2014/06/05 - 2014/06/06
198位(同エリア871件中)
さっくんさん
スペイン、アンダルシアの旅二ヶ所目の目的地は後ウマイヤ朝の首都として栄えたコルドバです。
当時ヨーロッパ最大の街として栄えたイスラームの街の残り香を求め散策します。
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グラナダからコルドバへ向かう道。
とっても長閑な車窓です。 -
道中にはぶらり途中下車したくなる様な村が沢山!
グッとこらえます。 -
此処はなんて言う村でしょう?
素敵です。
コルドバ、セビーリャを見終えたら、幾つか白い村を訪れたいと思います。 -
向日葵畑!
これも期待していました!
季節は合っていた様です。
カルモナでも咲いているかな? -
コルドバに到着しました。
先ず紹介するのはカラオラの塔。
この塔を潜るとローマ橋が架かり、その向こうにメスキータがあります。 -
ローマ橋の向こうにコルドバを代表する建築物のメスキータ。
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正面からメスキータを臨みます。
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メスキータのミナレットです。
今となっては教会なので鐘楼と呼ぶべきでしょうか?
でも、実はこの二つは元々同じもの。 -
ミナレットはイスラーム帝国がビザンティン帝国の教会の鐘楼に習い築き始めたもの。
その源流はシリア、ダマスカスのキリスト教会を改修して作られたウマイヤ・モスクにあります。 -
建築技術が進むと、アッザーン(礼拝の呼び掛け)を唱えるスペースがあれば良いミナレットは次第に細長いデザインになりましたが、鐘楼は字の如く鐘を載せなければならないので、一定の太さを保ちました。
尚北アフリカのモスクのミナレットは現代も鐘楼サイズの太さを保つ様式です。 -
イスラームの礼拝は一定の時間に多くの信者が出入りするので多くの扉が設けられましたが、教会になって以降、その多くが開かずの扉になりました。
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メスキータとはスペイン語でモスクを表します。
レコンキスタ完了後カルロス1世により教会に改修を命じられますが、此処を訪れ、その美しさに驚いたカルロス1世本人が
「どこにでも作れる物の為に、どこにもない物を破壊してしまった」と建築許可を後悔する発言をした為、全てが破壊される事無く、モスクと教会が併存する、世界にまたと無い建造物となりました。 -
ただ、世界にまたと無いと言いますが、こうした柱を多用した建築様式は、ドームが開発される以前はモスクの建築様式の基本であり、多柱式モスクは東西問わず世界的に見る事が出来ます。
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勿論カルロス1世が口にした「世界にまたと無い」と言う表現は決して間違いではありません。
ローマの水道橋をモチーフにしたと言われる二重のアーチは、屋根を支える為多くの柱が必要な多柱式モスクの圧迫感を拭い去るばかりで無く、芸術性までそれに付与した世界にまたと無い建造物と言えるでしょう。 -
世界にまたと無い建造物とカルロス1世に言わしめたメスキータを築いた後ウマイヤ朝の首都コルドバは、当時最大級の都市ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルやアッバース朝の首都バグダッドに比肩する程繁栄し、ヨーロッパ中から学者が集まる学問の都市でもありました。
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昔々ギリシャで培われた人類の英知。
それを受け継いだローマ帝国はやがて東西に分裂しました。
その時英知を受け継いだのは東ローマ帝国、即ちビザンティン帝国でした。 -
7世紀突如拡大したイスラーム教は、ビザンティン帝国の領土を掠めながら更に拡大を続けましたが、その時多くをビザンティン文化から学び、吸収しました。
ビザンティン帝国が受け継いだ英知も例外ではありません。
そしてイスラーム帝国の進撃は北アフリカを西に進み、ジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島を制圧しました。 -
こうしてイスラーム帝国が築いた首都コルドバに、ヨーロッパでは長らく忘れられていた英知がもたらされ、ヨーロッパ中の学者がコルドバに押し寄せました。
嘗てギリシャで産まれた古の英知が、長い年月を経て地中海を一周して再びヨーロッパに還って来たのです。 -
こうして後ウマイヤ朝の首都としてコルドバは当時世界最大級の都市、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープルやアッバース朝の首都バグダッドと比肩する都市に成長しました。
そこではイスラームのみならずキリスト教徒もユダヤ教徒も分け隔て無く暮らしました。 -
こうしてスペインにもたらせた英知と、シルクロードを経て伝わった羅針盤、イスラームに学んだ航海技術が加わって大航海時代に繋がっていきます。
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さて、モスクと聞くと入り辛い場所とか怖い場所と思ってしまう人もいるかもしれません。
しかし実際は信徒にとっては神社仏閣や教会よりもずっと身近で寛げる場所なのです。 -
と言うのも、神社仏閣や教会とモスクでは決定的な違いがあるからです。
神社には御神体、寺院には仏様、教会では聖人が奉られているから、その建物自体が聖域です。
一方イスラーム教は神はひとつ。モスクには神がいませんし偶像も有り得ません。
だからモスクは単なる祈りの為の場所に過ぎません。
従ってモスクは神社仏閣や教会と違って聖域では無いのです。 -
この様にモスクは聖域では無いので、礼拝さえ終われば信徒にとってモスクはお喋りの場であり昼寝の場所です。
ただ其処が誰でも入れるとなると寛げるものも寛げなくなってくるので観光物件以外のモスクに信徒以外お断りが多いのはその為です。
この様に古くからモスクはイスラームにとって礼拝所であると共にコミュニティ・センターとして機能してきました。 -
メスキータの中央はキリスト教の教会として改装されています。
此方にはドーンと祭壇が設けられ、とても昼寝出来る雰囲気ではありません。 -
イスタンブールでは東方正教の大聖堂がモスクに改装されたアヤ・ソフィアがありますが、メスキータはモスクが教会に改装されました。
ヨーロッパの東西で、二つの宗教が折り重なるモニュメントが今に残ります。 -
モスクの中に祭壇がある、とても不思議な空間。
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とは言え、内装がかなり保存されたからメスキータが特別に貴重な存在となっていますが、アンダルシアの大抵の大聖堂は元モスクを改装したものです。
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メスキータ。
底面積で言えば現代のグランド・モスクを並べてもひけを取らないだろう規模のモスク。
そして其処に森の様な円柱を二重のアーチで支えた芸術的な内装。
圧倒されました。 -
ユダヤ人街を訪れました。
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イスラーム時代はユダヤ教は差別を受けなかったので、大勢のユダヤ人が此処に暮らしました。
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イスラームは戒律により、利子のみで商売を行う事が出来ない為、専らユダヤ人が銀行、金融を独占しました。
これがキリスト教徒時代になると、キリスト教徒の潜在的なユダヤ人に対する偏見と、富裕層に対する反感が加わりユダヤ人は追放されてしまいました。 -
そんな追放されたユダヤ人を受け入れたのは、宗教的に寛大だったオスマン帝国であり、コルドバを追放された多くのユダヤ人が、今のボスニアヘルツェゴビナのサラエボに移住しました。
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花の小径にやって来ました。
字のゴトク花に囲まれた路地から、メスキータのミナレットが覗けます。 -
アルカサルの庭園です。
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キリスト教時代に築かれましたが、イスラーム様式を色濃く残しています。
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バスに乗って、郊外に残る離宮都市、メディナ・アサーラを訪れました。
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宮殿と認識して訪れましたが、保存状態はともかく規模は予想以上に広くて驚きました。
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未だ全体の十分の一の調査だそうです。
宮殿では無く、正に都市遺跡です。 -
遺跡は傾斜地に三段に築かれ、最上段に宮殿、その下は官庁、最後に住民の居住区となっていた様です。
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これだけの規模のイスラームの都市遺跡は貴重な存在だと思います。
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これだけの規模の離宮都市があったのだから、さぞかしコルドバは大規模の都市だったのでしょう。
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レコンキスタ後、五百年以上経っているにも関わらず、異教の遺跡が今日までヨーロッパに残っていた事に驚きます。
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独特の馬蹄形の門が続いています。
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ローマ遺跡ならともかくヨーロッパでイスラームの遺跡を見れるとは思いませんでした。
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遺跡へはバスで向かいましたが、本数が少なくちょっと駆け足にならざる得ませんでした。
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それでも当時の栄光を犇々と感じる事の出来る遺跡でした。
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イスラーム帝国の首都だったコルドバでは多いに中庭文化が花咲いたので、現代でも中庭の美しさを競うパティオ祭が行われます。
ちょっと名前を忘れてしまったのですが、そんな中庭を幾つも展示している中庭博物館?的なところを伺いました。 -
広い敷地内に趣向を変えた大小の中庭が設けられています。
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現代建築なのでイスラーム式の四分式にはこだわらず中庭文化を楽しんでいます。
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それでも中央に水場を添えるのは外せません。
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ヨーロッパではこうした趣向が好きですね。
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コルドバではその中央の水場を花で囲むのが好まれている様です。
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此方は大きい水場がありました。
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此方はフェネラリフェのアセキアの中庭の様な縦長のデザイン。
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こんな可愛らしい噴水も。
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アラブ浴場跡です。
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近年整備されたのか、真新しいです。
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パティオのあるレストランに入りました。
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コルドバ名物のガスパチョ、サルモレホ。
チーズが入っていて濃厚な味わい。
これもいけます! -
コルドバでは名物の牛テールの煮込みを頂きました。
メスキータにメディナ・アサーラ。
後ウマイヤ朝の史跡に惚れ惚れしました。
次回はセビーリャに向かいます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- kummingさん 2019/07/29 17:29:13
- うわ~(°_°)
- こんな旅行記を5年間も寝かせてたのですね~
いつ見ても素晴らしい写真、それに加えて詳しい歴史解説♪
ヨーロッパでギリシャ文明もローマ文明も顧みられない暗黒の時代に入っていた頃、アラブ、イスラムで花開いた文明が、今度はコルドバに逆輸入されて、ヘブライ語やアラブ語がギリシャ語、ラテン語に翻訳され、その頃シチリアのフリードリヒ2世もコルドバの学者さんと密な関係にあったとか…。
まだまだ浅い知識なので、さっくんさんの解説で色んな事が上書きされて、更に興味が湧いてきました♪
メデイナアサーラという離宮都市は知りませんでした!イベリア半島にこんなにイスラム文明が残っていて良かった~、私はまだ北アフリカやアラブ諸国、トルコに足を踏み入れる勇気がないもので(-。-;
またこの話題になりますが、同じ一神教でも、以外とイスラムの方が寛容で、キリスト教、特にカトリックが1番狭量で、同じ宗教でも異端排斥とか凄い歴史ですよね!?
スペインに行く前にさっくんさんのブログ見てたら、行く意味無くなってたかも(笑)
続編、更に楽しみ~^ ^
- さっくんさん からの返信 2019/08/04 19:08:24
- Re: うわ~(°_°)
- いつもお返事遅くなってごめんなさい。
本当キリスト教の異端に対する圧力は執拗且つ残虐ですね。
今の情勢を鑑みても、その傾向は治ってはいないと思っています。
そもそもキリスト教自体、創設期にはユダヤ教から異端として迫害されながら成長してきた歴史がありますね。
確かにヨーロッパ等のインフラに比べるとイスラーム諸国のインフラはアジアやアフリカの様に読めない部分も多く、慣れないと大変な部分もありますが、慣れるとその緩さがたまらなくもなります。
どうしても不安な場所等は一人追加料金等で割高にはなりますが、一人催行可能な僻地系に強いツアー会社もありますし、ツアーと言っても一人なのでアレンジが出来るので不安なホテルと移動だけ頼んでと言う方法もあります。
興味を持たれたら是非旅してみてください。
イスラームの旅は交易路を辿る旅でもありますから、きっと一ヶ所行ったら交易路繋がりでどんどん次に行きたい場所が増えていきます。
何せ東は中国の西安西はアフリカまで、イスラーム繋がりで多彩な文化や歴史を楽しめますよ!
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