たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのクチコミ(51ページ)全1,843件
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- 基本情報
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投稿日 2017年02月14日
総合評価:4.0
〝日本最南端のアーケード〟として知られているユーグレナモール。素泊まりで宿泊した際の食材の購入や、お土産のまとめ買いをして、先に送ったりするのに便利だと思います。ひとつのお店でまとめると、一定額で送料無料になるサービスなんかもありました。
最近は近隣のお店にも、同じような販売形態をとる店が増えて、以前ほどの集客は見られないようには思うもの、相変わらずインバウンドには人気があります。
ただ決して新しいモールではなく、古い店舗が軒を連ねているところがあり、数年前の民宿火災の際に消防車が入れず、まずパトカーが駆けつけてから消火作業が始まったことを目の当たりにしてから、なんとなく寄り付けなくなってしまいました。
観光客が増加の一途を辿る石垣島イチの繁華街として、そういうハード面の改善が必要な時期に差し掛かっているように思えてなりませんでした。- 旅行時期
- 2016年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 石垣港離島ターミナルからすぐ。
- お買い得度:
- 5.0
- 空港よりもは安いです。
- サービス:
- 5.0
- 無茶苦茶だけど悪くはない。
- 品揃え:
- 5.0
- 結構豊富です。
- バリアフリー:
- 3.0
- あまり考えられてはいません。
-
投稿日 2015年12月22日
総合評価:5.0
石垣港離島ターミナル内あるいくつかの旅行会社のひとつである〝平田観光〟を今回は利用しました。船会社系列のお店ではなく、巷にある〝旅行代理店〟の類のものです。クレジットカードの他交通系カードを決済に利用することができ、なおかつ〝T-Point〟も貯めることができます。石垣島を含む八重山の島々でのアクティビティーは各種取り扱いをされており、内容や料金を比較しながら決めることができます。
有限会社船浮観光への出資もされており、船浮集落やその周辺でのアクティビティーは、他社とは違う〝カンパニーポリシー〟を持って運営されており、その高い評価により人気を博しているそうです。- 旅行時期
- 2015年11月
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 値段に大差はありません。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 混雑するときはします。
- バリアフリー:
- 5.0
- 段差はありません。
- 乗り場へのアクセス:
- 5.0
- 石垣港離島ターミナル内。
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投稿日 2016年09月20日
総合評価:5.0
〝皆治浜〟と書いて〝カイジ浜〟と読む。別名〝星砂の浜〟で有名な『竹富町指定外海水浴場』です。海流が早いため危険という理由で海水浴場扱いにはなってはいないものの、多くの人々がシュノーケリングを楽しんでいました。
別称星砂の浜と言われる位なので、これまた多くの人々が星砂探しに夢中になっておられます。星砂には『幸せになれる』という意味があるそうですが、それより私は『思い出の品』を持って帰ると二度と来られないジンクスを取ったため、なにもしていません。やはりこれが私の人生です(笑)。- 旅行時期
- 2016年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- コンドイビーチから歩いて20分程。
- アクティビティ:
- 5.0
- 本当は遊泳禁止です。
- 景観:
- 5.0
- 小浜島が望めます。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 人は多いです。
- 水の透明度:
- 5.0
- 珊瑚のビーチなので透明度は高いです。
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投稿日 2016年04月19日
総合評価:5.0
二度目の来訪となります。前回はただ〝ひとつの戦跡として〟という想いでしたが、今回はその背景となった〝人間関係と内情〟を念頭に於いて考えました。施設自体には変わりはないものの、昨年からの入壕者の増加に対応するべく、雨に濡れないようにする〝屋根〟が作られる工事中でした。
天候の影響を受けることは他の戦跡と同じであり、数日来の雨のため壕内の至る場所で漏水が見られるものの〝完成されたもの〟であるため見学には問題ありません。ただ管理されている施設でありながら、供花が枯れていたのは残念に思います。
壕を回るには入壕前に見学できる資料館に書かれている内容を〝なんとなく〟ではなく〝理解〟が出来ると、その壕のあちらこちらでの時代背景がわかるため、より充実したものになるように思います。
海軍沖縄根拠地隊大田實司令官が時の海軍次官多田武雄中将に打電した〝沖縄県民斯ク戦ヘリ〟の電文は、決して〝場当たり的〟に行われたものではなく、年下であり立場も違う沖縄県最後の官選知事島田叡氏との立場を超えた〝師弟関係〟信じるがもたらした〝必然的に行われたもの〟、つまり本来なら行政が内務省に向けて発信すべき電文を、沖縄戦末期の混乱の時期に行政組織の崩壊を知っていた大田実司令官が、島田叡知事に代わって行ったものに他ならない〝史実〟であることを感じ取って貰いたい…そんな気持ちを覚えます。
もしご利用になられる方がいらっしゃいましたら参照して下さい。
http://spot.rikkadokka.com/detail/coupon.jsp?id=838- 旅行時期
- 2016年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 那覇空港から20分位です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 平日の午後でしたがそれなりに見学者がおられました。
- バリアフリー:
- 5.0
- 出口から車椅子での入場ができます。※要予約です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 何度来ても新たな発見があります。
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駅前にありなにかと便利なお店です。
投稿日 2017年01月29日
総合評価:5.0
瀬田駅前のバスロータリーにある餃子の王将瀬田店、関西人ならば知らない人はいないお店ですが、意外に駅前には少ないようにも思います。
駅前にあるお店ゆえ、学校帰りの学生や付近の会社員達がランチを取るために立ち寄り、お昼時には結構混雑しています。少し時間をずらしたため、そこまでは混雑してはいませんでしたが、なかなかゆっくりすることはできないかも知れません。ただお料理は他のお店と同様しっかりしたもので、比較的安価でお腹いっぱいになります。
グルメでない私にとっては、至極のいっときでした。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 5.0
- 瀬田駅下車すぐです。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 安いとは思います。
- サービス:
- 5.0
- いい感じです。
- 雰囲気:
- 4.0
- 時間帯によってバラツキはあります。
- 料理・味:
- 5.0
- 食べ慣れたお味です。
- バリアフリー:
- 5.0
- 段差はありません。
- 観光客向け度:
- 3.0
- そのようなお店ではありません。
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四ツ橋筋沿いあります。
投稿日 2017年01月27日
総合評価:5.0
北新地の駅から地上へと出て、四ツ橋筋を少し下った場所にあります。フランチャイズにて全国展開されているお店であり、味そのものは他店と一緒でした。
久しぶりの来店だったので、朝の定番メニューである〝納豆定食〟を注文、それに加えてごはん大盛りにしました。元々小食なので何故に大盛り?と言われそうですが、それだけお腹が減っていたに過ぎません。
グルメでない私にとって肩肘張らなくてもいい場所での食事タイムは〝至極の一時〟を過ごせる貴重な場所でもありました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 500円未満
- 利用形態
- 朝食
- アクセス:
- 5.0
- 北新地駅より歩いてすぐ。
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 朝定食はお得感があります。
- サービス:
- 5.0
- いい感じです。
- 雰囲気:
- 5.0
- 空いている時間だとゆっくりできます。
- 料理・味:
- 5.0
- 味は変わりませんが、私は好きです。
- バリアフリー:
- 5.0
- 段差はなく自動ドア完備です。
- 観光客向け度:
- 3.0
- そのような類の店ではありません。
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投稿日 2017年01月26日
総合評価:5.0
奈良市菅原にある菅原天満宮は、旧郷社格ながら日本最古と謳われている天満宮です。創建等不明なものが多いのは確かですが、付近には菅原道真公に産湯として使われたと言われる〝菅原神社遺跡天神堀〟もあり、平安時代の〝延喜式〟神名帳では〝菅原神社〟と記載されており、のちに菅原姓を名乗る土師氏支族が居住したことが〝菅家御伝記〟にも記されて伝わっていることの他、後に菅原氏を名乗る土師氏のものと伝えられる古墳時代後期の〝菅原東遺跡埴輪窯跡群〟が現存している事実等、取り巻くものに菅原道真公にかかわるものが多く存在していることも事実です。
ご祭神の菅原道真公、そのご先祖様である野見宿禰と天穂日命の三神を祀っておられることは他の天神様や天満宮と同じではあるものの、やはり多くの歴史の舞台になってきた大和の地にあることが、菅原道真公御生誕の地伝承に繋がっているように思います。
決して大きいとは言えない菅原天満宮ではあるものの、知名度は高いようで絵馬に書かれている住所は日本全国のものがありました。
ちょうど入試前の時期に訪れたため、受験を控えた子供達が、親御さんに連れられてお参りに来ている姿を結構見ました。勉強も大切だけどまず〝風邪をひくなよ~〟っと老婆心から思ってしまったのは、何を隠そう私です(笑)。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 学園前駅からバス20分程。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 結構参拝客は多かったように思います。
- バリアフリー:
- 4.0
- 砂利敷きですがそれ程足元は悪くありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 小さいながらにそれぞれ目をひくものがありました。
-
投稿日 2017年01月24日
総合評価:5.0
出雲大社四の鳥居すぐ近くに銅製の神馬と神牛像が安置されています。古くから〝神々の乗り物〟とされた〝馬〟や〝牛〟が境内入口の小屋におられるということが多くの文献には書かれているようですが、実はもっとリアルな理由によって安置されているとされています。
ご神馬は長州藩第2代藩主毛利綱廣公の寄進によるものですが、この神馬像の作成を依頼された名工の妻がちょうど身籠っており、当時の妊娠=穢れという考えのご時世に、神馬の作成と妻の出産がかち合わないように日々出雲大社に出掛け、妻の出産が遅れるように願っていたそうです。結果として神馬像は完成し、子供も3ヶ月生まれるのが遅くなり、かち合うこともなくハッピーエンドに終わります。そして13ヶ月目で生まれた子供は安産であり、当時では珍しい位に元気に育ったそうです。これが神馬像が安産・子宝に恵まれるご利益があるとされる理由となっています。
またご神牛についてですが、牛と言えば学問の神様とされる丑年生まれの〝菅原道真公〟と切っても切れない縁があります。出雲大社末社には〝天満宮〟があり、そのご祭神は他ならぬ菅原道真公となっています。実は菅原道真公は出雲のご出身とする説があり、初代出雲国造天穂日命(あめのほひのみこと)、第十三代出雲国造野見宿禰の子孫だとされています。
出雲大社の末社天満宮には、ご祭神として菅原道真公の名前しか上がっていませんでしたが、全国に点在する〝天満宮〟や〝天神様〟のご祭神として必ず〝雨穂日命〟〝野見宿禰〟〝菅原道真公〟の三神が祀られています。
出雲大社は〝縁結び〟をはじめとする〝八百万〟の神様として知られており、それに加えて菅原道真公の出雲出身伝説の存在。このふたつを知った瞬間に目的地が出雲大社と松江菅原天満宮に決まりました。
伝承が事実かどうかはともかく、あまりにもまとまり過ぎている出雲菅原伝説。そのことを考えながらご神牛を撫ぜられる方も多くはないと思いますが、神話の時代から中世にかけての時代考証を考えながら歩いて行くと、また新たな発見があるのかも知れない・・・そう思いました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 出雲大社四の鳥居から歩いてすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- かなり多いです。
- バリアフリー:
- 4.0
- 石畳みとなっています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 謂れを知っていれば面白いと思いますが。
-
投稿日 2017年01月24日
総合評価:5.0
二の鳥居から出雲大社参道へと入り、少し歩くと、左手に小さなお社があります。出雲大社末社祓社(はらいのやしろ)になりますが、必ずと言っていい程参拝待ちの方がおられるので、気付かず通過してしまうことはないかと思います。
出雲大社に参拝する際に俗世間の汚れを清めてから神々の前に向かうようにするためのお社になっています。
人間の考えることは一緒なのか、出雲大社の中で本殿と並ぶ位に参拝者の密度が高い場所のように見えました。やはり大なり小なりの〝汚れ〟を持っているのかと自覚しておられるから祓社に参拝されている姿を見ると、なんか人間ってかわいい一面があるな・・・そんな風に思えてきました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 二の鳥居から歩いてすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 常に人が待っています。
- バリアフリー:
- 3.0
- お社には段差があります。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 小さなお社ですが、インパクトはありました。
-
投稿日 2017年01月24日
総合評価:5.0
出雲大社参道の神門通り入口にあたる一の鳥居。別名〝宇迦橋の鳥居〟が北詰に聳えている堀川にかかる橋、それが〝宇迦橋〟です。
宇迦橋単独ではなく鳥居が一緒に語られることが多いため、宇迦橋について詳細に書かれているものはありませんが、気付かないで通過してしまう場所として挙げられていることが多いようです。
宇迦橋とその北詰に聳える一の鳥居は、旧JR大社駅と一畑電鉄電鉄出雲大社前駅の間にあり、車やバスだと通過してしまうこともあり、また一畑電鉄を利用すると通過すらしません。バスならば吉兆館前、もしくは旧JR大社駅前で下車して徒歩で向かうこと。また一畑電鉄ならば一度南進して歩くと潜ることができます。車も同様ですが、堀川沿いにある道の駅に駐車すると神門通りを北進するとすぐです。
場所的に出雲大社神苑から少し離れていますが、そこはせっかくのご利益を考え、歩かれることをお勧めします。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 一畑バス吉兆館前から歩いてすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 時期と時間によります。
- バリアフリー:
- 5.0
- 歩道に段差はありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 日本一ではないものの大きなものには違いなく圧倒されます。
-
投稿日 2017年01月23日
総合評価:5.0
出雲大社参道四の鳥居手前右手にある“ムスビの御神像”。大国主大神はわかるにしても、相対する“なにかの象徴”はわからないのではないでしょうか。
これは神道に於いて“人の心”はが争いや妬み・怒り等を育む“荒魂”、平和や優しさを育む“和魂”、運によって人を育てる力を育む“幸魂”、努力によって奇跡を起こ巣血からを育む“奇魂”という四つの魂から成り立っているとされていることに因みます。
人間は一日の生活に於いて、この四つの魂をコントロールしもって生きているとされています。
この像で取り上げられているものは“奇魂”と“幸魂”の二つの魂についてですが、これは“荒魂”と“和魂”人間が生まれつき持っている感情的なものであるのに対し、“奇魂”と“幸魂”は“努力”によって初めて得られるものだと言うことに気がつきます。
出雲大社のご祭神大国主大神は、この世に生を受けたときは“神”ではなかったと言う説があります。神になるための日々の努力を惜しまなかった大国主大神に対し、“奇魂”と“幸魂”の神が目の前に現れ、各々の魂を大国主に与えた、すなわち大国主は自らの心の中の“奇魂”と“幸魂”の存在に気づくことができたから、人を超越した神になれたのではないのか?そう思います。
神話の中の話ゆえ、解釈いかんで色々と説明はできますが、像を見る限りそのように解釈するのが一番しっくりいくような・・・そんな気がしました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 出雲大社四の鳥居からすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 人通りは絶えません。
- バリアフリー:
- 3.0
- 付近は砂利敷きです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 圧倒されました。
-
投稿日 2017年01月23日
総合評価:5.0
祓橋を渡ると正面に〝三の鳥居〟を包み込むように参道に張り出している松並木があります。松江城を築いた初代松江藩主堀尾忠氏の正室長松院の祈願成就のお礼として1,000本もの松の木を奉納したことにはじまったものであり、定期的な松の植え替えもされている中、60本に満たない数ではあるものの、当時の松も残っているそうです。
昭和58(1983)年に日本の名松百選に、昭和60(1985)年には出雲市指定文化財となった松並木ですが、現在は松の木の根っこを保護するために、参道両脇に伸びる〝舗装された通路〟を歩くようになっています。
下り参道で有名な出雲大社。その参道中腹に位置する松並木は、平坦な場所にある街道の松並木、神社仏閣の階段にある松並木とは異なり、綺麗な下り坂を演出していることが一目でわかります。
これだけでも十分来た価値があると思えるものに加えて、縁結びのご利益を得られることは、やはりこの出雲大社がなるべくしてなったものではないことに気付いてしまいました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 出雲大社大駐車場から歩いてすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 両方向ともかなり多いです。
- バリアフリー:
- 4.0
- 石が引かれています。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 素晴らしい景色でした。
-
投稿日 2017年01月23日
総合評価:5.0
出雲大社東出口から少し進んだ場所にある出雲大社北島国造館、大国主大神を主祭神とする出雲大社とは同じですが、出雲大社教とは違う宗教法人となっています。
南北朝時代から江戸時代末期にかけて並存したふたつの出雲国造。明治に入り千家氏の出雲大社教に対し、北島氏の出雲教に分裂します。
両教とも幽事を司られる大国主大神様にお仕えしお祀りするという出雲大社創建の精神を基として、出雲大社という神社と、その御神徳を広める教団としての出雲大社教であり出雲教であることをあくまで区別し、出雲大社をお護りしていることには違いはありません。そして出雲信仰を基盤として島根県をはじめ中国地方を中心に全国各地に分院・教会・宣教所を広げていることも変わりはないようです。
社家通りに位置する出雲教北島国造館は人通りが少なく、訪れる方もあまり多くはないように思えます。しかし静かな境内の中に池や滝、境内社が点在していることは、のんびりと出雲の一日を過ごすにはうってつけのように思います。
あまり宗教のことはわかりませんが、やはり歴史があり、縁結びにつながる北島国造館。訪れる価値は大いにあるように思えました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 出雲大社本殿から徒歩5分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 比較的少ないようです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 砂利敷きです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 荘厳な建物と趣のある庭園は一見の価値はあります。
-
投稿日 2017年01月23日
総合評価:5.0
出雲大社末社十九社、本殿を挟んで東西に建立されたふたつの建物は、19の扉がそれぞれあり、それぞれに〝神在月〟の神議に来られた八百万の神さまがご宿泊される場所だそうです。旧暦の10月11日~17日までの間、摂社上宮で日々諸般の取り決めや、縁を結ぶための会議を行った後、十九社に滞在された八百万の神さまは、拝殿に還った後出雲大社を後にされます。
神々が去った十九社は、扉は閉まったままであれど遥拝所としての役割を持つお社でもあります。
末社とはされていますが、縁結びの神さまを挟む位置におられる八百万の神さまに通ずる遥拝所・・・。言葉で聞いた方がより多くのご利益を得られるように感じてしまうのは私だけでしょうか?- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 出雲大社本殿からすぐ。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 知らないのか通り過ぎる方が多かった気がします。
- バリアフリー:
- 3.0
- 砂利敷きです。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 檜皮葺と流造りが目を惹きます。
-
投稿日 2017年01月23日
総合評価:5.0
一畑電鉄出雲大社前駅構内にオレンジ色の〝電車車両50型〟デハニ52が留置されています。昭和3(1928)年に一畑電鉄に納入された車両は、定期運行からは外れているものの、車籍は残ったまま観光客に解放されています。
デハニの〝デ(モ)〟はモーター付、〝ハ〟は普通車、(二)は荷物室をそれぞれ装備しているものですが、このデハニ52は、平成6(1994)年にイベント車両として〝お座敷車両〟に改造されており、荷物室は現存しないものの外見がそのままであるため、デハニと呼ばれています。
近代化する車両設備の改造が進む中、当時の唯一の車両は、〝手動ドア〟のままで今日に至っている大変珍しいものでもあります。
このデハニ52は、平成22(2010)年に上映された〝RAILWAYS~49歳で電車の運転士になった男の物語~〟で営業運転終了後に撮影で利用されました。映画を見たなら勿論のこと、男子ならば一度は思ったことがある〝将来の夢〟としての〝電車の運転士〟に思いを馳せた方も多いのではないでしょうか。
現在は電鉄出雲大社前駅に留置されているデハニ52ですが、映画撮影を気にロングシートに変えられています。なかなか〝動かす〟ことは難しいのかもしれませんが、旧乗り鉄の一人としては〝是非乗ってみたい〟という衝動に駆られました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 一畑電鉄電鉄出雲大社前駅構内に留置されています。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 時間や時期によります。
- バリアフリー:
- 5.0
- 逆に考えられていないことにその歴史を感じのではないでしょうか。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 歴史を感じました。
-
投稿日 2017年01月23日
総合評価:5.0
宇迦橋の一の鳥居から二の鳥居(勢溜の鳥居)迄の600m程の参道のことを指す神門通りと呼びます。両脇にはお土産やグッズ、食べ物屋が立ち並んでおり、見ながら歩くと飽きることはありません。
神門通りの途中には一畑電鉄の電鉄大社前駅があり、出雲市から電車で出雲大社を訪れると必ず通る道でもあります。また通り脇には大きな駐車場もあり、車で来ても散策は可能です。
車や電車で来た場合に、あまり勢溜の鳥居に近付き過ぎると、一の鳥居の存在に気が付かないこともあるそうで注意が必要です。
バスならば吉兆館前、もしくは旧JR大社駅バス停で下車し、進行方向に一の鳥居が確認できるので、歩いて潜ることができます。
天気があまり良くない時だと、観光地巡りにあまり気が進まない時があるかと思いますが、そういう時には最適の場所のように思います。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 出雲大社勢溜の鳥居から10分程です。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時間や時期に左右されます。
- バリアフリー:
- 5.0
- 歩道は狭くはありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 見ていて飽きませんでした。
-
投稿日 2017年01月23日
総合評価:5.0
出雲大社〝二の鳥居〟から徒歩15分の距離にある旧大社駅。明治45(1912)年国鉄大社線の開通に伴い開業しました。現存の建物は大正(1924)年にできた二代目の駅舎です。出雲大社への参拝の拠点駅として一斉を風靡した大社駅には、京都・大阪・東京・名古屋といった大都市からの定期優等列車や団体専用列車等が発着し、その車両編成に合わせた〝長いホーム〟が今なお残っています。
しかしモーターリゼーションの波が訪れる中大社駅の利用客減る一方で、国鉄時代末期に第3次廃止対象路線に指定されることとなり、昭和62(1987)4月1日にJR西日本管轄となった後、平成2(1990)年4月1日に廃止されました。
その後旧大社町合併50周年記念として、出雲大社神苑に展示されていたD51型774が留置されたことに始まり、平成16(2004)年には国の重要文化財の指定を受け、平成21(2009)年には、近くにありながら全く対照的な造りである〝電鉄大社前駅〟駅舎とともに近代化産業遺産登録されて現在に至っています。
今から数十年前、私はこの駅前に立ったことがありました。子供心に思った〝立派な駅舎〟ことは今でも健在です。ただその当時は、駅前広場にタクシーやバスがひっきりなしに出入りしており、この賑わいが近々廃止になる路線だとは思いもよりませんでした。
近年ガイドブックにも掲載されるようになり、訪れる方が増えているとは聞いていたものの、今日のように天気があまり良くないとバス便をうまく使わないと〝ひたすら歩かねばならない〟ことになります。約90年前にできた駅舎は、建物こそはきれいなまま残っており、威厳すら感じるものではありました。しかしホームに飾られているD51は〝サビ〟が酷くなっており、見るに耐えないところもあります。
旧駅舎事務所を利用した観光協会の事務所が常駐しているようなので、そういった細かいものまでのフォローもして頂きたいように思います。出雲大社を順番に回るには、バスで〝旧JR大社駅前〟で下車し、大社駅舎を見学した後〝宇迦橋〟から〝一の鳥居〟を潜り、神門通りを歩いて〝二の鳥居〟に至るルートを勧めるにはなおさらではないか•••そう思いました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 電鉄大社前駅から徒歩5分程。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時間や時期によります。
- バリアフリー:
- 5.0
- 気にはならない程度です。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 90年の歴史を持つ駅舎には圧倒されました。
-
投稿日 2017年01月19日
総合評価:5.0
出雲大社神楽殿の西にある大きなしめ縄が飾られている門の中にある〝千家国造館〟。出雲大社宮司・出雲国造を務める千家国造(せんけこくそう)のお住まいです。
千家は天照大御神の第二子天穂日命(あめのほひのみこと)を祖とする氏族で、現在第八十四代千家尊裕国造で、その長男である千家国麿(せんげ くにまろ)氏が平成26(2014)年10月5日に高円宮典子女王と結婚されたことは有名な話です。
出雲国造(いずもこくそう)とは、現在の島根県東部にあたる出雲国を支配した世襲制の地方官のことで、この地区の祭祀を司っていました。そしてその氏族の長が代々出雲国造の称号と出雲大社の祭祀を受け継いだそうです。
南北朝時代に跡継ぎ問題が起こり、時の守護代吉田厳覚の働きかけで年間の神事や所領、役職等を分担することを双方に承諾させ、康永3・興国4(1344)年6月5日以降幕末まで千家氏と北島氏というふたつの国造が並立し、出雲大社の祭祀職務を分担していました。
明治に入り出雲大社は内務省神社局の傘下に入り、官幣大社と位置付けられることになり、ふたつの国造家は千家氏は出雲大社教、北島氏は出雲教という宗教法人を主催して分かれることとなり、出雲大社の宮司は千家氏が担うことになります。そして戦後GHQの神道司令により国家管理下を離れ、神社本庁包括に属する別表神社となった際、宗教法人出雲大社教宗祠として宮司は千家氏が行い、現在に至っています。またその他出雲大社の職員が出雲大社教の職員も兼ねているそうです。
南北朝時代の天皇家が分裂した時代に出雲国造も分担したことは興味深いことではありますが、やはりここまで規模が大きくなると〝権利争い〟があって当然なのかも知れません。しかし私にとってもっと興味深いことは、初代出雲国造天穂日命、十三代野見宿禰・・・。このお二方はあの菅原道真公のご先祖様とされており、日本全国の天神様・天満宮のご祭神とされている三神が偶然か出雲国造で繋がっているということでした。
これがすなわち菅原道真公ご生誕の地=出雲国とするには強引かも知れませんが、偶然の一致で〝縁結び祈願〟が〝合格祈願〟に繋がっていることは、私を出雲へと向かわせた〝なにか〟に導かれたのではないか?そんな不思議な気持ちになりました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 出雲大社神楽殿から歩いてすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 時間によります。
- バリアフリー:
- 3.0
- 段差はあります。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 巨大なしめ縄に惹かれました。
-
投稿日 2017年01月18日
総合評価:5.0
〝大国主大神と兎の像〟と言われると一目瞭然ですが、境内案内に書かれている〝御慈愛の御神像〟だとすぐにはわかりません。神話の世界で誰もが知っている〝因幡の白兎〟の物語り、隠岐の島から因幡の国へと向かおうとした白兎が、ワニザメに〝仲間の数〟の多さを競おうと持ちかけて海に並べさせ、その頭の上を跨いで行って、渡り切る寸前に〝お前達は騙されたのさ〟と啖呵を切ったところ、ワニザメが激怒し、白兎の毛をむしりとり、丸裸にしてしまいました。
丸裸にされた白兎がその痛みで稲佐の浜で泣いていると、そこに大国主命の兄神(八十神)が大勢通りかかります。兄神様達は因幡の国の八上毘売(やがみびめ)という美しい姫神様のことを聞きつけ、自分のお嫁さんにしようと因幡の国へと向かう途中でしたが、面白半分に〝海水で体を洗い、風にあたって乾かすと良いだろう〟と兎を持ち上げました。その通りにした兎を待っていたのは、水分が飛ぶにあたって塩分が濃くなった海水が皮膚を引っ張り、ますます酷くなるさまでした。
余計に酷くなった痛みに耐えかねて泣き続けていた白兎のもとに、八十神達の荷物を全て背負わされた大国主命がずいぶんと遅れて通りかかりました。〝なぜ泣いているのか?〟と聞かれた白兎は、素直に理由を答えたところ、大国主命には八十神達とは違って〝河口で真水に浸かって皮膚を洗い、蒲の穂を付けなさい〟と聞き、その通りにしたところやがて傷も治り、毛も生えました。
たいそう喜んだ兎は、大国主に〝あんな意地悪な八十神達には八上毘売は絶対に靡きません。間違いなく大国主命様に靡きます。〟と言い残し、自ら伝令の神となり八上毘売の元に八十神達よりも前にこの事実を伝えたそうです。
兎神の話を聞いた八上毘売は、先を競って姫神に言い寄る八十神達二対し、素っ気なく〝私はあなた方ではなく、大国主命様に嫁ぎます。〟と返し、八十神達を追い返しました。
兎は八上毘売と大国主命との縁を見事に取り持ちました。その功績は〝白兎神社〟に於いて御祭神として崇められていることから現在にも伝わっています。この〝因幡の白兎〟が取り持つ縁はある特定の人やかなわぬ人との縁であるとされています。また白兎を助けた大国主命は優しさも兼ね備えており、そんなところが女性の心をしっかりと掴んだこともあるとされているようです。
八上毘売と大国主命の本来なら順序的にも力関係でも叶わぬ〝ご縁〟を取り持った白兎ではあるものの、ワニザメを騙したことには違いありません。その〝仕返し〟と取るならば、一概に白兎を被害者にすることも出来ないようにも思えます。確かにやり過ぎかも知れませんが、そこで大国主命がただ〝可哀想に・・・〟と哀れんでアドバイスをおくったのであれば、少し軽率だったようにも思います。
神話の世界ゆえあまり細かく書かれているものはありませんが、もし大国主命が白兎にひとこと〝お前も悪いのだよ〟とたしなめていたならまだ大国主命の〝お人柄〟と〝堅実さ〟を考えますが、その神話の世界で八上毘売より先に須勢理毘売(すせりびめ)と結婚をしていたものの、子供は八上毘売との間に先にできてしまったが八上毘売が須勢理毘売を恐れて子供を置いて実家に帰ってしまったなどと言う話から、意外にお人好しの恐妻家という像が見え隠れしているようにも思えます。
出雲大社に於いて大国主命と須勢理毘売は、今なお二神並んで鎮座されている現在、お人好しだけど優柔不断な大国主命は、〝まだ見ぬお相手の男子〟を目の色を変えて探している女子からはどう思われているのか?ちょっとだけ知りたいように白兎と向き合う大国主命の像を見ながらそう思いました。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 出雲大社前〝四の鳥居〟からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 雨の日でも人は多かったです。
- バリアフリー:
- 3.0
- 足元は砂利敷きでした。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 見たらすぐにわかります。
-
投稿日 2017年01月18日
総合評価:5.0
出雲大社本殿北側に位置する素鵞社(そがのやしろ)は、神話の時代の伊邪那岐命と伊邪那美命の間に産まれた神とされています。天照大御神の弟神ですが、姉の高天原の天照大御神を訪ねた際、素行が徐々に悪くなり、それを憂いた天照大御神が岩陰に隠れてしまった〝天の岩戸の岩隠れ〟を引き起こしてしまい結果高天原を追放されます。
乱暴者だと思われることもあるようですが、高天原を追放されたあと出雲に降り立ち、その地を荒らしていた八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に生贄にされそうになっていた美少女櫛名田比売(くしなだびめ)を櫛に変えて、それを身につけて八岐大蛇を退治します。その際八岐大蛇の尻尾から出てきた草薙剣を天照大御神に贈り、自身は出雲須賀の地に留まり櫛名田比売と結婚し、子供のうちのひとりに大国主命がいます。
出雲大社の主祭神である大国主命、そしてその父神とされる須佐之男命。諸説はあるものの大国主命の妻はやはり須佐之男命の娘である須勢理毘売命ということから父神に背を向けられないから今の位置関係になったという説もあります。
神話の世界の話ゆえ推測の域を越えられない話ではありますが、大国主命と須勢理毘売命の結婚は、父神の須佐之男命と櫛名田比売命から始まる〝ご縁つながり〟だと思えてなりません。素鵞社は出雲大社主祭神関連施設の摂社とは記載されていますが、この社自身が独立したものであってその背景となる山を含めたご神体であるという説ゆえ、本殿と並んで参拝必須場所とされているように思えてなりませんでした。- 旅行時期
- 2017年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 出雲大社本殿北側に鎮座されています。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 時間によりけりではないでしょうか?
- バリアフリー:
- 5.0
- 参拝だけなら可能かと思います。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 小さいお社ですが、なにか感じるものがありました。























































