たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(25ページ)全1,843件
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- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
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投稿日 2019年10月26日
総合評価:5.0
業務委託はされている駅ですが人影は見当たりません。この〝安部駅〟という名称は駅ができた際に所在した安部村からと言う説もありますが、国鉄若桜線の開通時に駅を作る際にホームの場所と駅名で集落間で揉めた経緯があると書かれていました。日下部と安井宿の集落間の争いから一文字ずつ取って名付けたともありますが、若桜線開通後1年2ヶ月後の開業であることから満更嘘でもない理由のようにも思えます。昭和7(1932)年に出来た駅舎は国の有形文化財に指定されているものであり、以前〝おとこはつらいよ〟シリーズのロケ地ともなったところでもあります。今では田舎のローカル線典型的な真っ直ぐのレールが若桜・郡家方面に伸びているだけのものにはなっています。
- 旅行時期
- 2019年10月
- 施設の快適度:
- 5.0
- きれいにはされていました。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段はありました。
-
投稿日 2019年10月28日
総合評価:5.0
国道29号線沿いにある道の駅はっとう、八東フルーツ総合センターとの別称がある位なので県内を中心として作られた果物が所狭しと並んでいます。
年中無休に加えてお土産にする品数も多いので立ち寄る価値は大いにありますが、こちら道の駅のレストランとしては珍しく20:00迄営業されています。水曜日はレストランのみ店休日となっていますが界隈には遅くまで開いているお食事処がないため重宝します。
休憩時間があり1時間程利用できない時間があるのでその時間を外すようにして再訪したいと思います。- 旅行時期
- 2019年10月
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープが切ってありました。
- トイレの快適度:
- 5.0
- 清掃は行き届いており快適に利用できました。
- お土産の品数:
- 5.0
- 果物や農産物を中心に豊富にありました。
-
投稿日 2019年10月28日
総合評価:3.0
若桜鉄道若桜線の終着駅である若桜駅。その昔は国鉄若桜線の終着駅でした。国鉄末期の廃止対象路線に選ばれたローカル線は、JR西日本の路線となった後廃止され、第三セクター若桜鉄道となり現在に至っています。
SLや気動車の運転体験等で客引きをしてはいるものの、路線としては赤字が続いているのが現状です。
運行便数を見れば決して使い勝手の良い交通機関とは言えないため、利用者数が急に増加することはあり得ませんが、その反面必要なもの・必要でないものの〝切り分け〟がされていないように思います。
目玉とする機関車に牽引されている12系客車は風雨に打たれ塗装は剥げたままとなっていました。現状をカメラに収めておこうと移動していた際にどうやら有料ゾーンに立ち入ってしまったようですが、その瞬間何もしていなかった駅員氏が大声で〝そこは有料です〟と大声で宣った姿、当たり前のことを言っただけだと本人は考えているのでしょうが、他にいた観光客の方々からも、見張りが仕事なんだね~っと言われる始末。私にも非はあるものの駅舎にいる数人の〝駅員〟が何をする訳でもなくただ〝居るだけ〟の姿は、到底営業努力をしているとは思えません。
記念に乗車券でも買っていこうと言う想いも失せ、駅外側からの列車撮影だけで退散しました。言い方は悪いですが実績の上がらない企業の従業員らしい仕事っぷりそのものの対応に残念に思うしかありませんでした。- 旅行時期
- 2019年10月
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 運賃より入場券が高い。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日だと大したことありません。
- バリアフリー:
- 3.0
- 有料ゾーンにはスロープがあります。駅にはありません。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 若桜の街中です。
- 車窓:
- 3.0
- 風景は同じようなものです。
-
投稿日 2019年10月28日
総合評価:5.0
国道29号線沿いにある道の駅はっとう。縦に長い結構大きな道の駅でした。定休日を設けている道の駅が多い中でレストランのみ水曜日を定休日としているものの他の施設は無休で営業されています。
フルーツ総合センターという呼称があるくらいで特にフルーツの品揃えが豊富であり、果実は勿論のこと苗木まで扱っていることにはびっくりしました。
時期的に欲しいと思うものがなかったので購入はしませんでしたが、お連れが購入した二十世紀梨はみずみずしくて確かに美味しいものでした。
時期を変えて訪れてみたいと思う道の駅でした。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 国道29号線沿いです。
- お買い得度:
- 5.0
- 産直のフルーツが安いかも。
- サービス:
- 5.0
- 良かったと思います。
- 品揃え:
- 5.0
- 午前中だったので豊富でした。
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープが切ってありました。
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投稿日 2019年10月28日
総合評価:5.0
駅前に出かけた際に立ち寄りました。異動してから行っていなかったので1年ぶりになります。
メニューや店内、券売機も変わってはいませんでした。
いつもの定番メニュー〝チキン南蛮定食〟を注文。790円になっていましたが味も変わらず美味しく頂きました。
界隈には色々なお店が新しくできていますが、気軽に立ち寄れるお店であることには変わりはありませんでした。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- JR石山駅前です。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- それなりにはするようになりました。
- サービス:
- 5.0
- 悪くはありません。
- 雰囲気:
- 5.0
- 空いていれば落ち着いて食べられます。
- 料理・味:
- 5.0
- クセになる味です。
- バリアフリー:
- 5.0
- 自動ドア完備です。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 考え方次第でしょう。
-
投稿日 2019年10月20日
総合評価:5.0
歴史ある鉱山のひとつである生野銀山。数ある坑道のうちひとつが観光用に整備されており、稼働時の様子を窺い知ることが出来る。観光坑道のみの見学で約1時間、その他坑外にある露天掘りの遺構等迄見るには2時間位を要する。決して急な道ではないが足場が良いとも言えないため、脚力に自信がなければ止める勇気も必要である。
資料館は人それぞれの意見があり、価値があるかどうかはわからないが時間に余裕があるのであれば立ち寄る位の気持ちで良い。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 生野ICからすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 少なくもないが多くもなかった。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場は良くない。
- 見ごたえ:
- 5.0
- わかりやすく纏まっていた。
-
投稿日 2019年10月20日
総合評価:5.0
レストランのラストオーダーは20:30だが、24時間営業のフードコートがあるため、遅めの食事でも困らない。
お料理のメニューは豊富ではあるが〝地の物〟はなかったようにきおくしているので、あくまで〝食事〟のために立ち寄ったと思っていれば残念に思うこともないであろう。
またお土産も山陰・山陽地域のものもあり、買い忘れを補うことも出来る場所となっている。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 5.0
- 加西サービスエリア内。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 高速道路のサービスエリアですから。
- サービス:
- 5.0
- 悪くはありません。
- 雰囲気:
- 5.0
- そう言うものを求めてはいけません。
- 料理・味:
- 5.0
- しっかりとした味付けでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 段差はありません。
- 観光客向け度:
- 5.0
- 考え方と捉え方次第です。
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投稿日 2019年10月20日
総合評価:5.0
朝来山中腹に位置する。JR竹田駅を挟んで竹田城を臨む姿は雑誌等でも取り上げられており、竹田城展望台を擁する場所として知られている。
駐車場に車を停め、下から第三・第二・第一展望台と山道を歩いて行くのであるが、結構斜面も急で足場も決して良くはないため、脚力の自信のなさが命取りになってしまうリスクがある。ちなみに所要時間は第三展望台迄が5分、第二迄が12分、第一迄が14分というのが私のデータである。駐車場より第一展望台迄は50分と言われているがそこまではかからなかった。
第二展望台の標高が竹田城の標高と差がないため、ここまで登ることができたならば良しとするべきなのかも知れない。軽登山ルートなので一人旅ならば気をつけなければいけないと思われる。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 竹田駅や国道312号線からすぐです。
- 景観:
- 5.0
- 天気は恵まれなかったがそれでも素晴らしい。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 天気の悪い夕方だったので。
- バリアフリー:
- 3.0
- 軽登山の心構えが必要です。
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投稿日 2019年10月17日
総合評価:5.0
天空の城竹田城を拝むため、温泉+距離と値段で選びました。Webでの手配は前日夜にはできなかったために電話で手配したが、禁煙ルームはリクエスト預かりとのことであった。
国道沿いにあり、道の駅の施設でもあるため、〝ビジネス温泉宿〟といった感じを受けるが、交通の便が良いから多方向に観光に向かう拠点として利用できるのが良い。客室は3階303号室トイレ付10畳和室でリクエスト通り禁煙ルームでの手配がされており、快適に利用できるものであった。
夕食は宿泊した部屋とは異なるものの部屋食であった。食事は少量多種類のものが提供され、味良し品良しという印象を受けた。
温泉の内湯は外部からの利用もできるとあって時間帯によっては込み合うが宿泊客専用時間帯もあり朝夜と二回堪能できた。
朝食はセットメニュー+バイキング。品数や量も加減できるため個人差を加減できるのはありがたいと思う。
道の駅敷地内にあるヤマザキデイリーストアではお土産物も取り扱っている。24時間営業ではないが、宿の土産物屋コーナーとしての役割は十分に担うことができており無駄がなかった。
温泉宿という風情には欠けるところはあるかも知れないが、この宿を選ぶ者の大多数は早朝の〝竹田城の雲海〟目当てだということを考えれば、〝地理良しお湯良し食事良し〟に加えて宿泊料金のことを考えれば、非のつけようのない宿だと言っても過言ではないように思う。残念ながら翌朝は天候不良で雲海を堪能することはできなかったが、機会を見てこちらに宿泊してリベンジを図りたいと改めて思う。- 旅行時期
- 2019年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- 1人1泊予算
- 10,000円未満
- アクセス:
- 5.0
- 国道9号線沿いです。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 1泊2食付きで10,000円切っています。
- 客室:
- 5.0
- 清掃も行き届いており、快適に過ごせました。
- 接客対応:
- 5.0
- 丁寧な感じを受けました。
- 風呂:
- 5.0
- 宿泊客専用の時間がありました。
- 食事・ドリンク:
- 5.0
- 品良く品数も豊富です。
- バリアフリー:
- 5.0
- エレベーターと自動ドア完備に加え、低層階のリクエストも受けるとのことでした。
-
投稿日 2019年10月16日
総合評価:3.0
入場券は300円。しかしホームに入るだけならばかからない。しかし転車台とSLを見る場所に立ち入るには必要である。
通路の入口に記載はあるが、改札口にその記載はない。気付く者は気付くのであろうが、手前に停車している旧車両に夢中になっていたため気づかなかった。それを見つけた駅員は大声で有料ですと宣った。注意を受けることは仕方がないにしても他の観光客から「それが仕事?」とばかりの陰口を叩かれているのをご存知であろうか?
三セクになって国鉄時代を彷彿させる駅員には久しぶりに出会った。それまで椅子に座っていることが仕事のようにしていた人物。若桜鉄道はムダを省いた経営をして利益を得ることを真摯に取り組んでいるのか疑問に思う。- 旅行時期
- 2019年10月
- 施設の快適度:
- 3.0
- 職員の感じ悪さ・・・。
- バリアフリー:
- 3.0
- 段差はあります。
-
投稿日 2019年10月18日
総合評価:3.0
鳥取自動車道を南下中に休憩するために立ち寄りました。時間は19:30、既にお店は閉店している時間だったために一服・トイレ休憩のみの予定でしたが…、敷地内は真っ暗に近いものでした。自動販売機の照明が〝常夜灯〟の役目を果たしているかの如く余計な照明は点いておらず、トイレの照明も人を感知するものだったが故に〝大丈夫か~〟と連れにも言われる始末。
決して道の駅としての施設をどうこう言うわけではありませんが、24時間休憩が取れる場所としての役割を担う場所としてはどうなんだろうという感じを受けました。高規格国道としての鳥取自動車道にはサービスエリアは存在せず、インターチェンジを下りたところにある道の駅がその役割を担っているのは事実であり、その施設としての役割を果たしているのかと疑問に思ってしまいました。
勿論運営会社も営利企業である以上、利益にならないものを省くのは致し方ないかとは思います。しかし休憩しようと立ち寄った場所で不安に思うことがあると、それが旅で訪れた場所全ての思い出をぶち壊してしまうことにも繋がり兼ねません。
施設管理会社だけのことではなく、所在する自治体の今後の運営方針の転換を願わずにはいられないと思った残念な場所でした。- 旅行時期
- 2019年10月
- バリアフリー:
- 5.0
- スロープはありました。
- トイレの快適度:
- 2.0
- 感知式の照明でした。
- お土産の品数:
- 5.0
- 取扱数はたくさんあるようです。
-
投稿日 2019年10月09日
総合評価:5.0
明治初期に陸軍が反乱鎮圧と対外防衛のために6つの〝鎮台〟を配置しており、明治6(1873)年に名古屋鎮台が置かれています。名古屋鎮台開設時に病院も開設はされてはいるもののあくまで仮設建物での業務にとどまり、後に明治9(1876)年に起工、明治11(1878)年に一般病棟が竣工し医療業務が開始されています。
当初は名古屋鎮台附属病院としていたが、明治21(1888)年に名古屋衛戍(えいじゅ)病院と改称されている。その後長期に渡って陸軍病院として利用されていたが第二次世界大戦後に一時的なアメリカ軍による接収を経て昭和21(1946)年から昭和30(1955)年まで国立名古屋病院として使われた後、新病棟の開設とともに役目を終え昭和37(1962)年に残されていた建物が明治村にやってきました。
木造漆喰壁下見張屋根瓦葺きの建物の設計は陸軍工兵隊によるものですが、開設以前に陸軍軍医部によって定められていた〝鎮台病院一般の解〟を参考にして設計されているほか、設計や施工の際にも軍医部やフランス軍事顧問団からの助言なども反映されたものになっています。
明治村では外科病棟が移築復元されて現在に至っています。陸軍病院であったものというよりもは文明開化の影響を受けた建物のように見え、やはり外国の芸術文化が取り入れられていることが分かります。
全く陸軍病院と同じように復元された訳ではありませんが、空襲を掻い潜って現在に至っている建物にそのロマンめいたものを感じました。- 旅行時期
- 2019年07月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 村内バス停からすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 階段と段差があります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 元陸軍病院という印象はありません。
-
投稿日 2019年10月09日
総合評価:5.0
戦後の急成長期に失われていく明治期の建物の生末を危惧し、価値がありながら取り壊される運命の歴史的建造物を修復し、移築して公開する〝テーマパーク〟としてできたものがこの博物館明治村になります。昭和40(1965)年3月18日のオープンには名鉄グループが用地取得を含めたバックアップを行っており、公益財団法人明治村としての管理運営はされているが、運営は名鉄グループのアミューズメント系を取り扱う株式会社名鉄インプレスが行っている。
施設の多さは有名であり、100万㎡の敷地内には所狭しと歴史的建造物が建立されている。勿論これだけの建造物に対し移築修復を行ってきたことから膨大な〝費用〟が掛かることは素人目にもわかる気がする。しかしそれが駐車場や入場料に反映されており、かなり割高感を感じずにはいられない。しかも広大な敷地をくまなく回るには相当な〝時間〟が必要である。
今回は村内にある〝博物館明治村簡易郵便局〟の利用のために訪れた。私は2時間程散策したが、連れは1時間足らずで退村している。名鉄乗車券をセットにした〝周遊きっぷ〟は結構利用するものも多いと聞くが、話のネタに〝ちょっと寄ってみた〟者達に半日入場券等は考えられないものであろうか。
存在は知っていても行ったことがないと言われてしまえば、開村の目的とは異なっているように思う。他のテーマパークでも同じであるが、良いものがあるから人が来るのではなく、人を呼び込む〝魅力〟が人を惹き付けるのである。開村から半世紀を過ぎているにも拘らずエリア人気が高いのは認めるが、バリアフリーを含めた点ではかなり遅れを取っていると感じる。
全てを新しくするのではなく、従来の方針は変えずにソフト面で補っていく努力を今後の運営方針に是非とも加えて頂きたいと思う。- 旅行時期
- 2019年07月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 犬山駅からバスで30分程。
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 短時間の滞在では割高感を感じる。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 時期と時間に大きく左右される。
- 施設の快適度:
- 5.0
- 歩くことは不可避である。
- バリアフリー:
- 3.0
- これは一番考えて欲しいことであった。
- アトラクションの充実度:
- 5.0
- 見学個所には困らない。
-
地方の技術者が明治初期に建築した擬洋風建物の秀作と言われる建物です。
投稿日 2019年10月09日
総合評価:5.0
昭和39(1964)年まで実際に三重県庁舎として利用されていました。明治12(1879)年に完成した建物は、玄関を中心とした左右対称構造とベランダを2層巡らした構造は当時の内務省庁舎に倣ったものとなっており、建材は海路で東京から四日市港に運ばれた後に津へと送られました。
玄関の礎石・角柱・櫛形アーチには地元産の井関石が採用されており、廊下は当初吹放しだったが後に窓ガラスが入れられています。
総建坪は約500坪あり、うち241.5坪の本館は西洋風木造2階建瓦葺となっている。本館建物は築地のホテル館に似た〝ハイカラな建物〟ということが口コミで広がったこともあり、落成当時は地方より弁当持参で見物に来る客が多かったと言われています。
現庁舎が供用開始となった後に解体され、明治村移築復元された後、昭和43(1968)年に国の重要文化財に指定され、現在に至っています。
ハイカラな建物であることは一目瞭然であるものの、蛍の光が鳴っている中ではゆっくりと見学もできませんでしたが、地方の技術者がプライドをかけて中央の建物を真似て越えた秀作であることは、建物自体が放つオーラからも伝わってきたように感じました。- 旅行時期
- 2019年07月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 5.0
- 博物館明治村正門を入ってすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時期と時間によりけりです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 旧庁舎ですから。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 秀作感は建物のオーラでわかります。
-
投稿日 2016年07月11日
総合評価:5.0
魂魄之塔斜め向かいに小さなハウスが立っています。その沖縄菩提樹苑にはブッダが悟りを開いたとされる〝聖なる菩提樹〟の〝分け木〟が植えられていますが、この〝聖なる菩提樹の分け木〟は紀元前3世紀にアショカ王の皇女であったサンガミッタによってブッダガヤからセイロン(スリランカ)に持ち出された以降なかったそうですが、沖縄戦戦没者の御霊を慰めるためという目的と、史上稀にみる地上戦が行われ、多くの犠牲者を出した沖縄戦の特徴と趣旨を理解したインドの高僧〝カワハッテェ・シリ・スメダ尊師〟およびインド大菩提協会サラナトセンターの許可を受け、平成17(2005)年に3本の分け木が沖縄へとやってきました。
その後ブッダの誕生に纏わる〝無憂樹〟と涅槃に纏わる〝沙羅双樹〟をブッダ涅槃の地クシナガラで取得し、更に平成19(2007)年5月には同じ沖縄の海洋博記念公園管理財団から別に無憂樹の分け木の寄贈を受けました。
沙羅双樹の木は本土の露地栽培では育たないとされていたこともあり、ある程度成長してから植樹されました。またダライ・ラマ14世が来沖縄されたときにも立ち寄られたことから〝ダライ・ラマ14世来沖縄記念館〟とも呼ばれるそうですが、開館している時が非常に稀のようです。ゆえにあいにく慰霊の日翌日の夕方の来訪では館内に入ることはできませんでしたが、6月23日の慰霊の日には、平和行進を含めた〝休憩所〟として開放されているとのことを知り、来年の慰霊の日の目的地がひとつ決定しました(笑)。
宗教施設とされているものもあり、毛嫌いされる方もいらっしゃるかとは思いますが、その宗教概念を超えた建立目的がある場所です。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 魂魄之塔斜め向かい。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 平日の夕方には誰もおられませんでした。
- バリアフリー:
- 5.0
- 入口までには段差はありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 扉越しでもなかなかです。
-
歴史を知らなければ景色に溶け込んだ〝モニュメント〟として見えるかも知れません…。
投稿日 2016年07月16日
総合評価:5.0
沖縄島南部にある喜屋武岬。そこに建立されている青い波をイメージするような石碑が〝平和の塔〟であり、戦後付近集落の住人の手によって集められた10,000柱を超える遺骨が納められた慰霊塔です。
昭和20(1945)年6月、沖縄戦を戦った日本軍の主力部隊であった第62師団隷下の部隊将兵は、付近の住民と共にこの喜屋武岬(きゃんみさき)に追い込まれ、海と陸からの攻撃を受けて正しく先にも進めず後ろへも戻れない状況で、追い詰められた多くの尊い命が失われた場所でした。
昭和27(1952)年に名城ビーチに建立された平和の塔でしたが、その後昭和44(1969)年に現地点に移設されました。建立当初色は塗られていなかったそうですが、いつの間にか青く塗られて現在に至っています。
夏空と一体化する平和の塔は、一見するだけではモニュメントと見誤ることもあるとの話を聞きましたが、70余年前には多くの人々が斃れていった戦場であったということは忘れてはならない史実であることを改めて感じました。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 空港から30分程度で到着します。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 一組のご夫婦がおられました。
- バリアフリー:
- 5.0
- 敷地内は舗装されています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 平和の言葉に隠されたその建立の謂れは頭から離れません。
-
投稿日 2016年03月09日
総合評価:5.0
14世紀初頭の三山時代、玉城按司(たまぐすくあじ)が三男を糸数按司とし分家させます。その居城として作られたとされる城(グスク)だそうですが、猛将だった家来に留守を狙われ滅ぼされてしまったそうです。
国の指定史跡にはなってはいるものの、世界遺産に登録されている5つのグスク程知名度はなく、訪れる人も多くはありません。しかし〝登り石垣〟などの遺構は、5つのグスクにひけを取らない立派なものがあります。しかし5つのグスクはその場所がなにの跡だと説明されているのに対しそういう表示はされていません。なにも考えずに行ってみて下さいの言葉を信じましたが、やはり下調べをしてから訪れた方がより楽しめるように思えました。
石垣等足場が悪いところが多いため、スニーカーは必携です。- 旅行時期
- 2016年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 糸数アブチラガマから車ですぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 日曜日の夕方では誰もいませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足場はかなり不安定です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 立派な石積みは座間味城に引けを取りません。
-
豊見城道路(那覇空港道)南風原北インター付近にある大きなショッピングセンターです。
投稿日 2016年05月22日
総合評価:5.0
イオン南風原店を中核とした大規模なショッピングセンターです。元はジャスコ南風原店からスタートしているため大したことないように思っていましたが、やはり店舗の多さと品揃えの豊富さは筋金入りだと思います。
ゆいレールの首里駅からシャトルバスも出ており、車がなくとも来ることができます。空港のお土産屋程の品揃えはないものの種類は結構豊富にあるようで、スーパーで購入できる〝地元版PVブランド〟商品と組み合わせることによって結構目新しい組み合わせのものを選んで購入することができるため、訪れて損はないお店だと思います。- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇からも糸満からも近くて便利です。
- お買い得度:
- 5.0
- 地元のPV商品なんかはお得感があります。
- サービス:
- 5.0
- イオングループなのでしっかりしています。
- 品揃え:
- 5.0
- 豊富です。
- バリアフリー:
- 5.0
- ハートフル認可の建物でした。
-
投稿日 2016年07月18日
総合評価:5.0
八重瀬町具志頭、旧具志頭村で慰霊碑が多く建立されたことから〝具志頭霊域〟と呼ばれることもある場所ですが、歴史は14世紀の中期頃に英組王統第二代大成王第三子具志頭按司が築城したものと伝えられており、その後代々の具志頭按司の居城であった場所とされています。その後南山王によって滅ぼされ歴史を閉じることとなりますが、その規模はおよそ25,700平方メートルあって沖縄の古城跡の中でも大きい古城のひとつであるとされており、自然の断崖上に構えられた山城形式にして連郭式の城であったとされています。
周辺には出城として北側にはミドリ城が、南側には高ヤックヮと呼ばれる見張ヤグラの石垣遺構が残されており、周辺の城主からの攻撃に対する見張りのために構築されたとされています。
代々の具志頭按司は盛んに海外貿易を行い、その貿易港は城下を流れている白水川の下流に広がる内海であったと伝えられています。
繁栄を極めた具志頭城ではありましたが南山王に攻め滅ぼされ、その後沖縄戦に於いてクラシンジョウをはじめとした軍の陣地が構築されたことによって、米軍の執拗な攻撃の対象となり城跡の多くは破壊されました。そして戦後も慰霊碑の建立によって土地の整地がなされたことも加わって、現在では僅かばかりの石垣が残されているに過ぎません。
城跡というよりは霊域としての役割を担っている具志頭城跡ではありますが、その敷地内に建立された慰霊碑から眺める景色は最高のものです。慰霊碑への参拝を兼ねて訪れ、景色を眺めながらゆっくりするにはうってつけの場所のように思います。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園から車で15分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 城跡にはだれもおられませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 地道です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 城跡に作られた展望台から眺める海は最高です。
-
先の沖縄戦でお亡くなりになった方のお名前が国籍を問わず刻んであります。
投稿日 2014年08月31日
総合評価:5.0
母方の祖父が1945年6月10日の沖縄戦で亡くなっており、〝平和の礎(いしじ)〟に名前が刻まれているため、〝お墓参り〟目的でやって来ました。入口のパソコンで、出身地と名字を入れると刻銘位置が検索出来ます。〝平和の礎〟ができたのは1995年(平成7年)6月に終戦50周年で建てられたそうです。戦死された人の数=刻銘された数なので、昨今争いが絶えない時代ではありますが、現在平和に〝旅ができる〟のもこれら犠牲になられた方があってこそと改めて思います。皆様安らかにお眠り下さい…。
- 旅行時期
- 2014年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 端まで行くと結構距離もありますが平坦なんで悪くはないです。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- お参りにこられている方は結構いらっしゃいました。
- バリアフリー:
- 5.0
- アップダウンがあるわけではありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 命の尊さと平和であることの幸せを改めて感じました。












































































