2008/06/20 - 2008/06/20
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さっくんさん
上ゲていきたいと御無沙汰してしまいました。再び過去の旅行記を挙げていきたいと思います。昔は仕事の関係で弾丸の旅を強いられていた時期がありました。そんな弾丸の旅程で向かったイランへの小さな旅です。
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イラン・エアーに乗ってイランに向かいます。
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ペルセポリスに到着しました。紀元前520年、アケメネス朝の遺跡です。
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ダレイオス1世によって建造されましたが、首都として機能した街なのか、儀礼用の街だったとか、街の機能については諸説あり、はっきりしません。
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終焉はアレキサンダー大王の遠征によるものです。
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ヨルダンのペトラ、シリアのパルミラと並び中東の3Pと呼ばれています。
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謁見の間。
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クセルクセス2世の王墓。
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アパダーナ・パレス。
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牡牛と闘う国王のレリーフ。牡牛は国に降りかかる全ての厄災を象徴しています。
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百柱の間。
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朝貢してくる諸国の使節達のレリーフ。
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権威を見せつける目的もあった事でしょう。今となってはその芸術性を見せつけられています。
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百柱の間、入り口。
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中東の遺跡3Pの他の二つの遺跡が、ローマに支配されたローマの影響下の遺跡であったのに対し、ペルセポリスは完全のペルシャ・オリジナルの遺跡です。
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これ実は柱の頭の部分なのだそうです。
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双頭鷲像。
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鷲と訳していますが、実際はイランの伝説上の鳥ホマだそうです。
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此方も本来柱の上で屋根を支える為のパーツでした。
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クセルクセス門(東側)と人面有翼獣神像。
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近づくけば如何に成功にレリーフが刻まれていたかが解ります。
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遺跡に強烈な陽射しが降り注ぎます。
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クセルクセス門(西側)の牡牛像。
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クセルクセス門を振り返りました。
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遠くにダレイオス1世宮殿。
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柱有る所に天井があった筈です。当時はどの様な姿を誇っていたのでしょうか?
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至る所に朝貢に訪れた使節達のレリーフが刻まれています。
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ダレイオス1世の宮殿。
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ダレイオス1世の宮殿を斜めから眺めました。
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回り込んでダレイオス1世の宮殿を眺めました。
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ライオンの彫像。
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朝貢してくる属州は23か国ににも及んだと言われます。
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王への貢物を手にした使者のレリーフ。
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貴方はどちらの国の使節の方ですか?
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獅子と牡牛の戦いのレリーフ。
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王族の墓地、ナグシェ・ロスタム。
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アケメネス朝の王の墓で、そのうちひとつはダレイオス1世のもの。残りはクセルクセス1世、アルタクセルクセス1世、ダレイオス2世のものと言われています。
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シーラーズの入り口、クルアーン門。
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素敵なドームを発見しました!
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ハーフェズ廟。
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ハーフェズはイランの著名の詩人です。
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天井の美しい装飾。
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サアディー廟。
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気さくなイランの青年達と仲良くなりました。
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サアディー廟の装飾。
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サアディーも13世紀のイランの著名な詩人です。
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ヴァーキル・モスク。ミナレットが非常に短いのが特徴です。
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エラム庭園。
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エラム庭園を始めとするペルシャ式庭園はイスラーム界に多大な影響を与え、例えばムガル帝国のタージ・マハルの庭園、グラナダのアルハンブラ宮殿の庭園にその大きな影響が見られます。
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園内の石板にはカリグラフィで詩が書かれています。
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ペルシャの厳しい環境の中で、人々は楽園を渇望しペルシャ式庭園を築きました。古代ペルシャの人々はその公園を「パエリタエーザ」と呼びました。この言葉が欧州に伝わり「パラダイス」と言う言葉が生まれました。
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名物の薔薇のシーズンでした。
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テヘランのサーダバード宮殿。
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サーダバード宮殿内部。
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美しい室内ですが、ちょっと欧州を意識し過ぎで好みではありませんでした。もっとイランらしさが欲しかったです。あ、流石絨毯は別格です。
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絨毯博物館の絨毯。
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絨毯博物館の絨毯。
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シャムス・オール・エマレ内部。
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此方にもムカルナスが施されています。
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シャムス・オール・エマレ。テヘランに残るカジャール王朝のゴレスタン宮殿の建物。
最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。
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