たびたびさんへのコメント一覧全745件
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いつもありがとうございます(^^)
今回も当方の拙い旅行記をご覧いただき、そのうえ「いいね」までくださりありがとうございました。
ここのところタイばかりで、久しぶりにバンコク以外の東南アジアに行きました。
暮らしぶりが大きく変わっていない人も多いのでしょうが、それでも30年前には無かったのものがたくさん増え、特にパサイ地区のショッピングモールには驚いてしまいました。
やはりどんなものでも自分の目で見るのは刺激的です(^^)
これからもよろしくお願いします。
そして、これからもどうぞ良いご旅行を♪♪2024年06月23日21時31分返信する -
三木清の”読書と人生”が大好きです!
たびたびさんへ
「たつの」と聞いて、
三木清の出身地では??
と思いきや、やはりそうでしたね。
”人生論ノート”は20代後半の頃、勢いで、なんとか最後まで読みましたが、
最初から最後まで、なんのこっちゃらさっぱりわからず。
師匠の西田幾多郎の”善の研究”に至っては、1行目から歯が立たず。
でも、”読書と人生”はすっごくいいんですよ!!
エッセイ集なんです。
戦時下で、哲学を発表出来るような状況ではなかったから。
子供の頃からの読書遍歴や師・西田幾多郎のことなど。
三木清が学生時代・当時の京大文学部には、西田幾多郎・内藤湖南など、
教科書に載るような学者が目白押しで、
(わぁ~・・キラキラ星みたい~・・)
まさに、キラキラ星の如く、日本を代表する学者が一堂に集まっていたなんて、
なんて素晴らしいことなんでしょう!!!
まぁ、うふふ♪♪には京大や東大に行く頭は微塵も持っていないのですが💧
(三木清は一高→京大です。)
多分、三木本人が、懐かしさを込めて書いているのもあるのでしょうね。
読んでいると、なんだかしみじみと温かい気持ちになるんです。
解説に「この本には学問と青春の空気がいっぱいに詰まっていた」
とありますが、本当にそのとおりなんです!!
(解説者がこの本を読んだのは昭和18年頃。
既に、京大哲学科に入学が決まっていたけれど、
学徒出陣も世間では、決まりかけていた頃だったとか。
<死ぬまでに、三木さんのように学問の雰囲気を味わいたい。>
と思ったそうです。)
すっごくいいんですけど、もう絶版かなぁ・・
”人生論ノート”は少し前、年齢を経たからわかる部分もあるかな??
と思って、開いてみましたが、
もう1ページ目からさっぱりわからない。
あ、でもたびたびさんなら大丈夫かも。
これだけ、詳細な旅行記書かれて、
たくさんの知識のある方だったら、大丈夫かな。
と、滅多に話題に出来ない三木清が出て来たので、
白熱してしまいました(笑)。
失礼致しました。
うふふ♪♪RE: 三木清の”読書と人生”が大好きです!
人生論ノートを読み始めました。
死について、幸福について、懐疑について、習慣についてと続きますが、
死について
死の恐怖が薄らいでいくというのは自分の感覚。それを論理的に解釈しようとしていますが、実はそれには輪廻の考え方とか知らず知らず日本人が受け継いできたものが混じっていて、三木清はそれに気が付いていないように思えます。一方で、西洋の哲学や宗教を形作ってきた死に対する考え方を語っていますが、その二つのことをそれぞれ別々に勝手に展開しているので、まとまりがない。自分の感覚を理解してくれといいたいのか、西洋の考え方を紹介したいのかどっちなんだ?という感じ。乱暴ですが、三木清は日本や東洋の死生観について理解が浅いというのが印象ですね。インド哲学の系譜くらいから論じてくれたら、評価しますけどね。
幸福について
これも切り込みが足りないなあ。幸福を抜きにして倫理学、心理学は成り立たないとか。それはいいけど、幸福とは何かのことをまず整理しないと。なのに、幸福は人格であるのひとこと。それって、自分が自分であることというくらいの意味でしょうが、それで終わりか?みたいながっかり感。自分が自分であると考える場合、自分がどうありたいと考えるのかの自分観が重要ですね。それは歴史や文化が反映された死生観とも関係して、ここから突っ込まないと!くらいのテーマでしょ。言葉は簡潔ですが、思想的な深みがあまり伴っていないような気がします。この辺りで、昭和初期の一世を風靡した思想家はこんなにもレベルが低いのかと驚きました。
ところで、夏目漱石の草枕の中で展開される美術論とか人間論とかだとその卓越した解釈には瞠目するしかない。明治の人間がこんなにすごかったのにいったいどうしちゃったんでしょうか。限られた西洋の知識に埋もれて、自分がよってたつものが何だか分からなくなっているような印象。懐疑や習慣になってくるとテーマが小さくなってくるので、それなりにまとまっていますが、それでも別に普通のことを言っているだけで、今の感覚でいえば常識のレベル。偉そうに語る内容ではないと思いますけどね。ただ、まだ読み始めたところですが、これを読んで、夏目漱石の偉大さがまたよく分かったのは収穫と言えば収穫だったかもしれません。
ということで、うふふさんが読んでも分からなかったというのは、むしろ私もそうでしたよと言いたい。それが普通。まったく、気にすることはないと思います。
たびたび2024年06月21日17時28分 返信する凄いです・・さすがたびたびさん・・・
> 人生論ノートを読み始めました。
> 死について、幸福について、懐疑について、習慣についてと続きますが、
>
> 死について
> 幸福について
凄いですね・・・
日本人の仏教の死生観と西洋の死生観を合わせて、
その面から考えられて・・
うふふ♪♪には、何言ってんだか、本当にさっぱりわからなくて。
こんな風に分析出来るたびたびさんは凄いお方ですね・・・
幸福についても同じく。
こんなご自身の解釈が出来るとは・・
凄過ぎます・・・
> ところで、夏目漱石の草枕の中で展開される美術論とか人間論とかだとその卓越した解釈には瞠目するしかない。
うーん・・
漱石は、一番好きな作家ですが(一応)、
あぁ・・”草枕”。
これ、読み流しただけなんで💧
でも、あの有名な冒頭は凄いですよね。
あまりにも簡潔に纏まっていて、唖然。
漱石の偉大さはわかってはいませんが、
とにかく「こころ」が好きで。
好きで、好きで、好きで、好きで。
と司馬遼太郎好きの知人に熱く語っていたら、
知人が「こころ」読んでくれたんですよ。
どんな感想が来るのかな??とワクワクしながら、待っていたら、
「あのな・・最後の”先生と遺書”ってあるやん(知人)」
「うん(ワクワクしっ放しのうふふ♪♪)」
「あれ、物凄く長いけど・・封筒に入らへんと思うねん(知人)」
<絶句・うふふ♪♪>
知人続けて曰く「巻紙じゃないと無理やと思うねんけど・・(まだ色々言ってる)」
いやぁ、ビックリしました。
確かに封筒には入らないだろうけど、
本文に一応、折り畳んだ手紙を開く描写があるんですよね。
だから、封書です。
・・・・・
と言うか、これ小説やし!
そんなところに、リアリティ求めなくても!!!
まぁ・・以前入っていた”趣味の会(の知人でした)”には、
こんな変な人がいっぱい居ました・・・
もう・・
絶句するしかなく・・・
> ということで、うふふさんが読んでも分からなかったというのは、むしろ私もそうでしたよと言いたい。それが普通。まったく、気にすることはないと思います。
>
>
> たびたび
そうでしょうか・・・
うふふ♪♪はたびたびさんのような素晴らしい考察など、
欠片も出て来ませんでしたが・・
うーん・・
三木清はレベルが低いのでしょうか・・・(ちょっとがっかり・苦笑☆)
でも、いいんです。
”読書と人生”が大好きなので、
三木清はいつまでもうふふ♪♪の心の中では燦然と輝いていることでしょう!
たびたびさんは本当に凄い方ですね・・・
驚きました・・・
1つ、ほっとしたのは、
”読書と人生”のなかで、三木清は「西田先生の本は難しい」と書いています。
そっかぁ・・
教科書に載るような(一応)日本を代表する哲学者が、
「難しい」んだから、うふふ♪♪ごときに分かる訳無いなぁ〜・・・
と。
(でも、じゃあ西田哲学って誰ならわかるんでしょうか??💧)
たびたびさんの深い洞察力に心から敬意を表します。
素晴らしい!!
うふふ♪♪2024年06月21日22時45分 返信するRE: 凄いです・・さすがたびたびさん・・・
最後まで読みましたよ。
感想としては、特に変わりなし。それぞれのテーマを丁寧に整理してはいるのですが、それなりに共感するところはあっても深く共感する部分は少ないですね。例えば旅についても、なんかな〜。最後の結論はとってもいいんですが、そこまで述べてきた大部分の内容からはつながらないのでは?突然とってつけたようなことになっていて、この人本当に分かっているのかなあという懐疑的な気持ちが湧いてきます。
とはいえ、人は聞きたいことを聞き、見たいものを見る。三木清は私にとってはそういう対象ではなかったということなんでしょう。私はもっと楽しい本を読みたいですね。夏目漱石の「心」とかが気になってきました。
たびたび2024年06月25日17時15分 返信する -
さすが・・・たびたびさん・・凄過ぎます・・・
たびたびさんへ
こんばんは。
うふふ♪♪です。
大坂は結構な雨ですが、そちらは如何ですか??
たびたびさんの旅行記が、
びっくりするほど詳細で、地元の人も知らないようなことまで書かれていて、
なおかつ、信じられないほどの健脚で、
物凄く大量に廻られるのが毎回であることは、重々存じていましたが、
が、
地元なだけにもうビックリ。
今津から甲子園、尼崎寄って、中ノ島行って、東大阪から瓢箪山って・・・
絶対に、地元民でも、そんなたくさん廻ることしません。
うふふ♪♪が病弱だというのもありますが、
元気だった20代の頃でも、
東大阪辺りで、へたり込んでいて、
いや、その前に、尼崎辺りで、「も、もう・・歩けない・・」
となっていたに違いありません・・・
凄いです!!!
ところで、中ノ島美術館のネコにはそういう意味合いがあったのですね。
うふふ♪♪は近現代の美術が苦手なので、
3月だっけかな?2月だったかな??
福田平八郎展に行ったとき、
あのネコを見て「ギャー!」と叫びそうでした(苦笑)☆☆
うふふ♪♪の目には、すっごく”怖いもの”に見えるんです。
感性の無い奴・・とお笑い下さいませ(笑)☆
いや、もう、今回の旅行記、読みながら、
ずうっとビックリしっぱなしでしたよ。
甲子園にそんな展示があるとは知りませんでした。
野球にはあまり詳しくないうふふ♪♪ですが
(球技が苦手なのがトラウマで・・💧)、
この展示の充実さには驚きです。見てみたいかも。
大阪に住んでいると、
周囲の殆ど全てが阪神ファンです。
しかも”虎キチ”と呼ばれる熱血ファンもたくさん。
子供の頃から、そういう人たちに囲まれていると、
ふつーは染まるのかなぁ・・
うふふ♪♪は段々、阪神ファンが苦手になっていきました・・・
いや、大阪で、それは公言出来ないのですが!
今年の2月、札幌のバーで、
以前、大阪・北摂に住んでいたという方が、
「阪神ファンって、絶対、阪神を応援していないですよネ!」と仰るので、
「そうですよ。
あの人たちは、甲子園で
『おらぁ~!いてまぇ~!』『何やっとるんじゃ、ボケェ!!』
って言って、日頃のうさを晴らしているんですよ。」
と、ついつい、
大阪人・超下品バージョンを口にしてしまい、
アッと思ったときには、もう遅い・・・💧
ほんとのところはどうなんでしょうね。
私も応援よりも憂さ晴らしに見えてしまうのですが。
長々失礼致しました。
うふふ♪♪の新年旅行記をご訪問下さって、ありがとうございます!
うふふ♪♪RE: さすが・・・たびたびさん・・凄過ぎます・・・
久しぶりのうふふ♪♪さんのコメントにちょっと圧倒されてしましたが、
ご指摘の通り、この日はかなり無理をしたコース。でも、こうしたことを避けていると、往々にしてなかなか行きたいところにも行けずじまいになってしまうので、仕方がないんですよね。実際は、足はマメだらけだし、足を引きずりながら歩いていて、みじめなもの。どうしてもっと楽しい旅ができないのかなあといつも苦しい思いをしています。ただ、そうした甲斐もあって、最近、自分の思うことが割と素直に書けるようになった気がしています。いろんな知識や情報がうまくつながってきたからかなと思います。
ところで、
阪神ファンが日頃のうさを晴らしているだけというご意見ですが、言動からすると確かに否めないかもしれないですね。ただ、少しあるとすれば関西人の「ボケと突っ込み」の関係かも。関西人は生まれた時からボケと突っ込みの世界で生きていくことになって、極端な話、そのどちらで生きるかの選択を迫られます。そうやって、ボケならボケ。突っ込みなら突っ込みの芸を極めていくんですね。いい悪いは別としてそういう構図をこれに当てはめると阪神が負けたことはボケですから、ボケには突っ込まないとキャッチボールは完成しません。どんな負け方かはどんなボケだったかということですから、突っ込みはそれに応じた中身が必要であって、そこで自分の突っ込みの芸を示すことになります。ひどいバッシングに見えてもそれは、どこかで突っ込みの芸を示せたことに一人ご満悦になっているのかもしれませんね。とにかくボケには突っ込み。そうじゃないと関西人は完結しない。そんな感覚もあるのではないでしょうか。
ちなみに、今の私はカープのファンですが、流行りは「いじる」です。新井監督が、野間や末包、矢野をいじる。愛あるいじりでやる気を出させていて、それをファンも一緒になって楽しんでいます。いじられキャラをちゃんと見抜いているのもあるんですが、いじられている方はけっこう喜んでいるし、期待の現われですからかなり嬉しいんじゃないかとみています。末包は「つかんだ」と言ってましたから。「今日は打ちます」と言ってましたから。本人は全然そんなこと言ってないんですけど、しかし、本当にホームランを打った時、そういういじりをされるとまんざらでもない。またやってやるとやる気を出していると思いますが、どうでしょうね。
最後になりましたが、いいねをたくさんいただき、ありがとうございました。また、励みにして頑張りたいと思います。
たびたび
2024年06月18日23時39分 返信する -
黒崎の祇園山笠は神出鬼没
たびたびさん、こんにちは。
黒崎の祇園山笠の旅行記、懐かしく拝見しました。
私、以前に北九州に住んでいて、黒崎の祇園山笠も見に行きました。
小倉の祇園太鼓は巡行のルートが決まっていたようですが、黒崎の祇園山笠はどこに来るかわからず、それがかえって楽しかったです。
私が道のは今から10年前。そのころ小学生だった子供たちも今では山を曳いているのでしょうね。
http://kuwa72.cocolog-nifty.com/blog/2015/07/post-bfd1.html
戸畑の祇園祭にも行かれたのでしょうか。
九州北部は唐津くんちやら祭りが楽しかったです。
くわRe: 黒崎の祇園山笠は神出鬼没
くわさんのブログでしょうか。迫力のある写真が撮れていてすごいですね。
ただ、間近で見ていても山笠は動きが激しいので、印象としては、この電飾だと大きな光の塊りみたいに見えるだけ。
山形の新庄祭りなんかだと曳き山の美しさを強調するためのライトアップ。コンセプトの違いなので仕方ないですが、せっかく丁寧に造り込んでいるのにやっぱりちょっともったいないようにも感じました。
https://4travel.jp/travelogue/11533835
たびたび2024年06月13日21時20分 返信する -
司馬遼太郎の神話
おはようございます。龍馬に関しては、司馬さんの龍馬像は作り上げたものと評価する人は少なからずいますね。GWに函館に行きましたが、土方歳三についてもフィクションの要素は多いかもしれません。RE: 司馬遼太郎の神話
神話をフィクションと捉えると司馬遼太郎はちょっと違うかもしれませんね。ただ、膨大な事実を積み上げた後にそれはこういう意味であると言われてしまうとなかなか反論が出来なくなる。事実の解釈は自由であってしかるべきなのに、その事実があまりにも膨大なので司馬の解釈にがんじがらめに縛られてしまうんですね。司馬遼太郎はそんな気はないんでしょうが、そこは我々ががんばらないといけない領域でしょう。
対して、フィクションをフィクションとして広く世に受け入れられているのは、吉川英治。宮本武蔵と佐々木小次郎なんかほとんど吉川英治の創作ですが、それを分かって世の中が受け入れているのがすごいところです。新平家物語の清盛なんかもそうかな。吉川英治も司馬遼太郎にも負けない巨人ですね。
ちなみに、私にとっては旅と文学も意外に面白い関係。本だけではだめだし、旅だけでもダメ。いろんな相乗効果があるように思います。
たびたび2024年05月15日11時18分 返信する