岐阜市の城
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- 旅行時期:2022/10(約2年前)
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by taktak99さん(男性)
岐阜市 クチコミ:41件
加納城は、徳川家康の命により築かれた平城。
関ヶ原合戦後、それまで岐阜城を本拠地にしていた織田秀信(信長の孫)が、西軍に与していた為追放され、城は破却された。城下町は「岐阜」から「加納」に改名される。1602年から、岐阜城の代わりとなるべく加納城の築城が開始される。縄張は家康が自ら行ったとされ、普請には近隣の大名を動員した。建材は主に岐阜城のが用いられた。天守代用の二ノ丸御三階櫓は、岐阜城天守の部材をに転用したものだったという。
天下普請とあって、本丸・二ノ丸は築城開始から僅か2ヶ月足らずで完成。家康の義理の息子である奥平氏が入城する。
これにより、美濃の中心は岐阜から加納へと完全に移行する。
加納城主は奥平氏、戸田氏、安藤氏、と交代し、永井氏の代で明治を迎えた。
1871年の廃藩置県によって加納県の県庁が置かれるものの、直後に岐阜県と合併。
現在、「加納」は岐阜市内の一地名として残るに過ぎない。
徳川幕府によって優遇されてきた「加納」の地名が明治時代に入ると共に没落し、250年間に亘って冷遇されていた「岐阜」の地名が復活を果たし、それに伴って城も立場が逆転したのは、皮肉である。
現在、本丸は加納公園として整備されているが、それを囲む二の丸・三の丸は市街地と化し、面影は無い。
岐阜市は「我が市にはお城が2つもあります!」と岐阜城・加納城の双方をアピールすべきなのに、何故か岐阜城の方しか推さないのは残念。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2024/04/08
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