2023/02/01 - 2023/02/02
4位(同エリア41件中)
さっくんさん
さて、やっと本題のバングラデシュへ。早速クルナへ向かう船を探しに行くも、どうやら乾期による水量の低下なのかバスで行け!と言う事となり、急遽バスへと変更。船を諦めた事によりかなり時短となるので、これからの計画を大きく変える必要があります。しかし、いざ現地に着いてみれば日本では悶々として中々出てこなかったアイデアが次から次へと出てきて不思議です。さぁ、いってきます!
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コロンボのバスターミナルから空港往きバスに乗り空港へ向います。空港ではちょっとスリランカのお土産をチェックしました。バングラデシュではバラマキ用は見つかりそうにありませんから。
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スリランカ航空に搭乗します。たった一日の滞在でしたが、なかなか面白そうな国でした。もし今度訪れる事が出来れば~と色々プランが頭に浮かんできます。いつの日かまた訪れたいな。良いトランジットの時間を過ごせました。
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たった3時間のフライトですが食事がつきました。ライスがバー状態になってる(涙)
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スリランカから僅か3時間でバングラデシュへ到着です。バングラデシュ…国名の由来は「此処は何処ですか?」と尋ねられた日本人が「ベンガルです。」と答えたから…と言うのは全くの嘘で、でも大きくは変わらずベンガル人の国と言う意味です。元々はインドとしてイギリスから独立するも、宗教の違いによりインドとパキスタンに分離します。その時現在のパキスタンが西パキスタン、現在のバングラデシュは東パキスタンとなりました。しかし手綱は常に西パキスタンが握った為、ベンガル人の民族意識が強まり、紛争の末1971年独立を果たした、私より若い国でもあります。国土の殆どはガンジス川を始めヒマラヤ山脈の河川が造る世界最大級のデルタ地帯であり、それは恵みを齎す一方、河川氾濫が常に付き纏う事でもあり、一時期は世界最貧国とも言われました。しかし日本の援助も功を為し、順調な発展を遂げている国です。
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やっと、やっと、見つけました!スモーキング・エリア。空港の外に出てしまえば、この国なら何処でも吸えそうですが、先ずは一服です。長い搭乗後の一服って美味いんだよなぁ!
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来ました!来ました!バングラデシュ!早速群がるオートリキシャー(バングラデシュではCNGと呼ぶそうです。)の運転手さんに鉄道駅の場所を教えて頂き、早速駅へと向かいました。
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いやぁ、のっけから人!人!人!カオスに満ちています。今アジアは光速の勢いで近代化しています。嘗て、まるで北斗の拳の世界観、若しくは地獄絵図の様な光景で私にトラウマを植え付けたコルカタの街も、YouTubeで眺めたコルカタは最早別世界が拡がっていました。私がミャンマー訪問時トランジットで立ち寄ったバンコクのカオサン・ストリート。表通りは世界中のパリピで溢れ、バックパックを背負った私は肩身が狭い程の様変わり様。カオスを求めるバックパッカーの居場所がどんどん狭まっている事を痛感します。
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インド亜大陸の世界観、本当好き。その中心となるインドは旅の酸いも辛いも教えてくれた私のバックパッカーとして原点とも言える国(散々ディスってるけど好き。(インドなんて二度と行くかボケ!…でも、また行きたいかも)なんて小説がありましたが、本当それ!)です。そんなインドに囲まれ、同様の世界観を持つバングラデシュに降り立った時、初めて訪れた国なのに、抱いた感想は「還ってきたぁ…。」でした。
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1日並んでも順番が訪れない様な長蛇の列をスルーして向かうべくコムラプール駅方面のホームに渡ります。
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長蛇の列の空港側のメインゲートとは裏腹に反対側には小さな詰め所が一つ。全く並ぶ事無く切符を購入出来ました。勿論無賃乗車は出来ますが、無賃乗車は決してしません。自らルールを破ったら、ルールを破られて自分が被害を被っても正当性を訴えられなくなると思うからです。小さな事ですが、小さな事から守る事が大切なのです。これは犯罪学でも重要な事です。軽犯罪だから甘やかすのでは無く、軽犯罪のうちに厳しく取り締まる事が大切な事なのです。今世間を騒がせている回転寿司屋の厳しい対応は犯罪学的にも正解なのです。
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列車がやって来ました。あっという間に人が客車に群がります。こりゃダメだとばかりに周囲の若者と一緒に駆動車のデッキによじ登りましたが、駅員さんに敢えなく追い払われました。インドやバングラデシュでは恒例だった筈なのに、安全意識が芽生えたのでしょうか?昔インドでは楽しめたので残念です。
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ダッカのセントラル・ステーション。コムラプール駅はエアポート駅からたった4駅なのにとっても時間をかけて到着しました。
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視覚、様々な原色の女性のサリー。味覚、スパイスだらけの痺れるカレー。聴覚、一日中鳴り止む事の無いクラクション、嗅覚、スパイスの匂い、小便臭から腐敗臭迄。触覚、人混み、リキシャの群れ、ひたすら掻き分ける手触り…五感それぞれが余りにもビビッドでサイケテリック。その内意識はトランスしていきます。懐かしいなぁ、この感覚。
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ボルボ製のバックフォーがお仕事頑張っています。どうやら誘導員がちゃんといますが、日本に比べれば全然伸び伸びと工事をしています。世界的に見て、ある意味日本が過保護過ぎだと思います。勿論安全に越した事はありませんが、それに胡坐して個人個人が危険予知出来なくなってしまっては本末転倒な気もします。こうした国ではなんの予告も無く地面に穴が開いていたりしますので、ながらスマホしてたら即ホールインワンですよ(笑)
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明日向かう事になるクルナへの船のチケットを購入する為。チケットを扱うBIWTCのオフィスを探し、迷っているうちにオールド・ダッカに入ってしまいました。こうなったら直接船着き場であるショドル・ガットへ向かう事にしました。それにしてもこの電線の数、そして混沌とした巻き方。これがバングラデッシュの混沌を上手く表現しているとさえ感じます。
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バングラデシュと言うと良く聞く言葉は「世界最貧国」と言う呼び名です。只私が歩いた分には(全工程を通じて)最貧国と言うのは有り得ないと思いました。地方ではミャンマーの方が明らかに貧しさを感じましたし、物乞いに関しても確かに多く出逢いましたが、しつこく強請られたのはお金と言うより煙草だったりしました。現在アジアは急激な速度で発展しています。バングラデシュは最早最貧国ではありません。我々の持つイメージのアップデートの速度よりずっと早く世の中は動いているのです。
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そんな近代的なダッカを楽しみたいなら、空港に程近いグルジャンやボナニ地区を訪れれば良いと思います。最早バングラデシュのイメージと違う世界が其処に広がっているかもしれません。(訪れていないので詳しくは知りません。)いやいや、バングラデシュへ来たのだからバングラデシュらしい処が良いよ!と言う私の様なタイプなら間違いなくオールド・ダッカ一択でしょう。近代化を進め様にもどこから手を付けて良いか解らない程のカオスが其処に集約されています。
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日本のマーケット事情が昭和の様な駅ビルや百貨店の様な高層ビル型からイオンの様な低層で広大な敷地型へ移行しつつある。と言う論評を聞いた事があります。だとしたらオールド・ダッカはイオンが数百軒習合してしまったかの様な巨大なマーケットです。アラブのスークと同様、同業の小さな店舗が集合して通りや地区毎に全く異なる品を扱う商店街となっています。
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ちょっと開けた空間では沢山のリキシャが待ち受けてます。この広大過ぎるショッピング・モールを効率良く買い物するには小回りが利き手頃な値段のリキシャでの移動が最適解です。
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結局、クルナ迄の船便のチケットは手に入れられませんでした。船着き場で係員から聞いた言葉は
「クルナに行きたいのならバスか電車でいってくれ!」
との事でした。元々乗れればそれも風情だな!程度に思っていたので、すぐ計画を練り直しです。元々ネックに感じていた一日以上の船の移動時間が浮いた事により、様々な新そこに書かれていたたな行程を加える事が出来そうです。また陸路の移動についても私が持っている地球の転び方は15~6年版で余りにも古い情報なのですが、そこにはバスで11時間程度と書かれていたものが、橋が出来た事により半分以下の時間で向かう事が出来る様です。最早船と言う選択肢は私の脳裏から消えました。 -
トボトボとモーティジールにある私のホテルへ戻ります。バングラデシュは季節なのか果物屋さんが沢山あって果物も生き生きしています。ちょっと写そうかな?と写真を撮っていると店主に見つかってしまいました。
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でも此処はバングラデシュ。インド亜大陸の人々は何故か写真が大好き。
「俺も撮ってくれよぉ!」
と言う展開になります。 -
夕御飯を食べにコムラプール駅前へ向いました。
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カレーはナンと御飯で食べる二つの方法が主流です。水が多く水田が多いバングラデシュは御飯党が過半数を超えていました。一般的にはムスリムが多い北部インドではナンを、ヒンズー教徒の多い南部では米でカレーを食べる事が多いと言われます。私はナン派です。
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赤くネオンが光っている建物が私がダッカ滞在中お世話になったホテル・シャリマール。駅からもデラックス・バスのオフィスからも徒歩10分圏内、とても立地の良い格安ホテルでした。フロントのお兄さんも優しいイケメンです。
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おやすみなさい。
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さあて出発の朝がやってきました。「来るな!」と言われればクルナに行かない訳にはいきません。
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折角用意されているのにあまり使われていない陸橋に登ってカオス溢れる街を見下ろします。陸橋の上は人で溢れて窒息しそうな場合の避難場所と言って良い程ひっそりとしていますが、野犬の寝床や行き倒れさんの寝床になっていたりもします。
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交差点では
「どうやったらこの状況が解決・終息するんだろう?」
と言う光景が一日中繰り返されます。 -
いったい何にこれ程人が群がっているのでしょう?
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ダッカでは大都市なので地方に出る場合は方面によって幾つかのバスターミナルに分かれています。今回訪れるクルナや北西部の街々へはカブトリ・バスターミナルが殆どの発着となります。ただこのカブトリ・バスターミナルはダッカの中心から離れているのが問題です。只、デラックス・バス等を扱うオフィスはモーティジール等で建ち並ぶ地域があり、そこから発着するバスもあります。私もクルナへはモーティジールのショハグのオフィスからの出発となりました。
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あそこら辺のどちらかが私が乗るべくクルナへ向かうバスでしょう。
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さて、漸く出発します。乗り物の出発直前は何時でも何処でもワクワクします。それが自分が練った旅なら尚更です。
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バングラデシュはガンジス川を始めヒマラヤ山系から注がれる河川が終結した超巨大デルタがそのまま国土となっている国です。ですから船の移動が基本となっており、バスや鉄道は数少ない橋梁に迂回せねばなりませんでした。しかし昨今日本を中心として橋梁建設が進み、各都市間の移動が飛躍的に向上しました。ダッカ~クルナ間はその好例です。
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ダッカからチッタゴン方面を結ぶ橋梁工事には日本の大林組や清水建設が行いました。その際彼等は工期を待たずして橋を完成させ、浮いた工費の全てをバングラデシュへ返納しました。この行動はバングラデシュに止まらず世界に称賛されました。これこそ援助の鏡。技術ならある程度猿真似出来る国はありますが、その誠実さは奴等には真似すら出来ません。流石日本のスーパー・ゼネコン。粋ですね!
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流石デラックス・バス北欧製の小綺麗なバスを使っています。ちゃんとしっかり途中休憩を入れてくれます。でもバングラデシュらしくないんですよね。本数も少ないし、乾季ではあまりエアコンの有難さも感じられません。クルナ以降はデラックスでは無いバスばかり使いましたが、途中休憩は乗客は降車する時間は無く、その代わりお菓子やつまみ程度の車内販売から喜捨を求める物乞いさんが車内を練り歩きます。バスは古い日野製が殆どでした。
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途中休憩に入ったので軽食を摂りました。中身は結局カレーです。
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新しく作られた道でしょうか?美しい木立に囲われた美しい道が続きます。
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バングラデシュがデルタ地帯だと痛感する程川を渡ります。10年程前は橋が無かったせいで、ダッカ~クルナ間は直線距離にすれば150㌔程しか無いのに関わらず、大きく迂回するしか方法が無いので10時間以上かかっていたそうです。
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バングラデシュ南西の管区、クルナ管区の管区都であるクルナに到着しました。南部には世界最大級のマングローブ林が広がるシュンドルボン国立公園が有名です。
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旅人がクルナを訪れる理由として
1先に述べたジュンドルボン国立公園でマングローブ林をクルーズする。
2ダッカ~クルナを結ぶ船便、特に年代物の貴重な蒸気船ロケット・スチーマーに乗船する。
3隣接する街、バゲルハットに残る世界遺産のモスクを訪れる。
等が挙げられます。イスラームをテーマにした旅を続ける私は当然3が目的となります。 -
さて隣接する街とある様に、モスクへ辿り着く為にはクルナからバゲルハットへ移動しなければいけません。先ずは両替店を探してホテルに荷物を置いて出発です。先ずはバゲルハット方面に行くには渡河しなければなりません。渡し舟が発着するルプシャ・ガット迄は少々距離があるので時間節約の為リキシャを使わなければいけません。
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私は滅多にリキシャを始めタクシーを使う事はありません。その理由のひとつとしてインドでのリキシャとのトラウマを挙げる事が出来ると思います。タクシーと料金で揉める事は世界各地でありますが、インドのリキシャは本当面倒臭い乗り物です。観光地では最初の言い値が降りる時に10倍以上になる事も更。その度にいつ終わる事になるか解らない料金交渉が続きます。あの頃は若かったので本当に頭に来てリキシャ・ワーラーにチョーク・スリーパーかけてしまった事もある位。リキシャーは自転車なので行動範囲も限られます。こんな面倒臭い事になる位なら歩いた方が早いと思ってしまうのです。
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そんなリキシャと言う面倒臭い乗り物ですが、それが全く面倒臭く無い国を二つ知っています。インドを挟む二つの国、パキスタンと此処バングラデシュです。勿論外国人料金的に多少は高く請求されてはいると思います。でも、最初の言い値と実際の請求額が違った事は一度もありませんでした。しかも料金も数キロ走らせて50円程度なので反って申し訳無く思ってしまう程でした。バングラデシュは本当に安心してリキシャに乗れる国なのです。タクシーは一番トラブルが多い乗り物です。中南米では運転手が突如強盗殺人犯に早変わりしたり、ヨーロッパでさえ白タクは人間の屑の様な輩がワンサカいる中、バングラデシュのリキシャ・ワーラーは素晴らしい人間ばかりでした。ありがとうございます。
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ルプシャ・ガットからは渡し舟に乗り対岸へと渡ります。牛や羊では良く見かけますが、人間がこれだけ詰め込まれての渡し舟は初めて見たかもしれんせん。
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もうぎゅうぎゅう詰めです。
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因みに下流には橋も架けられているのですが、遠回りになる為か今でも尚渡し舟を利用する人でごった返しています。
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これだけ人間をすし詰めした渡し舟が引っ切り無しに行き来します。なんでそんなに行き来するのだろう?と不思議に思う程。
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川の奥には大きな船も停泊していました。
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ドサドサと対岸からの旅人を降ろしては、再びドサドサ旅人を詰め込んで渡し舟は間髪入れずに出港します。
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渡し舟の発着場にはおやつ売り場もありました。何やら豆の様なものです。ローカル・バスの停車時にも勝手に車内販売として乗り込んできた売り子さんが豆の袋詰めを売っていました。
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ルプシャ・ガットからバゲルハット迄はローカル・バスを使います。ローカル・バスはデラックス・バスと違い客を詰め込めるだけ積み込みます。(屋根の上とかには乗っけません。)そして空席が出来れば再び客引きです。取り分けバゲルハット行きのこのバスはボスがケチなのか執拗に客引きを繰り返し中々先に進みません。
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やっと走り始めたと思えばガソリンスタンドへ立ち寄って給油。こうした国のバスやタクシーあるあるです。それでも私にとってデラックス・バスよりローカル・バスの方に乗る方が好きです。クルナ往復を覗いて全てローカル・バスを使った旅になりました。
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それにしても、このバスの支配人はがめつくて、余りにも客引きで待たせるので、我慢強い地元のオッサンにも「早よせいや!」的に怒鳴られていました。バスが停まると勝手に車内販売が入ってきますが、その中でもメジャーだったのが、キュウリの切り身に塩をかけた様なもの?興味津々でしたが、衛生問題的に手を出せませんでした。結果的に最終的にはどんなにあがいてもお腹壊したのですから気にせず食べておけば良かったと後悔しています。
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クルナからバゲルハット迄は約25㌔しか離れていませんが、その間にも幾つもの小さな集落があって、バスは小まめに停車します。中東や北アフリカの田舎では一旦村を出れば、かなり先まで次の集落に辿り着かない事も多いです。流石人口密度の多い国です。
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限界集落、30年後に存続できていない街…等寂しい話題がチラホラする我が国ですが、バングラデシュでは当分その心配は無用な様です。
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漸くお目当てのモスクに到着しました。昼過ぎにクルナへ到着したと言うのに、ホテルまでのんびり歩いてしまった事、両替屋を探すのに手古摺った事、そしてがめついローカル・バスに乗ってしまった事によりもう夕焼け間近です。しかしそんなタイミングで私に伏兵が待ち構えていました。
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さあて、お目当てのモスクを堪能しようかと思ったところ、社会科見学に訪れていた高校生達に取り囲まれてしまったのです。一人のヤンチャ君が率先してセルフィー攻撃です(笑)今の若い人々はセルフィーと言って、昔の人の言うツーショットを撮るのが流行っている様です。まるで頬を摺り寄せる様に近づけてスマホで自撮りしツーショットを写します。次から次へと、もう揉みくちゃです。
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騒ぎを嗅ぎ付けて後から後から学生さんが加わります。そして女子さえ加わり始めました。可愛らしい女学生さんと頬を摺り寄せる様にツーショット。兎に角ヤンヤヤンヤのお祭り騒ぎ、先程のセルフィーをチェックしていた女学生さんが
「いや~ん、もう!目瞑っちゃってるじゃない!」
なんて黄色い声が聞こえてきます。(別嬪さんとのツーショットと言うまたと無い機会に目を瞑るなんて、何と言う大失態!)いや、彼女以外でも目を閉じていると言うクレームが来て撮り直しになる事も多く、要するに目を閉じてしまう程次から次へとセルフィーの嵐なのです。 -
やがて先生がやってきました。やっとこれで解放されるかと思いきや、先生にもセルフィーをねだられる始末。いや、でも楽しいひと時を送れました。こんなにチヤホヤされるのは高校時代の部活時代以来、多分人生最期でしょう。だから私がもスマホを持っていたのだから、負けずに彼等をセルフィーしちゃえば良かったのに!とこの旅最大の後悔でもあります。未だ未だセルフィーの嵐が始まる直前に写した上記二枚がやっとのていたらくでした。
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やっと嵐が過ぎ去りました。日没まであと少しちょっと急ぎ足でモスクを観ていきましょう。
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此方が世界遺産のバゲルハットのモスク群の中心となるシャット・ゴンブス・モスジッドです。シャット・ゴンブスとは60を意味し、実際には11×7で77基、四隅の塔を加えると81のドームがあります。
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建設時期は1459年、この地をムガル帝国が支配する以前の貴重なモスク建築になります。ムガル帝国時代に入るとタージ・マハルを代表する様に大規模なドームを建築する技術を得たインドのモスク建築ですが、それ以前は小さなドームしか作れませんでした。なのでその時代のモスクは多柱式モスクが造られました。内部に数多くの柱を立てて数多くの小さなドームを支える建築様式です。
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内部に入るとこの様な感じです。さて、では何故モスク建築では大きなドームが必要だったのでしょう?イスラームは一定の時間に多数の信者が礼拝を行います。ですから出来るだけ広大なスペースを持つ礼拝施設が必要だったのです。最初はこうした多数の柱で小さなドームを支える様式が主体でしたが、大きなドームを支えられる技術が発展すると、世界に並び建つような巨大なドームを持つモスクが多数建てられる様になりました。この様な多柱式モスクで代表的なものはゴルドバのメスキータが有名です。
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更にモスクは定時に多数の信者が礼拝を行い、出入りする事になるので、出入りが容易になる様に出入口はミフラーブ(メッカの方角を示す窪み)以外の三方向にある場合が多く、収容人員を多くする為正方形に近い建築になる事が多いです。一方キリスト教の教会は奥に祭壇を置く為奥に細長い建築になる事が多いです。スペイン・セビーリャのカテドラルの建築はほぼ正方形をしており、その昔モスクだった建築を改築してカテドラルになった名残があります。
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天井にはタコ焼き器をひっくり返した様に小さなドームが林立します。
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なるべく広大で沢山の人々を収容できる建物を建てたい!当時の技術で出来得る事は小さなドームで少しでも柱を建てる本数を減らしながら、ドームを多数連続させる事でモスクを作り上げた。その結果がタコ焼き器を逆さにした様な屋根の姿を造り上げたのです。しかしムガル帝国の時代になると、もっと、もっと大きなドームで屋根を支える技術が発展しました。そして今では野球場でさえドームで覆う程ドームの技術が発展しました。ドームの技術変遷に想いを馳せるのも楽しいひと時です。
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四隅に建てられた塔はミナレットなのでしょうが、背は低いです。
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モスクの向こうには池が広がっていました。
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シャット・コンブス・モスジットに程近いところに建つシンガイル・モスジッド。シングル・ドームのシンプルなモスクです。
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表面には三つの入り口がありました。
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長閑な村道を歩いて小さなモスクへ向います。敢えて写真に写らない様に写しているので寂しい構図の様に見えますが、実際は結構村人とすれ違いました。皆朗らかで警戒感を持つ様な人はいませんでした。あんまりにも田舎へ行くと日本でも警戒心丸出しにされる事もありますからね(苦笑)
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そんな長閑な村道の奥に目指していたビビ・ベグニ・モスジッドがありました。此方もシングル・ドームのシンプルなモスクです。
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モスク前では子供達のサッカー場となっていました。
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ビビは女性の名前、カーン・ジャハーン・アリの子孫にあたる女性の名を冠したモスクと推測されています。
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その先の小さな池の向こうに夕陽が沈んでいきます。
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ずうっと眺めていたいところですが、未だ訪れたいところがあるのです。後ろ髪を引かれつつ先を急ぎましょう。
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当時の技術では柱を用いず、シングル・ドームで屋根を支える限界が、このサイズだったと思われます。
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往き来た道を戻ります。ダッカの混沌とした魅力だけが伝えられる事が多いバングラデシュですが、是非とも一か所でも良いから長閑な地方を経験して欲しいと思います。水田が広がる長閑な風景も良いですが、其処に暮らす人々も素敵な人々が多いです。
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オート・リキシャーを使ってバゲルハット方面に走ります。最初に提示した金額と降りる際に実際に支払う金額。それが=だと言う当たり前な事が、当たり前に行われると言う事が途上国では珍しい事でもあります。本当に気持ち良いです。
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バゲルハットのもう一つの見所、バゲルハットもモスク群を建造した聖者カーン・ジャハーン・アリの廟へと急ぎます。日没迄に間に合うでしょうか?
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カーン・ジャハーン・アリ廟へ到着しました。
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形状や大きさこそシングル・ドームのモスクと同様ですが、美しい装飾が施され数多くの参拝者が訪れています。
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廟の先にある池では幻想的な夕景が広がっていました。
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幻想的に陽が暮れていきます。
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幻想的な空模様、聖者の廟の聖なる池の向こうに陽が沈み切りました。
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湖の湖畔を少し歩いた先にあるノイ・コンブス・モスジッドを訪れました。ノイ・コンブスは9つのドームと言う意味で、名前通り9つの小ドームを持つモスクです。此方は生きているモスクで、私が訪れた際は日没の礼拝を行っていました。
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聖人カーン・ジャハーン・アリの廟迄続く参道には数多くの店が軒を並べています。すっかり日没してしまって早くクルナへ戻らなければいけないですが、まぁゆっくりウインドなんて無いけどウインド・ショッピングを楽しみましょう。
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バングラデシュではリキシャに乗っても最初の言い値と最後の支払いの値段が変わる事はありませんでした。街で人に道を尋ねても誠意を以て教えて頂けました。しかし、此処からそう遠くないインドでは全くそれが通用しません。リキシャの最初の言い値は、支払い時には十倍を超える事すらあります。通りで道を尋ねたら最後バクシーシを請求されます。尋ねなくてもひたすらバクシーシを請求されます。勿論バングラデシュでも物乞いは沢山いますし。寄付を求められる事沢山あります。しかしそのどれもアッサリしたものでした。どうしてこれ程変わるのでしょう?
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之には二つの大きな原因が考えられると思います。先ず一つは観光に依る影響です。インドは数多くの観光資産があり、大量の観光客が押し寄せます。当然人々は観光客ズレしてしまい、観光客=金ヅルと言う構図が出来上がってしまうのです。一方バングラデシュは可哀想な程観光資源に恵まれていません。当然ながら観光客は余り訪れません。でもだからこそ観光客擦れが全く無い、素朴に、平等に旅人に接してくれるのです。また後から述べますがイスラームの旅人を大切にする教えも加わって、旅人に素朴ながらも親切に応対してくれるのだと思います。
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もうひとつの原因は教育、この場合は宗教と言って問題は無いでしょう。バングラデシュ人もインド人も元と言えば一つの国、ベンガル人はインド人にもバングラデシュ人も同様です。何がハッキリ違うと言えばインド人ヒンズー教、バングラデシュ人はイスラームと言う明確の違いがあります。ヒンズー教をディスりたくありませんが、カースト制度(制度としては廃止されています。)は実質的な人種差別に過ぎず、いち早く撤廃すべき悪習だと思います。そしてこれが最大のパキスタン、バングラデシュの旅のし易さとインドの旅の面倒臭さの原因となっていると私は感じています。
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カースト制度がある下ではローカーストの人々は差別されているので物乞いをしてもハイカーストからバクシーシを手に入れる事は容易では無いのです。下手にしつこくすれば暴力を受けたり、半殺しにされる事もあります。だから彼等がカーストの縛りを気にせずバクシーシを求められるのは観光客と言う構図になります。だから観光客を見つけたらヒルの様に吸い付いて離れない。それがリキシャーワーラーだったとしたら安い言い値で安心させ、いざ支払いとなるとあの手この手でありもしない嘘を重ねて十倍以上の賃金を請求する事となるのです。
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一方パキスタンやバングラデシュはイスラーム。イスラームは宗教上は万人皆平等を説いています。ですが勿論貧富の差は現実的には生まれます。ですがそうした弱者に喜捨をする事が推奨されている宗教なので、ある程度コミュニティ内で弱者救済が成り立っている部分があります。今回の旅でもローカルバスの停車中に車内販売と共に物乞いが車内を周って寄付をねだる事が普通にありましたが、彼等に喜捨する人々も結構いました。こうしてコミュニティ内で弱者救済が完結してしまう事が多いので、断られるケースが多いだろう外国から訪れた観光客に群がるケースが少なくなるのだと思います。また宗教的に旅人に親切にする事も喜捨にあたるので、彼等は旅人が難儀していると見ると積極的に親切にしてくれるのです。
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インドへの旅はそれ以降、旅人を狙ってひと稼ぎしようと企む輩が待ち構える世界の国々を旅する為に必要なスキルを鍛え上げるには格好な国であったとは思いますし、私がバックパッカーとして生き残れたのもインド人に鍛え上げて頂いたからだと感謝しています。そしてインドの持つ観光資源は本当に見応え十分でした。しかしインドを旅すると言う事は面倒臭く、常に神経を尖らせて構えていないといけないので本当に疲れる旅であった事も事実です。それに比べ世界観は同様でも、人が余りにも違い過ぎる、信頼出来る旅先がパキスタンとバングラデシュだと思います。人を信頼出来るか出来ないか?どちらが旅をし易いか?答は明白でしょう。もし貴方がインドにいて、インドに疲れを感じていたのなら東にいるならバングラデシュ、西にいるならパキスタンに越境してみてください。きっと癒しになると思います。逆にパキスタンやバングラデシュからインドへ越境するのなら、帯を締め直してください。人を全く信用出来ない世界が其処に待ち受けていますので。
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クルナへと戻ってきました。流石クルナ管区の管区都だけあって通りは大いに賑わっていました。でもそれはとっても平和な光景で、此処がコルカタとそう離れていない街とは信じられない光景です。只私が地獄絵図と評したコルカタは、私が訪れた25年以上前の光景で、現在の姿をYouTubeで見たら余りにも近代化が進んでいて驚きました。では丸く平和に収まったと言う事でしょうか?私はそう思いません。古い時代はローカーストが暮らす一帯と安宿が集まる一帯は同じ様な立地がありました。ですから私達旅人がローカーストの暮らす惨状を直接見てしまう機会も多かったです。それは沢木耕太郎氏の「深夜特急」でも生々しく描写されています。しかしインドの先進化が進むに連れ地代も上がっていき、彼等はもっと郊外へと追いやられていったのです。コルカタではありませんが、08年に訪れたデリーの遥か郊外で思いがけず彼等が暮らすスラムを発見してしまいました。インド政府も臭いものには蓋をしたいのでしょう。こうしてインドの目覚ましい発展に隠されて、インドの闇の部分が、貧しい彼等の涙が、不可視化されていく現状があるのです。
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小鶏の半身のグリルカレーとナン。食べ応えのある逸品でした。
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食堂でご飯を食べると日本の様にサービスで水が提供されます。でも日本人にとってこれは只の嫌がらせです。辛い!水が飲みたい!目の前にあるのにそれを飲んだら日本人は御愁傷様です。あしたのジョーの力石の減量シーンを思い出します。
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何を調理しているのかな?
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とっても美味しいお店でした。今回の旅の食のMVP確定です!
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アフリカ以来の蚊帳付きベッドです。成程クルナでは必須品でした橋が完成したバス便で訪れた事により、船便で到着していたら二日後の日程をこなしてしまいました。これによって大きく予定を変更して、バングラデシュ西部に位置する仏教遺跡バハルプールを訪れる事にしました。明日は丸一日移動日です。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
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旅行記グループ 南アジアの旅
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