宜湾朝保生家跡
名所・史跡
3.27
クチコミ・評判
1~5件(全5件中)
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琉球王国の宰相職、三司官で和歌人としても著名だった人物
- 3.0
- 旅行時期:2024/07(約1年前)
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琉球の近代化に貢献した政治家・歌人
- 3.5
- 旅行時期:2022/07(約3年前)
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琉球王国末期の政治家の生家跡
- 3.0
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
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琉球王国末期の政治家で歌人の生家跡
- 3.0
- 旅行時期:2016/04(約10年前)
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モノレール儀保駅より南へ歩いて3分ほどのところにあります。現地にある説明板には、『宜湾朝保は、琉球王国末期の著名な政治家で... 続きを読む歌人。1862年三司官となり尚泰王を補佐。1868年に明治政府が成立すると、1871年に維新慶賀使の副使として上京、尚泰王を琉球藩王にするとの命を受け、喜んで帰国するも、親清国派から「売国奴」と非難されて、1875年に琉球処分が具体化しはじめると、維新慶賀使の責任として世の非難を浴び三司官を辞任。翌年失意の内に54歳の生涯を閉じた。』と記載されています。詳細は説明版の写真を添付しますので参照ください。なお、生家跡は、マンションになっていて往時の面影はまったくありません。
閉じる投稿日:2016/05/24
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19世紀の激動の琉球を見つめてきた司官の生家跡です
- 4.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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現在はアパートの片隅にある小さなスポットですが、宜湾朝保はいわゆる”琉球処分”の直前に司官を務めていた人物で、1823年に... 続きを読む首里に生まれていますので、所謂琉球王国の歴史関連のスポットが多い首里エリアの中では、少し異色のスポットと言えるかと思います。1868年の明治政府成立以後、1871年には維新慶賀使の副使となって上京した後、尚泰を琉球藩主にするとの命を受けて帰国したそうですが、この時期の琉球はある意味、”日本化”の歴史が一段と進んでいったという時代で、それに尽力したこの人物は、その後の日本国沖縄県としての現在の礎を築いた、という意味で、更にその後の米軍統治時代も含めて考えても、重要な役割を果たした人物なのだなあと、改めて感慨に耽ってしまいました。色々な歴史スポットが目白押しの首里エリアですが、特に近代史を見つめる上で、ここは必訪スポットの一つだと個人的には思います。 閉じる
投稿日:2015/10/14
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基本情報(地図・住所)
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