Halonさんへのコメント一覧全533件
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アシュラム内部
Halonさん、こんにちは。
被害が最小限で、何よりでした。
待ってました、アシュラム内部!
水なのに、牛乳に似た口あたりとは…(;'∀')
「方向の変わるサイババの顔を見て下さい!」がツボりました。
すごい熱意。
それにしても、お宅訪問、すごいですね。
招き入れられるなんて、Halonさんのお人柄でしょう。
お祭も、貴重☆
ハヌマーンの中の人も、なんだか神様っぽいです。
ラムロールRE: アシュラム内部
ラムちゃん、コメントありがとうございます。
アシュラムにたどり着いたことでスマホ盗難後の態勢が整いました。
その点は運が良かったです。
水なのに牛乳、これは他人に伝わるか分かりませんが、飲んだあとに口に残る感触を大げさに言うと冷えた牛乳を思い起こさせるのです。牛乳の甘みがするわけではないんですけどね。
おばちゃんの熱心さが伝わりましたか。こちらが移動してもサイババの目がこちらを見続けてくるのです。おばちゃんは「サイババの奇跡です!」と言いたかったのかもしれません、、
お宅訪問、どこででも起きるわけではなくてプッタパルティで続けてもてなされました。
サイババさんのお膝元なのが関係しているのかもしれません。
アシュラム滞在の後編もじきにアップ致します。2024年03月05日19時12分 返信する -
西ベンガルから東ベンガルへ
Halonさん、今晩は~☆
私も旅レジから送られてくる選挙関連のメールで怖々行ったバングラでしたが、
ダッカからのフライトの日はホルタルの一日前でした?
私はバングラの東部だったので西部も気になります。
カルカッタからの国境越え、越えてみたいな~っと思っていたら、
Halonさんが越えられていて参考になりました。
見た感じ意外とあっさりっぽいですね。Halonさんだから?
アライバルビザも国境で取れるんですね。
西ベンガルから東ベンガルへ。お国は違いますが、バングラ人親切でしたよね。
続きも楽しみにしています!
kayoRe: 西ベンガルから東ベンガルへ
kayoさん、コメントありがとうございます!
それとバングラ旅行記を楽しませてもらっています。初めてな点も時期が近いこともあり、そうそうと共感することも多くてすっかりバングラ頭になったので、僕も他を飛ばしてバングラ旅行記を書き始めた、という訳です。
カルカッタからの国境越えはトラブりたくないので一番メジャーな国境にしました。国境によっては深夜料金取られたとか、そもそも外国人は越えられないところとか聞いたので。
アライバルビザも国境で取れました。少し待ち時間はありましたが、列に並ばなくてよかったので楽でした。
日本や欧米の旅行者は他にいなかったし、たまに来る外国人を発見してVIP対応してくれそうですよ。
インドのバングラ国境寄りの町ではドイを売っていたりお菓子屋さんがやたら多かったりしましたが、バングラに入った後であの地域はバングラっぽかったんだなと思いました。
こちらも続きを楽しみにしています!
2024年02月17日10時44分 返信する -
スマホ大変!
Holonさん
ムンバイで外で寝るなんてすごいです。
しかし、滞在から少し経つとちょっとしたスキができちゃいますよね。
私も昔インドの寝台で手持ち現金半分入った袋をうっかりぶらぶらさせて寝落ちたことありました。
さすがに無防備すぎて中は無事でしたが…
カナダでスマホを無くしたりシンガポールで落としたり…私の不注意なんですが。
ムンバイの観光写真綺麗に撮れてますね!
and
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私も同じ時期に携帯電話盗られました。。
Halonさん、こんにちは
いつも旅行記を興味深く読ませてもらってます。
携帯電話とは災難でしたね。私も自分の旅行記で書いたのですが同じ時期にインドネシアで盗られました。携帯本体だけでなく写真も無くし、その後も災難が続き。。メインの携帯無くすと恐ろしいです。Halonさんの写真は別のカメラで撮られたのですか、それともクラウドにアップロードしていたのでしょうか?その後、携帯なしで旅はできるのか気になります。
インド人の名誉の為に私の経験を話すと、2022年インドの満員の夜行電車に乗車中、車内は人や荷物で溢れた状態でした。翌朝、目的地に着き私の荷物をまとめるとベッドの上に他人の携帯電話がありました。自分の物ではないのでそのまま置いて下車しようとするとインド人が追いかけて来て携帯忘れているよと。インド人の民度も上がったなと感心した出来事もありました。Re: 私も同じ時期に携帯電話盗られました。。
ノーーウォリーズさん、こんにちは
コメントありがとうございます。
インドネシアの旅行記、いま読みました。
お互い災難でしたね。
私の場合は別に一眼レフを持ち歩いていたので主な写真はそちらで撮ったものです。また携帯をすられたのが旅の序盤だったので無くした写真は機内食とかドミトリー内の写真、それに携帯をすられた忌々しい待合室の写真などi一部です。
実は一眼レフを持ち歩くのも嫌気がさしてきていまして、次の旅行からは持っていかずに携帯写真メインで、ただし今回のようなことがあるといけないのでwifiがつながるたびに、こまめにクラウドにアップロードする方法を考えていたところです。
盗まれたあと3か月近く経ちますが、今のところ不正利用の被害はありませんが、まだ心配ではあります。
旅行中にお会いしたインド在住の日本人の話では、最近インドでは携帯の盗難が特に増えていて、この方もアイフォンから安いスマホに切り替えたそうです。また盗んだあとの携帯の本体はリセットして転売されるが、SIMを使ってショートメールから個人情報を引き出す手口が多いそうです。
インド人、確かに出会う大半の人はいい人だと思っています。今回はムンバイという大都会の駅で最悪のタイミングで、最悪の油断をしてしまった結果でした。
2024年02月03日11時37分 返信する -
アレキパ
Halonさん、こんにちは。
国境越えの旅行記に続いてこちらにも失礼します。
アレキパですが、最初に訪れたときは、リマからナスカで疲れ由でアレキーパに入りました。そのとき、ヤナワラ在住の知人が街を案内してくれて、最初に行ったのがヤナワラの展望台でした。あの白い広場や建物、そこからの眺め。治安が悪かったリマで疲れ気味だった私は癒されたことを思い出します。
セルバ・アレグレもハイキングをして、川沿いの路などを歩いたのもとても懐かしいです。「チリナ橋の上からチャチャニ山を望む。」の写真のような川だったように記憶していますし…この写真を見て、チリナ橋も渡ったことを思い出しました。
サンタ・カタリーナと併せて、私の中のアレキーパは美しく心癒される大好きな街です。
ペルー料理では総じてスープが美味しかった印象があります。料理は私はアロス・コン・ポーヨとロモ・サルタードが大好きで、リマではランチでこのメニューが出ている店ばかり行っていました(笑)。Halonさんが食べられたアトマタード・デ・カルネも美味しそうですね(特に最初の店)。
Halonさんはペルー料理では何がお気に入りだったり印象に残っていますか?
(今回も個人的な思い出を書き連ねて失礼致しました)
DecoRe: アレキパ
Decoさん、こんにちは
コメントありがとうございます!
アレキパではたいした観光もしていませんが、移動続きのあとで休憩するにはもってこいの街でした。
Decoさんは現地にお知り合いの方がいらっしゃったとのことで、ペルーへの理解度も深まるでしょうね。羨ましいです。
僕の場合はまだよく知らないリマへ移動する前だったので、なるべくアレキパで過ごそうと長居したのでした。
料理で気に入ったのはアトマタード・デ・カルネやロモ・サルタード、Bistekなど。それと前菜で出てくるスープのバリエーションの多さと優しい味。
またこの時点はまだ1回しか食べていないセビーチェが、リマに移動後は安食堂のセットメニューで選べることが多くてセビーチェばかり食べていました。
Halon
2024年01月28日10時30分 返信する -
国境の街
Halonさん、こんばんは。
以前、タクナ行き国際バスの口コミを書かれていたと思いますが、それを拝見したときから旅行記を楽しみにしていました。
私も約35年前(ずいぶん昔…笑)、タクナ→アリカ、アリカ→タクナと国境を越えました。その頃は国際バスなんて洒落たものはなく、コレクティーボ(乗り合いタクシーのようなもの)で越境しました。
ペルーからチリへ入るときは、運転手のおじさんを始め乗客も皆若干緊張気味。その頃はまだピノチェットの軍事政権でしたから。話好きなチリ人も政治の話は避けていた時代でした。
そのとき、無事入国審査を終えて皆ほっとした…と思ったら、なぜかチリの審査官が「●●!」と私だけ呼びとめ、ハラハラドキドキ、同乗者の皆さんも皆不安そうな表情に。そうしたらなんと審査官は「カラテ!」と言ってポーズを取ったのです。皆ほっとするやら苦笑するやら。忘れられない思い出です(ちなみにチリ→ペルーのときは終始リラックスムードでした)。
個人的な思い出をダラダラ書いて申し訳ありませんが、Halonさんの旅行記を拝読して、当時のことを思い出したり、すっかり様変わりした国境越えに隔世の感を覚えたり(ちょっと大げさでしょうか)。とても感慨深く拝見しました。
次の旅行記ではタクナが出てくるのでしょうか。私も国境を越えて一泊した懐かしい街です。楽しみにしています。
DecoRe: 国境の街
Decoさん、こんばんは
タクナ行き国際バスのクチコミは去年の早い時期に書いていますね。その頃から楽しみにして頂いたとはありがとうございます。
35年前というと1989年前後ですか。当時は軍事政権だったのですね。今より海外旅行者も少なかった時代の体験は貴重ですね。
今でもペルーからチリへのルートだと荷物検査が厳しいようなネット情報もあったように思います(ボリビアからチリの国境越えではあまり感じなかったのですが)。
次の旅行記ですが、タクナでは一泊はしていませんが町の中心広場まで行きましたので現在の町の様子がご紹介できると思います。
Halon2024年01月18日21時00分 返信する -
あけましておめでとうございます
Halonさん、お久しぶりです。
羽田の事故もあり、日本は波乱の幕開けです。
高度4450に宿泊。
そういう時は、頭痛になるものだと思いましたが、違う影響が出ることもあるんですね。
私は間違いなく頭痛になりそうで、ペルー行きを検討したりしていますが、なかなか難しそうです(-_-;) ←もっと高度低いですが…
本文中に、強風とありましたが、揺れるものが何も無いので、写真では、無風に見えます。
そんな緑の無いところにも、野生動物の姿が。
ビクーニャを轢いて懲役は嫌ですね。
野うさぎの生業は、可愛いです(≧▽≦) ←顧客確定
ラムロール -
あけましておめでとうございます‼︎
Halonさん、2024あけましておめでとうございます♪
読むと一緒に旅行してる気持ちになり楽しいです。外国人ばかりのツアーでもなんだか縁を感じて親しみが湧きますね。
塩のホテルや露天風呂、見たことのない景色や料理は、旅って感じです。
難易度が高い。高度も高いから体力気力。
憧れます。
日本は能登半島で震度7の地震があり断続的な地震と津波情報で正月さは無くなりました。
離れてるこちらもけっこう揺れて物が落ちました。ほんと怖い。。
引き続き、ご安全にお過ごしください。
リアルタイム配信がないのが寂しいです。
わたしの名前を小文字にして、
-rhk
とつけてもらうとまた通じますので、またカムバックしてください笑
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プーノ
Halonさん、はじめまして。
以前から旅行記をときどき拝見しています。
そして、この81日間世界一周のシリーズで、南米アンデスのところは特に興味深く読んでいます。
もう随分前、1987年に三週間ほどペルーを旅行したことがあります(1989年にはリマに五か月ほど滞在しました)。プーノも訪れましたが、すっかりきれいな町になっていてビックリ! ショッピングモールに大型スーパー。きれいなバスターミナル。想像できないです(笑)。昔は本当に田舎町というのか、寒々しい街でした。気温も低かったし。でも、シモン・ボリバール通りの写真など見ると、昔の面影を感じたりもします。
食べ物も、チキンや豆類など…ああ、こんな感じだったと感じて懐かしく思い出しています。
ウロス島は…私は別の島(タキーレ)の宿泊ツアーに申し込んでウロス島は側から眺めるだけだったので、Halonさんが羨ましいです。私も上陸してみたかった…
高山病は大丈夫でしたか? 私はアレキーパからプーノへ行って、いきなり高山病になって頭痛などで苦しみました。そこからクスコに移動したらすっかり良くなって、高度の差でこんなに違うんだとびっくりしました。
この後の旅行記も楽しみにしています。
Deco