2025/06/18 - 2025/06/18
12位(同エリア66件中)
さっくんさん
バーミアンを観光しました。訪れる前は他にも幾つか遺跡がある、程度の知識はありましたが、破壊された大仏の負の遺産を見る程度に考えていました。其処で嘗て此処を訪れた玄奘三蔵に想いを馳せれれば良いかな…と言う位がバーミアンへの私の関心度合でした。
現地に訪れて、そんな私の認識は大きく覆されました。バーミアンの大仏跡が貴重な遺跡である事は変わりません。しかし二つの城跡もそれぞれ素晴らしく、またそれを取り囲む、バーミアン渓谷の環境が本当に美しい。バーミアンを破壊された大仏の跡だけの場所と捉えるのは、本当に勿体無い事だと思いました。
更には今回は大きな見所だけとなりましたが、バーミアンの発掘、整備が進めば、もっともっと細かい見所が無数にあるだろう事は車窓から眺めていても解りました。即ちまだまだバーミアンは遺跡としての本領を未だ十分に発揮していない、更なるポテンシャルを秘めていると感じました。
郊外には日帰り圏内にバンディ・アミールと言う神秘的な湖があり(次回)冬にはスキーも可能と、もしアフガニスタンに平和が訪れたら、リゾート開発の波が押し寄せそうな街ですが、バーミアンの持つ本当の良さは美しい自然と共に、ジャガイモ畑が広がる高原の牧歌的光景と、賑やかなバザール。そんな長閑さにこそあると思います。そうした部分は壊さないで、、いつまでも残って欲しいと思いました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- その他
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お腹も満腹になり、民族衣装も仕立て、バーミアン観光に出発です。
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バーミアン特産のジャガイモ畑を通って進みます。
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途中ドライバーさんの実家に立ち寄りました。
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最初に訪れた訪問先はシャーレ・ゴルゴラと呼ばれる遺跡です。
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シャーレ・ゴルゴラからタリバンに破壊されたバーミアン大仏の石窟を眺める事が出来ます。
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そして、此方がシャーレ・ゴルゴラ。廃墟化した要塞の遺跡です。
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さて登って行きましょう。
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シャーレ・ゴルゴラはこんもりとした丘の上に築かれた要塞なので、バーミアン渓谷の360度の展望を楽しむ事が出来ます。
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当然当時は風景を楽しむ為では無く、周囲を監視する為に築かれた事でしょう。
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シャーレ・ゴルゴラはゴール朝の時代に建造されました。ゴール朝はそれまでこの地を統治していたガズニ朝を滅ぼし、この地に君臨しました。最盛期は北インド一帯を勢力下に置く程領土を広げましたが、1215年ホラズム・シャー朝により滅ぼされました。
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しかしそれより僅か6年後、1221年、この地にとんでも無い厄災が襲撃します。そう、この時代中央アジアを蹂躙し尽くしたジンギス・ハーンが襲来したのです。
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イチオシ
当初はジンギス・ハーンも様子見をしていたのか小競り合い程度だった様です
しかしそんな小競り合いの中、ジンギス・ハーンの血縁が流矢を追い亡くなってしまいました。こうしてジンギス・ハーンの逆鱗に触れてしまった事で、シャーレ・ゴルゴラの運命は確定してしまいました。 -
動くものは全て殺された。そんな表現がこの地に残されています。血縁を殺されたジンギス・ハーンの怒りはそれ程物凄いものだったのでしょう。殺された人の叫び声がバーミアン渓谷に響き渡り、人はこの要塞を「亡霊の叫ぶ街」と名付けたのだそうです。
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ジンギス・ハーンはユーラシア大陸を席巻し、破壊するだけ破壊して、何も残す事がありませんでしたが、中でも此処は徹底的に破壊されたのだと思います。破壊するだけ破壊して、何も築く事は無い…現代のアメリカも共通している事に感じます。アメリカもまたアフガニスタンを破壊するだけ破壊して、アフガニスタンに何一つ良い事を残しませんでした。
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遺跡の一部は修復されていると見え、こうした建造物が再現されている箇所もあります。(推測ですが、オリジナルが残されているとは思えない。)
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建物内の階段を登り、更に遺跡上部に向かいます。
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建物の屋上部からバーミアンを眺めます。タコ焼き器を逆さにした様なドームが並ぶ屋根の形はイスラーム建築独特の造形です。
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遺跡の頂部を見上げます。
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小窓から覗くバーミアンの大地。
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高山特有の濃い空色、ジャガイモ畑の新緑、そして大地の渇いた砂色のコントラストが眩しいです。
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頂上まであと少し!
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バーミアンの石窟を見下ろします。
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バーミアン空港を眺めます。残念ながら現在は機能していません。しかし、アフガニスタンに平和が訪れたなら、きっと忙しい空港になる筈です。
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アフガニスタンの置かれた立地はとても微妙なものです。インド、ペルシャ、中央アジアに挟まれた山岳地帯。その様な立地故、大きな帝国の狭間に位地し、歴史を振り返れば、一般的には馴染みが薄いだろう国名が多いと思います。しかもコロコロ変遷します。
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残念ながら現状では日本語を喋れるガイドさんはアフガニスタンには殆どいないと思います。しかしアフガニスタンの人々は多くの場合英語を流暢に話します。だから英語ガイドは豊富です。
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と言う訳でアフガニスタンでは殆どの場合英語でガイドを受ける事になるかと思います。其処で障壁となってくるのが先に述べた認知度の低い王朝の数々です。その王朝時代の名称は知ってはいても、英語読みになると?って感じてしまうケースもあります。出来るならあある程度事前にアフガニスタンの歴史を予習してから旅すると、更にアフガニスタンの旅が楽しくなるでしょう。
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頂上からバーミアン渓谷を一望します。中央を流れるバーミアン川を中心にジャガイモ畑の緑が一面に広がっています。
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此方は石窟方面の長めです。石窟も遥か下界に思えるだけ登って参りました。
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中央の大きな建物はバーミアンで一番立派なホテル、バーミアン・ロイヤル・ホテル。今夜から二晩お世話になります。
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此方はヒンズークシュ山脈方面。
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イチオシ
シャーレ・ゴルゴラの頂点から360度のバーミアンのパノラマを楽しみました。
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バーミアンにシャーレ・ゴルゴラと言う遺跡がある事は知っていました。しかし其処から眺める風景が、こんな素晴らしいものであるかは此処を訪れて初めて知る事になりました。
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アフガニスタン程ネガティブな情報に溢れている国も珍しいと思います。でも実際訪れて見れば、治安が荒れ、人心が荒んでいる場面もまるで見る事が無く、女学生の姿さえ見る事が出来ました。此処バーミアンも大仏破壊の大事件情報ばかりが先立って、こんな美しい風景に出逢えるなんて思ってもいなかったです。
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勿論紛争直後には各地でまたかと思う程、哀しい事件が起こり、アフガニスタンの人々の人心は荒みに荒み切っていた事は間違いありません。私が忘れられない事件は、紛争が終わり、この地に大挙して慈善事業者がやって来た時の事。もしかすると仕事では彼等は軍服の様な(若しくは間違われそうなデザインの)服装をしていたのかもしれません。そんな格好で地元の人々と援助について話し合いをしていた時の事です。未だ年端の行かない子供が、何処から持ち出したか小銃を持ち出し、慈善事業で訪れていたアメリカの若者を撃ってしまったのです。若者は命だけは取り留めたと記憶しています。
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未だ銃がどの様なものか解らない筈の年頃の子供。でも紛争中、その銃により大切な存在を失い続けてきたのでしょう。そして今また白人が村にやって来ている。もう大切な人をこれ以上失いたくない!その想いがいっぱいになって、白人兵士達がこれ迄、彼の大切な存在の命を奪った時と同じ様に、見よう見まねで引き金を引いてしまったのでしょう。
幼い子供にその白人が軍人であるか無いかの判断はつきません。この話を聞いた時、その子供の心境を想うと胸が張り裂けそうになりました。 -
そのニュースが余りにも衝撃的で、カブールに到着して初めて子供と対峙した時、私は少々たじろいでしまいました。そんな辛いニュースばかりしか入って来ない国だからこそ、辛い時代を乗り越えてきたからこそ、私はカブールのあの生き生きとした光景がとても嬉しかった。更にこのバーミアンの美し過ぎる風景もキラキラと輝いて見えるのかもしれません。
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少なくともバーミアンに来て解った事。それは大仏跡ありきでバーミアンがあるのではなく、ヒンズークシュ山脈の麓に広がるバーミアン渓谷には余りに美しい世界観を持ち、其処には幾つも王朝が栄えた重層的な遺跡が残り、大仏跡はその一面を切り取ったに過ぎないと言う事です。
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シャーレ・ゴルゴラ。哀しい歴史を刻んだ城跡ですが、今となっては聳え立つ様なシェイプは勿論、その頂上からの眺めもアッパレな素晴らしい遺跡であり城跡でした。
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バーミアンの大仏にやってきました。かつて此処に世界一の仏様の立像が彫られていました。残念ながらイスラーム法を極端に解釈したタリバンにより破壊されてしまいました。
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仏教国がそれを批判するのは当然の事と思いますが、世界中であらゆるものを破壊し尽くしてきたアメリカがそれを批判しても何だかなぁと思います。自分がどれだけ他国の文化を破壊し、人々を虐殺してきた事か?私の故郷の近くでも第二次大戦中、必死にトンネルに避難しようとする列車をP51ムスタングが機銃掃射し五十数名の一般市民が虐殺されました。何ら軍事的価値の無い案件で虐殺としか言いようの無い行為です。私はアメリカに他国の破壊行為に口出しする資格は無いと思っています。私はタリバンを此処迄極端な保守的思想に走らせたのは、欧米の強過ぎる思想の押しつけも要因に挙げられると私は感じています。
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イチオシ
アメリカは様々な意味でアフガニスタンに対する政策で失敗を重ねてきました。特に酷かったのが、ソ連侵攻時にそれに対抗する為にアフガニスタンの民兵に武器を与え、軍事訓練を施し、彼等に代理戦争を行わせた事。それは映画「ランボー、怒りのアフガン」と言うプロバガンダ映画にもなりました。(怒るべきはアフガンの人々です!)アメリカの都合で鍛えられた彼等、そんな彼等の扱いを間違ったが故に彼等は後にアルカイダと言うテロ組織に成長してしまいました。
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世界を震撼させた同時多発テロ。アメリカの言う事を信用すれば、犯人はアルカイダと言う事になりますが、百万歩譲ってそれを信用したならアメリカは飼い犬に噛まれたと言う事になります。即ち因果応報。アメリカではピットブルと言う狂犬がいて、時に飼い主の子供を食べてしまったり、第三者に大怪我を負わす事件が発生しましたが、正にアメリカはピットブルを育ててしまったのです。アメリカを始め、先進国が良くやる手段の代理戦争が生み出した悲劇、或いはしっぺ返しなのだと思います。(犬は飼い主に似ると言うけど、これ正にです。)
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バーミアンの大仏は東西に二体(実は小さいのがあと一つあります。)此方は西大仏で身長は55mで世界最大の大仏です。地元の人は男大仏と呼んでいます。
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現在では石窟には巨大な足場が組まれています。どうやら中国政府が仏像の再建を始めた様なのですが、昨今は音沙汰が無くなっている様です。中国には多くの石仏があり、ノウハウは持っていると思いますが、中国が再建するとやり過ぎな仏像が出来てしまいそうな気がします。
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しかし、詫び錆びを愛する日本人的発想はアジアの仏教国には皆無で在り、逆に日本的に寂れた部分をそのままにしていると、不信心にさえ捉えられてしまうと言います。ミャンマーとかでは後光を現代的なイルミネーションで演出していたり、日本人の発想とは大きく異なるので、再建されると日本人的には興醒めしてしまいそうな大仏になり兼ねません。このままにしてくれた方が良いのかもしれません。
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良く見ると左右の足は仏様の少々外側に開いた足部分である事が解ります。中央の塊は、破壊された胴体の一部でしょう。
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その他にも、破壊されバラバラになった大仏の破片が簡素的な屋根の下保管されています。
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バーミアン石窟は1世紀、バクトリアによって石窟仏教寺院が造られ始めたと言います。大仏は5~6世紀に建造され、石窟内にはインド・グプタ朝やペルシャ・サーサーン朝の影響を受けた壁画が描かれました。この様にバーミアンには長きに渡る歴史の中、様々な王朝、様々な地域の芸術が結集していた事が解ります。失われてしまった事が本当に勿体無いです。
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大仏の周囲には無数の石窟が彫られており、その数は軽く千を超えると言います。
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残念ながら現在殆ど壁画は残されていません。少数ですが残ってはいる様ですが、その壁画も心無い旅人に傷つけられてしまう事案が発生して以来閉鎖されてしまったそうで、壁画を眺める事は出来ません。
破壊者はタリバンだけではありません。我々旅人も、世界中で多くの遺跡を破壊しています。故意によるものは勿論、故意が無かろうと物理的多数が押し寄せた事により崩壊寸前に追い込まれている遺跡も、あのマチュピチュ遺跡を始め多々あります。我々も自戒の念と共に旅をしなくてはいけません。無意識にタリバンと同じ轍を踏まない様に。 -
630年、此処に中国の高僧が訪れます。そう玄奘三蔵法師です。彼が書いた大唐西域記に記されているので確実でしょう。彼の目に大仏や壁画はどう映った事でしょう?
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彼はインドに経典を求める為唐の出国禁止令を無視して旅に出ます。つまり密出国です。お尋ね者となった彼は乞食僧紛いの身格好で旅を続け漸くトルファンの高昌国の王に認められた事で、高昌国の使節団の長と言う形で旅を続けられる事になります。
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その後キルギスのイシククル湖を通過し突厥を訪れ此処に至ります。玄奘三蔵にとって初めて見る巨大な仏像は、彼の旅のモチベーションを爆上げしたに違いありません。電車男に勝る勢いで
「キタァー----!」
と言う感じじゃないでしょうか? -
そんな彼は私がカブールからバーミアンへ向かった街道を遡り、カブールからカイバル峠を下って、タキシラ即ちガンダーラに至ります。人形劇では三蔵法師は其処で念願を叶えますが、現実はそれ程甘く無い。その頃には既にガンダーラでは仏教は衰退しており、彼の旅は其処から遥か東、インドのナーランダー寺院迄続くのです。
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もう一つの大仏跡を目指して、バーミアンの絶景を眺めながら東へ足を進めます。
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東大仏に到着しました。破壊されてはいますが窟内に薄っすらと大仏の跡が残されています。身長は38m。地元の人は女大仏と呼んでいます。
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此方にも足元に嘗て大仏の胴体出逢ったろう石片が残されています。
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東大仏麓から眺めるバーミアン。
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手前の白い丘が、先に訪れたシャーレ・ゴルゴラです。
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石窟内部からバーミアンを眺めます。
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石窟内部にストゥーパの内部の様な掘り込みが施されています。
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東大仏は大仏横の階段から上部迄登る事が出来る様になっています。
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バーミアン石窟は標高2800m程あります。写真を撮ったり動画を撮ったり、昇り降りを繰り返したのですが、圧倒的に息が上がってしまいます。チベットやクスコの様に高山病になる危険性は低いでしょうが、過度の運動には気を付けた方が良いでしょう。
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細くくり抜いた洞窟内を螺旋階段上に通路が繋がっています。探検気分を盛り上げてくれます。
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所々に採光の為の小窓が開けられ、其処から覗くバーミアンの絶景も格別です。
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イチオシ
大分登って来ました。息を整えます。疲れもバーミアンの絶景を見れば吹き飛びます。
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岩肌は小鳥の格好の巣となっています。
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バーミアンの絶景をチラ見しながらラストスパート。
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高所恐怖症にとってはチト辛いアングル。
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そして、仏様と同じ目線でバーミアンを眺めました。
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石窟内部右手の景観。
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石窟内部左手の景観。
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玄奘三蔵も、同じ景色を眺めていたのでしょうか?
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イチオシ
再び大仏跡の石窟を見上げました。
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此方も破壊された大仏の石片が保管されています。
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夥しい数の石窟が彫られています。其々に壁画が残されていたら、巨大な美術館であった筈です。
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振り返れば特産のジャガイモ畑が拡がります。その向こうにはヒンズークシュ山脈。
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あの塔状のものはなんでしょう?とても自然の産物には見えません。太古から様々な歴史が折り重なる歴史的な街バーミアン、一般的な見所だけではなく、細かい部分を見ていけば無数に見所が潜んでいるのかもしれません。
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荒々しい岩肌を眺めながら、本日最後の目的地へと向かいます。
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空の青、山の砂色、大地の緑、アフガニスタンの印象的なトリコロール。いっそ国旗にして欲しい程。
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あの突起はなんでしょう?あれは自然の造形の様です。バーミアンでは人も自然も芸術家です。
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本日最後に訪れるのはシャーレ・ゾハーク。最初に訪れたシャーレ・ゴルゴラと同時期に建てられた要塞跡です。
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赤い岩肌の岸壁を利用して築かれた為、レッドフォートとも呼ばれます。
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レッドフォートは夕陽を浴びると鮮明にその赤さを誇示しますが、私はその背景の黄色く燃える様な岩山に驚きを感じました。
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城塞を登ります。赤い城と背景の黄色い山脈、そして青空。そのコントラストは、異世界間さえ醸し出しています。
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なんなんでしょう?この色使い?
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シャーレ・ゾハークはバーミアン渓谷の外れに位地します。いや表現の仕方を間違えました。正しくはバーミアン渓谷の入り口に位置します。バーミアンへの出入り口を守る重要な役割の要塞だった事が、その位置からして推測できます。
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バーミアンの出入り口を守ったシャーレ・ゾハーク。バーミアン渓谷の中央の丘を利用し、バーミアン渓谷を360度見渡せたシャーレ・ゴルゴラ。こうして完璧かと思われたバーミアンの防衛体制も、怒りに怒ったジンギス・ハーンの前では、全く歯が立ちませんでした。
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赤、黄、青、緑で出来上がるシャーレ・ゾハークの不思議な世界観。
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余りの美しさに感動の涙が零れそうになる程ですが、この美しささえ、権力者達にとっては欲にしか見えないものなのでしょう。これだけの色合いを持つ岩がある事は、其処に何某かの鉱石を含む事を示唆しているとも言えます。
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アメリカはソ連のアフガニスタン侵攻に伴い、民主主義を守る為にと介入。その後も
「世話になった人が助けを求めた時は、命を懸けても助けなければならない。」
と言う民族としての掟を守り、ソビエト侵攻時それらを防いで大功を立てたビン・ラディン氏をタリバンは見捨てる訳にいかず、匿ったばっかりに、アメリカ軍にフルボッコにされる結果に。その後もカルザイ政権と言う汚職塗れの傀儡政権を作ったり、女性の人権問題で絡んだり、フラれてもフラれても未練たっぷりな粘着質の女性の様に何かと、ごもっともな理由をこじつけてはアフガニスタンに拘り介入を続けてきました。 -
でも、その本当の理由、そしてその本心はアフガニスタンが持つ、豊富な地下資源を手に入れたかったからなのです。アフリカのコンゴも同様ですが、資源が豊富だからこそ、大国に付け狙われ、結果資源を持つが故に不幸を招き入れてしまい、国がボロボロになってしまう。
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資源が欲しい先進国、資源を売って資金が欲しい第三か国。上手く付き合えば本来ウィンウィンな関係を構築出来る筈なのです。しかし現実はそう事が運んだ試しは無く、アフリカでもアジアでも、第三か国は利権を全て奪われ、現地には殆ど金が落ちる事は無く、労働力だけ奪われ、更に未成年の強制労働等人権問題も見て見ぬ振りされている現実があります。
もし、コンゴで働く人々が、我々の様にきちんとした条件下で働ける様になったなら、パソコンもスマホもEVも、価格がべらぼうに高騰し、庶民は手が出ない商品になってしまうでしょう。ある意味コンゴを始め第三か国の犠牲の上で、我々はスマホを使え、EVに乗れるのです。闇が深いです。 -
先進国の欲しいがままに資源を漁られるアフリカの国々、それに抗ったが故にボロボロにされたアフガニスタン。ウクライナの大統領ゼレンスキー氏が自国の置かれている現状を
「第二のアフガニスタンの様だ」と表現したのはそうした経緯があるからです。 -
ソ連(ロシア)が介入し、アメリカがそれに対抗し援助する。そして「援助してやったんだから、見返りとして資源の利権をそっくりよこせ!」この構図はアフガニスタンの場合も、ウクライナの場合も全く同じ手口です。
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違いと言えば、アフガニスタンの場合、アメリカは何かとゴモットモな理由をこさえてカモフラージュしていました。しかしウクライナの場合、カードゲームの名前の様な大統領は、馬鹿なのか?それとも正直な人なのか?本心をそっくりそのまま手口を見せてくれました。彼は政治家である以前に実業家ですから。
「援助が欲しいなら資源出せ!」「同情するなら金をくれ!」
と言う事なのでしょう。先進国の欲はえげつないです。 -
身に余る富(鉱石)等持つものでは無いのかもしれません。勿論アフガニスタンの人々が欲しくて其処に鉱石が有る訳では無いのですが…何はともあれ哀しい程に美しい光景に心が動かされます。
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人の欲とはおぞましいもので、こんな美しい遺跡でさえ、未だ地雷撤去が完全に終わっていないと言います。
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城跡は山の素材をそのまま使用しているので、廃墟となって長い時が経った今、まるで山と一体化してしまった様に映ります。
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国内、国外を含め様々な城跡を訪れましたが、周囲の環境を含めれば、今まで見て来た城郭の中で一番美しい城に感じます。こんなカラフルな城、見た事がありません。
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世界には、例えばインドのデリーにもレッドフォートと呼ばれる城がある様に赤い城と呼ばれる城は結構あります。私は地質学には詳しくありませんが、赤い岩(多分赤砂岩だと思われる。)が削ったり、切ったり、建材として使用する事が容易な事が要因では無いでしょうか?
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イチオシ
だから、黄色い岩山は手つかずな状態にある。そんな事を想像しました。それにしてもこの黄色い岩山が聳えている事が良い味出しています。城を巡りながら、何度も溜息をついてしまいます。
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今でこそ私たった一人で暮れなずむ廃墟となった城塞を歩いていますが、アフガニスタンに平和が訪れれば、此処は、この光景は、絶対バズります。歴史好きだけじゃなく、絶景好きやら、YouTuberやらでごった返してしまうかもしれません。
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これだけ絶景だと、優位の景観ばかりに目が行ってしまいますが城自体の紋様とかも見逃さないで欲しいです。
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我、不思議に思います。強烈に心に刻まれた印象的な光景は、常に退避勧告の出された国にある。それはもしかして危険だからでは無く、観光客の破壊行為から、その美しさを守らんが為に出されているのでは無いかと思える程…。
イエメン且つ
https://4travel.jp/travelogue/11761652
マリ然り…
https://4travel.jp/travelogue/11207385 -
この要塞が築かれ始めたのは、バーミアンの大仏が造られたのと同時期だとの事。本格的に要塞化されたのはシャーレ・ゴルゴラ同様ゴール朝の時代だそうです。
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神様が山の峰毎にペンキをぶちまけたかの様に色合いが違います。
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黄色はまんべんなくでは無く白色に近い黄色から茶色に近い黄色迄絶妙なグラデーションを見せてくれます。
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黄色い山の中腹には民家が結構集まっています。元々バーミアンに暮らしている人は殆ど農家であり、ジャガイモや大麦を栽培しているのですが、こうした山の上や斜面に建つ家は、外部から引っ越してきた人々や農家以外の人々が暮らしているのだそうです。
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中腹にはかなり保存状態の良い要塞跡が残されていました。
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旅行社からは日程表を頂いているので、当然二つの遺跡を訪れる事は知っていました。しかしジンギス・ハーンに徹底的に破壊された遺跡である事から、それ程期待はしていなかったのです。バーミアンは破壊された大仏の跡で玄奘三蔵の気分を味わえればと…。
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イチオシ
でも、実際訪れて見ると…ちょっと主役を喰ってしまっているかにさえ思える程の光景に興奮しました。ゴルゴラも期待を上回りましたが、ゾハークはそれを上回る。訪れた夕刻と言う時間帯もそれに拍車をかけているのでしょう。
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でも、私はシャーレ・ゾハークの全てを見れた訳ではありません。夕刻と言う時間の問題もあるでしょうが、地雷の問題もある様です。遺跡はまだまだ遥か上部の頂上まで点在しています。
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更には大仏跡から此処に至る岩山にも、遺跡の様な構造物を確認する事が出来ました。此処に平和が訪れ、発掘や整備が行き届けば、それはそれは大規模な歴史的見所満載の地になるのではないでしょうか?
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更には夏でも涼しい高原気候、冬はスキーを楽しめる。この気候と雪山から生まれる豊富な水を利用すればジャガイモだけでは無く、もっと多彩な食品も栽培できると思います。更には次回紹介しますが、日帰り圏内に素晴らしい湖さえあるのです。将来的に世界に肩を並べるリゾート地となるポテンシャルを持っている、それがバーミアンだと思います。
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色鮮やかな岩質と強烈な夕陽が醸し出す、限られた時間限定の芸術を楽しみます。色合いも刻々と変わっていきます。
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調べて見ると、この赤い城と言う謂れは、ジンギス・ハーンの侵攻により犠牲になった人々の血の色だと言われています。ジンギス・ハーンの襲撃により切り刻まれた人々の叫びがゴルゴラとなり、流された血がゾハークとなったのです。どちらにせよジンギス・ハーンの襲撃の苛烈さを物語っています。
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一際印象的な建造物の遺跡がありました。太陽光の加減でしょうか?赤い遺跡の中で此処だけ黄色く輝いているかに見えます。
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円柱状の建物だったのでしょうか?重要な施設だったのかもしれません。
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この円柱状の更に奥にちょこっとだけ頭を出し、小さな旗がはためいているのがゾハークの頂上。其処には現代の紛争中に設置された対空砲が残されていると言う事です。其処からはどんな光景を眺める事が出来るのでしょう?
陽もだいぶ傾いてまいりました。後ろ髪を引かれながら、徐々に往き来た道を引き返します。 -
鏡張りの天井、グラスには氷の入ったピンク・シャンパン。彼女は囁く
「此処にいる人はね、みんな自分でこさえた牢屋に捉われた囚人達よ。」
これはホテル・カリフォルニアの一節です。この難解な曲のこの一文が指し示す通り、人は自分で考えて答を出しているかの様に思いながらも、実は自分の置かれた環境に浸る内に、その環境が紛れも無い正しい事であると錯覚し、その思考から逃れられない、自分自身で築き上げた檻(思考)に囚われた囚人です。 -
政府の煽りのプロバガンダに踊らされて、反日デモや日本製品不買運動する人々見てどう思います?
私は情け無く感じます。この人達情報を鵜呑みにして、踊らされて、まるで操り人形だな…と。でも、日本人とて同様です。9・11の後、何ら関係の無いムスリム達にさえ向けられたバッシングの数々。
そんな中、旅人の端くれとして、自分の足で、自分の目で見て答を出そうと思ったのが、私のイスラームの旅の始まりでした。自分でこさえた檻から飛び出して、眺めて見たイスラームの世界は、是迄日本と言う檻の中で教わってきた世界とは、まるで別世界が広がっていました。 -
ある日、ニュースで若い、新米そうなリポーターがシリア内戦のニュースを担当していました。彼は解説者に「シリアにこれで平和が訪れるでしょうか?民主主義に変われるでしょうか?」と質問していて、心底恐ろしくなりました。世界には様々な思想、政治体系があるにも、関わらず、彼は民主主義=正解と言う発想しか持ち合わせていない様でした。まるでそれはカルト教団の信者が、外の世界を全く知らないかの様な語調でした。
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時に自分を捉えている牢獄から外に出て、外側から俯瞰して世界を眺めてみないと見えてこない世界があります。自らの世界に疑問を感じないと見えてこない景色があります。民主主義が世界で唯一の正解ですか?貴方は民意が政治に反映された瞬間を見た事がありますか?任期があるから、どの政治家も目先の事しか考えやしない。結果が出やすい経済対策ばかりで、時間のかかるジャンルはいつだって先送り、その日暮らし的な政治で良いのでしょうか?で、今となって少子高齢化?私的には何を今更。ずうっと前から解っておいて、先送りにしてきた事ではありませんか?
イスラームの女性の扱い方は間違っていますか?なんでもかんでも平等にしようと、自由にしようとした結果、そうした西側社会の国々は漏れなく少子高齢化の症状が現れています。酷い国は100年後には国の体を成していないかもしれません。理想を追い求めても、滅んでしまっては元も子も無いのではありませんか? -
日本の雇用が男女平等になったのは1986年になってからです。それまで日本は女性を差別していたのでしょうか?そもそもこの時施工された男女雇用機会均等法とは女性の人権を守る為に施工されたものでしょうか?いいえ、国民はまんまと騙されましたが、これは雇用機会を二倍に増やせると言う事で、企業の利益の為に施工された法律です。その証拠に経団連の反対により、産休等、女性の子供を産む権利は先送りされました。もうこの時点で大きく舵を取っていたのです。40年前の話です。
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現在、資本主義国の最右翼であるアメリカは、過度に広がった貧富の差により国が滅ぶと言われています。適度な格差は競争を産み、それが経済を押し上げますが、過度に広がった格差は社会の分断を産み、逆に競争も流動性も妨げられ、治安も悪化してしまいます。余りに過度な格差ある社会はカースト制度となんら変わりがありません。
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そんな事、1500年前に見抜いていた人物がいます。預言者ムハンマドです。元々イスラームは商人であるムハンマドが始めた宗教です。商業は莫大な利益を産むと共に、大きな格差を産むデメリットがあります。だからこそ貧富の差が産まれない様な仕組みを宗教として幾重にも取り入れました。
イスラームの金融システムも、相続システムも、近代の資本主義的視点から見ると、大儲け出来ないシステムであったり、大企業が生まれ辛いシステムに思えます。しかし、大儲けできずとも大損もしない、安定したシステムであるとも言えるのです。 -
勿論私も「日本」と言う牢屋に囚われている囚人です。民主主義の国に暮らし、資本主義の下買い物し、男女雇用機会均等法の下働いています。それらを否定したくて物申してる訳ではありません。勿論それらには長点も多いです。しかし短所だってあります。万能な思想なんて存在しません。だから当たり前に受け止めるのでは無く、疑問に思うのは必要な事だと思います。
イスラームと聞くと、条件反射的に異質な宗教、訳解らない人達と、知る前から拒絶するのではなく、一旦自分の先入観から離れ、俯瞰して見れば、意外な一面も見えてきます。 -
イチオシ
しかし、人間そう簡単に自分の檻から出る事は出来ません。だからこそ、今の日本と真逆な世界観のタリバン統治するアフガニスタンにて、少しばかり自分の檻から這い出して疑問に思って見たのです。タリバンは本当に只の悪党か?我々の資本主義、民主主義、自由主義とは完全無欠なものなのか…?
タリバンの行う政治もイスラーム主義を極端に解釈し過ぎだとは思いますが、昨今のアメリカも極端な資本主義の成れの果てに感じます。過ぎたるは及ばざるが如し、何事も極端な政策は不幸しか産みません。 -
ある学者さんの研究によると、猿は違う団体が変な行動をしていると、最初は訝しく思っていても、それに得があると判断すると、その行動をすぐ真似すると言います。例えば芋洗いとか温泉とかね。所謂猿真似ってやつです。
しかし、これが人間に進化すると、違うグループが、自分達とは異なる行動をとっていると、ネガティブな反応しかしない生き物なのだそうです。 -
だとするならば、そろそろ人類は猿に戻るべきかもしれません。やれ異なる檻に暮らす囚人達をバッシングするより、異なる檻に暮らす囚人達の良い所は積極的に学んだ方がよっぽど建設的だと感じます。主義とか思想とかで争い合っている場合では無いぜよ!と思うのです。
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イチオシ
話は大きく飛びますが、今の日本が日本として存在できているのは、坂本龍馬や勝海舟がいたからだと私は思っています。他にも高杉晋作やら桂小五郎やら大久保利通やら西郷隆盛やら偉人はいっぱいいました。ですが、彼等は長州藩、薩摩藩、と言う藩と言う檻の中からしか日本を見れていなかった。しかし勝と龍馬は、もっと高い視点から日本を俯瞰出来ていた。だからこそ、黒船が日本の近海徘徊している時に、「日本人同士が争い合ってる場合では無いぜよ!」って言えたと思うし、彼等の活躍で内戦に陥る事が無かったから、今の日本があるのです。あの時争い合っていたら、必ずや欧米の餌食になっていたでしょう。
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だから私は時に、自分の檻を抜け出して、俯瞰する視点を持っていたいと思います。自分が時にかなり極端な考え方に陥る事も、自分で良く解っているので猶更です。そして自分が知らず知らずのうちに作り上げてしまった檻から出れる、私にとって、そんな瞬間が旅なのかもしれません。
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そして、同様にアフガニスタンの人々にも訴えたいです。アフガニスタンは様々な民族がおり、残念ながらとても一枚岩とは言えません。そして列強から地下資源を狙われています。まるで明治維新の内戦勃発寸前の日本と同様の状況下にあります。こんな状況で、同じ国の民族同士で争い合ったら、外敵の格好の餌食になるのは明白です。自らの民族の檻から飛び出して、もっと高い位置から自らの国を俯瞰して欲しい!
「争いあってはならぬのです!」
私はこの3月、能登演劇堂で「まつとおね」を観劇しました。これは、その時吉岡里帆さん演じる前田まつの台詞です。観劇後、近藤プロデューサーとお話しする機会があり、彼女の父は特攻隊だった経験から反戦の意味も篭めて、この台詞を加えた事を知りました。そして彼女から私のアフガンの旅への励ましの言葉さえ頂きました。
私のアフガニスタンの将来への想いはこのセリフに全てが帰結します。アフガンに坂本龍馬の様な目線を持つ人物が現れて、民族がひとつになれる日を願わずにはいられません。 -
夕焼けのマジックアワーは過ぎ去り、血に染まったかの様な、燃え上がるかの様なレッド・フォートも落ち着きを取り戻しつつあります。
本当に素敵な城巡りが出来ました。 -
特産のジャガイモ畑を横切って、長く待たせてしまったドライバーさんの元に戻ります。
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ゆっくりとバーミアンの日が暮れていきます。とても素敵な一日になりました。
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どうしてなのでしょう?ドバイのアフガニスタン料理屋でも出ましたが、スープはカレー風味なのです。でもカレーはありません。
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今夜もケバブを頂きます。三人で食べるので、誰かがビリヤニを頼むので、ビリヤニも頂けます。
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バーミアンの夜景を眺めつつ、大興奮の一日を振り返りました。
最期迄ご覧になってくださり、ありがとうございます。
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この旅行記へのコメント (3)
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- TKさん 2025/07/27 12:43:40
- バーミアン、魅力的な場所がたくさんありますね。
- さっくんさん
こんにちは!
バーミアンの詳細な旅行記をたっぷり楽しませていただきました。ありがとうございます。美しい魅力的な場所がたくさんありますね。バーミヤンは一度は行ってみたいと思っていた場所です。しかし、タリバンが、石窟遺跡を破壊したニュースに、とても悲しい思いをして、こんな人たちが支配している国へは、とても行けそうもないとず~~と、思っていました。
今回のさっくんさんの旅行記で、現場の活き活きとした感じを、(サックんさんが現場で受けた感動に比べると)ほんの少しですが感じられました。ありがとうございます。
日本からのニュースの情報では、タリバンが銃をもって街のあちこちを見張っているような印象で、とても観光どころの場所ではないように思っていました。
でも、バーミヤンのような地方へ行けばそうでもないようですね。サックんさんの行動力には頭が下がります。私も、結構いわゆるハードルの高い所にも行っています。例えばアマゾンジャングルとか。しかし、アフガニスタンへは、寄る年波もありますが、とても訪問できそうもないと、はなから諦めています。
サックンさんの旅行記に書いてるように、実は、発展可能性の高い魅力的な場所なのですね。
早く、多くの日本人も訪問できる時代になることを祈っております。
素晴らしい旅行記をありがとうございます。
また、よろしくお願いいたします。
TK
- TKさん からの返信 2025/07/27 12:48:36
- Re: バーミアン、魅力的な場所がたくさんありますね。
- <先ほどのコメントに、さっくんさん、のひらがな返還ミスがありました。大変失礼いたしました。修正した文を再送信いたします>
さっくんさん
こんにちは!
バーミアンの詳細な旅行記をたっぷり楽しませていただきました。ありがとうございます。美しい魅力的な場所がたくさんありますね。バーミヤンは一度は行ってみたいと思っていた場所です。しかし、タリバンが、石窟遺跡を破壊したニュースに、とても悲しい思いをして、こんな人たちが支配している国へは、とても行けそうもないとず~~と、思っていました。
今回のさっくんさんの旅行記で、現場の活き活きとした感じを、(さっくんさんが現場で受けた感動に比べると)ほんの少しですが感じられました。ありがとうございます。
日本からのニュースの情報では、タリバンが銃をもって街のあちこちを見張っているような印象で、とても観光どころの場所ではないように思っていました。
でも、バーミヤンのような地方へ行けばそうでもないようですね。さっくんさんの行動力には頭が下がります。私も、結構いわゆるハードルの高い所にも行っています。例えばアマゾンジャングルとか。しかし、アフガニスタンへは、寄る年波もありますが、とても訪問できそうもないと、はなから諦めています。
さっくんさんの旅行記に書いてるように、実は、発展可能性の高い魅力的な場所なのですね。
早く、多くの日本人も訪問できる時代になることを祈っております。
素晴らしい旅行記をありがとうございます。
また、よろしくお願いいたします。
TK
- さっくんさん からの返信 2025/07/27 14:01:14
- RE: Re: バーミアン、魅力的な場所がたくさんありますね。
- TKさん、私も変換ミス多々あるのでお互い様です。どうか気にしないでください。暖かいコメントありがとうございます。アフガニスタンを始め、イラクやイエメン等敬虔なイスラームの国々は、情勢には気を遣わなければならないものの、平時なら欧米より旅しやすい安全な国々です。旅人が一番気を付けなくてはならない、窃盗や強盗がほぼ皆無である事、欧米の様にアジア人差別をしないどころか親日の国が多い事。私は逆に非ムスリムの国々を旅する方がよっぽど緊張します(笑)
アフガニスタンのタリバンは確かに特殊な存在ですが、これも太陽と北風、これまで欧米もアフガニスタンに対して余りに非人道的行為を繰り返してきましたから。それに文中でも書きましたが、タリバンも以前の欧米へのレジスタンス組織から紛いなりにも一国の政府と立場が変わったので、タリバンが旅人の不利益な行動に出る事は先ず在り得ません。(恐れるべくはISです。)確かに街や街道には要所要所にタリバンの検問があります。でもこれはイラクやイエメンでも同様、IS等の反政府組織の襲撃から市民や旅人を防衛する為です。面倒ではあるものの、登山の際の登山計画書の提出の様なものなので、此方から積極的に足跡を残すべきと考えています。
アフガニスタンは一枚岩では無く、タリバンも全土を完全に掌握している訳では無いので、タリバンのお膝元カンダハルでは旅人は中心部には泊まれない等、かなり不便な事も多いようですが、今回のカブール~バーミアン~マザール・シャリフはとても開放的でした。今回はこうした証明書関連が面倒だったので、此方に強い海外の旅行社に依頼しての旅でしたが、何一つストレス無く旅が出来ました。
勿論、一般的なツアーが催行されるには、インフラ、サービス等まだまだ不備な点は数多いものの、観光資源的には此処周辺の国でも白眉だと思いますし、気候が良い。どう考えても一枚岩にはなり得ない、強烈な個性を持った多民族国家ですから、本来連邦制(首長国制)が理想的なのですが、現状のタリバンが頷く筈も無く…。まだまだ課題は山積みですが、何と言っても其処に暮らす人々が素晴らしかったです。タリバンもそうですが、アメリカのトランプ、ロシアのプーチン、イスラエルのネタニヤフ…其処に暮らす人々、文化は魅力的でも、上に建つ人物が障壁となって旅がしづらくなるのは大きな問題ですね。我々の国のトップも、とても褒められた状態にはいませんが…(笑)
ロシアによる侵略以降、かれこれ40年以上も待たされて、このままだと化けて出るしか無いと思ったので、フライングして旅に出ましたが、バーミアンは余りに美しく、これ解放されたらされたで今度は観光公害と戦う嵌めになりそうなので、先立って良かったと内心思っていたりもします。イラクはあと一歩、アフガニスタンも後数歩、着実に復興に向けて足取りを進めている姿が見られた事は本当に大収穫だったと思います。これからも宜しくお願いします。
> <先ほどのコメントに、さっくんさん、のひらがな返還ミスがありました。大変失礼いたしました。修正した文を再送信いたします>
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> さっくんさん
>
> こんにちは!
>
> バーミアンの詳細な旅行記をたっぷり楽しませていただきました。ありがとうございます。美しい魅力的な場所がたくさんありますね。バーミヤンは一度は行ってみたいと思っていた場所です。しかし、タリバンが、石窟遺跡を破壊したニュースに、とても悲しい思いをして、こんな人たちが支配している国へは、とても行けそうもないとず~~と、思っていました。
>
> 今回のさっくんさんの旅行記で、現場の活き活きとした感じを、(さっくんさんが現場で受けた感動に比べると)ほんの少しですが感じられました。ありがとうございます。
>
> 日本からのニュースの情報では、タリバンが銃をもって街のあちこちを見張っているような印象で、とても観光どころの場所ではないように思っていました。
>
> でも、バーミヤンのような地方へ行けばそうでもないようですね。さっくんさんの行動力には頭が下がります。私も、結構いわゆるハードルの高い所にも行っています。例えばアマゾンジャングルとか。しかし、アフガニスタンへは、寄る年波もありますが、とても訪問できそうもないと、はなから諦めています。
>
> さっくんさんの旅行記に書いてるように、実は、発展可能性の高い魅力的な場所なのですね。
>
> 早く、多くの日本人も訪問できる時代になることを祈っております。
> 素晴らしい旅行記をありがとうございます。
>
> また、よろしくお願いいたします。
> TK
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