2009/05/30 - 2009/05/31
412位(同エリア620件中)
さっくんさん
今年前半期の旅が決定しました。中央アジアを旅します。
そんな訳で09年に訪れたウズベキスタンの旅を紹介します。
韓国経由でウズベキスタンの首都タシケントに向かい、一泊した後サマルカンドに向かいました。
ウズベキスタン地域はその昔、仏教がインドから中国へと伝播する経路にあった事から仏教が栄えましたが、イスラーム勢力の拡大により多くの地域がイスラーム化しました。ジンギスカンの侵攻により多くの地域が壊滅しましたが、ジンギスカンの死後分裂したモンゴル帝国の中で台頭したティムールが、サマルカンドを拠点とし都市整備を図った事で、遊牧民族が多く、都市遺跡を多く残さなかった中央アジア圏に於いて、多くの歴史的建造物がウズベキスタンに残る結果となりました。
嘗てはシルクロードのど真ん中、東西交易の拠点として栄え、ティムールの亡き後、彼の血筋を名乗るカブールが南下し現在のインドにてモンゴル帝国を再興しました。(ムガル帝国)
近世に於いては北方からロシアが侵攻し、ウズベキスタンを領有しました。正に東西南北。歴史の十字路に建つ国がウズベキスタンと言えます。
現在でもウズベキスタンは中央アジアの交通のハブ、そして観光の拠点とし重要な位置である事は変わりありません。
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心地好い並木通りを通ってサマルカンド旧市街を目指します。
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旧市街に辿り着くとティムールの銅像が出迎えてくれました。ティムールはモンゴル帝国分裂後、チャガタイ・ハーン国の軍事指導者出身で、その後ティムール帝国を築いた人物です。彼が此処サマルカンドを帝国の首都に定めた事により、サマルカンドは反映しました。今でも現地では建国の父的扱いを受け、取り分けサマルカンドの歴史を語る上で欠かせない人物です。
チンギス・ハーンが全てを破壊し、ティムールが全てを造った。と言う言葉がこの地に残っています。 -
通称ルホボト廟、シェイク・ブルハヌディン・サガルジの霊廟です。
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いよいよレギスタン広場が見えてきました!
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一旦通り過ぎて逆側から。
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私をウズベキスタンに呼び寄せたレギスタン広場にやってきました。三つのマドラサ(イスラーム神学校)が整然と囲む広場です。思わず息を飲みます。
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正面左に建つウルグ・ベク・マドラサ。
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ウルグ・ベク・マドラサのミナレットに登りました。
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対面のシェルドル・マドラサを見下ろします。
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ビビ・ハニム・モスク方面を眺めました。
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アップしました。
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ウルグベク・マドラサの天文学者ウルグベク等の像。
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広場正面から見て左側に建つシェルドル・マドラサです。
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シェルドル・マドラサの中庭です。
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中央に建つのはティラカリ・マドラサです。
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ティラカリ・マドラサの内部に入りました。
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ティラカリとは黄金。成る程、名前に負けないミフラーブです。
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天井の造形も見事です。
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ティラカリ・マドラサを出たところです。右にウルグ・ベグ・マドラサ、左にシェルドル・マドラサ。
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右手前にウルグ・ベク・マドラサ。右奥にシェルドル・マドラサ。左にティラカリ・マドラサです。
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右手にティラカリ・マドラサ。左奥にウルグベク・マドラサ。右手手前にシェルドル・マドラサ。
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同じアングルでグッと寄りました。
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シェルドル・マドラサのファザードには、本来御法度の偶像が描かれています。
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最後にレギスタン広場で出逢った地元のみんなと!
ウズベキスタンは流石東西文明の十字路。一人の顔立ちに色んな民族の特徴を数種類持ち合わせている人が多いので、上手く溶け込めてしまいます。 -
ショブ・バザールに向かう道はシルクロード風情が満ちていました。
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到着したショブ・バザールは、予想以上の規模で賑わっていました。
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サマルカンドのナンはウズベキスタンでも名声が高いのだそうです。
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バザールで活気を補充させて頂きました。
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ビビ・ハニム・モスクにやってきました。巨大なファザードです。
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ティムールの鶴の一声で建設された、彼の妻の名を冠した当時最大級のモスクです。
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モスク内は中庭となっていて、取り囲む四方に巨大な本道と小さなお堂が建てられています。
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ティムールはチンギス・ハーンが成し遂げたモンゴル帝国の再興を目指し、瞬く間に中央アジアを制覇し西はハンガリー迄攻め込みました。
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ハンガリーから凱旋したティムールは今度は東、中国へと向かいました。対する明は嘉峪関でティムール軍を迎え撃つ体勢を整えましたが、途中ティムールが病没した為、戦いは回避されました。その後ティムール帝国は分裂し歴史からその名を消します。ティムールはモンゴル帝国の再興を目指しましたが、モンゴル帝国がチンギス・ハーンの死後あっという間に分裂した様にティムール帝国も同じ道を辿る事となりました。
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但しティムールは遊牧民で定住の概念が無かったチンギス・ハーンとは違い、拠点としたサマルカンドに様々な建造物を造り、街を整備した事から、ウズベキスタンでは建国の父的に慕われています。
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ティムール帝国が滅亡したその後に、ティムールがモンゴル帝国を再興しようと試みたと同様に、ティムールの血統を称し(真偽は解りません。)再びモンゴル帝国再興を図る男が現れます。バーブルと言う男です。しかし残念ながら彼は中央アジアで志を遂げる事は出来ませんでした。しかし彼は南へと旅をし、そしてひょんな場所で彼なりのモンゴル帝国を立ち上げます。通常我々がムガル帝国と教科書で習うインドのイスラームの帝国です。ムガル帝国のムガルとはインドの訛りでモンゴルを意味するのです。
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建設を急がせながらティムール自身はインドへと遠征中、
「私と関係を結べば工期に間に合わせて作ってやる。」
との悪魔の囁きに、監督を代行していた王妃は耳を傾けてしまいました。こうしてモスクは完成しましたが、結局事がバレてしまい王妃はミナレットから身を投げたと言う伝説が残されています。 -
グル・アミール廟を訪れました。ティムールが眠る霊廟です。
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霊廟内の見学に夢中になっていて、ふと気づくと何やら雰囲気が変です。何かが始まる様な気配。慌てて周囲を見回せば地元の人ばかり…。
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なんと礼拝が始まってしまいました。東西文明の岐路にあたるウズベキスタンの人々は、各々多様性を持ち合わせた顔立ちをしているので、いつしか紛れ込んでしまったのでしょう。
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イマームを囲んで座る地元の人に紛れ、神妙な面持ちで皆の一挙手一投足を恐る恐る真似て、無事礼拝を乗り越えました。貴重な体験でした。
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ルハバード神学校の正門。
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シャーヒズィンダ廟群を訪れました。
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ティムールの親族等ウズベキスタンの重要人物が眠っています。
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ふんだんにウズベク・ブルーが使われています。
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建築様式や装飾の紋様に、うっすらとイランの影響を感じます。
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美しい建築に、つい忘れてしまいますが此処は墓地なのです。
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永眠する場所ですからワイワイガヤガヤは控えましょう。
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余りに多くの旅人に訪れられて、ティムールの親族は眠れているでしょうか?
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でも、忘れ去られて管理も行き届かない墓地より賑やかなくらいが良いのかもしれません。
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只、昔はそんなものなのかもしれませんが(もしかして今も?)生きている庶民の家よりずっと立派な街の様相の建築群に、こんなんで良いのか?と思う気持ちもあります。
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本当に美し過ぎる死者の街です。
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幻想的な天井です。
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一棟、一棟デザインも装飾も大きさも違います。建売りではありません。
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廟群で出逢った若者達と…
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廟群の階段の数を数えて、往きと帰りで数が合えば天国に行けると言う言い伝えがあります。途中で知っても…。
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本当素敵な空間です。水回りを付け加えたら暮らしたいレベルです。
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ウズベク・ブルー全開です。
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タージ・マハルの様な豪華絢爛の単体の凄さもありますが、墓地としてこれだけの規模で、これだけ装飾性に満ちた廟群が放つ迫力も負けていません。見応えあり過ぎです。
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此方は正にイラン様式のファザードです。
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廟内の天井の装飾も見事です。
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イスラーム建築の美学とウズベキスタン・ブルーを満喫しました。
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レギスタン広場では夜になるとライトアップ・ショーが行われています。
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ハズラティ・ヒズル・モスクを訪れました。下部が絞り込まれた柱で支えられたオープン・テラスを持つ様式はウズベキスタンのモスクの様式のひとつです。
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ミナレットの上からビビ・ハニム・モスクを眺めました。
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ミナレットは高くはないもののモスク自体が小高い丘に建つので見晴らしは良いです。
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ビビ・ハニム・モスクです。
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ウルグベク天文台を訪れました。
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殆ど現代の時間と寸分の差が無い程、時刻を正確に導き出せると言います。
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イスラームはキリスト教の様に科学と対立する事は無かったので天文学は良く発達し、ガリレオガリレイが宗教裁判にかけられてる頃、普通に地動説が信じられていました。
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英語学校の一団と出逢いました。私の
「英語を学ぶ事は難しいですか?」
との質問に
「我々は歴史的に幾つもの言語を学ぶ必要がありました。直近ではロシア語です。またひとつ学ぶべき言語が加わった過ぎません。」
と言う逞しい返答が返ってきました。 -
イスラームの街では珍しい、ゆとりを持った幅の道です。
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アブディダルン・コンプレックス。
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苔むした姿も味があります。
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アブディダルン・コンプレックスのミナレット。
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ティムール家の親族が葬られたと言うイシュラトハナ廟です。
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崩壊したままの姿ですが、建築の構造を知るにはもってこいかもしれません。
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シルクロード風情たっぷりの路地裏を歩きます。
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ブハラ迄は鉄道の旅です。
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車窓の風景は渇いているものの緑が大地を覆っています。
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車窓の風景が徐々に渇いていきます。ブハラに近づいています。
最期までご覧になってくださあり、ありがとうございました。
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