g60_kibiyamaさんのクチコミ(6ページ)全6,029件
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投稿日 2025年06月29日
総合評価:3.0
聚楽第のときも感じたのですが、すでに地中に埋められている大きな建造物の場合「〇〇跡(址)」の石柱を建てる場所はかなり恣意的で、散策前はこの「斯波氏武衛陣・足利義輝邸遺址」も、最初「旧二条城」跡ととても近い場所だなあと思っていたら、そもそも(室町幕府13代将軍)足利義輝邸を更新するようにして信長は(室町幕府15代将軍)足利義昭の御所を造営したのですね。歴史ある遺構がミルフィーユのように重なっている、古都・京都ならではの奥深さです。
4トラの分類エリアがこちらは「二条・烏丸・河原町」で、旧二条城は「今出川・北大路・北野」なので当初は理解に苦しみました。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2025年06月29日
総合評価:3.5
織田信長が室町幕府第15代将軍・足利義昭のために改修した御所は徳川家康の築いた元離宮・二条城に対して、旧二条城、二条御所と呼ばれています。位置としては元離宮・二条城の北東側にあたります。
1560年(永禄3年)の築城で、当初の築城主は室町幕府第13代将軍・足利義輝。5年後の永禄の変で義輝が世を去り、信長がこの御所を改修したのは1569年(永禄12年)のことですが、1573年(天正元年)には信長と義昭は不仲になり、その後ほどなく廃城になっています。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2025年06月29日
総合評価:3.5
堀川に架かっている橋で、その名の通り一条通りにかかっています。古くは平安京造営時に一条大路が堀川をわたる場所に架けられていたそうですから、1200年を超える歴史があることになります。現在の一条通はそこまで広い通りではないので、橋の存在も地味かなあ、と思いました。
平安中期以降、堀川右岸から右京にかけて(都の西側)は衰退著しかったことから、堀川を渡ること、即ち戻り橋を渡ることに意味が生じ、さまざまな伝承や風習が生まれる背景となったようです。
なにか現在の橋は1995年(平成7年)に架け直されたものです。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
「からしそば一択」に逆らったせいで、がっかり京都中華の思い出になってしまいました。
投稿日 2025年06月27日
総合評価:3.0
イオンの中にある店舗なので立ち寄りやすいロケーションです。
ただ、有名メニューの「からしそば一択」に逆らって「オイスター焼きそば」を選択したのが失敗。「セット」の網にかからず。お得感が半減。そして登場した一皿も焼きそばもなんだかインパクトが弱く、この年の京都旅は京都中華の真髄を味わおうとしたプランは尻切れトンボに終わってしまいました。いつかリベンジ。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 観光客向け度:
- 3.0
-
投稿日 2025年05月29日
総合評価:4.0
天守は現存で、そのほかに21棟もの重要文化財を数える松山城。
筒井門(隠門)、太鼓門とくぐるとまっすぐ【本壇】の入場料が必要なエリアに進む観光客が9割、みたいです。ただ券売所の前に「注意書き」があって「紫竹門」「野原櫓」「乾櫓」の重要文化財3棟は【本壇】には所属していないので、それでは見落とすこと必至です。特に乾櫓は大天守からも見えはしますが、ちゃんと見ようとすると乾門をいったん出ることになるので「そこまではいいか」とけっこう敬遠されがち。
今回個人的には乾門を出たところで乾櫓を南からしっかり撮れたばかりでなく、乾門東続櫓東折曲塀越しの本壇方向は「松山城にこんなアングルもあるんだ!」と納得した次第。
さらに3月だったので乾門外で「ウメジロウ」=梅の花とメジロにも遭遇してむちゃくちゃ満足しました。本壇の閉場近づく午後4時台にそんな場面に遭遇するとはまったく想像しませんでした。- 旅行時期
- 2025年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2025年05月30日
総合評価:3.5
当初の予定では翌日早朝の徒歩登城を計画していました。ただ天気予報を見ると翌日は少なくとも午前中は雨。そこで予定を変更して、あわててこの日、午後遅めに松山城へ向かうことに。
そうなると時間がもったいないのでロープウェー/リフトを利用することになります。
よその場所でも同様のケースがあるのですが、運行間隔のあるロープウェーよりも、リフトのほうが待ち時間がなく無駄がありません。高所恐怖症?でリフトNGの方は何割いるのでしょうか? 親子連れや高齢者? ロープウェーにはけっこうな列ができていて不思議に思いました。リフトはすぐ乗れました。
とりあえず、と思いつつ窓口で松山城の入場券とロープウェー/リフトの往復セット券を買おうとしてみましたが、時間が午後3時を過ぎているから、とかで販売していませんでした。セットでも割引はないので結局同額なのですが、もやっとしたまま中腹の「長者が平」駅に到着しました。- 旅行時期
- 2025年03月
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 乗り場へのアクセス:
- 4.0
- 車窓:
- 3.5
-
投稿日 2025年05月29日
総合評価:3.5
2025年春旅ではこの松山城のあとも現存天守を中心に高知城、丸亀城、岡山城、備中松山城などを巡りました。懸命に予習したのでそして現地でその知識を試すことも忘れませんでした。
序盤の松山城では予想外の満足度で全国のお城を見渡しても、相当に上位の魅力だと思ったので、大天守にいたボランティアさん?に「国宝級」と伝えたつもりが、「国宝じゃなくても独特の価値がある。現存天守で徳川の城は珍しい」と返され絶句。「徳川の城?」確かに城主は長い間、松平氏だったわけですが、築城したのには加藤嘉明で秀吉の子飼衆で、賤ヶ岳の七本槍 の1人です。さらには松山城のゆるキャラに「よしあきクン」というのがいて、イチオシはそちらに見えました。
その加藤嘉明の騎馬像がロープウェー/リフトの東雲口乗り場のちょっと先にあってなかなかのカッコよさ。ロープウェー/リフトにはそちらに立ち寄ってから進むのが◎。- 旅行時期
- 2025年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2025年05月28日
総合評価:3.5
天守は現存で、そのほかに21棟もの重要文化財を数える松山城。さて、その膨大な建築物のなかで、なぜこの「松山城 筒井門東続櫓」が取り上げられているか。率直に言うとサイト側の怠慢です。格別重要度が高いわけではないのです。
優先順位を考えていくと
1.現存する重要文化財(=旧国宝)21棟
2.旧国宝だが戦災で焼失し、優先的に再建(登録有形文化財)12棟
3.それ以外の再建建築18棟
としたときに2.のなかで重要度が高い「筒井門」の東側に付属した櫓が「松山城 筒井門東続櫓」なわけですね。
というわけで各投稿者の投稿画像を見ていくと「東続櫓」を狙って撮った画像は少なく、筒井門の裏に隠れた「隠門」(現存・重要文化財)と勘違いした画像もあります。筒井門には西続櫓もあるわけで、なかなかに投稿者を惑わす設定になってます。- 旅行時期
- 2025年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2025年05月28日
総合評価:4.0
伊予鉄の市内線(路面電車)の走る、大街道の交差点から、松山城へ向かうロープウェー/リフトの東雲口(駅)へ向かう通りが「ロープウェー商店街」です。お城のある「勝山」の東麓なのですが、道は絶妙にうねっています。城下町の名残かもしれません。
翌日のランチで鯛めしを食した「かど屋」をはじめ、飲食店もたくさん並んでいて、松山城に向かう観光客の9割はここを通過するといっても過言ではないでしょう。
繁華街としての規模は大街道の界隈ですが、ここも負けない魅力があります。- 旅行時期
- 2025年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 品揃え:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
-
投稿日 2025年05月28日
総合評価:3.5
小雨降る天候でしたが、翌日の晴れ間を期待して予習がてら尾道駅から「本通り商店街」へと歩いていきました。日曜夜なのとすっかり日が暮れていたので「賑わい」こそありませんでしたが、味のあるお店をいろいろ発見しました。なかでも「!」となったのがこちらのお店。よーく見ると小籠包推しの中華屋さんなわけですが、元々は銭湯だったことは歴然。レトロな銭湯が飲食店に変身していること自体レアです。ただ以前はカフェだったという情報もあり、いずれにせよこの規模の街で生き残るのは大変なんだァと感心してしまいました。
- 旅行時期
- 2025年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 観光客向け度:
- 4.0
-
投稿日 2025年05月28日
総合評価:4.0
小雨降る天候でしたが、翌日の晴れ間を期待して予習がてら尾道駅から「本通り商店街」へと歩いていきました。この(尾道)「本通り商店街」は総延長が1.6kmもあるそうです。
古くはここが西国街道で昔から旅人が往来していたんですね。今回の旅の終盤で姫路で西国街道あとの商店街に出会いましたが、神戸の元町商店街などもそのタイプのアーケードです。
さて、この尾道の商店街は一番街、中商店街、本町センター街、中央街、尾道通りと5つのパートに分かれていて400近い店舗が並んでいるとのこと。日曜夜なのとすっかり日が暮れていたので「賑わい」こそありませんでしたが、味のあるお店をいろいろ発見しました。本来の予習目的は並行して走る国道2号線とその北側に並ぶ寺院群との距離感を確かめることだったのですが、やはり照明のあるアーケードをまっすぐ歩くほうがラクでした。途中に解説パンフレットが置いてあったのが親切でした。- 旅行時期
- 2025年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 品揃え:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
-
投稿日 2025年05月28日
総合評価:3.5
小雨降る天候でしたが、翌日の晴れ間を期待して予習がてら「本通り商店街」へ向かって歩いていきました。すっかり暗くなった時間帯だったので寺院めぐりは予習の意味すらなし。でもこの尾道商業会議所記念館(旧尾道商業会議所)は本通り商店街に面しているので外観だけはおがむことができました。
こちらは古くから港町として栄えた尾道を代表するレトロ建築で1923年(大正12年)に建築された建物を改修復元したものだそうです。頑丈なレトロ建築といえば「銀行」と相場は決まっているのですが、尾道では商業会議所なんですね。- 旅行時期
- 2025年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2025年05月28日
総合評価:4.0
小雨降る天候でしたが、翌日の晴れ間を期待して予習がてら「本通り商店街」を通って、尾道ラーメンの人気店「丸ぼし」へと向かいました。日曜の夜でも行列ができていましたが「尾道ラーメン」というものを食したのははるか昔すぎて、初めてといってもいいブランクがあったので、新鮮な気持ちで並びました。
背脂が浮く熱々の醤油ラーメンでしたが「夕食でラーメン」は自分にとって珍しいパターンのため、少し物足りない感じはありましたが、旅先で「ご当地」を感じることこそが醍醐味なのでよい思い出になりました。- 旅行時期
- 2025年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 3.5
- 尾道駅から徒歩なら15分
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 3.5
- 料理・味:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 観光客向け度:
- 4.0
-
投稿日 2025年05月28日
総合評価:3.5
小雨降る天候でしたが、翌日の晴れ間を期待して予習がてら「本通り商店街」へ向かって歩いていきました。JR尾道駅からは割とすぐ、商店街の手前にこの像がありました。
「放浪記」で有名な林芙美子は尾道市立高等女学校を卒業していて、特にこの街にゆかりのある作家といえます。幼少期は各地を転々としていたようですが、13歳から女学校を出るまでの多感な時期をこの坂の多い町で過ごしています。
銘文には「海が見えた 海が見える 五年振りに見る 尾道の海は なつかしい」とあり、傘と鞄とともに芙美子が海を見ているかのポーズで残されています。- 旅行時期
- 2025年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2025年05月28日
総合評価:3.5
臨済宗大徳寺派の大本山の大徳寺。中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並んでいて、それぞれが個性に満ちており、見どころにあふれているのだと思います。
こちら瑞峯院(ずいほう-いん)は興臨院の南側に位置していて、九州の戦国大名・大友宗麟が1535年(天文4年)に、自らの菩提寺として建立した塔頭です。方丈・唐門・表門が重要文化財に指定されています。枯山水の庭園が三面そなわっており方丈北庭・南庭は重森三玲の作庭です。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2025年05月27日
総合評価:3.5
国宝の唐門に関心があって、西本願寺や豊国神社を訪れた後、大徳寺のものも見てみたいと思い、【特別拝観】に参加してみました。そうしないと大徳寺そのものの境内は外側からしか見ることができないため、三門(金毛閣)、仏殿、法堂を立て続けに近くで見られて意義深いものがありました。【特別拝観】自体は写真撮影は禁止で、できるだけ各建物には触れないように注意深く参拝したわけですが、いちばんの目的だった唐門だけ「撮影可」と言われたのでぬか喜び。ほんの数分で20名ほどの参加者が各々撮ろうとするので、落ち着いて撮れません。結局は参加者に配られたリーフレットの画像がいちばん魅力的というオチ。常に閉門されている門なので、仕切り方によっては納得できるカットになりそうなものでしたが残念。「勉強になった」【特別拝観】なのでした。
- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2025年05月27日
総合評価:3.0
臨済宗大徳寺派の大本山の大徳寺。中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並んでいて、それぞれが個性に満ちており、見どころにあふれているのだと思います。
ただこちら大光院はそのなかでもとても地味な印象の塔頭です。大徳寺境内の南西カドにあたる塔頭で、西側の通りへは南から入り直しました。豊臣秀吉の実弟秀長の菩提を弔うため1592年(文禄元年)に創建されています。拝観は不可のようですが閉門されてはおらず不思議でした。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2025年05月27日
総合評価:3.0
臨済宗大徳寺派の大本山の大徳寺。中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並んでいて、それぞれが個性に満ちており、見どころにあふれているのだと思います。
こちら高桐院は戦国時代の智将・細川忠興(三斎)が、父・細川藤孝(幽斎)のために1602年(慶長7年)に創建しています。大徳寺境内の西側にある塔頭で、西側の通りへは南から入り直し、北進しました。南から大光院・龍光院・玉林院とありその先にあるのが、こちら高桐院。拝観可否は塔頭ごとの判断。2023年5月の訪問なのですが、ここはコロナを理由に拝観中止中でした。拝観不可の塔頭もありますが、拝観休止の表記は不思議でした。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2025年05月27日
総合評価:4.0
臨済宗大徳寺派の大本山の大徳寺。中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並んでいて、それぞれが個性に満ちており、見どころにあふれているのだと思います。
黄梅院は1562年(永禄5年)に織田信長が父・信秀の追善供養のために創建しています。信長の死後、臣下・羽柴秀吉がより規模の大きい総見院を創建したことから、近世を通じて毛利氏の保護を受け、氏の京都における菩提寺とされてきました。院内には毛利氏、織田氏の墓所のほか、小早川隆景、蒲生氏郷などの墓塔があります。本堂・唐門・庫裏は重要文化財で、破頭庭・直中庭・作仏庭・閑坐庭などの庭でも有名です。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2025年05月27日
総合評価:3.5
臨済宗大徳寺派の大本山の大徳寺。中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並んでいて、それぞれが個性に満ちており、見どころにあふれているのだと思います。
雲林院は大徳寺境内の外、北大路通りを挟んで南側にあり、そもそもは829年(天長6年)に淳和天皇の離宮として建設された「紫野院」がその後「雲林亭」と改称されたことに始まるそうです。
その後衰退するも、再興なって大徳寺の塔頭のひとつとなりました。紫式部はこの付近の生まれであると伝わり、雲林院の東側、島津製作所の敷地内に墓所伝承地がありました。- 旅行時期
- 2023年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0

































