taktak99さんのクチコミ(14ページ)全4,537件
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投稿日 2024年04月08日
総合評価:4.0
原作者やなせたかし氏が高知県と関わりが深いとあって(生まれは東京都で、高知県ではない)、アンパンマンの石像は高知市内の至る箇所にある。
全てを巡るのは不可能だが、ある所にはある感じ。
どれも結構でかくて、金が掛かっていそう。
- 旅行時期
- 2022年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月08日
総合評価:4.0
本荘城は、本荘藩の藩庁が置かれていた城。
慶長出羽合戦により由利郡を手に入れた山形城主最上義光は、1603年に重臣の楯岡満茂を4万5000石で入封させた。
満茂は当初赤尾津城を居城としたものの、不便だった為1613年に尾崎山に本城城を築き居城とした。
1622年に最上氏が改易されると、満茂も由利郡を去る。
代わりに5万5000石で初代将軍徳川家康の側近であった本多正純が宇都宮15万石より移封するが、2代将軍秀忠の側近らとの権力闘争に敗れた末での移封とあって、直後に改易され、久保田藩の佐竹氏預かりとなる。
城も、幕府の命により破却された。
1623年、六郷政乗が2万2000石で入封。城を石高に合わせ縮小して修復し、城下町も築いた。
政乗の跡を継いだ政勝の代に、本城は本荘と改名された。
以後明治維新まで六郷氏11代の居城となった。
六郷氏は元々現在の秋田県仙北を拠点としていた武将だが、秋田で勢力争いした武将の中で大名として秋田に留まったまま幕末を迎えられたのは六郷氏だけだったという。
戊辰戦争で六郷氏は官軍側に属した事から、奥羽越列藩同盟側に立った鶴岡藩勢に攻められ、最後の城主の六郷政鑑は城に火を掛け逃亡した。
1869年、版籍奉還に伴い廃城となった。
城跡は政鑑に払い下げられ、六郷氏が管理していたが、1935年に政鑑の孫の政貞が財政難を理由に城跡を他者に売り渡してしまう。
当時の町長だった齋藤弥太郎は、「町の中心の大事な史跡を本荘町民の元に」と私財を投じて買い戻し、1940年に本荘町に寄付する。
これにより、城跡は公園として整備される事となった。
城の保存に奔走した弥太郎翁の偉業を讃え、二の丸跡には胸像が建てられた。
現在、土塁や濠が残り、三の丸跡には模擬城門が築かれている。本丸跡は神社の境内となっている。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月08日
総合評価:4.0
久保田城は、佐竹氏の居城。矢留城、葛根城とも呼ばれる。江戸時代の公式文書では「秋田城」と書かれることが多かったが、古代に出羽国府が置かれた秋田城とは所在地ともに別の城であり、現在では「久保田城」と称される事が多い(現在の学者らが「秋田城だと近くにある別の秋田城と混同するから」という勝手な理由で当時の者が正式に「秋田城」としていた城を「久保田城」とネーミングしてしまうのは、ある意味乱暴な話。現在の黒石城・黒石陣屋のように「新」「旧」で区別していた方が、観光の面では有利だったのでは、と思わないでもない)。
標高40メートルの神明山に築かれた平山城で、天守も石垣も持たない城として知られる(正確には、基底部に石垣を築き、その上に土塁を盛っている)。
本丸のあった一帯は千秋公園となり、秋田県民会館や秋田市立中央図書館明徳館等が整備されている。建造物としては、1880年の大火を唯一逃れた御物頭御番所が現存する。
基本的に土塁の城なので、派手さは全く無いが、東北ではこういう城が一般的で、総石造りの城の方が珍しい。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月08日
総合評価:4.0
秋田城は、日本の古代城柵。
創建は733年頃で、出羽柵が庄内地方から秋田村高清水岡に移転した事に伴う。760年頃に秋田城に改称された。
朝廷によって設置された城柵の中では最北に位置し、奈良時代の創建から10世紀中頃までの平安時代に掛けて出羽国北部の行政・軍事・外交の中心地となった。
しかし11世紀中頃になると朝廷の勢力も衰え、それと同時に海外からの交易も衰退していき、維持がまま無くなり、放棄される。
以後その地が城として利用される事は無かった。
城と言っても、戦国時代や江戸時代よりはるか前の時代のものなので、「城」の概念が異なる。高石垣や天守といったものを期待して行くと肩透かしを食らう。が、後の時代の城郭に通じる部分も見られ、興味深い。
一部の門や壁が復元され、建物の位置が分かる様になっている。
残念なのは、城跡のある高台が削られて道路が通され、遺構が失われている事。- 旅行時期
- 2022年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月08日
総合評価:4.0
日本を代表する駅。
自分からすると東京を観光する場合は観光の拠点となるし、東北・北陸へ向かう場合は乗り換え点となる。
レンガ造りの本館が特徴。
中の構造はとにかく分かり辛い。何度訪れても自分がどこにどう向かっているのかが分からなくなる。やっと分かっても、次の利用の頃には忘れているので、一から調べ直す羽目になる。- 旅行時期
- 2023年02月
- 施設の快適度:
- 4.0
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月08日
総合評価:4.0
福山駅の側にあるホテル。
リゾートホテルや高級ホテルというより、シティホテルという位置付けっぽい。
1Fにカフェがある。宿泊客の朝食会場になっているらしいが、宿泊客でなくても利用可能で、朝食時間帯以外はカフェとして普通に利用出来る。
- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月08日
総合評価:4.0
加納城は、徳川家康の命により築かれた平城。
関ヶ原合戦後、それまで岐阜城を本拠地にしていた織田秀信(信長の孫)が、西軍に与していた為追放され、城は破却された。城下町は「岐阜」から「加納」に改名される。1602年から、岐阜城の代わりとなるべく加納城の築城が開始される。縄張は家康が自ら行ったとされ、普請には近隣の大名を動員した。建材は主に岐阜城のが用いられた。天守代用の二ノ丸御三階櫓は、岐阜城天守の部材をに転用したものだったという。
天下普請とあって、本丸・二ノ丸は築城開始から僅か2ヶ月足らずで完成。家康の義理の息子である奥平氏が入城する。
これにより、美濃の中心は岐阜から加納へと完全に移行する。
加納城主は奥平氏、戸田氏、安藤氏、と交代し、永井氏の代で明治を迎えた。
1871年の廃藩置県によって加納県の県庁が置かれるものの、直後に岐阜県と合併。
現在、「加納」は岐阜市内の一地名として残るに過ぎない。
徳川幕府によって優遇されてきた「加納」の地名が明治時代に入ると共に没落し、250年間に亘って冷遇されていた「岐阜」の地名が復活を果たし、それに伴って城も立場が逆転したのは、皮肉である。
現在、本丸は加納公園として整備されているが、それを囲む二の丸・三の丸は市街地と化し、面影は無い。
岐阜市は「我が市にはお城が2つもあります!」と岐阜城・加納城の双方をアピールすべきなのに、何故か岐阜城の方しか推さないのは残念。- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月08日
総合評価:4.0
郡上八幡城は、遠藤盛数による砦を起源とする城。
江戸時代に青山氏が入封。7代続き、明治を迎える。
廃藩置県によって廃城となり、1870年には石垣だけを残して取り壊された。
現在の天守は、大垣城天守を参考に1933年に模擬天守として建設されたもので、同時に隅櫓2基と築地塀も整備された。
模擬天守というと鉄筋コンクリートで建てるのが当たり前だった時代、地元の大工らにより木造で建てられた。そんな事から、どことなく城より民家っぽい印象の建築になっている。
現存する木造模擬天守としては日本最古のもの。
そんな事もあり、本来なら歴史的価値が無いにも拘わらず郡上市有形文化財に指定された。- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月08日
総合評価:4.0
郡上八幡城の麓にある観光施設。
土産物売り場、観光案内所、そしてバスターミナルでもある。
行きは郡上八幡駅から路線バスでここまでやって来たが、バスターミナルから高速バスで岐阜まで戻れると知り、帰りはそうした。行きも高速バスを利用していた方が楽だっただろう。
周辺には他にも飲食店や土産物店が多数ある。
拠点としては利用し易い。- 旅行時期
- 2022年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月08日
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投稿日 2024年04月07日

































