琉球王国時代の幹線道路
- 3.5
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by はまちゃんさん(男性)
那覇 クチコミ:468件
首里の人気観光スポットである“金城石畳道”の南の入り口、“金城橋”の橋の北側には、“重修金城橋碑文の石碑”が建立されています。そして、そのすぐそばに「金城橋と識名平」の石標が立っています。石標には、次の通り表示されています。
【石標の表記内容】
『金城橋(カナグスクバシ)は、琉球王国時代、首里・識名台地の間を流れる金城川に架けられた橋。橋の創建年は不明であるが、1677年に木橋から石橋に建て替えられた(「金城橋碑文(カナグスクバシひぶん)」建立)。1809年の洪水により損壊したが、翌年、橋は元の位置から少し下流で再建され、橋の南側に「重修金城橋碑文(じゅうしゅうカナグスクバシひぶん)」の碑が建立された。1945年(昭和20)の沖縄戦により、橋も碑も破壊された。現在残っている碑の残欠は、1985年(昭和60)、金城橋改修の際に、橋の北側に移設されたものである。
識名平(シチナンダ)は、金城橋から識名に至る坂のこと。呼称は方言の「シチナノヒラ」が転訛(てんか)して「シチナンダ」となり、さらに坂の意味を加えて「シチナンダビラ」ともいう。かつては、松並木の続く石畳の坂道であり、王家の別邸「識名園(しきなえん)」に通じ、また、首里から島尻(しまじり)方面に至る幹線道路の一部でもあった。』
王府時代は南に抜ける主要な街道(真珠道)であった識名坂を金城橋から見ると、道は、狭くてかなりの急坂です。周辺は住宅地となっていて昔の街道の趣はありませんが、石碑の説明板を見て、琉球王国時代に思いをはせることができました。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2016/05/30
いいね!:2票
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