でした。店を出て街並みを写そうとカメラを出せば、あっちから写真を撮ってくれ!こっちから写真を撮ってぇ!アイスを捏ねる職人さんから、ファーストフードの店員さん、はたまたそこらの子供まで。
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バングラデシュからイラク迄、南から西アジアはみんな写真が大好き。カメラを向けて、目線が合ってしまい、「ヤバいかな?」と思ってカメラをしまうと「何故止めた!何故撮らない!」と叱られる事さえ(笑)
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こうやってアイスを捏ねています。我々は明日三人揃ってお腹を壊す事になるのですが、三人が共通して食べたものに、アイスがあります。もしかすると犯人がこの写真の中に紛れているかもしれません犯人は誰だ?(笑)
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写真を撮って欲しくて車まで追いかけてきた子供達。目を隠してしまうのが勿体無い程目が綺麗な少年だったな。
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夕ご飯は珍しく肉では無くオクラを使った料理です。アフガンスタンでもオクラと呼びます。しかし、翌日このオクラが我々を苦しめた、超重要容疑者となる事になります。私的にはこのオクラが真犯人ではないかと考えています。
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翌日、バグ・エ・ジャハン・ナマ宮殿を訪れました。昨日晩に食べた何か?に当ってしまった様で、一同全員胃がおかしくなる惨劇が発生しました。地元民がやられてしまう程です。旅人の私が無地に済む訳がありません。二人は薬で良くなりましたが、私は悪くなる一方。そんな訳で何とか必死に本日唯一の訪問先であるこの宮殿は見学出来ましたが、以降記憶が乏しい程で殆ど写真も残していないので、一気にこのページで二日目突入です。
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この宮殿は1890年にアミール・アブドゥラ・ラーマンにより建設され、1974に博物館として改修される予定でしたが、1976年の大地震、ソ連の侵略により長らく放置されてしまいました。
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ソ連侵略時代は、ソ連の基地にされていた様です。
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未だにキリル文字を確認できます。中央アジアは長らくソ連の侵略統治が続いた為、キリル文字を読める人々も多いですが、アフガニスタンの人は一切解りませんし、解る必要も無いでしょう。
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窓から覗くとイスラームならではの水場が見えました。
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地下室です。地上スレスレの箇所に採光窓が開けられています。
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只の採光窓ですよね?此処は地下牢で、上から熱湯とか熱々の油とか降って来ませんよね?
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屋上に出ました。メンバーで犯人探しに躍起になります。ガイドさんは私が地元の人に貰って食べたメロンでは無いか疑っています。でもメロンはドライバーさんは食べていません。三人一緒に食べたとなると、アイスクリームと夕食に食べたオクラが怪しいです。
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症状はお腹を壊した訳では無く、強烈な胃のもたれです。其処がいつもと違うところ。即ち良からぬものが未だ胃に残っていると言う事。この症状から脱するには、薬よりも先に対象を体から出してしまうのが先決。そう察した私はコーラを一気飲み。そしてトイレに駆け込みます。即ち簡易的な自己流胃洗浄です。そんな事をしたので、ドライバーさんにはコーラの飲み過ぎで体調を崩したと疑われてしまいました(笑)
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しかし人間の体は、出す仕組みに出来ていないので、再び水を大量に飲み、都合が良いのか?悪いのか?往きに通ったダートの峠道で体はシェイクされ続け、漸く二度目の胃洗浄の末、漸く体が軽くなりました。本当この感覚は忘れられません。本当まるで憑いていた悪霊が抜けた様に体が軽くなったです。
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そんなこんなで往きは苦労した峠越えは苦しみに苦しんでいたお陰で、殆ど記憶が虚ろなまま、峠を越していました。本当運良く移動日で良かった。
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悪いものを入れてしまった時は、それが胃にあるか、腸にあるかを見極めて、先ずは出してしまう事が最重要です。毒や病原菌による疑いがある場合は決して下痢止めを使用してはいけません。最悪あの世にいきます。不幸な事に海外でこうした体験は豊富なので苦しんではいたものの頭の中は冷静に判断出来ました。
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イチオシ
水場を挟み眺めれば、宮殿はイスラーム建築に則って建てられている事が解ります。
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今では廃墟感たっぷりの宮殿ですが、プロジェクトが再開されれば、立派な博物館になる事でしょう。
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サマンガン’(だと思う。)の街を通り過ぎます。半分持たれながら撮ったのでしょう。画角が大きく斜めってます。
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峠の大トンネルに入る直前です。昨晩エアコンを消し忘れ、渇いたアフガニスタンの事、体を冷やしてしまった事も事態を悪化させたと思います。出すだけ出した後に飲んだロキソニンがグッドジョブをこなしてくれた様で急激に回復してくれました。心配したガイドさんが病院に行く?と聞かれたけど、それだけは丁寧に辞退しました。まだまだ医療状態の悪いアフガニスタン。注射をされたら胃は良くなっても、クリティカルな病気がうつってしまう可能性は否定できません。
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こんな写真、写した記憶がありません(汗)
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やっと平野部に入って来ました。其処でふと思います。往きは散々車を止められ、タリバンの検問でチェックを受けました。帰りは全く記憶がありません。記憶を失っただけでしょうか?
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後にガイドさんがその答を教えてくれました。私が苦しそうにアフガニスタンの民族衣装を着て、後部座席で臥せっていたので、アフガニスタン人が臥せっている事にして、検問の人も誰も疑う事は無かったので、全部スルーしちゃったとの事。
まさかマザール・シャリフに訪問した筈の日本人がマザール・シャリフの後行方不明になった…なんて事になってませんよね? -
無事に?カブールに凱旋しました。不思議に思う事がありました。中央アジアでは毎食と言う程食卓に出たヨーグルト。アフガニスタンにも遊牧民はいるのに一度も食卓に出た事はありません。カレー同様ヨーグルトもアフガニスタンには入り込めなかったのでしょうか?
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ガイドさん経由でホテルのスタッフがヨーグルトを買ってきてくれました。私は体調を崩したり、食欲が無い時は常にヨーグルトを食べて胃腸を整える様にしています。さて、明日はアフガニスタン最後の日です。ずっと待ち望んでいたとある人物の墓標に参拝しないといけません。体調を悪くしている場合ではありません。
最期迄ご覧になってくださり、ありがとうございます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- アラビアンナイトさん 2025/09/29 22:25:53
- 感動のアフガニスタンですね~
- さっくんさん
お久しぶりです。同じ中東イスラーム好きとして
さっくんさんの特に中東方面の旅行記拝見しております。
遂にカムエアーでアフガニスタンに行かれたのですね~
最初のアフガニスタン旅行記から最後まで拝見させてもらいました。
実は6月17日の午前4時過ぎまでエジプト旅行のトランジェットで
ドバイ空港にいました。もしかしたらターミナルは違いますが同じ
タイミングでドバイ空港にお互いいたかもしれません。。
アフガニスタンは私も憧れておりカブールや郊外の広陵とした
砂漠色の山々に水と緑のオアシス風景、遠くに見える雪を被った
ヒンドゥクシ山脈の遠景とまさにアフガニスタンといった感じで
ここでしか見られない最高の景色だと感じます。とても日本で言われる
危険な国にはとても見えません。。現地には平和な日常と人々の暮らし
子供達の笑顔が垣間見えます。平和になったらバーミアン遺跡周辺の
リゾート開発はオアシス風景で心地良さそうと想像できます。
マザーレシャリーフのブルーモスクはYouTuberの動画とかでも見ましたが
やはり現地に行くと一枚一枚の小さな青いタイルがとても美しいです。
確かに観光客が溢れる所ではありませんが、高い志を持ち現地を学ぶ姿勢を
忘れず目的を持って観光する人のみ入ることの許されるような観光地だと
アフガニスタン旅行記を読みながら感じさせれれました。
私は中東イスラーム地域は以前訪れたUAEと今回のエジプトで2カ国ですが
さっくんさんの様に中東の国々を人生賭けて制覇していきたいと思っております。
アフガニスタンの旅行記大変貴重の写真とコメントありがとうございました。
アラビアンナイト
- さっくんさん からの返信 2025/10/04 16:53:46
- Re: 感動のアフガニスタンですね~
- 暖かいコメント、ありがとうございます。同じイスラーム好きな旅人が、同じ日にドバイに降り立っていたと思うと、胸熱ですね!
アフガニスタンは想像以上に復興が進み、敬虔なムスリムが多いので、市民の助け合いも行渡っており、とても安定を感じました。少なくとも、詐欺師が屯するニューデリーを歩くより安心出来ます。
只、未だに逮捕勧告が解けないのは、治安問題では無く、タリバン政権が西側諸国に承認されていない事から、有事の際、日本政府に手立てが無いと言う政治的理由があるからでしょう。
によって、治安に関わらず、アフガニスタンに自由に旅が出来る様になるには、未だ時間が必要でしょう。
イスラームをテーマに旅をすれば、東はお隣中国から始まり、アジア全域、中東、ヨーロッパはバルカン半島、イベリア半島。北アフリカからマグレブ諸国迄、広大な範囲に多様性溢れる文化と歴史を満喫する事が出来ます。
そして敬虔なムスリムは旅人を歓待してくれます。アラビアンナイトさんが素敵なイスラームの旅を送れる事を願っています。
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