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飯高寺(飯高檀林跡)

寺・神社・教会

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匝瑳(そうさ)の里山に残る全国一の格式を持った飯高檀林(いいだかだんりん:僧侶の学問所)

  • 4.0
  • 旅行時期:2017/11(約8年前)
jijidarumaさん

by jijidarumaさん(男性)

九十九里 クチコミ:9件

≪飯高寺(はんこうじ):飯高檀林(いいだかだんりん)≫
千葉県匝瑳市飯高1789

今年はドイツの旅に代り、5月から関東近辺の小旅行をしている。
今日は以前から気になっていた千葉の名所旧跡を訪ねることにした。
(2017年11月26日~11月27日)

匝瑳(そうさ)の飯高(いいだか)という里山地域(舌状台地:ぜつじょうだいちは舌を伸ばしたような細長く突き出た台地のこと)に名刹がある。
日蓮宗の寺院というか、かつての僧侶の学問所である(現在の大学の様な)飯高檀林(いいだかだんりん)=飯高寺(はんこうじ)が、それである。

広い駐車場(無料)で飯高寺の資料を頂いて裏手の道をたどり、正門である檀林山門の石段にいたる。もう紅葉の季節には遅いようで、山門の石段傍のモミジの葉が縮れていて紅葉も今一つの様子だった。
後でガイドの方に聞くと、今年は10月の2つの台風来襲で、石段傍のモミジや、境内の鼓楼前に家康の側室「お万の方」お手植えの楓(かえで)が大きな影響を受けたそうだ。
石段を登り、総門をくぐり、森閑とした参道を行く。
左右は杉木立も高々とし、苔むす様子が何とも言えない厳粛さがある。

天正8年(1580)に日生(にっしょう)により開基され、山号は妙雲山法輪寺だが、実際は檀家が存在しない珍しい寺で、お墓もあるが歴代の化主(けしゅ:檀林長のこと)たちの廟が寺域左手にあった。

飯高檀林は関東で初めて日蓮宗の檀林(僧侶の学問所)となり、その後、天正19年(1591)に徳川家より日蓮宗の根本檀林として寺領30石を寄進され、徳川家康、養珠院(ようじゅいん、お万の方と称した家康の側室。紀州徳川家の家祖頼宣、および水戸徳川家の家祖頼房の母)、頼房、光圀、頼宣などの信仰も厚く、その庇護を受け、格式の高い檀林へ発展した。
つまり関東8檀林、関西6檀林あわせて14檀林中、最高位の檀林であったと云う。 

学僧は年2回(春・秋)それぞれ100日間学んだと云う。8段階の課程に分かれ、各課程の定められた講義を受け進級したそうです。入学してから、36年間の期間をかけて全課程を修了したと云うから、聞くだけで驚いてしまう。
元禄時代(1700年代)には450~650名の学僧がいたとパンフレットに書かれていた。

この日、寺の管理者のめったにないご親切で、講堂内の見学ができた。その東西の壁に(柔道の段位の如く)成績順に学僧の名前が架けられていたのが印象的で、面白いことに檀林には卒業という言葉は無く、その代わりに全国の寺院からの求めに応じ、上位者から随時寺院の住職に進んだそうだ。
世に知られる身延山久遠寺や池上本門寺といった、所謂「出世寺」から住職=指導者の求めがあるという、名実ともに格式があったようだ。講堂中央には天蓋があり、天蓋には三つ葉葵と菊の御紋が刺繍され、格式の背景を感じた。
飯高檀林は明治の学制発布により廃檀となり、294年間の歴史を閉じるが、その名跡を継いだ立正大学へと形を変えて発展する。
それを記念した、大きな立正大学発祥之地の碑が寺域右手に建てられている。

講堂・鐘楼・鼓楼・総門が国指定の重要文化財(昭和55年)、檀林跡としては境内全体(総面積67,667㎡)が千葉県指定の史跡になっている。歴史的建造物を保存するため、平成14年までに「平成の大修理」が行われた。

頂いた案内書によると、付近の社寺を巡るハイキングコースもあり、水戸光圀公の御手植えと伝えられる黄門桜も見事だとある。
尚、映画・TVの撮影に適した境内では最近も、映画『忍びの国』の撮影ロケが行われたそうだ。

地元の方々は皆さん親切で、駐車場管理兼観光案内所の方、ガイドさん、寺の管理者の皆様のおかげで、たいへん満足した見学ができた。

・・・・・

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
4.5
見ごたえ:
4.5

クチコミ投稿日:2017/12/07

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