腹巻君さんのクチコミ(95ページ)全2,092件
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投稿日 2013年06月21日
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投稿日 2013年06月21日
総合評価:4.0
星は五つ星(トルコでの評価)
イスタンブールの旧市街外れにあるホテル
ホテルから歩いて5分程で店はあるがアルコールは置いていない。
約1km(歩いて20分)にスーパーはあり
夜の治安は、出歩いてないので不明だが、
浮浪者も多くあまり治安が良くないとガイドは言う。
他のクチコミほど悪いホテルではないと思うが・・・
部屋は結構広い
ドライヤー有り
ティッシュ無し
Wi-Fiは無料
アメニティ有り
ポット有り
スリッパ有り
フロントで日本円両替可能- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 友人
- サービス:
- 4.0
- バスルーム:
- 4.0
- ロケーション:
- 4.0
- 客室:
- 4.0
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投稿日 2013年06月21日
総合評価:3.0
スパイスのバザールと言うだけあって、
中に入るなりスパイスの匂いが鼻につきます。
バザールの大きさ自体はたいした大きさじゃなく通り二つL字型にあるだけ。
バザールの外の通りには、チーズとナッツの店ばかり並んでいる。
バザール前の広場からの景色はなかなか良いです。
イスタンブールで一番、トルコで二番の
大きなスレイマンモスクが近くの丘の上に見える。
歩いてすぐの所に、アガサクリスティの
オリエント急行殺人事件で有名なシルケジ駅があります。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
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投稿日 2013年06月21日
総合評価:3.0
もともとシルクロードの隊商宿だった所で、
15世紀頃から周りに道と商店をどんどん増やし、現在は140通りにもなっている。
東西南北各5箇所の門があり、全部で20箇所の門がある
一番の門から入ったメインストリートは貴金属店ばっかりです。
一本二本と通りを入って行くと
色々な雑貨やトルコランプなどの店も多くなる。
4000以上のお土産中心の商店が立ち並び約2万人が働いている。
とにかく人通りの凄い所で、スリが多いのもわかる。
全部周るのにどれ位の時間がかかるかわからないが、
メインストリートを往復しただけで1時間でした。
雑貨は殆んどカッパドキアの雑貨と同じ様な物だが、
殆んどが中国、インド、パキスタン製の物が多い。
通貨はドル、円、ユーロと何でも使えるが、
カードでの支払いは危険なので辞めた方がいい。
日本語で声かけられ、「嫁が日本人だから家にどうぞ」とか、
「店の二階からバザールを見渡せるからどうぞ」とか
言って寄ってくるのも未だにあるので注意。
まぁ買い物は程々にして、雰囲気を味わうのがいいかもです。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
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投稿日 2013年06月21日
総合評価:3.0
アジア圏側とヨーロッパ圏側にボスポラス海峡を隔てあり、
アジア側に1100万人ヨーロッパ側に500万人が住んでいる。
アジア側の約200万人はヨーロッパ側に通勤しており、
ボスポラス海峡に架かる大橋(長さ1070m高さ70mで37年前に出来た)は
大渋滞をおこしている。
橋を渡ってヨーロッパ側にくると「ウェルカム ヨーロッパ」と看板も・・
ボスポラス大橋の下の海中を電車を通すため、日本の大成建設がトンネルを作っていて、まもなく完成らしい。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2013年06月21日
総合評価:3.5
オリエント・エキスプレスの終着駅シルケジ駅ホームと直結してるレストランで、
アガサクリスティもここで食事をしたことがある。
1890年当初のアンティークな建物をそのまま使っていて雰囲気抜群。
ホームには市内を走る電車が入ってくるが、
再現オリエント急行は年に1、2度だけです。
駅ホームには誰でも入れるしアガサクリスティファンにはいいかも、
ただアガサクリスティの写真が飾ってある店内には食事をしなければ入れるないかも
(私はツアーで食事をしたので)
エジプシャンバザールへは歩いてもすぐです。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 利用形態
- ディナー
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 3.0
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投稿日 2013年06月19日
総合評価:3.0
トルコ人ガイドの説明によると・・・
1923年からアンカラがトルコの首都
それまでイスタンブールが首都だったが、
第一次世界大戦後にイスタンブールはイギリスに占領されアンカラが首都となる。
当時は3000人の街だったが現在は450万人の人口の政治、公務員の街である。
盆地地帯であり中心部外れではアンゴラ兎やアンゴラ山羊が飼われ
一年で1kgの兎の毛は輸出され、太い山羊の毛は絨毯織りに使われていて、
どちらも有名である。
アンカラの名前の由来は「碇」(アンカー)から来ており、
昔はアンカラの近くに大きな内海「トゥス湖(塩湖)」があり
地中海から海峡を北上して攻め入ってきた敵を
アンカラから西側を治めていた「フルギヤ人」が撃退する度に敵の船の碇を奪いとり、
それを現在のアンカラの山に埋めてアンキーラ(碇山)と呼んだのが始まりで、
それが後に訛ってアンカラとなった。- 旅行時期
- 2013年05月
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投稿日 2013年06月19日
総合評価:3.0
オスマントルコ帝国時代にはサフランの群生地であり、街の名前もそこからついた。
今はお菓子やチャイなどなど色々なサフランにちなんだ物がある。
黒海から少し内陸に入った山間にある街で昔の土壁で造った家が今でも綺麗に残っていて、この1000を超える家の街並みは1994年に世界遺産に登録された。
また、シルクロードの隊商街としても栄えた街で当時の隊商宿も残ってる。
日本で言えば岐阜県の白川郷みたいな所と言う人もいるが俺はそう思わない。
「フドゥルルックの丘」から街並みが一望できて、サフランチャイも飲める。3トルコリラ
現在もサフランの栽培はされており8、9月に植えられ11、12月に一週間の短期間で全部収穫する。
「チャルシュ広場」の売店ではサフランを購入することもできて1g(マッチ箱程度)でサフランの雌しべ100個位入っていて、20トルコリラ(約1200円)、家庭のご飯炊く時に雌しべを2個程で充分。
サフランロクムもお勧めです。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- 景観:
- 3.0
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投稿日 2013年06月19日
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投稿日 2013年06月19日
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投稿日 2013年06月18日
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投稿日 2013年06月18日
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投稿日 2013年06月18日
総合評価:3.5
4000年前にヨーロッパから来て
現在のアンカラより西トルコを支配したヒッタイト帝国の首都。
ヒッタイト人は「くさび形文字」を発明し
粘土にくさび形文字を刻み焼いた石板を作った。
また「鉄」し鉄を使った車輪馬車の軍隊は当時最強だった。
紀元前12世紀に現在のシリアでエジプトとの大きな戦いに勝利した後に結んだ条約は世界で初めての和平条約と言われる。
紀元前7世紀にギリシャ軍によって滅亡した。
神殿跡ここで1000以上の
くさび形文字の石板が発掘された。
城壁跡
城門跡
建物跡
どれを見ても、土台の石しか残ってなくて
たいしたことは無いかな
ただ標高が高い所なので景色は綺麗です。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- 展示内容:
- 3.5
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投稿日 2013年06月18日
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投稿日 2013年06月18日
総合評価:3.5
星は五つ星(トルコでの評価)
アンカラの中心街にあるホテルです。
ホテルの前にキオスクみたいな小さな売店があって
アルコールやジュースなどは買える。
ホテル正面玄関を出て右へ行くと少し広い坂道があり、
それを5分程下った所がメインストリートになっている。
ドライヤー有り
ティッシュ有り
Wi-Fiは無料(パスポート登録必要で部屋は入らない)
アメニティ有り
ポット無し
スリッパ有り
フロントで日本円両替可能(朝はしてくれない時あり)- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- バスルーム:
- 3.5
- ロケーション:
- 3.5
- 客室:
- 3.5
-
投稿日 2013年06月17日
総合評価:5.0
「カッパドキア」
カッパドキアの名前の由来は元々はペルシャ語で、
1500もの野生馬がいた事から純血の馬って意味からきている。
3300mの火山と3900mの火山がありその間の距離150kmの中心に
カッパドキアはあり2500平方kmの大きさ
火山噴火による火山灰が雪解け水などで流され谷間に年月をかけて体積し固まり
キノコ岩みたいな物が出来上がり、それをくりぬいて住居にした。
七回の大きな噴火があり七種類の色をした火山灰の層が見られる
色は緑、黄、茶、肌色、赤、ピンク、ベージュ
紀元前四世紀にペルシャ人が支配
ローマ帝国時代キリスト教徒がこの洞窟に住み始めたのが始まりで
岩の中に洞窟教会も造った
その後17万人にもふくれあがったが
オスマントルコ帝国崩壊後ヨーロッパに移住して
現在はキリスト教徒はいない。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 2日以上
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2013年06月17日
総合評価:4.0
紀元四世紀からキリスト教徒が隠れ住んだ洞窟都市で
十三世紀頃まで人数が増えるにつれて部屋をどんどん増やし、
500室4000人が住む地下都市となった。
地下八階までの地下都市は、
一階が動物の飼育であり
二階は共同墓地や祭壇、ミイラ作製室などがあった
三階四階は倉庫に使われ
五階~八階は住居だったらしい
見学は一方通行で三階部分までの公開
それより下はまだ発掘途中らしい。
入館料は15トルコリラ
ちょっと埃っぽいのでマスクがあったほうがいい
地下都市の周りには雑貨屋が沢山並び、
カッパドキアで雑貨を買うなら、ここで値切って買うのが、
どこの露店よりお得で安かったです。
また近隣の民家の下まで、この地下都市は続いており、
民家の人の倉庫になってる場所もあるってガイドが言ってた。- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2013年06月17日
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投稿日 2013年06月17日
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投稿日 2013年06月17日










































