島田叡知事と荒井退造警察部長ほか戦没した458人の県庁職員を合祀
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- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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by はまちゃんさん(男性)
糸満・ひめゆり クチコミ:188件
「島守の塔」は、平和祈念公園内の霊域ゾーンにあります。沖縄県最後の官選知事であった島田叡知事と荒井退造警察部長ほか戦没した458人の県庁職員を合祀した塔です。
島田知事は昭和20年1月、米軍上陸の予想が確定している沖縄県へ知事として、大阪府内政部長より赴任、その島田知事と二人三脚で戦時下の県民の救済に当たったのが荒井退造警察部長です。2人が推し進めた疎開政策で沖縄戦を生き延びた沖縄県民は20万人に達すると言われており、2人の行動は沖縄戦の史実の中で、たいへん評価されるべきできごとです。その後、戦局が日々不利となり軍司令部の南部への撤退と共に島田叡知事と荒井退造警察部長がこの地に移動したが、昭和20年6月消息を断ちました。そのため、この地が二人の終焉の地とされており、島守の塔はその壕の前に建立されています。
米軍の沖縄上陸が近いことを知って県外へ逃げた泉知事や職員に代わって、県民の救済に尽力したお二人は当時、島田知事は43歳、荒井部長は44歳という若さでした。お二人をはじめ、最後まで逃げずに職務を全うされた職員の方々の胸の内を思うと、私にはとてもできないことで胸が詰まりました。今日の平和と繁栄は、戦争によってかけがえのない命を落とされた人たちの尊い犠牲の上に築かれていることを忘れてはいけないと考えながら、御霊安らかにとお祈り申し上げました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2016/05/29
いいね!:4票
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