2009/04/17 - 2009/04/17
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さっくんさん
二日目は郊外の見所を周遊しました。真の始皇帝関連と唐の楊貴妃関連、そして玄奘三蔵が過酷な旅から持ち帰った経典が納められた大雁塔。そしてそこでシルクロードへの旅に想いを馳せました。
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二日目は先ず兵馬俑博物館です。
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兵馬俑は始皇帝が死後の世界も生前と同様に暮らせる様に築かれたと言います。実は兵馬俑は始皇帝オリジナルなものでは無く、寧ろこの時代の王族の風習でしたが、始皇帝だけあって規模が段違いなのです。
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それどころか以前は人形を埋葬するのでは無く、生きた人間を埋めたと言うから驚愕です。人を沢山埋めたら国力は減衰してしまいますし、あれだけ人形作ったら経済疲弊しそうだし、この時代、王が亡くなる事は国家存亡の危機の様な気がします。今では無駄遣いでしか思えない国葬手段ですが、多くの殉死せねばならなかった命を救った意味では進歩したと言えます。
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この様に無茶苦茶な規模の兵馬俑を築かせたり、儒者を生き埋めにしたり、不老不死を望んで水銀飲んだり、後半の悪印象が強い秦の始皇帝ですが、私はもっと評価されるべき人物であると思います。
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彼の死後、秦は呆気なく滅びてしまいました。それ以降中国は長きに渡って封建社会が続き、それを始皇帝にこてんぱんにされた儒家思想家達が支えたのですから、始皇帝が悪者中の悪者のレッテルを張られるのも当然かもしれません。
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でも、この時代に始皇帝が存在していなかったら、間違いなく今の中国は無いでしょう。多分ヨーロッパの様に複数の国が乱立している事でしょう。以前低俗な歴史バラエティで知識持ったふりしてる芸能人が始皇帝がいなくても、いずれ統一する人物が現れたと浅知恵を披露していました。まぁ可能性はあるでしょうが、それはかなり確率の低い事でしょう。
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未だ紀元前と言うこの時代だからこそ。彼は統一を成し遂げ、それだけでは無く、長城、貨幣、言語、度量衡等ありとあらゆるものを統一出来たのです。それは中国にとって奇跡に近い偉業だと思います。
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今のヨーロッパを見れば、EU、NATO、ユーロ、ユーレイル等、幾つもの項目に分けて、手を繋げられる項目毎に手を繋いで結び付きを強めています。この様に国と言う存在が強固となり複雑化すればする程、統一と言う道程は困難なものとなります。
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紀元前と言う時代に統一を果たし、あらゆる項目の統一をこの時代に達成出来たからこそ、後に何度も分裂し、異民族の侵入を許しても、ひとつの中国に戻れたのは始皇帝の偉業があったからなのです。
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そしてもうひとつの偉業が法治国家を誕生させた事です。ローマに先立って世界初の偉業です。
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私は孔子より韓非子に傾倒した方なので、彼の意思が法治国家として形になったのも意義があったと思っています。
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では、どうして始皇帝が法家思想に傾倒していったかと言うエピソードが残っています。(真偽がハッキリしないエピソードではあります。)
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戦国時代の趙と言う国に秦の王子が人質として暮らしていました。そんな王子に目をつけた人物がいます。腕利きの商人呂不韋です。彼は身籠ったばかりの妻を巧妙に王子と結びつけます。そして秦へ彼等を連れ戻し、終いには王子を秦の後継ぎにする事に成功します。やがて王子の妻(元呂不韋の妻)は子を産みます。初な王子は自分の子供と思い疑いません。彼こそが政、即ち始皇帝です。
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人質だった王子はこうして荘襄王となります。呂不韋はそれに大きく貢献した事で宰相の地位を得ます。しかしそれから数年も経たずに荘襄王は亡くなってしまいます。(呂不韋が暗殺した説もあります。)これにより荘襄王の息子、政に王位が譲られますが何分政は未だ子供(しかも呂不韋の実子、そして後の始皇帝です。)未だ政治は出来ません。こうして呂不韋は商人から秦一国を自由に動かせる存在に成り上がったのです。
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しかし呂不韋が未だ子供と舐めてかかっていた政は只者ではありませんでした。王である自分を出し抜き自分の意のままに国を呂操る呂不韋を煙たがります。その後とある事件をきっかけに呂不韋は政により追放され、自害に追い込みました。政即ち始皇帝がその時、呂不韋を実の父親と認識していたかは解りません。
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只、もし父親だと認識していたとすれば、どうして始皇帝が儒教をあれ程憎んだか解る気がします。儒教は序列や血縁を非常に大切にします。
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始皇帝は秦の王族として生まれ、自らもそれを自負し成長した筈です。しかし実は違ったのです。それどころか実父は国を前王から奪い欲しいままにする憎き宰相呂不韋、そして実の父親を裁かねばならなかったのです。そんな始皇帝にとって儒教は受け入れられないものだったのでしょう。
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何度思い返しても、このシーンは感情移入しちゃって泣けてしまうのです。彼が実父呂不韋に最期にかけた言葉は
「血に甘えるでない…。」
だったと言われています。…日本の政治家にも言って欲しいです。
只私思うのです。人質の身で生涯を送る筈の王子をたぶらかし一挙にひとつの国を自由に操つる身に大出世した呂不韋。そして中国を統一し、現中国の礎を築いた始皇帝…血は争えないものだとも思うのです。 -
兵馬俑と現代のAIロボットとの仲睦まじいコラボです。
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始皇帝陵に移動しました。
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未だ未発掘で何が埋葬されているかはロマン世界です。
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今は緑で覆われていますが、形状的に埋葬時はピラミッド状だったのでは無いでしょうか?
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もし発掘される時が来たら、エジプトのピラミッド同様に様々なトラップが発掘者の行く手の前に立ちはだかるかもしれません。
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中を知りたい!と言う気持ちは山々ですが…世の中、知らない方が良い事もあるのかもしれません。
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時代を大きく進め、唐の時代にやって来ました。訪れた場所は華清池、楊貴妃と玄宗皇帝のラブロマンスで有名な場所です。
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そんな訳で楊貴妃の像の周囲には絶えず現代の妖気妃達が絶える事がありません。恐ろしや、恐ろしや…(笑)
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此方が楊貴妃のお風呂。
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此方が玄宗皇帝のお風呂です。
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中国には三大悪女や傾国の美女等恐ろしい女性が長い歴史の中何人も登場しますが、楊貴妃は中でも抜群の人気があります。
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確かに楊貴妃は残虐な行為を行った訳でも無く、復讐に生きた訳でもありません。彼女のその美貌や魅力故、玄宗皇帝が政治を省みなくなった事から傾国の美女と呼ばれるようになったのです。女性が憧れるのも頷けます。
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でもそれは歴史ロマンの中だからこそ許されるものですよね?
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例えば岸田さんが美しい奥さんと箱根の別荘で二人の時間に熱中するあまり国会にも顔を出さなくなったら美談で済ませる訳にはいかないでしょう。
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いや、それは唐の時代も同じだった様です。
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安禄山が巻き起こした安史の乱により唐は滅亡直前迄追い込まれ、その戦乱の中楊貴妃は命を落とします。
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安禄山は楊貴妃が亡くなった事を知り、涙を流したと言います。安禄山が反乱を起こした理由は、玄宗皇帝が政治を疎かにした事に発する楊貴妃の親族による政治に反発であり、楊貴妃の死は望んでいなかったのでしょう。そんな悲劇的最後がよけい彼女の人気を上げているのだと思います。
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因みに国破れて山河あり…で有名な杜甫のこの歌は、この安史の乱で荒廃した長安を歌ったものです。
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時間の無い方は足湯がお勧めです。
楊貴妃も浸った温泉です!
決して妖気妃じゃないですよ。 -
勿論ちゃんとした温泉も完備しています。
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強者共の夢の跡を堪能しました。
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昼食は牛肉麺を頂きました。今では中国全土で人気のラーメンで本場は蘭州、起源はイスラームを信仰する回族の東郷族と言われています。
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興慶宮公園を訪れました。
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此処も玄宋皇帝と楊貴妃所縁の地です。
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眩し過ぎる配色です。
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背後の高層建築が妄想の邪魔をします。
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玄宗皇帝が此処で政務を取ったとは思えない長閑な光景です。
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園内はシーズンなのか花が満開です。
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ド派手なコントラストを楽しみます。
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こんな環境で政務を取ったら誰でも腑抜けちゃいそうです。
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しかも隣には絶世の美女、楊貴妃がいるのですから尚更です。
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楊貴妃が牡丹を観賞する為に建てられたと言う沈香亭。
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日本語読みしてしまうと雰囲気が壊れます(笑)
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前衛的なアートもありました。
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天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
唐と言えば、玄宗皇帝に仕えた阿倍仲麻呂も忘れられません。 -
阿倍仲麻呂さんが帰れなかったのは、天候の不運もありましたが、優秀過ぎて引き留められた事もあったとか…。優秀過ぎても束縛されてしまいます。会社には良い意味でも、悪い意味でも、目をつけられない事が肝心です。(←これ本当に重要!)
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青龍寺を訪れました。
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此処は空海が修行に訪れたお寺です。
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空海のみならず天台宗の円仁や円珍等複数の日本の僧侶が修行したそうです。
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奥に桜が咲いていました。
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玄奘がガンダーラ迄旅をして仏典を西安迄持ち帰り、空海が日本から西安を訪れ、仏教を学び日本に持ち帰りました。
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桜をはじめ緑豊かな境内です。
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当時は日本から此処に辿り着く迄どれ程の苦労があった事でしょう。
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今でさえ、飛行機を使うな!となると結構難儀する道程です。車も鉄道も無い当時は僧侶は屈強な旅人(バックパッカー)だったのですね。
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西安の旅、最後を締め括るは玄奘三蔵が経典を納めた大雁塔です。
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三法師と言うと、いかりや長介さん、夏目雅子さんを連想する人も多いのでは無いでしょうか?夏目雅子さんは優男風、いかりや長介さんはダメ親父?対極的なキャラ設定ですが、共通するのは彼等が演じる三蔵法師は、悟空の様な猛者の助け無くては旅もままならない様な、何処と無く弱々しさを覚えるキャラ設定では無いでしょうか?勿論それは西遊記原作のキャラ設定でもあるのです。どうしてなのでしょう?
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当時の人々にとって、中国西域を踏破しインドまで赴き、経典を手に帰還するなんて偉業は、とても人の成せる業とは思えなかったと思います。
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砂漠に浮かぶ蜃気楼、砂嵐等は妖魔が繰り出す魔術と感じたでしょうし、西域に暮らす鼻が高く目が青い異国語を操る人々こそ、その魔術を繰り出す張本人と考えたかもしれません。そんな中を生き抜いたのだから三蔵法師もそれに対抗する妖魔を従えて旅したのであろうと面白おかしく描かれた物語こそ西遊記なのでしょう。
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また、もうひとつ大きな要素もあると思います。三国志演義と言うもうひとつの中国を代表する物語があります。その主人公である劉備玄徳、彼もまた武将としては凡庸に描かれています。しかし彼は人徳だけはずば抜けて高く、結果関羽、張飛、諸葛亮等文武の才能ある人が集まり、漢王室復興に向けて戦います。
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日本では英雄と言えば、完全無欠で孤高な存在として描かれる事が多いですが、中国の英雄譚では英雄は文武に於いては凡庸でも人徳だけは非常に高い設定で描かれる事が多いです。そしてその人徳により、数多くの魅力溢れるキャラが結集し、大きな事を成し遂げるのです。
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西遊記の玄奘三蔵も正しくその構図に沿って語られる事になったのでしょう。ですから三蔵自身の能力はスポイルされ、代わりに悪戯盛りの猿、妖怪変化の河童、欲まみれの豚さえ改心し、三蔵を助けながら天竺を目指す事となったのです。
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勿論そんな西遊記も大好きなのですが、やっぱり旅人としてのリアル玄奘三蔵に憧れるのです。
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唐の時代に16年の月日もかけてインド迄の旅を完遂しただけでも敬服する事です。
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しかもそれは誰に命じられたモノでは無く、自分の信念、自分の意思による旅でした。更に当時は出入国が禁じられていたので、玄奘は密出国者として追われる身となってしまったのです。そこまでして旅立った鋼鉄の意思を持つ旅人、憧れない訳いきません。
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そんな彼の命を賭けた旅の集大成が、この塔に納められています。
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玄奘の魂が込められてるかと思うと、尚更塔が輝いて見えます。
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屈強なる旅人(バックパッカー)の御尊顔です。
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いつか、貴方が歩んだ道程を私も旅してみたい、いや旅します。
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見とれていたら、こんなに暗くなってしまいました。
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あっという間に一日半は過ぎ去りました。最後の晩餐はやっぱりイスラーム街でです。
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私は未だに焼き餃子を探していましたが、面白い屋台を発見しました。円い皮に餃子に似た具を入れて皮でサンドし、後のコックに渡し、中華鍋で薄めに引いた油で揚げる、焼く?と出来上がりです。
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とっても美味しかったので、テイクアウトでもうひとつ頂きました。
この度を終えて、安定門よりその先の世界、即ちシルクロードが凄く気になり始めました。
次回から、蘭州より西を目指します。
最後までご覧くださり、ありがとうございます。
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