ゆっくさんのクチコミ(47ページ)全1,048件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2015年09月02日
-
投稿日 2015年09月02日
総合評価:4.0
天守に向かって右側(北側)に位置する櫓です。
天守閣は渡櫓から入城ですが、ルート的に入ってすぐ右側に折れるため、最初に見学する櫓です。
乾小天守は、戦国時代末期に天守と渡櫓と同時期に建造されたとのことで、武備の櫓として、狭間や石落があります。
天守ではすべて角柱ですが、小天守には丸柱もあり、また梁にも丸太が使われています。丸柱は城が最初に建てられたころの名残らしく、400年以上経っているとのこと。ノミで成形した跡が生々しいです。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2015年09月02日
総合評価:5.0
本丸に入る正門で、今も昔もこの門からしか入れません。
堀に突き出た外枡形となっており、枡形の中がチケット売り場です。
チケット売り場が枡形の中にあるなんて、珍しいですね。
ここで足止めをくらうと、早く天守を見たい気持ちが増大します。
名前の通り黒くて、威風堂々としています。
一の門(櫓門)は昭和35年に復元されたもので、二の門は平成2年に復元されました。一の門の瓦は、昭和に天守を改修した際の瓦を再利用しているとのことです。
今は二の丸と三の丸の間の外堀が埋められているため、大名町通りから直接、真直ぐ黒門に来れますが、昔は黒門右側の太鼓門(これも平成11年に復元)からしか二の丸に入れなかったようです。昔の人は、黒門を見て、緊張したでしょうね。
なお、設計図がなかったため、名古屋城の渡り櫓門を参考にに復元したとのことでした。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年09月02日
総合評価:5.0
埋橋は、松本城のパンフレットによく掲載される天守をバックにした赤い橋です。
黒門から入ると天守閣の右奥の本丸と二の丸を繋ぐ位置にあります。
もともとここには、堀の中に塀を築いた足駄塀があったといわれる場所らしく、その詳細な構造がわからないため、昭和30年に史実にない橋を架けたとのことです。
本丸の石垣に埋門があるため、埋橋という名になったとのことです。
なお、橋の老朽化により通行できませんでした。
天守の月見櫓の赤い回縁から眺められるかと思いましたが、角度的に見えない位置なんですね。でも、二の丸西側から橋と共に見る天守は、やっぱり鉄板でした。
観光バスの駐車場がこの傍らしく、ツアーで来ると、まず、この風景を見にすることになります。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年09月02日
総合評価:5.0
天守は詳細には、「天守」「乾小天守」「渡櫓」「辰巳附櫓」「月見櫓」の5棟で成り立っています。
「天守」「乾小天守」「渡櫓」は戦国時代末期に秀吉の家臣、石川氏により家康の監視のために築城されました。また、「辰巳附櫓」「月見櫓」は江戸時代に家光の善光寺参りの際の宿として、松平氏によって増築されたとのことです。
五層六階別名、烏城と言われる通り、屋根も壁も黒いですね。5層6階とのことで、すーっとスリムな印象を受けました。戦国時代に、平地の真ん中にこれだけの高層建築が建っていたら、きっとかなり目立ったでしょうね。
入城は「渡櫓」から。
「乾小天守」「天守」を回って、最後は「月見櫓」からお堀を眺めて退城です。
天守の最上階の屋根裏には、松本城を守る二十六夜神を祀っている神棚がありました。どうやって祀ったんだろう・・・。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年09月02日
総合評価:5.0
松本駅から徒歩20分程ですが、駅傍の松本市中央公民館(Mウイング文化センター)で、無料でレンタサイクルを借りることができました。
松本城公園として整備されているエリアは本丸と二の丸の部分です。
豊臣時代に作られた本丸内の天守が現存天守として国宝として指定されています。
その他、本丸と二の丸を繋ぐ黒門と二の丸と三の丸址を繋ぐ太鼓門が復元されています。
黒門からが有料エリアとなっています。
パンフレット等でよく見られるお堀越しの松本城や赤い橋とのショットは、二の丸から眺めたものなので、天守に登らないのであれば、無料で見られますね。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
戦国時代の武備の構造と江戸時代初期の泰平の世の構造を併せ持つ国宝
投稿日 2015年09月02日
総合評価:5.0
松本駅から徒歩20分程ですが、駅傍の松本市中央公民館(Mウイング文化センター)で、無料でレンタサイクルを借りることができました。
国宝指定を受けているのは本丸にある「天守」「乾小天守」「渡櫓」「辰巳附櫓」「月見櫓」の一連の天守群の5棟です。
「天守」「乾小天守」「渡櫓」は戦国時代末期に秀吉の家臣石川氏により、「辰巳附櫓」「月見櫓」は江戸時代初期に松平氏によって増築されたとのことです。
明治の廃城令の際、地元の実業家が私財を投じて買戻し、市民の関心を高めて、今に残るとのことでした。
烏城と言われるように屋根も壁も黒い天守は、豊臣時代の名残を今に伝えていますね。
本丸御殿は、江戸時代中期の火災による焼失後再建されず、二の丸御殿は明治になり県庁として使われていましたが、同じく火災により全焼したとのことです。
なお、昭和35年に黒門が、平成11年に太鼓門が復元されています。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年09月01日
総合評価:3.0
長浜駅から琵琶湖方面に徒歩10分程です。
長浜城は、秀吉が小谷城攻略の恩賞として、旧浅井領を信長から与えられ、築城しました。
博物館は城の形をしていますが、長浜城が建っていのはわずか40年で江戸時代には既に廃城していたため、実際の天守の詳細は不明とのことで、犬山城や伏見城をモデルに建造したそうです。しかも、実際の本丸は、隣の豊公園です。
中は秀吉と長浜についての資料館となっています。最上階からは琵琶湖を間近に眺めることができます。
また、夜はライトアップしており、周りに高いビルもないため、夜空に浮かび上がり、幻想的でした。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月31日
総合評価:4.0
最寄駅は河毛駅ですが、徒歩30分と遠いので、
駅隣のコミュニティハウスにはレンタサイクルがあります。
小谷城のあった小谷山の麓にあり、小谷城と城主浅野家について学ぶことができます。
戦国時代の重要人物である、あの浅野三姉妹は、この小谷城で産まれたんですね。
小谷城への登山マップや復元イラストもありますので、小谷城に登城する前にはぜひ立ち寄りましょう。ここから小谷城登城へのルートも案内されています。
なお、最寄駅の河毛駅の前には、長政とお市の方の石像があります。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月30日
総合評価:5.0
最寄駅は一乗谷駅ですが、メインの史跡である「復原町並」や「唐門」までは駅から更に30分ほど歩きます。
時間がない方はバスがお勧めです。バスの場合は、福井駅より京福バス62系統東郷線で「武家屋敷前」下車です。30分程で到着ですが、本数が限られていますので、ご注意を。
谷の奥にある上城戸から、手前の下城戸までの約2?が一乗谷の城下町です。朝倉孝景によって築かれ、最盛期には、この区間に1万人が住んでおり、北陸の小京都と言われていたとのことです。
約100年後、5代義景が織田信長に敗れ、城下町は焼討ちにあい灰燼に帰しました。
発掘は昭和40年代から始まったそうで、復原街並みでは、当時塀や武家屋敷等が再現されており、本当に時代劇の中に入ったような錯覚を覚えます。普通に当時の住民が歩いていそうです。
また、道路を挟んで、朝倉家の御殿や庭、お墓がありますが、こちらは復元ではなく、跡地が整備されています。
なお、時間がある方は、ここから南に10分程歩くと上城戸跡地が、北に10分歩くと平面復原地区、更に10分で下城戸跡地、ここまで来ると後10分歩くと、一乗谷駅に到着します。
一乗谷駅そばには、遺跡資料館もありますので、こちらで予習すると、より一乗谷朝倉氏遺跡の全体像がわかるかと思います。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2015年08月30日
総合評価:4.0
現存12天守の内、諸説ありますが最も古い城です。
柴田勝家とともに一向一揆で福井を平定した、甥の柴田勝豊が築城しました。
屋根は二重ですが、内部は三階です。内部の階段は非常に急で、昇降の用のロープがぶら下がっていました。階段と言いうより、ほとんど梯子ですね。でも、最上階まで登ると日本海を見渡せます。
また、このお城の特徴は屋根瓦で、笏谷石という福井県内でとれた石でできています。寒冷地であるため、粘土で作った瓦では割れてしまうからだそうです。鯱も同じ石だそうです。なお、天守閣の登り口には、福井震災で落下した鯱が保管されています。
天守台の石垣は野面積みです。お堀は全部埋め立てられているため、丸岡城の遺構は、この天守閣周辺のみです。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月30日
総合評価:4.0
福井駅西口を出て、城の橋通り沿いにあります。徒歩5分程です。
一向一揆を平定した柴田勝家が築城した城で、また秀吉との戦いで、お市の方と共に自刃し、炎上倒壊した城です。
後に、結城秀康により福井城が築城されたため、北の庄城の遺構は現存せず、本丸跡と言われてきた柴田神社の発掘調査により、石垣が出土したとのこと。
公園の中央に柴田勝家の像と北の庄城の天守閣の模型が、また勝家の後ろには、お市の方と浅野三姉妹の像があります。
発掘時に確認された石垣や堀址等も保存しており、こじんまりしていますが、説明版も丁寧で整備されており、勉強になりました。
勝家とお市の方の自刃は大河ドラマでも印象に残るシーンですが、街中に(もちろん、当時は違いますが)普通に存在しており、鳥肌が立ちました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
築城当時から埋められることなく高岡市民に守られてきたお堀のある城址
投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
高岡駅から北東に徒歩15分程、高岡大仏からも5分程で着きます。
二代目加賀藩主前田利家が隠居していた富山城が火災により焼失したのを期に、築城したのが高岡城です。が、居城して5年で利家は亡くなり、また翌年一国一城令により、廃城になりました。廃城後は、加賀藩の軍事拠点として守られ、明治以後も市民の力で公園として受け継がれたとのことです。
公園に入ると緑の多さとお堀の大きさに驚きます。私が訪れた時は夏ですが、春には桜が凄いそうです。
現在でも、お堀は埋められることなく、当時のままだそうです。明治の廃城令や近代埋め立てるお堀が多い中で、400年前のわずか6年間だけの城のお堀を守り続けている高岡市民の誇りに感銘を受けました。
公園内部には広場やら神社やら動物園やらあり、東京ドームの4.5倍の広さらしく、ゆっくり過ごせます。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:3.5
高岡駅から北の方に徒歩10分程でしょうか。
住宅街の中に突如現れます。
日本三大佛の一つだそうです・・・。
観光地というより地元の方がお参りにきているような感じでした。
高さ16mの阿弥陀如来で昭和8年に完成した鋳物の町高岡を象徴する青銅製です。
初代は13世紀に木製で建立され、現在は3代目とのことです。
由緒ある大仏ですね。
台座には入ることもでき、2代目の木造の仏頭が安置されています。
なお、9月23日は高岡大仏まつりが開催されるそうです。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:3.0
七尾駅から市内巡回バス「まりん号」東回りで約15分程で最寄バス停「城史資料館前」です。1時間に1本ですので注意が必要です。
そこから歩くこと5分。山側に看板とノボリが建っていますので、すぐわかります。
ここから七尾城の本丸までは徒歩約60分です。
七尾城の歴史やマップ、七尾城主であった畠山氏の持ち物等が展示されていました。
七尾城登城の前に、こちらで予習することをお勧めします。
七尾城100名城スタンプは入口に置かれていました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
金沢駅からは徒歩30分程と離れているため、周遊バスがお手頃ですが、周辺の金沢城や兼六園、近江町市場を時間を気にすることなく巡ることを考えるとレンタサイクルがお勧めです。
1820年に点在していたお茶屋を集めたのが始まりとのこと。
木虫籠(キムスコ)と呼ばれる出格子と石畳が特徴です。
3つある茶屋街の中で最も大きく、浅野川を挟んで、主計町茶屋街があります。
雑貨やお食事処もあり、実際に気楽に入れるお店もあります。
夜は、華やかなお座敷が繰り広げられているとのことで、いつか敷居を跨げるようになりたいです(笑)。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
金沢城の東側にあります。
駅からは、金沢城を挟んで反対側、兼六園への通用門です。
金沢城の裏門だったそうですが、江戸時代からの残っている遺構は、この石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫だそうで、共に重文に指定されています。
石川門と一言でいうと単なる門ですが、表門、表門北方太鼓塀、表門南方太鼓塀、櫓門、続櫓、櫓、附属左方太鼓塀、附属右方太鼓塀の8棟から成り立っており、枡形を形成している立派な門です。
なお、石川門へむかう石川橋の下は現在は道路ですが、当時は百間堀というお堀でした。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:3.0
交差点兼六園下の傍。
兼六園への坂を登らないお堀通りにあります。
城内ではなく、なぜここにあるのかと見落としそうでしたが、今の金沢城公園として整備される前は普通に金沢大学の敷地でしたし、当時は観光のメインが兼六園であったかと思うと、ちょうど良い場所だったのかもしれません。
よく見ると兜が金色です。
これは、鯰尾の兜を付けた三森城の戦いの際の利家とのことです。- 旅行時期
- 2013年08月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:3.5
二の丸から三十間長屋に向かう途中にあります。
1546年に建てられた一向一揆の拠点『金沢御堂』に参詣するための橋だそうです。朝、念仏を唱えながら橋を渡り、夕方極楽往生を願って帰ってきたとか。
金沢御堂は、金沢城の本丸あたりに建っていたそうです。
一向一揆を攻め滅ぼした柴田勝家の重心佐久間盛政によって金沢御堂跡地に金沢城が築城され、秀吉の代になり、前田利家が入城し、今に至ります。
金沢城の移り変わりを眺めてきた橋なんですね。
なお、現在の橋は平成3年に改修されたものだそうです。- 旅行時期
- 2013年08月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:4.0
金沢城の南側、本丸の直下にあります。
いもり堀の南の端にあります。
明治時代に陸軍によってお堀と共に埋め立てられものを、平成22年にお堀と共に復元されました。
いもり堀とともに、当時の雄姿が思い起こされます。
下半分の現存の石垣の上に復元しており、使用した石は、発掘時の石を優先的に利用し、残りは石川県産の石を使っているとのこと。さすがです。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0



















































