ゆっくさんのクチコミ(48ページ)全1,048件
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投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
金沢城の南側、本丸の直下にあります。
平成22年に鯉喉櫓台とともに復元されました。緑の芝生ととも広々として、とても気持ちが良いです。石垣の積み方を説明するための石垣もあります。
明治時代に陸軍によって埋め立てられ、戦後はテニスコートとなっていたものを復元したとか。お堀を復元するなんて、金沢市の前田家に対する愛情と根性を感じます。
いもり堀の前面にある高石垣は現在は四重の石垣ですが、これは明治時代にお堀を埋め立てた際、土取りで削り込まれた崖面を保護するために、陸軍が築造したものだそうです。
もとは高さ22mの城内随一の高石垣だったとか。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:4.0
石川門や河北門をくぐると、まずは三の丸広場。
そして、その五十間長屋の裏手(本来は表?)にある広場です。
芝生の三の丸広場に対して、二の丸広場は砂利です。
江戸時代初期に本丸が雷で焼失した後、天守閣は再建されず、二の丸に御殿を作り、ここが金沢城の中心だったとのことです。
史実に基づき復元された門や長屋ですら非常に重厚ですので、御殿はさぞ豪華絢爛だったことでしょうね。
千畳敷の広大な建物で一部二階建て、また能舞台などもあったそうです。
なお、五十間長屋は、二の丸広場側から入ります。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:3.0
石川門から入城した場合は左側に進みその奥、河北門から入城した場合は正面奥、にある鶴丸土塀の裏の高台にあります。本丸の下にあたります。
石川門・三十間長屋と共に、金沢城内の重文の一つで、全国の城郭内の土蔵の中でも最大のものだそうです。
個人的には、見た目が城の建造物のイメージとして違和感を感じたのですが、それもそのはず、ずっと明治時代の陸軍による建築と思われていたとのこと。
金沢城公園の整備の際の修復にあたり、和クギが見つかったり、石組が見つかったりして、江戸時代のものとわかったとのことでした。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
金沢城内で特徴的に目を引く壁です。ナマコ壁と読みます。
黒色の平瓦を白色の漆喰でナマコ状に盛り付けて塗る工法のことで、防火や防水に優れているとか。
金沢城は、この海鼠壁と対になる白壁、そして鉛瓦葺の屋根が特徴ですね。
現存遺構として重文の石川門、三十間長屋をはじめ、復元された橋爪門・五十間長屋・菱櫓、河北門にも使われています。
海鼠壁は武家屋敷や土蔵で多用されたようで、城の壁に使われたのは珍しいようで、現存している建物では、新潟県の新発田城、旧二の丸櫓だそうです。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
石川門、河北門から入ると目の前に広がる広場です。
緑の芝生に、復元された橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓が綺麗に映えます。
今は広場ですが、江戸時代にもここには建物があまりなかったようです。
当時のメインは、落雷で焼失した本丸の代わりに二の丸だったようで(二の丸には御殿が建っていた)、実質的な正門である河北門から入城し、三の丸奥にある橋爪門から二の丸にあがったそうです。
往時の人たちも、門をくぐってこの風景を見たら、金沢城の畏怖を感じたかもしれませんね。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年08月29日
総合評価:4.0
二の丸広場の西隣、石川門、河北門からは一番遠い奥の林の中にひっそりと佇んでいます。
いもり坂口からはすぐです。
入母屋造りに海鼠壁、鉛瓦葺は、石川門と双子みたいですね。
それもそのはず、石川門と同様に江戸時代から現存遺構で、共に重文に指定されています(金沢城内では、あと鶴丸倉庫も指定)。
復元された五十間長屋と同様に武器が保管されていたとのことです。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
金沢城の中央にあります。
平成13年に復元され、三の丸広場から見ると、五十間長屋の左側です。私が行った時は、隣接する橋爪門がちょうど復元の最中でした。
五十間長屋で対となる菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓として、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓としての役割を担っていたとのこと。
橋爪門は、二の丸御殿へ至る最後の門で、通行に際しては最も厳しい制限が設けられていたとのことです。
五十間長屋、菱櫓と一体となっており、有料ですが入場できます。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
金沢城は石垣の博物館と言われているとのこで、案内所で石垣巡りのパンフレットを配っています。城内ルート(約1.5?)と城外周ルート(約1.2?)とあります。
通常は打ち込みハギ、重要な箇所(二の丸や本丸)は、より綺麗な切り込みハギだそうです。
面白かったのは本丸の外周にある南面の高石垣。四重の石垣ですが、これは明治時代にお堀を埋め立てた際、土取りで削り込まれた崖面を保護するために、陸軍が築造したものだそうです。もとは高さ22mの城内随一の高石垣だったとか。
明治になって取り壊しても、石垣はちゃんと作るところが、まさに石垣の博物館ですね。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
金沢城の中央にあります。
大手門や黒門から来た場合の三の丸広場への入口で、実質的に金沢城の正門にあたるとのことです。
一の門、二ノ門、枡形土塀、ニラミ櫓台で構成されており、平成22年に史実に基づき復元されました。
広場にそびえ立つ姿は、映画のセットのようでもあり、近づくと、その大きさに圧倒されます。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年08月29日
総合評価:5.0
金沢城の中央にあります。
二の丸と三の丸の間に位置し、天守閣焼失後、城の中心を担っていた二の丸を守るための施設だそうです。
見張りのための物見櫓である菱櫓と橋爪門続櫓を繋ぎ、武器等の倉庫で、石落としや鉄砲狭間もあり、防火性を高めた海鼠壁となっています。
菱櫓、橋爪門続櫓とともに平成13年に木造にて復元され、有料ですが中に入ることができます。明治以降に建てられた木造城郭建築物としては、全国最大規模とのことで、確かに遠くから見て、その大きさがわかります。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2015年08月28日
総合評価:5.0
金沢駅からは2?弱ですので、レンタサイクルがお勧めです。
豊臣秀吉に加増を受けた前田利家が入場して以来、加賀100万石前田家の居城です。
天守閣は1602年に落雷で焼失し、その後造られなかったとのことです。そのため、城の中心は二の丸だったとか。明治の廃城令で石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫のみとなりました。これらは重文です。
平成7年から公園として整備が始まり、平成13年に菱櫓・橋爪門・橋爪門族櫓・五十間長屋が、平成22年に河北門といもり堀の一部が復元されました。これらには入ることもできます。
なお、金沢城は石垣の博物館と言われており、さまざまな石垣を見ることができます。- 旅行時期
- 2013年08月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月28日
総合評価:5.0
金沢駅からは徒歩30分程と離れているため、周遊バスがお手頃ですが、周辺の兼六園やひがし茶屋街、近江町市場を巡ることを考えるとレンタサイクルがお勧めです。
豊臣秀吉に加増を受けた前田利家が入場して以来、加賀100万石前田家の居城です。
戦後、金沢大学のキャンパスでしたが、平成7年に大学が移出して、公園として整備されました。
平成13年に、菱櫓・橋爪門・橋爪門族櫓・五十間長屋が、平成22年に河北門といもり堀の一部も復元されています。二の丸や三の丸は広場でしたが、本丸は森でした。
公園内は広いですが、金沢城は石垣の博物館と言われているので、時間に余裕を持って、石垣巡りをしながら、廻ることをお勧めします。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月28日
総合評価:3.0
最寄駅は春日山駅で徒歩20分程です。
バスも本数は少ないですが出ていますが、バスの場合は直江津駅からの方が本数があります。
春日山城の土塁等、当時の復元したとのことです。
また、春日山城の模型もありました。
ちなみに、ここも春日山城の東城砦で、城の一部です。いかんせん、春日山城は東西2kmに及ぶそうです。
春日山城本丸へはこちらから登山すること1時間です。
また、そばには春日山城について説明した春日山城跡ものがたり館があります。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 2.0
-
投稿日 2015年08月28日
総合評価:4.0
最寄駅は春日山駅で徒歩20分程です。
バスも本数は少ないですが出ていますが、バスの場合は直江津駅からの方が本数があります。無料で入場できます。
春日山城の当時の様子をビデオで紹介したり、上杉謙信の肖像画や川中島合戦の屏風がありました。春日山城に登城前に、こちらで予習すると春日山城の歴史や成り立ちがよくわかります。
春日山城の100名城スタンプもこちらです。
春日山城本丸へはこちらから登山すること1時間です。
また、建物の前には春日山城史跡広場が整備されています。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 4.5
- バリアフリー:
- 5.0
-
投稿日 2015年08月28日
総合評価:3.0
新発田駅から徒歩15分ほどです。
JA北越後の前の交差点に碑があります。
新発田城の表門前の広場に堀部安兵衛の銅像があり、忠臣蔵の義士がなぜここに?と思っていたら、新発田で産まれたんですね。
新発田藩の家臣の中山家に生まれものの、父と共に櫓失火の責を負って藩を追われ、紆余曲折を経て江戸へ。そこで、天性の剣術を買われて、浅野家家臣の堀部家の養子になったそうです。
新発田藩を追われ、最後は赤穂に命を捧げた浪士の誕生の石碑が新発田城下町に建っていることに、歴史のイリュージョンを感じました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年08月28日
総合評価:3.5
新発田駅から徒歩20分ほどです。
完全に街中に溶け込んだ城でして、駅から歩くと新発田警察署前が大手門跡で、ここから三の丸となります。また、そのまま道を進み、市役所、郵便局を抜け、森林事務所付近が大手中ノ門となり、ここから二の丸です。
秀吉により入封した溝口秀勝が築城し、その後、明治時代になるまで12代に渡って居城しました。
明治の廃城令で表門、旧二の丸隅櫓以外が破却がされたとのことで、これらは重文となっています。その際、本丸の一部を除くお堀も埋め立てられました。残されたお堀の切込みハギで積まれた石垣は長く、立派です。
平成16年に、三階櫓と辰巳櫓が復元されています。三階櫓は、全国唯一、屋根が丁字型で鯱が3匹いることで有名ですね。
それと、なんといっても、本丸と二の丸(古丸)が自衛隊の駐屯地となっているのも希有ですね。まさに戦国自衛隊です。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2015年08月28日
総合評価:4.0
鶴ヶ城の北側の北出丸通りの出発地にあります。
会津藩松平家の家老の家です。
私は大河ドラマで知り衝撃を受けたのですが、会津戦争時の会津若松城への籠城に際し、西郷頼母が登城したあとに、足手まといにならないようにと妻や母等、一族21人が自害した場所です。
神社というわけではないですが、静かに木々に守られています。
なお、西郷邸は鶴ヶ城から東へ徒歩30分ほどの会津若松市東山町にある「会津武家屋敷」にて復元されているそうです。
近くに「ならぬことはなりませぬ」の碑もありました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2015年08月28日
総合評価:3.0
西若松駅から鶴ヶ城公園に行く途中にあります。徒歩10分程でしょうか。
大通りから一本入った細い路地にひっそりとありますので、なかなか見つけづらいかと思います。なお、周辺は普通の住宅街でして、石碑が建っているお家も、今では全く別の人の住いとなっていますので、まさか大河ドラマの舞台となるとは、思っていなかったことでしょうね。
1989年に同志社が建立したそうです。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2015年08月28日
総合評価:3.0
鶴ヶ城公園内の南側、茶室麟閣の傍にあります。
土井晩翠が、第二高等学校在学中に訪ねた会津若松城址(と仙台青葉城)を「荒城の月」の詩材としたそうです。
碑の除幕にも晩翠は出席したそうなので、確実に根拠の場所なのですね。
当時は、まだ天守閣も再現されていなかったと思いますし、現在よりも朽ちて、まさに荒城という言葉がぴったりだったんでしょうね。
なお、作曲は滝廉太郎ですが、廉太郎の出身地の大分県岡城(竹田城)址にも碑があります。
右側の写真は岡城(竹田城)で撮ったものです。スイッチがあり、押すと荒城の月が流れました。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2015年08月28日
総合評価:3.0
西若松が最寄駅ですが、駅でレンタサイクルを借り、会津若松市内を縦走。
鶴ヶ城公園周辺に、八重誕生の地や西郷頼母邸宅跡など大河のスポットがあり、車も入りづらかったり、止められなかったりしているようで、自転車で巡るのがお勧めです。
近世城郭に改造したのは蒲生氏郷で、この時、地名も「若松」になったとのことです。
本丸には昭和40年に再建された天守閣が、二の丸はテニスコート、三の丸は県営・市営施設が、北出丸は武道場、西出丸は駐車場となっている、文教エリアです。
それぞれの郭が、ちゃんとお堀や石垣で区切られて残っているのは珍しい気がします。
天守閣はまさに観光地ですが、それ以外は市民の憩いの広場ですね。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0














































