2024/11/26 - 2024/11/26
19位(同エリア34件中)
さっくんさん
三日間の現地発ツアーはあっという間に最終日です。最終日には、私をイラクに呼び寄せた螺旋状ミナレットに出逢える日です。更にメソポタミヤ文明のジグラット、バグダッドのシーア派の霊廟と、イラクを代表する歴史的見所が揃い踏みです。ツアー終了後は、最早恒例となったバグダッドの夜の散歩を楽しみました。
※)此処ではイラクの旅行記を挙げ、文中では、自分の素直な感想を述べたい為、絶賛していますが、一方現在イラクのバグダッド以北は未だ退避勧告が出されており、残念ながら未だとても推奨出来る旅先ではありません。
また私の帰国直後シリア情勢が急変しました。イラクは多くの部分でシリアと国境線で隣接しており、またアサド大統領やヒズボラ、イラン等が所属するシーア派の人口も多いです。
この事から今後のイラクの情勢は、今後のシリア情勢に大きな影響を受ける可能性が高いです。この様な旅行記を挙げた上、心苦しいですが、もし、もし、それでもと言う旅人さんは情勢を見極めて。ご安全に!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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さて短いものであっという間に本日はイラク滞在の実質的最終日です。後悔無いよう旅しましょう。
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本日はアッバース朝の遺構を見学に行きます。
アッバース朝はウマイヤ朝を打倒してイスラーム界を束ねた王朝です。それまでウマイヤ朝時代にイスラームは勢力を大きく拡大しましたが、アラブ人を優遇した為、万民平等を解くイスラームの精神に背くと反発がありました。そして前々回紹介したカルバラーの悲劇以来、ムハンマドの血縁殺しと言う事で反発が大きくなりました。
こうした事を受けてアッバース朝はムハンマドの叔父アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブの血筋をカリフとし、またアラブ人の特権は排除されました。こうしてアラブ帝国であったウマイヤ朝から、アッバース朝は真の意味でイスラーム帝国に成長したと言えます。
前々回、カルバラーの巻でイスラームの歴史を鎌倉時代に当てはめて紹介しましたが、ウマイヤ朝の衰退要因も鎌倉時代に当てはめて考察する事も出来ると思います。
鎌倉時代は各地の大名が奪った土地は、自分の手柄になるのでそれが大名の戦うモチベーションを上げましたが、元の襲撃は防衛の為の戦いで、元寇を退けたとしても、それに加わった大名達は得るものが少なく、不満が増大し、それが鎌倉幕府衰退の一因になりました。
ウマイヤ朝も同じ仕組みがあり、ウマイヤ朝の建国以来の爆発的領土拡大を支えたものは、奪えば奪う程領主の得るものが大きくなったので、武将達は競う様に戦ったのが大きな力になりました。しかしその様な手段はいずれ限界が訪れます。イベリア半島迄領土を広げたものの、ピレネー山脈が正に壁となり、それを越す事は出来ませんでした。北アフリカでもベルベル人達の猛反抗が続き、それは東、中央アジアへ進出した先でも同様でした。
こうした手法はイケイケの時は強いですが、膠着状態や守勢に回ると一気にボロが出だすものです。得るものが少なくなると、やがて外に向けられていた刃はやがて内側に向いていく事になります。そして上に述べた要因が加わり、アッバース革命へと繋がっていったのでしょう。 -
まるで日本の江戸時代の五街道のアジア拡大版とも言える東西交易網の整備、農業灌漑の発達に伴いバグダッドは産業革命以前世界最大の都市となり、特に学問、科学、医学の部門で驚くべき発展を見せました。
これらは近代科学に著しい影響を与え、こうしてアッバース朝の下培われたイスラーム文明は後のヨーロッパ文明の発展の母胎となりました。
こうしてイラクがあるこの地には、古代バビロニア帝国、新バビロニア帝国、そしてアッバース朝の首都バグダッドと、人類史上三度も世界最大の都市が繁栄する事となりました。 -
これ程の栄華を誇ったアッバース朝ですが、時が経るとカリフの力は徐々に弱体化し、各地で独立が相次ぎ、イスラーム社会は各地で小さな王朝が乱立する群雄割拠の時代を迎えます。それはムガル帝国、サファビー朝ペルシャ、そしてオスマン帝国と言う三大帝国時代に至る迄続く事になります。
現在ではアッバース朝の痕跡を辿れる物件は驚く程少ないのが現実です。その理由としてアッバース朝時の建築は、経年変化に弱い日干し煉瓦製の建物が多かった事。モンゴルの来襲によりバグダッドが完膚無き迄破壊されてしまった事。イラク紛争を含むその後の幾たびかの騒乱によるものが挙げられます。 -
イチオシ
そんな中、アッバース朝は8代カリフ、ムウタスィムの時代バグダッドからサーマッラーに遷都をしました。結局交易ルートから外れていた事により、50年でバグダッドに戻る事になります。
しかしバグダッドから外れた事で、貴重な、貴重な、モスクのミナレットが現在まで残る事が出来ました。アッバース朝由来でこれだけ壮大でそのままの姿を残す遺構は他にありません。本当に本当に、貴重な存在です。
良くぞ、良くぞ、モンゴルの来襲からイラク紛争迄、生き延びてくれました。ありがとう! -
独特の外側に螺旋状の階段を持つミナレットは歴史的なものとしては世界で三基しか残されていません。サーマッラーに残る二基は二つとも10代カリフ、ムタワッキルが製作しました。
もう一つはエジプトのカイロに残る、トゥールーン朝を開いたイブン・トゥールーンが製作したイブン・トゥールーン・モスクです。彼はアッバース朝の都督としてエジプトに派遣され、現地で独立を果たした人物です。 -
この大モスクの製作が848年から、アブー・ドゥラフ・モスクが859年、イブン・トゥールーン・モスクが876年、(トゥールーンの派遣が868年)と全てイラクに因んだ人物による者による制作です。
ほぼ同時期に建てられている事。他に類する形状を持つミナレットが見られない事から、螺旋状ミナレットは、これを製作したムタワッキルのオリジナルのデザインであるミナレットであり、イブン・トゥールーンはそれを忍んで、派遣先のカイロで螺旋状ミナレットを築いたのでは無いでしょうか? -
因みにこのデザインはメソポタミア文明時に築かれた神殿ジグラッドにヒントを得たのでは無いかとの説があります。また、ブリューゲルが描いたバベルの塔のモチーフとなったとの説もあります。
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残念ながら現在このモスクは修復中となってしまい、敷地内に入る事は叶いませんでした。それは事前に掴んでいた情報ではありましたが、こうした国では一旦修復に入ってしまうと完成時期が見越せない事、それを待っている間に情勢が変わってしまう可能性が強い事。修復が進み、ミナレットが足場で覆われてしまったら、遠くから眺める事さえ出来なくなる可能性がある事から、見れるうちに見ておきたいと思い旅を決行しました。
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しかし、この修復には嬉しい想いもありました。何故ならこうした遺産の修復は、戦後の復興で大抵最終段階に行われるものであり、イラクの復興が順調である事を示すものだと考えたからです。
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イチオシ
だけど、多分、修復が終了し、観光客が増加したら、間違いなく登れなくなる、或いは目障りな手摺が設けられる事は間違い無いでしょう。このままの状態で多くの観光客が押しかけたら、墜落する人が間違いなく多発するでしょう。では、もう一つのミナレットへ向かいましょう。
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サーマッラーの大モスクから更に北に20キロくらい走りました。車は突如何もないダートの道に乗り込んだと思いきや…。見えてきました!
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因みにイラクの治安情勢は、アメリカ軍が駐留するクルド人自治区の東部を除き、南に行けば安定し、北へ行けば不安定になります。これはISが北部の街モースルに立て籠り、最後の抵抗をした後離散した事に因みます。故に未だ北部地域に分散し埋伏している可能性があるからです。
だから、昨日迄のカルバラーなど南部よりずっと検問も多く、武装した兵士も多く見かけました。此処サーマッラーも数年前までは情勢の動向を判断しつつ訪問せざる得ない状態だったと聞きます。 -
大モスクの方は、修復作業も始まり、しっかりと管理されているのが解りますが、アブー・ドゥラフ・モスクの方は、砂漠のど真ん中に忘れられたかの様に放置されたままです。貴重な遺産保護、それで良いのか!とも憤りますが、逆に周りに何もない、時代からまるで忘れ去られたかの様な光景が、心にグサッと刺さるものを感じます。
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大モスクに比べれば、一回り、いや二回りは小さいと思います。
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周りは見渡す限りの砂漠、そこに打ち捨てられたかのように残るモスクの廃墟と美しいミナレット。他に見えるもの無し。思わず昴を口ずさみました。
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イチオシ
さて、いざ、登らせて頂きます。一礼してミナレットへ向かいました。
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登頂を動画に残しました。ノリの好い音楽を被せていますが、オリジナルではもう(*´Д`)ハァハァしまくって恥ずかしい限りです。勿論こんなスムーズに登れる訳も無く三倍速です。
https://www.instagram.com/reel/DC8TIzOKjUK/?igsh=Z2lnM2Fkb3gzNGs1 -
イチオシ
正直大モスクより小さいからと舐め切っていました。ごめんなさい!小さいと言う事は足場も狭いと言う事。最悪な事に登れば登る程足場は狭まっていくのです。生憎天候は悪く風が強い。しかも動画を撮っているので片手が潰れてしまってます。
私はこれ迄幾つも急傾斜の遺跡を登っています。だから大丈夫だと思っていましたが、螺旋階段は初めてです。全くいつ頂上に至るか解りません。目も回って来ます。本当泣きそうでした。怖かったぁ~。 -
頂上からモスク跡を見渡します。(実は足がガクガクしています。)
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一回転しましょう。周りは見渡す限りの砂漠です。
この遺跡、本当に参観者が一人で良かったと思います。いや、一人じゃなきゃ無理です。あんな狭い手摺も無い螺旋階段で、対向者が来たら私、詰んじゃいます。とても外側から交わす事は私には出来ないなぁ…。 -
ハイ!180度。
頂上には一人しか立てません。こんな場所に将来大勢の観光客が来たらどうなるのでしょう?いや、現在だってグループ・ツアーで来たとしたら、とてもスムーズに事は済まないから、順番待ちだけで途方も無い待ちが発生しそうです。かと言って複数が一緒に登ったら、いつか絶対事故が起きるでしょう。 -
ヨッシャ!270度
私は忘れていました。登るだけであれだけ怖かったのに、これから降りるのです。下を向いたら怖くて降りられないし、下を向かなきゃ足を踏み外します。嗚呼パラシュート持ってくるべきだった。(←持ってないよ!ってかパラシュート開く前に地上に激突するってば!)
結局へっぴり腰のスパイダーマンみたいになって壁に張り付きながらグルグル周って降りました。格好ワル(笑) -
大地に舞い戻り一安心。廃墟となっているモスク部分を見渡しました。先に訪れた大モスクに次いで当時世界で二番目の大きさを誇るモスクでした。
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端正なアーチが連続しています。
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モスク跡のアーチからミナレットを見上げます。訪れるずっと前から、憧れていた画角です。
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イチオシ
ずっと憧れてきたミナレットを前に胡坐をかいて暫し見上げ続けます。
どうして世界で螺旋状ミナレットが三基しか残らなかったのか解った気がしたよ!日に五回、礼拝の時刻を知らせる度に、あんな怖い思いをしていたら、その人きっと寿命が縮んでしまうもん。見た目と違って、頂点までの道程は遥かにさえ感じたよ!此処へ至るまでも遥かな道程だったけど…。 -
この二つのミナレットが見たかったのです。このミナレットが私をイラクに呼び寄せてくれました。国禁を破ってイラクに訪れた事、決して褒められた事ではありません。でも、でも、百万「いいね」を貰うより、唾吐かれようが、燃えようが、これを見ずに死にたくはないと思っていました。やっと見れました。漸く見れました。
モンゴルの来襲も、米軍の侵略も乗り越えて、良くぞ今日迄その姿を残してくれました。
ありがとう! -
此処で、エジプトに残る三基目の螺旋状ミナレットと、現代の螺旋状ミナレットを紹介します。
エジプト・カイロに残る現存する三基目の螺旋状ミナレットです。アッバース朝から都督としてエジプトに派遣され、その先で独立を果たしたイブン・トゥールーンが築いたイブン・トゥールーン・モスクです。
此方は全く怖かった記憶が無いのです。不思議だなぁ…。
https://4travel.jp/travelogue/11784668 -
此方は現代建築に施された螺旋状ミナレットです。場所はサウジアラビアのアル・マディーナ。モスクであると共に、ミカート(マッカへの巡礼に際し、巡礼者の基点となるモスク)として重要なミカート・ドゥ・アル・フライファ(ミカート・モスク)のミナレット。角柱状のミナレットの頂部は円柱状に変わり、共に螺旋状の階段が設けられています。
https://4travel.jp/travelogue/11878255 -
カタール・ドーハに建つファナール・カタール・イスラーム文化センターの屋上に建つイラクの螺旋状ミナレットのオマージュです。
https://4travel.jp/travelogue/11271241 -
サーマッラーからバグダッドへ引き返し、郊外に残るジグラッド、グル=ドリガルズへ向かいました。時代はアッバース朝から一気に紀元前に飛びます。
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メソポタミア文明の都市にはジグラッドと呼ばれるピラミッド状の神殿と寺院が重要な施設として各地に残されています。此方は寺院部分。
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イチオシ
そして此方が神殿部分、即ちジグラッドです。ピラミッド状と書きましたが正確には台形と言いましょうか?そしてその正面の中央と左右に階段が施されています。
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訪問前は台形の神殿の上に巨石が祀られているかの様に感じていましたが、近くから見れば、人為的に削られた形跡があり、当時は二段構成の神殿で、経年劣化等により今の形になった様な気がします。
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だとすると、往時は相当な高さがある神殿だった事となり、よりピラミッドに近いシェイプだったのかも知れません。メソポタミア文明の世界観を元ネタに描かれた物語が旧約聖書であり、其処に描かれたバベルの塔。そして現在でもこの地に幾つも残るジグラッドの数々。これ等のジグラッドのひとつがバベルの塔の元ネタであったと考えてもなんら不思議な事では無いのでは無いか?そう思える程存在感を感じました。
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いざ、神殿に登ります。迫力満点です。
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神殿には風、気、地球、嵐を支配する神、エンリルが祀られていたと言います。当然当時は一神教のイスラームではありませんから、バビロンの門にも登場したイシュタルを始め数多くの神々が信仰されていた様です。
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神殿に登り、更に奇岩かと思っていた部分を見上げました。やはり確実に人の手が加えられた形跡があります。
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角度を変えるとかなり印象が変わります。あの中央の巨大な穴は何を意味しているのでしょう?
天高く聳えるジグラットを見上げながら思います。
シュメール人以降、メソポタミアの地には幾つもの天高く聳えるジグラットが築かれました。また、メソポタミア文明は幾つもの民族が群雄割拠した世界観です。
何処かで聞いた世界観では無いでしょうか?そうです。元は一つの言語で仲良く暮らしていた人類が、神の領域を脅かす天高い塔を築いたが故、神の怒りを買い、神の力で様々な言語に分断され、それ以降互いに意思疎通出来なくなった人類は争い合う様になったとされるバベルの塔伝説です。
バベルの塔伝説は正にメソポタミア文明の世界観を描いた物語だったのでは無いでしょうか?
旧約聖書を編纂したのは、バビロンに捕囚されていたユダヤ人。当然彼等はバビロンに対してネガティブな意識を持っていた訳で…。
そんな彼等に映ったメソポタミアの光景、即ち高い神殿を築き、互いに争い合っている愚かな人達の姿。それを風刺して、バベルの塔の物語として、創世記に落とし込んだのではないでしょうか。
そしてしの物語の通り、人類は、未だに神の怒りを買ったまま、それを解決する糸口を見つけ出す事が出来ていません。 -
現在の形からは往時の姿は推測が付きません。神殿が上部にあったのだとすれば、最上部には幾許かの平面があったに違いありません。そして其処へ至る為の階段も。
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イチオシ
この画面中央から緩く左に傾斜しながら上部に続いているものが階段の跡ではないでしょうか?だとすると螺旋状ミナレットと匹敵するくらい怖い階段だったのかもしれません。手摺も無いし…。
手摺で遠い記憶を思い出しました。未だ小学生のガキンチョの頃、父に高尾山に連れて行って貰いました。4号コースを歩きましたが、低学年の私にとっては恐い体験でした。だから父に言ったのです。今みたいに
「手摺が無くちゃおっかないよ!」
父は言いました。
「その手摺が壊れていたら、さっくん、お前はどうするんだ?」
あれから50年経とうとする今なら父の言わんとしてた事、理解出来ます。
「人を頼るな!物を信用するな!自立しろ!」
はい!反論の余地ありません。自分の力で登ります!(←そうじゃないだろ!) -
ジグラッドから下に拡がる寺院跡を眺めます。寺院に人々が参拝し、神官がジグラッドに詣でたのでしょうか?
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このジグラッドを中心に街はジグラッドを取り囲む様に広がっていたと言います。アッバース朝が栄える遥か以前から、この地には文明が栄えていたのです。
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それにしても、バグダッドからこんなに至近距離にあるのに(中心から30キロ程)モンゴルの来襲、アメリカ軍の空爆等、様々な厄災を逃れてきたものです。今日までその姿を残してくれて、ありがとう!
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寺院部分も大層な保存状態だと驚けば、此処もまたサダム・フセイン氏の手により復元されたとの事。彼は自意識が高く、彼の権威を古代バビロニアに被らせていた様子があるので、そういう意味も含めてメソポタミア文明の遺跡の復元に精を出していたのだと思われます。残念ながらその復元も、罪状をでっち上げて侵略してきた暴君の為に完成に至る事はありませんでした。
また、この様な復元の仕方は、観光客の想像を掻き立て、集客には都合が良いメリットがあります。ジグラットと言う文化に疎い私でも、ジグラッド(神殿)と寺院の関連性が良く理解出来ました。
一方、既存の遺跡の上に復元した建造物を建ててしまう事は、少なからず既存の貴重な遺跡を傷つけてしまう結果を伴うデメリットがあります。
また、その修復方法も、国によっては「やり過ぎ」感が強く、テーマパーク化してしまっている様なケースもあります。
日本でも、フセイン氏が修復を行った当時は規制も意識も低く、日本中で観光誘致の為、想像上のもの、史実に無い、若しくは大きく改変された城が数多く建てられました。
現在では規制も厳しくなり、その様な物件が増える事はありませんが、既存の物件も、何処までが真実で、何処からが後付けか、現場やパンフレット等で明記されるべきだと感じます。管区誘致と遺産保護の狭間で匙加減は難しいですが、少なくとも歴史に忠実であれと言う部分だけは守って貰いたいと思います。
歴史に忠実と言う部分に於いて、今春に発売予定のフランスのゲーム会社の最新作。ポリコレに汚染され、日本の文化や遺産を盗用し、日本の歴史を侮辱した様な内容に、日本の歴史ファンのみならず、世界の歴史ファンが猛抗議。結果株価大暴落。倒産寸前に追い込まれています。歴史に対する冒涜を許さない、世界の歴史ファンの良心に、私は大感動し、大きな力を頂いております。ありがとう! -
此方の遺跡にも碑文が刻まれていました。
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此方も製剤の繋ぎにタールが使われている事が解ります。
メソポタミア文明と一言で表しますが、その中にはシュメール文明を含め数々の勢力が出てきて中々ややこしいですが、ドゥル=クリガルズはバビロンを支配したカッシート人によるバビロン第三王朝の王、クリガルズ1世(紀元前1375年没)により建設されています。時にハンムラビ王が活躍した古代バビロニア帝国とネブカドネザル2世の新バビロニア帝国の丁度間の年代の話になります。
驚く事にエジプトのファラオ、アメンホテプ3世葬祭殿の地名リストにも記載される程重要な都市だったと言われます。 -
カッシート人と言う、またまた新しい勢力が登場してしまいました。簡単に彼等を紹介しましょう。
カッシート人は何処から来たのか?未だ不明な部分が残る民族ですが、メソポタミア外部からやってきた民族である事は確かな様です。当初はバビロン第一王朝、つまりハンムラビ王で有名な王朝の下、日雇いバイトをしていたと言います。メソポタミア文明にもタイミーがあったのでしょうか?
そんな日雇いバイトはやがて傭兵と言う形に進化していった様です。こうしてメソポタミア文明やシュメール文化に同化したカッシート人は、その後バビロン第一王朝がヒッタイトにより滅亡された後、その文化を継承しバビロン第三王朝を開きました。
第三王朝時代は、周囲にヒッタイト、アッシリア、ミタンニ、エジプト新王国と列強が群雄割拠した時代になりましたが、エラム人に滅ぼされる迄バビロニアを統治した民族としては最長期間の統治を行いました。 -
このジグラッドはカッシート人が築いたものですが、ジグラッドはシュメール人が築き始めました。そのシュメール文明はノアの箱舟を始めとした旧約聖書はシュメール文明の神話が元ネタだと言われています。つまり、イスラームもキリスト教も、ユダヤ教も元を正せば、此処メソポタミアに集約すると言う事です。
あのファイナルファンタジーで大活躍し、昭和のテレビでは色っぽいお姉さんがいっぱい登場したギルガメッシュも、シュメール文明にオリジナルが登場します。
嗚呼イラクは歴史の密度が濃すぎて、一度足突っ込んだら抜けられなくなりそうです。 -
当初はそんなシュメールが築いたウルのジグラッド迄足を延ばそうか悩み、そして断念してしまったのですが、バグダッド近郊にもこんな素晴らしいジグラッドが残っているとは驚きでした。特徴的な奇岩状の二段目が残るジグラッドも圧巻でしたが、付属する寺院迄残されている事で、神殿と寺院の関係性も創造出来て楽しく非常に意義のある散策になったと思います。
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遅めの昼食となりました。ガイドさんは何と昼からハーフチキンを食べてます。私もどうか?と勧められましたが、大手を振って拒否しました。
「いえいえ、昨日の夕食それ頂いたのですが、私にはとても食べきれなくて。テイクアウトして今日の夜再戦するんですよ!」
との事でいったい何を食べましょう?ってな訳で私は店に貼られていたポスターを指差しました。 -
スープに浸された巨大な肉ボールが出てきました。料理名が知りたかったのでポスターの写真を写しました。あれは料理の名前ですか?と聞くとポスターに写る店主さんの名前だそうです。どんだけ自己顕示欲が強いんだよ!料理をアピールしなさい!って事でまたまた料理名は不明です。ごめんなさい。
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衣の中にはジューシーなお肉がいっぱい!スープと絡めて食べると尚美味しい。付属のナンが進みます。
注)決して丸かじりした訳ではありません。予め申告しておきます。(←白状している様なもの。) -
ツアー最後に訪れたのはバグダッド北部にあるシーア派の霊廟、アル・カディミヤ霊廟です。例の如く巨大な表参道に何度かのボディチェックを受けながら霊廟へと向かいます。此処では煙草とライターも預ける必要がありました。(預ける場所は霊廟の入り口)
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黄金のドームが近づいてくると胸が高まり、もう少し歩いた方が良いと言うのに、結局抑えきれずカメラを構えて、結果やっぱり遠すぎてズームしてしまいます。
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先の二枚の写真で解る様にこの霊廟には二つのドームがあります。と言う事は、この霊廟には二人の聖人、此処はシーア派の霊廟ですから、つまり二人のイマームが眠っている事になります。
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その二人とは7代目イマームのムーサー・カズィム、そして彼の孫にあたる、9代目のムハンマド・ジャワードです。これで、この旅初代、三代、そして今日を含めて4人のイマームの霊廟に参拝した事になります。
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今日のシーア派の最大派閥はイランが国教に定めている12イマーム派です。初代アリーから数えてアリーの子孫12代目までをイマームと定め、聖人として崇めます。他の派閥との違いは、その歴代イマームの選定の際に、誰を推すのかで分派するケースが多いです。
例として、此処に眠るカーズィムはイマーム就任にあたって、長兄で無かった事で、長兄を推す一派と分裂に至り、長兄を推した派はイスマイール派となりました。 -
因みにこの霊廟、名前が様々あってどれが正解か判断出来ません。私はアル・カディミア霊廟と記しましたが、これは建てられた場所、カディミヤ或いはカジミヤに依りますが、埋葬されたイマームの名を冠してカーズィム霊廟と呼ばれる事もあります。
また、カージマインと表記しているサイトも多く、どれが正解か判断しかねています。この寺院を検索する場合は気を付けてください。 -
それにしても、毎回思いますが、息を飲む美しさです。
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イチオシ
ずっと見つめていると異世界に旅立ってしまいそうな天井です。
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霊廟のアイヴァーンです。前方には預言者のモスクでも採用されていた開閉可能な日除けが建てられています。と言う事はこんなところにも日本の技術が貢献していると言う事です。誇らしいです。
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イチオシ
ドームが二つならミナレットは4本。何度も何度も振り返りながら、霊廟を後にしました。
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何やら人だかりが出来ています。何があるのでしょう?もっとゆっくり散策したかったな。
でも本日は、アッバース朝の貴重な遺構、メソポタミア文明のジグラッド、そしてシーア派の霊廟と、今回の旅の重要要素の三点全て揃い踏みの非常に濃厚な一日でした。 -
実質三日間のツアーは光の速さで過ぎ去ってしまいました。とても充実した内容で、メソポタミア文明、イスラーム創世記のスンニ派とシーア派の分裂の現場、そしてアッバース朝時代と重要且つ時代もポンポン飛ぶので知識が追いついていきません。常時脳がオーバーヒートしていました。流石文明の発祥地イラク。人かじりしただけなのにこの密度です。
本当に楽しく貴重な体験となったツアーでした。ガイドさん、オペレーターさん、そしてドライバーさん、本当にありがとうございます。 -
本来ならホテルまで送迎して頂きツアー完了だったのですが、未だ私がバグダッドに未練たっぷりで、もっと自力で歩きたいと我儘を言ったので、ホテルより目的地が近い事もあり、最寄りのポイントでお別れです。
両手で手を振り謝意を表しながら、私は100円払ってチグリス川の渡し舟に乗船します。 -
チグリス川は歴史的に重要な川ですが決して大河ではありません。あっという間に対岸に到着です。
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渡った先は…。そうです。バグダッド到着初日、その足で向かったムタナビ通り。ムタナビ像が私を出迎えてくれました。バグダッドにこんにちはを言ったのも此処なら、お別れも残しに訪れたかったのです。
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初日に訪れなかった路地を入ります。何やら小さなスークとなっています。
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小さなスークはお土産屋さんが並んでいました。紛争が続いたバグダッドではとても珍しい一画です。まだまだローカルの人が殆どですが、ムタナビ通りはイラクの人々も集まるスポットなのでイラクの観光客だけでも商売が成り立つ程観光客も増えてきたのでしょう。
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小さなスークを抜けるとモスクが見えてきます。ムスタンシリヤ・マドラサ付属のモスクです。
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此方がムスタンシリヤ・マドラサのファザードです。残念ながら時間帯が合わず、入場する事は叶いませんでしたが、内部は中央アジアで見られるマドラサと共通していて、中庭を囲む様に回廊が設けられ、生徒用の小さな部屋が回廊沿いに連なっています。
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ムスタンシリヤ・マドラサはアッバース朝時代に建てられました。その後大きく改修されましたが、アッバース朝の残り香を残す貴重な遺構です。ムスタンシリヤ・マドラサは現代では場所を変えて、ムスタンシリヤ大学として現在もバグダッドの名門大学として多くの学生が学んでいます。
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この暗い照明の無い川辺で撮影をしていると、重武装のパトロールカーに出くわしました。通りすがりに、緑色のレーザーサイトが私に照射されました。慌てず、迷わず両手を挙げて運転席迄そろそろ近寄ります。
「パスポートを出しましょうか?」
自らパスポートを出そうとすると銃殺される様な民度の低い国もあるからです。FとPを間違えただけで射殺されるアタオカな国もあるからです。
「パスポートは良いよ。君ヌーリスト?」
「は?」って顔を私がしていると
「英語出来る?」
これにはちょっとカチンときて
「ヌーリストちゃうわツーリストやわ!」
この期に及んで突っ込んでしまう私。
「ほな、ええわ!」
重武装だけど、結構緩いとこ、ス・キ!
注)1992年、アメリカに留学中の日本人高校生が、ハロウィン・パーティーに呼ばれ仮装した姿で訪問するも、不慣れな事から間違った家を訪問してしまい、彼の姿に驚いた妻が夫に銃を要請。高校生はハロウィン・パーティーに来た事情を説明するも夫は激昂しfreeze!と警告したが、高校生は動いてしまったので射殺されてしまった。と言う事件です。
射殺に使われた銃は44口径もあり、とても護身用とは言えないシロモノであり、銃は左胸を貫通していた事から、明確な殺意の下撃たれた事が明白な為、銃による事件はお国柄と言う論調を乗り越えて、余りにも過剰防衛だと大きなバッシングが起こりました。
被害者が亡くなっている為、明白な事実ではありませんが、彼はfreeze をplease,に混同してしまい、動いてしまったと推測されています。
外国人にとってヒヤリングは時に大きな誤解を産むものです。此方も留学生が、ホームマザーの料理が余りにも美味しかったので、つい、日本語で「美味しい!」と言ったら「Oh!shit!」と間違われ激怒されてしまったと言います。
また、同じ英語圏の人でさえ、バンジージャンプ等の危険を伴う競技に於いて「go!」と「no!」を間違えて大惨事に繋がる事故が多発しました。
更に言葉は「心理」に大きく影響を受けます。A地点からC地点迄行きたい人に、B地点からC地点迄が不通である事を知らせる必要ががあったとします。
「B地点迄行く事が出来ます。」
と
「B地点迄しか行けません。」
は同じ意味を持つ文章ですが、その結果は大きく異なる場合があります。人は自らの願望に都合良く物事を捉えがちな習性があります。「行く事が出来る」と言ってしまうと、行きたいと望む人は願望通りな言葉に支配され、その結果「B地点迄」と言う重要な情報が記憶に残り辛くなってしまいます。この誤認が大きな惨事に繋がった事故事例も数多くあります。
反対に「B地点迄しか行けない」と不都合な言葉には、願望を持つ人にとって耳に残り易く、結果「ではどの様にC地点迄行けば良いか?」と言う再確認が自動的に発生し、未然に事故の根を取り除ける事が多いのです。
旅人としては制限をかけるより、かけられるケースが多い筈ですが、これも一緒の事です。何処までが「can」なのかでは無く、何処からが「can not」なのかをハッキリさせた方が翻って自分の行動範囲が明白になります。
おっと、説教臭くなってしまいました。何はともあれ良い旅を!そしてご安全に! -
ちょっとヒヤッとしましたが、ああした人達が夜も目を光らせてくれるから安全なのです。どこぞの国ではこんな暗闇を歩くのは命取りな国もいっぱいあります。此処では暗闇を恐れる必要はありません。
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再び、小さなスークを抜けてムタナビ通りに戻ります。此処周辺一帯が、バグダッドの旧市街一帯となっており、あと一日延泊してゆっくり滞在したかったです。但し入館出来る各施設はかなり早い時間に閉まってしまうので(13時頃)予定は綿密に、因みにムスタンシリヤ・マドラサは今後近い内に修復作業の情報があるので、バグダッドに行かれる方は注意してください。
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ムタナビ通りを通り越し、初日にも訪れたKing Ghazi Mosqueを通り過ぎます。未だライトアップが始まっていませんでした。
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Niyb alshrwedy Mosque とMapsmeに記されたモスクです。この奥にも Abbasid Palaceと地図に書かれた如何にもアッバース朝由来の見所がありそうだったのですが、其処へ向かうと何やら警官が沢山。車が規制されています。一応警官に聞いてみましたが、胸に手をあてて「閉まってます。」と言われては踵を返すしかありません。
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先程の短いスークで気になっていたお店があったので引き返しました。革製品のお店leatherhouse.n1さんです(インスタグラムのアカウント)丁度財布がもうボロボロで探していたのです。アラビア文字が大好きなので物色しました。
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さあて、どれをくすねようかな?と物色を続けていると、店主さんに捕まって、無事刑務所に送還されました。(←な訳あるか!)
で、値段交渉となるのですが、う~んもう一息かなぁと悩んでいると、なんと出来合いかと思っていたのに、その場で自分の好きな言葉をアラビア語化して彫ってくれると言うじゃあ~りませんか!
それ早く言えっつーの!即決ですよ!って、それもしかして作戦?それ言われたら値段交渉終わっちゃうもん!もう、上手いんだから! -
イチオシ
leatherhouse.n1さんの製作シーンを動画にしました。丁寧に作って頂きお気に入りが増えました。ありがとうございます。
https://www.instagram.com/reel/DDCYO3czMM8/?igsh=Zmw2Y2gxMjhobW9h -
此方が彼の作品です。右の部分が彫って貰った部分。私の名前が彫られています。小さな財布から、鞄迄サイズに合わせてアラビア語か英語を彫って頂けます。値段もお手頃。是非バグダッドを訪れたら、彼の店を見てください。
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戦利品をゲットした後は千夜一夜物語の時と同様、Shabandar Cafeでチャイを嗜みながら戦利品を愛でました。
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ライトアップが開始され、人通りが多くなってきました。ムスタンシリヤ・マドラサが直ぐ脇にあり、学生も多かっただろう書店街。日本で言うなら神田の様な通りだったに違いありません。しかし時代はアッバース朝時代です。そんな昔から続く書店街。そのフレーズだけでも私にとってはロマンチックです。
ムタナビ通りを歩いた動画
https://www.instagram.com/reel/DDUJhH_zsmH/?igsh=ejF3ZDd0bGd5MzMz -
初日に声を掛けてくれた乗りの好いビリヤニ屋さんが私を覚えていてくれた様です。またノリ良く声をかけてくれました。
「ごめ~ん。今夜は昨日食べきれなかったチキンを食べなきゃいけないんだ(泣)」(←男気なさすぎだぞ!反省) -
ムタナビ通りを歩き終わったと言うものの、未だ私の心はバグダッドを欲しています。今回はツアーと言う事もあってまだまだ自由に歩けていません。Mapsme
に聞けばホテルまで約10キロ。約2時間半?丁度良いじゃあ~りませんか! -
Khulafa Mosque。このモスクのミナレットでしょうか?一部はアッバース朝のオリジナルと聞きました。
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道路を渡って引いて撮影しました。入り口の作りも年季を感じます。
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道路の反対側にもモスクが建っています。左側は教会かも?
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モスクの形状からラマダン17モスク。かと思いましたが、それならそれより先にタフリール広場を通り過ぎていなければなりません。後に調べればAl khilani Mosqueであり広場はモスクと同名の広場でした。旅の途上は偽ラマダン17モスクと命名していました。(失礼)
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夜になると、昼には見え辛いものが見えてきます。夜になるとグッと歩行者が街から消えます。すると昼には歩行者に紛れ目立たなった軍人の余りの多さに驚きます。大通りの路地への入り口2~3本毎に、ピックアップトラックが泊まっていますが、その荷台には銃座が設けられています。ええ南斗五車星のジュウザではありません。本当の銃座です。
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やっとタフリール広場を通り過ぎます。
銃座にはアサルトライフルの様な取り外し可能な銃もありますが、殆どはマシンガンで明らかに対人では無く対車両用の重武装です。その周辺には何人も軍人さんがいますが、中には夜と言う事もあって暗視ゴーグルを装備したCall of Dutyに出てきそうな軍人さんが沢山警護していました。彼等のたゆみない努力でバグダッドの治安が保たれている。これもバグダッドの真実のひとつです。 -
然しながら、ISが集団的戦闘能力を失った今、その残党による襲撃よりも、サダム・フセインと言う強烈なカリスマを失ってタカが外れてしまった故の、宗派間や民族間のぶつかり合いや、デモの過激化を注視、警戒している性格が濃厚です。
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こっちこそ本物のフィルドス広場であり、ラマダン17モスクです。当時はサダム・フセイン氏の銅像があった広場です。
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な、なんと、魔法の絨毯を発見しました!嬉しい!やっぱり千夜一夜物語の本場で見つけるとテンション上がります。散歩して良かったぁ!
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もっと平和になったらさ。バグダッドを歩いて千夜一夜物語を探しましょう!なぁんてウォーキング・イベント開いたら楽しそうだなぁ♪アラジンのランプとシャヘラザードは発見済み♪シンドバッドやアリババはいるのかな?次は見つけて見せるぜ!
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そして遂に到着初日に最初に訪れたシャヘラザードの像に到着しました。もう万感の想い爆発です。
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だのにこの広場、結構バグダッドの夜遊び君が沢山います。一緒に「アイドル」でも歌いませんか?
「お前写してる訳じゃねぇーっつーの!ポーズ取るなっつーの!(笑)」
最後の最期で俺様のシャヘラザードを…邪魔が入りました(´;ω;`) -
そしてホテル到着です。イラクの旅が終わります。
「見るべきものは見れました。」
でも本当プロローグです。バグダッドももっともっと見たいものはあります。カルバラーやナジャフも有名処を抑えたに過ぎません。未訪問地にはナシリヤやモースルを始めとして見所がギュウギュウ詰めの国です。
何せ人類初のメソポタミア文明(旧約聖書の世界)、シーア派誕生に纏わるシーア派関連、そしてアッバース朝時代と歴史ファンが涎を垂らす見所が凝縮されています。
きっと、きっと、また訪れます。その時は更なる復興を遂げている事でしょう。本当にイラクを訪れて良かったと感じます。ガイドさん、ドライバーさん、そしてオペレーターさんに感謝、感謝です。
最後迄ご覧になってくださり、ありがとうございます。
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