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本荘城跡

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本荘藩の城

  • 4.0
  • 旅行時期:2022/11(約3年前)
taktak99さん

by taktak99さん(男性)

本荘 クチコミ:5件

 本荘城は、本荘藩の藩庁が置かれていた城。
 慶長出羽合戦により由利郡を手に入れた山形城主最上義光は、1603年に重臣の楯岡満茂を4万5000石で入封させた。
 満茂は当初赤尾津城を居城としたものの、不便だった為1613年に尾崎山に本城城を築き居城とした。
 1622年に最上氏が改易されると、満茂も由利郡を去る。
 代わりに5万5000石で初代将軍徳川家康の側近であった本多正純が宇都宮15万石より移封するが、2代将軍秀忠の側近らとの権力闘争に敗れた末での移封とあって、直後に改易され、久保田藩の佐竹氏預かりとなる。
 城も、幕府の命により破却された。
 1623年、六郷政乗が2万2000石で入封。城を石高に合わせ縮小して修復し、城下町も築いた。
 政乗の跡を継いだ政勝の代に、本城は本荘と改名された。
 以後明治維新まで六郷氏11代の居城となった。
 六郷氏は元々現在の秋田県仙北を拠点としていた武将だが、秋田で勢力争いした武将の中で大名として秋田に留まったまま幕末を迎えられたのは六郷氏だけだったという。
 戊辰戦争で六郷氏は官軍側に属した事から、奥羽越列藩同盟側に立った鶴岡藩勢に攻められ、最後の城主の六郷政鑑は城に火を掛け逃亡した。
 1869年、版籍奉還に伴い廃城となった。
 城跡は政鑑に払い下げられ、六郷氏が管理していたが、1935年に政鑑の孫の政貞が財政難を理由に城跡を他者に売り渡してしまう。
 当時の町長だった齋藤弥太郎は、「町の中心の大事な史跡を本荘町民の元に」と私財を投じて買い戻し、1940年に本荘町に寄付する。
 これにより、城跡は公園として整備される事となった。
城の保存に奔走した弥太郎翁の偉業を讃え、二の丸跡には胸像が建てられた。
 現在、土塁や濠が残り、三の丸跡には模擬城門が築かれている。本丸跡は神社の境内となっている。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.5
人混みの少なさ:
4.5
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2024/04/08

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