2024/02/04 - 2024/02/04
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たびたびさん
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この旅行記スケジュールを元に
今日は、一日目の長岡京の周辺に続いて、二つ目のもやもやエリア、伏見を歩きます。伏見稲荷や黄桜カッパカントリー、寺田屋とか個別にはもう十分回っているのですが、伏見ってなんかいつまで経っても回り切れた感がしないんですよね。京都のようで京都ではない。京都とは異なる歴史がある地域なのですが、さりとて伏見の歴史はこれという積極的なまとまりがあるわけでもないですしね。
少し、その辺りを補足すると。。伏見が伏見区として京都に編入されたのは昭和6年のこと。京都にある11の区の中で一番大きな区となりました。区内を通る鉄道だと京阪本線が一番メジャーですが、近鉄京都線、JR奈良線も通っていて、醍醐寺の方だと地下鉄東西線になりますね。それらを概括すると京阪本線の丹波橋駅から中書島駅の間辺りがまあまあ伏見の中心ということにはなるのですが、伏見稲荷の辺りも伏見の本家的なイメージが強いですから、そこはちょっと紛らわしいところです。逆に、醍醐寺の辺りは伏見区ではあっても、山科とのつながりが深くて、伏見というイメージは薄いですね。それから、鳥羽離宮の関係、城南宮のある竹田の周辺も伏見区ではあるのですが、これはむしろ京都の保守本流。あまりにも京都の歴史に深く関わっていて、とても伏見の枠組みで語ることはできません。地域的に少し色分けするとこんな感じ。つまり、大きな伏見と小さな伏見があって、一般的には小さな伏見である伏見稲荷と丹波橋~中書島を歩けば伏見観光はほぼ達成できるという感覚かと思います。
次に、歴史的な視点で整理すると、ハイライトとなるのは以下のようなところかな。
・豊臣秀吉の築いた伏見城の時代。
秀吉は、秀次に関白職と聚楽第を譲ると隠居所として伏見城を築きます。しかし、秀吉の本城としての性格も強まり、城下町の整備が本格化。ここで伏見は城下町として様相が一変することになります。なお、最初に築いた伏見城が地震で崩壊し、建て替えという予定外はありましたが、秀吉はこの城で最期を迎える。その後、秀吉の遺言で秀頼は大阪城に移り、徳川家康が伏見城に入りますが、家康もほどなく大阪城西の丸に移り、実権を握っていくという流れですね。そして、関ヶ原の戦いの前哨戦、伏見城の戦いで徹底抗戦した鳥居元忠も新しい時代を開いた象徴のひとつかと思います。
・角倉了以が京都と伏見を結ぶ高瀬川を開削した以降の時代。
江戸期に入ると、秀吉の遺産、伏見の城下町には伏見奉行所が置かれ、銀座が設けられたのも自然なこと。あの小堀遠州が伏見奉行を勤めているのをもってしても徳川幕府が伏見の街の価値を高く評価していたことが窺えると思います。
京都から大阪へは、伏見街道から京街道(大坂街道)。京都・大坂間には、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の四つの宿場がありましたが、高瀬川は慶長19年(1614年)に完成。伏見は宿場町として人の往来を支えるとともに、舟運という物資の輸送でも特別の地位があったことを理解する必要がありますね。灘と並ぶ酒の街としての繁栄にも、この舟運は大いに関係しているところかと思います。現代に至っても伏見の酒は、月桂冠や松竹梅、黄桜とか、やっぱりメジャー。石原裕次郎を使ったCMの挿入歌「喜びの酒 松竹梅」も一世を風靡した感がありますね。
・幕末、維新の志士の活躍から、鳥羽伏見の戦いに至る時代。
京都は公家の街。徳川幕府は、藩邸を京都に置くことは禁じていましたから、京都の情勢を知るために各藩が藩邸を置いたのは伏見でした。薩摩藩も長州藩も土佐藩もここに藩邸がありました。京都市内にも藩邸跡はありますが、幕府の統制がガタガタになった以降のものです。こうした藩邸を足掛かりに維新の志士たちが暗躍するのですが、薩摩藩の上意討ちの寺田屋事件、坂本龍馬が危うく逃れた寺田屋遭難の寺田屋もその象徴ですね。池田屋事件、近江屋事件は京都の中心部ですが、それは維新の志士たちがだんだん大胆になって京都の中心部でも動き回っていったということかとも思います。
そして、最終的には鳥羽伏見の戦いへ。御香宮神社に陣取った薩摩藩から伏見奉行所や会津藩の駐屯地に大砲が撃ち込まれ、激しい市街戦も。幕府軍は3倍の兵力がありましたが、倒幕の密勅を得ていた新政府軍への寝返りも続出。幕府軍は大敗し、その後の戊辰戦争へと進んで行く。鳥羽伏見の戦いはまさに歴史の転換点となりました。前線では西郷隆盛の率いる薩摩藩を中心にして、長州藩だと山形有朋、土佐藩だと板垣退助とかの顔ぶれもあって、後の活躍にもつながる箔が付いたような。功山寺の挙兵にいち早く駆け付けた伊藤博文みたいな心境だったかもしれません。ただ、全体を仕組んだのは、大久保利通であり岩倉具視。普通だと勝てるはずのない相手だし、内戦は諸外国列強のことを考えると危険すぎる賭け。開戦の決断は、功山寺の挙兵の高杉晋作にも匹敵するものであり、態度が煮え切らない慶喜の方がはるかに常識があったようにも思えます。余談ですが、この時、要衝山崎にあった津藩の藤堂家。朝廷からの催促で幕府を裏切りますが、その行為は犬侍と言われる無残な評価。今でも地元ではその誹りはぬぐい切れてないのですが、私もけっこう同感かな。淀城にあった稲葉家も情けないし、戦いはいろんな物語を生んでいます。
ちょっと長くなりましたが、こうして小さな伏見に限っても、その姿はモザイク的なもの。もうちょっとまとまってくるのか、そのままなのか。結局、その辺りがもやもやの元。改めて久しぶりに散策して、確かめたいなと思います。
<過去の伏見の旅行記>
https://4travel.jp/travelogue/11818767
https://4travel.jp/travelogue/10938619
https://4travel.jp/travelogue/10842203
https://4travel.jp/travelogue/10833096
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今日からは妹も一緒になって、あと三日。天気はだんだん下り坂みたいなんですけどね~
では、伏見の前に京都市内で朝飯から。
ロリマー京都は、京阪五条駅からすぐ。 -
基本はカフェなんですが、
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イチオシ
ちょっと評判の純和風の朝食をいただきました。
醤油漬けの焼き魚とか切り干し大根、野菜の酢漬け、プリンみたいなねっちょり玉子焼きとか。なかなか手のこんだ内容だし、朝と昼は同じ内容というのも好感が持てました。若いご主人ががんばってます。 -
清水五条駅から伏見稲荷駅に到着。まずは伏見稲荷の辺りを歩きます。
伏見稲荷大社 寺・神社・教会
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稲荷山も元気があれば登ってみたいんですが、そこまで元気があるかなあ。
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楼門から
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外拝殿から
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本殿辺りなら全然大丈夫なんですけどね。
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荷田春満旧宅は、東丸神社の西隣。門は固く閉まっていますが、詳しい説明板がありました。
ちなみに、荷田春満は伏見稲荷の神官、荷田家に生まれたものの、神職は継承せず、古典研究に傾注した国学者。賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤と並ぶ国学四大人のひとりとされますが、賀茂真淵は荷田春満に学び、本居宣長は賀茂真淵に影響を受ける。平田篤胤はさらに後の時代という関係であり、万葉集、古事記、日本書紀の研究の基礎を築いた大御所です。旧宅は、書院と門などが残っていて、国指定史跡となっています。門は固く閉まっていますが by たびたびさん荷田春満旧宅 寺・神社・教会
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では、千本鳥居の方へ。
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あれ、こんなに行くんだったかなと思いつつ。。
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これこれ。これですよね。
伏見稲荷大社の千本鳥居は、今ではすっかり伏見稲荷のシンボルですが、実は江戸時代以降の歴史。 -
イチオシ
願いごとが通るように、通ったお礼にということで鳥居の奉納が行われるようになったものです。
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千本鳥居の中に入ると、延々と続く朱色の世界。最初の頃の太い柱の鳥居からだんだん細くなって、
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ここで二つに分かれます。
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そして、そこから先の落ち着いた朱色が私的には一番いいような気がします。
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千本鳥居はまだまだ続くのですが、ここからちょっと脇道に入って
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山の方にしばらく上っていった先の伏見神宝神社へ。
人の流れからするとちょっと外れなのですが by たびたびさん伏見神宝神社 寺・神社・教会
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アマテラスオオミカミを祀り、稲荷大神を配祠する神社。かつては稲荷の山上に祀られていたとか。人の流れからするとちょっと外れなのですが、それでもポツポツ参詣者がやってきて、今でも根強い人気があるようです。
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さらに先の方に向かいますと
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なにかなあ。
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わけが分からない白水大神とか白龍大神とかの名前。
後で調べると、伏見稲荷の龍神のようでした。
ただ、ここから先も展望が開けそうにないので、また元に戻って -
改めて、荒木神社を目指します。
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こっちの道はまともそうですね。
周囲が見渡せるので稲荷山に向かって登っていくという感じがはっきりしていて、千本鳥居とはまた違った感慨がありますね。 -
最後の坂を上って荒木神社に到着です。
京都御所より移築した社殿と拝殿 by たびたびさん荒木神社 寺・神社・教会
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この道は、この先もさらに続いていて、稲荷山の山頂に向かって登っていくいくつかのルートの一つ、三ツ辻を目指すルートなんですね。
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神社は、明治時代初期の建立。京都御所より移築した社殿と拝殿で、荒木大神・白砂大神・荒玉大神の三柱の神様を祀ります。トイレとかもきれいに整備されていました。
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改めて、近くにあった地図を確認。
ところで、稲荷山は、伏見稲荷の背後の山ですが、合わせて東山三十六峰の最南端に位置する標高233mの山でもある。いわゆる京都一周トレイルの起点でもあります。
山頂へは伏見稲荷の千本鳥居を抜けて行くルートや伏見神宝神社から行くルートもなくはないですが、荒木神社から向かうのが一番分かりやすいのかな。ただ、いずれにしても山頂まではとても遠いのでそこまで行くのは覚悟が必要なことがよく分かる。始めの軽い気持ちは、ここで吹っ飛びました。 -
ということで、伏見稲荷はこれでおしまい。
改めて伏見稲荷の南側。藤森駅までの範囲を歩きます。
瑞光寺は、明暦元年(1655年)創建の日蓮宗の寺。もとは彦根藩士であった元政上人がここに庵を結んだのが始まりです。 -
国指定重要文化財の南蛮人蒔絵交椅、長屋王願経というものを有しているようですが、
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目立つのはこの藁ぶきの本堂。
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本堂前の池のある日本庭園と合わせて、寺というよりもともとの庵の雰囲気が強いです。
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嘉祥寺は、嘉祥4年(851年)の創建。文徳天皇が先帝、仁明天皇の菩提を弔うためにその陵の傍らに清涼殿の建物を移して寺としたのが始まり。寺の名前はその時の年号です。
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江戸期に再興され、日本最初の歓喜天といわれる石碑が表参道に建っているのは見どころの一つ。総欅造りの本堂もしっかりした構えです。
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イチオシ
真宗院は、宝治年間(1247-1249年)北朝で持明院統の祖である後深草天皇の帰依を受けて円空が創建した浄土宗の寺。後深草天皇はここの法華堂に遺骨を安置され、それが十二帝陵の最初とも。
入り口山門の構えがとても立派で目を引きますが、 -
奥に進むにつれてちょっと荒れた感じになるのが残念なところ。
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大正期に再建された本堂もイマイチかなと思います。
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そして、これが深草十二帝陵。
後深草天皇、伏見天皇、後伏見天皇、後光厳天皇、後円融天皇、後小松天皇、称光天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇、正親町天皇、後陽成天皇という鎌倉時代から室町時代にかけての持明院統の歴代12人の天皇が眠る陵です。いろんな歴史も乗り越えての陵だと思います by たびたびさん深草十二帝陵 名所・史跡
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イチオシ
ただ、細かく言うと、後光厳天皇、後円融天皇は北朝の天皇であり、正式な天皇ではありません。
ちなみに、89代天皇、後深草天皇が北朝である持明院統の初代。90代天皇、亀山天皇が大覚寺統の初代です。その後、南北朝と言われるのは、96代天皇、後醍醐天皇に対抗して足利尊氏が北朝1代目となる光厳天皇を擁立した建武3年(1336年)から北朝6代目の後小松天皇が100代天皇となって南北朝が合一されるまでの57年間。静かな佇まいですが、いろんな歴史も乗り越えての陵だと思います。
ついでに付け加えると、亀山天皇の亀山陵は天龍寺の境内のよう。ただ、亀山天皇と言えば南禅寺だし、その知名度も後深草天皇とは比較になりませんね。 -
藤森駅に向かう途中のカトリック伏見教会は、本町通沿い。昭和26年、アメリカ人神父 ウィリアム・ニーリーの設計というのですが、クリーム色の色調に四角いと塔屋と丸窓の建物のバランスがとてもいいモダンな教会ですね。
細かい部分の意匠もおしゃれで、しばらく眺めていても飽きがこないような気がします。 -
藤森駅から伏見桃山駅に移動して、ここから乃木神社を訪ねます。
この大きな赤い鳥居は御香宮神社の鳥居。この辺りだとやっぱり、御香宮神社が街の中心です。 -
だらだらと坂道を上っていきますが、
桃山基督教会は、御香宮神社のまだ少し手前。 -
昭和11年に建てられた建物は、周囲との調和を考えた和風の木造建築。白い塀の奥に建っていて学校の校舎に近いかなというような印象もあるかな。普通の教会のイメージとはちょっと違います。
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これも同じ通りにある黒田節発祥の地の駒札です。
あの「酒は飲め飲め飲むならば~ 日の本一のこの槍を~ 飲みとる程に飲むならば~ これぞ誠の黒田武士」の黒田節ですが、その発端となったのは伏見の城下町にあった福島正則の屋敷で開かれた酒宴なのだとか。伏見と黒田節がこんなところでつながっていたんですね。
駒札には詳しい解説がありました。 -
では、御香宮神社の方に入って
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ちょこっと桃山天満宮へ。この天満宮は、独立した境内ではなくて、こうして御香宮神社の境内の一部。御香宮神社の本殿に向かう参道の右手にあって、あまり目立ってはいませんね。
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現在の場所に社殿が建てられたのは、天保12年(1841年)。気が付かずにスルーする人も少なくないと思います。
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乃木神社は、坂道をどんどん上って行って、けっこう遠いですね~
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名前の通り、ここは乃木希典とその妻、乃木静子を祀る神社。
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乃木の殉死に強い衝撃と感銘を受けた鹿児島県出身の衆議院議員、村野山人が個人の財産を全て捧げて創建したのだとか。
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なんで伏見に?という感じもしなくはないですが、つまり、ここは明治天皇の陵、伏見桃山陵の麓。実は、場所もこれ以上なく相応しいんですね。
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境内には長府乃木邸も移築されていたり
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記念館には
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乃木希典の生涯を紹介する絵があったり。
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イチオシ
明治の匂いがぷんぷんといった感じです。
司馬遼太郎は、203高地を巡る戦闘で、情の乃木希典に対し、冷静な判断をして局面を打開した児玉源太郎を高く評価していますが、こうして祀られる対象としてみるとやはり乃木希典の方が遥かに相応しい。殉死は別として、この高潔な精神は今でも何か学ぶべきものがあるような気がします。
それと蛇足ですが、京都に都を移した桓武天皇の陵も伏見。東京に遷都した明治天皇の陵も伏見。ちょっと共通点がある二人の天皇の陵はさほど離れていなくて、なにか偶然ではないものも感じるのですが、いかがでしょうか。 -
そして、昼飯は、以前からいつか行きたいものだと楽しみにしていた魚三楼です。
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創業は、明和元年(1764年)。
店構えからしても伏見では一番の料理屋さんではないかと思います。 -
このお庭の見える悠々とした広間で花籠御膳をいただきます。
個室を頼んだわけではないですが、実質個室ですね。 -
イチオシ
料理が運ばれてきましたが、
料理を盛った鉢がけっこう大きくて、ちょっと前時代的なのが面白いですね。 -
お味の方はまあまあかな。
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昔ながらの味を守っていますという感じです。
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ちなみに、記録がないのでそういうアピールはしていませんが、創業の年からして、もしかしたら坂本龍馬や西郷隆盛も来たことがあるかもしれないし、来ていたとしても全然おかしくないですよね。そんな話をしたら、ちょっと苦笑いをされてしまいましたが、想像力を働かせるといろんな楽しみ方ができるお店だと思います。
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では、再び近場の散策。
伏見銀座跡は、大手筋商店街の東側。
石柱と詳しい説明書があって、「これより北方の銀座町は江戸時代のはじめ、徳川家康によってはじめて銀座がおかれたところである」とありました。慶長6年(1601年)家康は後藤庄右衛門、末吉勘兵衛に銀座取立を命じ、この地に四町の屋敷を与えたそうです。 -
源空寺は、建長6年(1195年)の創建。法然上人二十五霊場第15番。
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二層の山門は伏見城から移築された遺構とされていて、秀吉の持念仏であった大黒天像も祀ってあるというもの。通りからでもよく見えて、存在感が目立っています。
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本堂の方は、おとなしめです。
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これは、東本願寺 伏見別院。
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建物も小ぶりだし、意外に迫力がないなあと思ったのですが、歴史でいうとここは家康が東本願寺の教如に与えた地。教如はここに伏見御坊を創建しています。
また、幕末には、旧幕府軍、会津兵の駐屯地となり、鳥羽伏見の戦いでは薩摩らの新政府軍に激しく攻撃される戦地ともなった場所。門前に、会津藩駐屯地跡碑も建っています。 -
そして、東本願寺 伏見別院の門前の通りが油掛通。クランクの形で東西に延びています。
油掛の名前は、通りにあった伏見上皇が深く信仰した石地蔵。これに油を掛けて供養すると商運が開けたという逸話から。
(角に建つのは伏水 菓蔵 本店。白壁の三階建ての建物の堂々とした構えのお店です。看板にもありますが、みたらしだんごがイチオシで、伏見らしく純米大吟醸酒を隠し味に使っているというもの。酒饅頭なんかも人気です) -
また、伏見街道を京都へ向かう旅人で賑わった町筋で、洛南一の繁華街だったとも。明治28年に開業した、日本最初の営業用電車、京都電気鉄道の起点もここにありました。
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白菊水は、伏見七名水のひとつ。有名店、鳥せい本店の横にあって、延宝5年(1677年)創業の山本本家の酒造りに使われている名水です。ただ、駐車場の入り口であり、安全上のことを考えて今は給水は中止となっています。
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イチオシ
これは鳥せい本店の建物です。
酒造りの蔵を活用したものだと思いますが、外観だ気を見ても素晴らしい建物ですよね。 -
納屋町商店街は、大手筋商店街から竜馬通り商店街につながるアーケード商店街。少し幅が狭いので、その分、レトロで親しみやすい雰囲気がありますね。観光客向けというお店はあんまりなくて、地元密着の商店街だと思います。
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大光寺は、文応元年(1260年)伏見桃山町松平武蔵に創建された浄土宗の寺。
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大手筋商店街の途中から境内に入ると立派な本堂が現れます。
現在の地に移ったのは寛永元年(1624年)。伏見奉行、小堀遠州により青山伯耆守屋敷跡だったこの地を拝領してから。いろんな歴史があるようで、詳しい説明板には天明の飢饉の際、小堀政方の悪政に悩まされた義民一揆の事件の紹介とかもありました。 -
少し歩いて。
松林院は、後崇光太上天皇を葬る松林院陵の西に隣接した浄土宗のお寺。後崇光太上天皇に仕えた女官が出家、上鳥羽の寺院を移して仏堂とし天皇の菩提を弔ったことが始まりとか。 -
また、遡ること鎌倉時代には、この辺りには後宇多天皇が造営した舟戸御所があったとも言われ、天皇にゆかりの深い地であるようです。境内は一段高い場所。山門の厳めしさもちょっと特別です。
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松林院から松林院陵の方に回りましたが、意外にこれが離れているんですよね~
後崇光太上天皇 伏見松林院陵の”太上天皇”というのは、天皇即位をせずに天皇譲位をした後に贈られた尊称。つまり、正式な天皇の陵ではありませんが、かなり立派です。(源氏物語の光源氏も子が冷泉帝となったので、准太上天皇)
ちなみに、応永16年(1409年)、後崇光太上天皇の父である、北朝第3代崇光天皇の第一皇子、栄仁親王を初代として創設されたのが伏見宮。昭和まで600年続いた宮家ということで、その関係で理解すると理解が早いような気がします。 -
そこから寺田屋に回って、
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濠川に架かる
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蓬莱橋を渡ります。
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イチオシ
濠川沿いの坂本龍馬とおりょうの像。
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さらに下っていくと伏見であい橋。
2017年に大ヒットした映画「君の膵臓をたべたい」のロケ地となったことで聖地となっているようですが、もともとは坂本龍馬とおりょうの出会いに因んでということですよね。橋の構造はY字型ですから、であいではありますが。。 -
金井戸神社は、伏見港公園にもほど近い濠川の河畔。通称は三栖神社のようですが、確かに鳥居には三栖神社となっていますね。しかし、正確には三栖神社の御旅所なのでちょっと紛らわしいですね。その御旅所を独立させて、地名の金井戸神社と改められたという経緯です。神社は境内の境もはっきりしないし、ざっとした感じです。
まあ、ここまで歩けば十分かな。この辺で、京都市内に帰りましょう。
結局、今回の伏見もこれまでと変わらず。いろんなことが同居するのが伏見なのかな。無理にまとめようと思ってもそういうことではないようです。 -
祇園四条駅まで帰ってきました。ここからぶらぶら歩きながら晩飯を予約した店に向かいます。
立誠ガーデンヒューリック京都は、高瀬川の東側の木屋町通沿い。河原町通りから入るとちょっと回り込むようになるので分かりにくいかもしれません。 -
元立誠小学校の建物を活用した商業施設で、ホテルや図書館なども入っています。
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イチオシ
外観の美しさもありますが、中央部にホテルのロビーみたいなデラックスな寛ぎのスペースがあって、これはお勧め。街歩きで疲れた方とか重宝すると思います。
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四条はなやぎストリートは、普通に四条通りというとここを指すように思います。京都でも一番賑やかな通り。この通りはバスの路線なので、バスが頻繁に行きかうのですが、行き場所によって乗り場が違うのでそれをきちんと認識する必要があります。しかし、なかなか難しいので、やっぱり右往左往するのは仕方ないかとも思います。
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寺町京極商店街は、四条通から西隣りの新京極商店街と並行して北に延びる商店街。二つ合わせて京都の商店街でも一番賑やかな商店街でしょう。なお、寺町京極商店街は寺町通り。京都御苑の東側の方まであって、かなり長いです。アーケード商店街を抜けてからでも、それなりに見どころのある通りなので、時間があればそちらの方もお勧めです。
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予約していたお店は、洋食ヒグチ亭です。四条通の賑やかなエリアと違って、閑静な住宅地ですね。
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ハンバーグをメインにした簡単なコースをいただきましたが、
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イチオシ
最初に出てくるおばんざい風の一皿もきちんと目を楽しませてくれたり、
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この値段にして
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この内容はちょっと信じられないくらいですけどね。
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オーナーのスタッフに対するピリッとしたマネジメントも感じられて、それも悪くない。それなりに混みあっていましたが、気持ちの良い時間を過ごしました。
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ここまでのお店はなかなかないかなと思います。
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今夜の宿は、ホテルマイステイズ京都四条。
四条通沿いにあって、荷物を預けたりすることを考えても立地としては申し分なし。ロビー周りの広さも十分あって、気分がリラックスしますね。部屋の方もきちんとしているし、この値段ならかなりお得。いろんな意味でお勧めです。
さて、明日から二日は京の冬の旅。天気もイマイチみたいだし、あんまりがっつかずに回りたいと思います。
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この旅行記へのコメント (3)
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- Antonioさん 2024/12/13 07:40:47
- 乃木神社
- おはようございます。伏見は出身地ですが、御幸宮や乃木神社は毎年新年に足を運んでいます。乃木さんは明治天皇のお気に入りでした。
- たびたびさん からの返信 2024/12/13 22:26:00
- RE: 乃木神社
- 乃木神社は、東京の方も有名。隣りが乃木邸跡ですからね。今でもけっこうインパクトがあって、乃木大将の威光はまだまだ衰えていないなという印象です。
たびたび
- Antonioさん からの返信 2024/12/13 23:16:10
- RE: RE: 乃木神社
- そうですね。先月周南の児玉神社に行ってきましたが、全然違いますね。漱石の「こころ」でも乃木さんの存在は大きいです。
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