14世紀に具志頭按司によって築城されたとされています。
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- 旅行時期:2016/06(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
知念・玉城・八重瀬 クチコミ:60件
八重瀬町具志頭、旧具志頭村で慰霊碑が多く建立されたことから〝具志頭霊域〟と呼ばれることもある場所ですが、歴史は14世紀の中期頃に英組王統第二代大成王第三子具志頭按司が築城したものと伝えられており、その後代々の具志頭按司の居城であった場所とされています。その後南山王によって滅ぼされ歴史を閉じることとなりますが、その規模はおよそ25,700平方メートルあって沖縄の古城跡の中でも大きい古城のひとつであるとされており、自然の断崖上に構えられた山城形式にして連郭式の城であったとされています。
周辺には出城として北側にはミドリ城が、南側には高ヤックヮと呼ばれる見張ヤグラの石垣遺構が残されており、周辺の城主からの攻撃に対する見張りのために構築されたとされています。
代々の具志頭按司は盛んに海外貿易を行い、その貿易港は城下を流れている白水川の下流に広がる内海であったと伝えられています。
繁栄を極めた具志頭城ではありましたが南山王に攻め滅ぼされ、その後沖縄戦に於いてクラシンジョウをはじめとした軍の陣地が構築されたことによって、米軍の執拗な攻撃の対象となり城跡の多くは破壊されました。そして戦後も慰霊碑の建立によって土地の整地がなされたことも加わって、現在では僅かばかりの石垣が残されているに過ぎません。
城跡というよりは霊域としての役割を担っている具志頭城跡ではありますが、その敷地内に建立された慰霊碑から眺める景色は最高のものです。慰霊碑への参拝を兼ねて訪れ、景色を眺めながらゆっくりするにはうってつけの場所のように思います。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 平和祈念公園から車で15分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 城跡にはだれもおられませんでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 地道です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 城跡に作られた展望台から眺める海は最高です。
クチコミ投稿日:2016/07/18
いいね!:8票
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