本荘城跡
名所・史跡
3.27
クチコミ・評判
1~3件(全3件中)
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本荘藩の城
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
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本荘城は、本荘藩の藩庁が置かれていた城。
慶長出羽合戦により由利郡を手に入れた山形城主最上義光は、1603年に重臣の... 続きを読む楯岡満茂を4万5000石で入封させた。
満茂は当初赤尾津城を居城としたものの、不便だった為1613年に尾崎山に本城城を築き居城とした。
1622年に最上氏が改易されると、満茂も由利郡を去る。
代わりに5万5000石で初代将軍徳川家康の側近であった本多正純が宇都宮15万石より移封するが、2代将軍秀忠の側近らとの権力闘争に敗れた末での移封とあって、直後に改易され、久保田藩の佐竹氏預かりとなる。
城も、幕府の命により破却された。
1623年、六郷政乗が2万2000石で入封。城を石高に合わせ縮小して修復し、城下町も築いた。
政乗の跡を継いだ政勝の代に、本城は本荘と改名された。
以後明治維新まで六郷氏11代の居城となった。
六郷氏は元々現在の秋田県仙北を拠点としていた武将だが、秋田で勢力争いした武将の中で大名として秋田に留まったまま幕末を迎えられたのは六郷氏だけだったという。
戊辰戦争で六郷氏は官軍側に属した事から、奥羽越列藩同盟側に立った鶴岡藩勢に攻められ、最後の城主の六郷政鑑は城に火を掛け逃亡した。
1869年、版籍奉還に伴い廃城となった。
城跡は政鑑に払い下げられ、六郷氏が管理していたが、1935年に政鑑の孫の政貞が財政難を理由に城跡を他者に売り渡してしまう。
当時の町長だった齋藤弥太郎は、「町の中心の大事な史跡を本荘町民の元に」と私財を投じて買い戻し、1940年に本荘町に寄付する。
これにより、城跡は公園として整備される事となった。
城の保存に奔走した弥太郎翁の偉業を讃え、二の丸跡には胸像が建てられた。
現在、土塁や濠が残り、三の丸跡には模擬城門が築かれている。本丸跡は神社の境内となっている。 閉じる投稿日:2024/04/08
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お城というよりは、今では地形などの城跡を楽しむ
- 3.5
- 旅行時期:2021/07(約4年前)
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羽後本荘駅から徒歩10分ちょっと(1km弱)のところに本荘公園としてあります。
標高30m弱の小高い丘で、城跡に登ると由... 続きを読む利本荘の市街地の見晴らしが良いですが、平城なので城の手前まで、羽後本荘駅から平坦な道で訪れることができます。
なお、建物は天守閣など当時のものが残っている訳ではなく、城門などその後再建されたものがちょこっとあるのみ。
公園内の修身館を訪れると城の再現模型などを見ることができます。
段々の地形が当時の城の造りを感じさせ、城マニアの人には楽しめると思いますが、道が整備されているとはいえ、高齢の方には上まで登るのは骨が折れるかも。
また、頂上に登っても、本荘城というよりは本荘神社と由利招魂社のある丘の公園という印象で、お城については、修身館の模型や一部の再現建物、曲輪・土塁跡の地形などを楽しむくらいでした。 閉じる投稿日:2022/06/20
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現存の遺構はあまりありません
- 3.5
- 旅行時期:2013/12(約12年前)
- 0
1件目~3件目を表示(全3件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
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