ぷーちゃんさんのクチコミ(9ページ)全14,870件
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投稿日 2025年07月01日
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投稿日 2025年07月01日
総合評価:4.0
萩城下町の江戸屋横町に建っています。萩市公開文化財9施設の一つで、一日共通券が利用できます。幕末の藩医で蘭学者の青木周弼の旧宅です。1859年に建てられました。青木周弼は藩主毛利敬親の侍医や医学館の館長を務めました。日本屈指の医師として全国的にも知られ、各地から集まった多くの弟子を育てました。床の間のある部屋は品があり、今でも使える造りでした。1990年に土蔵床下から一分銀が入った木箱と金属箱が発見され、総額293両3分ありました。青木周弼の養子青木研蔵の所有で、子孫から一部が萩市に寄贈され萩博物館に所蔵されています。
- 旅行時期
- 2024年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
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投稿日 2025年07月01日
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投稿日 2025年07月01日
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投稿日 2025年07月01日
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投稿日 2025年07月01日
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投稿日 2025年07月01日
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投稿日 2025年07月01日
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投稿日 2025年07月01日
総合評価:4.0
1254年に大内氏の祈願所として創建された、江戸屋横町沿いに建つ真言宗の寺です。明治時代の神仏分離にもかかわらず、天皇家ゆかりの品を多く所持していたこともあり、現在も神仏混合の寺社として、境内に神社と寺が建っています。山門手前の石鳥居には数珠を表す円形の石が挟まっていて、神社に建つ鳥居と寺を表す数珠が一体になり神仏混合を表現しています。病弱だった高杉晋作の母親が晋作の健康を祈願したり、伊藤博文が雑役のかたわら、読み書きそろばんなどを学んだりしていたなど、幕末から明治維新にかけて名を残した人物ゆかりの寺でもあります。社殿に施された十二支の彫刻や5mほどの大きな石灯籠、高杉晋作を勇気づけたという朱色の天狗面、晋作や博文が子供の頃遊んだ木馬、樹齢300年と言われる松など見どころが多い寺です。
- 旅行時期
- 2024年10月
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投稿日 2025年07月01日
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投稿日 2025年06月20日
総合評価:4.0
1年ほど前に孫の初宮参り後の食事会で、ホテル内にある梅の花を利用した際、従業員の方の対応も丁寧で、食事も美味しく、落ち着いて食事ができたため、今回法事で再度利用しました。夏の特別ランチということで、湯葉料理や藁焼き鰹のたたき、鱧のすき煮、炊き込みご飯など、11種類の料理が一品ずつゆっくり出てきました。個室だったこともあり静かで、時間をかけ食事と会話を楽しむことができました。駐車場も整備され、小田急線新百合ヶ丘駅南口から2分ほどとアクセスも良く、ホテルだけでなく和食のレストランを利用したい場合はおすすめです。
- 旅行時期
- 2025年06月
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投稿日 2025年06月06日
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投稿日 2025年06月06日
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投稿日 2025年06月06日
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投稿日 2025年06月06日
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投稿日 2025年06月06日
総合評価:4.0
松陰神社の境内に建つ、松陰の遺品や遺墨などゆかりの品を保存、展示している史料館です。反幕派とみなされ、安政の大獄で江戸に送られる前に書いた手紙や、処刑される直前に塾生に出した手紙、肖像画、陣笠なども展示されていました。夢半ばの30歳という若さで処刑されなくてはならなかった松陰、無念だったに違いありません。
- 旅行時期
- 2024年10月
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投稿日 2025年06月06日
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投稿日 2025年06月06日
総合評価:4.0
萩観光の1日目の夕食に利用しました。萩橋の近くにある白い灯台が目印です。店内に生け簀があり、新鮮な魚を活造りしてくれます。活イカを食べたくて席を予約しました。連休明けの平日だったので店内は空いていました。店頭にイカの仕入れがなかったことが貼りだされてがっかりしました。スタッフおすすめのカワハギの活造り、アワビの活造り、帆立のバター焼きを注文しました。帆立は大きくて甘かったです。アワビはこりこりしていて、肝も美味しかったです。スタッフによるとふぐよりも旨味があるカワハギの薄造りは絶品でした。さっぱりとポン酢で食べたり、カワハギの肝を叩いたものをポン酢に溶かしたつけ汁で食べたりして堪能しました。カワハギの骨で出汁を取った味噌汁も美味しかったです。
- 旅行時期
- 2024年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 利用形態
- ディナー
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.5
- 観光客向け度:
- 4.0
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投稿日 2025年06月06日
総合評価:4.0
玉木文之進旧宅から300mほど歩くと霊園があります。霊園の奥に吉田松陰や親族、門下生などの墓が並んでいます。そばに吉田松陰銅像が建っていて、銅像の右奥に吉田松陰誕生地があります。杉百合之助の次男が吉田松陰で、19歳まで過ごしました。両親、兄弟と共に農耕に従事しました。1853年に杉家が転居した後、建物はなくなりました。後に住んでいた人の記憶をもとに1922年に敷石で間取りを復元したものがあります。萩城下町からかなり離れたところで生まれ育ったことがわかります。
- 旅行時期
- 2024年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2025年06月06日
総合評価:4.5
東萩駅から東方向へ15kmほどのところに建つ黄檗宗寺院です。三代藩主毛利吉就は1691年に赤い総門を、十代藩主毛利斉煕は1812年に二階二重門の三門を、四代藩主毛利吉広は1698年に大雄宝殿を建立しました。どれも国指定重要文化財です。大雄宝殿の棟の中央に宝珠と両端に鯱が、堂内土間は漆喰叩き仕上げになっていて黄檗宗建築物の特徴を見ることができます。大雄宝殿の後ろの森林の中に三代から十一代の毛利藩主と夫人の墓所があります。毛利家一族と関係者の墓が40基、500数基の石燈籠が並んでいて壮観です。
- 旅行時期
- 2024年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5








































