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jijidarumaさんのクチコミ(13ページ)全659件

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  • ハロン湾・海南島・香港と初めてのクルーズ旅をする。

    投稿日 2021年12月29日

    ハロン湾 ハロン湾周辺

    総合評価:5.0

    ≪ハロン湾・海南島・香港と初めてのクルーズ旅をする。≫

    <あご脚付きの招待旅行:>
    2008年06月15日~20日:ハロン湾・海南島・香港と初めてのクルーズ旅をする。6日間の旅(クルーズ船3泊、ホテル2泊)

    初めてクルーズ船に乗って、三都市を巡った。

    6月15日(日)、成田から香港に飛び、ここからスタークルーズのSuper Star Virgo(*スーパー・スター・ヴァーゴ)に乗船した。
    *13 階建のスーパースター ヴァーゴは1999 年ドイツで建造された。総トン数75,338 トン、全長268m、全幅32m、航海速力24 ノットで全935室を備え、最大1,870名の乗船客を数えると云う。
    部屋はオーシャンビュー、バルコニー付きDeck9、No.9506でした。
    この日は夕刻に船上最上階でウエルカムパーティーが開かれた。
    最初の目的地の中国・海南島に向けて走る大型客船の船上は風が強い。この船内に3泊する。

    6月16日(月)、「中国のハワイ」、あるいは「東洋のハワイ」とも呼ばれる海南島はもちろん初めての訪問になる。一日、オプショナルツアーで美しいリゾートアイランドを楽しんだ。
    夜になって、第二の目的地であるベトナム・ハロン湾に向かって出航した。

    6月17日(火)、朝、ベトナムきっての景勝地であり、世界遺産(1994年認定)であるハロン湾(ハ・ロンとは下龍で、「龍が降りたつ」の意味)に到着。
    一日中、オプショナルツアーでハロン湾内の島々を見物した。ハロン湾はハロン市の南に位置し、大小3,000もの奇岩(石灰岩)、島々が存在する。これら島々の景観は太陽の位置によって輝きが変化し、雨や霧によっても趣のある雰囲気を醸し出すのだと云う。
    伝説では「中国がベトナムに侵攻してきた時、龍の親子が現れ敵を破り、口から吐き出した宝石が湾内の島々になった」と伝えられている。
    古くからの敵対する2国だが、1979年2月~3月の中越戦争が起こった。
    ベトナム軍は強いと云う。
    外の温度は28℃から30℃、しかも湿度も高く、クルーズ船内の冷房が効いていることもあって、その温度差になかなか適応できなかった。
    本日も夕刻より、最終地の香港に向けて出港し、また船長主宰のガラディナーが賑やかに開催された。

    6月18日(水)、夕方、香港に到着し、滞在ホテルの九龍シャングリラホテルにチェックインした。短い時間、香港観光を楽しむ。
    6月19日(木)、終日自由行動。夕刻よりフェアウエルパーティーが開かれた。
    92年から95年にかけ3年間、香港に単身駐在した夫を2ヶ月ごとに訪問し、一緒に香港生活もしたから、この町は土地勘もあり、懐かしい町を巡ったものだ。

    6月20日(金)、午前に香港空港を離陸し、成田空港に午後に到着した。
    欧州の旅とは違って、近距離の旅だから、あまり疲れを感じない旅でした。

    宿泊ホテル:
    ①スタークルーズのSuper Star Virgo(スーパー・スター・ヴァーゴ) 3泊
    ②九龍シャングリラホテルKowloon Shangri-La, Hong Kong 2泊
    64 Mody Road, Tsim Sha Tsui East, Kowloon Hong Kong
    5星、全679室

    ・・・・・・・・・

    旅行時期
    2008年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1日

  • ヴァチカンはイタリアの文化・芸術の中心、一度は訪ねる価値がある。

    投稿日 2021年12月26日

    ローマ歴史地区、教皇領とサン パオロ フオーリ レ ムーラ大聖堂(バチカン市国) バチカン

    総合評価:5.0

    <あご脚付きの招待旅行:>
    2013年7月1日~6日イタリア・ヴァチカン:ローマ、ヴァチカン、カプリ、ナポリ6日間の旅(ホテル4泊、機中1泊)

    三十数年ぶりに訪れたのはイタリア・ヴァチカンである。
    7月1日、成田からフランクフルト経由でローマに。18時10分到着。シェラトン・ローマに4泊する。

    7月2日、ナポリ・カプリ島「青の洞窟」の旅、日帰り旅の目玉だった「青の洞窟」見学は幸い時間待ちもなく、美しい青色の洞窟内を見ることができた。天候や波の状態により、この7月でも2,3割が進入不可能となると云う。洞窟内側に入ると奥行き54m、高さ15mの空間が広がり、水面から洞窟全体が紺碧の光を帯びた美しさを見せていた。
    空の青、海の青、白い家々のカプリ島での昼食もシーフード・リゾットに満足。
    7月3日、ローマ市内観光:コロッセオやスペイン広場・スペイン階段、トレヴィの泉など。
    7月4日、ヴァチカン・・・ヴァチカン市国とカトリックの総本山にはサン・ピエトロ広場と大聖堂(ミケランジェロの傑作『サン・ピエトロのピエタ』)、宮殿、ヴァチカン美術館(ミケランジェロをはじめとする画家たちにより装飾されたシスティーナ礼拝堂、ギャラリーなど)といったもので、半日観光では見きれない。
    イタリアは見るべき観光地も多いが、やはりヴァチカンを一度は訪ねる価値がある。

    7月5日、ローマを12時5分に出発し、ミュンヘン経由で成田に。
    7月6日、成田に10時25分着。6日間の旅も実質3日間の観光は残念!

    宿泊ホテル:
    シェラトン・ローマに4泊
    Viale Del Pattinaggio, 100
    Rome, 00144 イタリア

    ・・・・・・・・・
    以下は参考までに:

    ≪1977年8月、はじめてのイタリア旅行≫

    1977年8月6日~20日の15日の夏の休暇旅行で、6日6時半にデュッセルドルフの自宅をスタートし、途中613kmの距離にあるミュンヘンに宿泊(1泊)し、更に翌日インスブリュック見物の後、怖い高さのEuropabrückeヨーロッパ橋(1963年完成、長さ813m、高さ190m)を渡り、古くからイタリアと独・墺などの国々を繋ぐ重要な峠として利用されてきたBrennerpassブレナー峠(海抜1370m、1975年に完成したアウトバーンE45がある)を越え、イタリアに入り、ヴェニスに至る400kmを走った。
    イタリアは7日ヴェニス(1泊)、8~9日フィレンツェ(2泊)、アッシジ、10~13日ローマ(4泊)、ここをベースに市内観光、ポンペイ、ナポリを巡り、そしてドイツに向けて戻る。
    その帰途はシェナ、14日サンジミニャーノ(1泊)、ピサ、ジェノバ、15~16日ミラノ(2泊)と見物し、 アオスタ経由280kmの山越をして、スイスの湖水地帯に入り、レマン湖畔のモントルー(17~18日・2泊)、ローザンヌ、19日ベルン(1泊)、バーゼル、フランスのアルザス、シュトラースブルクを経由して、20日にデュッセルドルフに戻った。
    総走行距離は4,400kmでした。

    ≪1983年7月、二度目のイタリア旅行≫

    1983年(39歳)7月27日(水)~8月7日(日)も夏の休暇で行った。
    ヴェニス近郊(場所は北アドリアのLido di Jesolo!)に泊まり、車でヴェネチア見物へ。
    帰途はミラノからコモ湖の町に滞在し、コモ湖近辺を巡った。
    スイスの中の飛び地・イタリア領Campioneなどです。コモ湖ではVilla Carlottaという素晴らしい庭園を見ている。
    マッジョーレ湖には行きませんでしたが、イタリア・スイスのややこしい国境もあって、奇妙な思いをしたものの、北イタリアは良い所だと思った。
    家内の書いた旅ノートによるとコモ湖から、S33の道をシンプロン峠に向かい、峠を越えて、スイスに入ったようだ。
    メルセデス230の中古車には峠道は軽々とはいきませんでしたが、峠を越えて、Brigブリークに抜け、Taeschに至って、Zermattoツェルマットに。Gornergrat3089mまで、登山電車に乗り、マッターホルン、モンテローザの光景を楽しんだ。
    驚いたのはGornergratで当時のアルジェ駐在員の知人夫婦にばったり出会ったことだ。 

    その後、Zermattから、Sionシヨンの古城(この辺りもワイン産地)、地底の洞窟、Montreuxモントルーではレマン湖のシヨン城、ドイツの黒い森・Gutachグータッハを経由して、Duesseldorfに戻った。
    11泊12日休暇は凡そ3700kmを走った。

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2013年07月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日
    アクセス:
    5.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    2.5
    展示内容:
    5.0

  • カナダはナイアガラの滝の迫力に驚き、ちょっぴり西部開拓時代を感じさせた。

    投稿日 2021年12月16日

    ブラック クリーク パイオニア ビレッジ トロント

    総合評価:5.0

    ≪カナダはナイアガラの滝の迫力に驚き、ちょっぴり西部開拓時代を感じた。≫

    <あご脚付きの招待旅行:>
    2009年06月10日~15日カナダ・トロント6日間の旅
    (ホテル4泊、機中1泊)

    6月10日から14日はシェラトン・センタートロントホテルに4泊した。
    11日はトロントの市内観光、近郊のBlack・Creekブラック・クリーク開拓村(いわゆる郷土博物館:村の小ぎれいな住居、メープルシロップの昔からの製造、ランプシェードの制作、レースの飾り付けや当時の方法で行う印刷などを見学)、

    12日にPillitter Estates Wineryピリッター・エステート・ワイナリーで試飲、ナイアガラ・オンザレイクの洒落た町を歩き回る。

    最終日13日はナイアガラの滝を上から、下からと眺め、「Maid of the Mist霧の乙女号」に乗船し、アメリカ滝(落差56m、幅320m)の傍を通り、カナダ滝(落差54m、幅675m)の渦巻く滝壺に接近し、提供されたビニールのカッパを着ていても大いにしぶきの洗礼を受け、カッパが飛ばされそうになった。
    やはりカナダ滝の方が雄大、豪快で遊覧が実に楽しい。

    カナダは初めてで、従ってAir Canadaカナダ航空の搭乗も初めてだった。
    やはり目玉のナイアガラの滝の迫力に驚き、ちょっぴり西部開拓時代を感じた。

    宿泊ホテル:シェラトン・センタートロントホテルに4泊
    123 Queen Street West
    Toronto ,Ontario M5H 2M9 Canada
    Room No.1036


    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2009年06月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    半日

  • モナコ公国の美しい景観は大砲と共に望むのが一番だ。

    投稿日 2021年12月14日

    セントマーチン ガーデン モンテカルロ

    総合評価:5.0

    <あご脚付きの招待旅行:フランス・パリ近郊から南仏ニース、モナコの旅>
    2005年10月2日~8日1週間の旅(ホテル5泊、機中1泊)

    2日から4日はパリの5星インターコンチネンタルに2泊して、パリ近郊のヴォールヴィコント城、モレ村(ロワン川)、ヴェルサイユ宮殿、そしてパリ市内観光(エッフェル塔、シテ島、パリ市庁舎、ノートルダム寺院)、セーヌ川ディナークルーズを楽しむ。

    4日午後の便でパリからニースに飛び、モナコでは4日から7日、モナコ公国の首都モンテカルロにある5星ホテル エルミタージュに3泊した。

    5日、モナコ市内観光は大聖堂、大公宮殿、パレ広場・衛兵交代式、旧市街、St Martin Gardensセントマーチン ガーデンの大砲のある、とりわけ気分の良い展望台からモナコの旧市街、港の素晴らしい景観を楽しんだ。
    その後、ニースとの間に位置するエズの鷲の巣村を観光。

    最終日の6日はコート・ダジュールを走り、ニースのシャガール美術館、ピカソ美術館、サン・ポール観光、カンヌの映画祭の会場パレ・デ・フェスティヴァル、旧市街、野菜・果物市場や港の観光など。

    フランスはパリを中心に近郊のイール・ド・フランス、北西部のモン・サン・ミッシェル、ロワール地方、北東部のアルザス・ロレーヌ地方は比較的訪れていたが、南仏はこの時が初めてで、その後も足を運ぶことはなかったから、大変ありがたい旅だった。
    (尚、1970年代半ばのブルーガイド海外版には、この南仏の事は殆ど述べられていないから、面白い。今とは隔世の感がある)

    旅行時期
    2005年10月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    観光の所要時間
    1-2時間

  • 縁者が眠る、広徳寺の佇まいは好ましい。しかも山門を彩る、黄金色に色づく2本の大銀杏が見事だ。

    投稿日 2021年12月12日

    広徳寺 あきる野・秋川渓谷

    総合評価:5.0

    東京都西多摩地方のあきる野市は1995年に秋川市と五日市町が合併して発足した。
    広徳寺は旧五日市町の名刹である。

    JR武蔵五日市駅からバスで檜原街道(国道33号線)の長い坂道を上がり、谷合の小さな街並みを行く。駅から檜原村に向かうバスの停留所数で3つ目の距離にある上町で降り、左手の秋川に向かう下り坂を行くと、秋川にかかる小和田橋?にあたる。これを渡ると、小和田地区に入る。右手にうかいする道から秋川丘陵に向かうとまたキツイ坂が左手にあり、それを上ると、広徳寺の山門(傍に広い駐車場もある)に至る。徒歩では結構大変である。

    旧五日市町の街並みを見下ろす高台にある広徳寺は好ましい佇まいだ。
    とりわけ秋の景観が良い。山門を彩る、黄金色に色づく2本の大銀杏が見事だ。

    【広徳寺(こうとくじ)】
    東京都あきる野市小和田234

    秋川南岸の秋川丘陵の小高い場所に立っている。
    臨済宗建長寺派、龍角山と称し、鎌倉五山建長寺の末寺である。
    寺伝によると、室町時代のはじめ、明徳年中(1390~94年)に正応長者という人の妻(法名龍応智雲尼)が開基し、応永10年 (1403年)、前建長寺住職が開山したという。

    天文年間(1532~55年)小田原・北条氏の氏康が寺領を寄進して再興した。
    本堂客殿に5代にわたり関東八州に威勢をふるった戦国大名の後北条氏(ごほうじょうし=小田原北条氏の初代の早雲(そううん)・氏綱・氏康・氏政・氏直の各位牌を安置している。
    江戸時代には幕府より40石の朱印地が与えられ、約1万2千坪の境内を保有していた。山門は江戸時代の建築の特長をよく表わして、見事な作りである。

    本堂の裏手に都指定天然記念物の「カヤ」」(24.5m)と「タラヨウ」(19.1m)の大木があり、都下最大のものと云われている。タラヨウの葉の裏に傷を入れて文字を書くことが出来る。 ”葉書“の語源ともいわれる。

    ・・・・・

    尚、広徳寺は高校教師であった叔父(母の一番下の弟)が婿入りした岸家の菩提寺である。だから叔父も寺の山門傍にある先祖代々の墓に葬られている。
    その近くに親族の萩原家の墓があり、祖母の従姉で、母の御所奉公の際にお世話頂いた*萩原 タケ女史の墓がある。

    *萩原 タケ(明治六年~昭和十一年、享年六十三歳)は日本赤十字社看護婦取締(監督)、国際看護婦協会名誉副会長兼評議員などを務め、大正九年(一九二〇年)に第一回フローレンス・ナイチンゲール記章を受賞した。
    日本赤十字社はタケ女史の死に際して、看護婦としては異例の赤十字病院葬を執り行って、その死を悼んだ。
    『聖女』とか、『看護婦の鑑』、『日本赤十字社の明星』などと讃えられた女史の胸像は郷土の偉人として、その功績を顕彰され、旧五日市町役場前に立っている。また、五日市郷土博物館に展示コーナーがある。

    ・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    5.0

  • ドイツの美味・シュパーゲル(白アスパラ)はプファルツ選帝侯のシュヴェツィンゲン宮殿で栽培されていた。

    投稿日 2021年12月07日

    シュヴェッツィンゲン城 ハイデルベルク

    総合評価:4.5

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシェ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭

    シュヴェツィンゲンはバーデン・ヴュルテンベルク州の北西部、ハイデルベルクの南西約13km、マンハイムの南東約15kmにある。その二つの町を結ぶ古城街道上にある。
    シュヴェツィンゲンの地域は元々ヴォルムス司教領であったが、12世紀にライン宮中伯・プファルツ選帝侯の支配下となった。1439年に初めて人口が記録され、その数はなんと230人であった。今は人口22千人のそれなりの町になっている。
    この町はシュパーゲルの産地である。

    <Schloss Schwetzingenシュヴェツィンゲン宮殿>
    この旅49番目の城  入場券Euro10

    “プファルツ地方の小ヴェルサイユ”と称される宮殿(かつてのWasserburg水城)である。1350年、ライン宮中伯ルドルフ2世が居城とした。
    三十年戦争およびプファルツ継承戦争で、この城は破壊された(1689年)が、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムと、その後継者によって再建された。
    1720年にカール3世フィリップはハイデルベルクから一時的にシュヴェツィンゲンに宮廷を移し、1742年からは夏の宮殿として、増築がなされた。
    1750年にプファルツ選帝侯Kurfuersten Karl Theodorカール・テオドールにより、城の広大な庭園72 haを含む“新しい都市”の設計がなされ、建設が行われた。
    1752年には城内劇場(500席のRokokotheaterロココ劇場)がオープンした。
    1777年にプファルツ選帝侯からバイエルン選帝侯になると、カール・テオドールは1778年に宮廷をミュンヘンに移し、シュヴェツィンゲン宮殿は長く捨て置かれた。

    手前の宮殿からずっと先に広大なフランス風・イギリス風庭園が広がって、それはなかなかのものだ。園内にはムーア様式のモスク、人工廃墟、大理石の浴場、壮麗なアポロ神殿など、ヴェルサイユやシェーンブルク宮殿に見たようなものが造られている。

    【シュパーゲルはシュヴェツィンゲン宮殿とも縁が深い】

    ドイツでは"Volksgemueseフォルクスゲミューゼ(ドイツ人に最も好まれる野菜)" と呼ばれているほど、季節になると好んで食べる。
    春の旬、シュパーゲル(白アスパラ)はこの欧州ではローマ時代から栽培された記録があるそうだ。ドイツのシュパーゲルの季節は4~6月下旬が食べ頃です。
    (例年4月の上旬頃に始まり、6月の洗礼者ヨハネの祝日に終ります)

    18世紀のドイツでは白いSpargelシュパーゲル(白アスパラガス)を“白い金”と呼び、王侯貴族の食べ物であったそうだ。その歴史は古く紀元前2000年に遡ると云う。
    因みにアスパラガスはラテン語から来ているそうで、エジプト、ギリシャ、ローマといった時代からの野菜である。

    中世には薬用効果の高い、特に足の“痛風”には良い野菜として尊重され、痛風持ちの仏・太陽王ルイ14世も好んで食した事から、“王の野菜”とも称された。
    (尚、現代では、アスパラギン酸は栄養ドリンクにも含まれ。疲労回復、滋養強壮に効果があるとされる。また、穂先に含まれるルチンは血行を良くし、高血圧、動脈硬化予防にも良いと言われている)

    1700年代になって、ハイデルベルグとマンハイムを本拠としたプファルツ選帝候の夏の離宮シュヴェツィンゲン宮殿に於いて、シュパーゲルを栽培し、王侯貴族に提供したとされている。
    一般市民の間で食されるようになるのは19世紀も中頃になってからだと云う。

          (2009.06.07.完)

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • ハイデルベルク:聖霊教会ではプファルツ選帝侯ループレヒト3世夫妻の寝棺が目立った。

    投稿日 2021年11月29日

    聖霊教会 ハイデルベルク

    総合評価:4.0

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km・Pfingstsonntag聖霊降臨祭

    <Altstadt旧市街の名所>    12:35~14:40
    ハイデルベルク城址から旧市街に向かって階段315段を下りる。
    登り下りも所要10分であった。街は一段と観光客が増えたようだ。
    旧市街の中心であるマルクト広場には歴史的な見所も多い。

    ③Heiliggeistkirche聖霊教会(1398年):

    バロック様式の美しい尖塔をもち、代々のプファルツ選帝侯の墓所がある。
    1410~1685年の間に、教会内に埋葬された選帝侯とその家族の墓は54を数えると云う。

    教会内は実に飾り立ての無いシンプルなもので、唯一、選帝侯ご夫妻(神聖ローマ皇帝・ドイツ国王・プファルツ選帝侯Ruprecht IIIループレヒト3世;1352~1410年と、妃Elisabeth von Hohenzollern‐Nuernbergホーエンツォレルン・ニュルンベルク家のエリザベート;1358~1411年)の寝棺が目立った。

    この教会は三十年戦争の際、保管していた手書き本、選帝侯時代の古い印刷本をバイエルン公マクシミリアン1世に収奪されてしまったとある。

    ここからネッカー川畔に出た。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0

  • 軽井沢と言えば、堀 辰雄の「風立ちぬ、いざ生きめやも」でしょう。

    投稿日 2021年11月23日

    堀辰雄文学記念館 軽井沢

    総合評価:4.5

    2004年の夏、軽井沢の家内の友人宅を訪ねた。

    2004年の春に南ドイツからオーストリアを周遊した際に、御一緒した友人の案内で、まずはドイツ好きの貴方たちには「エルツおもちゃ博物館」が良いでしょうねと。
    そして石の教会、そして締めくくりに追分宿の「堀 辰雄文学記念館」を訪ねた。
    堀 辰雄らしい雰囲気を残した記念館が印象に残った。

    ・・・・・

    私の高校から大学時代に読んだ文庫本(下の2冊を含め)が色あせて本箱に残っていた。
    何やら線を引き、ちょっぴり書き込みもある・・・当時は藤村、白秋、犀星、牧水などの詩集も読む青春時代だった。

    風立ちぬ・美しい村 堀 辰雄 作・・・岩波文庫:昭和37年8月11版
    菜穂子       堀 辰雄 作・・・角川文庫:昭和38年11月17版

    堀 辰雄(ほり たつお:1904年・明治37年~1953年・昭和28年は小説家。
    当時の死の病と云われた肺結核を病み、軽井沢で療養することも度々あり、そこを舞台にした作品を多く残した。
    軽井沢での療養中に同病の矢野綾子と知り合い、婚約するが、その翌年(1935年)、綾子は八ヶ岳山麓の富士見高原療養所で亡くなってしまう。
    この長期療養中に書かれた自伝的小説が「美しい村」そして「風たちぬ」である。

    「風たちぬ」は作者本人の実体験をもとに執筆された堀の代表的作品で、名作である。「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の5章から成る。
    美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、重い病に冒されている婚約者に付き添う「私」が、やがて来る愛する者の死を覚悟し、それを見つめながら2人の限られた日々を「生」を強く意識して共に生きる物語である。

    作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、作品冒頭に掲げられているポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節「Le vent se leve, il faut tenter de vivre.」を堀自身が訳したもの。
    「風が立った」「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが「生きることを試みなければならない」「風が吹く……生きねばならぬ」という意志的なものと、その後に襲ってくる婚約者の死、その不安な状況を予覚したものが一体となった作品である。
    (Wiki抜粋)

    ・・・・・

    旅行時期
    2004年08月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    展示内容:
    4.0

  • ハイデルベルク:マルクト広場に面して、新バロック様式の市庁舎が立ち、広場中央にヘラクレスの噴水が見られる。

    投稿日 2021年11月27日

    市庁舎(ハイデルベルク) ハイデルベルク

    総合評価:4.0

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭

    <Altstadt旧市街の名所>    12:35~14:40
    ハイデルベルク城址から旧市街に向かって階段315段を下りる。
    登り下りも所要10分であった。街は一段と観光客が増えたようだ。
    旧市街の中心であるマルクト広場には歴史的な見所も多い。

    ①Rathaus市庁舎・Herkulesbrunnenヘラクレスの噴水:

    マルクト広場に面して、新バロック様式の市庁舎が立ち、広場中央にヘラクレスの噴水が見られる。5月の広場ではパラソルの下で市民や観光客が寛いでいた。

    この市庁舎は新旧キリスト教徒による宗教戦争である30年戦争(1618年~48年)後に建てられたが、1689年プファルツ継承戦争で破壊された。その後も建物自体は火災や戦災で罹災し、何度も再建されている。
    最終の再建部分は1961年にGlockenturm鐘楼を東側ファザードに付け加えたものだ。

    尚、クリスマス市の公式オープンは例年「Christkindキリストの子」が市庁舎バルコニーに登場し、開催を告げる。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • ハイデルベルク:聖ゲオルクに守られた騎士の家は赤茶けた、美しいルネサンス風建物である。次回は是非泊まってみたい佇まいがある。

    投稿日 2021年11月24日

    Hotel Zum Ritter St. Georg ハイデルベルク

    総合評価:4.0

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭
    7時起床。8:45~9:15朝食。古城ホテル ヒルシュホルン城を9:35に出発。
    ≪Die Burgenstrasse古城街道巡り≫->B37  8km  Neckarsteinachネッカーシュタイナッハ遠望9:50->B37(Neckargemuendネッカーゲミュント)・L? 20km Heidelbergハイデルベルク城到着・見学10:15~14:50

    【Heidelbergハイデルベルク観光】  
    10:15~14:50

    Heidelbergハイデルベルクの町はバーデン・ヴュルテンベルク州の北西部にあり、ネッカー川沿いに発展した町である。人口は意外に14万7千人と多いが、学生の町でもある。
    この町はプファルツ選帝侯領の首都でもあった。ハイデルベルク城址、『アルト・ハイデルベルク』のロマンスで名高い古都・・・ドイツ旅行で最も魅力的な町と云われる。

    ②Das Haus zum Ritter騎士の家(1592年):

    現在はホテル・レストランとなっているが、赤茶けた、美しいルネサンス風建物である。
    このホテルは聖霊教会の向かいにあるが、名前や雰囲気からすると、「古城ホテル」のようだから、泊まるか食事をしたかった。
    尚、屋根の上にホテルの名前の由来である、聖ゲオルクが甲冑をまとった騎士の像として立っている。

    歴史的には1592年にフランスのプロテスタント派の織物商人 Charles Belierシャルル・ベリエ(プロテスタント派に対する迫害を逃れて、プファルツ選帝侯領の当地に定住していた)によって建てられたそうで、この点は意外だったが。
    現在ハイデルベルクで残る建物として一番古いもので、1681年、フランスのルイ14世が起こしたプファルツ承継戦争で、ハイデルベルクの町が徹底的に破壊されたが、唯一残ったったものだと云われている。

    実はここで昼食を予定していたが、結局中華の魅力に勝てずに、止めてしまった。
    中に一度入れば良かったと思うが・・・。
    Romatik-Hotel Zum Ritter St.Georg;Hauptstr. 178 
    http://www.ritter-heidelberg.de/

    ・・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • タウヌス:古城ホテル クロンベルク城は”皇帝の城”に相応しく、ドイツ皇妃ヴィクトリアが愛し、余生を過ごした所である。

    投稿日 2018年12月13日

    シュロスホテル クロンベルク フランクフルト

    総合評価:5.0

    2018年ドイツの春:フランケン地方・オーバープファルツ地方の旅
    2018年5月10日(木)~5月24日(木)15日間

    5月23日(水):  晴れ 、 25℃、 184km
    ベストウェスタン プレミア ホテル レブストック出発9:50 ->B19・A3・A5・B43 142km Bad Homburgバート・ホンブルク ->B455 12km Kronbergクロンベルク->B519・A66・A3 30km Frankfurt Flughafenには16:04到着。
    (レンタカー返却時3,842km-借入時2,315km=走行距離1,527km)

    <Schlosshotel Kronberg  古城ホテル クロンベルク城> 
    14:25~15:23
    D- 61476 Kronberg 、Hainstrasse 25    
    Tel:+49 (0) 6173-701 01 、Fax:+49 (0) 6173-701267
    http://www.schlosshotel-kronberg.de/
    http://www.kronberg.de/

    時間があれば、何時も訪れたい古城ホテルである。
    この日もホテル内に入って、レストランや回廊を見て回る。テラスレストランの傍でリフォームしていたが、どういう風になるのだろうか。レセプションでパンフレットを頂いてから、ゴルフ場の方をちょっとのぞく。
    古城ホテル前の駐車場に超高級車と云われるイタリアのLamborghiniランボルギーニや、ドイツのPorscheポルシェが十数台停まっていた。
    何かの催しでもあるのだろうかと思っていたら、15時過ぎると、大きな音を出しながら一台一台走り去っていった。
    いずれにしても、超高級車の似合う古城ホテルだ。

    さて、6年前の日記にはこう書かれている。
    美しいタウヌスの森に位置する5星クロンベルク城は全部で58室と規模も大きい。
    DZ室料は早期予約割引価格だったが、Euro155+朝食代2人分Euro 50=Euro205(20,896円)でした。
    チェックイン15時=>チェクアウトが12時で、ドイツ最後の日をゆったり過ごすには大変ありがたいものだった。

    2012年に宿泊した120号室(2階)はレセプションにも近い、古城ホテルの右手部分にあたる。ゴブラン織りの壁掛けが架かった階段でも、エレベーターでも上がれる。
    森に囲まれ、敷地内に直営のゴルフコース(18ホール・パー68)を持つ5星の古城ホテルはさすがに格調高く、ゴルフコースに面した広い部屋、立派なベッド、家具・調度、広い浴室には値段以上のものがある。

    グルメレストランはSchlossrestaurantシュロスレストランと称し、フレンチ料理を主としている。時代がかった素晴しい室内は皇妃ヴィクトリアと皇帝フリードリヒ3世の肖像画だろう絵画が壁にかけられ、天井も高々とし、立派な暖炉を中心にした40席のレストランである(かつて来独した某行の頭取をご招待したこともある)。
    暖かな季節となると、ゴルフコースに面して、日除けで覆われた広いテラスレストランがオープンする。

    元々はFriedrich III.ドイツ皇帝フリードリヒ3世(1831~1888年)の皇妃Victoria Adelaide Mary Louiseヴィクトリア・アデレイド・メアリ・ルイーズ(1840~1901年)が、その余生を過ごした所である。
    1901年、61歳の皇妃ヴィクトリアはこの城で死去した。
    城館は“Das kaiserliche Schloss皇帝の城”に相応しく、1954年にオープンした古城ホテルのロビー、廊下、レストラン、客室に、現在も彼女の愛したものが見事に残されている。最大のロイヤルスイート114号は皇帝ヴィルヘルム2世が滞在したことで知られる。

    XXXXX

    旅行時期
    2018年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)

  • フランクフルト旧市庁舎レーマー:2階の皇帝の広間には歴代の皇帝52名の肖像画がかかり、壮観だ。

    投稿日 2021年07月15日

    フランクフルト旧市庁舎 フランクフルト

    総合評価:4.0

    Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅

    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間
    5月28日(月);晴、25℃、69km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭の翌日の月曜日

    ≪Frankfurtフランクフルト観光≫   
    14:45~16:05

    ドイツの金融・商業の中心都市フランクフルトは高層ビルが建ち並び、あまりドイツ的な景観ではない。駐在時代から公私共々なんども訪れたフランクフルトだが、定年後の旅で田舎巡りをしていると、このマイン川一帯の景観には違和感を感じる。
    普段の旅では空港に直行することが多いから、フランクフルト旧市街を見るのは珍しい。

    フランクフルトの見物をザックリ言えば、町の象徴はマイン川近くのRoemerレーマー広場であり、旧市庁舎レーマーなど木組み建築やニコライ教会の建物が広場を囲んでいる。
    広場の中心には“正義の女神の噴水”が立つ。ショッピングの中心Hauptwacheハウプトヴァッヘ周辺も散策には楽しい所だ。Alte Operアルテ・オペラ、ゲーテ博物館、Museumsufer博物館通りにあるStaedelsches Kunstinstitutシュテーデル美術館なども徒歩圏内にある。

    <Roemer旧市庁舎レーマー>
    Roemerberg 23
    15:05~15:20 Euro4。

    レーマー広場には切妻屋根の美しい3つの建物がある。旧市庁舎レーマー(14世紀初めに建てられたものを1405年に町が購入した)を中央に、左にAlt-Limpurgアルト・リンプルク(1495年築、現在はレストラン)、右にLoewensteinレーヴェンシュタインの家が並ぶ。
    いつもながら、落ち着いた美しさだ。
    今日は旧市庁舎レーマー裏手の階段を上がった2階にあるKaisersaalカイザーザール(皇帝の広間)が最初の目的だ。かつての記憶も薄れて、意外に初めて見るような気がした。
    ここでは神聖ローマ帝国の皇帝が戴冠した後、祝宴を催したと云う。皇帝52名の肖像画が架かっているが、各肖像画には皇帝の名と在位年の表記があり、その数の多さに驚く。
    ただ、不勉強で名前も知らない皇帝も多かった。

    ・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    4.0

  • フランクフルト:アイゼルナー橋、そこでマイン川を眺め、左右の景観を見るのが好きなのだ。

    投稿日 2021年07月16日

    鉄の橋 フランクフルト

    総合評価:4.0

    Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅

    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間
    5月28日(月);晴、25℃、69km・Pfingstsonntag聖霊降臨祭の翌日の月曜日

    ≪Frankfurtフランクフルト観光≫   
    14:45~16:05

    Eiserner Stegアイゼルナー橋:

    レーマー広場に来ると、必ずレストランHaus Wertheimヴェルトハイムの家の前を通り、アイゼルナー橋に行く。

    そこでマイン川を眺め、左右の景観を見るのが好きなのだ。
    クリスマスの時期は実に寒かったが、今日は人ごみで暑いくらいだ。

    ・・・・・・・・

    ドイツのクリスマス :2009年12月7日(月)~15日(火)

    12月14日(月);曇り、0.0~1.5℃、206km

    <Frankfurtのクリスマス市>
    15:15~16:00

    フランクフルトのクリスマスマーケットは1393年にはもうすでに始まったと云う。
    毎年、国内外から300万人の観光客が訪れると云う大きなマーケットだ。
    フランクフルトのシンボル・Roemer旧市庁舎レーマー前のRoemerbergレーマー広場、其の近くのPaulskircheパウルス教会前の広場、マイン川岸に200以上もの屋台が並ぶ。
    旧市庁舎レーマー前には30mの高さの大きなモミの木のクリスマスツリーが立ち、後景に見える銀行の高い高層ビルにも負けていない。
    営業時間 ;2009年11月25日 - 2009年12月22日
    月 - 土 10:00 - 21:00   日 11:00 - 21:00

    博物館通りから直ぐのマイン川に架かるEiserner Stegアイゼルナー橋を渡ると、レーマー広場は目の前だ。川面を渡る風はさすがに寒く、早く暖かいものが飲みたい。

    ・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • フランクフルト:魅力的な赤色のマイン砂岩で建てられた警衛所は、今はカフェになっている。

    投稿日 2021年07月18日

    ハウプトヴァッヘ フランクフルト

    総合評価:4.0

    Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅

    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間
    5月28日(月);晴、25℃、69km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭の翌日の月曜日

    ≪Frankfurtフランクフルト観光≫   
    14:45~16:05

    Hoechster Porzellanヘキスト陶磁器の町Hoechstヘキストから19kmでFrankfurtフランクフルトの旧市街に到着。
    Parkhaus Hauptwacheハウプトヴァッヘの駐車場に車を入れ、旧市街見学に出た。

    ともあれ、レーマー広場に向かう。途中にヘキストで見られなかったヘキスト陶磁器のお店があった。閉まっていたものの、ウインドウから覗いて、ちょっぴり納得した。

    Hauptwacheハウプトヴァッヘ:

    フランクフルトの旧市街の中心、交通の要所でもあった場所に建てられた警衛所(監獄と市警察所)で、魅力的なRoter Mainsandstein赤色のマイン砂岩が使用されている。
    1729年のバロック様式の建物は第二次大戦の戦災で焼失したが、再建された。
    今はカフェになっている。
    文豪ゲーテ(この町の出身)は町一番の美しさを持っていると評した。
    ゲーテが洗礼を受けた17世紀の「カタリーナ教会」が傍に立ち、Alte Operアルテ・オペラまでの道は高級店が並んでいる。
    時間も午後4時を過ぎる頃になり、もう十分と駐車場に戻った。 
    (駐車料Euro1.5)


    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0

  • フランクフルト観光は左手に天秤を持ち、右手に剣を持った姿で立っている“正義の女神の噴水”からスタートする。

    投稿日 2021年07月19日

    フランクフルト旧市街 フランクフルト

    総合評価:5.0

    Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅

    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間
    5月28日(月);晴、25℃、69km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭の翌日の月曜日

    ≪Frankfurtフランクフルト観光≫   
    14:45~16:05

    フランクフルトの見物をザックリ言えば、町の象徴はマイン川近くのRoemerレーマー広場があり、旧市庁舎レーマーなど木組み建築やニコライ教会といった歴史的建造物が広場を囲んでいる旧市街であろう。
    ショッピングの中心Hauptwacheハウプトヴァッヘ周辺も散策には楽しい所だ。Alte Operアルテ・オペラ、ゲーテ博物館、Museumsufer博物館通りにあるStaedelsches Kunstinstitutシュテーデル美術館なども徒歩圏内にある。
    すこし歩けばマイン川なので、マイン川散策も楽しめるでしょう。

    広場の中心には“正義の女神の噴水”が立つ。

    <Gerechtigkeitsbrunnen“正義の女神の噴水”>

    レーマー広場の中心には女神ユスティシアの噴水があり、左手に天秤を持ち、右手に剣を持った姿で立っている。現在の姿の像は1611年のものと云われている。
    砂岩で出来た直径6.5m八角形の基礎に彫像は立ち、台座の4面にもGerechtigkeit正義・Maessigung節度・Hoffnung希望・Liebe愛を意味するレリーフがある。それらのTugend美徳の内、第一に正義の名前を付けた噴水は象徴的な意味を持っているのでしょう。

    いつもこの像は周辺の木組みの家や切妻屋根の美しい3つの建物と一緒に写真を撮ることが多い。この為、台座に目を向ける事がないのだが・・・。

    尚、周辺の木組みの家の前にもう一つの噴水がある。
    “正義の女神の噴水”と間違えられることが多いが、こちらは「Minervabrunnenミネルヴァ噴水」という。
    1894年にFriedrich Schierholzフリードリヒ・シールホルツが制作し、1944年に戦災で壊れたが、1983年に再見されたものだ。
    ついでに言えば、ミネルヴァの噴水の女神像ミネルヴァは知恵と戦いの女神で槍を持っています。(因みにローマ神話の女神としては詩・医学・知恵・商業・製織・工芸・魔術を司る神。ギリシア神話ではアテーナーと同一視され、戦争の女神ともなっている)

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.0

  • フランクフルト:レーマー広場で空中に浮ぶ謎のストリートパフォーマー黒衣の男

    投稿日 2021年07月23日

    レーマー広場 フランクフルト

    総合評価:5.0

    Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅

    期間 :2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間
    5月28日(月);晴、25℃、69km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭の翌日の月曜日
     (ここまで後半928km、総計1,778 km)

    <Frankfurtフランクフルト観光 >
    14:45~16:05

    レーマー広場の中心にはGerechtigkeitsbrunnen “正義の女神の噴水があり、左手に天秤を持ち、右手に剣を持った姿で立っている。

    噴水近くで人だかりがする。近づいてみると、黒い僧服を着た人が、宙に浮いていた。
    皆不思議に思って、写真を撮っては、近くまで行って見る。
    分かった!右手を伸ばして、柱につかまっている。これが種明かしだ。
    (多分、服装で隠れているが、鉄の棒が柱に接続し、宙に浮いた体を支えているのだろう!さて???)

    空中を浮ぶ謎のストリートパフォーマー黒衣の男といった姿を旅をしていると
    度々目にすることがある。

    *21年ぶりとなる“デュッセルドルフ訪問”
    期間 : 2006年5月5日(金)~5月19日(金)15日間

    Koelnケルン:
    人口102万人。ローマ時代からの古い歴史を誇る文化都市。この大都市の見所はDomケルン大聖堂(1996年世界遺産登録)を中心とする地域で、ローマ・ゲルマン博物館、Alte Rathaus旧市庁舎がある。
    目抜き通りのHohe Str.ホーへ通りには各種のお店が軒を連ね、いつも買い物客で混雑している。4711オー・デ・コロンの発祥(1792年創業)の地であり、アルトと違って、やや苦みの強いケルシュ・ビアーも有名だ。

    Domケルン大聖堂前のチャップリン!

    *ドイツのクリスマス 
    期間:2009年12月7日(月)~15日(火)
    12月14日(月);曇り、0.0~1.5℃、206km

    ミルテンベルクの町の旧マルクト広場は”ドイツで最も美しいマルクト広場”と謂われている。ここで、4回あるアドベントの週末、つまり金・土・日の三日間だけ、クリスマスマーケットが開かれる。小さな町のクリスマスはこうしたもののようだ。
    旧市街のHauptstrasse メイン通りになる。静かな月曜日で人通りも少ないのだが、お店はクリスマス用品を並べて、華やかに見える。
    道の途中に帽子をかぶり、化粧と衣装を付けた大道芸人?が寒さで震えながら、立っていた。特別パフォーマンスをするわけでもない彼はブルブル震えているのがわかる。
    寒さをこらえての商売は辛いでしょう!と、些少ながらEuro2を寄進した。嬉しかったようで、帰り道でも挨拶された。

    寒さに震えながら笑顔の大道芸人?

    *ぐるっと西南台中・台南・高雄・台北 
    2011年03月11日(金) ~03/15(火) 4日間

    20110312:日月譚・台南・高雄
    日月譚・文武廟前で

    こちらは中国西安の兵馬俑(へいばよう)の兵士を演じているのだろう。
    ツイ、チップをあげてしまう。

    東西さまざまである。

    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    4.0
    景観:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 「ハイデルベルク学生の口づけ」 という洒落たネーミングの手作りチョコレートがクネーゼルの名物、お土産にどうぞ!。

    投稿日 2021年11月18日

    クネーゼル ハイデルベルク

    総合評価:4.5

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月27日(日);曇り時々晴れ間、25℃、139km ・Pfingstsonntag聖霊降臨祭
    7時起床。8:45~9:15朝食。古城ホテル ヒルシュホルン城を9:35に出発。
    ≪Die Burgenstrasse古城街道巡り≫->B37  8km  Neckarsteinachネッカーシュタイナッハ遠望9:50->B37(Neckargemuendネッカーゲミュント)・L? 20km Heidelbergハイデルベルク城到着・見学10:15~14:50

    【Heidelbergハイデルベルク観光】  
    10:15~14:50

    Heidelbergハイデルベルクの町はバーデン・ヴュルテンベルク州の北西部にあり、ネッカー川沿いに発展した町である。人口は意外に14万7千人と多いが、学生の町でもある。
    この町はプファルツ選帝侯領の首都でもあった。ハイデルベルク城址、『アルト・ハイデルベルク』のロマンスで名高い古都・・・ドイツ旅行で最も魅力的な町と云われる。

    聖霊教会からアルテ・ブリュッケに向かう横丁には、途中の左手にハイデルベルクの名物店がある。

    ≪Cafe-Konditorei Knoeselカフェ・コンディトライ・クネーゼル≫
    14:30~14:45  Euro48.2
    Haspelgasse20(日曜日は12:00~22:00)  

    *1863年創業。“Heidelberger-Studentenkussハイデルベルク学生の口づけ” という洒落たネーミングの手作りチョコレートが名物。
    Im Parkhaus am Kornmarkt / Schloss (P12).から800m。
    http://www.cafek-hd.de/

    ・Heidelberger-Studentenkuss“ハイデルベルク学生の口づけ”という洒落たネーミングの手作りチョコレート(1863年創業)を大2・小5を購入。

    Cafe Knoeselカフェ・クネーゼルのオリジナル品で、その昔、カフェのオーナーが学生の恋心を思って、その気持ちを伝えるために作ったのが、このチョコレートだと云う。
    包みの中はメダル型のチョコレートが入っていました。早速二つに割って試食しました。ワッフルにヌガーチョコ、ちょっと甘めのチョコレートで包んだ味は美味しい。

    ・それに女店主からお薦めあったHACHEZハッチェス・チョコレート-ココアダリバCocoa D'ARRIBA というカカオ配合77%オレンジ味、ガーナ・チョコレートKuapa Chocolate72%、J.D.GROSS社のEdelschokoladenstaebchen・ARRIBA Superieur 高純度81%などのチョコレート各種5。
    今まで食べた事のない高純度チョコレートは店主曰く、ワインに合うとのことでしたので、帰国して早速、試してみた。上上の味わいでした。

    ・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    アクセス:
    4.0
    お買い得度:
    4.0
    サービス:
    4.5
    品揃え:
    4.0

  • 古城街道:ホーエンローエ家の居城ノイエンシュタイン城はかつての水城の様子が残る、いかめしい城である。

    投稿日 2021年11月11日

    ノイエンシュタイン城 古城街道周辺

    総合評価:4.5

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月24日(木); 晴、31℃と暑い日、127km(この日まで10日間で1,321km)

    ≪古城街道の古城群を巡る≫

    Burg・Schloss im Hohenlohekreisホーエンローエ地方の古城群・ホーエンローエ家の城は
    Schloss Waldenburgヴァルデンブルク城、
    Schloss Neuensteinノイエンシュタイン城、
    Schloss Langenburgランゲンブルク城、
    Schloss Oehringenエーリンゲン城、
    Schloss Kirchbergキルヒベルク城、
    Schloss Pfedelbachプフェーデルバッハ城、J
    agtschloss Friedrichsruhe狩猟館フリードリッヒスルーエ、
    Residenzsschloss Kupferzellクッフェルツェル宮殿、
    Schloss Stetten (Hohenlohe) シュッテッテン城がある

    ヴァルデンブルク城から11km走ると、見覚えのあるノイエンシュタイン城前に到着した。

    <Schloss Neuensteinノイエンシュタイン城>
    この旅29番目の城になる。
    13:50~15:00 入場券Euro10
    D- Neuenstein 、Schlossstrase 49

    城内博物館の見学;月曜日を除く、毎日9時~12時、及び13時半~18時。
    http://www.schloss-neuenstein.de/
    http://www.neuenstein.de/

    このホーエンローエ家の居城は古城街道沿いの人口6千人の町Neuensteinノイエンシュタインにある。ドイツ駐在中の1970年代の後半、クリスマスの時期に一度訪れた記憶があるが、休館中で多分見ていない。いかめしい城門をくぐると広いとはいえない中庭がある。
    中庭からまっすぐ行くと庭園が見えるテラスに出る。
    12世紀頃は水城であり、庭園側、西側にその一部の名残がある。
    13時半のガイド時間に間に合わず、チケット売り場にも人がいない。
    次の博物館ガイド案内を待って、やむなく、中庭にいると、スタートしていたガイドの小父さんが2階から顔を出して、一緒に入りますか?と聞いてきた。
    願ってもない事なので、数人の先客に入れてもらった。

    ノイエンシュタイン家は1230年に初めて文献に登場する。
    1351年にホーエンローエ・ヴァイカースハイム家のEdlen KraftⅢクラフト3世は、皇帝カール4世の許可を得て、ノイエンシュタインに帝国自由都市権を授けた。
    1525年、農民戦争でホーエンローエ家の他の城と同様に戦禍にあう。その後、1553年までホーエンローエ家のホーエンローエ・ヴァイカースハイム家の支配下に置かれた。
    1553年以降、ノイエンシュタイン城はホーエンローエ・ノイエンシュタイン家のGraf Ludwig Casimirルートヴィヒ・カジミール伯が所有し、1698年まで宮廷所在地であった。
    1560年に、現在の規模の大きなルネサンス風城館に改築され、特有の屋根飾りや、複雑な小塔を持った今日の姿を見せている。
    1698年、ノイエンシュタイン家は後継者がいなかった為、ノイエンシュタイン城は一族のホーエンローエ・エーリンゲン家に属し、その宮廷はこれ以後Oehringenエーリンゲンに置かれた。
    1948年以来、ホーエンローエ・エーリンゲン侯爵と家族が住んでいる。

    城内博物館:
    皇帝の広間には蒐集した武具類が飾られ、狩猟の間には獲物たちがまだ生きているに立っている。かつての馬屋にはバロック時代の橇、様々な時代の軍服、衣装が展示されていた。
    最も魅力的あったのは騎士の広間であり、41mの縦、幅10.5m、高さ8.5mと大変広い。木張りの天井は見事なものでホーエンローエ家の歴史を描いているのだそうだ。壁の一部には図書棚が設けられ、蔵書が並んでいた。
    机の上にはホーエンローエ家の金の皿が置かれ、17世紀頃の家具、絵画、ゴブランが広間の至る所にある。

    ロマンチック街道沿いにあるSchloss Weikersheimヴァイカースハイム城で見た騎士の広間に匹敵する大きさと言い、美しさと言い、ホーエンローエ家の凄さを感じたものです。

    食事の間、歴史の間、高杯、ウルムの白馬像なの芸術品が見られる。

    この城は写真禁止の為、小父さんから説明書(Euro2)を購入した。
    “この城は幽霊が出ないのか?”と軽口をたたいたら、小父さんは笑いながら、“残念ながら、幽霊は出てこないよ!”と答えた。
    説明書にも幽霊や伝説の類は書かれていなかったので、少々残念だった。

    ガイドは最後に中世後期の城内台所・1495年を案内した。
    煙で燻された、かつてのままの姿が良く残っていて、現在も城内の催しに利用されているそうで、実にすごい。
    チップを小父さんにEuro2。

    ・・・・・・・・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5

  • 古城街道:バート・ヴィンプフェンの遠望はかつての青の塔を思い出す。

    投稿日 2021年11月16日

    青の塔 バード・ヴィンプフェン

    総合評価:4.0

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、140km 

    Die Burgenstrasse古城街道巡り->L?・A81 33km Weinsbergヴァインスベルク城到着・見学11:20~12:15->(Bad Friedrichshal バート・フリードリヒスハル)->A81・A6・B27 14km Bad Wimpfenバート・ヴィンプフェン遠望13:00 ->L? 12km Heinsheim bei Bad Rappenauハインスハイム城到着・見学13:25~13:40

    Bad Friedrichshal バート・フリードリヒスハル)経由し、古城街道(B27)を走る。
    この道に至ると、古城好きとしてはいくつも街道上に見えてくる古城・古城ホテルに立ち寄りたい。

    Bad Wimpfenバート・ヴィンプフェンは写真が残る1978年12月、2001年5月、そして今回は何時も停まる場所から、単に遠望し、“青の塔”を中心にしたヴィンプフェンの遠景写真を撮るだけに留めた。
    更に、ネッカー川を渡り、ヴィンプフェンの街中を通過して行く。

    <バート・ヴィンプフェンの歴史>

    ネッカー川の左岸にある町には1世紀には既にローマ軍団の拠点が設けられたという。
    12世紀にHohenstaufenホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝の王城が築かれ、繁栄した。この町には駐在時に何度か来ている。上と下の町があるが、上の町が木組み建築の家並みもあり、中世の雰囲気を良く伝えて、楽しい。保養地でもある。(人口6600人)

    Kaiserpfalzカイザープファルツ旧王宮は12世紀、ドイツ人に最も人気の高い、Friedrich I Barbarossaバルバロッサ赤髭王によって建てられた。現在もその一部、城の広間跡、赤の塔がある。
    町の象徴・Blauer Turm青の塔はその頃のものである。12世紀の天守閣だが、19世紀に雷による火事で焼けたため、先頭部分が改築された。登るのに入館料4DMが必要です。

    天守閣からは町とネッカー川の眺望がパノラマのように見え、遥かに赤屋根の連なる村落や菜の花畑、ネッカー川を運行する船がよく見えた。


    ・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    観光の所要時間
    1-2時間

  • 古城街道:この街道を走ると、必ず古城ホテル ハインスハイム城を訪れる。

    投稿日 2021年11月13日

    ホテル シュロス ハインズヘイム バード・ヴィンプフェン

    総合評価:4.0

    《Romantische Strasseロマンチック街道、Schwaebische Alb Strasseシュヴェービッシュ・アルプ街道、Burgenstrasse古城街道の旅》
    期間:2012年05月15日(火)~05月29日(火)15日間の旅 

    5月26日(土); 快晴で気持ち良い一日、26℃、140km 

    Die Burgenstrasse古城街道巡り->L?・A81 33km Weinsbergヴァインスベルク城到着・見学11:20~12:15->(Bad Friedrichshal バート・フリードリヒスハル)->A81・A6・B27 14km Bad Wimpfenバート・ヴィンプフェン遠望13:00 ->L? 12km Heinsheim bei Bad Rappenauハインスハイム城到着・見学13:25~13:40

    Bad Friedrichshal バート・フリードリヒスハル)経由し、古城街道(B27)を走る。
    この道に至ると、古城好きとしてはいくつも街道上に見えてくる古城・古城ホテルに立ち寄りたい。
    が、14km先のBad Wimpfenバート・ヴィンプフェンは何時も停まる場所から、単に遠望し、“青の塔”を中心にした町の遠景写真を撮るだけに留めた。

    更に、ネッカー川を渡り、ヴィンプフェンの街中を通過し、12kmで思い入れのある古城ホテルのハインスハイム城に到着した。ここで昼食にしたいと思っていた。

    <Hotel Schloss Heinsheim古城ホテル・ハインスハイム城>
    この旅38番目の城  13:25~13:40
    D-74906 Bad Rappenau 、Gundelsheimer Strasse 36
    http://www.schloss-heinsheim.de  

    ハインスハイム城は1730年に築城された。
    1960年頃に古城ホテルに改装し、開業した。
    ラクニッツ男爵家所有のホテルはバロック様式の城館と、礼拝堂、メインレストラン棟、戸外のプール、テラスレストラン、全42室がある。月曜休み。

    古城街道を走ると、必ずここを訪れる。
    駐在時に泊り、食事も、お茶もしたこの古城ホテルは健在だった。
    レストランに入ってみたが、誰もいない。これも前回と同じだが、今日は土曜日だから、誰もいないのはおかしいと思っていたら、何やら今夕の結婚式・披露宴の準備でバタバタしているようだった。
    ホテル棟の前に結婚式関係者もチラホラ見られる。

    庭園の屋外プール傍に行ってみると、水はいっぱいに入っていたが、シーズンには早く、木の葉で水面が汚れていた。娘たちとここで泳いだ事を思い出していると、プール傍で読書していたドイツ人が話しかけてきた。

    “今日は友人の息子の結婚式披露宴に招待されてきたのですが、貴方方はどちらからですか?”
    “私共は東京(正しくは千葉だが、分かりやすい東京とした)から来たのですが、古城や古城ホテル好きで、かつて駐在した頃に、ここにも宿泊した事もあり、懐かしくて訪ねたのですよ。”
    “ドイツでは何をされていたのですか?”
    “商社の仕事で、デュッセルドルフに居りました。2度の勤務で通算9年勤務したのですが、今は感傷旅行と称して、毎年ドイツを旅しているのです。”
    “私はトヨタ関連の仕事(代理店?)をしていましたから、日本とは色々と関係があるのですよ。そう言えば、ここから25kmと近いSinsheimジンスハイム(ハイデルベルクとハイルブロンの中間の町で古城街道上にある)に行かれましたか?この町にはBurg Steinsbergシュタインスベルク城や自動車・技術博物館があって、面白いですよ。”
    “そうですか。名前は以前から知っていますが、まだ訪れた事がありません。今度来た時には是非訪ねてみたいものですね。”
    といった会話を交わして、お別れした。

    尚、Burg Steinsbergシュタインスベルク城には2015年7月に初訪問した。

    ・・・・・・・

    旅行時期
    2012年05月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    ロケーション:
    4.0

jijidarumaさん

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33国・地域渡航

12都道府県訪問

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jijidarumaさんにとって旅行とは

傘寿(80歳)を過ぎましたが、ドイツ旅行を回顧しながら、投稿を楽しんでいます。
かつての駐在時代より、古城巡りや古城ホテルに宿泊するのが大好きで、各地を巡りながら、そこに残る伝説・民話を見つけては、訳してきました。
ここではそうした伝説・民話を中心にご紹介しながら、古城巡りや古城ホテル、グルメ体験などについても、掲載してきました。
ご興味あれば、お立ち寄りください。

最近はアジアの香港・マカオ、台湾も時に昔を思い出しつつ、また、日本の小旅行と称した旅も
最近投稿しています。
(2025.06.11.)


プロフィール写真は
シュパンゲンベルクのマルクト広場:相思相愛のクノーとエリゼの二人の像

Spangenbergシュパンゲンベルク:
http://www.spangenberg.de/cms/
ヘッセン州北部のシュヴァルム・エーダー郡に属す人口6千人の町シュパンゲンベルクは今年で都市権710年になる。カッセルの南東に、直線距離で35 km の距離にある。
この町に残る伝説はグリム童話にも掲載されているが、その事から2000年から公式に「Liebenbachstadtリーベンバッハシュタット」と称している。
木組みの家並みが続く旧市街は小さいながらもなかなか良いもので、その中心は庁舎ラートハウス、3階建ての石造りの建物だ。ラーツケラー(レストラン)もあり、マルクト広場を木組みの家が囲んでいた。
その一角に相思相愛のクノーとエリゼの二人の像・・・劇的なシーンを描いているLiebenbachdenkmalリーベンバッハ(恋人たちの小川の意味)記念碑と泉があった。像の裏手には、原野の土を二人が掘り、山の源泉から水を村まで引いた話を示すような鍬が二本、その伝説を語るように置かれていた。
傍には記念碑が建てられた頃の写真や、当時のラートハウスやマルクト広場周辺の家並みを写したものなど、その歴史を説明するように看板が立っていた。

<シュパンゲンベルグ:村に残るクノーとエリゼの相思相愛の伝説 番外編参照。>

https://4travel.jp/travelogue/11528725

(2022.11.16.)

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

ドイツ

大好きな理由

定年後、かつての駐在を懐かしみ、毎年、ドイツ各地の古城を巡り、様々な古城ホテルの滞在を楽しみながら、レンタカーでドイツの田舎道を31,000km走ってきました。
春が11回、夏1回、秋が4回、クリスマスが1回と、定年後の旅はもう17回となります。
2020年に予定していた18回目は武漢ウイルスの為、延期のままとなり、さらにロシアのウクライナ侵略の勃発もあり、戦時体制の欧州の旅は見送り続けて、2025年を迎えている。

(2025.06.11.)

行ってみたい場所

ドイツ

現在33の国と地域に訪問しています

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現在12都道府県に訪問しています