ぷーちゃんさんのクチコミ(8ページ)全14,870件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2025年07月03日
-
投稿日 2025年07月03日
-
投稿日 2025年07月03日
-
投稿日 2025年07月03日
-
投稿日 2025年07月03日
-
投稿日 2025年07月02日
総合評価:4.0
東萩駅から指月公園に向かう際に通った、寺町近くの住宅街に残っています。酒に酔った藩士・野山氏が藩士・岩倉氏の家に切り込み殺傷した際に、両家が取りつぶされ藩の獄になった歴史があります。この獄跡の向かいに岩倉獄跡も残っています。野山獄は身分の高い人を処罰したそうで、海外渡航に失敗した吉田松陰も野山獄に収監されたとのことです。現在は松や桜が植えられ、碑や灯籠が建っています。
岩倉獄は庶民を処罰した獄で、吉田松陰と共に海外渡航をしようとして失敗した金子重之助も収監されたそうで、亡くなった場所を示す碑と、亡くなったことを悲しんだ吉田松陰の詩碑が建っています。野山獄跡とともに、ゆかりの人々の慰霊祭が、現在も11月に行われているとのことです。- 旅行時期
- 2024年10月
-
投稿日 2025年07月02日
-
投稿日 2025年07月02日
-
投稿日 2025年07月02日
-
投稿日 2025年07月02日
総合評価:3.5
旧萩藩校明倫館時代からの遺構で、明倫学舎の南東側に建っています。屋根の両側に唐破風を備え、門の両側に格子の塀が設けられています。孔子を祀った聖廟の前門だったそうで、門は閉まっていて、普段開くことはないようです。
- 旅行時期
- 2024年10月
-
投稿日 2025年07月02日
-
投稿日 2025年07月02日
総合評価:3.5
萩藩校明倫館の跡地に造られた明倫小学校を改修して造られた、資料館兼インフォメーションセンターです。1号館には明倫館の歴史や、明倫館の跡地に建っていた明倫小学校の歴史を紹介した展示室や、小学校の復元教室、観光協会などが入っています。2号館には幕末の日本の科学技術や明治時代の産業革命、萩の世界遺産を説明した展示室、収集家・小川忠文さんが寄贈した鉄砲や陣笠、エレキテル、蘭学の教材、測量器具などが展示されています。敷地内には藩士が槍や剣道の練習を行った有備館や、明倫館の正門だった南門、遊泳術や水中騎馬が行われた水練池など明倫館時代の建造物や施設も残っています。
- 旅行時期
- 2024年10月
-
投稿日 2025年07月02日
-
投稿日 2025年07月02日
総合評価:3.5
萩市中央公園の駐車場近くに久坂玄瑞進撃像があります。松下村塾の双璧と称され、尊王攘夷派を牽引して国事に奔走しました。その偉業を讃えるために2015年に建立されました。指先の方向へ動きだしそうな生き生きとした像です。
- 旅行時期
- 2024年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2025年07月02日
-
投稿日 2025年07月02日
総合評価:4.0
萩市内に三つある伝統的建造物群保存地区の一つです。橋本川に沿った東西約150m、南北約300mの範囲です。武家屋敷がありました。右田毛利家下屋敷、寄組児玉家、粟屋家、大組町田家の屋敷跡などがあります。左右を高い土塀で囲み、見通しのきかない鍵曲が残っています。土塀から枝が張り出している夏みかんの木があるのも特徴です。夏みかん栽培の始めは、維新後生活に苦しむ士族救済のための授産事業として奨励されたことを知ると感慨深いです。
- 旅行時期
- 2024年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2025年07月02日
総合評価:4.0
平安古重要伝統的建造物保存地区にあります。橋本川沿いのかんきつ公園を含めた広い敷地です。毛利筑前下屋敷があった敷地に、維新後、士族の授産事業として夏みかんの栽培を奨励した小幡高政が建物を建てました。大正後半から総理大臣を務めた田中義一の所有となり、主屋の増改築を行いました。五松閣に、桜の幹を床の間の柱にした部屋や、梅の柱と松の梁、曲がった竹の梁を使った部屋など新しい雰囲気の和室があります。二階の窓から当時の庭園、現在のかんきつ公園が見え、遠くに指月山が眺められます。萩を愛した田中義一の心を感じられ、おすすめします。
- 旅行時期
- 2024年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2025年07月02日
-
投稿日 2025年07月02日
-
投稿日 2025年07月01日
総合評価:3.5
萩城下町の北西にある公園です。萩博物館そばの外堀の向かいにあります。酒造業の四男として生まれた藤田伝三郎の功績を記念して1911年に銅像が建立されました。幕末尊王攘夷に奔走し、明治維新後兄たちと共に商社を設立しました。鉱業を中心に、現在の藤田観光や毎日新聞、大成建設などを手がけました。この地は藤田家のもので、伝三郎の号にちなんで香雪園と称し、萩市に寄贈されました。2022年に没後110年を記念して藤棚や庭石の三石組を復元しました。草地広場に銅像と石組が配置されています。外堀を挟んで向かいに素水園の田中義一の銅像が建っているのが印象的でした。
- 旅行時期
- 2024年10月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)































